多様性組織のマユツバ感と多様性のタテとヨコ

ずーっと悩んでいるんですが、ナントナクわかったことというのか、ナントナクしか
わからないことと言うのか

 

まあ今日は、そういう話を書きたいんですが

 

私は「多様性組織」を作りたいんですね

 

その理由は「多様性組織」が、当社の経営理念である「社員の成長」に結び付くと思っているからなんですけれども

 

ソノリテの経営理念
http://sonorite.co.jp/philosophy/

 

うちの理念はまあ、「社員の成長」です。


それでまあ、「多様性組織」です。と。

 

多様性組織、あるいはダイバーシティ経営と言えばいいかな。

 

ダイバーシティ経営は、まあ要するに幅広い価値観のある人員がその価値観を殺すことなく統合するように構成した組織が作れたら、イノベーション創造なんかを協創しやすく出来るんじゃねーか

 

・・・って事なんだろうけれども

 

まあ良いんだけど、うちの会社の理念は価値創造や利益追求よりも「社員の成長」が
先んじる、わけで。理念的に。

 

いやもちろん価値創造やイノベーション創発も大事なんだけれども、うちではそれは
社員が成長する為の手段・・・・みたいなもんで、

 

いうたら体を鍛える為に野球をするのか、野球に勝つために体を鍛えるのかって話に似てるんだけれども、

 

・・・まあその話はいいか

 

多様性です。ダイバーシティです。


みんな個性ありますよね?

 

個性大事にしようぜって話ですわ。簡単な話ですわ。

 

顧客のニーズだってどんどん多様化しているわけですし、時代の変化もめまぐるしい。

 

だから硬直化した組織よりも、いろんな人間が色んな事を好きにガチャガチャやってて、そういうのに対して超柔軟性を持ってる組織のほうが 強いんじゃね?

 

強いんじゃね?

 

って話だと思う。たぶん。

 

でもなんかこう、なんか「マユツバ感」あるよね・・・

 

ほんとかよ? と

 

本当に多様な組織は、強いのかよ!? と

 

優秀な会社には「コア・コンピタンス」ってのが有りますよね?

 

「強み」ってヤツですね。

 

優秀な会社には「他社が真似できない圧倒的な何か(コア・コンピタンツ)」ってのがあって・・・

 

コア・コンピタンツ!企業の強み!そういうのが、あれば良いよね~

 

って、

 

まあ、これは誰でもわかる話です。


だから、会社は「コア・コンピタンス」を作りたくって、

 

作りたいとなると、なんていうかこう、

 

「うちの会社はこういう会社になって、こういう強みをつくって、この強みを生かしたり育てたりしようぜぇ」

 

って、言いたいですよ。

 

なんかそれがそのうち、

 

「当社はこういう方針で、このビジネスに一丸となって取り組んで」

 

とか

 

「当社社員はこの目標に向かって一枚岩となって突き進み」

 

とか

 

そのうち

 

「当社が必要とする人材は会社の定める目標にむかい邁進できる人がなんちゃらら」

 

とか、それで

 

「当社の必要とする人材はこういう人です」


なんてね

 

なんかこう、コア・コンピタンスの話をしているうちに、多様性ではなくて同質性組織の話になっちゃう・・・

 


なんでなんやろう?

 


コア・コンピタンスの実現のためには個々に共通のコア・コンピテンシーを必要と
するから・・・なのかしらん・・・

 

それともニーズの多様化や変化の高速化は、もはや「コア・コンピタンス」の効能に期待できないレベルに達してしまったのか・・・


うーん


うーんどちらもシックリこない。・・・です

 


もともと、シックリ来てないんですよね私。


なんかね


なんかこう、「流行」とでも言うんですかね・・・

 

「多様性」とか「ダイバーシティ」とか言っとけば、かっこいいじゃないですか?

 

うちの組織は多様性取り入れてやってますねんで。えらいやろ。みたいな。かっこいいでしょ?みたいな

 

そんなん多いじゃないですか

 

「うちの会社は女性活躍が進んでいます女性の採用を積極的にやって女性の役職者比率が増えていて育休推進も闊達で手当もあるしなんちゃらかんちゃら」

 

とか・・・う~ん


おっさんぽい


なんかこう、女性・女性 言ってる会社っておっさんぽいな・・・みたいな


ソノリテ(私の会社)の共同経営者は女性なんですが、女性扱いすると怒りますね。

 

「女扱いすんな!」ってね。カッコイイですよね。

 

ほんと、カッコイイです。

 

私はビジネスパーソンとして彼女の能力を尊敬しています。

 


まあ、世の中本当に「ダイバーシティ経営」が「良いのか?」という点については

 

いつまでたってもナントナクしか「良いのか?」みたいな感じにしか・・・

 

シックリは、来ていない。私は。


でもですねー

 

シックリきている事は一つだけあるんです


それはですね。

 

「多様性組織」は、間違いなく、「社員の成長」には、なるってこと


ダイバーシティ経営が、会社のコンピタンスを強化し、企業の柔軟性が世の中にイノベーション創発する・・・ってのは、どうもまだシックリこない

 

でも、多様性組織が、社員の成長を促すってのは、私はすごくシックリ来ている


「野球に勝つために身体を鍛えるのか」「身体を鍛えるために野球をするのか」

 

でいうと・・・・多様性組織っていう身体の鍛え方が、野球に勝つことに繋がるのかって確証は持てないんだけれども、間違いなく身体を鍛えることには繋がってるよ!

 

って感じかな

 

そうなると、「野球」って例えが、たぶんアレなんですよ

 

「野球」ってのはルールがしっかりしているじゃないですか?

 

ルールがしっかりとあって、勝ち負けもはっきりする。

 

でも多様性組織が得意としているのは、ルールが曖昧だったり、変化したり、そういう、なんかよくわからないスポーツだったりするんじゃないかって思うわけですよね。

 

それが現代社会(ルールが曖昧だったり変化したりするスポーツ)だと・・・

 

そう考えると私の「しっくりきていない」理由も見えてくる。

 

つまり現代社会を曖昧なものだと定義すれば、「勝ち負け」も曖昧なものになり、「勝ち負けが曖昧だからしっくり来る尺度を持ちえない」となり・・・

 

・・・

 

・・・ほんとか?

 

ほんとにそうか?

 

それこそ「マユツバ」じゃない?


・・・でもまあ、それはいいや

 

だって「社員の成長」には成っている。

 

なっている

 

・・・なっている・・・か?


多様性組織は本当に「社員の成長」になっているんでしょうか?

 


う~ん。私の話をしますと

 

私は純国産の、いわゆる「大企業グループ」を、2社ほど経験しています。そこで
中間管理職をやっていた経験が長いです。

 

純国産の大企業は、これはもう、「ダイバーシティ経営」とは無縁の組織です。(少なくとも、私が所属していた頃までは)

 

純国産の大企業には 「(企業名)マンのあるべき姿」の定義が有り、滅私奉公を慮る封建主義があり、一糸乱れぬ「一枚板感」を、求められます。

 

「上意」「訓示」に面従腹背し忖度する強固な社風があり、

 

それがプラスに転じることで、高品質製品を低単価で産み出すコアコンピタンス
繋がっていたりします。

 

少なくとも、ノスタルジーかも知れませんが、その感じって、「プロジェクトX」を観ればわかると思いますよ。

 

あ、私、「プロジェクトX」観た事ないんですが・・・

 


でもですね、実態は(他社批判に繋がるとイケませんが)、少なくとも私の感覚では、純国産の大企業が創り上げた滅私奉公的封建組織において、

 

個の成長は、無い。

 

実際にそこに勤める「おじさんたち」が、いかに幼稚で、いかに世間知らずな事か


そりゃそうです「滅私」ですもん、「個の成長」など、あるわけない

 

「命令」に対し「思考停止して任務を遂行する」のが、グッドソルジャーなわけですもの

 

頭使わない。だから成長しない。


それに対し、新しい組織の在り方として、「多様性組織」を見るに

 

むしろこの「滅私」に対するアンチテーゼを感じるわけですよね。アンチテーゼ
しか無い。と言っても良い。

 

 ・年功序列
 ・封建主義的ヒエラルキ
 ・一定の尺度、一定の正解

 

みたいな「すがれるもの」を排除し、

 

多様な物を多様に評価し、

 

自らの尺度のみを武器としながら、ビジネスにおいてはマーケットインをひたすら追い求めて行く。

 

そのような多様性組織においては、毎日が新たな尺度との戦い。

 

落ち着かない。

 

あるいは組織

 

多様性でなければ、一定の尺度をもって簡単に「チーム」を組めた。

 

同じ「正解」を共有することを義務付けられたメンバーだから、チームワークを「強要」出来た

 

「シゴトなんだからちゃんとやれよ」
「上司の命令なんだから聞けよ」
「会社なんだからちゃんとしろよ」

 

というような、「哲学なき慣習」だけで、人は「チームワーク」を強要されたし、チームワーク出来た。

 

多様性組織では、この「チームを組みたい」と考える人において、

 

あらゆる価値観に対し本質的意味を見出せなければ、チームビルディングが出来ない

 

よって「マネジメント」や「リーダシップ」について本当に、日本人が過去「阿吽の呼吸」や「根性論」みたいな、まるで美しいもののように説明してきた思考停止から

 

大きく成長しなければならなくなる

 

という個の成長

 

纏めると、「シゴト」というテーマにおいて

 

・自らの多様性(個性)を、多様化しているマーケットに対し、いかに価値のあるものにしていくか。という事

・自らのミッションを、いかに多様な価値観をもつメンバーを統合し、統合するためには自分の価値観が成長していなければならない。という事

 

の、2点について、たぶん、「社員は成長する」

 

んですよね。 ・・・たぶんね。


と、なると「成長」をいうワードが、気になってくる。


「成長」っていうものを、どんな軸で考えているんですかね~ って話になりますね。

 

軸 です。軸の話。

 

例えば「絵が上手くなる」っていう「成長」の話をしましょうか。


Aさんが、「以前よりも絵が上手くなった」ってのは、どうやって計ります?

 

「観ればわかる」って?

 

ピカソが15歳の時に描いた絵「科学と慈愛」と、例えば「ゲルニカ」。

 

みなさん「科学と慈愛」と「ゲルニカ」、どっちが上手いと思います?

 

つまりそれはとても難しい話。


だから、成長の尺度は、

 

例えば「以前よりも絵が上手くなった」という成長を、「以前よりも描いた絵に高価がつくようになる」と定義すれば、成長の尺度が生まれる。

 

ビジネスとはそういうモノ、だと私は思うのですね。

 

「状態、ステージ、価値、速度、等が上がっていく」

 

そういうモノを「成長」と、しましょう。

 

しましょうよ。いったん。

 

だとすれば、

 

多様性組織の産み出す「成長」の一つは、

 

多様性組織内の「多様度」が個人(社員)に影響を与える「方向性」が、ビジネスライクに見て、成長を感じられるもの

 

で、あるような・・・

 

あれば・・・

 

あるはずで・・・

 

・・・なんとなくそんな気がするんです。

 

だから結局、ビジネス・・・


でもねーホントですかね?


例えば「値段が上がる」「だから成長だ」ってのは まあ、私は本質的には違うと思うんですよ。なんか、なんとなく。

 

でも、その経験の中には良質な物が沢山あるだろうし、値段があがると生活が豊かになるから、

 

その豊かな生活によって得られる何かが、自分にとって良好な「変化」と感じられるでしょうから、

 

自分が自分に快感情をもたらす成功体験と受け取りやすい、はずです。

 

儲かれば、嬉しい。単純な話。

 

嬉しければ、「ああ、おれって成長したぜ」みたいな認識を、持ちやすい。

 

 

それよりどっちかというと、本当に儲かるの?みたいな話がポイントな気がします。


本当に、多様性組織内の「多様度」が個人(社員)に影響を与える「方向性」が、ビジネスライクに見て、

 

つまり「儲かる」のか?


純化すれば、「多様度は、儲かる のか?」


儲かる源泉がマーケットだとするなら、

 

 「マーケットは 多様度を 求めている のか?」


例えば様々な「差別、偏見、がなく、働き方を自由にチョイスでき、自分らしく生きられる」組織が

 

そういう組織が産み出すモノが

 

本当にこれから「つよい」のか?

 

どうも様々な肯定的データーを見ても・・・なんというか

 

キレイ事というか、数字に「マユツバ感」を感じる、し

 

どうなんだろ?


どうなんだと、思います?

 

ぜんぜん、わからんのですが・・・


私は最近そこに、どうも「多様性のタテとヨコ」みたいなものを、感じるんですよね~

 

私の言う、「多様性のヨコ」は、ですね。

 

性別とか、性自認とか、国籍とか、肌の色とか、根本的な性格・・・優しいとか、強いとか、甘いのが好きとか、嫌いとか、夢見がちとか、現実主義とかロジカルとか、エモーショナルとか、なんちゃら、かんちゃら

 

「多様性のヨコ」は、いわゆる「個性」、かな。

 

それと「多様性のタテ」は、ですね。差別主義か否か、とか、大人か子供か、とか、傲慢かどうか、とか、ズルいかどうか、とか・・・・アタマがイイ か どうか(つまりバカか)

 

あー言ってしまった。もういいや、言おう。


          バカかどうか


これが、多様性のタテだなぁと


最近これ、ほんと 思うんですよね


もういいや、言おう


バカが多い


もしかしたら バカが 増えているような気がする


バカが増える理由はフィルターバブル等、色々ありますが、


人格が確立しておらず、流行に弱く、撃たれ弱い

 

逃げ場を欲しがり、馴れ合いを欲しがり、変化を恐れ肯定を欲しがる


この弱さ。バカ的弱さ。


多様性の「尊重」は、ある側面において、そういう温い(ぬるい)世界を作っていく。

 

個がフィルターバブルの中で自閉症になり、現実逃避し易く、社会の成熟がセイフティーネットにぶら下げさせるから



それでも社会は、「封建的に」なんとか無理やりに人々を生産の場に連れ出し、品質の高いものを作らせ、えた。

 

がしかし、マーケット・・・と言うか国家かな、が先に多様性の、


多様性のタテの、下の方に


デビューしてしまった。


デビューしてしまったからには、・・・もし国民が、バカばっかりだったら、たぶん多くの多様性国家のように、どこかで自国ファースト的なモーションになっていくか、ぶら下がり国民によってデフォルトしてしまうであろう・・・

 

・・・もし国民が、バカばっかりだったら です。

 

 

バカばっかりなら、封建制のほうが、きっと、いいよ。

 

色々な不幸があるかもしれないけれど、多様性にだって、いろいろな不幸があるもの・・・

 

封建性は、多様性のヨコ方向を、許さないんですよね。でも、封建性なら、多様性のタテ方向の、最下位にいたとしても、問題がおきない。


だから、

 

もし我々が、本当に「多様性のヨコ方向」の自由を、求めるなら

 

多様性のタテ方向を、はやく登らないと

 

つまり多様性だからといって、バカは許しちゃ、ダメなんだよ

 

「自分はバカだけど、許してくれる」そんな多様性組織を求めちゃ ダメ

 

「え?そんなわけないでしょ。バカだって個性なんだから、バカを認めないってのは、多様性に反するんじゃ??」

 

みたいなことを、本当に信じているのなら・・・

 

ああ、ダメだな

 

わたしね、マッチョイムズなんですよね。ニーチェ好きだしね。だからねぇどんどんエスカレートしちゃうんで・・・

 

愚痴っぽくなったんで、そろそろ止めます。

 


多様性組織のマユツバ感と多様性のタテとヨコについて、ナントナク最近、わかったことというのか、ナントナクしかわからないことと言うのか

 

そんな話題でした。

 

多様性のタテ軸は、恐らく決まったメジャーがありますね

 

民度」みたいなのが、きっと一番近いです。

 

だれかこの「多様性のタテ軸」、シックリ来ていますかね?

 

私がシックリ来るまでは、もう少し時間がかかりそうですわ