■当社は公式に在宅勤務優先の会社になります
当社は10月から、公式に在宅勤務優先の会社になります。
「公式に在宅勤務優先」っていうのはどういうことかというと、緊急事態対応とか新型コロナ対応とかいうことではなく、言うなれば永遠に、在宅勤務が主だよ。ということです。
「新しい生活様式」とか「ニューノーマル」とか聞きますけど、「新しい生活様式に沿った働き方へのシフト」を、公式に、本格的に始めます。
うちの会社は家で仕事をするのが基本で、時々オフィスを利用したら良いんじゃない?みたいな感じです。
それを公式に運用開始します。
遅いような、早いような。
まあ、「公式に」「本格的に」となると、いろいろと検討することがあったんでね・・・この時期になりました。
■オフィスを変えます
それで、「公式に在宅勤務優先の会社にする」の一環として、オフィスを作りなおします。
来週から工事ですwww
工事中は全員在宅勤務です。まあ工事が終わっても基本在宅勤務なんですけどね。
なんでオフィスを作り直すのか?ってのは、前のブログ 環境の変化と経営理念・経営方針の変更点 - saitoukazumasaa’s diary でも少し触れてますけれど
を真剣に考えると、どうしても今までのオフィスを捨て、新しいオフィスを作る必要があるからで。
今までのオフィスは「コロナ前の働き方改革」に特化した考え方だったんで、そこには根底に「密」があったんですよね・・・
■以前の「働き方改革」には密があった。
働き方改革を、「社員が自由に働く事」だと、ザックリ定義すると(ザックリだなw)、
前のオフィス = 自由に出社し、自由に交流し、多様に刺激し合う
みたいな感じだったけど
今度のオフィス = 出社しないで、ネットで交流し、刺激し合うけれど、それ以外の事では、たまにオフィスを使う = だが、オフィスも「密」は強要しない。
みたいな感じにする。
オフィスの存在理由の本質が変わったんで、作り直すことにしたんです。
例えばどんな変化か、というと
今までのオフィスは
- みんなが談笑出来るソファや畳スペースなどがありました。
- みんながシェアできるウォーターサーバーやカフェサービス等がありました。
- みんなが買ってきたお菓子をシェアしたり、釣ったマグロを捌いてシェアしたり(本当)、そんな和気あいあいとした文化が有り、そんなオフィスでした。
- 各執務室は基本的にセキュリティ担保の為に機密性が高めでした。
今度のオフィスは
- 談笑空間を撤廃しました。
- 飲み物などのサーバー型シェアも撤廃。
- ドリンクサービスは個別ペットボトルに変更。
- ソファなども基本撤廃、かわりにwebミーティングなどに使用するテレフォンブースを設置。
- また、各部屋を仕切るパーティションも、遮音性と換気を両立できるように再設計。
そんな風に、作りなおします。
■ところで会社に仲の良い人がいますか?
ところで、急に話変わりますけれど、
みなさん、同僚でも、上司でも、部下でも、取引先でも、なんならお客さんでも良いけれど、
会社に、あるいは仕事のフィールドに「仲の良い人」っていますか?
「仲が良い」っていうのは、仕事の事だけじゃなくて、趣味とか、雑談とか、メシ喰ったり、仕事以外の事で一緒に出掛けたり、遊んだり、時に喧嘩したり、そういう「仲の良さ」です。
「友達」みたいな感じ。
そういう人、居ますか?
居ると、良いですね。
まあべつに、居なくても良いと、私は思うんデスけれど。
■私は友達が少ない
ちなみに私は、昔から、あんまり友達と呼べる人は、いないです。
小学校の時に「ともだち100人できるかな」っていう歌がありましたよね。今でもあるのかな?
あれ、なんなんでしょうね?
友達って、居なきゃいけないんでしょうか?
ほんと、嫌だわそういうの。そういう考え方。
例えば大学生の頃なんかは、昼飯を一人で喰っていると、「友達のいないヤツ」みたいな扱いになったりして、それってなんか「さみしいヤツ」みたいな扱いで
あれ、嫌だったな・・・
まあでも実際、私は友達と呼べる人が少ないんです。
他人に心を開かないというかね。今でも。
だから、そんな私の数少ない友達が登校しない日は、学食で一人でメシくってました。
いいじゃんね~別に。
いいんじゃね~友達なんていなくて~
俺はそう思うタイプ。
むしろなんか、「群れてる人達」が嫌いと言うか、群れる事に対して嫌悪感があるというか・・・
あ、いや、俺の話じゃないですね。会社に仲の良い人がいますか~って話でした。
■良い事だけど、ヤバイ事。
改めて、みなさん会社に仲の良い人がいますか?
「会社に友達がいますか?」って感じで捉えてもらってもいいデス。
あるいは「家族付き合い」みたいな感じの・・・同僚や、先輩や、後輩や、または
人生のパートナー候補とか・・・そういう関係の人、いますか?
もし居たら、それはとても良い事だと思います。
でも、とても良い事だとは思うけれど、ここで勘違いしてはいけないのは、
「会社の付き合いってのは、友達、家族同様」
だと、決めつけないことですね。
決めつけないこと です。
- 会社に仲の良い人がいる
は、いいけど
- 会社の社員は仲良しであるベキだ
- 入社したからには他の社員と仲良くしろ
- みんなが仲が良いのが良い会社だ
は、これは、ヤバイです。
もしアナタが組織のリーダーだったとしたなら、
「家族・友人みたいな社員との関係」こそ、社内の円滑なコミュニケーションの姿なんだ!
と、思っていたら、
そう、決めつけていたら、
それは、ヤバイですね~
■会社の付き合いは家族・友人同様、ではない
もし会社の付き合いってのを、「家族・友人みたいな社員との関係」と考えているのだとするなら、
それはすごく「仲良くなること」に、重点が置かれていますね。
仲が良ければ
- 楽しい、気が楽(らく)
- 助け合える。気を使い合える
- 愚痴を言い合ったり、本音で語れる
まあ、いろいろな良い事があるのでしょうけれど
でもですね・・・「家族主義」「友情主義」みたいな、「密」な関係性を、その延長線上に伸ばしていくと、
例えばコミュニケーションが、以下のような感じになりませんか?
「おい、一杯行こうぜ」
「おれの酒が飲めねえのか」
「おまえもそろそろ恋人の一人や二人つくれよ」
「髪切った?カワイイね」
「バカやろうそれでもわが社の社員か!」
って、なっちゃいません?
わかりますか?
これ、みんな、家族・友達だったら、言っても良い事ですよね
でも家族や友達じゃないんだから、ダメですね
会社の付き合いってのは、家族でも、友達でもないんだから、これダメです。
ハラスメントです。
それが、「働き方改革」の、基礎です。
■そうはいっても家族主義、友達主義
でもですね・・・
やっぱり日本の組織ってのは、まだまだ「家族・友達みたいな人間関係」をベースに、考えられているところがあるように思います。
なんというか
- まず、仲良くなる
- 仲良くなれば、良い仕事が出来る
みたいなね。
「親睦を深める」みたいなね。
本来、仲がいいかどうかなんて、仕事には関係がないはずじゃないですか?
でも、なんか違う。
仲がいいと話がスムーズで、そうじゃないと、なんかギクシャクする。
んな、アフォな
でも、実際にそういうことは、沢山起きている
とかね。
んな、アフォな・・・って話が、実は会社の中では沢山起きている。
じゃあ、会社の中の社員がみ~んな仲が良い会社なら、良いんじゃない?
まあ、確かに。そりゃそうかも、だけど。
だけど私は
みんなが仲の良い組織ってのは、幻想だと思います。
現実は、仲良しでもないのに、会社の同僚っていう理由だけで、「友達みたいなコミュニケーション」を求められる。
そしてその延長には、対人関係のストレスや、ハラスメントが起きている。
そんな息苦しさが、多いように思います。
会社の人間関係は、友達みたいな人間関係では、ないにも拘わらず、です。
日本人のDNAに、深く刻まれている、「仲良し」みたいな関係性を「正」とする所が有って、それが未だに、組織に存在している。
でもそんな「仲良し組織」なんてのは、ない。
みんなが「仲良しのふり」をしているに過ぎない
■会社に仲の良い人がいますか?
さてここで、最初の質問に戻ります。
みなさん、会社に、同僚でも、上司でも、部下でも、取引先でも、なんならお客さんでも良いけれど、
仕事場に「仲の良い人」って居ますか?
居たら、良いですね。
でも、それは全員じゃないですよね?
そして、例えば会社の上司には、「仲の良いフリ」を、していますか?従順な人を、演じていませんか?
■でも同僚が友達なら、良いんじゃない?
もしアナタに、仕事場に「仲の良い人」がいるのなら、それは良い事ですね。
会社の上司、部下、同僚などが、「仲の良い友達」ならば・・・何をやっても良いですもんね。
確かにですね、「会社の人間関係は、友人みたいな人間関係ではない」のですが、
でも、「会社の同僚と友人みたいな人間関係を構築している」ならば、ハラスメントしても、イインデス。
「おい、一杯行こうぜ」
「おれの酒が飲めねえのか」
「おまえもそろそろ恋人の一人や二人つくれよ」
「髪切った?カワイイね」
「バカやろうそれでもわが社の社員か!」
ってのは、「ナカノイイ友達みたいな同僚」に対して言うなら、イインデス。
あるいは「家族同然で付き合っている部下」に対しても、(それが上司側の勝手な思い込みじゃなければ)イインデス。
でもですね、
まずそれって、幻想ですよ。
本当に仲の良いグループなんて、せいぜい2~5名くらいまでが限界ですし、
みんな無理をして、「仲の良いフリ」をし合っているに過ぎないはずです。
「いや、俺はそうじゃないな。俺はすごく、密着した人間関係が好きだし、縦社会とか、俺は全然良いと思うよ。」
そんな人、未だに、いる。
「体育会系」みたいな事言ったりしてね
その「息苦しさ」を壊し、新しい関係性を作りこむことも、働き方改革の命題なわけなんです・・・
■仲の良い組織は良い組織
ここまでの整理
この「幻想」の話をしますけれど・・・
幻想とは言え、みんなが仲の良い組織がもしあったとしたなら、これはもう「良い組織」ですよね。
- 社員がみな、仲が良くて、笑顔が絶えない
- 時に度を越して厳しく叱ったり、言いすぎる事もあるけれど、それらはみな「相手を想って」の事で、言われた方も「なかのいい家族みたいな」相手になら、素直に聞ける
- 大きなピンチがあったとしても、みなが組織を守ろうと一生懸命になってくれる
そんな感じかな
大きな家族みたいな組織ね・・・
だからまあ、「幻想」とはいえ、会社が「社風」として、社員に「仲の良さ」を求めていたとして、社員はそれを感じ取って「仲の良い組織(それを演じている組織)」が、上手に出来上がっていたとしたら、
実は良いパフォーマンスを発揮していたのだと思います。私は。
でもそんなこと、もう、考えちゃダメなんですよね。少なくとも、組織のリーダーは・・・
みんな、独立した個人なんです。
「家族になること」を期待する事は、出来ないんです・・・
■もう演じない。
最近の人は、この「演じる」をやらなくなりました。
忖度しなくなったというか
空気を読まなくなったというか
「嫌な事はやらなくていい」という自由を前提に、生きている人が、多くなりました。
だから、ハラスメントが問題になる社会になりました。
でも、日本の社会はまだまだ、仲が良い組織は良い組織だと思っているので、
最近の人は、演じろと言われたらあっさりと逃げ、
どこかに「私が仲良く出来る組織が有る」という幻想を追いかけている人が多い・・・
私はこの問題を「働き方改革」の一つと捉え、ずっと考えてきました。
■人はなぜ「組織」に属そうとするのか
さて、私は先に「会社の人間関係は、友人みたいな人間関係ではない」と書きました。
でも、人は「仲良く出来る組織が有るという幻想を追いかけている」とも書きました。
“会社”というコミュニティは、共同で利益追求をし、生活の基盤を作るモノです。
そこに必要な人の関係は、ドライな物でよく、プロフェッショナル同士が仕事のパフォーマンスと利害関係で繋がってさえいればよく、それが効率的に機能してさえいれば良いはずです。
「あの人とは趣味が一緒だから話しやすい」とか
「あの人は学友でオレおまえの間柄なんだ」とか
そういう「仲(なか)」は関係がない。
が、しかし、見方を変え
“会社”、または会社を含む多くのコミュニティに対し、人がなぜ「組織に属そうとするのか?」を考えてみると、
その重要な部分に、
「人は、人と繋がりたい」
ってのが、ありますよね?
例えばカラオケが趣味だとして
そんなアナタはなんで「カラオケクラブ」に入りたいかというと
それは「(カラオケ)友達が作りたいから」
だという点が、大きい。
人は、人との出逢いや繋がりを求めて、組織を求めるのであり、
それは、組織の一つである「会社」にも、同じことが言えると私は思います。
友達(候補)と、出逢いたいんです。
そして会社は、以前は「そういう場所」でも、ありました(過去形)
■ここでさらに「密」の話
「人が組織を求めるのは、人との出逢いや繋がりを求めている部分が有る」
いったんそれを前提にして、
ここでさらに、「密」の話に戻しましょう。
「密はダメ」というニューノーマルを、今後どのように組織にもたらせていくか、組織はどのように変化する必要があるか、と言う話です。
■社内結婚の例
ちょっと大げさな例を書きますね。
例えば、社員Aさんと社員Bさんが、最終的に家族になるとする
まあ、社内結婚とか、そういう事です。
(いやべつに、職場結婚の話じゃなくてもいいんですけれど、わかりやすいかな~と思って、これで書きます。)
「人が組織に求める人との出逢いや繋がり」を、「社内結婚」という形を例に、説明します。
で、AさんとBさんは、入社してから、だんだん距離が近付いていくわけです。
だって最後には結婚するんだから。
で、その、結婚をする前の段階といえば、
それは「友達」ですよね?
社内の同僚のうち、よく遊びに行く「友達グループ」の仲間だったのかも、知れませんね。
そしてこの「友達」の前は、AさんとBさんの関係は
「単なる同僚」ですよね?
で、言いたいのはですね。
このAさんとBさんの間柄は、職場内で、
段階1「単なる同僚」
↓
段階2「同僚の中で仲良しグループ、友達」
↓
段階3「それ以上に親しい仲(恋人とかそういう感じ)」
↓
段階4「結婚」
って感じで、進化していくワケですよね。
■ソーシャルディスタンス
はい。それでですね
「ソーシャルディスタンス」って言いますよね?
2mくらいですかね。ソーシャルディスタンス。
この「ソーシャルディスタンス」って、
誰と誰の距離なの?
っていう話をしたいんです。
さっきの社内結婚の段階の話をします。
AさんとBさんが、
段階1「単なる同僚」という間柄なら、
ソーシャルディスタンスをとるベキですよね?
仕事でいえば、例えばお客様や取引先、あるいは上司や部下や、それらの人とは、ソーシャルディスタンスを、とるベキです。
じゃあ次。AさんとBさんが、
段階2「同僚の中で仲良しグループ、友達」の場合、どうか?
これは、時々は、ソーシャルディスタンスを超えて近付いてもいい・・・ですよね?
だって、その次がありますからね
もしアナタがAさんだったとして、あなたはBさんと「友達みたいな同僚」だったとするじゃないですか?
で、アナタはBさんと、「恋人になりたいなぁ」と思っていたとしたら
そしたら、例えばBさんと手を繋ぎたくなりますよね?
手をつなぐ機会を探りますよね?
はい、ソーシャルディスタンス、破れました。
「手をつなぐ」だと、直接的過ぎますかね?
でも「スキンシップ」だとわかりやすいからそう書きました。
ようするに、言いたい事は
【ここ重要!】
- 「友達」って、「ソーシャルな関係」の内側に入っても良い関係だと、思いませんか?
- そして「人」は、出逢いの延長線上に、「密」を求めるものだと、思いませんか?
■同僚と友達の違い
例えば友達と、同じ車でドライブに行ったり、同じ時間を共有し、親密度を上げて行ったりする行為の中には、ソーシャルなヨソヨソしい関係を超えたものがあるはずだし、あるべきである。
そう、思いませんか?
それが「同僚」と「友達」の違いだと思うんですよね。
例えば「友達」と呑みに行ったとして、「友達」がメチャメチャに酔って、トイレで潰れちゃった。
そんな「友達」を介抱したことがある人は、けっこういるんじゃないでしょうか?
その時、それが現代のWithコロナ時代だとしても、友達ならソーシャルディスタンスを超えて介抱しますよね?
それが友達ですよね?
■発展
そして、
そういう様々な、友達同士の
「体験/事件/ハプニング」
みたいな経験を、密に繰り返していくうちに
ある人達は
段階3「それ以上に親しい仲(恋人とかそういう感じ)」に、発展していく。
そういうものですよね?
それが、その可能性が、組織にはあるんですよね?
そういう可能性が、人を組織に向かわせるのですよね?
いやもちろん、人にもよるけれど・・・
■組織に所属する事の価値が「密」?
つまりですね
人がなぜ組織に所属したがるか?という問題に対し、
例えば会社であれば、
- それは生活の為
- それは社会の為、
- 労働は国民の義務
みたいな公式な理由も、もちろんあるわけですが、
それ以外の要素として、「出逢いや繋がりを求め、会社に入社する」ってものも、あると思うんです。
それはもちろん人によります。
例えば仕事以外で、沢山のコミュニティに所属していたり、家族やパートナーなどのつながりも持っている人は、仕事場に「出逢いや繋がり」は、特に求めていないかも知れない。
そういう人にとって、会社はシンプルに仕事だけ出来ればいいわけで。
会社から「仲良くしろ」とか「呑み行くぞ」とか言われると、ウザイだけなわけです。
でも、そうじゃない人もいる。
人と仲良くなりたい。
色々な人と出逢いたい。
そういう「居場所」を求めている人は、沢山いる。
そう、考えるとですね
はたして、会社は
- 完全にソーシャルディスタンスを保って働ける環境
- 完全に在宅勤務で、リモートで働ける環境
- 密になる可能性が完全除去された環境
- ハラスメントが行われる可能性を完全に除去した環境
として、本当にいいのか?
本当に、人間の根源にある活動衝動、所属欲求に対し、向き合わなくて良いのか?
そうじゃないとするなら、「密」と「疎」は、どのような塩梅が適切なのか?
という、疑問がずっと、あったわけです。
が、しかし、この度答えを出しました。
それが新オフィスのデザインです。
■会社に仲の良い人がいますか?
さて話を戻して、もう一度、聞きます。
みなさん、会社に、同僚でも、上司でも、部下でも、取引先でも、なんならお客さんでも良いけれど、
仕事のフィールドに「仲の良い人」っていますか?
「仲が良い」っていうのは、仕事の事だけじゃなくて、趣味とか、雑談とか、メシ喰ったり、仕事以外の事で一緒に出掛けたり、遊んだり、時に喧嘩したり、そういう「仲の良さ」です。
「友達」みたいな感じ。
そういう人、居ますか?
居ると、良いですね。
そして
その「友達」は、あなたにとって、どんな「友達」ですか?
- A)あなたを徹底的に守ってくれる、あなたを徹底的に甘やかしてくれる、そんなやさしい人ですか?
- B)あなたに正論を言い、あなたの甘い所をただし、時にあなたに厳しい言葉を言ってくれる、そんな厳しい人ですか?
どちらでしょう?
いま話題にしたいのはB)です。
あなたにはB)のような友達が、いますか?
「ちゃんと起きて!仕事に遅れるよ!」
「ちゃんと歯を磨きなさい!洗濯をしなさい!」
「ちゃんと挨拶をしなさい!」
「卑怯な事をするな!」
「我慢しなさい!」
「逃げたら終わりだぞ!逃げちゃダメだ!」
そういう事を言ってくれる、友達、家族、パートナーが、いますか?
いないとして
いなかったら、もしかしたらアナタは、「リモート優位の世界」で、堕落しませんかね?
私だったら、間違いなく、堕落します。
在宅勤務と偽って、働いているフリだけして、そのうち社会に取り残されて、堕落します。
今までの日本の会社は、ハラスメント的集団を形成する事で、組織がこのB)の機能を
果していました。
その文化の基礎として、
- 社員がみな、仲が良くて、笑顔が絶えない
- 時に度を越して厳しく叱ったり、言いすぎる事もあるけれど、それらはみな「相手を想って」の事で、言われた方も「なかのいい家族みたいな」相手になら、素直に聞ける
- 大きなピンチがあったとしても、みなが組織を守ろうと一生懸命になってくれる
という理想が、あり
「おい、一杯行こうぜ」
「おれの酒が飲めねえのか」
「おまえもそろそろ恋人の一人や二人つくれよ」
「髪切った?カワイイね」
「バカやろうそれでもわが社の社員か!」
という、越権行為がありました。
しかし
は、この「家族主義的越権」を、否定し、
- 個の権利
- 「密」の否定、「疎」の肯定
を優先する必要があるんです。
だから皆さんは、堕落します。
あなたにB)のような友達、家族、パートナーが、いなければ、です。
じゃあ、いないとして
どこで、出逢いますか?
そんなB)と、どこで出逢いますか?
もう、会社では、出逢えませんよ・・・「疎」ですからね・・・
■会社に仲の良い人がいますか?
最後にもう一度、聞きます。
みなさん、同僚でも、上司でも、部下でも、取引先でも、なんならお客さんでも良いけれど、
会社以外でも良いデス。友達、家族、パートナー、誰でもいいです
「あなたに正論を言い、あなたの甘い所をただし、時にあなたに厳しい言葉を言ってくれる、そんな厳しい、仲の良い人」って、いますか?
いなかったら、アナタは
という前提における
- 個の権利
- 「密」の否定、「疎」の肯定
によって、堕落します。
あなたの権利を飛び越えて、あなたのソーシャルディスタンスの中に入って来て、あなたに苦言を言ってくれる人。
あなたの人権を侵害し、あなたを成長させようとしてくれる人。
あなたの「堕落する権利」「逃げ癖」「幼稚さ」に対し、侵害してくれる人。
そういう人、いますか?
いなかったら・・・もちろんいないままでいることも、あなたの自由です。
でももし、「堕落」が怖いと、少しでも思うなら・・・
さて、どうします?
私は新しいオフィスの重要な役割は、そこだと思います。
■オフィスという空間
最後に、オフィスの話をします。
新しいオフィスを作っています。工事をしています。
どういうオフィスか?
旧オフィスは、「出逢えるオフィス」「密になれるオフィス」でした。
新オフィスは
「ディスタンスを確保し、疎に集えるオフィス」
です。
過去、オフィスの存在価値には、様々な物がありました。
ラポール形成、「阿吽の呼吸」作り、偶発的なチャンスメイク・・・
ですが新しいオフィスは、「新しい生活様式」の要請に従い、その基礎となる「出逢い」を「疎」な物にします。
社員同士は、アクリルパーティションで区切られたデスクで仕事をします。
コミュニケーションの主体はチャットなので、リモートと変わらない状況に
なるでしょう。
つまり「疎」です。
「疎」なので「出逢い能力」は、低い。
では新オフィスは、新しい生活様式に対応する為に、「出逢い能力」を劣化させたオフィスということになるのでしょうか?
それはそうでもあり、しかしそうではない。
私はそこに「オフィスの空気」というものを重要視したい。
■オフィスは「空気」
新しいオフィスは「密」ではない。
なのでリモート勤務と変わりはない・・・のではない。
そこには「オフィス」という空気がある。
これが在宅空間とは、まったく異なる。
人は堕落をする。
苦言を言ってくれる人がいなければ、堕落をする。
が、空気が有ればどうだろう?
よく、カフェで仕事をすると捗る(あるいは勉強をすると捗る)という人がいます。
カフェには、自宅にはない(疎な)衆人環視空間があります。そういう空気が有ります。
だからカフェだと集中できるのだ!たぶんそうです。
きっとそういう人は、カフェの衆人環視をうまく利用し、昇華し、自分を「仕事モード」「勉強モード」に出来るのだと思います。
つまり「その空気」は、人を堕落から救うわけです。
でも、カフェは仕事に最適化された空間ではないですよね?
たしかに飛沫対策がなされたカフェが増えたし、電源のあるカフェも多い。
でも、業務セキュリティ対策が施されているわけでもないし、ホワイトボードもない。
カフェでリモート会議をしたら、他の客に迷惑でしょう。
だから、つまりそれが「新しいオフィス」です。
つまり新しいオフィスは
- 「疎」である
- 「衆人環視」がある。仕事モード的空気が有る。
- そして仕事に特化した場所である
というもので、あるべきだと、私は考えたのです。
そのように、オフィスを作りなおします。
これからの
という前提における
- 個の権利
- 「密」の否定、「疎」の肯定
によって、
堕落しそうになったら、
オフィスに行きましょう。
オフィスの空気の中で、仕事をし、「仕事モード」を、取り戻しましょう。
当社、「株式会社ソノリテ」の新しいオフィスが完成したら、ご興味が有ったら、ぜひ遊びに来てください。
猫専務も、居ますよ