■マッチョになりたいとき
アナタは、マッチョになりたいと思って、ボディビルジムを選ぶ時、どういうジムを選びますか?
まず、【第一段階】ネットなどで
- アクセスが良い、費用が手ごろ みたいな基礎的なもの
- 評判が良い、悪いうわさが無い など社会認知的なもの
次に、【第二段階】体験入会などをして
- ロッカールーム、トイレが綺麗 みたいな基礎的なもの
- 事務員の対応が良い悪い などこれも基礎的なもの
を、確認
そして、さらに、いわば本丸【第三段階】
- 良いトレーニング機器があるか?
- 良いトレーナーがいるか?
などを確認
さらに言えば、この後、付加価値的な物を確認していくわけですが・・・
もしアナタが、本当に「マッチョになりたい」と思うなら、ボディビルジムの本体価値である【第三段階】に強く着目するべきだと思うんですよね。普通。
ところが現代人は、付加価値である【第一段階】や【第二段階】の課題を先んじてしまう傾向があります。
本当は、本当にマッチョになりたいなら、【第一段階】や【第二段階】の問題など、【第三段階】に比べれば微々たる課題なのにも関わらず、
場合によっては、というか多くの場面で、【第一段階】や【第二段階】という付加価値的な物だけで問題を判断し、時として【第三段階】を見過ごしてしまう。
なぜか?
結論を言うと現代人、というか消費者は、かなり甘やかされているからだと、私は思います。
■消費者は甘やかされている
今さらですが、物が溢れている時代です。マーケットは消費者に、自社の商品を買ってもらうために様々な工夫を凝らしています。
消費者はそれらの、工夫を凝らして擦り寄ってくる商品のなかから、自分に都合の良い商品を選ぶことで、消費をします。
つまりメーカーは、自分の会社の商品を選んでもらうために消費者を甘やかします。
そしてこの甘やかしに現代人は慣れています。
従って、例えで出したような「マッチョになりたいから、ボディビルジムを選ぶ」というような状況でも、
アクセスが良く、費用も手ごろ、ネット上の評判も良く、ロッカー、トイレが綺麗、事務員の対応も良い所を、選びます。
そして一番大事だと思われる、「トレーニング機器やトレーナーの問題については」トレーニング機器は少し物足りないし、この人が私がマッチョになるうえで良いトレーナーなのかどうかはわからないんだけど、親切で優しいし、まあいいか~
と、なります。
先、言っときますが、別に私は消費者が甘える事を否定したいんじゃないです。
イインデスそれで。自分の人生なんだから。
自分の人生なんだから、甘やかされたいのは当然なんです。
なんといってもあなたは消費者なんだから。
「お客様は神様です」なんて言う気、私はありませんが、あなたには甘やかされる理由があり、現に甘やかされている。
だから、イインデス。
■3つの自覚
ところでそんなアナタについて、私は、アナタに以下の3つの自覚があるかが気になります。
- アナタは、甘やかされている、甘えん坊である
- アナタは、甘やかされいている事によって、マッチョにはなれない
- アナタは、自分が甘やかされていると、気付かないようにされている
私も、自分は甘えん坊だと思っています。
私はとても根性が無くて、逃げ場があれば逃げる人間です。
すぐウソもつくし、自分を正当化して誤魔化して、プライドは維持しつつサボりたい。
私はそういう甘えん坊です。だから私は自分を甘やかしてくれる人が大好きです。
ですが、私には一応、上記の3つの自覚があります。
ですので私は、私は私のそのままではマッチョにはなれない。という自覚があります。また、私は「私が甘やかされいていることを」自分ではなかなか気が付けない社会に生きているということも、自覚があります。
自覚があるので、甘えん坊ですが、なんとかなりそうです。
マッチョになりたいと思えば、自分の甘えたい気持ちとどう折り合いをつけながら、マッチョになればいいのか、考える事が出来ます。また、世の中の「甘やかし攻撃」に対処する事だって、考える事が出来ます。
自分の「甘えたい気持ち」に対処すると書きましたが、これは「気合い」「根性」あるいは「しごき」の話とは、根本的に違います。
「気合い」「根性」「しごき」は、「甘え」に対し強制をすることです。問答無用です。ハラスメントに近しいすれすれセーフ、あるいはアウト な話です。
「自分が甘えん坊で、折り合いを付けたり、社会の甘やかしに対処しながら、ゴールにたどり着く」というのは、主体的でプロアクティブな自分の選択です。
「XXしなきゃならない」ってのは気合、根性、しごき です。
「XXしたほうがいい」と考えるのは主体的選択です。
もしマッチョになりたいのであれば「自分にとって良いトレーニング機器があったり、トレーナーが良いジムを選んだほうがいい。そのためには場所が多少遠かったり、会費が高かったり、不便や不快を感じるような所であっても、そこは我慢したほうがいい」
と言う事ですね。
この話題も掘り下げると長くなるので、この辺で止めますが
今日お話をしたいのは、
甘えん坊な私が、なぜ「3つの自覚」を持てているか。という話をしたいのです。
で、それは、少なくとも私の場合「働いているから」です。
■働く事で、甘えの自覚を持つことになる
私は「働く」ことで「甘えの自覚を持つ」事が出来るようになりました。
「働く」だと、ちょっとニュアンスが違うかな・・・
「働く」と言うより、どちらかと言えば
- 会社を立ち上げ、経営する
- ビジネスを立案し、執行する
- プロジェクトのマネジメントを完遂する
- 製品を考え、作り、売る
- 組織を作り、責任者になる
というような事をして、「甘えの自覚を持つ」事が出来ました。
これらの仕事は、
甘えがあると、なかなか難しい。
甘えたことを言いながら出来るというモノでもない。
甘えがあるとどこかにホコロビが生じ、成功しない。
だから、経営、執行、マネジメント、製品オーナー、組織責任者、そのどれをとっても、自分の甘えを見つめなおす、良い機会となります。
なぜでしょう
私は2つの理由があると考えています。
■1つ目の理由「ビジネスは結果だから」
1つめの理由は、ビジネスは結果を求められるから。
結果を求められるというのは、「マッチョになる」という事と同じなんですよね。
甘えの誘惑に負けず、結果を出す為にするべきことは何かを考える。そうすると自ずと自分がいかに甘えた思考方法をしているかを知ります。
例えば、甘えん坊である私は、怒られたくありません。また、嫌われたくありません。
ですのでついつい、ビジネスの局面でも「怒られない」「嫌われない」という選択肢を考えがちです。
ですがこれ、自分の思考方法がついつい「怒られない」「嫌われない」という選択肢に向かって自動思考するという事を理解していれば、
「ビジネスで成功する為に自分が選ぶべき選択肢は何か」
が、冷静に、わかります。
でも、世の中も、私を甘やかそうとします。
私のチームメンバーや、私の家族友人知人、あるいはメディアなどもこぞって、私を甘やかしにきます。
これが、問題です。
■甘えは伝染する
例えば私が「怒られない」という選択肢について、チームメンバーに相談したとします。
チームメンバーは、もし自分が同じ状況に追い込まれたら、自分も甘やかされたいので、「怒られない選択肢」を選ぶことを、すすめる可能性があります。
つまり同じチームの私が「怒られない選択肢をとるべきか?」と相談してきたら、「それでいいよ」と答えるわけです。なぜなら自分が同じ状況になった時にも、同じように甘やかしてほしいから。
このように甘えは、簡単に伝染します。
甘えが伝染し過度な許し合いが存在する組織は、利己的で排他的となる特徴があります。
ちなみに、間違った「働き方改革」は甘えの伝播を後押しする可能性があります。注意する必要があります。
■2つ目の理由「ビジネスとはサービスだから」
働く事で甘えを自覚できるもう一つの理由は、働く事の基本は消費者に対しサービスを提供することだからです。
言うなれば「甘える側」ではなく「甘やかす側」になるということです。
つまり「サービスとは消費者を甘やかす側」という基本を前提とすれば、仕事の達人になるということは、甘やかしの達人になると言う事でもあります。
人の甘えを研究し、自らが消費者をどう甘やかそうかを考えたり、消費者が甘やかされている事を気付かないように策を講じたりするうえで、自分自身の心の中の甘えにも詳しくなっていきます。
■人の甘えを(過剰に)嫌いになる
働く事が「甘やかす側になること」だと気が付くと、同僚などの甘えが嫌になります。
同じサービスをお客様に提供する仲間として、仲間に甘えがあればサービス提供者として失格だからです。
引っ越し屋さんは重い荷物を運んでくれます。あなたは優秀な引っ越し屋さんで、お客様の代わりに重い荷物を持つことを厭わない。が、同僚が「重たいのは持ちたくない」と言い出せば、それはサービスの根幹を揺るがす問題になります。
だから同僚の甘えを、嫌いになります。「甘ったれてんじゃねぇ!仕事だぞ!!」と、言いたくなります。
だから現代でも多くの企業で、社員の「甘え」に対して過敏になっている事が多いように思います。
- 遅刻
- 言葉遣い
- 衣服の乱れ
などなど、日本の企業は「甘え」に対して過剰に統率を行おうとする傾向があり、これはハラスメントに繋がる場合もありますし、自由な働き方を推進する為の「働き方改革」に対し阻害要因になる場合があります。
注意する必要があります。
■私が会社にもたらせたいプロフェッショナリズムと働き方
さて、そろそろ自分の会社の話を書きますが
私は、自分自身も甘えのある人間だと書きました。
そして私の会社は「働き方改革」のコンサルティングなんかをしたりする会社ですのでこの「甘え」というテーマについて、こんな意見を持ちます。
- 「甘え」のない人間なんていないと思っている。私も甘えん坊。
- 仕事で結果を出すとき、自分の「甘え」が弊害になる場合がある。これをコントロールできる人財が、当社では評価される。
- 当社では「甘えを許さない文化」みたいなものを作る気はない。ただある程度のインテリジェンスがあれば「甘えていると成果が出せないな」と自覚できているはずだと思っている。自覚がないなら当社は合わない。
- 人は「甘えを伝播する」性質があり、この甘えの伝播をしてしまう人を評価出来ない。逆に人に甘えを気付かせてあげられる人をリーダーやヒーローと認める
- 他人の甘えをよく理解し、それをビジネスに出来る能力がある人をサービスマンとして評価できる。
という感じです。
社員の「甘え」に気付いても、それを統治しようとするとハラスメントになったり、根本的な依存をぬぐえないので、どうやって、どのような方法をつかって気付かせるか、ですね。
■なんでボディビルジムで例えたの?
さて最後に、何で私がボディビルジム選びで例えたかと言う話なんですけれども
私は、「(ビジネス)マッチョになりたい」と、思ってくれている社員に対して、社長である私の存在が
- よきトレーナー なのか?
- 適切なトレーニング機材(つまりストレス)なのか?
ってのを、なんとなく、話題として書きたかったんですね。
で、私の理想は、
「私は重たいバーベルでありたい」
って事ですね
骨太な人。ぜひ一緒にビジネスをやりましょう。
わー
毎回ひどいけど、今回ほど支離滅裂なblogもないな~
先日あるリーダーと、「社員の甘え」について会話した内容を、なんとなく残しておきたかったので、今日のblogを書きました。
リーダーは、社員の成長を信じて、重いバーベルにならなきゃね
リーダーが社員を甘やかしてしまったら、その甘やかしはすぐ伝播するしね
まあ、そんな話
No pain No gain