なめ猫っていうのが昔流行ってですね
不良の格好をした猫の写真に「なめんなよ」って書いてあるんですけどね…確かそんな感じです…
まあ「なめんなよ」です
「なめんなよ」っていうメンタリティの話です
前も書いた気がしますけど、人間の行動はすべて痛みからの回避ですから、
「なめんなよ」っていう、メンタリティは、強い
「なめられる」と、傷付けられたり、何かを奪われたり、命令されたり、侮辱されたりするから、「なめられる」と、良いことは無い
だから「なめられたくない」。
したがって、なめられないように生きる。
「なめられないように生きる」ことは、痛みからの回避行動だから、強い衝動になる。
なめ猫 の時代。私の若いころ、子供の社会は、すごく不良が優位だった。
不良がカッコイイ。不良がつよい。不良がモテる。不良がヒーローのように描かれた不良マンガも沢山ある。みたいな。
不良じゃないヤツは、なめられて、嫌われて、イジメられる。
だから、なめられたくない。「なめんなよ」となる。
なめられたら、人生は終わり。
だから
なめられないように、体を鍛えたり、ケンカが強いふりをしたり、こわい人間であるふりをしたり、あるいは頭脳を鍛えたり、権力を持とうとしたり、なんでもいいから相手をマウントするように生きたり…
先日、あるシングルマザーのビジネスマンの話をしていて
彼女は、シングルマザーだからって、「あの人は家庭の事情で仕事はちゃんと出来ないから、重要な仕事は任せられない」なんて、
そんな風にナメラレたくないから、すごく頑張っていた
みたいな話があって
そう
なめられたくない
ナメラレるという、痛みを回避したいから、私たちは努力をする。
人によってはそれを、向上心と言ったり、反骨心と言ったりするのかも知れないけれど
世の中とか世間とかに、なめられないように、努力をし、立場を勝ち取る
私はですね
やっぱり私も、なめられたくない
私の立身出世欲の原動的なモノは、「なめんなよ」のメンタリティだね。たぶん
ポイントとしては、被害者気分なんですよね
ナメラれたくないから、防御の意味で、力もつけたいし、好戦的にもみせたい。
ナメラれないように、選んだ道は、マッチョ風
マッチョ風な人間であれば、ナメラレナイ。
大丈夫
もうだれも、お前の事をナメてないよ
そうかな?
まだまだ、隙を見せればナメられるような気がします。ナメられたくないです。嘗められるの怖いです。なめられたら人生終わりです。
そんな私は、辛そうでしょうか?
生き辛そうでしょうか?
うーん。まあ、そうでもないですね。
「ナメられたら人生終わり」 そんな世界は生き辛いでしょうけれど、まあ、対応してきて、ある程度、マッチョになったからね
ある程度、マッチョになると
「ナメられたら人生終わり」の世界のほうが、気持ちよかったりしますからね。
とはいえ、私の若いころの「不良優位」な世界なんて、ゴメンですけどね
でもまあ、なんというか、「緊張感」みたいなものを、欲しがっている自分はいますかね。
「人間の行動はすべて痛みからの回避」だとは思うんですが
「痛み≒生きがい」なような気がしますし
「生きる」ということは「死なない」という事とは違うわけで
やっぱりなんというか、闘っていたいですね
闘っているほうが、私らしいように思えます
闘っていて、そして「なめんなよ」という気持ちがあって
「見返してやった」時に、すごく、快感情が体を包みますね
幸せです。よく、寝れます。
おしまい