ボディビルジム選びと甘えの話

■マッチョになりたいとき

 

アナタは、マッチョになりたいと思って、ボディビルジムを選ぶ時、どういうジムを選びますか?

 

まず、【第一段階】ネットなどで

  • アクセスが良い、費用が手ごろ みたいな基礎的なもの
  • 評判が良い、悪いうわさが無い など社会認知的なもの

 

次に、【第二段階】体験入会などをして

  • ロッカールーム、トイレが綺麗 みたいな基礎的なもの
  • 事務員の対応が良い悪い などこれも基礎的なもの

を、確認

 

そして、さらに、いわば本丸【第三段階】

  • 良いトレーニング機器があるか?
  • 良いトレーナーがいるか?

などを確認

 

さらに言えば、この後、付加価値的な物を確認していくわけですが・・・


もしアナタが、本当に「マッチョになりたい」と思うなら、ボディビルジムの本体価値である【第三段階】に強く着目するべきだと思うんですよね。普通。

 

ところが現代人は、付加価値である【第一段階】や【第二段階】の課題を先んじてしまう傾向があります。

 

本当は、本当にマッチョになりたいなら、【第一段階】や【第二段階】の問題など、【第三段階】に比べれば微々たる課題なのにも関わらず、

 

場合によっては、というか多くの場面で、【第一段階】や【第二段階】という付加価値的な物だけで問題を判断し、時として【第三段階】を見過ごしてしまう。


なぜか?


結論を言うと現代人、というか消費者は、かなり甘やかされているからだと、私は思います。

 


■消費者は甘やかされている

 

今さらですが、物が溢れている時代です。マーケットは消費者に、自社の商品を買ってもらうために様々な工夫を凝らしています。

 

消費者はそれらの、工夫を凝らして擦り寄ってくる商品のなかから、自分に都合の良い商品を選ぶことで、消費をします。

 

つまりメーカーは、自分の会社の商品を選んでもらうために消費者を甘やかします。

 

そしてこの甘やかしに現代人は慣れています。

 

従って、例えで出したような「マッチョになりたいから、ボディビルジムを選ぶ」というような状況でも、

 

アクセスが良く、費用も手ごろ、ネット上の評判も良く、ロッカー、トイレが綺麗、事務員の対応も良い所を、選びます。

 

そして一番大事だと思われる、「トレーニング機器やトレーナーの問題については」トレーニング機器は少し物足りないし、この人が私がマッチョになるうえで良いトレーナーなのかどうかはわからないんだけど、親切で優しいし、まあいいか~

 

と、なります。


先、言っときますが、別に私は消費者が甘える事を否定したいんじゃないです。

 

イインデスそれで。自分の人生なんだから。

 

自分の人生なんだから、甘やかされたいのは当然なんです。

 

なんといってもあなたは消費者なんだから。

 

「お客様は神様です」なんて言う気、私はありませんが、あなたには甘やかされる理由があり、現に甘やかされている。

 

だから、イインデス。

 


■3つの自覚

ところでそんなアナタについて、私は、アナタに以下の3つの自覚があるかが気になります。

 

  1. アナタは、甘やかされている、甘えん坊である
  2. アナタは、甘やかされいている事によって、マッチョにはなれない
  3. アナタは、自分が甘やかされていると、気付かないようにされている

 

私も、自分は甘えん坊だと思っています。

 

私はとても根性が無くて、逃げ場があれば逃げる人間です。

 

すぐウソもつくし、自分を正当化して誤魔化して、プライドは維持しつつサボりたい。

 

私はそういう甘えん坊です。だから私は自分を甘やかしてくれる人が大好きです。

 

ですが、私には一応、上記の3つの自覚があります。

 

ですので私は、私は私のそのままではマッチョにはなれない。という自覚があります。また、私は「私が甘やかされいていることを」自分ではなかなか気が付けない社会に生きているということも、自覚があります。

 

自覚があるので、甘えん坊ですが、なんとかなりそうです。

 

マッチョになりたいと思えば、自分の甘えたい気持ちとどう折り合いをつけながら、マッチョになればいいのか、考える事が出来ます。また、世の中の「甘やかし攻撃」に対処する事だって、考える事が出来ます。


自分の「甘えたい気持ち」に対処すると書きましたが、これは「気合い」「根性」あるいは「しごき」の話とは、根本的に違います。

 

「気合い」「根性」「しごき」は、「甘え」に対し強制をすることです。問答無用です。ハラスメントに近しいすれすれセーフ、あるいはアウト な話です。

 

「自分が甘えん坊で、折り合いを付けたり、社会の甘やかしに対処しながら、ゴールにたどり着く」というのは、主体的でプロアクティブな自分の選択です。

 

「XXしなきゃならない」ってのは気合、根性、しごき です。
「XXしたほうがいい」と考えるのは主体的選択です。

 

もしマッチョになりたいのであれば「自分にとって良いトレーニング機器があったり、トレーナーが良いジムを選んだほうがいい。そのためには場所が多少遠かったり、会費が高かったり、不便や不快を感じるような所であっても、そこは我慢したほうがいい」

 

と言う事ですね。

 

この話題も掘り下げると長くなるので、この辺で止めますが

 

今日お話をしたいのは、

 

甘えん坊な私が、なぜ「3つの自覚」を持てているか。という話をしたいのです。

 

で、それは、少なくとも私の場合「働いているから」です。

 


■働く事で、甘えの自覚を持つことになる

 

私は「働く」ことで「甘えの自覚を持つ」事が出来るようになりました。

 

「働く」だと、ちょっとニュアンスが違うかな・・・

 

「働く」と言うより、どちらかと言えば

  • 会社を立ち上げ、経営する
  • ビジネスを立案し、執行する
  • プロジェクトのマネジメントを完遂する
  • 製品を考え、作り、売る
  • 組織を作り、責任者になる

というような事をして、「甘えの自覚を持つ」事が出来ました。

 

これらの仕事は、

 

甘えがあると、なかなか難しい。

 

甘えたことを言いながら出来るというモノでもない。

 

甘えがあるとどこかにホコロビが生じ、成功しない。

 

だから、経営、執行、マネジメント、製品オーナー、組織責任者、そのどれをとっても、自分の甘えを見つめなおす、良い機会となります。

 

なぜでしょう

 

私は2つの理由があると考えています。

 


■1つ目の理由「ビジネスは結果だから」

 

1つめの理由は、ビジネスは結果を求められるから。

 

結果を求められるというのは、「マッチョになる」という事と同じなんですよね。

 

甘えの誘惑に負けず、結果を出す為にするべきことは何かを考える。そうすると自ずと自分がいかに甘えた思考方法をしているかを知ります。

 

例えば、甘えん坊である私は、怒られたくありません。また、嫌われたくありません。

 

ですのでついつい、ビジネスの局面でも「怒られない」「嫌われない」という選択肢を考えがちです。

 

ですがこれ、自分の思考方法がついつい「怒られない」「嫌われない」という選択肢に向かって自動思考するという事を理解していれば、

 

「ビジネスで成功する為に自分が選ぶべき選択肢は何か」

 

が、冷静に、わかります。

 

でも、世の中も、私を甘やかそうとします。

 

私のチームメンバーや、私の家族友人知人、あるいはメディアなどもこぞって、私を甘やかしにきます。

 

これが、問題です。

 


■甘えは伝染する

 

例えば私が「怒られない」という選択肢について、チームメンバーに相談したとします。

 

チームメンバーは、もし自分が同じ状況に追い込まれたら、自分も甘やかされたいので、「怒られない選択肢」を選ぶことを、すすめる可能性があります。

 

つまり同じチームの私が「怒られない選択肢をとるべきか?」と相談してきたら、「それでいいよ」と答えるわけです。なぜなら自分が同じ状況になった時にも、同じように甘やかしてほしいから。

 

このように甘えは、簡単に伝染します。

 

甘えが伝染し過度な許し合いが存在する組織は、利己的で排他的となる特徴があります。

 

ちなみに、間違った「働き方改革」は甘えの伝播を後押しする可能性があります。注意する必要があります。

 


■2つ目の理由「ビジネスとはサービスだから」

 

働く事で甘えを自覚できるもう一つの理由は、働く事の基本は消費者に対しサービスを提供することだからです。

 

言うなれば「甘える側」ではなく「甘やかす側」になるということです。

 

つまり「サービスとは消費者を甘やかす側」という基本を前提とすれば、仕事の達人になるということは、甘やかしの達人になると言う事でもあります。

 

人の甘えを研究し、自らが消費者をどう甘やかそうかを考えたり、消費者が甘やかされている事を気付かないように策を講じたりするうえで、自分自身の心の中の甘えにも詳しくなっていきます。

 


■人の甘えを(過剰に)嫌いになる

 

働く事が「甘やかす側になること」だと気が付くと、同僚などの甘えが嫌になります。

 

同じサービスをお客様に提供する仲間として、仲間に甘えがあればサービス提供者として失格だからです。

 

引っ越し屋さんは重い荷物を運んでくれます。あなたは優秀な引っ越し屋さんで、お客様の代わりに重い荷物を持つことを厭わない。が、同僚が「重たいのは持ちたくない」と言い出せば、それはサービスの根幹を揺るがす問題になります。

 

だから同僚の甘えを、嫌いになります。「甘ったれてんじゃねぇ!仕事だぞ!!」と、言いたくなります。

 

だから現代でも多くの企業で、社員の「甘え」に対して過敏になっている事が多いように思います。

  • 遅刻
  • 言葉遣い
  • 衣服の乱れ

などなど、日本の企業は「甘え」に対して過剰に統率を行おうとする傾向があり、これはハラスメントに繋がる場合もありますし、自由な働き方を推進する為の「働き方改革」に対し阻害要因になる場合があります。


注意する必要があります。

 


■私が会社にもたらせたいプロフェッショナリズムと働き方

 

さて、そろそろ自分の会社の話を書きますが

 

私は、自分自身も甘えのある人間だと書きました。

 

そして私の会社は「働き方改革」のコンサルティングなんかをしたりする会社ですのでこの「甘え」というテーマについて、こんな意見を持ちます。

  1. 「甘え」のない人間なんていないと思っている。私も甘えん坊。
  2. 仕事で結果を出すとき、自分の「甘え」が弊害になる場合がある。これをコントロールできる人財が、当社では評価される。
  3. 当社では「甘えを許さない文化」みたいなものを作る気はない。ただある程度のインテリジェンスがあれば「甘えていると成果が出せないな」と自覚できているはずだと思っている。自覚がないなら当社は合わない。
  4. 人は「甘えを伝播する」性質があり、この甘えの伝播をしてしまう人を評価出来ない。逆に人に甘えを気付かせてあげられる人をリーダーやヒーローと認める
  5. 他人の甘えをよく理解し、それをビジネスに出来る能力がある人をサービスマンとして評価できる。

という感じです。

 

社員の「甘え」に気付いても、それを統治しようとするとハラスメントになったり、根本的な依存をぬぐえないので、どうやって、どのような方法をつかって気付かせるか、ですね。

 


■なんでボディビルジムで例えたの?

 

さて最後に、何で私がボディビルジム選びで例えたかと言う話なんですけれども

 

私は、「(ビジネス)マッチョになりたい」と、思ってくれている社員に対して、社長である私の存在が

  • よきトレーナー なのか?
  • 適切なトレーニング機材(つまりストレス)なのか?

ってのを、なんとなく、話題として書きたかったんですね。

 

で、私の理想は、

 

 「私は重たいバーベルでありたい」

 

って事ですね

 

骨太な人。ぜひ一緒にビジネスをやりましょう。


わー

 

毎回ひどいけど、今回ほど支離滅裂なblogもないな~

 

先日あるリーダーと、「社員の甘え」について会話した内容を、なんとなく残しておきたかったので、今日のblogを書きました。

 

リーダーは、社員の成長を信じて、重いバーベルにならなきゃね

 

リーダーが社員を甘やかしてしまったら、その甘やかしはすぐ伝播するしね

 

まあ、そんな話

 


No pain No gain

「BYOD」と「お買い物上手」と「ヒーロー」と「依存」の話

■BYOD推奨

 

当社のBYODについて書いておこうと思います。

 

BYODとは↓

ja.wikipedia.org

 

まあ、自分のパソコンを会社に持ち込んで仕事をしよう!って事ですね

 

自分のパソコンですと!?

 

え?なに?ソノリテってそんなヤバイ会社なの?

 

会社が管理した、会社ががっちりガードした、セキュアなパソコンで仕事してるんじゃないの?

 

自分のパソコン?

 

ゲームしたり、遊んだり、私用にたっぷり利用しているジブンノパソコンを、仕事で利用しているの??

 

 ええ、そうです(キッパリ)

 

当社はBYODを、「推奨」しています

 

理由は、色々あります

 

 

■お買い物上手

 

皆さんはお買い物が好きですか?

 

「お買い物」嫌いな人って、まあ、そんなにいないかな。と思います。

 

もちろんお買い物にはお金がかかるから、倹約家の人とか、ミニマリストの人とかは、あまりお買い物をしてモノを増やすような事はしないだろうし、ノームコア的な発想もあるでしょうけれど

 

でもまあ、社会で暮らしている限り、お買い物ってすると思うんです。

 

それで、「お買い物上手」な人っていますよね

  • 広告に惑わされず、本当に良いものを見極めたり
  • 流行に流されず、長く使えるものを選んだり
  • セールやポイントカードなどを上手く利用したり
  • 値段の変化などにもアンテナが高い

みたいな

 

「お買い物上手」な人、ズボラな私は尊敬します。

 


■依存体質をぶち壊したい

 

私は経営者です。

 

経営者である私の最近の興味は、「会社と依存」というテーマです。

 

今は働き方改革の時代です。

 

働き方改革時代に必要なのは、社員の自立性です。断言します。はい。

 

自立性の高い社員が沢山いれば、働き方改革は成功します。

 

自立性の低い、会社や組織に依存した社員ばかりならば、働き方改革は失敗する可能性が高いです。断言します。

 

そして日本の会社は、きっと、依存性優位の会社が多いと思います。

 

自立性の高い社員は、自らの目標や目的に向かって働いています。

 

自立性の高い社員にとって、働く時間や場所を自分の裁量下における「働き方改革」はとても有意義で、会社にも意味のある改革になります。

 

逆に自立性の低い社員は、命令によって働いています。

 

自立性の低い社員が多い会社では、働き方改革によって「命令」の数が減るため、会社のパフォーマンスは落ちます。

 

働き方改革については過去ブログでも語っていますのでそちらもどうぞ

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

私は、すくなくとも当社はクリエイティブを尊重する集団ですので、自立性の高い社員が優位なコミュニティになるべきだと考えています。

 

私は自社(株式会社ソノリテ)を、自立性の高いプロフェッショナル集団として、そのプロが集合し刺激しあったり助け合ったりするコミュニティにしたい。

 

私は自社を、自立性が低く凡庸で依存性の高い社員が、会社が産み出す利益にぶら下がることだけ考えているような衆愚集団にしたくない。

 

つまり会社に依存してほしくない

 

そう考えています。

 

私は、会社と社員の関係を「支配と依存の関係」にしたくない

 

自立した個の交流や触発が何かを産み出すことを会社が応援する関係としたい

 

今、ソノリテを本当に「働き方改革」しようとしていて、その到達点は、完全に依存体質が抜けきった形、なのですが・・・


・・・まあこれくらいにしますが

 

なんであれ依存体質をぶち壊したい。

 


■兵隊なのか、ヒーローなのか

 

社員にはビジネスと戦っていただきたい。

 

どんな戦い方でもいい。ディフェンスでも、オフェンスでも、クリエイティブでも、マネージメントでも、調整役でも、癒し役でもいい。怒り役でもいいし、褒め役でも、人たらしでも、何でも良い。

 

どんな戦い方でもいいから、なにしろ戦って欲しい。自分らしいやりかたで、プロフェッショナルとして。


で、その戦い方ですが

 

某SF超大作映画に出てくる、悪の組織のクローン兵士のように、

 

隊列を組んで、指令に従い、与えられた武器を、学んだ戦術の通り、命を惜しまず、戦う

 

なんてのは、嫌で

 

マーベルの某ヒーロー映画に出てくるヒーロー達のように

 

様々な強みをもった人たちが集結し、時に手を組み、時に衝突しながら、それぞれの価値観をぶつけあい、刺激し合い、成長しながら、戦う

 

という戦い方を、してほしい

 

だってそのほうが、カッコいいでしょ?

 

そのほうが・・・たぶん・・・いい

 

少なくとも私は「多様性組織経営」を、そのように捉えています

 


■ヒーローと武器

 

ヒーロー映画のヒーローは、武器を持っている。

 

大抵のヒーローは、個性的な武器を使う。

 

軍や組織から支給された、他の兵と同じ凡庸な武器・・・ではなくて、そのヒーローしか扱えないような、特殊な、個性的な武器

 

色んな武器があって、魅力的

 

ヒーローは武器を愛していて、ヒーローがその武器を使えば、鬼に金棒

 

まあ、そんな話。

 

「メガネは顔の一部です」

「武器はヒーローの一部です」

 

みたいな感じ。

 

じゃあ、パソコンはどうなんだ?

 

皆さんが業務で利用しているパソコンは、会社から支給された、凡庸で縛りがきつく、さして性能も良くないものを、利用しているのではないでしょうか?

 

そんな凡庸なものを渡され、ワイヤーロックやらなにやらで机に縛り付けられ、インターネット接続やらダウンロードやらインストールを管理され

 

それで皆さんは、ヒーローになれるのか?

 

いや

 

従順な兵士にはなれるであろう。企業戦士という、兵士には。

 

問題は、それでヒーローになれるのか? という問い。


いや、わかる

 

会社で統一したパソコンとセキュリティ対策を講じた環境を作らなければ、情報トラブルが起きてしまう。

 

情報トラブルだけではない。会社にはITリテラシの低い人間もいる。

 

ITリテラシの低い人間のサポートコストを抑えるためには、全社のPC環境を統一し、インストールするソフトなども制御しなければならない。

 

また、業務中に不適切なインターネット閲覧や、ゲームプレイなど、ようするに業務外行為を規制するためにも、パソコンに制限を・・・


・・・みたいなね


・・・


まあ、そういう会社が「普通」なんだと、思います。

 

いや でも

 

私は違うと思っている。

 

私は社員を、ヒーローだと思っているから

 

ヒーローに凡庸な武器を持たせたりは、しない。

 

裏切られるかも知れない

 

いや、信じていたって、人間は、ミスをする。

 

だからと言ってですね、「事なかれ主義」に成りたくないんですね。私は。

 


■BYODにする前は

 

私が会社をBYOD推奨にする前の話。

 

社給PCは私が選定していました。

 

なんとかして、限られた予算の中で、出来るだけ皆さんによい開発環境を提供するよう、いろいろ考える。あのパソコンがいいか、このパソコンがいいかな。

 

んで考えて購入し、与える。

 

文句が出る。遅い、重い、色がカッコワルイ。形が悪い。コワレヤスイ。

 

う~ん。そうかぁ・・・

 

で、考えた

 

「俺が考えるからダメだんだな。オレはそんなにパソコンに詳しくないから、パソコンが詳しそうな人に頼もう」

 

で、社内で何人か、パソコンに詳しそうな人に頼んでみる。

 

そしたら頼んだ皆が同じことを言った。

 

 「要件は、どれくらいのスペック?」
 「予算はどれくらい?」

 

ん?それがわかれば苦労はしないよ。それを定義し判断するのが皆さんの・・・

 

あれ?

 

そのあたりで、モヤモヤしていたことがハッキリわかった気がしました。

 

みんなどうしたんだろ?自分のPCにはすごく「お買い物上手」なこのギークたちは、どうして会社のパソコンの話になると、本気になってくれないのだろう?

 

そこには色々な動機的な原因があって・・・

 

でもまあ、本質的な部分としては、どうしても「働く」と言う前提として「命令やルールに依存する」って事をしたいんだな・・・

 

そういう事が、わかりました。

 

と言う事は、あれだ

 

俺の行動や指示

  • 俺が選んだパソコンを配る
  • 誰かに全員のパソコンを決めてもらう

この両方共、社員に「依存」を促す行為だった、わけです・・・

 

つまりは私が思考停止して、旧来私が育ってきた会社の形骸化した運用ルールを自社に適用しようとして、形骸化を持ち込んでしまった。

 

だからもう、やめました。

 

自分のパソコン環境なんて、自分で考えるのが一番いいじゃん

 

会社がみんなをセキュリティ事故から「守ってくれる」なんて過保護な事、出来ないでしょ?する必要ないでしょ?


みんながプロになれば良いんだよ。

 

と、いうか

 

当社の現在の主力事業のうちの一つは、国内大企業に対するITコンサルティングやITサポートなんですが

 

顧客大企業の多くは基本、「イノベーションのジレンマ」に陥りがちで、多くは既存事業の強固さを依存型に固執することで、安定を保っているわけであるから

 

我々の会社はその、顧客がもっている文化圏に

  • 寄り添い、依存型になるか
  • 異分子として、イノベーションを起す不調細胞となるか

なのであって

 

私は比較的、ソノリテと言う会社を「特異なる物」にし、「ソノリテらしさ」をもって顧客に共鳴を起したいのであるから

 

寄り添って依存しちゃ、ダメだよね


ということで、BYODやってます

 

みんなヒーローだから、自分の武器を自分で考えて、なんかうまいことやってる。

 

ステッカーチューンなんかも、かっこいいよ

 

あ、パソコン運用補助代金として社員に毎月1万円補填してます。

「年休5日消化義務化」は当社社員にとって改悪

題記の話(働き方改革関連法「年休5日消化義務化」)で社内で盛り上がったので、ちょっと書いてみようと思います(ちょっと言っても私のブログはいつも長い)

 

私の会社【株式会社ソノリテ】はブラック企業で、社員に年休を5日も取られたら破滅しちゃうんです。

 

だから「年休5日間取得義務化」は当社にとって改悪なんです

 


・・・というお話ではありませんよ。もちろんw

 

タイトルは


「年休5日間取得義務化」は当社にとって改悪

 

ではなく

 

「年休5日間取得義務化」は当社【社員】にとって改悪

 

って話ですので

 

社員の利益の話、です。

 


さて、ところで皆さんは、ホワイト企業にお勤めでしょうか?

 

私は当社ソノリテはホワイト企業だと思っておりましてね・・・

(自分で自分の会社をホワイトって言うのアフォっぽいけど、まあここでは一応、そういうことにしてください)

 

ホワイト企業には色々な定義があると思うんだけれども、今日は有給休暇の話だから、

 

例えば

 

 ・有給休暇をちゃんと取得できる

 

てのが、ホワイト企業(の1要素)だとしましょうか

 

逆に、ブラック企業っての(の1要素)が

 

 ・有給休暇をとれない、とか、とろうとすると嫌がられる

 

とか、そういうモノだとして・・・

 

で、

 

実は私も、今回の法案が出た時には

 

「ソノリテはホワイト企業なので、有給休暇を自由に取れますから、有休5日間取得義務化なんてことになっても、もともとホワイトだからだいじょうぶだわいワハハハハ」と、思っていたんですが

 

よく考えてみると、どうもそうではない

 

むしろ当社ソノリテ社員にとっては、この「年休5日間取得義務化」ってのは、法律の改悪でしかない のです。

 

 

どういうことかと言うとですね

 

「取得義務」ってのが、どうも、ダメです。

 


ソノリテのようなホワイト企業(テレ)の社員にとって、本来、「理想の働き方」ってのは、有給休暇を例にとると

 

  • 働きたきゃ働けばいいし、休みたきゃ休める。だれも文句は言わない。
  • 有給休暇を使うか使わないかは、自己判断
  • 今年は忙しいから有給休暇を使わないで、来年に残しておき、来年どかっと旅行にいこう!とか自分の裁量で決められる

 

って感じのもの、だと思います。

 

要するに「自分の裁量で決められる」ってのが重要なポイント。

 

「自分の裁量」ですよ!みなさん!!!

 

ところが今回、「取得義務」ってのが生まれた・・・

 

「取得義務」ですからね。しかも企業に対する罰則付きの。

 

「自分の裁量」では決められないわけです。

 

  • 働きたいとか、
  • 年休を来年にとっておきたいというのが

 

許されなくなってしまう。

 

ね!?この辺りで皆さん、気が付いて欲しいわけなんですが

 

この、ブラック企業対策とも言える法整備は

 

  • 「働かない義務」をもたらす事の為に
  • 「働きたい」権利や、「年休をフルフル来年にとっておく」なんて権利を奪う

 

モノなんですよね


「でもまあ、別に良いじゃないですか。ソノリテってのはホワイト企業なんでしょ?社員の休みが5日分義務になったって、もとから問題ないんじゃないの?」


そうですかね?

 

私は経営者ですのでアレですが、私が自立した社員だったら、怒りますね

 

 「俺の有給休暇だ!俺が好きに使う。休むも休まないも俺が決める!勝手に決めるな!」

 

ってね

 

怒るよね!自立した社員(というか自立した人)だったら。

 

ブラック企業って、こうなんでしょ?

 

  • 社員「来週休みます」
  • ブラック上司「ダメ!休むな!」
  • 社員「俺の有給休暇だ!俺が好きに使う。休むも休まないも俺が決める!勝手に決めるな!」
  • ブラック上司「ダメ!会社のためだ!休むな!」

 

まあ、これはブラックだよね

 

それが、今度は

 

  • 社員「来週休むつもりだったけど、仕事立て込んでるので旅行は来年にします。このプロジェクトが終わったらゆっくり旅行に行きます」
  • ホワイト上司「ダメ!休め!そうしないと年5日の年休消化が出来ないから、会社が罰則を喰らってしまう!」
  • 社員「俺の有給休暇だ!俺が好きに使う。休むも休まないも俺が決める!勝手に決めるな!」
  • ホワイト上司「ダメ!会社のためだ!休め!」

 

って、なるわけですよね?


こんなアフォな話って、ある?


いや、わかりますよ。経済活性化でしょ?

 

休む->お金使う->経済活性化 でしょ?

 

有給休暇義務化->大企業の資金プールをマーケットに流す->経済活性化 でしょ?

 

でもさあこれブラック企業対策を隠れ蓑にした経済活性化施策だとしても、その為に、犠牲(義務化と言う犠牲)になるのはホワイト企業に勤める社員ですからね!

 

どうしてこうなんでしょうか?

 

どうしてこう、アフォな話になるんでしょうか?

 

この問題の根本は、第一にはブラック企業の存在。それはまあ、そうですよね。ブラック企業なんてものがあるから、こういう強制的な対策をする必要性を、国民が許容する。

 

まあそれは簡単な話。

 

今日私が言いたいのは、問題の根本の第二点

 

それは、日本人が甘えた依存型であって、自立していないからだ。という事です。

 

どういうお話かと言うと、例えばアナタが有給休暇をとれないブラック企業に働いているとしますね・・・もちろんご苦労をされているのだと思いますし、アナタは被害者なのだと思います・・・

 

でも、

 

ブラック企業なんて辞めちゃえばいいんです。あるいは有給休暇は誰がなんと言おうと取得すればイインデス。

 

だってアナタが正しいんだから

 

それを、まあ、大袈裟に言うと、法律に助けてもらおうとする

 

これって、依存です

 

ブラック企業という企業に依存して生活し、そのブラック企業について気に入らない点があれば、その上位集合である国、国に依存する

 

国の法律というやつに、助けてもらおうとする

 

そんな風に国に依存している人がいるから、この国は依存から抜けられない

 

依存から抜けられない人が多い国では、自ら勝ち取ったホワイト企業における恩恵というものは、無視され、搾取されてしまう

 

私に言わせれば(ブラック企業にお勤めの方の苦労を承知で言いますが)皆さんがちゃんと、自ら自分の会社や上司と闘って、有給休暇を勝ち取っているならば、ホワイト企業であるソノリテの社員に、迷惑はかからない

 

あるいは社畜

 

会社に依存し会社に飼いならされて生きてしまっていて、全然休まない。

 

この「休まない」人のせいで、ホワイト企業で「休みたい」人の自由度が下がっている。

 

ほんともう、この辺りの「依存」の存在に、はやく手を打たないと・・・

 (「ブラック企業に働く人」の批判を書きたいわけではないのですが・・・)

 

 

あと、ちょっと私たちの会社の特徴的な制度の事を書きます。

(ここは本質ではないので、読み飛ばしてもいいデス。印、つけときますね)

 

★★★読み飛ばしても良いゾーン ここから★★★

当社株式会社ソノリテ には、MMD制度(Make My Day制度)と言うのが有ります

 

これも、今回の働き方改革関連法の影響で、改悪になります

(興味があれば、取材に来てください。)

 

ちなみに制度の内容は・・・

 

社員の創造性やコミュニケーションなど様々な効果を期待して、月に1日、「仕事以外の事をしよう」という制度です。給料がでます。

 

色々な事をする社員がいます。何かを鑑賞しに行ったり、何かを作ったり、勉強したり、社員同士で遊びに行ったり

 

基本的に「寝ている」のだけがNGで、報告義務として社内BLOGを書けばOKという、そういう制度、です。

 

いいでしょ?

 

これ、良い制度だと思っています。私は。

 

  • 忙しいとMMDが実施出来ない。忙しい人に報いが無い制度だ
  • MMDと良いながら実質有給休暇のような私用に利用している
  • 会社を弱体化する。会社全体の生産性を下げる

 

など、さまざま問題があります。

 

ですが、私はこれ、良い制度だと思っています。現状は。

(「現状は」と書いたのは・・・まあこれは、機会があれば書きますが・・・)

 

この制度、よく利用してくれている社員と、そうではない社員がいるのですが

 

この、MMDって、「有給休暇とどう違うのか」というと

 

■違いA

  • 有給休暇<何をしてもいい
  • MMDMMDの理念に準じていれば何をしてもいい。寝ていてはダメ

 

(ちなみに私、過去に「MMDでお墓参りに行っていいですか」とか「MMDでちょっと役所に行ってきていいですか」とかいう申し出は却下したことがあります。だってそれってMMDの理念に遠い、「私用」ですから・・・そういうのはどうぞ「有休」をお使いくださいとお話している)

 

その他の違いとして

 

■違いB

  • 有給休暇<法律に基づく
  • MMD<当社の独自制度

 

また

 

■違いC

  • 有給休暇<翌年への繰り越しが可能
  • MMD<繰り越し不可

 

 

こんな感じ、です。

 

そして、ここで問題なのが(つまり当社社員にとって不利益変更になってしまうのが)、主に■違いAに基くものでして・・・

 

MMDの理念は、「業務外の活動が業務に活かされる」という事をより能動的に会社が支援しようという取り組みです。

 

「年休」これはもう、好きにしてくれ。どんだけ自堕落に時間を消費したって構わんよ。うんうん

 

ところが「MMD」は、会社が給料を払って業務外活動を奨励するんです。

 

つまり社員の皆さんはその理念にしたがって、「仕事ではない自己実現」をするわけですよ。

 

でも、この「自己実現」ってやつは、「年休」でも、出来る。ここが問題。

 

さてそうなると・・・

 

こんな社員を想定すると、わかる

  • 仕事が好き。仕事にやりがいを感じている。
  • MMDという理念にも賛同している。自分の業務をうまく調整し、MMDを取得。他の社員と懇親する為一緒に映画を観に行ったり、趣味の創作活動なんかに時間を利用したりする。
  • 有意義に過ごせるし、この有意義な活動はきっと長期的には仕事にも活かせるであろうと言う感触を持っている
  • 有給休暇は体調不良などで3日ほど利用した。医者に行ったりした。
  • 今のプロジェクトが終わったら旅行に行こうと思っているので、有給休暇は来年にとっておきたい。

 

で、この社員が、前々から予約しておいた舞台の鑑賞にいこうと、3月にMMD取得を申し出たら・・・私(会社の経営者である齋藤)は、この社員にこう言わねばならない。

 

「悪いねぇXXさん。今度のMMDは有給休暇を利用してくれないか?あなたは年間の有休5日間取得義務に足りていない。だからMMDを許可することは出来ない。有給をとって舞台鑑賞に行ってくれ。そうしないと会社が罰せられてしまうんだよ・・・」

 

ね?

 

なんか、変ですよね?

 

この社員にとって、「有休5日間取得義務化」ってのは改悪ですよね?

 

あくまでも「MMD」という、当社固有の制度を前提にした話ではありますが・・・

 

これ、なぜ起きるのか?

 

やっぱりこれ、私は、基本的に大衆が依存的支配に頼っているからだと、思わざるをえないです。

 

★★★読み飛ばしても良いゾーン ここまで★★★

 

「自分の裁量で決められる」のが自立した個人の幸せなのです

 

「法律で5日間休めって義務になったよわ~い」なんてのは、単に会社と言う支配者より上位に存在する、国と言う支配者に、優しくされた依存者っていうだけなんです

 


・・・いや、わかるよ

 

みんな弱者なんでしょ?

 

あるいは弱者を守るのが法律なんだと、言いたいんでしょ?

 

「齋藤はいつもうるせえな。会社の社長なんてどうせ社員をこき使うことしか考えてねぇくせに偉そうに自立だなんだとか言いやがって!そんなに世の中簡単に自立なんて出来ねぇんだよ!みんな助け合って気を使い合いながら生きているんだ!そんな中自分だけ自分勝手にいろいろ言うって事は難しいんだよ!齋藤みたいなワガママ人間ばかりじゃないんだ!だから法律で休みをとらせる必要があるんだよ!!」

 

って、言いたいんでしょ?


・・・ほんとにもう

 

良いんですよ。そういう人は、そういう人と、結束の固い、一蓮托生一枚板、そういう会社でガッツリ働いてくれれば良いんです。きっと

 

ただ、私は嫌だ。私の会社がそうなるのは、嫌

 

私の会社は、自立した個性が多様に共存し、多様に共鳴し合う、そういう中から新しいものを生み出せる、会社であってほしい。


・・・だからね

 

もしそういう私たちの概念に共鳴してくれる人がいるならば、いや、いるでしょ? いるよね! ねぇ!?

 

そういう人ならば、年休のとりかたは自分で決めたいはず。

 

だからそういう人は、「有休5日間取得義務化」の「拒否権」みたいの作ってくんないかなぁ~

 

だってほんと、いくら適法経営だからといって・・・おれ、ホント言いたくないもん。MMDをとろうとする人に、「MMDやめて年休でやれ」だなんて

 

 

プレミアムフライデー」の時も、思ったけど

 

ほんとさ、文化変えようよ。文化

シゴトとウソとシメシメ感

■宝島社の新聞広告 

 

宝島社の新聞広告が話題のようです

 

この広告自体には賛否両論あるでしょうし、私はこの広告について話したいわけではないのですが 

 

「嘘」ですよ。ウソ 

 

 私も、「嘘」の話がしたいと思っていたんです!

 

だからタイムリーで、びっくりしました。

 

私も「嘘に慣れるな」みたいなことを、すごく思うところがあります

  

  

■営業電話 

 

私は会社の社長をしているので、私宛に営業をしてくる人がけっこういます

 

「齋藤様、実は来週御社の近くに寄る用事がありまして、x月x日の午後は会社にいらっしゃいますでしょうか?」 

  

 

  

営業電話が、まあ本当に、はっきりいってアフォみたいに、みんな同じウソをつきますね。 

  

なんなんでしょうねこれ?

 

ウソと言っているのは「来週御社の近くに用事がある」ってやつね。 

 

用事なんてあるわけないじゃん。ウソじゃん。 

 

ウソ。

 

ウソつき。

 

いや 

 

これは「営業トーク」と言うヤツで、ウソではない。 

 

営業トークってのは、心理的な警戒感をといたり安心感を与えるためのテクニックだよ。

 

テクニックに目くじら立てるなんて心が狭いよ齋藤は・・・ 

  

 まあ、そんな風にみなさん感じられるのかも知れませんが・・・ 

 

いや、でも、ウソですよね!? 

 

だって「御社の近くに寄る用事」なんて、無いもん。無いんでしょ?

 

じゃあ、ウソじゃん。 

  

心理的なハードルをさげる、アウトバウンド電話のテクニックなんて言うけど、 

  

ウソやん 

  

 

ウソ 

 

 

もうねー 

  

 

ほんと、ウソが嫌い 

  

 

ほんとうにウソが嫌です! 

 

 

「みえすいたウソ」って、なんというのか、アフォっぽいですよね。 

 

アフォにアフォみたいなウソつかれて「しめしめこれで心理的ハードルを下げたったぜ」なんて、アフォが思っているのかと考えるだけで、虫唾が走ります。

 

  

最近だとまあ一日10~20本くらいかな。営業電話が来るんですけれど。

 

人材採用系とか、営業支援系とか、ですが 

  

その辺りがホント、判を押したように 

  

「斎藤様、実は来週御社の近くに寄る用事がありまして、x月x日の午後は会社にいらっしゃいますでしょうか?」 

  

って言うのですよ。 

  

なんやねん 

  

あれか、俺の会社の近所で毎週祭りでもやってんのか? 

 

 

志茂田景樹さんのツイート 

  

志茂田景樹さんの「嘘」に関するツイートをリツイートしたことがあります。 

  

   

 

志茂田景樹さんは主に若者に対し、温かみのあるメッセージをツイートされていることが多く 

  

このツイートも「嘘の横行の愚かさ」を書かれているわけでして 

  

私もこの「嘘の横行」というのが本当に嫌で 

  

「嘘つきが得をする」というのが「横行」しているのが、本当にイヤで 

  

悲しい 

  

 

■嘘は弱者のツール 

  

嘘は、弱者のツールなのだと思います 

  

  

先日、テレビの朝のワイドショーで、ある国で横行している「アタリ屋」の映像が流れていました。 

  

高級車を狙い、貧民層(なのであろう)の人が、ワザとらしく車にあたっていき、ドライバーに難癖をつけ、示談金をむしり取ろうとする 

  

貧民層、なのでしょうね 

  

今日明日、仕事に就けず、自分や家族が食事をすることが出来ず、そういう卑怯な事をするのでしょうね 

  

私だって、もし職を失っていて、家族がいて、家族がヒモジイおもいをしていたら、アタリ屋だって、もっとさもしい行為だって、するかもしれない 

  

「貧すれば鈍する」 

  

  

だから 

  

 

ウソは醜い 

  

  

ウソは醜いんですよ皆さん。 

  

  

ウソが横行するような世の中は、醜いんです。 

  

ウソが横行するような世界は、貧しく、悲しい。

  

そう、思いませんか?

 

 

■子供のウソ  

  

例えば「子供」は、ウソをつきますね 

  

「弱い」からだと、思います 

 

子供は弱いから、ウソをつきます。 

  

それとまだ、子供は「人格」や「情緒」が形成されていないからだと、思います 

  

「自立」していないからだとも、言えます 

  

子供は精神的に自立していないから、ウソをつきます。

  

子供のウソなど、カワイイもんです。 

 

もしあなたが子供の親なら、子供がウソをついたら、諭し、導いてあげましょう。 

  

子供のウソを諭すことは、子供の自立に繋がりますよ。

 

そんな親のアナタが、ウソつきでは、何も出来ないかもしれませんが・・・ 

  

  

■「しめしめ感」

 

私が「ウソの横行」というキーワードで頭に浮かぶ事件は 

  

ある自治体の職員が業務上横領を行った事件です。 

  

 

その事件のキーワードは「しめしめ感」 

  

 

事件自体を広めたり批判したいわけではないので、ここで詳しい事を書くつもりはないのですが 

  

被害総額として3,000万円を着服したとされる容疑者が、逮捕前に、あるテレビ番組の取材に応じて、自らの考え方を発言しているのですが 

  

 

ああ、こんな人がいるんだな 

 

 

(世も末だわ・・・) 

 

  

自分でも言っていますが「盗っ人猛々しい」 

 

  

どうもこう、業務上横領の容疑に対しても、やや自慢げともとれるような、環境のせいにするような雰囲気の・・・ 

  

ウソ(この場合は犯罪)をつくことに対して、悪びれる様子がまったくみられない。 

  

「(犯行に対し)しめしめ感があった」などと、悪びれずインタビューに答えられる心理。 

 

まるでゲームでもやっているかのような感覚なのでしょうか 

  

こう言ったものが、「ウソの横行」に感じられ、悲しい。 

 

 

いや、むしろ・・・恐い。 

 

依存の化け物のような気がしますよ。ほんと、恐い。

 

 

■小さなウソなら良いのか? 

 

「小さなウソなら良い」のでしょうか? 

  

3,000万円の横領なら、それは大事件だけれども、 

  

「ちょっとしたウソ」なら、良いのでしょうか? 

  

  

「それくらい、誰だってやっているよ。小さなウソくらい見逃してやれよ齋藤」 

  

会社の経営者をやっていると、こういう言葉に出くわす事が、結構あります。 

  

 経営って、清濁併せ呑む必要があります。 

 

だから、わかります

 

働く理由も人それぞれ、

 

プロジェクトだって、うまくいかないことが、沢山ある

 

そんななかで、小さなウソや、方便が、最終的にはポジティブな状況をつくることなんて、いくらでもある。

 

それに 私だって、品行方正な人間ではありません。私だって過去、悪い事をしています。 

  

自分で本当に、恥ずかしいと思うような、悪い事をしていたり、ウソをついたり、しています。 

 

清濁併せのんで、一人前

 

・・・

 

ウソが嫌だなんて、自分のことは棚に上げて、きれいごと言っているようじゃあ、おこちゃま経営者ですな齋藤は

 

・・・ 

 

そんな批評が聞こえてきそうです・・・

 

・・・が、 

 

  

一人の自立した大人として、感じるのは、やはり

 

「ウソが横行する」世の中なんて、好きじゃない 

 

 

だから私は、 一人の、会社の社長という、組織の長として 

 

自分が代表を務める組織に、もしウソが横行するのなら、大人が子供のウソを諭すように、振る舞うべきだと考えます。毅然と。 

  

会社の品格を、そのように、上げたい

 

なぜならば・・・

 

真面目な人が、損をしないように   

  

真面目な人が、損をしないように(大事なことは2回) 

  

  

  

恐らく 

  

  

「ウソが横行する」社会とは、 

  

「正直者(真面目な人)って、損をするよね」と、思っている人が多数派の、社会なんだと思うんですよね 

  

私は、私の会社が、 

 

「真面目な人が、損をしない会社」にするために、 

 

そのような、品格を持ち続けるだめに

 

これからも、ウソを嫌い続けます 

  

(真面目な人を大切にする・・・という点については前回のブログを) 

 

saitoukazumasa.hatenablog.com

  

だから、そんな私に 

  

「齋藤様、実は来週御社の近くに寄る用事がありまして、x月x日の午後は会社にいらっしゃいますでしょうか?」 

  

みたいな、ウソテンプレートの電話をしてこないで下さい 

  

  

先日いらした、あるアウトバウンド営業コンサルの提案は 

  

「私達がお客様に、 

 “ソノリテの社長秘書です。ご担当者様とお繋ぎいただけますか”と電話をします。社長秘書を名乗ると、相手の取次率が上がりますよ」 

  

という、提案でした。 

 

(なかなか良い提案でしょ?)

 

そんな営業マンの心の声が、聞こえてきそうだったのですが・・・

  

ごめん、その提案、イヤです。 

 

だってそれ、お客様にウソつくってことじゃんか!

【働き方改革】今日は2時間ほど遅く出社しました

■今日は2時間ほど遅く出社しました

 

理由は、なんとなく寝不足感が続いていて、かつ最近ちょっと精神的にも疲れを感じていたので。

 

朝、定時に出勤する時刻に起きて、朝ご飯を食べたりも、したのですが、

 

なんとなく、だるくて

 

二度寝したかった。

 

 「ああ、良く寝た。起きよう。もう起きたいな」

 

と思えるくらい、寝たかった。

 

だから、寝ました。二度寝です。

 

それで結果として、2時間遅く出勤しました。

 


「クソだらしねえっ!たるんでるっ!仕事をなんだと思っているんだっ!!」

 

 

私が若いころだったら、そう、怒られたでしょうね。そんな気がします。


でもですね、スッキリしましたよ

 

スッキリしたから、出社してからの仕事の効率も、良かったですよ。たぶん

 


■「社長だから、それくらいしても、良いですよ」か?

 

うちの社員は、けっこう、優しい人が多いんです

 

だから、私が2時間くらい遅く出社したところで

 

「社長なんだから、それくらいいいですよ。健康に気を付けてください」

 

とかね、言ってくれる人が多いです

 

でも・・・嬉しいですけど

 

これ、社長だから良いんでしょうかね?

 

社員だと、ダメなのかな?

 


■「体調管理のため、午前半休とります」

 

最近、当社の中で自然発生し、流行り始めている言葉に

 

 「体調管理のため」

 

ってのがあり、私はとても気に入っています。

 

よく

 

 「体調不良のため、午前半休をとります」

 

みたいなのがあるけれど

 

 「体調不良」

 

ほんとか?

 

今日、私は、なんとなくスッキリしないんで、二度寝してから出社しました。

(別にクリティカルな会議やアポが無かったからですけど)

 

これ

 

 「体調不良の為、2時間遅く出社します」

 

って、言うのは、嫌だ。

 

だって、それほどの事じゃない。

 

それほどの事(体調不良)だったら、ちゃんと病院いかないかんし(体調不良って書いてあったら、心配するでしょ。普通は)

 

でもですね、この、それほどの事じゃないうちに、自分のペースを取り戻すってのは、結構大事ですよね。

 

仕事だからと、無理をして、無理をして、無理をして・・・

 

これの積み重ねで、取り返しのつかない体調不良になったりする・・・

 

そんな事よりも、「体調管理」

 

これ、いいです! 良い言葉!!

 

さすがに、

 

 「もうちょっと寝たいんで、二度寝してから会社でます」

 

って言うよりも

 

 「体調管理のために、2時間出社遅らせます」

 

のほうが、”今の当社の文化レベルだと”、いい感じ

 

だから、気に入っています。「体調管理」

 

そう。文化の問題ですね。文化の問題は、言葉の問題だったりします。

 

 

■「呑み会の翌日は、死んでも定時に出社しろ」

 

私が最初に入った会社には、

 

「呑み会の翌日は、死んでも定時に出社しろ」

 

っていう「文化」がありました。

 

呑み会で、けっこう盛り上がりますと、まあ、翌日は二日酔いになる。

 

起きられない。気持ち悪い。会社いけない。

 

これで、出社しないとか、フレックスギリギリで出社するとか、

 

そういうのは「根性が足りない」

 

 会社ってのは、そういうもんじゃない

 

 呑み会ってのは、そういうもんじゃない

 

そういう「文化」

 

私はよく言われました

「いいか齋藤、呑み会の翌日は、死んでも定時に出社しろ!んで会社でボーっとしてたって、なんでもいい!退勤時間まで耐えるんだ!それが社会人だ!!」

 

文化って、恐い・・・

 


■意味のない文化を理想の文化に変えて行こう

 

働き方改革」の本質は「会社の文化を変える事」

 

  • 有給休暇を無理やり取らせることじゃない
  • 残業を無理やり減らすことじゃない

 

じゃあ「意味のない文化」って、なんだ?

 

いくつか、考えられますけれど

 

  • 人権を無視した根性論/精神論
  • 偏見を前提にした制度
  • 時代遅れのルール

 

など、かな

 

無理やり有給休暇をとらせたって、無理やり残業禁止にしたって、

 

人権無視、偏見、時代遅れの文化が変わらなければ

 

その会社の「働き方」は、本質的に変わらない

 

 ・上っ面だけ「働き方改革」をした、仮面ブラック企業

 

になるか

 

 ・従業員過保護制度に蹂躙された、軟弱企業

 

の、どちらかに、なるだけです。

 

詳しくは、こちらをどうぞ

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

文化を成熟させるべき、です。

 


■私達の会社が、今、変わるべきだと思っている事

 

私は、私達の会社が現在属している分野を

 

 「主にB2B系のIT企業、メディア制作企業」

 

だと思っていて、

 

この分野には、総じて「封建的」という悪しき文化が根付いています。

 

私達の属している分野だけではないと思います。多くの日本企業は「封建的」です。

 

「封建的」をひらたくいえば、

 

  お殿様がいて、それに仕える みたいな

 

そんな感じかな

 

お殿様が、絶対。お殿様に嫌われたら、ダメ

 

 「お殿様の命令に従わなければ、腹を掻っ捌いて、シネ」

 

みたいなサムライ思考

 

この「サムライ思考」が、恐らく、今までは

 

  • 高品質
  • 低価格

 

みたいなものを、社員の何らかの犠牲(主に人権)みたいなものから、産み出していて

 

その「人権はく奪」みたいなものを創り上げるには、「ミクロな社会(例えば男社会)」が都合がよく、

 

そこには都合の良い阿吽の呼吸が生まれる代わりに、偏見や時代遅れがある。

 

 その「人権はく奪、偏見、時代遅れ」について来れるヤツはこい!

 

みたいな封建文化をむしろ強化し、価格競争で勝つというような企業もあるわけなんでしょうが、

 

私たちの会社は、自社の働き方改革としては

 

  • (優秀な人にとって)自分らしく働ける、制度や文化

 

みたいな方針で

 

  • (優秀な人にとって)自分らしく働ける、制度や文化を作れば
  • 優秀な人が集まるだろうから
  • なんとかなるっしょ

 

みたいにしたいなぁ って事なんですよね


だから

 

ミンナが優秀な人なら、ですね

 

「今日なんか、二度寝したほうがスッキリするから、昼ぐらいに会社行くわ~」

「OK~」

 

みたいなですね

 

優秀で、責任感のある、きちんと人格が形成された大人な人達の集団であるなら、うちの会社がそうなるといいわけ。絶対に。

 

それで、文化の形成としては

 

 「体調管理の為、午前半休します」

 

くらいが、今の所うちの会社っぽい。レベル感

 

そういう感じを、伸ばしたいから

 

社長であるわたしも、ちょっとユックリ出社したり、だんだんやっていきます

 

言うなれば

「社長だから、いいですよ」というより

「社長だから、やらねば」ですね


だって

 

「今日なんか、二度寝したほうがスッキリするから、昼ぐらいに会社行くわ~」

「OK~」

 

が、許される会社なら

 

「今、学校から子供の件で呼ばれちゃったんで、すぐ行かなきゃならなくて、みんなゴメン~」

「OK~」

 

だろうし

 

「私、呑み会でお酌させるのって、人格否定だと思いますよ~」
「ですよね~ そんな文化、やめようぜ~」

 

だよ。きっと

 

そして、

 

そんな低レベルな日本社会の「人権はく奪、偏見、時代遅れ」に困っている、優秀な人達が、うちの会社に来てくれれば、

 

なんとかなるっしょ


って、思っています

 

そんな事を、二度寝の夢うつつで、ブログに書こうかなと思いましたw

 


■文化を変えるのに、社員に必要なことは、3つ

 

さて

 

私達の会社が「働き方改革」の本質として「文化を変える」為には、

 

社員のみなさんにも、変化してもらいたい事が、ある

 

私はソノリテ社員が、以下の3つの事をクリアしてくれる存在になり、以下の3つの力をもっている社員が大多数になったときに、

 

ソノリテの働き方改革は完成すると、考えています

 

1)マジメじゃ無ければ、ダメ

 

なんか最近私は、この「働き方改革」の前提に「マジメ」ってのを置きたくて仕方がないんですよね

 

マジメってのは・・・何といえばいいのか

 

例えば、

 

 「自分にウソがつけない」とか
 「頼まれたらイヤといえない」とか
 「清く正しく生きたい」とか、そういう

 

そういう、マジメさってのが、あるじゃないですか?

 

そのマジメさが、私が考える「働き方改革」には、どうも必要なようです。

 

だからですね、どうも、当社の社員になる人で、当社の働き方改革の恩恵を受ける人は、たぶん「マジメ」だと、相性がいい

 

あれ、ソノリテは、多様性経営ではないのか?

 

例えば「マジメ」と「フマジメ」は、多様性の要素なんだとしたら、ソノリテにはマジメな人もフマジメな人も、必要なんじゃないの?

 

みたいな事については、前回のブログ「多様性のタテとヨコ」で、書いた気がしますので、興味があればそちらをどうぞ

 

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

この「マジメ」ってキーワードが、どうやら必要なようですけれど、

 

「何にマジメなの?」って話もありますけどね

 

例えば私なんかは、仕事はワリに真面目です。でも私生活は・・・ごにょごにょごにょ

 


2)優秀じゃ無ければ、ダメ

 

はいそれで、次は「優秀」

 

これもう絶対条件です。

 

  • 現在優秀である
  • 優秀になる可能性がある1(センスがある)
  • 優秀になる可能性がある2(成長意欲が有る)

 

なんでもいいデス

 

優秀じゃないとダメです。優秀じゃない人間に、どれだけ自由度の高い職場環境を与えても、何もしません。ズルくサボり続けるだけです

 

優秀じゃない人は、ブラック企業でも何でもいいので、強制的に働かされる環境に身を置いてみたらどうでしょう?

 

何かのプロになれるかも知れません。ウチの会社は無理です

 


3)心が自立していないと、ダメ

 

はい。最後

 

どれだけマジメでも、どれだけ優秀でも

 

心の自立がないと、例の「承認欲求」を求めて、「仲良しクラブ村」みたいなものを、作りだしてしまう。

 

これが・・・

 

これがもうほんと、これが、本当にクセモノ

 

なんなんだろう、この「仲良しクラブ村」みたいなやつ

 

  • なんかこう、みんなで凡人ぶろうとするやつ
  • なんかこう、みんなで遠慮し合うやつ
  • なんかこう、みんなで批評家ぶるやつ

 

なんかそういう小さなクラスターが生まれて、そのクラスターが他のクラスターとの接触を最小限にしようとして、村を形成して

 

またその村に従属しようとするためには、なんか知らんけど、ほんとなんか知らんけども、出しゃばっちゃダメで、


意識高い系だとダメで、やる気出しちゃダメで・・・

 

みたいな、緩い系

 

ゆるいことが、正義 みたいな

 

「ここに属すれば、誰にも傷つけられることはないよ~」みたいな小さなクラスターを欲しがる、文化みたいなやつ

 

これ、けっこう 根深い

 

マジメな人(さっき必要条件って言ったけど)って、けっこう繊細だったりするから、

 

この「傷付けられない」に、弱い

 

「まじめな私は、傷付けられない空間を求めている」
「傷付けられない空間は、わたしにあった空間だ」

 

みたいな風に、思いがち

 

これ、ダメです

 

これ、皆さんのこころに「傷付けられない空間欲しさ」があるなら、理想の働き方改革空間があったとしても、皆さんはすぐに、堕落します

 

そして小さなクラスターが、その理想の働き方改革空間を、堕落のほうに導いて行ってしまいます

 

この話は・・・長くなるし、私も考察がまだ浅いので、もう止めますけど。

 


■まとめ

 

私は

  • マジメです。
    少なくとも自分の会社の経営に対してはすごく真面目です。だってそうでしょ?私は自分の会社が破たんしたら、破産するんだから
  • 優秀です
    すみませんごめんなさい私は優秀です
  • 自立しています
    私は社長ですからね、経営者って孤立するんです。いやでも自立思考になります

 

だから

 

今日ちょっと、2時間くらい寝坊してきましたよ。

 

すっきりしました

 

でも、やることはやるし、社員の皆さんは、私の責任感自体は理解してくれていると思うんですよね。

 

だから誰も、文句は言わない

(社長だからかも知れないけど・・・)

 

これがきっと

 

普段からフマジメで、仕事も対して出来ないくせに、

 

「やー朝二度寝しちゃいましたよ」みたいな事だったら、まあ、ダメじゃないですか。普通は

 

だから早く、ソノリテの社員の大多数が、マジメ、優秀、自立の集合にしたいんですよね

 

はやくそういう会社になって、本当の意味で、

 

  • (優秀な人にとって)自分らしく働ける、制度や文化

 

にする、超本気の働き方改革ってのを、完成させちゃいたい。です

 

現段階ですと、現段階の当社のレベルとしては・・・

 

「体調管理の為に、出社遅れます」って言う言葉が自動発生して、それが定着するくらいの文化です。

 

 でも、いい感じです

多様性組織のマユツバ感と多様性のタテとヨコ

ずーっと悩んでいるんですが、ナントナクわかったことというのか、ナントナクしか
わからないことと言うのか

 

まあ今日は、そういう話を書きたいんですが

 

私は「多様性組織」を作りたいんですね

 

その理由は「多様性組織」が、当社の経営理念である「社員の成長」に結び付くと思っているからなんですけれども

 

ソノリテの経営理念
http://sonorite.co.jp/philosophy/

 

うちの理念はまあ、「社員の成長」です。


それでまあ、「多様性組織」です。と。

 

多様性組織、あるいはダイバーシティ経営と言えばいいかな。

 

ダイバーシティ経営は、まあ要するに幅広い価値観のある人員がその価値観を殺すことなく統合するように構成した組織が作れたら、イノベーション創造なんかを協創しやすく出来るんじゃねーか

 

・・・って事なんだろうけれども

 

まあ良いんだけど、うちの会社の理念は価値創造や利益追求よりも「社員の成長」が
先んじる、わけで。理念的に。

 

いやもちろん価値創造やイノベーション創発も大事なんだけれども、うちではそれは
社員が成長する為の手段・・・・みたいなもんで、

 

いうたら体を鍛える為に野球をするのか、野球に勝つために体を鍛えるのかって話に似てるんだけれども、

 

・・・まあその話はいいか

 

多様性です。ダイバーシティです。


みんな個性ありますよね?

 

個性大事にしようぜって話ですわ。簡単な話ですわ。

 

顧客のニーズだってどんどん多様化しているわけですし、時代の変化もめまぐるしい。

 

だから硬直化した組織よりも、いろんな人間が色んな事を好きにガチャガチャやってて、そういうのに対して超柔軟性を持ってる組織のほうが 強いんじゃね?

 

強いんじゃね?

 

って話だと思う。たぶん。

 

でもなんかこう、なんか「マユツバ感」あるよね・・・

 

ほんとかよ? と

 

本当に多様な組織は、強いのかよ!? と

 

優秀な会社には「コア・コンピタンス」ってのが有りますよね?

 

「強み」ってヤツですね。

 

優秀な会社には「他社が真似できない圧倒的な何か(コア・コンピタンツ)」ってのがあって・・・

 

コア・コンピタンツ!企業の強み!そういうのが、あれば良いよね~

 

って、

 

まあ、これは誰でもわかる話です。


だから、会社は「コア・コンピタンス」を作りたくって、

 

作りたいとなると、なんていうかこう、

 

「うちの会社はこういう会社になって、こういう強みをつくって、この強みを生かしたり育てたりしようぜぇ」

 

って、言いたいですよ。

 

なんかそれがそのうち、

 

「当社はこういう方針で、このビジネスに一丸となって取り組んで」

 

とか

 

「当社社員はこの目標に向かって一枚岩となって突き進み」

 

とか

 

そのうち

 

「当社が必要とする人材は会社の定める目標にむかい邁進できる人がなんちゃらら」

 

とか、それで

 

「当社の必要とする人材はこういう人です」


なんてね

 

なんかこう、コア・コンピタンスの話をしているうちに、多様性ではなくて同質性組織の話になっちゃう・・・

 


なんでなんやろう?

 


コア・コンピタンスの実現のためには個々に共通のコア・コンピテンシーを必要と
するから・・・なのかしらん・・・

 

それともニーズの多様化や変化の高速化は、もはや「コア・コンピタンス」の効能に期待できないレベルに達してしまったのか・・・


うーん


うーんどちらもシックリこない。・・・です

 


もともと、シックリ来てないんですよね私。


なんかね


なんかこう、「流行」とでも言うんですかね・・・

 

「多様性」とか「ダイバーシティ」とか言っとけば、かっこいいじゃないですか?

 

うちの組織は多様性取り入れてやってますねんで。えらいやろ。みたいな。かっこいいでしょ?みたいな

 

そんなん多いじゃないですか

 

「うちの会社は女性活躍が進んでいます女性の採用を積極的にやって女性の役職者比率が増えていて育休推進も闊達で手当もあるしなんちゃらかんちゃら」

 

とか・・・う~ん


おっさんぽい


なんかこう、女性・女性 言ってる会社っておっさんぽいな・・・みたいな


ソノリテ(私の会社)の共同経営者は女性なんですが、女性扱いすると怒りますね。

 

「女扱いすんな!」ってね。カッコイイですよね。

 

ほんと、カッコイイです。

 

私はビジネスパーソンとして彼女の能力を尊敬しています。

 


まあ、世の中本当に「ダイバーシティ経営」が「良いのか?」という点については

 

いつまでたってもナントナクしか「良いのか?」みたいな感じにしか・・・

 

シックリは、来ていない。私は。


でもですねー

 

シックリきている事は一つだけあるんです


それはですね。

 

「多様性組織」は、間違いなく、「社員の成長」には、なるってこと


ダイバーシティ経営が、会社のコンピタンスを強化し、企業の柔軟性が世の中にイノベーション創発する・・・ってのは、どうもまだシックリこない

 

でも、多様性組織が、社員の成長を促すってのは、私はすごくシックリ来ている


「野球に勝つために身体を鍛えるのか」「身体を鍛えるために野球をするのか」

 

でいうと・・・・多様性組織っていう身体の鍛え方が、野球に勝つことに繋がるのかって確証は持てないんだけれども、間違いなく身体を鍛えることには繋がってるよ!

 

って感じかな

 

そうなると、「野球」って例えが、たぶんアレなんですよ

 

「野球」ってのはルールがしっかりしているじゃないですか?

 

ルールがしっかりとあって、勝ち負けもはっきりする。

 

でも多様性組織が得意としているのは、ルールが曖昧だったり、変化したり、そういう、なんかよくわからないスポーツだったりするんじゃないかって思うわけですよね。

 

それが現代社会(ルールが曖昧だったり変化したりするスポーツ)だと・・・

 

そう考えると私の「しっくりきていない」理由も見えてくる。

 

つまり現代社会を曖昧なものだと定義すれば、「勝ち負け」も曖昧なものになり、「勝ち負けが曖昧だからしっくり来る尺度を持ちえない」となり・・・

 

・・・

 

・・・ほんとか?

 

ほんとにそうか?

 

それこそ「マユツバ」じゃない?


・・・でもまあ、それはいいや

 

だって「社員の成長」には成っている。

 

なっている

 

・・・なっている・・・か?


多様性組織は本当に「社員の成長」になっているんでしょうか?

 


う~ん。私の話をしますと

 

私は純国産の、いわゆる「大企業グループ」を、2社ほど経験しています。そこで
中間管理職をやっていた経験が長いです。

 

純国産の大企業は、これはもう、「ダイバーシティ経営」とは無縁の組織です。(少なくとも、私が所属していた頃までは)

 

純国産の大企業には 「(企業名)マンのあるべき姿」の定義が有り、滅私奉公を慮る封建主義があり、一糸乱れぬ「一枚板感」を、求められます。

 

「上意」「訓示」に面従腹背し忖度する強固な社風があり、

 

それがプラスに転じることで、高品質製品を低単価で産み出すコアコンピタンス
繋がっていたりします。

 

少なくとも、ノスタルジーかも知れませんが、その感じって、「プロジェクトX」を観ればわかると思いますよ。

 

あ、私、「プロジェクトX」観た事ないんですが・・・

 


でもですね、実態は(他社批判に繋がるとイケませんが)、少なくとも私の感覚では、純国産の大企業が創り上げた滅私奉公的封建組織において、

 

個の成長は、無い。

 

実際にそこに勤める「おじさんたち」が、いかに幼稚で、いかに世間知らずな事か


そりゃそうです「滅私」ですもん、「個の成長」など、あるわけない

 

「命令」に対し「思考停止して任務を遂行する」のが、グッドソルジャーなわけですもの

 

頭使わない。だから成長しない。


それに対し、新しい組織の在り方として、「多様性組織」を見るに

 

むしろこの「滅私」に対するアンチテーゼを感じるわけですよね。アンチテーゼ
しか無い。と言っても良い。

 

 ・年功序列
 ・封建主義的ヒエラルキ
 ・一定の尺度、一定の正解

 

みたいな「すがれるもの」を排除し、

 

多様な物を多様に評価し、

 

自らの尺度のみを武器としながら、ビジネスにおいてはマーケットインをひたすら追い求めて行く。

 

そのような多様性組織においては、毎日が新たな尺度との戦い。

 

落ち着かない。

 

あるいは組織

 

多様性でなければ、一定の尺度をもって簡単に「チーム」を組めた。

 

同じ「正解」を共有することを義務付けられたメンバーだから、チームワークを「強要」出来た

 

「シゴトなんだからちゃんとやれよ」
「上司の命令なんだから聞けよ」
「会社なんだからちゃんとしろよ」

 

というような、「哲学なき慣習」だけで、人は「チームワーク」を強要されたし、チームワーク出来た。

 

多様性組織では、この「チームを組みたい」と考える人において、

 

あらゆる価値観に対し本質的意味を見出せなければ、チームビルディングが出来ない

 

よって「マネジメント」や「リーダシップ」について本当に、日本人が過去「阿吽の呼吸」や「根性論」みたいな、まるで美しいもののように説明してきた思考停止から

 

大きく成長しなければならなくなる

 

という個の成長

 

纏めると、「シゴト」というテーマにおいて

 

・自らの多様性(個性)を、多様化しているマーケットに対し、いかに価値のあるものにしていくか。という事

・自らのミッションを、いかに多様な価値観をもつメンバーを統合し、統合するためには自分の価値観が成長していなければならない。という事

 

の、2点について、たぶん、「社員は成長する」

 

んですよね。 ・・・たぶんね。


と、なると「成長」をいうワードが、気になってくる。


「成長」っていうものを、どんな軸で考えているんですかね~ って話になりますね。

 

軸 です。軸の話。

 

例えば「絵が上手くなる」っていう「成長」の話をしましょうか。


Aさんが、「以前よりも絵が上手くなった」ってのは、どうやって計ります?

 

「観ればわかる」って?

 

ピカソが15歳の時に描いた絵「科学と慈愛」と、例えば「ゲルニカ」。

 

みなさん「科学と慈愛」と「ゲルニカ」、どっちが上手いと思います?

 

つまりそれはとても難しい話。


だから、成長の尺度は、

 

例えば「以前よりも絵が上手くなった」という成長を、「以前よりも描いた絵に高価がつくようになる」と定義すれば、成長の尺度が生まれる。

 

ビジネスとはそういうモノ、だと私は思うのですね。

 

「状態、ステージ、価値、速度、等が上がっていく」

 

そういうモノを「成長」と、しましょう。

 

しましょうよ。いったん。

 

だとすれば、

 

多様性組織の産み出す「成長」の一つは、

 

多様性組織内の「多様度」が個人(社員)に影響を与える「方向性」が、ビジネスライクに見て、成長を感じられるもの

 

で、あるような・・・

 

あれば・・・

 

あるはずで・・・

 

・・・なんとなくそんな気がするんです。

 

だから結局、ビジネス・・・


でもねーホントですかね?


例えば「値段が上がる」「だから成長だ」ってのは まあ、私は本質的には違うと思うんですよ。なんか、なんとなく。

 

でも、その経験の中には良質な物が沢山あるだろうし、値段があがると生活が豊かになるから、

 

その豊かな生活によって得られる何かが、自分にとって良好な「変化」と感じられるでしょうから、

 

自分が自分に快感情をもたらす成功体験と受け取りやすい、はずです。

 

儲かれば、嬉しい。単純な話。

 

嬉しければ、「ああ、おれって成長したぜ」みたいな認識を、持ちやすい。

 

 

それよりどっちかというと、本当に儲かるの?みたいな話がポイントな気がします。


本当に、多様性組織内の「多様度」が個人(社員)に影響を与える「方向性」が、ビジネスライクに見て、

 

つまり「儲かる」のか?


純化すれば、「多様度は、儲かる のか?」


儲かる源泉がマーケットだとするなら、

 

 「マーケットは 多様度を 求めている のか?」


例えば様々な「差別、偏見、がなく、働き方を自由にチョイスでき、自分らしく生きられる」組織が

 

そういう組織が産み出すモノが

 

本当にこれから「つよい」のか?

 

どうも様々な肯定的データーを見ても・・・なんというか

 

キレイ事というか、数字に「マユツバ感」を感じる、し

 

どうなんだろ?


どうなんだと、思います?

 

ぜんぜん、わからんのですが・・・


私は最近そこに、どうも「多様性のタテとヨコ」みたいなものを、感じるんですよね~

 

私の言う、「多様性のヨコ」は、ですね。

 

性別とか、性自認とか、国籍とか、肌の色とか、根本的な性格・・・優しいとか、強いとか、甘いのが好きとか、嫌いとか、夢見がちとか、現実主義とかロジカルとか、エモーショナルとか、なんちゃら、かんちゃら

 

「多様性のヨコ」は、いわゆる「個性」、かな。

 

それと「多様性のタテ」は、ですね。差別主義か否か、とか、大人か子供か、とか、傲慢かどうか、とか、ズルいかどうか、とか・・・・アタマがイイ か どうか(つまりバカか)

 

あー言ってしまった。もういいや、言おう。


          バカかどうか


これが、多様性のタテだなぁと


最近これ、ほんと 思うんですよね


もういいや、言おう


バカが多い


もしかしたら バカが 増えているような気がする


バカが増える理由はフィルターバブル等、色々ありますが、


人格が確立しておらず、流行に弱く、撃たれ弱い

 

逃げ場を欲しがり、馴れ合いを欲しがり、変化を恐れ肯定を欲しがる


この弱さ。バカ的弱さ。


多様性の「尊重」は、ある側面において、そういう温い(ぬるい)世界を作っていく。

 

個がフィルターバブルの中で自閉症になり、現実逃避し易く、社会の成熟がセイフティーネットにぶら下げさせるから



それでも社会は、「封建的に」なんとか無理やりに人々を生産の場に連れ出し、品質の高いものを作らせ、えた。

 

がしかし、マーケット・・・と言うか国家かな、が先に多様性の、


多様性のタテの、下の方に


デビューしてしまった。


デビューしてしまったからには、・・・もし国民が、バカばっかりだったら、たぶん多くの多様性国家のように、どこかで自国ファースト的なモーションになっていくか、ぶら下がり国民によってデフォルトしてしまうであろう・・・

 

・・・もし国民が、バカばっかりだったら です。

 

 

バカばっかりなら、封建制のほうが、きっと、いいよ。

 

色々な不幸があるかもしれないけれど、多様性にだって、いろいろな不幸があるもの・・・

 

封建性は、多様性のヨコ方向を、許さないんですよね。でも、封建性なら、多様性のタテ方向の、最下位にいたとしても、問題がおきない。


だから、

 

もし我々が、本当に「多様性のヨコ方向」の自由を、求めるなら

 

多様性のタテ方向を、はやく登らないと

 

つまり多様性だからといって、バカは許しちゃ、ダメなんだよ

 

「自分はバカだけど、許してくれる」そんな多様性組織を求めちゃ ダメ

 

「え?そんなわけないでしょ。バカだって個性なんだから、バカを認めないってのは、多様性に反するんじゃ??」

 

みたいなことを、本当に信じているのなら・・・

 

ああ、ダメだな

 

わたしね、マッチョイムズなんですよね。ニーチェ好きだしね。だからねぇどんどんエスカレートしちゃうんで・・・

 

愚痴っぽくなったんで、そろそろ止めます。

 


多様性組織のマユツバ感と多様性のタテとヨコについて、ナントナク最近、わかったことというのか、ナントナクしかわからないことと言うのか

 

そんな話題でした。

 

多様性のタテ軸は、恐らく決まったメジャーがありますね

 

民度」みたいなのが、きっと一番近いです。

 

だれかこの「多様性のタテ軸」、シックリ来ていますかね?

 

私がシックリ来るまでは、もう少し時間がかかりそうですわ

「上司」は諸悪の根源 「上司」はいない方が良い

株式会社ソノリテを、一年前に「フラット組織」にしました。

 

何をしたかというと、

 

 ・(基本的に、旧来型の)組織を無くす
 ・上司、部下の設定を無くす
 ・役職(本部長、部長、課長、主任、など)を無くす

 

ということをしました。

 

で、一年間運用してみました。

 

うまくいった事もあるし、いろいろな失敗、不都合、も生まれました。

 

今日はその話と言うよりも・・・自分の会社をフラット化して、私は本当に

 

 「上司」ってのが諸悪の根源だな

 

と確信しましたので、そっちの話をしようと思います

 


太宰治さんは、「家庭の幸福は諸悪の根源」と言いました。

 

たしかタモリさんは「友達はいらない。諸悪の根源だ」と言ったらしいです。

 

そして私、齋藤和政は

 

 「(会社組織において)上司は諸悪の根源だ」

 

と、言いますわ。声を大にして言いますわ。うんうん。

 

 ・日本だけかも知れません
 ・齋藤の身の回りだけかも知れません

 

まあ、そうかも知れないけれど、もうねー本当に、私はね、言うよ。もう一回言います。

 

 「上司は諸悪の根源」


何の事かと言うと、ですね。沢山あります。

 

とりあえずわかりやすい話から書きます。


まず最初は『クイズ』です。

 

みなさん、「仕事」って、何をすることでしょうか?

 

 ・お金をもらうこと
 ・誰かの役にたつこと
 ・社会、経済の基盤となる国民の義務

 

まあ、いろいろ答えがあるかも知れないですけれど、

 

 ・仕事とは、上司の言う事を聞くこと

 

だと、思ったり、感じたりした事は、ありませんか?

 

はい、さっそく出ました「上司」

 

アナタが新入社員だとして、最初に言われること、

 

それはたぶん「この人が上司です。この人のいう事を聞いてください」

 

そしてアナタはこう思う(ああ、私はこの人のいう事を聞けばいいんだな)

 

つまり日本の会社の多くは、まず、上司-部下の結合から開始する。

 

そして皆さんはまず「部下」となり、「部下となることに安心する」わけです。

 

これがまず気持ちが悪い。

 

なんでこう、日本の会社って社員に甘いんでしょうね?そう、思いませんか?

 

新入社員って、頑張んなきゃいけないじゃないですか?

 

それをまず「安心させる」存在なんですよね「上司」って・・・

 


はい、では次は、『フィールドワーク』です。

 

みなさん、居酒屋に入って、隣の席のサラリーマンの愚痴を聞いてみましょう。

 

「上司」の愚痴大会をしていませんか?

 

 ・上司のあの指示はおかしい
 ・うちの上司、また寝てた
 ・上司が報告ばかり求めてくるくせに、いざという時、何もしてくれない
 ・あの上司の下で働いてたら、気が狂う
 ・あの上司、また下を潰した

 

とか、とか

 

なんなんですかね?上司

 

上司ってなんでそんなに権力を持っていたり、権限を持っていたりするんでしょうか?

 

上司の指示なんて聞かなくて良いから、皆さんが良いと思う事を、すれば良いのに、なんで皆「上司」に振り回され、上司の愚痴を居酒屋で話しているんでしょうか・・・

 


では次は、『思考実験』をしましょう。

 

アナタは会社で頑張って働いている社会人です。

 

学生時代の友人からハガキが届きました。同窓会に行きましょう。

 

なつかしい面々が揃っています。

 

 あなた「やあ、久しぶり」

 友人「おお、お前今、何やってんの?」

 あなた「株式会社XXで働いてるよ。お前は?」

 友人「おれはYY株式会社で、部長やってる」

 

あなたは自分に「役職」がない事に、少し不満を感じます。

 

そして、家に帰ります。

 

家では家族がこう聞きます。

 

家族「お父さんは、会社で偉い人なの?」

 

あなた「色々な仕事を任されているから、信頼されていると思うよ」

 

家族「・・・お父さんは、偉いの?」

 

どうやら家族には、なかなか伝わらないようです

 

あなたは自分に「役職」がない事に、少し不満を感じます・・・

 

 

なんなんでしょうね?「役職」

 


よく銀行や営業など信用を売りにしている業種では、

 

「(外向けに)一つ上の役職をつける」と言います。

 

よく「代理」なんて付けて、一つ上の役職を名乗ったりするのを見かけます。

 

例えば

 ・平社員だったら係長代理
 ・係長だったら課長代理
 ・課長だったら部長代理

などですね

 

一つ上の役職のほうが、皆さん、信用するようです。

 

そういうものですね・・・

 

・・・

 

・・・

 

・・・・・はっきりいって、アフォですね。

 

なんですかね?役職って?

 

何か「信用」を表すものなのでしょうか?

 

よく「責任者」って言いますよね?「責任者出てこい」みたいなヤツ。

 

そう、「責任者」

 

仕事でトラブルがあったら、責任をとる人。「責任者」

 

なんなんでしょう?この「責任者」ってのは?

 

これを、先の「新入社員」の話に置き換えてみますね

 

さっきのはこれです↓

>それはたぶん「この人が上司です。この人のいう事を聞いてください」

>そしてアナタはこう思う(ああ、この人のいう事を聞けばいいんだな)

>つまり日本の会社の多くは、まず、上司-部下の結合から開始する。
>そして皆さんはまず「部下」となり、「部下となることに安心する」わけです。

 

そして置き換えると、こうなります

 

■「この人が上司です。あなたの行動はすべてこの人が責任をとります。だから
■ あなたはこの人のいう事を聞いてください。」

■そしてアナタはこう思う(ああ、この人のいう事を聞いていれば、わたしは責任を
■とる必要がないんだな)

■つまり日本の会社の多くは、まず、上司-部下の結合から開始する。そして皆さんはまず「部下」となり、「責任をとらなくて良いことに安心する」わけです。

 

と、まあ、こういった具合。

 

つまり皆さんは「責任をとらなくて良いけれど、上司の言う事を聞け」と、そういう事を、「仕事ですよ」と教わるわけです。

 

それが、「上司」

 

なんなんでしょう、「上司」

 

他えば私が性悪説に基づいて、つまり「人間はほっておくとサボる。盗む。ズルをする」みたいなモノだと前提をおいて、会社みたいな組織を作るとしますよね。

 

そうすると、社員全員が、信じられないわけです。そりゃそうです。みんな泥棒みたいに見えてますからね。

 

となると、全員に眼を光らせて、「ちゃんと働かせる」必要が出てきます。

 

でもまあ、組織も大きくなったら、全員を見ていられなくなる。見ていられなくなったら、全員悪い事を始める。サボりだすし、会社の金を盗むヤツも出てくるかも。

 

だから、「上司」を設定しよう!

 

「上司」には、私と話が合い、私を慕ってくれている、「信じられるヤツ」に、なってもらおう。

 

そしてその「上司」の下の「部下」には、「上司の言う事を聞け!じゃなきゃクビだ!」と言おう。

 

そして「上司」には、「(裏切らないように)高い給料を支払う。そのかわりお前の部下が悪い事をしたら、お前が責任をとれ!いいな!」と、言おう

 

と、まあ、なるわけですね。性悪説ですからね。

 

まあ、いいじゃないですか。最初はこんな感じでも、きっと上手くいきますよ。

 

ところがこの「組織体系」が、形骸化、マンネリ化、してくると・・・

 

例えば以下のような組織になったりするんですよね。

 

1)上司の部下に対する取り締まり、圧がけ、パワハラ の常態化
2)部下の無責任体質や無気力化
3)経営者に気に入られることで高給を得ようとし、かつ責任逃れが上手い上司が生き残る
4)伏魔殿化(特定の上司が裏切らない部下集団をつくり、権力構造を構築する)

 

ヒエラルキー型組織って恐いですよ。こうなるんです。

 

本来、「信頼し、預ける」事をする、権限移譲をするために中間管理職という役職を作ったハズなのに、それが形骸化し、むしろ諸悪の根源となる。

 

なぜ?

 

なぜ?それでも上司が必要なのか?

 


ここで唐突に、シン・ゴジラの話をします。

 

シン・ゴジラ松尾諭さん演じる、泉修一という登場人物がいます。

 

彼はいいます。「出世は男の本懐だ」

 

シン・ゴジラは、硬直化した日本の政府や社会を、若い世代がどう生きるか、それを問うた映画でもあると私は思います。「私は好きにした、君らも好きにしろ」というメッセージと共に。

 

その作品中にあるセリフ「出世は男の本懐だ」ですが・・・

 

なんともまぁ・・・ダンシ ノ ホンカイですよ・・・

 

出世とは、そういうもので、アリマシタ。

 

出世とは、アナタが、世の中に認められている証拠。世の中の役にたっている証。

 

もうちょっと言えば、お殿様に認められ、位を頂戴し、何万石を統治する部下になる・・・


・・・好きですが、好きな世界観ですが


まあ、ノスタルジーと言わざるを得ない。

 

ヒエラルキーを駆け上がり、より大きな仕事をする権限と責任を与えられ、民を幸せに導いていくような理想のリーダーシップ・・・

 

・・・やっぱりまぁ、ノスタルジーと言わざるを得ない。


いや!、私は、リーダーシップを否定しているわけではないです。

 

リーダーシップは本当に重要な要素で、人類の幸せにとって必要不可欠だと私は思っています。


 ・リーダーシップの話と

 ・「既得権益を得る」「用意された椅子に座る」という話と

 ・社会的な承認(ソーシャルプルーフ


の話が、ごっちゃになってるから、それが「古い」んですね。「ノスタルジー」なんです!


例えば、みなさんの会社の「上司」に、リーダーシップはありますか?

 

みなさんの会社の、部長という「用意された椅子に座っている」人に、リーダーシップはありますか?

 

無いんですよね。あるわけがない。

 

だって、「上の人に気に入られて、部下の責任を負わされる代わりに、用意された椅子に座り、社会的な承認(例えば同窓会で恥をかかないようなポスト)」を、得ているに過ぎませんから

 

部下に居酒屋で文句を言われても、仕方がない。

 

いや、良いんですよ

 

たぶん他にも色々な経験や、スキルや実績に基づいて、その人には高給が支払われるべきです。きっと。


なんでそんな事しているんでしょうか?

 

私は、「上司」なんかやめてしまえと思うんですよ

 

いや、リーダーシップは発揮すればいいんです。ぞんぶんに。

 

もしあなたにリーダーシップがあるのなら、何らかの仕事を任せてもらい、その仕事のリーダーをやればいい。

 

ただ、「上司」は別です

 

なんでわざわざ「上司」なんて役をつくって、仕事に一番大切な「責任感」みたいなものを、部下から奪っていくのか?

 

それって「それが普通の(性悪説的な)会社だから」とか「役職の社会的承認が欲しいから」とか、そういった低次の「常識」に縛られて、大切な物を失っている状況となり、結果それが大企業病的無責任体質や指示待ち体質の温床になっているのではないか?

 

細分化された顧客ニーズとプロダクトライフサイクルが極小化された世の中は、新しいものを次から次へと求めているこの時代に、

 

なんとのんびりとした旧態依然のノスタルジーに浸り、社会的承認を欲しがったり、居酒屋で愚痴を言ってみたり、

 

アフォくさくないですか?ねえ?


と、思いましたので

 

うちの会社からは「上司」ってのを無くしました。

 

みなさんの会社も「上司」を無くした方が良いですよ。

 

今まで「上司」だった人は、その責任感から解放されますし、

 

「部下」だった人は、リーダーシップのない上司からの命令を聞く必要が無くなります。


もちろん

 

「上司」だった人は役職を失いますから、自分が本来評価されるべきもの(スキル・能力・成果)を、0から見つめ直し、足りないと思ったら必死になって勉強なり実績を上げるなり表現したりしないといけなくなりますし、

 

「部下」だった人は、「上司のせい」に出来なくなりますので、仕事に責任感を持たなければなりませんし、皆とうまくコミュニケーションをとらないと、だれもあなたを助けてくれなくなりますが、


それって、ビジネスマンとして当たり前の事じゃないですか。

 

上司がいなくなるだけで、その当たり前のことに気が付けるんです。


それに

 

「上司」ってのは、「自分より優秀な人材を下に置けない」という構造的問題を持ちます。

 

だから、経営者の皆さん、

 

「上司」に「部下を育てろ」と言っても、その部下は絶対に、その上司より優秀になりませんよ。


ほら、「上司は諸悪の根源」でしょ?