働き方改革の正解【めっちゃ長文になっちゃいました】

ちょっと大げさなタイトルにしましたが、「働き方改革」について纏めておきたかったので、書きます。(例によって駄文な上に、めっちゃ長文になってしまいましたが)

 

最初に、私がなぜこの「働き方改革の正解」というテーマでブログを書きたくなったかと言うと、だいたい以下三点が動機です

 

  • 昨今の「働き方改革に対する不正解」が気に食わない
  • 自社の「働き方改革」を進めるにあたり、考えを纏めて、残しておきたかった
  • 昨年(2017年)、ITmedia主宰の「働き方を本気で変える」セミナーにて
      お話させていただいた内容を、残しておきたかった

 

ということで、書きます。

 

さて、まず結論、ということで、

 

株式会社ソノリテ(現在九期目のIT&メディア企業)の代表である私が考える、「働き方改革」は、極めてシンプル。

 

「働き方改革」は、会社の強化のために行うべきものだと、思っています。


だから私が考える「働き方改革の成功」は、こうです。

 

 【結論】「働き方改革の成功」とは、会社が弱体化せず、強化されること


はい。

 

ここでもう、最初っから「働き方改革は、社員や国民の為のものではないのか?」という、反駁が聞こえそうなのですが

 

私は、「働き方改革によって、会社が強くならなければ、そんなものやる必要はないっ!」

 

って、思ってます。

 

「経営者」である私にとって、この「働き方改革」のみならず、会社に対しておこなう、あらゆる打ち手は、「会社の強化に繋がるモノ」でなければ、意味がない。

 

と思うのです。

 

ですので先のセミナーでも、

 

  「間違った働き方改革で 会社の能力を下げてしまう前に 考える事」

 

というタイトルのお話を、させていただきました。


会社の強化があり、経済の成長がある。経済が成長するから、国民が豊かになる。

 

この基本を忘れてはいけません。ですよね?

 

ただその、「会社の強化」ってヤツを、今までと同じように考えていたら、どうやらダメなんです。

 

だって日本は豊かな国になったんだし、経済は国際化しているんだし、少子化だし、そういう「環境の変化」の中で、今までのような「働き方」をしても、どうやらあまり幸せになっていかないよね。

 

だから抜本的な「働き方の改革」をして、「新しい環境」における「会社の強化」ってのを、考えましょうね。

 

それが、「働き方改革」だと思います。(例によって鍵カッコばかりの文章でゴメンナサイ・・・)


ですので、

 

 【結論】「働き方改革の成功」とは、会社が弱体化せず、強化されること

 

と、思うわけですね。

 

で、その「働き方改革の成功」を起すための、「働き方改革の正解」は、何なんだろうな・・・

 

 残業の禁止なのかな?

 残業時間が来たら会社の電気を消す事なのかな?

 月末の週末は皆で早退して呑みに行く事なのかな・・・

 

というお話を、書かせていただきます。

 


はいでは最初に、働き方改革について、いろいろな視点をもつ皆さんを想定してみたいと思います。

 

様々な考えを持つ人がいると思うんです。

 

例えば

  1. 某広告企業の事件は不幸な事だが、日本の企業が本質的に変化するのは難しいだろう
  2. なんでもかんでも「パワハラだ」などと言われたら、部下の育成なんて出来ないよ
  3. 残業するなって言われても、仕事が減るわけじゃないんだから、逆に隠れ残業が増えるんじゃないか?

 

と、比較的「長時間労働規制」という部分に着目し、ネガティブに考えている人もいるでしょう

 

また、例えば

  1. 介護をしながらでも働ける日本になったら本当に嬉しい
  2. 育児休暇申請を却下されたことがある。前からはやく変革すべき文化だと思っていた
  3. 自分らしく働きたい。日本では自分らしく働けないと思っていたが、ここで働き方が改革されるならとても嬉しい

 

と、活躍シーンの変革をポジティブに待ち受けている人もいるでしょう

 

あるいは、

  1. 私は仕事が大好きで生きがいなのに、なぜ残業する人間が悪のような言い方をされなきゃならないのだ!
  2. 自分でもっと勉強したいと思って会社に残っていただけなのに、残業するなと追い出されてしまった
  3. 私の仕事は人々の暮らしを支えている。私はそれを誇りに思っていて、仕事にフルコミットしている。働き方改革は「仕事の尊厳」を理解していない制度だと思う。

 

などと、現在の活躍に自信やプライドがある人にとって、高い献身性が批判的に捉えられる現状を、悲しく考えている人もいるかも知れません

 

また、企業経営者である私としては、とても悲しく感じる事ですが

  1. 「働き方改革」をうまく利用すれば、より「働かなくても給料がもらえる」制度だ
  2. 「働き方改革」を都合よく理解して、自分だけ楽をしたい
  3. 「働き方改革」があれば、やりたくない仕事を押し付けられたら「パワハラだ」と訴えれば勝てる

 

などと、「指示待ち、ぶら下がり」的社員がニヤニヤと“さもしい”期待をしている可能性も、残念ながら、否めません


さらには、会社で「働き方改革を推進する部署」に配属された人を、想定すると、

 

様々な立場で様々な意見を持つ社員達を束ね、それらを複合的に捉えた上で、なんとか自社にとっての「働き方改革の正解」を導き出さなければなりませんので、

 

それは結構(ある思考パターンにおいては)難易度の高い、問題ですので

 

もしかしたら、考えることを停止し、

 

  • 「働き方改革」は、「やらないといけない時代」という解釈
  • やらないと新入社員が入らないし、ブラック企業扱いされるのが恐いから、仕方なく、お付き合いで、やるしかない

 

というような結論になっていらしゃる事も、少なくないのではないでしょうか?

 


私は、「しかたなく~するしかない」という考え方は、「思考停止」と捉えるほうです。

 

そして「働き方改革」という課題に対しては、多くの企業において、とても多くの「思考停止」があるように思います。


【働き方改革の不正解1】「働き方改革」を思考停止で行うと失敗する


本ブログでは、以下のようなことを「働き方改革の不正解」と定義しようと思います

  1. 「働き方改革」は、社員が「働かなくても給料がもらえる」制度ではない
  2. 「働き方改革」は、会社が「ブラック企業と呼ばれないように、しかたなく実施する」制度ではない

 

まずそこを、はっきりさせましょう。

 

だってそれは極めて単純で、

 

 【結論】「働き方改革の成功」とは、会社が弱体化せず、強化されること

 

に、そぐわないからです

 

一応・・・言っておきますが・・・「なぜそぐわないと問題なのか」・・・(そんなこと解説不要だと思いますが、一応添えておきますが)

 

会社が弱体化すれば、普通、「その会社に勤めている社員」は不幸になりますよね?

 

また、弱体化した会社だらけになれば、その国の経済は崩壊し、不幸になる人が増えますよね?

 

当たり前の話です。

 

(あとで出てきますが)「成長と分配のメカニズム」が崩壊するわけです。


(そこを良~~く考えて行くと、例えば「ブラック企業糾弾」などのエモーションの延長線で、「働き方改革」を語るのは、稚拙であるとも言えるんですが、それはもうちょっと後に、振り返ります。)

 

はい。では次に、

 

まず、何か「働き方改革」に対する議論の「基底」を作ろうと思います。


つまり何を基底の考えにして、ここからお話を進めてくかということなんですが、

 

最初のよりどころとして、国政における「働き方改革」の定義を確認しておきたいと思います。


先日、2018年1月22日に行われた、第百九十六回国会における、「安倍総理の施政方針演説」をお聞きになられた方も、多いかと思います。

 

こちらに掲載されています

www.kantei.go.jp

 

確認していただけるとすぐわかりますが、早々に、「働き方改革」というキーワードが登場します。

 

施政においてトップクラスの課題と考えられていることが、よくわかります。

 

【重要】2016年6月に、「ニッポン一億総活躍プラン」の閣議決定がありました。

 

施政において「働き方改革」は、この「ニッポン一億総活躍プラン」のサブセットと言っていいと思います。

 

リンク

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/ichiokusoukatsuyaku/pdf/plan1.pdf

 

「ニッポン一億総活躍プラン」とは、

 

少子高齢化に真正面から立ち向かう」「究極の成長戦略」であり、「あらゆる場で(家庭で、職場で、地域で)」「誰もが(女性、男性、お年寄り、若者、一度失敗を経験した人、障害や難病のある人)」活躍できる「成長と分配の好循環メカニズム」を提示である。としています。

 

それらの大きな目標として「名目GDP600兆円」があり、

 

私たちの国はそこに向かうために、「消費底上げ」「投資拡大」「労働参加率向上」「多様性によるイノベーション」を起そうとしています。

 

それらの施策に対し「生産の側面」から切り取ると、出てくるキーワードは、「子育て支援」「介護支援」「高齢者雇用促進」「非正規雇用労働者の待遇改善」「最低賃金の引き上げ」であり、「少子化対策の側面」からのキーワードは、「希望出生率1.8」「介護離職ゼロ」等です。

 

「働き方改革」は、上記のキーワードを実現していくための、具体的施策(長時間労働の是正等)の総称であるわけです。

 

よって私は、

 

経営者は、この国政の動きの全体像を見つつ、その「風向き」を確認しながら、会社の「働き方改革」を、正しく、その大きな風向きに沿った方向に、進めていく事に価値がある(というか、効率的である)と考えてます。

 

決して、

 

「最近はネットで何でもかんでも悪いウワサが拡散してしまうし、業界が“そう動くなら”、わが社も取り残されてはマズいので、働き方改革を『やらないといけない時代だから』やっとかないとな・・・」

 

では、無いのだ、と、考えています。


私たち経営者は、

 

と、「働き方改革」で、「究極の成長戦略」の一翼を担う事を、期待されているわけです。

 

そのような「風向き」であるわけです。


そこをまず、基底的に捉えましょう


【働き方改革の正解1】:働き方改革の目的は少子高齢化に対抗する「究極の成長戦略」が基底


で・・・【正解1】を踏まえた上で、現状認識を振り返りたいのですが

 

「働き方改革」という言葉で表現される「改革」で、よく言われる代表的なものは、以下のようなものですよね。

  1. 長時間残業の規制
  2. 育児、介護などの為の短時間労働や休暇、補助の充実
  3. 在宅勤務など時間場所に縛られない働き方の実現


で、それらを各会社が「取り入れたり(改革)、取り入れなかったり」と、なるわけですが・・・

 

そもそもこれらは、いったい何のために、改革されるべきものなのか? ですが


ここで、短絡的に

  • 過労死をさせないため
  • 高齢者や女性を労働に参加させるため

 

などと考えてしまい

 

それを働き方改革(の不正解)として

 

  • 夜●時になったら一斉に会社の電気を消す
  • 女性の採用率を上げる
  • ●●手当を出す

 

というような手段をとっていませんでしょうか?

 

それはもう、「手段の目的化」ですね。

 

そのような「手段の目的化」は、企業が生来持っていた成長要因やコア・コンピテンシを破壊してしまう、「会社の弱体化」を招く可能性があります。

 

それは皆さん、お感じになっていると思うんです。

 

例えば「うちの会社なんてモーレツ社員の残業や、飲みにケーションなんかの激烈指導で成り立っていたのに、「働き方改革」で、弱体化しちゃうんじゃないの?」

 

と、腹の底で、感じたりしているわけです。

 

それでは、ダメで・・・ダメです。「思考停止」です。


繰り返しますが、「働き方改革」によって

 

【正解1】少子高齢化に対抗する「究極の成長戦略」を、し、【結論】会社が弱体化せず、強化されること

 

を、行わなければ、意味がありません。


では、どう考えるか、どう考えを詳細化していくと、正解に近づけるアクションを見いだせるか。

 

つまり「働き方改革の正解」の話に入って行こうと思いますが


さて、ここで私は、「社員」に着目します。

 

「あれ?齋藤お前は前半で、働き方改革は会社の為にやるんだ!社員のためじゃないって言ったじゃないか!?」

 

と、聞こえそうなんですけれども、

 

そうではなくて、ですね。目的はあくまでも「会社の強化」です。

 

で、その「会社の強化を」・・・「働き方」を「改革」することによって、行う(会社を強化する)のです。

 

ですから、そこの主役は「社員」です。


つまり「社員が強化される」のが、「正解」


【働き方改革の正解2】:働き方改革は「社員が強化される」ものであるべき


ここ、重要です。ここらあたりが、ちょっと混乱している場合が多い。


なんとなく、ですね

 

「働き方改革は“社員”の“働き方を改革”するものであって・・・今まで以上に“社員”の生活や状況に応じた、“働き方”を、“自分らしく”出来るんだ!」

 

みたいな言葉を、進めて

 

「私らしく!働けるんだ!!」

 

みたいな事で・・・それは良いんです。良いんですけれど、

 

「休みたいときに休めたり、働きたい場所で働けたり、自由度が高くなるんだ!」

 

これもOK!OKなんですけど

 

さらに

 

「休みが増えるんだ!仕事が楽になるんだ!不労所得が増えるんだ!」

 

この辺りから、どうも、間違え・・・間違え出す。

 

この「間違え出す」感じが、甘やかしとか弱体化に擦り寄っていく形になりそうな、ここが、危ない。

 

あくまで「働き方改革」によって「会社を強化」するために、「社員の強化」を行わなければ、意味がない。

 

じゃあまあそれは、わかったとして

 

ではでは、「社員の強化」とは、具体的には何か?

 

私は、「働き方改革における社員の強化」を単純化すると、以下2つだと思います

  1. 社員のヤル気が上がる
  2. 優秀な社員が入社する

どうでしょうか?

 

(例えばここで、「(働き方改革による)社員の強化」を「会社に滅私奉公する社員教育をする」などと考えられていたら、まったく論外になってしまいますwwww)


逆に言うと、「働き方改革による会社の弱体化」(働き方改革の不正解)は、

 

  1. 社員のヤル気が下がる
  2. 優秀な社員が辞める

 

と、単純化することが出来ます。

 

どうでしょうか? 同意していただけますでしょうか?

 

  • 働き方改革に成功すると、社員のヤル気が上がり、優秀な社員が入社する
  • 働き方改革に失敗すると、社員のヤル気が下がり、優秀な社員が辞める

 

と、いう事ですね。

 

アナタの会社の「働き方改革」(例えば残業時間の抑制や各種制度、手当の強化など)は、果たして、社員のヤル気に貢献しているか、「優秀な」社員の獲得に寄与しているか・・・

 

もしかしたら逆の現象が起きている可能性はないか・・・


で、それを考えるにあたり

「社員のやる気」というモノサシと、「優秀な社員」というモノサシ、この二つを考えて行こうと思うのですが。


それを考えるにあたり、「社員」を、4つに分類して考えてみようと思います。


以下のチャートをご覧ください。

 図:人財の4分類

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縦軸に「変革的/成長的or保守的/硬直的」


横軸に「仕事への忠実度あるいは会社への依存度」のようなものを置いてみました。

 

これは、縦軸が「優秀な社員(上が優秀、下が平凡)」だと見てもらえれば結構です。

 

では横軸は何かというと、これこそがまさに「働き方改革」の1要素で、今まで「モーレツ社員」と定義されていた人たちが、左側、これからの「会社以外の生活が(も)大切」が、右側、だと思って、見てください。


そうすると、「社員」が、4つに分類できます。

 

  • A)エリアは「成長的(優秀)で、会社に依存度が強い社員」
  • B)エリアは「成長的(優秀)だが、会社にさほど依存していない社員」
  • C)エリアは「会社に依存度が強くて硬直的(平凡)な社員」
  • D)エリアは「会社に縛られていない、かつ成長意欲もない社員」

 

こんな感じです。

 

それぞれA)B)C)D)4つのエリアの「社員」を、一つずつ解説します。


A)成長意欲も高く、仕事への貢献度も高い(左上):【高度プロ人財型社員】

 

ミッションにフルコミット!プロとしてのプライドが高い!

 

この人財が会社に沢山いると、経営者は本当にありがたいですね。進んで働き、品質もよく、モチベーションも高く、責任感も強い。そんな存在です。

 

残業やら困難な問題もものともせず、まさにプロフェッショナル。そんな存在です。  


B)仕事意欲は高いが、仕事以外の人生も大切(右上):【ワークライフバランス型社員】

 

高度な能力を活かして働きながら、仕事以外の人生も大切!

 

優秀だけれども、介護や子育などの私生活、あるいは副業や「別の顔」の生き方も大切。あるいは身体が弱かったり、何か病気の治療などをしている人も、ここに該当するでしょう。

 

このような「優秀人財(あくまでも優秀が前提)」が、今まで「働く(働きながら、xxをする)」というような世の中では、ありませんでした。

 

「働き方改革」はこのような「優秀人財」に対して、パーシャルなワークシェアリングをうまく行いながら、ビジネスシーンに多数参画してもらう事(あるいは今までであれば、ライフイベント等の影響で、ビジネスリタイアするしかなかった選択肢を、パーシャルな形での「働き方」を増やす事)で、トータルで「優秀人財」の労働力を確保し、「少子化に立ち向かえ!」と言っている・・・わけですね。

 

これが「働き方改革」の正解の1つなわけです。


C)保守的会社人間(左下):【企業戦士型社員】

 

仕事は根性!愛社精神なら120%!24時間働けますよ!

 

ここにひとつ、問題があります。

 

私の定義する、この「企業戦士型」は、「仕事」というよりも「会社」に対して強く従属していたり、依存していたりします。


「仕事」の能力というよりも「会社員」、酷い言い方をすると「社畜」的な没個性や、「派閥」といったようなものに、最適化された存在、です。

 

「滅私奉公」というような言葉が似合う。独立した人財というより、忠実なシモベ。

 

前世代的で未成熟な世界では、会社と言う「組織」には、「組織」そのものに力があり、人はそこに従属することで「安定する暮らし」を得ることが出来ていたわけで、その「組織」に属することは「滅私」つまり自分を殺し、組織に「奉公」することで成り立つと、していたわけですね。

 

そしてこの「企業戦士」は、個人は、「優秀ではない」のです。そこが問題。

 

組織に忠誠を誓い滅私を誓う。お客様は神様。「愚直」という言葉が良く似合う。

 

会社様は神様。先輩のいう事は絶対。会社の色に染まった私こそ、会社が必要としている人財だと思っている・・・


このC)人財が、大問題


この存在は、会社に「忠誠滅私」しない人の存在を許さない。

 

なぜなら、それが自分の存在意義であり、それを奪われたら自分は会社にとって、「必要のない人」になってしまうから。


そうなると、「滅私」を求めるこのC)人財において、例えば「B)ワークライフバランス型人財」は、「会社にフルコミットせず自分のわがままを押し通そうとするダメ人間」にみえるわけで、

 

そこで(C人財からB人財に対する)パワハラが起ってしまったりする。

 

わかりますでしょうか?

 

例えば

 「男が育児休暇なんか取得したら、以後の出世に影響が出るよ」

 

 なんて発言は、C)人財がB)人財を、巻き込もうとする、ハラスメント的な動き・・・・

 

これが「働き方改革の大問題」なんです。


ですので「働き方改革」の本質の一つに、この「C)企業戦士型人財」を「悪」と定義する必要が、あります。

 

しかしこれが、多くの企業にとって、とても難しい。

 

難しい理由はいくつもありますが、まずC)人財はA)人財とを見分けることが難しいということがあります。

 

また、そもそも「働き方改革推進セクション」の管理職がC)人財であることが、少なくないんです。

 

皆さんの会社の「働き方改革推進セクション」は、「人事部」から作られたものでは、ありませんか?

 

私はそれを否定するわけではありませんし、全ての会社がそうだとも言いませんが・・・

 

古い会社の人事部って、「企業戦士」を作る為の組織だったり・・・してませんかね?

 

だとしたら、「働き方改革、何したらいいかわからない」と、「働き方改革推進セクション」の人が悩んでいる「真の理由」というのも、少し見えて来たり・・・


D)成長意欲もないし会社なんて嫌い(右下):【指示待ち型社員】

 

言われたことはやります。言われないことはやりません。

 

この社員の存在は問題です。そんな事は“いわずもがな”かと思います。

 

それにこういう社員の存在は、「働き方改革」以前の問題です。

 

「ゆとり社員」「腰掛け社員」「給料泥棒」「窓際族」いろいろ言い方はあります。

 

こういう社員にとって、最大の興味は「いかに働かず、いかに高い給料をもらうか」です。

 

企業に入社できた既得権を最大限に活用するために、「働かないで、給料をもらう。給料泥棒」を、続ける。

 

多くの人間の本質において、人がそうなってしまうのは、むしろ自然と言えます。つまりそれが「平凡」な人間の姿、です。

 

「働き方改革」がこの「平凡」に支配されてしまえば、会社は弱体化していきます。

 

会社の既得権益が、「平凡」に寄生され、食いつぶされてしまうと言っていいでしょう。

 

 

はいこれが4分類です。

 

この4分類に対し、「働き方改革の不正解」がどう起きるかというと、まず

 

 「社員のヤル気が下がる」

 

については、例えば

 

  • やりたい仕事を責任をもって完遂したいのに、現場を知らない管理部門がやってきて、「残業しないで帰れ」と命令されてしまう
  • ぶら下がり社員(D人財)を叱りたいのに、「パワハラ」扱いを恐れた会社指示により、何も出来ない

 

などが、「不正解」として起こる。その結果として、

 

 「優秀な社員(主にA)人財)が辞める」

 

と、なる。


あと一応解説しておきますと、働き方改革を「しない」と、何が起こるかと言えば、

 

 「社員のヤル気が下がる」

 

については、先に例も書きましたが、

 

 「男が育児休暇なんか取得したら、以後の出世に影響が出るよ」

 

なんて発言を、C)人財がB)人財に行い、B)人財が結果として会社を辞める・・・・

 

それと、もう一つ、

 

「うわべだけの働き方改革」というのもあってですね。

 

これは例えば「(うわべだけは)残業時間制限をして、その結果として、隠れサービス残業が増える」ような形ですね。

 

さてこれです。

 

これは、何が起きるか?

 

ブラックな企業経営者ならこう誤解するかも知れません。

 

「働き方改革で、サービス残業が増えたなら、労働時間は減っていないから、会社は弱体化しない」


いえいえ、そうではない。

 

現実には、「働き方改革の不正解」が強化されるんです。

  • やりたい仕事を責任をもって完遂したいのに、現場を知らない管理部門がやってきて、「残業しないで帰れ」と命令されてしまう
  • 仕方がないから、自宅持ち帰りなどで「サービス残業」する。
  • C)人財なら、他の社員(B人財)にもサービス残業を強要する
  • A)人財なら、自らの犠牲に対して、他の社員(D)人財)が「自分の権利を主張」することに不満を感じる

 

これらにより、本来会社にいて欲しい、A)人財、B)人財らに不平不満が溜まり、C)人財やD)人財ばかりが「恩恵に預かる」ような会社が出来上がってしまう。

 

結果として

 「社員のヤル気が下がる」
 「優秀な社員が辞める」

 

が、起こり

 

  • A)B)人財が減る
  • C)D)人財が増える


であれば、これはもう「会社の弱体化」となってしまうわけです。

 

【働き方改革の不正解2】「働き方改革」をうわべで実行すると、会社が弱体化する

 

このような「働き方改革の不正解」は、正さなければならない。

 

どうやったら

  1. 社員のヤル気が上がる
  2. 優秀な社員が入社する

 

が、起こり

 

  • A)B)人財が増え
  • C)D)人財が減る


となるような、働き方改革の正解。に導けるのか?


まず私は、重要なキーワードに、

 

 「自主的な選択」

 

を上げます。


【働き方改革の正解3】:働き方改革は「優秀な社員が働き方を自主的に選択できる」ものである


例えばA)人財【高度プロ人財型社員】において、自分が残業するかしないか、自分の裁量に任せて欲しい。という願望を持っているはずです。

 

それと同時に、例えば「このままワーカーホリックのように働き続けるのではなく、ある程度の年齢になったら、仕事量を減らし、後進の育成をしたい」などという願望もあるかも知れません。

 

また例えば、家族に何かあって、自分がその介護にあたる必要があるなど、様々なライフイベントに伴って、「様々な働き方が選択できる」ということこそが、A)人財が会社に強いエンゲージメントを感じる「働き方が出来る会社」であるのだと思います。

 

つまり、逆に言えば

 

B)人財(【ワークライフバランス型社員】)は今、世の中に沢山いて、その能力が上手くビジネスシーンに活かされていない可能性がある、と、いう事も出来ますね。

 

優れた社員だった人が、例えば出産などを契機に現場から離れ、その後就業復帰する場合、あまりキャリア時代に培ったノウハウの活かせないワークに就かざるを得ない、などという局面は、現実にけっこうあるわけです。

 

このA)人財とB)人財 は、正しい「働き方改革」が実現出来た世界では、同一の存在だという事が出来ます。


その「正しい働き方改革が実現出来た世界」とは、「さまざまな人生の状況において、そのときの「働き方」を、自主的に選択し、それが周りに尊重されている」状況と言う事が出来ます。


これが理想的な、「働き方改革の正解」であるべき、です。

 

これらの「働き方の選択」は、例えば働く時間であったり、働く場所(在宅勤務など)であったり、就業契約(副業の自由化など)であったりするわけですね。

 

「“優秀な社員”が、さまざまな“働き方”を選択でき、それが“周りに尊重”される」

 

という事です。

 

ここまで、合意していただけますでしょうか。


合意していただけた・・・として

 

この「働き方改革の正解」文章には、2つの重要なキーワードがあります。それは

 

  • キーワード1)「優秀な社員」
  • キーワード2)「周りの尊重」


です。


ここで、日本の会社の多くは、「社員」が「多様な働き方(言うなれば生き方)」を
することに、「寛容ではなかった」と言い切れると思うんですよね。

 

そこはC)人財やD)人財が生き易い、「命令型の労働市場」でしかなくて、それでは
少子高齢化を前提とした「成長」など出来るわけがないんです。

 

そこに着眼しなければいけない。「着眼しろ」と「働き方改革」は言っている。

 

「働き方改革」とは「優秀な人財」が「命令型の労働市場」の中でモチベーションが下がっている現状の打破である。

 

と、少なくとも「会社の強化」という観点からは、観なければならないハズです。

 

つまりそこに、本質的に必要なものは

 

長時間労働の禁止」と言うよりは、「様々な働き方に対する、尊重」でなければならない。

 

日本は社員が「過労死」するほどに、「労働命令や義務に対して(例えば自分の健康を守るために)拒否することが尊重されず、寛容されない」という「働かされ方」に支配されいているわけです。


【働き方改革の正解4】:働き方改革は「社畜的働かされ方」という「支配」からの卒業

 

  • 何時間だって、働きたければ働けばいい
  • 休日だって、休みたくなければ休まなくっていい
  • 「支配的空気」がなく、尊重されているなかで、「働き方」を選ぶ

 

これが、少子高齢化を前提とした「成長」であるという「流れ」と捉えるべきである・・・・


・・・・ん?

 

さあ、この辺りで、そろそろ


「齋藤、ちょっと待て!」


「なにを理想論を言っているんだ!おまえは!」


と、一部からそういう声が、聞こえてくるような気がします。


齋藤、おまえさっき、自分で「D)人財:【指示待ち型社員】」の説明で、

 

多くの人間の本質において、人が「言われたことはやります。言われないことはやりません。社員になる」のは、

 

  むしろ自然な、「平凡」な人間の姿、だ


と、言っただろ?


そんなねぇ・・・「働き方改革は優秀な社員の為の改革だ」なんて言うけれど、おまえのソノリテ社はそうかも知れないけれど、

 

多くの会社の人事部は、みんな苦労しているんだよ。

 


そう、たしかに

 

我々は平凡な世界に生きる平凡な人間である。


そもそも多くの社会人にとって、「会社」とは何であるか?なぜ就職するのか?・・・


それは安定的に生きるためであって、「自己実現」などを求めている人は、現実には
少ないのではないでしょうか?

 

そんなねぇ、優秀な人は、最初から安定的なサラリーマンなんかに、なんねーんだよ。

 

あるいは若かりし頃、自分は可能性に満ちた未来のある存在である・・・と、信じられていたかも・・・

 

でももうそんな年齢ではない。自分を「優秀な人財」に鼓舞するような夢は、もう見れない・・・

 

だからねぇ、自己啓発セミナーみたいな、やりがい搾取詐欺師みたいな、「夢、自己実現、未来」みたいな歯の浮くようなセリフじゃ、みんな働いていないんだよ。


また、仕事とは

 

仕事とは、「やりたいこと」をやっているわけではない。

 

逆に、「やりたくないことを、我慢して、辛抱して、やる」事こそ、人の為に成り、世の為になる。それが人助け。仕事の本質。

 

多くは、「優秀な人財が優秀に働く」のが仕事・・・ではなく、「誰かの為に、我慢して働く」のが仕事。

 

その「仕事の本質」あるいは「社会の本質」言うなれば「大人の世界」を、誰かが教えてあげるんだよ。

 

 「社会は甘くない。仕事は甘くない。」のだ


と、声が聞こえます。

 

つまりですね、全員 “凡人”なわけです。


凡人であるC)人財が、凡人であるD)人財を、鍛えて、「社会に適合」させてきた。


それが、「学生気分を正し、社会に貢献できる人を、育てるという事」


なのだ!


・・・・


・・・・・だ と


思うなら、やはりアナタは、C)人財だと、言わざるを得ない。

 

アナタの知る限り、「仕事」とは「出来ればやりたくないが、やらなければならない義務」であり、

 

アナタの知る限り、「働く」とは「誰かの命令に従う事」であり、

 

アナタの知る限り、「社会に適合する」とは、「個人的なワガママを言わなくなる事」である

 

ならば、


アナタがそうした、C)人財的な思考を植え付けられて、「自己改革」出来ないのだとするなら、やはりそこには、思考停止が存在している。

 

そうなんです。ここで先の「ニッポン一億総活躍プラン」から紐解き直しましょう

 

日本が目指す「究極の成長戦略」とは、「少子高齢化に真正面から立ち向かう」「成長と分配の好循環メカニズム」を創り上げることであり、

 

その具体的打ち手とは何か?

 

それは

 

「あらゆる場で(家庭で、職場で、地域で)」「誰もが(女性、男性、お年寄り、若者、一度失敗を経験した人、障害や難病のある人)」活躍できる場を提示し、

 

「労働参加率向上」と「多様性によるイノベーション」を起す事、なんですよね。


私たちが、この「成長」をするために、「働き方改革」で「会社の強化、社員の強化」をするために行うべきことは・・・なにか


その打ち手とは、先の人財4分類ごとに、こんな感じになるはず・・・です。


A)【高度プロ人財型社員】の為の、働き方改革

  • パフォーマンスが評価される評価軸があり、ヤリガイを実感できる。(「働きたくない人向け働き方改革」で「仕事人間は評価されない時代になった」といった誤認を防ぐ)
  • ライフイベント対応や環境変化に対し、多様な働き方の選択が出来るようになったという「働き方改革の正解」を正しく啓蒙され、表層化していなかった不安をケア出来ている。
  • 徹底的な健康への配慮

B)【ワークライフバランス型社員】の為の、働き方改革

  • 多様な働き方の選択を率先して充実している姿が社内外にPRされ、本人は「肯定感」が得られ、社外から「優秀なB人財」が流入る状況を作る
  • 社内の別人財から(社外活動に対する)完全な承認を感じる

C)【企業戦士型社員】の為の、働き方改革

  • 保有する既得権益(役職など)を取り上げ、時代の変化に対する「ただしい期待」を正確に啓蒙する
  • 個人や過去の行動を否定されているのではなく、変化を期待しているという啓蒙と対話

D)【指示待ち型社員】の為の、働き方改革

  • 「自律的に行動し会社を変えられる」体験の提示。体験の提示により変化を期待する(例:C)人財からのパワハラに対して社内コミュニティを作りケアしたり対処することを経営が承認するなど)
  • 適職へのジョブチェンジ斡旋(社内、社外)

 

もちろん、会社ごとに、A)B)C)D)人財それぞれに対する打ち手は、違ってくるハズなんですが

 

何しろ大事にしなければいけないことは、

 

最低でも会社には、A)B)C)D)の4種類の人財がいて、それぞれの人財に対して、別々の啓蒙をしていく必要があるんですよ・・・という事です。


その「種類別の啓蒙」にしくじると、最悪の場合、「会社の弱体化」が起きるという
事ですね。

 

わかっていただけましたでしょうか?

 

では、この4人財に個別にどのような打ち手をとるべきか?


この、「働き方改革の打ち手」というお話について、まだまだ書きたい事は、沢山あるのですが・・・

 

もうだいぶ長くなりましたのと、ここからは個別の会社の事情という話が絡んでまいりますので、

 

もう、止めます。


で、話を変えます。(すみません。長くて)

 

ここで、最終的に、私が一番大切だと思っている事に、話を変えて書いておきたいと思います。


それは、このブログの前半に、

 

“私がなぜこの「働き方改革の正解」というテーマでブログを書きたくなったかと言うと”と書きだした、一点目の

 

  • 昨今の「働き方改革に対する不正解」が気に食わない

 

という点のお話、です。

 

私は何が、「気に食わない」 か、というお話なんですけれども・・・


今までずっと、「働き方改革」というお話を、していますよね?

 

でも、私は経営者だから、つい「働かせ方改革」というお話になってしまう。まあ、そこは、許してください。

 

でも、昨今の「働き方改革」の議論は、もうまるで、「休み方改革」のようではありませんか?


これ、なんででしょう?

 

どうして、「働き方改革」が、「休み方改革」になってしまうのか?

 

どうして、

 

「誰もが(女性、男性、お年寄り、若者、一度失敗を経験した人、障害や難病のある人)活躍できる」世界を作る、労働環境を改善する・・・

 

という話にならずに、

 

どうして、

 

サービス残業、過労死、パワハラブラック企業を糾弾し、ぶら下がっていれば給料をくれる会社をホワイトと呼ぶ・・・」

 

みたいな、違うモードのお話になってしまうのか?

 

そこが、「気に食わない」の、です。


私はそこに、先の「D)人財」の存在、と、「大衆」を、感じざるを得ない。


改めまして、D)人財、ですが

 

D)人財において「就職」は、「せざるを得ないもの」であり、「職業」は、「出来るだけ都合よく、収入を得るためのもの」であり・・・


その存在が忘れている(あるいは恐れている)「仕事:会社:労働」に関する、以下の視点が、本当に「気に食わない」

 
D)人財が忘れているのではないかと思う事

  • 仕事とは、お客様にいじめられ、ライバルにいじめられ、それらに知恵で勝った(強き)者が、生き残る。
  • 大人になるということは、与えられている存在から、与える存在になるという事である。
  • 他責的に生きるよりも自責的に生きるほうが高潔である。


このようなこと。

 

このようなレベルのお話。

 

どうも「このようなレベルのお話」が、あまり重要視されず、

 

どうもこの、【D)人財にとって】都合のいい「社会」みたいなものに、成り下がる。

 

そんな「休み方改革」が、行われがちな気がして、その辺りがどうにも、「気に食わない」


もちろんですね、私は「サービス残業」「過労死」「パワハラ、圧迫」を、肯定しているわけではない。

 

「競争の激化」の中で「落ちこぼれて行った人財」に対し、人権を蹂躙するような社会を、作りたいわけではない。


ただ、こう「生きること」とは「死なないこと」とは、違う。

 

つまり

 

「どう生きるか?」という問いは 「どう合理的に生命を維持するか?」という問いではない。

 

もうちょっとこう、「人生において何を成すか」というような問いに対し、興味が薄い。というのか・・・

 

全員がこう・・・凡人化し・・・


・・・

 

止めます。オッサンのグチっぽいので

 

ただこの、D)人財の「凡庸なモード(死にたくない。楽したい。怒られたくない。出来れば炬燵で寝ていたい)」を中心に、「働き方改革」を語りだせば、それが「ブラック企業糾弾のエモーション」の延長線上になってしまう。

 

なってしまう、と

 

というか、「なっている」の、ですが。

 

・・・なっているというのは、だれかが、「している」のです。

 

つまり「政治主導」となると、やはりそこには「衆愚政治的対応」というものが発生しやすく

 

結果として、「大衆的発想」に、いっけん寄り添っているような動きのなかで、「狙っている事を、狙いやすくする」というのが政治家であるなら、そのような行動が、とられてしまう。

 

だから・・・

 

「働き方改革」これは、「改革」のハズなんですよね?

 

それが、「改革」に、なっていない。なぜなら「衆愚的」に扱われているから。


この、日本人の「衆愚的」なものを前提とした、「大衆的」「迎合的」「幼稚」「事なかれ主義」みたいなものが、

 

「自立的で国際的で高潔な」ものに成らないと、本当にグローバリズム少子化
に対抗できないよ、「ニッポン一億総活躍プラン」が現実化しないよ・・・という事

 

この「改革」は、衆愚を高潔に、つまりC)人財やD)人財は、もっと本質的にA)人財やB)人財を目指さないと、

 

「大衆的」で「凡庸」な「ゆでがえる」が、「大企業志向」のようなものに、呑みこまれて・・・ああ、つまらない。つまらないもので終わる・・・


・・・そこがどうやら私は「気に食わない」

 

・・・

 

気に食わなくて・・・本当に悶々としていたのですが、

 

福沢諭吉「学問のススメ」

 

私は今、「学問のススメ」にシンパシーを感じています。

 

幕末の日本の無知に対し、国家の独立の為、国民は道理を知る必要がある。一人ひとりの国民は才知と徳行を磨くべきである。

 

と、言うような


一人一人の社員が、「才知と徳行」を持つものであるならば、自然と会社は強くなるでしょう。

 

「働き方」は「才知と徳行」を磨いた、A)人財、B)人財の為のものとなるでしょう。


「島国ガラパゴス」で安穏と生き、経済成長の庇護に漬かりすぎた茹でガエルが、凡庸に

 C)人財 vs D)人財

 (ブラック vs ホワイト)

 

な議論を、繰り返していても

 

私は、どうにも、「気に食わない」


だから、思うんです。

(はい、ようやっと、結論です)


 「働き方改革の正解」は、「学問のススメ」に、書いてある