HERO、人事評価、パレートの法則 その4

前回のブログ

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

はい、続きます


You need a hero♪
胸に眠るヒーロー 揺り起こせ♪
生命より 重い夢を 抱きしめて走れよ♪
You need a hero♪
つかまえてよ ヒーローその手で♪
夢をもし あきらめたら
ただの残骸(ぬけがら)だよ♪
麻倉未稀「ヒーロー」(1999)歌詞より引用】


ヒーローになろうとする人は、少ない

 

そうね。そうでしょう。

 

欲がない時代、ですからね。

 

ならば、揺り起こそう。

 

 

■わが社だば一流企業になる!

 

私の会社は 「ヒーロー」 を創る 会社になる

 

そういう、ポジショニング。

 

そういう、マーケティング


私は10年前に、わが社(株式会社ソノリテ sonoriteはフランス語で「共鳴」の意)の社長になったんですが、

 

当社の10年前と言えば、しがない、社員数10人に満たない、業界の端くれの、孫請けSES企業でした。

 

多重請負構造の底辺にいる会社でした。

 

それをですね

 

10年で、なんとか

 

ソコソコちゃんとした会社にしましたよ。私は。

 

自分でハッキリ言いますが、誰がやったわけでもない。私がやったんです。

 

…でもねぇ


これからなんですよ。そんなもん。

 

端くれ孫請けSES企業から、ちょっと上位ランク企業グループの、その底辺に、片手を引っ掛けたってだけです。

 

これからです。

 

今からの10年で、次なるステージの、次なる勝負をします。

 

そこそこ有名な、そこそこ面白い、それくらいの会社には、します!


 わが社を、ちょっとばかし「うらやましい会社」に する!

 

 わが社を、ちょっとばかし「すげえ会社」に する!

 


…でね

 

それを、どうやってやるか?

 

  • 好調なMSコンサルティング&サポート、大企業向け情報共有ITのプロフェッショナルサービスをスケールしていく
  • ノウハウのあるITソリューションの領域で、働き方改革系のパッケージを創る
  • 自由度の高い社風から産み出す、個性的な書籍やゲームなどの分野で一発当てる

 

まあね、そんなことをね、やってはいますし、今後も行っていきますが、

 

そういう戦術レベルの話はまあ、置いておくとして、戦略的には


 私の会社は 「ヒーロー」 を創り、「ヒーロー」が活躍する会社にする


ってことで、そういう戦術で

 

  わだば、わが社を「すげえ会社」に する!

 


■ヒーローを創る方法論


で、

 

マジで、そういう会社にするわけですが、

 

じゃあ、ですね


例えば、車を創る会社がありますよね?

 

だとしたら、その会社って、どうやって「車を創ることがもっと上手くなるのか?」という、「方法論」を持っているべきですよね?


 例えば研究開発部署を創るんだ!とか

 例えばレースに出るんだ!とか

 

そういう「方法論」を持っているから、その会社はどんどん車を創ることが上手になっていく、わけですよね?


そういう「方法論」が、その会社のエンジンなわけです

 

あ、車を創る会社で例えたから「エンジン」とか言うとヤヤコシクなっちゃいますけど、まあようするに「成長のエンジン」です。「成長のダイナモ」です。あ、いや、電気自動車とかそういう意味ではなく…まあいいか


「車を創る会社」にとって、「車を創ることがもっと上手くなる」ための「方法論」というのは、おおむね

 

  • M&Aなども含め)組織構造をどうするか
  • どの組織に力を入れ(金や人を投資する)、どの組織を弱めるか

 

というような事で、「もっと上手く創れるように」していくわけです。

 

  • 例えば新たな車を創るべき時期なら、研究開発に投資するし
  • 例えば安い車が売れる時期なら、コスト削減に力を入れるし
  • 例えば販売能力を強化するなら、接客対応の教育や販売店の拡大をするし
  • 例えば〇素エンジンの時代が来るなら、〇素エンジンを創る力のある会社を買収するし

 

というわけですよね。

 

つまり、組織構造や投資、です

 

さてと、じゃあ

 

私たちの会社「株式会社ソノリテ」は、どうするか?


 ソノリテを、ちょっとばかし「すげえ会社」に するために

 

 私の会社は 「ヒーロー」 を創る 会社にする わけですが、


それって、どうやる?


「車を創る会社」が、「車を創ることがもっと上手くなる」ためにやっているようなことを、

 

「ヒーローを創る会社」が、「ヒーローを創ることがもっと上手くなる」ためにやっていく、「方法論」って、

 

どんなこと?


 どんなことなんでしょう?

 

 事例、ないのかな?


いや、だってさ

 

ひとつ前のブログで書きましたが


 「すごい」「仕事」 = 「希少性の高い」「人助け」

 

  →★誰も助けられない人を、助けられる!★

 

  →★★すごい人助けができる人!★★ = ヒーロー!!

 

  →すごい仕事が出来る人  =  ヒーロー


な、はずでしょ?


という事はさ、会社という会社は、ほぼすべて「すごい仕事が出来る人」を求めているはずじゃないですか?

 

ですよねぇ?

 

だからさ、ほとんどの会社の社長さんは、自分の会社が「すごい仕事が出来る会社」にしたいんだと思いますし、そのためには「すごい仕事が出来る人」つまりヒーローを、求めているハズでしょ?

 

それなのに、なんとなく

 

なんとなく、ですね…

 

ほとんどの会社に「ヒーローを創ることがもっと上手くなる」という戦術やら戦略やら、そういう事例が…無いような気がするんです

 

 例えば「人材教育」とか「引き抜き」みたいなことは、そりゃ、ありますよ!

 

 あるいは「MVPを表彰する」とか、そういうことも、そりゃ、あります!


でもですね

 

根本的には「ヒーローを創ることがもっと上手くなる」方法論の事例が、あまり、見つからない。いや、ぜんぜん見つからない。


なんででしょうね?

 

   →すごい仕事が出来る人  =  ヒーロー

 

どんな会社でも、やりたいことでしょうに…

 

 

■再び「パレートの法則」と「遠慮」

 

このシリーズブログの「1」↓

saitoukazumasa.hatenablog.com


で書きましたね。パレートの法則(あるいは働きアリの法則)

 

どんな組織でも

 

 よく働くアリ(人):20%
 ふつうに働くアリ(人):60%
 さぼるアリ(人):20%

 

になるよ~っていう。法則です。

 

なるんだよ~ と


これね

 

なんでだろうね?

 

なんでこう、みんなパレートの法則、好きかね?


でもさあ、なんでか分からないけれど、組織ってこうなるんだよね~

 

 よく働く社員:20%
 ふつうに働く社員:60%
 足をひっぱる社員:20%

 

あるいは

 

 高い評価を受けているエリート:20%
 ふつうの評価を受けている社員:60%
 低い評価を受けている社員:20%

 

そう、整理してもいいけどね

 

なんでかね?

 

なんで?


ということはさ、そもそもさぁ、どんだけ頑張っても、組織ってのは

 

 高い評価を受けているエリート:20%

 

しか、産み出せないって事なんですよね?

 

なんでか知らないけどね


そうなると…

 

じゃあ仕方がない

 

受け入れよう。受け入れるとして、パレートの法則を、受け入れて考えると


「ハイ・パフォーマーを創ることがもっと上手くなる」という「方法論」を考えたとしても


組織は必ず

 

 ハイ・パフォーマー:20%

 

に、なっちゃうって事なんですよね。


ここをどう考えるか…

 

パレートの法則でよく言われることとしては、相互に関係している。

 

 良い人:20%
 普通人:60%
 悪い人:20%

 

の間には、全体感と相互関係の意識があり、それぞれの存在が共通の意識の中で役割分担をするということでして、

 

「それが最適なんだ」という本能を、それぞれに持っていて、それが自然に噛み合うようになっているのだと。

 

まあ確かにそういう気がしますね。

 

みんなが「その方が良い」と思って、役割分担しちゃう。

 

その方が、合理的で、効率的だと、本能が考える…

 

「私は、この組織では、ハイパフォーマーになろう」と、20%の人が思い

「私は、普通でいいや」と、60%の人が思い

「私は、下位ですが何か?」と、20%の人が甘んじる。


そういう本能がある。それが組織的に合理的であるから。

 

だれが考えた本能だか知らんけどね…

 

じゃあ、ですね?

 

ということは、前提となるのは「コミュニケーション」だという気がするわけですが…ちょっとそのコミュニケーションの話はまた後でします。

 

唐突ですが、

みなさん今から、小学生の算数のテストをします


テスト問題1:
 100人生徒がいる学校があります。
 生徒のうち20%がA町に住んでいます。
 A町に住んでいる生徒は何人ですか?


答え:

 ×10人
 〇20人


はい。テスト問題1終わり。


じゃあ次のテスト


テスト問題2:
 会社Aがあります。
 会社Aには優秀な社員が20%います。
 優秀な社員は何名ですか?


答え:

 ×20人くらい
 〇全社員数がわからなければ答えられない。


まあそうなりますな


はいじゃあ次のテスト


テスト問題3:
 あなたは会社Aに入社しました。
 あなたは部署Bに配属になりました。
 あなたは会社Aに社員が何人いるか知りません。
 部署Bは見渡した感じ50名くらいの組織です。
 部署Bでしばらく業務をしたのち、あなたは、
 この部署の業務内容であれば、
  ・頑張ればTOPクラスの成績が出せそう
  ・頑張らなくても平均的なポジションにいれそう
 だと感じるようになってきました。
 さてあなたの本能は、どう考えますか?

 

 ×やるっきゃない!TOPとっちゃる!!
 〇ちょっと部署Bを見渡してみて、TOP10人くらいの
  雰囲気を見てみて、やってみるか、遠慮するか決める


まあ、たぶん、こんな感じじゃないかな、

 

あなたの本能は、そういう答えを「出しがち」なんじゃないかな…と、

 

パレートの法則は、そう言っているんだと思います。


この、「テスト問題3の答え」つまり「遠慮するか決める」というところがポイントでして、

 

「遠慮するかどうか」ってのは、割と「処世術」のようなもので、そういう本能が我々にはある。

 

ここでいう我々とは、あらゆる人間。

 

例えば社長もそう。

 

社長もそうだから(ちょっと理論が飛躍しますが)、

 

 「ヒーローを創ることをもっと上手くなる」方法論

 

を、考えようとしない。

 

考えたところで、社員の80%は遠慮するから。


遠慮すると、思っているから


なぜなら自分もきっと、遠慮するだろうから


はいここ、めっちゃ大事なところです…

 

社員の80%は、遠慮している。

 

遠慮しているということは、たとえ「ハイパフォーマー」になりえるポテンシャルを持っていたとしても、「本能」が「ブレーキをかける」ということ

 

相手は「本能」


まあ、いったんやめます。あとで帰ってきます。


今回言いたいのは


「遠慮している」

 

「本能がブレーキをかけている」

 

なら


「揺り起こせ」ばいいじゃん!って事ですね


You need a hero♪
胸に眠るヒーロー 揺り起こせ♪
生命より 重い夢を 抱きしめて走れよ♪
You need a hero♪
つかまえてよ ヒーローその手で♪
夢をもし あきらめたら
ただの残骸(ぬけがら)だよ♪
麻倉未稀「ヒーロー」(1999)歌詞より引用】

 

 

揺り起こさないとヒーローになろうとしないなんて…

 

 俺から言わせれば、みんな残骸(ぬけがら)ですわ

 

続きます~♪↓

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HERO、人事評価、パレートの法則 その3

前回のブログ

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

はい、続きです

 

ちっぽけなことで 悩んでる♪
周りの人は 笑うけど♪
笑いもせず ただ 見せてくれる♪
走り方 ヒーローが 教えてくれる♪

SHISHAMO「明日も」(2017)歌詞より引用】

 

悩んでいるときの走り方は、 ヒーローが教えてくれる

 

でも、ヒーローになろうとする人は、少ない

 

そういう世界だよね

 

そう、そういう「悟りの世界」

 

 

齋藤よ

 

まだそんなこと言ってるのか

 

マンガかよ

 

ヒーローとか、マンガかよ。とかね

 

言われますよ。私は


確かに、マンガかもね

 

いいじゃん!マンガ たのしいじゃん!

 

 

不況しか知らない「悟り世代」が、昔「働き盛り」と言われた20代、30代、そしてもう40代を席巻し始めていて、世の中には、期待値が少ない。

 

メディアやネットワークは無の情報を拡散し、人々は平凡を好とし、現代の「死なない世界」で、いかにミスをせず「死なない」事を目的として生き、人生100年社会を過ごす。

 

ヒーローになんて、なる必要ないよ。それってリスク、高いじゃん…

 

私は批判しているわけじゃないです。

 

そのような「解釈」をしています。


そしてそのような「社会に対する解釈」に対し、私は当社株式会社ソノリテのポジショニングとして「ヒーローを創る会社」ということを、掲げました。

 

いつ掲げたかというと、つい先日、7月1日、です。

 

どのように掲げたかというと…それは当社の評価制度を改めたということなのですが、それは「つづき」のどこかで、後程書く予定です。

 

それはそれとして

 

ヒーローになんて、なる時代じゃない からこそ

 

 私の会社は 「ヒーロー」 を創る 会社になる

 

そういう、ポジショニング。

 

そういう、マーケティング

 

そういうことに、しました。

 

だからヒーローになりたいひと(少ないでしょうが)、ソノリテ(私の会社)に、集まってください。

 

いっしょにヒーローに、なりましょうよ!

 


■仕事とは?

 

ところでみなさん、「仕事」、ってなんですか?

 

私もこのブログで、いろいろと「仕事とは」みたいなことを書いてきました。

 

たくさん書いたし、もう、何をどこに書いたかも定かではないのですが~またちょっとだけ、過去に書いたかもしれない内容を、ここに書きます。

 

問:仕事って、なんですか?

 

ということで、仕事についていろいろと考えてみましょう。

 

まずは、仕事を分類してみましょう。

 

仕事にはいろいろな種類があると思うんですが、例えば「クライアントから頼まれたことをやる仕事」に特定して、こんなふうに仕事を分類してみませんか?いかがでしょうか?

 

  1. クライアントが自分ではやることが出来ず、かつあなた以外の人も、だれも出来ないことを、やってあげる仕事
  2. クライアントが自分でやることは出来ないが、あなたのほかにも出来る人はいる。しかし、あなたが一番上手く出来る仕事
  3. クライアントが自分でやることは出来ないが、あなたのほかにも出来る人はおり、だれがやっても大して差はない仕事
  4. クライアントが自分でやることも出来るような仕事

 

どうでしょう?

 

仕事を、こんな風に分類してみました。

 

すると、なんとなくわかると思うんですが、この分類では、1~4の順で、報酬が変わります。1が最も高く、4が最も低い。


 1.は、例えば、特殊な飛行機の操縦、難易度の高い手術の執刀 など

 4.は、例えば、買い物とか、留守番など

 

いいですかね?

 

ちなみにあなたは今、どんな仕事をしていますか?

 

  • あなた以外に変わりが出来ないような仕事をしていますか?
  • それとも誰がやってもいいような仕事をしていますか?

 

で、まあ、仕事を分類してみたぞ…と。そしてこの分類からわかること、ですが、2つあると思うんですね。

 

一つは、 基本的に仕事とは「人助け」である ということ

 

もう一つは、「助けること」の難易度や希少性によって、仕事の報酬が変わる ということ

 

です。


いいですかね?

 

例えばあまり、直接的に人を助けているという印象を持ち辛い仕事もあるでしょう?

 

でもやっぱり仕事とは基本的に「人助け」です。誰かがやらなければいけないことを、誰かの代わりにやってあげる。そしてその対価をえている、わけですから。

 

例えば「絵描き」

 

絵を描いて人を助けているわけではないでしょう。

 

でも「描いた絵で、誰かが感動する」というのは

 

「感動したい人」に「他の誰も描けない」絵を描いて「感動させる」わけですから、このように分解、整理すれば、人助けなんですよね。

 


いいですかね?

 

ここはまあ、いいとしてください。

 

、と、すると


「仕事」が、「人助け」だと、納得したとすると


そして仕事の「報酬」が「難易度や希少性」によってかわるのだ


と、まあまず納得したとして…

 

では、次に


「すごい仕事」とは?

 

「すごい仕事」とはなんだろう? と考えてみる。


そうすると「すごい仕事」とは


 ★誰も助けられない人を、助けられる!★


っていうのが「すごい仕事」なんだ!


って、考えられるわけですね?

 

わかります?


もういちど言います


 「すごい」「仕事」 とは


 「仕事」 = 「人助け」

 「すごい」 = 「評価が高い」=「報酬が高い」=「希少性、難易度が高い」


とすると


 「すごい」「仕事」 = 「希少性の高い」「人助け」


つまり


 ★誰も助けられない人を、助けられる!★


ってのが、「すごい仕事」なんですよ!

 

そう言い換えることが出来ますよね?

 

いいですか?

 

そうすると

 

「すごい仕事が出来る人」ってのを考えると、

 

「すごい仕事が出来る人」ってのは


 ★★すごい人助けができる人!★★


なわけです。

 

 ★★すごい人助けができる人!★★

 
これってすごく「ヒーロー」っぽくないですか?

 

 ★★すごい人助けができる人!★★ = ヒーロー!!

 

 

ってことは、要するに

 

 すごい仕事が出来る人  =  ヒーロー

 

ってこと。

 

 

さらっと、次、行きます。

 

 

■ヒーローがいない世の中って?


ちっぽけなことで 悩んでる♪
周りの人は 笑うけど♪
笑いもせず ただ 見せてくれる♪
走り方 ヒーローが 教えてくれる♪
SHISHAMO「明日も」(2017)歌詞より引用】

 


私たちは、なんとなく「ヒーローになろうとする人は、少ない」そういう世界を、自分たちで作っている気がします。


そういう世界を「マンガかよ」と言って、一蹴しているような、気がします。


つまりそれは、だれも人を助けようとしない世界 なのかも知れません。

 

人助けなんて「マンガかよ」って言う、シニカルな世界

 

さみしい世界なのかも知れません。

 

少なくとも

 

人を助けようとすることを、リスクと感じる世界

 

には、なっていますね。確実に。

 


だから私は

 

すくなくとも「人の成長」を経営理念とした会社を立ち上げた責任者として


会社の目指す方向性を、2021年7月1日から、

 

 私の会社は 「ヒーロー」 を創る 会社になる

 

と、しました。


やり方については、続きに書きます。

 

ここも今は、さらっと、次 行きます。

 

 

■ヒーローが「見せてくれる・教えてくれる」って?

 

笑いもせず ただ 見せてくれる♪
走り方 ヒーローが 教えてくれる♪
SHISHAMO「明日も」(2017)歌詞より引用】

 

ヒーローの本質は、「人助け」ですが、

 

もう一つの本質、それは、「見せてくれる・教えてくれる」です。

 

SHISHAMOさんの歌にも、そのように、唄われています。

 


ヒーローは、共鳴するんです。

 

ヒーローがいない世界は、染まるんです。

 

ヒーローは、共鳴し、個々が立ち上がるんです。

 

そう、ヒーローの本質は「共鳴」なんです。

 

「sonorite(共鳴)」という会社名を冠したわが社が、やるべき「社員の成長」は、

 

しばらくは…すくなくとも私が社長のうちは…


「ヒーロー」を創り 社会に「共鳴」する。

 

これをやります。


暑苦しいですね


あー暑苦しい。齋藤のナルシストリサイタルは暑苦しいですよね。


まあ良いじゃないですか?

 

もうちょっと続きます

 

というかこれ、本気でやるために、会社の評価制度にしちゃったんですよwww

 

つづく↓

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HERO、人事評価、パレートの法則 その2

前回のブログ

saitoukazumasa.hatenablog.com

の、続きです


I,ll be your hero~♪
I,ll be your hero~♪

安室奈美恵「Hero」(2016)歌詞より引用】

 

その2は2016年リオ五輪、NHKのテーマソング、安室奈美恵「Hero」の引用からスタートします。

 

I,ll be your hero~♪

(ワタシはアナタのヒーローになるよ~♪)

 

ヒーローという存在。

 

  • ヒーローが助けてくれる
  • ヒーローが救ってくれる
  • ヒーローが勇気をくれる
  • ヒーローが背中を押してくれる

 

ヒーロー、いいっすよね~

 

私はヒーローになりたいと思うんっすよ。アナタは思いませんか?

 

思わないですか? ああ、そうですか…

 


■欲がないから、ヒーローにならないのか?

 

ひとつ前のブログで「さとり世代」の話をしました。

 

さとり世代は「欲」がないから、ヒーローになりたがらないよなぁという話です。

 

アリとキリギリスで言うと、アリだからだね。みたいな話。

 

でもですね

 

「欲」っていう話と、「ヒーロー」っていう話は、相反しますね。

 

だって「欲」ってのはたいてい、自分の事ですよね?自分の欲求。

 

  • 楽したい
  • 良い思いをしたい
  • 金が欲しい
  • とりあえずたっぷり寝たい
  • エロいことしたい
  • 褒められたい、愛されたい

 

なんや、かんや…

 

それが「欲」ですよね?

 

でも「ヒーロー」っていうのは、どちらかというと「与える存在」

 

  • ヒーローが助けてくれる
  • ヒーローが救ってくれる
  • ヒーローが勇気をくれる
  • ヒーローが背中を押してくれる

 

いうなれば「欲」はTaker、「ヒーロー」はGiver

 

なので「欲」からの「ヒーロー」って話を、一度整理したいのですが…

 


■きっかけは、なんでもいい


6年ほど前に「キッカケは何でもいい」というブログを書きました

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

そこでも触れたんですけれども、というよりも私のビジネスの根底にある考えの一つなんですけれども

 

何かを始めようっていうときに、あんまり「重たい」のって、違うかな?と

 

むしろ「軽い」のが、いい。

 

先のブログで書いたことを言うと、非常に内容の深い作品があったとして、でもその作品を鑑賞しようとか、そういう「きっかけ」になることは、

 

例えば「カッコイイ俳優が出ている」とか「好みの絵柄だ」とか、そういう「軽い」事で良い。というか軽いことのほうが良い。

 

いきなり「重厚な内容の本質がなんちゃらかんちゃらで考えさせる哲学的ななんちゃらかんちゃら」なんて言うことは、


それは、その作品の世界観に入ってから、感じればいいことで、

 

人間が何かを経験しようとか、何かの世界に飛び込もうってときの、キッカケは軽いもののほうが良いよね!?

 

ってのが、私の考えです。

 

どうでしょうか?


で、その「軽いキッカケ」って話をしたいんですけれども


 ★★★「ヒーロー」になりたいと、思いませんか?★★★


これなんですけども(最初からこの話をしているつもりなんですけれども)


「ヒーロー」になる、「軽いキッカケ」って、なんだろう?

 

まあ、そう考えるとですね…

 

ヒーローを目指すキッカケってのは

  • 世界を救いたい とか
  • 仲間を助けたい とか
  • 正義を貫きたい とか
  • 悪を滅ぼしたい とか
  • 自分の能力を、正しいことのために使いたい とか


とかとか、まあそれぞれ、あるかなぁ…と思うんだけれども、

 

どれも、「重い」、ですよね


「重い」から、とっつきにくいし、始めにくい。

 

だから「軽い」のが欲しいんですよね、軽いの…

 

  • 金持ちになって、裕福になるんだ とか
  • 有名になって、ちやほやされるんだ とか
  • めちゃ権力を握って、見返してやるんだ とか

 

そうそう、そういう、「軽い」の

 

軽いヤツがいい。


軽いヤツで、ヒーローを目指して、そしてそのうち、その奥深さを知ればいい。

 

  • 有名になって、ちやほやされるんだ~

 

って思って、「ヒーロー入門」から初めて

 

  • 正義を貫く、世界を助ける、ヒーローに

 

最終的になれば、それでいいわけ


そう、思いませんかね?

 

それが「軽い理由」ってこと

 

私はその、「ヒーローになる軽い理由」を、ここまで「カッコイイ」って書いてきました。


 ヒーローになろうよ! だって ヒーローってカッコイイじゃん!!

 

これが「軽い理由」

 

 

■「軽い理由」が否定される理論


「軽い」理由は、否定されがちである。

 

現代は比較的そのような世界になっているように感じます。

 

ある意味でそれは「悟り」の世界かなという解釈でも構わない気がします。

 

そしてそれが「悟り世代的」と言っても良いでしょう。

 

「軽い」理由に「のっかっちゃう」のは、馬鹿なんです。

 

そういう人は、誰かに騙されちゃうんです。

 

世の中には悪い人がたくさんいるんです。

 

「うかつ」なのはダメなんです。

 

変に「浮かれて」「軽いものに」「のっかっちゃう」と

  • 詐欺被害にあったり
  • 個人情報が奪われたり
  • やりがい搾取にあったり

いろいろ、大変なんです。

 

お金なんかも、きちんと貯めて、自分の可能性なんか信じずに、目立つことやっちゃダメ、ネットに顔出しなんか絶対ダメ

 

おとなしく、オトナシク

 

そういう、「失敗しない」生き方が、尊い

 

それが比較的、マジョリティ

 


ヒーローになりたいですか?

 

思わないですか? ああ、そうですか…

 

そりゃそうですよね、ヒーローなんて、危ないもん。

 

弱い人を助けてあげるなんて…私じゃないほかの誰かがやるべきでしょう。政府とかが。

 

むしろ私は助けて欲しい側です。だって弱いもん。弱い立場です。

 

弱い立場の一市民です。凡人なんです。

 

それでいい。そういう悟り。悟りの世界。

 

 

I,ll be your hero~♪

(ワタシはアナタのヒーローになるよ~♪)

 

いや


ならないね

 

ほとんどの人は、ヒーローにならない


しかも、ヒーローを待ってもいない


何も世の中に、期待をしていない


そういう「悟りの世界」

 

あ、


言っときますけど、批判じゃないですよ


これは、いわばマーケティングです


つづく↓

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HERO、人事評価、パレートの法則 その1

HERO! ヒーローになるとき~♪ Ah Ha! それは今~♪

甲斐バンド「HERO」(1978)歌詞より引用】

 

今回のblogは、40年前の歌詞引用からスタートいたします。

 

HERO、ヒーローという話題を書きたいと思います。

 

ヒーロー かっこいいと思いませんか?

 

ヒーローになりたいと、思いませんか?

 

思わないですか? ああ、そうですか…

 


■さとり世代

 

Wikipediaで「さとり世代」を調べると、

 

1970年代後半から2000年代前半あたりに生まれた人が、さとり世代のようです。

 

ということは、2021年現在の年齢としては、20代前半から30代後半くらいに
なるんじゃないでしょうか?

 

先の【甲斐バンド「HERO」という曲がリリースされたのが1978年。ちょうどこの曲が大ヒットしたあたりに、生まれ始めたんですね。さとり世代。

 

さとり世代の特徴は、これもWikipediaを参考にしますと

 ・欲がない
 ・恋愛に興味がない
 ・旅行に行かない

こんな感じらしいですね。

 

ja.wikipedia.org

 

不況下の日本で育ったからだ、というのが定説です。

 

まあもちろん、みんながみんな、そうじゃない

 

一人ひとりと向き合えば、いろいろなキャラがいます。

 

でもまあ、もっと旧世代の私なんかから見れば、たしかに総じて、欲がないかなぁ~という風に、見えます。


そんな「さとり世代」に

 

 ヒーローになりたいと、思いませんか?

 

と、聞いたところで、

 

まあ、あんまり、思ってくれないかな…

 

だって欲がないもんな…

 


■わだばHEROになる!

 

私はHEROになりたい。

 

だってカッコいいから

 

褒め称えられたい。有名になりたい。目立ちたい。トップに立ちたい。仲間を助けたい。

 

いや、俺ならHEROになれる。

 

なれるヨ

 

そして俺の会社のみんなも、HEROになれる。というか、HEROにする。

 

嫌でもする。

 

さとり世代とかそういうの関係ない。

 

HEROにしちゃいます。

 

あ、あの、そういえば

 

棟方志功さんは、

 

 「わだばゴッホになる」(私ならゴッホになれる)

 

とは、言っていない というのが通説らしいですね。

 

どうやら、

 

 「わ(は)、ゴッホになる」(私はゴッホになるんだ)

 

って言ったのを、聞いた人が聞き間違えたというのが有力な説らしいです。

 

棟方志功さんは、「オレならゴッホになれる!」みたいな、そんな強気なオレオレなことを言う人格じゃなかったらしい…

 

まあでも私は、「私ならHEROになれる」といいますね。

 

B型人間の根拠のない自信からあえて「わだばHEROになる!」と言いますよ。

 

だってカッコイイからね。

 

うん、そうです。俺は、カッコイイんです。

 

甲斐バンドの「HERO」、大好きだったな…

 

1978年、私は11歳でした。

 

11歳の夢見る少年だった俺、いじめられっ子だった俺、ですが、学校でいじめられた帰り道、よく鼻歌で歌ってました。

 

 HERO! ヒーローになるとき~♪ Ah Ha! それは今~♪

 

カッコいい歌だなぁ~

 

同じ年の大ヒット曲には

 

 勝手にシンドバッド

 

もあります。

 

サザンオールスターズも、神奈川県民にとっての大HEROですね…

 

そういや、シンドバッドもHEROだよなぁ…

 

 

パレートの法則、働きアリの法則

 

パレートの法則と働きアリの法則は、厳密に調べると文脈が異なる?のかもしれませんが、私のなかでは同じものなので、その辺りは許してほしいのですが、

 

まあ、あれです。

 

どんな組織でも

 よく働くアリ(人):20%
 ふつうに働くアリ(人):60%
 さぼるアリ(人):20%

になるよ~っていう。法則です。

 

これね…

 

本当だよね…

 

どうしてだか理由はわからないけれど…組織ってだいたいこうなるよね…

 

私なんかも、会社の経営者だから、自分の会社を俯瞰して見るに

 

 優れた社員:20%
 普通の社員:60%
 残念な社員:20%

 

って、見えちゃいますね。

 

錯覚なのか、バイアスかかってんのか、何なのかわかんないんだけど

 

何しろ「2:6:2」には見えます。

 

この感じを、ぶち壊したいなぁ…

 

この法則を、打ち破りたいなぁ…

 

そう、思うわけですよ。だってそう思うじゃないですか?おれが社長なんだから。

 

100%とは言いません。優れた社員が100%とは言わない。それってただの夢物語っぽいし、「普通の社員」って絶対に必要なんだと思います。組織には。

 

だけどさ

 

例えばさ

 

 優れた社員:50%
 普通の社員:45%
 残念な社員:5%
  
くらいの会社にしたいよ。俺は

 

まあでもホントの気持ちは

 

 優れた社員:70%
 普通の社員:28%
 残念な社員:2%

 

くらいが、いいけどさ

 

どうしてそう、ならないんだろうか?

 


■アリとキリギリス

 

アリはさぁ、やっぱり社会性や組織性の強い昆虫なんだと思います、と。

 

生存するための方法論として、アリ的な組織論をもっていて、んなもんでアリのことを研究している人も多いわけなんでしょう。きっと。

 

で、キリギリスっていうのは、アリの対象として描かれることが多くて、んでキリギリスは冬になったら死んじゃうんでしょ?冬を越せなくて。

 

だからまあ、アリのように生きようね…

 

みたいなね

 

そうなの?

 

だってさ、キリギリス。生きてるよね?

 

これがさぁ、キリギリスが絶滅した動物だというなら、わかるよ

 

キリギリス、生きてるじゃん

 

まあでも、例えばさ、キリギリスが絶滅したとして…


それが何?

 

それが何なんなの?

 

みんな、死ぬのが怖いの?

 

そんなに嫌なの?死ぬのが?


そこがわかんないんですよね…

 


だってキリギリス、楽しそうじゃん?

 

 

まあ確かに、冬が来たらヒモジイかもしれないけど

 

夏、楽しくて、冬、ヒモジイ

 

別にいいじゃん。楽しそうじゃん?


夏、せっせと働いて、冬、家の中で閉じこもって

 

それが良いの?

 

そんな「欲のない人生」で、楽しいの?

 

それが、「さとり」なの?

 


■HEROになりたくない理由

 

もしかしたら、ですよ

 

さとり世代に欲がないというのは、「冬(不況)」に生まれたキリギリスが、アリのように生きなければなぁと、そう考えたと…思うわけですね。

 

それがマジョリティな、世代だと。

 

俺みたいな典型的B型人間バブリー昭和おじさんは、まあそんな風に感じるわけ。

 

そうなるとね、まあ、蓄えるよね。そういう事ならね、蓄えるのでしょうね。

 

そりゃ蓄えるよ。アリだもん

 

無駄なことはしない。欲を出さない。ミニマリスト

 

性欲なんかも出さない。そういうコスパの悪いことはいらない。

 

恋愛なんか別にいらない。旅行なんかも行かない。

 

…いや

 

ゴメンナサイなんか批判しているような気がしてきた

 

いや、そういう事じゃなくて

 

批判じゃない。

 

批判したいんじゃないんです。むしろよく理解したい。

 

私がしたいのはビジネスの話です。ビジネスの話をしています。

 

つまり、


私のビジネス上のポジショントークとして「わだはHEROになる」と言っているわけで

 

つまりうちの会社「株式会社ソノリテ」は、

sonorite.co.jp

 

 

 パレートの法則をうちやぶり

 

  HEROだらけの会社にしますよ!!

 


ということを、これから書くんですが、

 

今日はここまでにします。

 

次回につづきます

 

つづく ↓

saitoukazumasa.hatenablog.com

乗り越える

今年のゴールデンウィークは、完全自粛モード。

 

遊びに行かず、ステイホームだった人が多かったと思います。

 

俺もです。

 

Amazon prime video ばっかり観てました。

 

特に面白くて、一気見(いっきみ)したのが、「ザ・ボーイズ」

 

現在シーズン2までの全16話が観れます。観ました。

 

ja.wikipedia.org

 

ネタバレはしませんが、ざっくり言うと、腐敗したヒーロー軍団vsアウトロー軍団 みたいなお話で、

 

マーベルヒーロー達へのカウンターなクソヒーローが、めっちゃ面白い。

 

悪い意味でホントに悪い。腐ってる。

 

この腐り加減が癖になるというのか、ムナクソ悪いのが良い味出しているというのか

 

ずっとステイホームで、観てました。

 

で、まあこの「ザ・ボーイズ」を観ていて、

 

 「一緒に乗り越えよう」
 「あいつなら乗り越えられる」
 「乗り越えられると思ったんだ」

 

みたいなセリフが、けっこう出て来るんですね。

 

このドラマでは、いろいろな主人公が挫折したり、被害にあったり、騙されたり、薬におぼれたり、

 

まあなにしろ、様々な不幸があるんですけれども、

 

そこで、出て来るんですね。「乗り越える」

 

 「(この苦難を)一緒に乗り越えよう」
 「(あのトラウマを)あいつなら乗り越えられる」
 「(この薬物依存を)乗り越えられると思ったんだ」

 

みたいな。そんな感じ。

 

ああ


そういえば、最近聞いてなかったかも知れないなぁ。この

 

 「乗り越える」

 

っていう言葉。

 

なんかちょっと、嬉しいなぁ。

 

かわりに… というのは何ですが、よく聞くのは

 

 「逃げても良いんだよ」

 

と、いう言葉。


どうもこの、「逃げても良いんだよ」という文化? 文化でいいのかな?

 

これが、俺、苦手なんですよね。

 

「う~ん。逃げても良いんだよ。なんて、なんて無責任な事言うのかな?」

 

って、思っちゃうんですね。

 

まあ、俺、マッチョですよね。マッチョです。

 

嫌われる考え方ですよ。イマドキは。

 

ようするに

 

 「逃げんなよ!乗り越えろよ!」

 

って、ヤツですね。


いや、違うよ って、みんな言うんです。

 

 「自分の人生は一度しかない自分だけのもの。ちょっとでも疑問やストレスを感じたら、無理する事はない。逃げればよい。犠牲や被害が少ないうちに逃げなければ、大変な事になる。」

 

そう、言うんです。

 

そういうのが、マッチョな俺は、どうしても呑み込めない。

 

ぶっちゃけ、嫌い。


思うのは、ですね

 

 「(この○○を)俺と一緒に乗り越えよう」
 「(あの○○を)おまえなら乗り越えられる」
 「(この○○を)乗り越えられると思ってるから話してるんだ」


みたいな、事でして

 

ようするに

 

 「逃げんなよ!乗り越えろよ!」

 

って、ヤツですね(二回目)

 


いや、

 

言いたい事は、わかる。

 

  • 「自分のやりたくない事」からは、逃げたいんだ。
  • 「自分が進みたい道」なら、乗り越える。

 

まあ、そういう理屈。

 

でも、本当なの?

 

世の中って、人生って、そんなに単純でしたっけ?

 

仮に「自分が進みたい道」ってのがあったとして、そこには「理不尽」な事が、一つもないって事、あるの?

 

仮に「自分がやりたくない事」ってのがあったとして、そこから「逃げる」って事に、何の問題もない なんてこと、あるの?

 

それに【ここ重要】

 

基本的な生き方として

 

 「乗り越える癖がついている。何でも乗り越えようとする」

 

人と、

 

 「逃げる癖がついている。何かと逃げようとする」

 

人と、

 

どっちのタイプの人が、QOLが高くなると思うのか…


とまあ、そんな風に、マッチョなオジサンとしては思うんですよね…

 


と、いうか

 

そんなお説教みたいな事が言いたいわけじゃない。

 

本当は違うんです。


イインデス。私は。

 

私以外の人が、どんな風にモノを考えて、どんな価値観をもっていようが、イインデス。

 

むしろ、経営者としての私の発想は「一人勝ち」がしたい。

 

私以外の人が、どんどん堕落して

 

私だけが、めっちゃマッチョに、成長して

 

私の会社だけが、どんどん色々な事を「乗り越えて」成長するとしたら、

 

これ、ほら、「一人勝ち」じゃぁないですか?

 

だからですね、べつに、お説教したいわけじゃない。

 

「若者よ、甘えるな。逃げるな。乗り越えろ」なんてこと、言いたいわけじゃない。

 

そして私の会社も、

 

「私の会社の社員でいたい人は、逃げ癖がある人はダメです。乗り越える力がある人だけ、社員でいてください。逃げ癖のある人は、辞めてください」

 

なんてこと、本当は、言いたいわけじゃない(言う事もあるけど)


何が言いたいのかというと

 

「ザ・ボーイズ」というエンターテイメント なんです。

 

エンターテイメント

 

この、エンターテイメントの中に「乗り越える」というテーマが存在したことが、私はすごく、楽しかったんですね。

 

  • 堕落したっていい
  • 逃げたっていい
  • 乗り越えようとして、乗り越えられなくてもいい
  • 乗り越えられない人が、乗り越えなきゃいけない、ストレスの渦中に巻き込まれても、いい
  • つまりメチャクチャで、いい

 

この、「メチャクチャ」が、私は、「楽しかった」んですね。

 

良いじゃないですか?「メチャクチャ」

 

人生、ずーっと、ぬるーいお風呂に入っていたいんですか?みなさん。

 

  • 逃げたくなるようなストレスにぶつかったり、
  • 挫折したり、
  • 乗り越えるべきか、逃げるべきか悩んだり、
  • 自分の判断を死ぬほど後悔したり

 

そういうのって、結局、そういうのが、なんというかな

 

「楽しい」と、思わないですかね?

 

いや、それって、「齋藤が、本当に、死にたくなるくらいの挫折やら、無力感やらを感じた事が無いから、そういう事が言えるんでしょ?」

 

そういう風にね

 

言われるよね…

 

なんだろうねこの、弱者思考というのか…

 

「弱い立場の人の気持ち考えたことあんのか」みたいな…

 

弱者最強説みたいな…


や~

 

ま~たしかに~


いろんな不幸がありますよね~

 

んで、不幸があることは良い事ではないよ~

 


うん、まあ、そうおもう。

 

でもさあ

 

不幸が無くなれば、幸せなんですかね?


「ザ・ボーイズ」というエンターテイメントは、楽しかったです。

 

楽しかったです。

 


バカか?齋藤は?

 

齋藤。オマエは、アフォか?

 

あれはフィクションだよ。お話。オ ハ ナ シ!

 

お話の中でどんなに不幸があったって、どんなに人が死んだって、それはお話でしかなくって、ホントにある不幸ではないのさ

 

それを皆で、フィクションとして楽しんでいる、ダケ。


ああ、なるほどね

 

フィクションを、安全地帯から覗いているダケだから、楽しめると。

 

んーと

 

じゃあ、「仕事」は、どうなのさ?と、思う。

 

「仕事」はフィクションじゃないだろ。当たり前だろ。ノンフィクションだよ。

 

ノンフィクションである「仕事」を、バカみたいに楽しめるかっての?

 

ノンフィクションである「仕事」で、

 

  • めっちゃリスクを侵して、ひやひやしたり、
  • めっちゃトラウマになるような大失敗をして、くそみそに怒られたり、
  • 死ぬほど後悔するようなトラブルを起こしたり、

 

そういうの、楽しめるわけないだろ!仕事はノンフィクションなんだから!

 

いや、

 

そうかな?

 

そんなこと、ないんじゃない?

 

今の日本で、今の会社で、そんなですね

 

どんだけめちゃくちゃになった所で…まあ…殺されはしないよ。少なくとも。

 

みなさんがビビッているレベルの「失敗」なんて、しょせん、社会や法律に守られた範囲での、「ごっこ遊び」だよ

 

みなさんがビビッているレベルの「失敗」なんて、俺は、とうの昔に「乗り越えてきた」よ

 

俺みたいなバカでも「乗り越えてきた」んだから、みなさんも「逃げないで」やってみたら?

 

エキサイティング だよ ワリと

 

「逃げる癖がついている。何かと逃げようとする」人生に対して、ちょびっとの好奇心で良いから、「乗り越えて」みれば?

 

「一人勝ち」が、待ってるかもよ。

 

「搾取される消費者」では無く、「勝ち組」になれるかもよ?

 

いや、まあ、そんな簡単な事じゃないよね

 

そんな無責任な事をいって、人をその気にさせて、んで失敗しても責任持たないけどね、みたいな、そんな話をしたいんじゃないんです。

 

でも、まあ、「ザ・ボーイズ」を観て

 

あのメチャクチャな世界を観て、ちょっと思っちゃったのは

 

やっぱ楽しいよな。メチャクチャってさ。

 

んで「乗り越えようとする」ところから、ドラマって始まるんだよね。

 

「逃げたら」基本的には、ドラマにならないんだ。

 

だから、まあ、これを言いたい

 

 「俺と一緒に乗り越えよう」
 「逃げない人生の方が、楽しいよ。」

 

これを、言いたい。


俺の周りの、逃げ癖のついた「ボーイズ」達に、言いたい。

 

そう、思いました。というお話。

 

 

おしまい

ハチミツ二郎さんと副業とか自由とか

題記の件ですけれど

 

2020年の4月。当社(株式会社ソノリテ)に、お笑い芸人として著名なハチミツ二郎さんが入社しました。

 

ハチミツ二郎さんは吉本興業所属の芸人さんであるわけですが、パラレルキャリアとして当社に入社しました。

 

まあいわゆる、副業ってやつですね。

 

ハチミツ二郎!サラリーマンになる!」ということで、テレビ番組などでけっこう取り上げられました。

 

ハチミツさんが入社したタイミングが、まさにコロナと被っちゃったんで、「コロナのせいなの?」と聞かれることが多かったんですが

 

まあたしかに2020年4月、テレビタレントの仕事はコロナのせいで激減したのだと思います。

 

でも入社してもらったのは、それが理由じゃないんです。

 

コロナの騒ぎが始まるもっと前から、私とハチミツさんの間で、進めていた話でした。

 

入社の経緯みたいなものは、こちらに書いてある記事のがわかりやすいかな

gendai.ismedia.jp

 

あるいはハチミツさんの心情なんかは、こっちのブログがわかりやすいかも

www.foyer3-sonorite.com


で、

 

まあハチミツさんの心情なんかは、ハチミツさんのブログで確認してください、なんですが


ハチミツさんが入社してくれたこと、あるいはハチミツさんの入社とコロナが被ったことで、

 

私達の会社の「働き方改革」に対する論点が、すごくハッキリしたぞ~という事があるんで

 

今日はその話を、いくつか書こうと思うんです。

 


■例えば「ビジネスネーム」

 

まず、私達「株式会社ソノリテ」っていう会社は、主にITをツールとして、大企業の「働き方改革」を支援する仕事をしています。

 

んで、そういう私たちだから、私達自身も当然「働き方改革」している会社じゃなきゃならんわけで

 

だから私たちの会社は、真剣に働き方改革に取り組んでいるし、私達の会社には私たちなりの「働き方(改革)に対する方針や哲学」があります。

 

そして、色々な制度を導入しています。

 

現時点で在宅勤務率は90%を超えていますし、

 

例えばですね

  • ビジネスネーム制度

なんてのが、あります。

 

ビジネスネーム、まあようするに「あだ名で仕事出来るよ~」って感じですね。

 

ビジネスネームって、すごく便利だし、働き方改革に寄与するんです。というか本当は、ビジネスネームは「多様性経営」に寄与するんです。

 

「多様性経営」は「一億総活躍」の重大なテーマでもあり、「働き方改革」の重要な基盤と言っても良い。

 

だから、ビジネスネームは多様性に寄与し、多様性は働き方改革の促進に不可欠、みたいな繋がりなんです。

 

多様性経営って、例えば性の自認が多用であることを、会社がどうインクルージョンするかって話なんですけれど、ビジネスネームを採用しているというのも、許容の一種なんです。

 

だってそうでしょ?自分の名前が、自認とかけ離れている人って、いるでしょ?だから めっちゃ便利なんですよ。ビジネスネームって。

 

「自分らしく働く」っていう時に、「働く時の名前を自分で決められる」ってのは、とても良いんです。


だから「多様な状況にある人が、自分らしく働く機会や場所を持つ事」は、働き方改革の一つのゴールであるわけですが、ビジネスネームは即効性のある制度の一つなんです。

 

だけどですね、


「ビジネスネーム」「偽名で働ける」って簡単に言うけれど、今の日本で会社の制度にして、実際に運用するのは、けっこう大変な事もあるんです。

 

やってみればわかります。私たちは、やってみてますから。わかっています。

 

「通常の仕事はビジネスネームでいいけれど、本名じゃなきゃダメな書類は本名でってことにすりゃいいだけなんじゃないの?」って、思うかもしれないけれど、そんな簡単な事じゃない。みなさんの会社の総務や人事の方に聞いてみて下さい。簡単じゃない事がすぐわかります。

 

会社を経営していると、さまざまな公的機関や、保険医療機関に対する届け出や連携を行わなければならない。そういう時に求められる「従業員氏名」が、どこまで「ビジネスネーム」で通用するのか?「戸籍上の名前と違う事が許されるか」なんてことを、色々と検証しながら進めなければならない。

 

自分たちが使っているITツールやシステムが、ビジネスネームに対応していなければ、カスタマイズしなければならない。

 

ね、ちょっと考えただけでも、いろいろありそうでしょ?


そして、さらに私たちは「ビジネスネーム」だけでなく「本名非公開制度」も選択できるようにしています。

 

これが出来ていなければ、いくらビジネスネームを使っていても意味が無い場合があります。

 

だから私たちの会社は、本人が希望すれば、本名を他の社員に知られる事なく、ビジネスネームだけで仕事が出来るようにしています。

 

これ、すごく大変です。

 

でも、これ(本名非公開)をやるとやらないでは、「多様性」に対する効果がぜんぜんかわります!違います!!

 

だから当社の中には、同僚も「あの人のビジネスネームは知っているけど、本名は知らない」と言う人がいます。

 

働き方改革、がんばってます!うちの会社。

 

はい。そこまでが、うちの会社の解説。

 


そこで、じゃあ「ハチミツ二郎」ですよ。

 

ハチミツ二郎」って名前は本名じゃあないんです。そりゃそうですよね。芸名です。

 

そしてハチミツさんは、当社におけるサラリーマン活動においても、比較的「ハチミツ二郎」として働く事を希望した(本名非公開までは希望しなかったけど)

 

だってハチミツさんは「ハチミツ二郎」ですよ

 

そして私も、ハチミツさんが「ハチミツ二郎」として活躍してきた芸能活動の上に、副業として当社をジョインさせるとするなら、当社でも「ハチミツ二郎」でいてほしかった。

 

その時に、当社がすでに「ビジネスネーム:使えます」って会社になっていたから、これがすんなりと、いけた。

 

もし当社が「ビジネスネーム」を利用出来ない、古い体質の会社だったら、そこは、どうなっていたか?

 

「そんなこと、どうでもいいじゃん?(名前なんて)小さいことじゃん?」

 

でしょうか?

 

まあそう思う人も、いるかも知れないけれど・・・

 

名前って、そんなに小さなことでしょうか?

 

「すべての働き手が、自分らしく働く」という働き方改革のゴールに対して、名前って、「小さなこと」では、ないと思う。私は。

 

夫婦別姓だって、そうだし

 

差別のある世の中で、自分の名前と自認とのギャップに、苦しんている人って、けっこうたくさんいるし、

 

そういう人にとって「自分らしさ」と「名前」って、けっこう大きなテーマですよね。そう、思いませんか?

 

そういう事が、図らずも、検証されることになりました。

 

そんな感じで、

 

ハチミツ二郎さんの副業入社は、当社の「働き方改革」が、どの程度、「多様性をインクルージョン出来るレベルであるか」を、さまざまに検証する出来事となったんです。

 

 

■そしてそもそも「副業の許可」

 

で、ハチミツ二郎さん入社における働き方改革度の検証において、もっとも大きなテーマの話をしますと、

 

ずばり「副業」です。

 

「副業」は、多くの企業の「働き方改革」にとって、今も大きなテーマになっているでしょうし、これからもどんどん社会的課題になっていくのではないかと思います。

 

それをハチミツ二郎さんの入社に重ねてみると「サラリーマンとお笑い芸人の兼業(副業)」というテーマになります。

 

このテーマについて、当社ソノリテはどのように考え、どのようにインクルージョンしたのか?っていうお話をしようと思います。


これが今日のメインの話です。


あ、で、詳細に入る前に


とても重要な事をお話しますが


当社株式会社ソノリテは、基本的に、副業は「禁止」です。


 お?


 なんですと?


 え、だってハチミツ二郎さんは副業なんでしょ?


ええ、そうです。


当社は基本的に副業は禁止なんですが、ハチミツ二郎さんには許可しています。

 

「許可制:基本は禁止」なんです。

 

 え~そうなんだ~もっとヤワラカイ会社なのかと思ってたよ~

 

 あ!、そうか!、ようするにハチミツ二郎さんは有名人だから、入社させればそれなりに広告になるだろうから、特例として例外的に入れたんだな!

 


いやいや、違います!


  違うんです!


    そこは 違 う ん で す !!!


ハチミツ二郎さんに対し、副業を許可した理由は、


彼が

 

「(お笑い芸人として)スーパープロフェッショナルだから」

 

なんです。


わかりますかね?

 

 ×ハチミツ二郎さんが有名人だから、入社させて話題を作ろう

 

ではなく

 

 ○ハチミツ二郎さんがスーパーお笑い芸人だから、入社してくれたら当社の多様性は爆上げするし、多様性を爆上げするにはハチミツ二郎さんが「スーパーお笑い芸人であり、当社の社員でもある」ことが重要だ

 

ということだから、副業を許可しているんです。


はい


わかってもらえますでしょうか?


 ×有名人だから

 

ではなく

 

 ○プロだから


です!


わかるかな?


似てるけど・・・わかって欲しいな・・・

 


ところで私が考えるに、まだまだ日本の会社が「副業」を導入するには、リスクがあります。

 

その会社側のリスクを産んでいる根本原因は、私は日本の労働基準法の考え方の古さにあると、断言します。


まあそれくらいは、特に解説しなくても、良いですよね


そしてその、リスクですが、リスクと言っても、あくまでも存在するのは会社側のリスクです。

 

社員のリスクではない。

 

社員にとって、「副業」をすることは、色々なメリットがあると思います。

 

ただ、

 

会社側にリスクがある以上、会社はそのリスクを社員に転嫁する為に、社員にデメリットとなる制度整備をします。

 

だから社員にも、あまり良い事にはならない。

 

これが私の見解です。


私は、基本的に社員が「どんな働き方(副業なども)でも選べる」というのが「自由な社会」だと思います。


でもそれは、私が考えるに「自由と依存」に関する問題に当たります。

 

  • 副業は「働く自由、働き方の自由」です。
  • でも「自由」を勝ち得たい人(社員)は、「責任」を背負う事になります。
  • どうように、どの会社で、月に何時間働こうが、それはその人の「自由」です。
  • 例えば複数の会社で、猛烈に寝る間も惜しんで働いて、沢山金を稼いだが、そのかわり身体を壊したとする。でもそれはその人の「自由」です。自分で身体を壊したっていう、自己責任です。
  • 逆に例えば、何らかの理由で自らの意思で、何年も仕事をしなかったとして、とても貧乏になる。それもその人の「自由」です。
    憲法の「勤労の義務」の話を除けば、ですが)
  • でも日本の労働法は、どちらかというと「自由」ではなく「依存」を基礎としています。
  • 社員は会社に依存しなければ生きていけないから、会社が社員を粗暴に扱わないように、国が(法律が)守ってあげよう。という考え方です。
  • だから会社は社員に「残業させてはいけない」し、「休暇をとらさせなければいけない」という法律になっています。
  • したがってある人が「(複数の会社で)猛烈に寝る間も惜しんで働く」という自由を行使しようとしても、法的解釈としては「寝る間もなく働かされた」という解釈となり、社員が身体を壊したら、それは「会社の責任」となる。
  • つまり日本では、常に会社に「リスク」があり、社員には「自由」がない。
  • で、その前提で「副業」を考えると「副業」は「働く自由」が前提になるから、自由がない日本で「副業」を行ったとして、もし社員が身体を壊したら、それは「会社の責任」となる(という、法律の矛盾がある)
  • だから会社は副業をリスクと捉え、副業を許可する場合、なんらかの「リスク調整分」を社員に押し付ける(押し付けざるをえない)


これが私が「基本的に副業禁止」にしている理由です。

 

私が言いたいのは、「副業」ができる日本になるためには、自己責任という「自由」を勝ち得るカードを、全日本人がキチンと持ちえる国になり、そういう法律に反映させなければ、ダメだということ。

 

例えば皆さんが自分の会社で副業を認めてもらおうとしたら、こんな会話になりませんかね?

 

  • 社員「副業させろ」
  • 会社「NG」
  • 社員「なんでだよ。時間外に俺がどこで何をしようが自由だろ」
  • 会社「何かあったら会社が管理義務を問われる。だからNG」
  • 社員「なんだよそれ」


どうでしょう?


皆さんの会社では、違うでしょうか?


違う場合も、あるかも知れませんね。

 

例えば、こういう会社もあるかもしれない

 

  • 社員「給料上げてくれ」
  • 会社「むり」
  • 社員「なら残業する。残業させてくれ。」
  • 会社「むり。仕事ない。」
  • 社員「なら副業させてくれ。」
  • 会社「いいよ」


つまりこういうシナリオ。

 

このシナリオの延長線上には、結果として社員が、目先のインカムや「副業、新しい、面白そう」というシナリオにのって、例えばギグワーク系などの副業を始めてしまい、結果として「二兎を追う者は一兎をも得ず」的な「世の中にとって都合の良い労働力」にシステム的に陥らされ、貧する。

 

そんな風に思うんです。

 

わかりますかねこの話・・・


でも


でもですね、本人がそれを選ぶなら、それならそれでもいい。

 

それも自由。そういう人生を選択するのも自由。

 

そうも、思っています。


ただ


私は


私は、私の会社にそういう人は、いらない。当社はそういう社員を求めていない。

 

なぜなら


当社が社員に求める基本的なスタンスの中に「Professionalism:プロ意識」が、あるからです。

 

ソノリテの理念・哲学

sonorite.co.jp

 

 ■プロフェッショナルになろうとする人に副業など不要

 

「Professionalism:プロ意識」を社員に求めるソノリテにとって、「面白そう」なだけの「副業」は、一意専心の反対にあるものであって、単純に考えれば「Professionalism:プロ意識」に向かうモノではない。

 

すごく単純に言えば、「自他ともに認めるプロフェッショナル」と成り得ていない人が、副業をしたとしても、「プロフェッショナルに成る」という事に対して言えば、根本的には意味が無い。

 

そういう解釈。

 

だってそうじゃないですか?

 

例えばアナタが、仕事A、仕事Bが出来る存在だとして

 

 仕事A:時給2000円
 仕事B:時給1500円

 

だったとしたら、

 

アナタはどっちかといえば、仕事Aをやるべきですよね?

 

アナタに毎月160時間働ける時間があるとしたら、その160時間を全部仕事Aに向けた方が、効率が良いですよね?

 

さらに、アナタが仕事Aに専念していれば、仕事をさらに習熟していくわけだから、仕事Aの時給が2500円にアップするかも知れないじゃないですか?

 

仕事Bする暇があったら仕事Aやってたほうが良いですよね?

 

そしてそれはアナタが「仕事Aのプロ」になっていくという話ですよね?

 

そこなんですよ

 

もしアナタが、「プロフェッショナル」を目指している人ならば、仕事Bをやるメリットなんて、基本的には、無いんです。


そんな単純な話です

 

プロフェッショナルを目指している、ならば、ですが・・・

 

 

■休ませろ!って言われているのに

 

ここでさらに、別の問題として

 

会社がいかに、法律から、理不尽な事を言われているか!っていう点を、軽く解説しておきますけれど


今まで日本の会社って、

 

 「残業させてはいけない」
 「休暇をとらさせなければいけない」

 

って、法律に、言われてきているんです。

 

それは知っていますよね?


働き方改革」でも「残業」「休暇」ってのが、大きなテーマであることは、みなさんご承知の事かと思います。

 

でも、今まで「残業させてはいけない」「休暇をとらさせなければいけない」って言われてきた会社が、

 

 「(定時後や休みの時に)他の会社で働く事もみとめろ」と

 

言われたら

 

 なんじゃそりゃ?

 

って、なりますよね?

 

だって「働かすな」「休ませろ」って言われていて、さらに「他の会社で働かすことをみとめろ」って、なんじゃそりゃ?

 

  なんじゃそりゃ? なんですよ いやマジで


それが会社側の「なんじゃそりゃ?」っていう問題です。


いや、


それだけじゃない


もっとも根源的な問題として、労基法第38条第1項の、いわゆる「通算ルール」というものがある。

 

この「通算ルール」、簡単に言えば、副業・兼業の総労働時間全部、会社がちゃんと責任もてよ! というもので

 

  なんじゃそりゃ?

 

    ほんとうにもう なんじゃこりゃ!

 

「管理モデル」などいろいろな折衷案があるのですが、基本的に会社が管理する。という依存であることに変わりはなく


私も経営者として考えるに、この「通算ルール」は、完全におかしい。

 

  無理がある!

 

  バグってる!!

 

      完 全 に バ グ っ て る !!!

 

やっぱりですね~

 

基本的に「自由」ではなく「依存」が支配する日本の社会で、「自由と責任」という概念に慣れていない日本人が、「副業」をしたいんだぜい!なんて言っていたとしても、私には戯言にしか聞こえないのです。

 

 

■プロなら許す。


依存が支配する社会で、「社員は会社に働かされている」という法的概念の上では、自分の「責任」を会社に委ね、その行動が法律的にも適法だということであるならば、社員がそこで得る事が出来る自由は、会社からリスクを転嫁されたものに過ぎなんですね。

 

会社が、社員に充分な仕事量を与えられない場合の、あるいは大胆なリストラクチャが出来ないことの懐柔策として、「副業許可」が生まれてくるにすぎないように思います。

 

だから私は、自分の会社「株式会社ソノリテ」を、まだ「副業自由」に、出来ない。

 

それは私が社員にリスクを転嫁する制度にしかならないから。

 

それは、ダサイ。

 

それが私の基本的な考えなんです。まだ(副業許可)出来ない。

 

「まだ」ね。

 

でもまあ、出来る場合もあるよ。

 

出来る場合、というか、出来る社員。というのかな。

 

当社の社員の中でも「この人は、副業許可しても、いいな。」「むしろこの人は、副業してもらったほうが、いいね!」っていう人が、いる。


それは、「すでにプロフェッショナルな人」


そうです、私は【ここ超重要】

  • すでにプロフェッショナルな社員なら、副業OK
  • まだプロフェッショナルとは言えない社員なら、副業NG

というような裁定を、しています。


すでにプロフェッショナルな人は、法律がどうであれ、リスクオウンで生きているし、自らの責任を理解して生きている。

 

なのですでにプロフェッショナルな人は、副業をしようが何をしようが、それを自らの責任として、全う出来る。

 

すでにプロフェッショナルな人にとっては、

 

 仕事A:時給10000円
 仕事B:時給1500円

 

仕事Aがプロな仕事であって、仕事Bはまあ、自分の幅を広げるための何か、であったり、そういうポジティブな意味付けを、自ら付け、時間を使う。

 

わかるかな?


例えばプロスポーツの世界で例えてみます。

 

 Aさんはプロ野球選手です。一軍の四番打者です。
 Bさんはプロ野球選手ですが、まだ入ったばかりで、三軍です。

 

Aさんは、自分のバッティングを次なる高みに成長させるために、オフシーズンに高名な柔道の道場に通い、新たな視点から自分の肉体を攻め、肉体改造をすることを選択し、道場にこもりました!!

 

すばらしい!常識に捕らわれない発想!すごい選択だ!がんばれAさん!

 

Bさんは、今がガンバリどころ!まだまだ成長出来るポテンシャルがある!今こそ基礎トレーニングや試合経験をどんどん重ねて、自分を追い込む必要がある!

 

・・・のに、ちょっと知り合いに誘われて、バスケットボールの試合に出てみたり、ウィンタースポーツを齧ってみたり・・・

 

ん?Bさん、そんなんでいいの?今がガンバリどきですよ!

 

いま頑張らないと一軍には上がれないよ!野球に打ち込んだ方がいいんじゃないの?野球に打ち込んだ方がいいよゼッタイ!!!

 

そんな感じ。その違い。


つまりすでにプロフェショナルなのかどうか、その観点において副業が「その人のProfessionalismにポジティブに作用するか」を、争点とするべきなのかな。と思っています。

 

わかりますよね?

 

 

「いや、だからさ、それって個人の自由でしょ?」

 

 

はい、もちろんそうですよ。

 

 

「だからさ、俺が一軍なのか三軍なのかなんてアンタには関係ないじゃん? 俺が副業したいって言ってるんだから副業させなよ。それって俺の自由でしょ?」

 

 

はい、その通り。

 

でもね、その自由のせいで、会社にはリスクが生まれるの。

 

会社にリスクが有るような事は、私は禁止にします。

 

それにね【重要】

プロフェッショナルになろうとしない人を、リスクを背負ってまで、雇う気、俺にはないから。

 

だから、あなたが一軍なのか三軍なのかは、会社にとっては、とても重要な話なんです。

 

あなたが一軍選手で、副業をしたいというのなら、会社もリスクを背負ってでも、あなたの副業を支援しますよ

 

 

■だからハチミツさんは副業OK

 

さて、ハチミツ二郎さんの話に戻ります。


もうわかると思いますが、

 

先に私は

 

 ×ハチミツ二郎さんが有名人だから、入社させて話題を作ろう

 

ではなく

 

 ○ハチミツ二郎さんがスーパーお笑い芸人だから、入社してくれたら当社の多様性は爆上げするし、多様性を爆上げするにはハチミツ二郎さんが「スーパーお笑い芸人であり、当社の社員でもある」ことが重要だ

 

ということだから、副業を許可しているんです。と、言いましたが

 

ちょっと言い直します。

 

 ○ハチミツ二郎さんがスーパーお笑い芸人だから・・・


の所を言い直しすると

 

 ○ハチミツ二郎さんが(お笑いの)スーパープロフェッショナルだから


という、事ですね。


先の野球のAさんの例でいえば、Aさんはプロ野球チームの一軍の四番打者でした。

 

ハチミツ二郎さんは、言わずもがなお笑いの一軍の四番打者です。


そのハチミツ二郎さんが、異分野の異文化を吸収してみたいと思って、「サラリーマン」「ITコンサルタント」をやってみたい。と言っているのは、


私には、一流に登りつめた強打者が柔道に真剣に取り組んで新しい可能性の扉を開こうとしているのに似ている、と思えるんです。

 

喰えないお笑い芸人さんがアルバイトをやろうとか、サラリーマンと兼業しようと考えているのとは、わけが違うんです。

 

本業で食えないサラリーマンが副業を始めようとするのとも、わけが違うんです。

 


■基本は「敬意」

 

一度、整理します

 

私が、自分の会社で「副業」を「許可制:基本は禁止」としている理由です。

 

まず、

  1. なぜ「基本は禁止」なのか
    理由)日本の法律では、会社に、リスクが有るから

  2. なぜ、許可をしてくれないのか
    理由)副業はあなたがプロになることを阻害するから

  3. でも、許可をされる人もいるんでしょ?
    理由)その人はすでにプロだから


です。これが整理。


そして以下に、もうちょっと突っ込んだことを書きますね。

 

  1. プロもいる会社なのに、なぜ「基本は禁止」なの?
    理由)まだプロの方が少ないから。


これ、まあわかってもらえると思いますが、実際に会社を経営してみると、なかなか現実って厳しいんですよね。

 

特に若い人は、自己認識が甘い傾向にあり、自分がプロだと思い込んでいたり、まだまだ自分の正業に対して深い所に到達できていないのに「飽きた」などと考えがちだったりと、そういう話も込みで。

 

ようするに「プロフェッショナリズムとはなんだ!?」とか、「どのレベルをプロフェッショナルとするんだ!」みたいな、定義の話が出て来るんですが

 

私は、私が・・・というか会社が・・・

 

 その人(社員)のプロフェッショナリズムに「敬意」を感じているか


という、やや俗人的な感性の話に、帰着します。

 

うん。そう。俗人的。

 

齋藤(ならびに当社の意思決定機関である「共鳴装置」)が、「この人はプロフェッショナルとして、尊敬する」


というレベルであれば

 

これはもう、副業だろうがなんだろうが、自由に働いて欲しいわけだし、その人の「働き方」に対して敬意こそあれ、何かを禁止するなんてことが、そもそも違うよね。するべきじゃないよね!ということ。


わかりますよね?


逆に言えば、当社が「副業は基本OK」の会社になるとすれば

 

 A)プロフェッショナルだらけの会社になったとき

 

あるいは

 

 B)経営がうまくいかず、社員に充分な仕事量を与えられないとき

 

 

 C)副業を許可しないと、社員がみんな辞めてしまい、それが困るとき

 

と、なる。

 

もちろん会社としてB)やC)を目指すわけがないので、A)になって行くよう、経営をしているわけで。

 

だから少しずつですが、私が敬意をもってお付き合いをしている「プロ」が、会社の中に増えて行っている。

 

そういう事を確認しながら、「許可制」をとっているわけです。

 


で、さらに突っ込んだ話を加えます。

 

  1. なんのプロでもいいの?例えばケン玉のプロが入社してきたとして、その人には副業を許すの?
    答え1)当社の事業にダイレクトに関与するプロフェッショナルならば、副業を認めて行く
    (基本的には当社が本業と考えるパターン)
    答え2)当社の事業とは関与が考えにくいプロの方だとするなら、多様性の醸成や長期的視野をもって「何かありそう」と感じられるなら、ジョインしてもらう
    (基本的には当社を副業と考えるパターン)

 

はい。そういうことです。


で、ハチミツ二郎さんの場合は、答え2)の枠組みとしての「何かありそう」「何かが起こせるかもしれない」という形をもって受け入れられた。っていう事ですね。


何かありそうじゃん


わかるよね?


 ハチミツ二郎が入社するってよ!何かありそうじゃん!!


ただ、それだけの話。


まあ、時間はかかるかも知れないけれどね・・・

 

 

ハチミツ二郎という人の挑戦は、ちゃんとふざけている。

 

最後に

 

ハチミツさんがサラリーマンになったよ~という数々のメディア露出の中で、やっぱり私が注目したのは

 

フジテレビ、ワイドナショーでした

 

【参考:ザ・テレビジョン】

thetv.jp

 


この番組で、「なぜサラリーマンになったのか?」と聞かれたハチミツさんが

 

 「まず芸人としてふざけている部分がある」と言ったんですよね
(上記の引用ページにも書かれています)


そう


そこ!


そうなんですよ!そこなんです!!


今回の件で、ハチミツさんに「サラリーマンなめんなよ!」みたいなアンチコメントをした人も、何人かいるみたいなんだけども


ハチミツさん

 

 「ちゃんと ふざけている」

 

んですよ~

 


・・・おいおい


齋藤、おまえはアフォか?

 

おまえ、ナメられてんじゃんか!


おまえの会社、ふざけて入社されてんじゃん?

 


・・・あ、はい


そうですよね


そうです


いや、だってさ


そりゃそうでしょ?


だってさ、一流のお笑い芸人さんが、IT企業に普通に入社したんだよ。

 

 そりゃ、おふざけでしょ!?


それで言ったら、俺も、ふざけているよ!


はい、ハッキリ言いましょう。


私も、

 

 「ハチミツ二郎さんがソノリテの社員になったら笑えるわ~」

 「うちの社員たちビックリするだろーなー」


そんな感じですよ。


はい、私も、ふざけてます!


ふざけている。


私、前半で


当社が社員に求める基本的なスタンスの中に「Professionalism:プロ意識」が、あるからって話をしました。

 

ソノリテの理念・哲学

sonorite.co.jp


で、同じ「共鳴ファウンデーション(5つのスタンス)」ってのの中に

 

 Playful:アソビゴコロ

 

ってのも、あるんです。

 


アソビゴコロ

 


まあ、「ふざけている」も、Playful:アソビゴコロ です


いや、仕事って、マジメにやるもんですよね。はい。

 

だからさ、当社の社員達は、みんなマジメですよ。


俺だって、マジメ。


でもね


人間が、人間の為に、何かをする(何かを作ったり、何かをしてあげたり)行為の中に


 アソビゴコロ


って、大事だと思いませんか?


ハチミツさんはお笑い芸人だから、笑いのプロです!

 

言うならば「ふざけ」のプロですわ


でさ


皆さんは、どう?

 

皆さんは、皆さんにとって「働く」ってことは、なんなの?

 

働く事に


 アソビゴコロ


なくて、いいの?

 


日本の会社は、もしかしたらどこか、「マジメ」に気負いすぎて、結果として過重労働や、あるいはもっと悪質な搾取などの結果に結び付いた事を、反省すべきなんじゃないの?

 

それって、日本の「働き方改革」の、とても大きなテーマなんじゃないかしらね


私が、私の会社「株式会社ソノリテ」に、どの程度「アソビゴコロ」をインジェクション出来ているか?

 

ハチミツ二郎さんがソノリテに、どんな形でアソビゴコロをインジェクションしてくれるか?

 

そしてそれが、当社の「働き方改革」に、どのような結果をもたらすか

 

私の「責任」で「自由」にやります

 

ご期待ください。

 

 

■コロナ感染

 

そんな中

 

ハチミツ二郎さん、報道でもご承知の方も多いかと思いますが、新型コロナに感染され、緊急入院や、意識不明などを経て、復帰しましたが、


そういう経験も、なんもかんも、なんというか、派手だよ・・・


もうねぇ


心配したんだよ・・・


ご家族から連絡来て、意識不明で救急搬送されたとか、芸能人だから自社社員にもあまり情報公開出来ないし、


自分でいうのもなんですが、当社はコロナ対策は猛烈にやっている会社なんで、当社で感染する、感染させるということは99.9%あり得ないんで、まあそれは良いんだけど・・・


まあそんな、ハチミツさんと、ソノリテは、やっていきますわ!


今後の、ITとお笑いの共鳴に


ご期待ください!!!!!!!!!!!!!!!

人権侵害してくれる友人はいる?それと新しいオフィスの話

■当社は公式に在宅勤務優先の会社になります

 

当社は10月から、公式に在宅勤務優先の会社になります。

 

「公式に在宅勤務優先」っていうのはどういうことかというと、緊急事態対応とか新型コロナ対応とかいうことではなく、言うなれば永遠に、在宅勤務が主だよ。ということです。

 

「新しい生活様式」とか「ニューノーマル」とか聞きますけど、「新しい生活様式に沿った働き方へのシフト」を、公式に、本格的に始めます。

 

うちの会社は家で仕事をするのが基本で、時々オフィスを利用したら良いんじゃない?みたいな感じです。

 

それを公式に運用開始します。

 

遅いような、早いような。

 

まあ、「公式に」「本格的に」となると、いろいろと検討することがあったんでね・・・この時期になりました。

 


■オフィスを変えます

 

それで、「公式に在宅勤務優先の会社にする」の一環として、オフィスを作りなおします。

 

来週から工事ですwww

 

工事中は全員在宅勤務です。まあ工事が終わっても基本在宅勤務なんですけどね。

 

なんでオフィスを作り直すのか?ってのは、前のブログ 環境の変化と経営理念・経営方針の変更点 - saitoukazumasaa’s diary でも少し触れてますけれど

 

 「働き方改革」×「新しい生活様式

 

を真剣に考えると、どうしても今までのオフィスを捨て、新しいオフィスを作る必要があるからで。

 

今までのオフィスは「コロナ前の働き方改革」に特化した考え方だったんで、そこには根底に「密」があったんですよね・・・

 


■以前の「働き方改革」には密があった。

 

働き方改革を、「社員が自由に働く事」だと、ザックリ定義すると(ザックリだなw)、

 

前のオフィス = 自由に出社し、自由に交流し、多様に刺激し合う

 

みたいな感じだったけど

 

今度のオフィス = 出社しないで、ネットで交流し、刺激し合うけれど、それ以外の事では、たまにオフィスを使う = だが、オフィスも「密」は強要しない。

 

みたいな感じにする。

 

オフィスの存在理由の本質が変わったんで、作り直すことにしたんです。

 

例えばどんな変化か、というと

 

今までのオフィスは

  • みんなが談笑出来るソファや畳スペースなどがありました。
  • みんながシェアできるウォーターサーバーやカフェサービス等がありました。
  • みんなが買ってきたお菓子をシェアしたり、釣ったマグロを捌いてシェアしたり(本当)、そんな和気あいあいとした文化が有り、そんなオフィスでした。
  • 各執務室は基本的にセキュリティ担保の為に機密性が高めでした。

 

今度のオフィスは

  • 談笑空間を撤廃しました。
  • 飲み物などのサーバー型シェアも撤廃。
  • ドリンクサービスは個別ペットボトルに変更。
  • ソファなども基本撤廃、かわりにwebミーティングなどに使用するテレフォンブースを設置。
  • また、各部屋を仕切るパーティションも、遮音性と換気を両立できるように再設計。

 

そんな風に、作りなおします。

 


■ところで会社に仲の良い人がいますか?

 

ところで、急に話変わりますけれど、

 

みなさん、同僚でも、上司でも、部下でも、取引先でも、なんならお客さんでも良いけれど、

 

会社に、あるいは仕事のフィールドに「仲の良い人」っていますか?

 

「仲が良い」っていうのは、仕事の事だけじゃなくて、趣味とか、雑談とか、メシ喰ったり、仕事以外の事で一緒に出掛けたり、遊んだり、時に喧嘩したり、そういう「仲の良さ」です。

 

「友達」みたいな感じ。

 

そういう人、居ますか?

 

居ると、良いですね。

 

まあべつに、居なくても良いと、私は思うんデスけれど。

 


■私は友達が少ない

 

ちなみに私は、昔から、あんまり友達と呼べる人は、いないです。

 

小学校の時に「ともだち100人できるかな」っていう歌がありましたよね。今でもあるのかな?

 

あれ、なんなんでしょうね?

 

友達って、居なきゃいけないんでしょうか?

 

ほんと、嫌だわそういうの。そういう考え方。

 

例えば大学生の頃なんかは、昼飯を一人で喰っていると、「友達のいないヤツ」みたいな扱いになったりして、それってなんか「さみしいヤツ」みたいな扱いで

 

あれ、嫌だったな・・・

 

まあでも実際、私は友達と呼べる人が少ないんです。

 

他人に心を開かないというかね。今でも。

 

だから、そんな私の数少ない友達が登校しない日は、学食で一人でメシくってました。

 

いいじゃんね~別に。

 

いいんじゃね~友達なんていなくて~

 

俺はそう思うタイプ。

 

むしろなんか、「群れてる人達」が嫌いと言うか、群れる事に対して嫌悪感があるというか・・・

 

あ、いや、俺の話じゃないですね。会社に仲の良い人がいますか~って話でした。

 


■良い事だけど、ヤバイ事。

 

改めて、みなさん会社に仲の良い人がいますか?

 

「会社に友達がいますか?」って感じで捉えてもらってもいいデス。

 

あるいは「家族付き合い」みたいな感じの・・・同僚や、先輩や、後輩や、または
人生のパートナー候補とか・・・そういう関係の人、いますか?

 

もし居たら、それはとても良い事だと思います。

 

でも、とても良い事だとは思うけれど、ここで勘違いしてはいけないのは、

 

「会社の付き合いってのは、友達、家族同様」

 

だと、決めつけないことですね。

 

決めつけないこと です。

  • 会社に仲の良い人がいる

は、いいけど

  • 会社の社員は仲良しであるベキだ
  • 入社したからには他の社員と仲良くしろ
  • みんなが仲が良いのが良い会社だ

は、これは、ヤバイです。

 

もしアナタが組織のリーダーだったとしたなら、

 

「家族・友人みたいな社員との関係」こそ、社内の円滑なコミュニケーションの姿なんだ!

 

と、思っていたら、

 

そう、決めつけていたら、

 

それは、ヤバイですね~

 


■会社の付き合いは家族・友人同様、ではない

 

もし会社の付き合いってのを、「家族・友人みたいな社員との関係」と考えているのだとするなら、

 

それはすごく「仲良くなること」に、重点が置かれていますね。

 

仲が良ければ

  • 楽しい、気が楽(らく)
  • 助け合える。気を使い合える
  • 愚痴を言い合ったり、本音で語れる

まあ、いろいろな良い事があるのでしょうけれど

 

でもですね・・・「家族主義」「友情主義」みたいな、「密」な関係性を、その延長線上に伸ばしていくと、

 

例えばコミュニケーションが、以下のような感じになりませんか?

 

「おい、一杯行こうぜ」
「おれの酒が飲めねえのか」
「おまえもそろそろ恋人の一人や二人つくれよ」
「髪切った?カワイイね」
「バカやろうそれでもわが社の社員か!」

 

って、なっちゃいません?

 

わかりますか?

 

これ、みんな、家族・友達だったら、言っても良い事ですよね

 

でも家族や友達じゃないんだから、ダメですね

 

会社の付き合いってのは、家族でも、友達でもないんだから、これダメです。

 

ハラスメントです。

 

それが、「働き方改革」の、基礎です。

 


■そうはいっても家族主義、友達主義

 

でもですね・・・

 

やっぱり日本の組織ってのは、まだまだ「家族・友達みたいな人間関係」をベースに、考えられているところがあるように思います。

 

なんというか

  • まず、仲良くなる
  • 仲良くなれば、良い仕事が出来る

みたいなね。

 

「親睦を深める」みたいなね。

 

本来、仲がいいかどうかなんて、仕事には関係がないはずじゃないですか?

 

でも、なんか違う。

 

仲がいいと話がスムーズで、そうじゃないと、なんかギクシャクする。

 

んな、アフォな

 

でも、実際にそういうことは、沢山起きている

  • 経理と仲が良いAさんが、話をつけてくれた
  • 仲良しのBさんになら、この仕事を頼みやすい
  • CさんとDさんは犬猿の仲だから、同じ会議に呼んじゃダメ

とかね。

 

んな、アフォな・・・って話が、実は会社の中では沢山起きている。

 

じゃあ、会社の中の社員がみ~んな仲が良い会社なら、良いんじゃない?

 

まあ、確かに。そりゃそうかも、だけど。

 

だけど私は

 

みんなが仲の良い組織ってのは、幻想だと思います。

 

現実は、仲良しでもないのに、会社の同僚っていう理由だけで、「友達みたいなコミュニケーション」を求められる。

 

そしてその延長には、対人関係のストレスや、ハラスメントが起きている。

 

そんな息苦しさが、多いように思います。

 

会社の人間関係は、友達みたいな人間関係では、ないにも拘わらず、です。

 

日本人のDNAに、深く刻まれている、「仲良し」みたいな関係性を「正」とする所が有って、それが未だに、組織に存在している。

 

でもそんな「仲良し組織」なんてのは、ない。

 

みんなが「仲良しのふり」をしているに過ぎない

 

 

■会社に仲の良い人がいますか?

 

さてここで、最初の質問に戻ります。

 

みなさん、会社に、同僚でも、上司でも、部下でも、取引先でも、なんならお客さんでも良いけれど、

 

仕事場に「仲の良い人」って居ますか?

 

居たら、良いですね。

 

でも、それは全員じゃないですよね?

 

そして、例えば会社の上司には、「仲の良いフリ」を、していますか?従順な人を、演じていませんか?

 


■でも同僚が友達なら、良いんじゃない?

 

もしアナタに、仕事場に「仲の良い人」がいるのなら、それは良い事ですね。

 

会社の上司、部下、同僚などが、「仲の良い友達」ならば・・・何をやっても良いですもんね。

 

確かにですね、「会社の人間関係は、友人みたいな人間関係ではない」のですが、

 

でも、「会社の同僚と友人みたいな人間関係を構築している」ならば、ハラスメントしても、イインデス。

 

「おい、一杯行こうぜ」
「おれの酒が飲めねえのか」
「おまえもそろそろ恋人の一人や二人つくれよ」
「髪切った?カワイイね」
「バカやろうそれでもわが社の社員か!」

 

ってのは、「ナカノイイ友達みたいな同僚」に対して言うなら、イインデス。

 

あるいは「家族同然で付き合っている部下」に対しても、(それが上司側の勝手な思い込みじゃなければ)イインデス。

 

でもですね、

 

まずそれって、幻想ですよ。

 

本当に仲の良いグループなんて、せいぜい2~5名くらいまでが限界ですし、

 

みんな無理をして、「仲の良いフリ」をし合っているに過ぎないはずです。

 

「いや、俺はそうじゃないな。俺はすごく、密着した人間関係が好きだし、縦社会とか、俺は全然良いと思うよ。」

 

そんな人、未だに、いる。

 

「体育会系」みたいな事言ったりしてね

 

その「息苦しさ」を壊し、新しい関係性を作りこむことも、働き方改革の命題なわけなんです・・・

 

 

■仲の良い組織は良い組織

 

ここまでの整理

 

この「幻想」の話をしますけれど・・・

 

幻想とは言え、みんなが仲の良い組織がもしあったとしたなら、これはもう「良い組織」ですよね。

  • 社員がみな、仲が良くて、笑顔が絶えない
  • 時に度を越して厳しく叱ったり、言いすぎる事もあるけれど、それらはみな「相手を想って」の事で、言われた方も「なかのいい家族みたいな」相手になら、素直に聞ける
  • 大きなピンチがあったとしても、みなが組織を守ろうと一生懸命になってくれる

 

そんな感じかな

 

大きな家族みたいな組織ね・・・

 

だからまあ、「幻想」とはいえ、会社が「社風」として、社員に「仲の良さ」を求めていたとして、社員はそれを感じ取って「仲の良い組織(それを演じている組織)」が、上手に出来上がっていたとしたら、

 

実は良いパフォーマンスを発揮していたのだと思います。私は。

 

でもそんなこと、もう、考えちゃダメなんですよね。少なくとも、組織のリーダーは・・・

 

みんな、独立した個人なんです。

 

「家族になること」を期待する事は、出来ないんです・・・

 

 

■もう演じない。

 

最近の人は、この「演じる」をやらなくなりました。

 

忖度しなくなったというか

 

空気を読まなくなったというか

 

「嫌な事はやらなくていい」という自由を前提に、生きている人が、多くなりました。

 

だから、ハラスメントが問題になる社会になりました。

 

でも、日本の社会はまだまだ、仲が良い組織は良い組織だと思っているので、

 

最近の人は、演じろと言われたらあっさりと逃げ、

 

どこかに「私が仲良く出来る組織が有る」という幻想を追いかけている人が多い・・・

 

私はこの問題を「働き方改革」の一つと捉え、ずっと考えてきました。

 


■人はなぜ「組織」に属そうとするのか

 

さて、私は先に「会社の人間関係は、友人みたいな人間関係ではない」と書きました。

 

でも、人は「仲良く出来る組織が有るという幻想を追いかけている」とも書きました。

 

“会社”というコミュニティは、共同で利益追求をし、生活の基盤を作るモノです。

 

そこに必要な人の関係は、ドライな物でよく、プロフェッショナル同士が仕事のパフォーマンスと利害関係で繋がってさえいればよく、それが効率的に機能してさえいれば良いはずです。

 

「あの人とは趣味が一緒だから話しやすい」とか

 

「あの人は学友でオレおまえの間柄なんだ」とか

 

そういう「仲(なか)」は関係がない。

 

が、しかし、見方を変え

 

“会社”、または会社を含む多くのコミュニティに対し、人がなぜ「組織に属そうとするのか?」を考えてみると、

 

その重要な部分に、

 

 「人は、人と繋がりたい」

 

ってのが、ありますよね?

 

例えばカラオケが趣味だとして

 

そんなアナタはなんで「カラオケクラブ」に入りたいかというと

 

それは「(カラオケ)友達が作りたいから」

 

だという点が、大きい。

 

人は、人との出逢いや繋がりを求めて、組織を求めるのであり、

 

それは、組織の一つである「会社」にも、同じことが言えると私は思います。

 

友達(候補)と、出逢いたいんです。

 

そして会社は、以前は「そういう場所」でも、ありました(過去形)

 

 

■ここでさらに「密」の話

 

「人が組織を求めるのは、人との出逢いや繋がりを求めている部分が有る」

 

いったんそれを前提にして、

 

ここでさらに、「密」の話に戻しましょう。

 

「密はダメ」というニューノーマルを、今後どのように組織にもたらせていくか、組織はどのように変化する必要があるか、と言う話です。

 


社内結婚の例

 

ちょっと大げさな例を書きますね。

 

例えば、社員Aさんと社員Bさんが、最終的に家族になるとする

 

まあ、社内結婚とか、そういう事です。

(いやべつに、職場結婚の話じゃなくてもいいんですけれど、わかりやすいかな~と思って、これで書きます。)

 

「人が組織に求める人との出逢いや繋がり」を、「社内結婚」という形を例に、説明します。

 

で、AさんとBさんは、入社してから、だんだん距離が近付いていくわけです。

 

だって最後には結婚するんだから。

 

で、その、結婚をする前の段階といえば、

 

それは「友達」ですよね?

 

社内の同僚のうち、よく遊びに行く「友達グループ」の仲間だったのかも、知れませんね。

 

そしてこの「友達」の前は、AさんとBさんの関係は

 

「単なる同僚」ですよね?

 

で、言いたいのはですね。

 

このAさんとBさんの間柄は、職場内で、

 

 段階1「単なる同僚」
   ↓
 段階2「同僚の中で仲良しグループ、友達」
   ↓
 段階3「それ以上に親しい仲(恋人とかそういう感じ)」
   ↓
 段階4「結婚」

 

って感じで、進化していくワケですよね。

 


■ソーシャルディスタンス

 

はい。それでですね

 

「ソーシャルディスタンス」って言いますよね?

 

2mくらいですかね。ソーシャルディスタンス。

 

この「ソーシャルディスタンス」って、

 

 誰と誰の距離なの?

 

っていう話をしたいんです。


さっきの社内結婚の段階の話をします。

 

AさんとBさんが、

 

 段階1「単なる同僚」という間柄なら、

 

ソーシャルディスタンスをとるベキですよね?

 

仕事でいえば、例えばお客様や取引先、あるいは上司や部下や、それらの人とは、ソーシャルディスタンスを、とるベキです。

 

じゃあ次。AさんとBさんが、

 

 段階2「同僚の中で仲良しグループ、友達」の場合、どうか?

 

これは、時々は、ソーシャルディスタンスを超えて近付いてもいい・・・ですよね?

 

だって、その次がありますからね

 

もしアナタがAさんだったとして、あなたはBさんと「友達みたいな同僚」だったとするじゃないですか?

 

で、アナタはBさんと、「恋人になりたいなぁ」と思っていたとしたら

そしたら、例えばBさんと手を繋ぎたくなりますよね?

 

手をつなぐ機会を探りますよね?

 

はい、ソーシャルディスタンス、破れました。

 

「手をつなぐ」だと、直接的過ぎますかね?

 

でも「スキンシップ」だとわかりやすいからそう書きました。

 

ようするに、言いたい事は

 

【ここ重要!】

  • 「友達」って、「ソーシャルな関係」の内側に入っても良い関係だと、思いませんか?
  • そして「人」は、出逢いの延長線上に、「密」を求めるものだと、思いませんか?

 


■同僚と友達の違い

 

例えば友達と、同じ車でドライブに行ったり、同じ時間を共有し、親密度を上げて行ったりする行為の中には、ソーシャルなヨソヨソしい関係を超えたものがあるはずだし、あるべきである。

 

そう、思いませんか?

 

それが「同僚」と「友達」の違いだと思うんですよね。

 

例えば「友達」と呑みに行ったとして、「友達」がメチャメチャに酔って、トイレで潰れちゃった。

 

そんな「友達」を介抱したことがある人は、けっこういるんじゃないでしょうか?

 

その時、それが現代のWithコロナ時代だとしても、友達ならソーシャルディスタンスを超えて介抱しますよね?

 

それが友達ですよね?

 


■発展

 

そして、

 

そういう様々な、友達同士の

 

「体験/事件/ハプニング」

 

みたいな経験を、密に繰り返していくうちに

 

ある人達は

 

段階3「それ以上に親しい仲(恋人とかそういう感じ)」に、発展していく。

 

そういうものですよね?

 

それが、その可能性が、組織にはあるんですよね?

 

そういう可能性が、人を組織に向かわせるのですよね?

 

いやもちろん、人にもよるけれど・・・

 

 

■組織に所属する事の価値が「密」?

 

つまりですね

 

人がなぜ組織に所属したがるか?という問題に対し、

 

例えば会社であれば、

  • それは生活の為
  • それは社会の為、
  • 労働は国民の義務

みたいな公式な理由も、もちろんあるわけですが、

 

それ以外の要素として、「出逢いや繋がりを求め、会社に入社する」ってものも、あると思うんです。

 

それはもちろん人によります。

 

例えば仕事以外で、沢山のコミュニティに所属していたり、家族やパートナーなどのつながりも持っている人は、仕事場に「出逢いや繋がり」は、特に求めていないかも知れない。

 

そういう人にとって、会社はシンプルに仕事だけ出来ればいいわけで。

 

会社から「仲良くしろ」とか「呑み行くぞ」とか言われると、ウザイだけなわけです。

 

でも、そうじゃない人もいる。

 

人と仲良くなりたい。

 

色々な人と出逢いたい。

 

そういう「居場所」を求めている人は、沢山いる。

 

そう、考えるとですね

 

はたして、会社は

  • 完全にソーシャルディスタンスを保って働ける環境
  • 完全に在宅勤務で、リモートで働ける環境
  • 密になる可能性が完全除去された環境
  • ハラスメントが行われる可能性を完全に除去した環境

として、本当にいいのか?

 

本当に、人間の根源にある活動衝動、所属欲求に対し、向き合わなくて良いのか?

 

そうじゃないとするなら、「密」と「疎」は、どのような塩梅が適切なのか?

 

という、疑問がずっと、あったわけです。

 

が、しかし、この度答えを出しました。

 

それが新オフィスのデザインです。

 


■会社に仲の良い人がいますか?

 

さて話を戻して、もう一度、聞きます。

 

みなさん、会社に、同僚でも、上司でも、部下でも、取引先でも、なんならお客さんでも良いけれど、

 

仕事のフィールドに「仲の良い人」っていますか?

 

「仲が良い」っていうのは、仕事の事だけじゃなくて、趣味とか、雑談とか、メシ喰ったり、仕事以外の事で一緒に出掛けたり、遊んだり、時に喧嘩したり、そういう「仲の良さ」です。

 

「友達」みたいな感じ。

 

そういう人、居ますか?

 

居ると、良いですね。


そして


その「友達」は、あなたにとって、どんな「友達」ですか?

 

  • A)あなたを徹底的に守ってくれる、あなたを徹底的に甘やかしてくれる、そんなやさしい人ですか?
  • B)あなたに正論を言い、あなたの甘い所をただし、時にあなたに厳しい言葉を言ってくれる、そんな厳しい人ですか?


どちらでしょう?

 

いま話題にしたいのはB)です。

 

あなたにはB)のような友達が、いますか?

 

「ちゃんと起きて!仕事に遅れるよ!」
「ちゃんと歯を磨きなさい!洗濯をしなさい!」
「ちゃんと挨拶をしなさい!」
「卑怯な事をするな!」
「我慢しなさい!」
「逃げたら終わりだぞ!逃げちゃダメだ!」

 

そういう事を言ってくれる、友達、家族、パートナーが、いますか?

 

いないとして

 

いなかったら、もしかしたらアナタは、「リモート優位の世界」で、堕落しませんかね?

 

私だったら、間違いなく、堕落します。

 

在宅勤務と偽って、働いているフリだけして、そのうち社会に取り残されて、堕落します。

 

今までの日本の会社は、ハラスメント的集団を形成する事で、組織がこのB)の機能を
果していました。

 

その文化の基礎として、

  • 社員がみな、仲が良くて、笑顔が絶えない
  • 時に度を越して厳しく叱ったり、言いすぎる事もあるけれど、それらはみな「相手を想って」の事で、言われた方も「なかのいい家族みたいな」相手になら、素直に聞ける
  • 大きなピンチがあったとしても、みなが組織を守ろうと一生懸命になってくれる

という理想が、あり

 

「おい、一杯行こうぜ」
「おれの酒が飲めねえのか」
「おまえもそろそろ恋人の一人や二人つくれよ」
「髪切った?カワイイね」
「バカやろうそれでもわが社の社員か!」

 

という、越権行為がありました。

 

しかし

 

働き方改革」×「新しい生活様式

 

は、この「家族主義的越権」を、否定し、

  • 個の権利
  • 「密」の否定、「疎」の肯定

を優先する必要があるんです。

 

だから皆さんは、堕落します。

 

あなたにB)のような友達、家族、パートナーが、いなければ、です。

 

じゃあ、いないとして

 

どこで、出逢いますか?

 

そんなB)と、どこで出逢いますか?

 

もう、会社では、出逢えませんよ・・・「疎」ですからね・・・

 


■会社に仲の良い人がいますか?

 

最後にもう一度、聞きます。

 

みなさん、同僚でも、上司でも、部下でも、取引先でも、なんならお客さんでも良いけれど、

 

会社以外でも良いデス。友達、家族、パートナー、誰でもいいです

 

「あなたに正論を言い、あなたの甘い所をただし、時にあなたに厳しい言葉を言ってくれる、そんな厳しい、仲の良い人」って、いますか?

 

いなかったら、アナタは

 

 「働き方改革」×「新しい生活様式

 

という前提における

  • 個の権利
  • 「密」の否定、「疎」の肯定

によって、堕落します。

 

あなたの権利を飛び越えて、あなたのソーシャルディスタンスの中に入って来て、あなたに苦言を言ってくれる人。

 

あなたの人権を侵害し、あなたを成長させようとしてくれる人。

 

あなたの「堕落する権利」「逃げ癖」「幼稚さ」に対し、侵害してくれる人。

 

そういう人、いますか?

 

いなかったら・・・もちろんいないままでいることも、あなたの自由です。

 

でももし、「堕落」が怖いと、少しでも思うなら・・・

 

さて、どうします?

 

私は新しいオフィスの重要な役割は、そこだと思います。

 

 

■オフィスという空間

 

最後に、オフィスの話をします。

 

新しいオフィスを作っています。工事をしています。

 

どういうオフィスか?

 

旧オフィスは、「出逢えるオフィス」「密になれるオフィス」でした。

 

新オフィスは

 「ディスタンスを確保し、疎に集えるオフィス」

です。

 

過去、オフィスの存在価値には、様々な物がありました。

 

ラポール形成、「阿吽の呼吸」作り、偶発的なチャンスメイク・・・

 

ですが新しいオフィスは、「新しい生活様式」の要請に従い、その基礎となる「出逢い」を「疎」な物にします。

 

社員同士は、アクリルパーティションで区切られたデスクで仕事をします。

 

コミュニケーションの主体はチャットなので、リモートと変わらない状況に
なるでしょう。

 

つまり「疎」です。

 

「疎」なので「出逢い能力」は、低い。

 

では新オフィスは、新しい生活様式に対応する為に、「出逢い能力」を劣化させたオフィスということになるのでしょうか?

 

それはそうでもあり、しかしそうではない。

 

私はそこに「オフィスの空気」というものを重要視したい。

 

 

■オフィスは「空気」

 

新しいオフィスは「密」ではない。

 

なのでリモート勤務と変わりはない・・・のではない。

 

そこには「オフィス」という空気がある。

 

これが在宅空間とは、まったく異なる。

 

人は堕落をする。

 

苦言を言ってくれる人がいなければ、堕落をする。

 

が、空気が有ればどうだろう?

 

よく、カフェで仕事をすると捗る(あるいは勉強をすると捗る)という人がいます。

 

カフェには、自宅にはない(疎な)衆人環視空間があります。そういう空気が有ります。

 

だからカフェだと集中できるのだ!たぶんそうです。

 

きっとそういう人は、カフェの衆人環視をうまく利用し、昇華し、自分を「仕事モード」「勉強モード」に出来るのだと思います。

 

つまり「その空気」は、人を堕落から救うわけです。


でも、カフェは仕事に最適化された空間ではないですよね?

 

たしかに飛沫対策がなされたカフェが増えたし、電源のあるカフェも多い。

 

でも、業務セキュリティ対策が施されているわけでもないし、ホワイトボードもない。

 

カフェでリモート会議をしたら、他の客に迷惑でしょう。

 

 

だから、つまりそれが「新しいオフィス」です。

 

つまり新しいオフィスは

  • 「疎」である
  • 「衆人環視」がある。仕事モード的空気が有る。
  • そして仕事に特化した場所である

というもので、あるべきだと、私は考えたのです。

 

そのように、オフィスを作りなおします。

 

これからの

 

 「働き方改革」×「新しい生活様式

 

という前提における

  • 個の権利
  • 「密」の否定、「疎」の肯定

によって、

 

堕落しそうになったら、

 

オフィスに行きましょう。

 

オフィスの空気の中で、仕事をし、「仕事モード」を、取り戻しましょう。

 

 

当社、「株式会社ソノリテ」の新しいオフィスが完成したら、ご興味が有ったら、ぜひ遊びに来てください。

 

猫専務も、居ますよ