「仕事」とか「マジメ」とか「モチベーション」とか、指導、哲学

「仕事なんだからマジメにやれ!」という定型文があって、

 

まあ、多くの良識人にとって、おおむね合意な定型文なわけですが

 

ではなぜ「仕事」は「マジメ」にやらなければいけないか?と問われると

 

例えば「お金をもらっているんだから」と、言うのが、一般回答なのではないかと思うのですね。


まあコレが、いわゆるサラリーマンなわけですよね。あるいは公務員でも良いけれど、ようするにサラリーを貰っている人。

 

例えばこれが、自分の作品を売っているようなアーティストだったりすれば、そんな下らない会話は無いわけです。

 

そういう人は、 売れなければお金が貰えない。このシンプルなルールに従っているだけ。

 

お金を貰うために、努力するならすればいいし、マジメにやりたければ、やればいいわけです。別に誰の責任でもない。

 


でも現代、多くの人は、サラリーマン的に生きていると思うんですよね。その方が安全だし、効率が良いから。

 

その「サラリーマン的に生きる」と言うのが、「就職」だったり、「会社で働く」ってことだったり、するわけです。

 

「会社で働けば」サラリーが貰えるわけですね。

 

そしてその「会社」で、遅刻やら、居眠りやら、サボっていたら言われるわけです

 

「仕事なんだからマジメにやれ!」って

 


サラリーマンだって、アーティストだって、何かをして、お金を得ることは、仕事、です。

 

だから「仕事なんだからマジメにやれ!」は、本質的には、おかしい。しっくりこない。

 

例えばあるアーティストが、悪ふざけで作った作品が、凄く売れたとする。そんな事って、いくらでもある。

 

ではなぜ、

 

 「仕事なんだからマジメにやれ!」

 

が、正解なのか?


それはきっと、「会社」というものの大部分が、チームワークで仕事をすることで、スケールメリットを出そうとする、組織、だからですよね。

 


例えばみんなで、大きな船に乗っている。とする。

 

船といっても、みんなでオールを漕いで、前に進む、人力(じんりき)の船だと、する。


小さなボートで個人で移動するよりも、大きな船をみんなで漕いで移動した方が、何かと安全だし、効率もいい。大きな船なら、高波があっても、大丈夫


だから皆で、大きな船を漕ごう!


誰かがサボっている


「おい!真面目に漕げ!!!」

 

 

まあ、そういう事ですよね?

 

会社はチーム。このチームは一蓮托生。オレが頑張っているのに、お前がサボるのは許せない。

 

 だからマジメにやれ!!!


これが組織人の本質、ではないでしょうかね?

 

 

だとすると

 

「このボートを漕がないならこの船に乗る資格は無い(だからマジメに漕げ)」

 

と、似たような事を言いたい、言いたいのを

 

「お金をもらっているんだから(マジメにやれ)」

 

と言うのは、僕はちょっと、違うように思うんです。

 

 

 

ちょっとだけ話題を変えます

 

「(仕事の)モチベーションが上がりません」

 

これも、良く聞きます。

 

「なんだか仕事へのモチベーションが上がりません」と、ある社員が言ったら、先輩や、同僚が


「そうか、例えば現在の仕事の目標をこういう風に考えて、少しずつ成果を上げて行けば良いんじゃないか?」

 

とか

 

「人間関係に悩んでいるのか?じゃあ、あの人はこういう性格だから、コミュニケーションをこういう風に、とれば良いんじゃないか?」

 

とか


まあ、そういうアドバイスを、しますよね?

 

でも私、


最近なんだか、世の中の人すべて、「モチベーション」って言う言葉を、簡単に使い過ぎなんじゃないかなって、思うようになってきました。

 

そしてその、「モチベーション」ってやつが、何と言うか、イイワケめいていると言うのか、あと、「モチベーション」ってさも、人からもらえる自分の権利・・・社会や会社が用意する必須条件・・・みたいな・・・

 

先の船の話でいうと

 

 「ちょっと、オールを漕ぐモチベーションを失ってしまいました」

 

と、誰かが言ったら

 

 「バカ野郎、じゃあ今すぐ船から降りろ」

 

と言われるのが、普通、なんじゃないか


お金やサラリーの話でいい変えると、

 

もし本当に仕事へのモチベーションを失ったのなら、もう、自分からすぐ船を降りる、つまり会社を辞めるべきなんじゃないかと、僕は思うんです。

 

(いやもちろん、例えば人が減って行けばその船は前に進まないんだから、仲間たちへの責任感として、モチベーションなんて下らないものがあろうとなかろうと、オールを漕ぎ続けるべきだと、僕は思いますけれど。)

 

 

 たぶん、船に乗っている実感が無い

 

 たぶん、働くことによって対価を得ているという実感が無い

 

 たぶん、社会に生きるために何がしかの責任を背負っている実感が無い

 

 

実感が無いから

 

「モチベーション」程度のキーワードが、重要なように思えてしまうし、モチベーションが上がらなければ、役割を果たす必要などないと考えてしまう。

 

さらに、そのモチベーションを誰かが与えてくれるのを待つ・・・

 

これがとても気持ちが悪い


 ・何に対してもやる気が出ません。僕はどう生きたら良いでしょうか?


こんなにも気持ちの悪い質問が、当たり前のように会話される

 

これらはなんというか、「実感の無さ」を起因にしているのではないかと思います。

 

 

なぜ実感が無いか?

 


それは「効率的な世の中」、だからですよね。

 

例えば私だって、鶏肉を食べるときにニワトリをサバくなんてことしませんし、お米を
食べるためにタンボを耕すようなことをしません。

 

だから私だって、尊い生命をイタダいているという実感なく鶏肉を食べていますし、
農家のご苦労に対する実感なく、米を残したり捨てたりします。申し訳ないですが、
そうです。

 

それが効率的な世の中

 

つまり世の中は、どんどん様々な「実感」が持てなくなるように進化する。

 

会社やサラリーマンという生き方も、とても効率的。だから実感は持てない。

 

だから皆さん、仕事に対してもこう思う


 ・なぜ仕事はマジメにしなければいけないのだろう?

 ・なぜモチベーションを感じられない仕事をしなければいけないのだろう?


「仕事=生きる事」という実感は、この効率的な世の中において、もう、絶対に持てない。

 

 

だから

 

私たちは「効率的な世界が提示するルール」に従って、「実感はもてないが役割はある」ことを自分で承認し、実感の無さに対して自分で理屈を作ったり、自分を奮い立たせたり、自分に催眠をかけたりして、生きる必要がある。

 

のだと、僕は思います。

 

例えば私も、生活の為に仕事をしているという実感は、あまりありません。
(経営者なのでサラリーマンよりは遙かに大きなリスクを背負っていますが)

 

どちらかというと、反骨精神などをモチベーションとして、生きていますし、働いて
います。

 

つまりそういう、「理屈付け」によって、仕事というお金貰いゲームに対する、生き様を自分で定義して、それを成功体験に変え、快感を得る努力をしている。

 

のだと、自分で思います。

 

 

・・・ちょっと唐突ですが、これ以上長文を書いてもクドイような気がしてきたので、クロージングに入ります。

 

私も経営者ですので、色々な人の仕事に対する悩みを聞いたりしますし、それなりの指導をします。


 ・なぜ仕事は仕事だからマジメにやらなければいけないと言われるのか

 ・なぜ自分はモチベーションが上がらない仕事をしなければならないのか

 ・自分はなぜ働いているのか


こういう人が、回りにいたら


これらの悩みに対して

 

 ・仕事なんだからマジメにやれ

 ・お金貰っているんだからチャンとやれ

 ・モチベーションが下がっている原因はなに?その原因の対処はこうだよ


といった指導をするのは、指導する側の人間として、思慮が足りないと思います。

 

指導には、ポイントが2つあると思うのです。


 ポイント1)なぜ働くのか、実感の持てる回答はない。自分なりの哲学を持て

 ポイント2)働かないなら、船から降りろ

 

どうですか?共感できますでしょうか?