なぜ仕事はつまらないのか?

■人間の考えることは、大抵楽しい

 

私は「罠(ワナ)」を作りだした人間の知恵って、すごいな~と思うんですよね。

 

我々人間がですね、肉食動物であるとして

 

原始、腹減っているわけですよね毎日。だって狩猟道具はチープだし、冷蔵庫だってないから、保管もままならないし

 

だから原始の頃の人類は、毎日腹減ってる。そんな気がする。

 

腹減ってたら、普通、山を走り回って、目の前に獲物が現れるまで、探し回るとか、そういう

 

「感情(はらへった)」

 

に突き動かされる行動をとるんじゃないか?というか、それしか、とれんでしょう・・・普通


そういうもんだと思うんですよね。

 

ところが人間は、「罠(ワナ)」を作ったわけですよね? これ、すごい!

 

例えば穴を掘って、そこに何かしら、ヤリのようなものを突き立てておいたり、すこしエサのような物をまいておいたりして、動物がそこに落ちるのを、待つ。

 

そんなワナを作った

 

腹減ってるのに、すごいです

 

 ・腹減ってるのに、穴をほって

 ・腹減ってるのに、餌をまいて

 

そういうこと、出来たんですよ。凄いです


そうしてきっと、人類は、「罠(ワナ)」を進化させていき、より効率的に獲物を獲得するということを、まなび、行っていくようになるわけですよね。きっと

 

このように人類は、期待される未来に対して、現在の感情を押し殺した行動が出来るように、なっていくわけです。

 

このあたりが、人類の凄い所・・・

 

こういうのは、農業のモデル(一年分の食料を、一年かけて生産する)みたいな事も、同じかなと思っておりまして

 

いまそこにある種みたいなものを食べちゃうんじゃなくて、きっちり、一年間育てる。そして収穫する。

 

こういう事を、計画的に、しかも集団で行えるようになったんだから、すごい。

 

はら減ってるのに、です。


つまり人間はきっと、感情に支配されることなく、未来を設計し、作業を分担したりしながら、より効率的に生きて行くシステムを作ることが出来るという脳をもっているわけです。


それは、なぜか?


「学習」ですかね?


「目前の衝動に囚われず、計画的に生きれば、そのほうが効率よく飲食にありつける」という、学習なのか・・・

 

腹が減っているからといってムヤミに森に狩りに出かけないで、じっと考えて、イノシシが通りそうな場所に、腹が減っているのに一生懸命穴を掘って、そこで待つ・・・

 

その方が効率がいいと学習しているから・・・


・・・でも

 

・・・たぶん

 

・・・たぶん違うと、私は思っているんです

 

(人間がいつ人間になるかという、実存主義的なお話でもあるんですが、それはちょっと置いておいて)なんとなく私は、少なくとも私はですね

 

「罠(ワナ)」を作ることは、楽しい。

 

これは恐らくかなり原始的な衝動レベルで、楽しい

 

腹を減らしている原始の人類が、目の前にいる獲物を槍で追い詰める。この衝動って、たぶん狩猟本能とでもいうのか、本能的に「楽しい」のではないかと、思うのですが

 

「罠(ワナ)」を作ることも、きっと人間の本能のどこかに、「楽しい」と思える受容体的プログラミングがされているのだと、僕は思うんですよね

 

あと例えば、みんなと一緒になって農作物を作ること・・・なんていうプロセスも、恐らくどこか人間の本能の近いところに、プログラミングされているコードがあり、わりとそれに準じているうちに、農耕という文明が出来上がるというような

 

つまり先天的か、後天的かという部分は少し曖昧なまま置いておくとして、本能的に(これを無意識的にと表現したらわかりやすいかな?)人間は、ある程度社交的だったり、計画的だったりする行動を、「楽しい」と思えるように出来ているのではなかと、思うんですね

 

言いたいのは、ワナづくりとか、農作とか、色々な文明的発達は

 

 ・それが効率的だから

 

だけではなく

 

 ・それが楽しいと思えるから

 

発達したはずだ。というのが、僕の理解です。


どうでしょうかね?


あと、ちょっとだけ違う話をするとですね

 

例えば、自動車という発明がありますよね

 

自動車好きな人、多いですよね

 

これもですね。自動車が「効率的な乗り物」だから進化したわけじゃ、ないですよね。

 

自動車ってかっこいいし、なんか運転していると爽快だし、デカい車に乗っていると、なんだか強くなった気になったりする。

 

そういう「快楽」の部分が、かなり混入している発明品であって商品であって文明ですよね


テレビとか、インターネットもそう。それぞれ通信手段として効率的だとか、そういう意味ではない部分で、人間の原始的な快感情の部分にうまく同調しているところに、発達の根源的理由があるのではないか、と思います。

 

 

まあここまでで言いたい事は、

 

 人が創り出すものは、何がしか人が快感を得るように出来ている。出来ていなければ発展しないはず

 

まあ、こんな感じかな・・・・

 


■しかし仕事はつまらない


では「仕事」は、どうか?

 

仕事だって、人間が考え出したシステムだから、快感をえるようなものなんじゃないか?


私は会社の社長をやっているので、社員のみなさんに「自社の仕事を楽しんでもらいたい」と、考えています。


そして先の「人が創り出すものは、何かしら快感がある(ハズ)」というのがあるので、例えば先の「農耕」みたいなものを「仕事」だと考えれば、仕事の成り立ちだって、

 

どこかに人間の原始的な快感情をベースにしたものが存在するはず、とそう思うのですよね。

 

人間が人間の為に作り上げたシステムが「仕事」なんだから、人間にとって「楽しい」と思える要素が、きっとある

 


     だから仕事はみんな楽しいんだ~ わ~い

 


・・・なんていう現実では、残念ながら、無いっぽい


なぜか?

 

なぜ仕事は、つまらないのか?


だっておかしいとは思いませんか?少なくとも私は「ワナ作り」は、楽しさから人間が産み出した仕組みだと信じています。ですから人間は、例えお腹が空いていても、ワナを作ることに没頭出来たはずなんです。

 

そういったシステムの延長線上にある、「仕事」が

 

 ・責任で押しつぶされそうになったり
 ・達成感が得られなかったり
 ・人間関係で憂鬱になったり

 

なんで、そうなって、「仕事は面白くない」ってなるんでしょうか?


もしかしたら、こう、考えてはいませんか?

 

 「仕事はお金をもらってやることだから、自分のわがままが言えない」

 

確かにそうなんですが、これ、ちょっと違っているはずです

 

だってみなさん、仕事だって、何がしかの快楽を得られるように人間がつくったシステムです。

 

例えば適材適所の問題はあります。Aさんにとってはつらい仕事でも、Bさんにとっては快適な仕事ってのがある

 

それはわかりますが、もし自分がその仕事に合わなかったら、別の仕事を見つければ良いだけの話です。仕事をえりごのみすればいいんです。

 

そういう前提を無視して

 

 「仕事は面白くない」

 

って、決めつけてませんか?

 

でも不思議なんですよね。だってやっている人が「楽しい」と思えない仕事なんて、その仕事の結果が、良いものになるわけないじゃないですか?

 

なのにみんな、世の中のほとんどの人が、「やりたくもない仕事」を「生活の為だ」などといいながら、ヤル羽目に陥っている。

 

なぜか?


これ、ちゃんと考えれば、答えは簡単です。


答えは「競争が激しいから」

 

例えば現代において、自分の快楽に従った農業をやろうとしましょう(あるいは、なんでもいい、快楽にしたがった仕事を自分で考えて、実行したとしましょう)

 

それ、残念ながら絶対に儲からない

 

せいぜい、自給自足出来るかな、程度の事で

 

例えば自分一人で、あるいは気の合う仲間数人と、その人達とやれる範囲で、気候のいい場所で、農業をしながら、暮らしていく

 

自分の好みの野菜を、健康を気にして無農薬で、昔ながらの製法で手をかけながら、やる

 

そういう生活を空想してみてほしいのですが

 

そこにはもしかしたら、原始的に人間にインプリされた快感が、あるかも知れませんね。そんな「仕事」なら、それは、楽しいかも(と思える人が、いるハズ)


でも、ハッキリ言います。それ、儲かりません


そんな「あまっちょろい」生産者などは、マーケットに入る事すら許されない競争の世界がもう、出来ています。だから、そんな生産じゃあ生活できない。

 

もちろん農業じゃなくたって、様々な生産や経済のシステムは高度に発達しているから、個々人が快感をえられるような、単純かつ工夫のない仕事をしたとしても、

 

マーケットは一部の勝者の為にしか残されておらず、その他の多くの人々は恩恵を受けられない。


多くの人達はその高度な競争の中の一部の役割を担う事で日々の糧を得るに過ぎない。

 

そうですよね?

 

当初は人間が人間の快感情をベースに創り上げたシステム(仕事)は、勝手に成長し、勝手に巨大化し、高速化してしまい、普通の人間がついていけなくなってしまった!とでも言えば良いですかね

 

だからみんな、責任もとれなければ、達成感もえられなかったり、ギスギスとした人間関係の中で居場所作りに苦労するような「仕事」しか出来ないわけです。


 結果として「仕事は辛い」

 


ここまでの纏め

 「本来仕事は面白かった。現代において面白い仕事は一部の勝者のものになり、残された人々にはつまらない仕事のみが与えられている。」

 

で、ですね。ちょびっとだけ脇道にそれますが

 

「ボランティア」や「プロボノ」など、特に若者の中に、達成感や人との繋がりを求めた、動きがありますよね

 

なぜか


【ここ重要】

もともと人は「楽しみ」を求めて生きているハズですが、「仕事」は前述のように、もう普通の人が仕事で快感情を得ることは難しい、から、人々は「生きがい」を「仕事以外」に求めなければならなく、なってきた

 

そんな、感じかな?と思うんです

 

そんな感じ・・・を、みな深く追及することなく、なんとなく

 

 「仕事は、面白くない」
 「金儲けは、汚い」
 「仕事以外に生きがいを求めたい」
 「会社に搾取されたくない」
 「働いたらまけ」

 

なんじゃら、かんじゃら

 

あまり自分で深く考えず、そういった整理をしてしまっていると、「なぜ仕事が面白くないか」がわからないわけですね

 

親も、先生も、そこんとこあまり深く考えていないで、

 

 「社会に適合しろ」
 「夢ばっかり見るな」
 「大人になれ」
 「自律してないのに一人前の口を聞くな」
 「仕事とは修行だから3年は我慢しろ」

 

みたいな事しか、言えないから、若い人達も、学べないし、ね

 

ここまで整理します

 1)仕事は本来楽しい
 2)でも競争が激化し、普通の人は楽しい仕事が出来ない
 3)みな「なぜ仕事がつまらないか」考えないで、仕事はつまらないと決めつけている

 

 

■私は株式会社ソノリテの「仕事」を、どうするか?

 

改めますが、私は、株式会社ソノリテという会社の社長です。

 

で、私は株式会社ソノリテで働く皆さんに、仕事を楽しんでもらいたい。と、思っています。


かつ、私は前述のように、みなさんが「仕事はつまらない」と自動思考していると、思っています。

 

さらにその「仕事」とは、過当競争にある現代において、大抵の人にとってつまらないものになっているとも、考えています。

 


【さあここ最重要】
それでも私は、当社の皆さんには「仕事を楽しんでもらいたい」と、思っている。強く思っている。

 


そんな当社においても、ある程度立場が上の方にいて、ある意味で「仕事が出来る社員」達は、自分たちが「仕事は辛い」というものと、どう向き合って、それでもモチベーションなどをどうキープして戦っていくか・・・という点について長けています

 

それに対しサトリ世代である若い世代は、それらを「社畜」などといい、否定します。

 

このギャップは、当社においても生まれているわけですが

 

そうこのギャップにおいては、私は完全に旧世代の味方です

 

なぜか?

 

確かに「仕事はつまらない」んです、大半の人において


「大半の人」 です


何度も言いますが、僕は自分の会社を「仕事が楽しめる」会社にしたいんです。ね。


この激化した競争社会において、「仕事が楽しめる」という、

 

 ごくごく少数派の会社にしたい

 

わけであって、

 

そういう意味において「仕事はつならない」という自動思考のサトリは、邪魔なんですよ。

 

【ここも最重要】
そんなもの(仕事はつまらない)という自動思考は、凡人の発想なんです。大衆のものなんですよ。

 

これが私の思考方法です。

 

そうですある意味で超人思考(マッチョ)です。自社をブラック企業にしないよう気を付けます(社労士から「休みが多すぎる」と怒られるような会社ですから現状は大丈夫だと思います苦笑)

 

 

私の会社は、仕事が楽しい会社 です

 

今後もどんどん、仕事が楽しい会社 に していきます

 

その為には、社員がみんな、非凡 であり プロ でなければいけません

 

だから私の会社は、とても多様で、かつとても(成長に対し)厳しい 会社になっていくでしょう


ついて来れない人が、沢山出る、会社とも言えますね。

 

でも楽しいはず

 


・・・

 


「楽しい」ですからね


「楽(らく)」じゃないです


ここがポイントですね

 

現に当社に今いる社員達は、皆それぞれにとても個性的で、非凡で、ある部分において皆超人的で、自律的な思考をもっています。

 

私はそれらをとても誇りに思うし、社員の皆さんと共に闘っている事が、とても、とても、「楽しい」

 

 


■楽しい会社 株式会社ソノリテ


弊社「株式会社ソノリテ」のホームページを見てもらい、多くの入社希望者が来てくれます。嬉しい事です。


その人たちが、口をそろえて、こう言ってくれます


 「楽しそうな会社ですね」


私はそれを聞くと、とても嬉しい


でも反面、心のなかで、こうも思っています


 (そう私たちは楽しい。でも君はついて来れるかな?)


これは私がはっている「罠(ワナ)」なのかも、知れません笑