職場で「お疲れさまです~」「お疲れさまでした~」みたいな挨拶をしますよね。
で、これが、あるときとても気になりだしました。嫌になりました。
「オツカレサマデス~」って、なんだか
- 仕事とは、疲れるモノ
- 仕事を頼んだ人が、仕事をやってくれた人を、労う挨拶
上記のような、前提がある、気がしてきた。
もちろん、そういうシゴトもあると思う。
私が誰かに「荷物を運んでもらう」というシゴトを頼んだとする。そうしたら私は、荷物を運んでくれた人に「お疲れさまでした」と、言うべきであろうと思う。
でも、当社の仕事の前提は、基本的には違う。
- 当社の仕事はクリエイティビティの高い物でありたい
- 当社の経営理念は「社員の成長」であるから、社員が当社で仕事をする目的は、自身の成長であってほしい
- 当社は社員に、仕事を楽しんでもらいたい
そんな風に、思っている。
だから、「お疲れさま」では、ないはず。
社員のみんなは「頼まれたことをやっている」のではなく、「自分の成長の為に行動している」のであり、「クリエイティビティを高める活動を楽しんでいる」のである。の、はずである。
そりゃ、仕事ですから、ストレスはあります。あるでしょう。
だけど「ストレスに耐えるのが仕事だ」「疲れるのが仕事だ」と、最初っからそのように決めつけたくはない。少なくとも私は、ない。
私は、好きで社長をやっている。誰に頼まれてやっているわけではない。
社長だってストレスはある。中小企業の社長なんてストレスだらけです。ホント。
だからといって私は「社員の生活を守るために社長をやってあげている」なんて微塵も思っていない。私が社長業をやっている理由は、自分の成長の為である部分が大きい。
だから私は「お疲れさまでした~」と言われても、違和感がある。
あ、いや
それはちょっとウソ
「お疲れさまでした~」と言われたら、ちょっと嬉しい。
- 社長って大変なんだよな
- 社員より遅くまで残って、大変そうだよな
- 大変なのによくやってるよな。ご苦労様だな
- 疲れた男の背中って、哀愁があるよな
そう、言われている気がして、ちょっと嬉しい。
そして、この「嬉しい」ってのが、ダメなんだと、自分で思っている。
- やってあげている
- 犠牲を払ってあげている
- 文句も言わずやっている
- やりたくもないことを、やってくれている
こういうのを「褒められ、慰労されて、嬉しい」では、ダメだ。
少なくともクリエイター・イノベイター・改革者・アーティスト・etc・・・などの仕事をしているプロフェッショナルであるという自負があるならば、そんな犠牲的精神で「労働」しているようじゃ、ダメ。
もちろん「犠牲的精神で労働する」仕事だって、尊い。
「誰かの為に犠牲になり、人の嫌がる事をしてあげる仕事」ってのは、尊い。
そんな仕事をしてくれている人には「ご苦労様、お疲れ様」と、言ってあげたい。
だが、俺のような仕事は、それではダメだ。
- 今この世界に無いものを産み出し、世界をあっと言わせるようなクリエイティビティをもった「ソノリテ」という会社をもっと成長させる。
- 成長意欲をもったプロフェッショナルが集合し、互いに共鳴し、知的生産性が無限に増殖していくようなコミュニティとして「ソノリテ」を高めていく。
きっとそれが俺の仕事
産み出さないと。世界に無かった何かを。
そんな俺が「お疲れさまです~」とか「お疲れさまでした~」なんて挨拶してたら、ダメだ。
仕事を「そんなもんだ」と定義していたらダメだ。それを社員に振りまくなんて、ホントダメだ。
「何かを産み出す」事に執着し、ポジティブにアクションし、既成の常識にとらわれない生き方を楽しまなければ、絶対にダメ!
だからもっともっと、会社を極限までポジティブ、隅々までポジティブにし、あらゆるスキマからネガティブなものを掃き出すようにしていきたい。
そう、思うんですよね・・・
そうそう、私はとってもメンドウクサイ人間なんです。
「忘年会をしない」なんてのもメンドクサイあれでして・・・
そしてそのメンドクサさの延長線上に、ソノリテの共鳴哲学が存在して欲しいと思っているわけで・・・
・・・
まあ、そんな事なんですが、それは良いとして
じゃあどうすんだ?
その、齋藤の言う、ネガティブな挨拶として日本人に染みついている「お疲れさまです~」っていう慰労の挨拶を止めて、どういう挨拶をしようってわけ?
・・・これがすごく難問なんですね~
やっぱね~日本人、すごくシニカルです。「おつかれさまです」みたいな挨拶、染みついている。それに代わる挨拶って、あんま、無い。
で、今、私は、社員の皆さんに
「ごきげんよう」
って、挨拶しています。
って感じです。
うちの社員の皆さんって、私の奇行に付き合ってくれる、本当にとても良い人達ですw