私は、だらしがないんです。
約束を忘れる。メモを取らない。メモを取ったとしてもメモが見つからない。
机の上が汚い。汚い上に何がどこにあるか覚えていられない。たまに片付けでも、またすぐに汚くなってしまう。
何かを途中まで進めて、途中で飽きてしまう。買った本を読まない。読んでも途中で飽きてしまう。
物を駄目にしてしまう。物を丁寧に扱えない。借りた本を汚してしまう。
まあ、何しろいろいろ、ある。 私はだらしがない。
でも、だらしがない という性格にも、利点はあります。
だから私は、だらしがない性格のままで居ようと思っています。
先にも書きましたが、私はメモを取らないです。
人間の脳というものは、自分にとって大切な物事は、深層心理が分別して、必ず覚えているそうです。
逆に言えば自分にとって大切じゃないことは、メモをとらなければ覚えていられない。
だから私は、ほとんどメモをとらない・・・です。
でもだからといって、約束したことを、自分には「重要ではないから」といって忘れて良いワケはないですよね?
例えば誰かに「明日マンガを貸して」と言われて、「良いよ」と答えて、翌日になってすっかり忘れている。なんてことしょっちゅうで、かつ、それは例えば私にとって「その人にマンガを貸す事」が、あまり重要に思えていなかったから忘れているわけですが、でもそれで相手はガッカリするわけです。
普通そういう「だらしがない」人は、
ダメ!
ですよね?
でも私は、だらしがない性格のままで居ようって思ってます
利点があるからです
例えば「だらしがなくない人」というのは、
・「マンガを貸してくれ」と言われたら、ちゃんと記憶したり、メモをとって、きっちり、貸す
でも、例えば
・「マンガを返してくれ」と言って、ちゃんと返してくれなかったら、ストレス
なんじゃないかな?
だから、「だらしがなくない人」にとって、「マンガを貸す」ということは、ある種のストレスをもったタスクなんじゃないかと思います。
ある種のストレスとは
・マンガをきちんと持って来よう
・マンガが返されなかったら嫌だなぁ
と、いう事ですが、他にも、もしかしたら
・そのマンガが傷んでいないか、先にチェックしておこうかな?
・カバーを汚されたら嫌だから、代わりのカバーを付けておこうかな?
とか、そういう、「気を使う」と、いうことがありますよね
「気を使う」というのは、とても良い事です。
でも「気を使う」というのは文字通り「気を使う」のですから、疲れます。
疲れる=というストレスなわけです。
でも、私のようなだらしのない人にとって「本を貸して」「いいよ」ってのは何のストレスでもありません。
翌日になって「あ、忘れた、ごめーーーん!」なんて言っていますが、それも口先で謝ってはいますが、また、すぐ忘れる。だから翌日も持ってこないwww
まあ酷い人間です
マンガを貸すくらいの話だと良いですが、さすがに仕事だとそうも言ってばっかり
いられないので
じゃあどうするかと言えば、
答えは簡単で、「そんな私をサポートしてくれる仲間」と、仕事をしたいわけですね。
・私はノーストレスで、いろいろな約束事などをする
・それを実行するのは、信頼のおける仲間たち
これが、いちばん良いわけです
なんだかご都合主義の、お気楽な人間のように思いますでしょうか?
私も、そう思いますwww
一応、言い訳をしますと
私は、会社の総責任者なんですね。
ですから当社の行う事すべてに対して、私は、全ての責任を背負っています。
こればっかりは、誰にも背負わせることの出来ない、逃げ場のない、責任です。
責任だけではなく、会社が破産すれば私も破産します。一連托生です。
だから私は、「自分にとって、一番大切な事」に、集中する必要があるのですね?
だって 私=会社 ですから。
私のような「だらしがない」人間でも、「自分にとって大切な事」は深層心理がかならず覚えさせてくれています
というかむしろそれは、会社経営者にとって
忘れられなくて寝られないくらいの大きなストレスです(苦笑)
そんな私は、代表であるがゆえに、「だらしがなく」生きたい。
「会社と一蓮托生である自分が、本当に大切だと思う事」に集中するために、多くの
タスクに対しては、だらしがなく接したい。
そしてそのタスク達については、仲間たちがキチンとサポートしてくれる、チームであり会社になっており、私はその仲間たちに感謝を惜しまない。
これが私の理想とする、私の「だらしない」経営なんです
追:
ソノリテとお取引をさせていただいている皆様、斯様なことで、私はだらしがない人間ですが、当社はしっかりした社員が揃っておりますので、どうか御贔屓に
追2:
そんなだらしのない私ですから、当blogにおける誤字脱字なども酷いもので、いつも醜聞ご迷惑をおかけしております