巻き込もう。巻き込めないなら、せめて巻き込まれよう
■人間の願望
人間の願望の大元(おおもと)みたいなモノが、いくつかあると思いますが、その中には、「楽しむ」と「長生き」ってのがありますよね?
- いつまでも楽しんで生きたいし
- 出来るだけ長く生きたい
まあだいたいの人は、楽しみ、長生き、の両方とも、願望として持っていますよね?
「いやぁオレは楽しく暮らしたいけど長生きじゃなくてもいいや。太く短くが良い!」って人もいるとは思います。まあその話は、後半書きますけど…
■バーベキューに行くかどうかの決断
で、多くの人間の願望に「楽しみ」と「長生き」が、あるとして…
今度は行動の方を書きますけど
例えば、「外出する」っていう行動がありますよね。
この「外出する」という行動。「外出」には、どんなメリット・デメリットがあるかを書いてみると
メリット
- 外出すると気が晴れて、ストレス解消になる
- 外出すると運動になる
- 外出すると新たな出逢いがあったり、チャンスがあったりする
デメリット
- 外出すると日光を浴び、皮膚がんのリスクが上がる
- 外出すると交通事故にあう可能性がある
- 外出すると人とのコミュニケーションがストレスになる場合がある
他にも色々なメリデメがあるでしょうが、まあ今はこんな感じだとしておきます
さて、会社の同僚たちから、週末にバーベキューに誘われたとしましょうか
誘われて、行くかどうか、考える。
「こんな暑い日に屋外でバーベキューなんかしたら疲れるし日焼けもしちゃうけど、今回のメンバーは好きな人が多いから楽しいかも。でも苦手な人も参加するらしいから嫌な気分になる可能性もある。あと衛生面なんかも心配だし、それに同僚の運転もちょっと心配。」
そんなふうに、色々な考えが頭に浮かびますから、いろいろ考えて
じゃあ、行こう / やっぱり、やめておこう
というような「決断」をするわけですよね。
この「外出(今回は週末のバーベキュー)」を、「楽しみ」と「長生き」という欲求に対して、整理してみます。
ここではめっちゃザックリと、あえて白黒つくように整理しますと
- 外出は
- 運動や日光浴や友達とのコミュニケーションという部分は楽しみだが
- 日焼けや衛生面や対人ストレスや交通事故リスクなどは、長生きには良いとは言えない(悪い)
って事なんだと思います。どうでしょうか?
あくまでもザックリ白黒つけるとすれば、まあそれで良いですよね。
で、じゃあこれをさらに単純化すると
- 外出はしたほうが「楽しい」
- 外出はしないほうが「長生き」に良い(というか死ぬリスクが少ない)
って、事なんですよね。こんな感じになる。
ようするに、人間のプリミティブな欲求である「楽しみ」と「長生き」について、
「外出」という行動を整理したら
どうしても相反(楽しみを優先すれば長生きが劣るし、長生きを優先すれば楽しみが
劣る)する要素が出てくる…
と、いう事で、ここで私が言いたいのは
例えば「バーベキューに行く(外出する)」なんて、とても簡単な事でも、
- 正解か(行くか)
- 不正解か(行かないか)
を、決めるには、いろんな事を考えますよね って 話です。
■オフィスは静かな方が良いか、ワイガヤな方が良いか?
話かえます。
私は会社の社長なので、社員が会社に不満を持っていれば、解消してあげるべき立場にあるんですが、
社員から
「オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止にしてください」
という要望と
「オフィスが静かすぎてコミュニケーションが取りづらいんで、オフィスをもっと楽しい雰囲気にして、会話しやすい雰囲気を作ってください。例えば音楽を流すとか」
という要望を、良く、受けます。
いれかわりたちかわり、毎年、誰かに言われます。
この二つの要望、「私語禁止オフィス」と「わいがやオフィス」は、相反しているということは、わかると思います。
(ちなみにこのテーマ(オフィスは静かな方が良いのか、ワイガヤな方が良いのか)は、私の会社と同じように、ホワイトカラー系の仕事が多い会社だと、結構あるあるなテーマなんじゃないでしょうか?)
ちなみに私の会社では、上記の対策として、現時点では、
- 雑談推奨のオフィスルームと私語禁止推奨のオフィスルームをわける
- 雑談用のソファを用意する
- 集中できる個室型ブースを用意する
なんてことを、【会社としては、一応】やっています
「静かな方が良い」人はこっちの空間を使ってね。
「ワイガヤでやりたい」人はこっちの空間を使ってね。という感じです。
まあ、いちおうですね。会社としては…
■行きたくないバーベキューに行く
で、また話戻しますけれども
皆さんが、仮に、「めっちゃ長生きしたい人」だとしますね。
なので、皮膚ガンのリスクだったり、対人関係のストレスとか、屋外で飲食する衛生面だとか、ケガするリスクとか、交通事故のリスクだとか…
なにをおいても「めっちゃ長生きしたい人」だとしたら、バーベキューには行かないですよね?
でも
もしかしたらそのバーベキューに、熱心に誘ってくれる人がいて、バーベキューに行かないとなんかその人に悪いし、翌日から職場に行きづらい空気になるかもしれないなぁ~ とか、そういう事もあるじゃないですか?
そうしたら、皆さんは、どうするんですかね?
- 我慢して、行く
- それでも、行かない
- 「バーベキューに行くことの強要」をハラスメントとして糾弾し、会社に「バーベキューに誘う事を禁止」にさせる
どれでしょうか?
「めっちゃ長生きしたい人」という人の主観で考えれば、とうぜん、
2. それでも、行かない
という事にはなりますが…
ですが、
そもそもあなたは、なぜ、バーベキューに誘われたんでしょうか?
誰かがあなたを「あなたにとって良いことだと思って」バーベキューに誘ったのではないでしょうか?
もしそうだとしたら、あなたは、その人の気持ちを、無視しますか?
「自分はめっちゃ長生きしたいんで」っていう理由で、誘ってくれた人の気持ちを、無視できます?
無視できない場合も、ありますね、きっと。
そういう「断れない」みたいな話を始めると、圧迫とか同調圧力の話とかが出てきましてですね。
「会社組織ってのはチームワークが大事なんだから、いくらイヤだと思っても長いものには巻かれなさい」
みたいな話になっちゃう… と、それは違うんです。
そういう話を、したいわけじゃない、私は「我慢して行け」という話をしたいわけじゃ、ないんです
■3つのテーマ
私が言いたいのは、3つありまして
一つ目は、これはわかると思いますが
テーマ1:たかだかバーベキューに行く、行かない、なんて話だって、決断っていうのは、とっても難しい話ですよね
という話
それと二つ目は、先ほどは3)に書きましたが
3.「バーベキューに行くことの強要」をハラスメントとして糾弾し、
会社に「バーベキューに誘う事を禁止」にさせる
みたいな事、これが
テーマ2:ルールにしちゃう。これがすごーく難しい話なんだよね
という話、
そして最後に、三つめは、まあこれが一番言いたいわけで、これが纏めなんですが
テーマ3:難しいテーマこそ、個人の考えで行われるべきなんだよ
という話
この3つなんです。
そしてこの3つは、少なくともわが社では、ある考え方に基づいて、方向性が決まっている… ということを、最後に追記します。
まあ、理念の話です
■テーマ1:とっても難しい話ですよね
まずこの話から書きます。
バーベキューに行くこと/行かないこと を決める
や
オフィスを私語禁止にする/オフィスをわいがやにする を決める
は、
とても難しいことです。
なぜならば、人間のプリミティブな要望自体に相反する欲求があるから、です。
例えばバーベキューの話なら、「楽しみたい」と「長生きしたい」は欲求として相反しています。
例えばオフィスの話なら「集中したい」と「人とつながりたい。仲良くなりたい」は欲求として相反しています。
だから決めるのは難しいですね。一つに決めるのは。
ここまでは、良いでしょうか?まあここまでは、普通の話です
さらに、もっと難しい話があります。
皆さんにとって、
自分の望み通りの人生を送ること/人に巻き込まれて生きること
は、どちらが良いのでしょうか?という話です。
どうですか?わかりますか?
例えば、バーベキューにも行きたくないし、オフィスは静かな方が良いとのぞんで生きている人がいるとしましょう。
この人が、「自分の望み通りの人生をおくること」を、するとすれば、
それは要するに一生バーベキューにも行かないし、静かで集中できるオフィスで働くことが、出来る人生をおくる、ということになりますが、
その人生って、めっちゃザックリ説明すると、
望み通り長生きするし人現関係のストレスに惑わされないが
喜びの少ない人生だし人としての成長が望めない人生
と、考える事も出来ますよね
そんなことないよーー!!そりゃ極論すぎるよーー!!
って言いたくなる人もいるかも知れませんが…
じゃあ反対の事も書いてみましょう
バーベキューとかガンガン行きたいし、オフィスはワイガヤで笑顔の絶えない職場が良いとのぞんで生きている人がいるとしましょう。
この人の「自分の望み通りの人生をおくること」を、するとすれば、
望み通り楽しみが多く、人とのかかわりが多い人生だが、
仕事に集中しないから手に職が付かず、浮き草人生になりがちだし、
対人ストレスやら事故リスクも多いので短命な人生
と、なりますよね
これだってそんなことないよーー!!そりゃ極論だよーー!!っていう人もいるでしょう。
ちなみにこういう人って、自分の事を「いやぁオレは楽しく暮らしたいけど長生きじゃなくてもいいや。太く短くが良い!」なんて、言っていたりしますよね
この話の難しポイントは、
「自分の望み通りの人生を送ること」の是非です。
改めて話を単純化します。
先と同じ例を書きますが、バーベキューにも行きたくないし、オフィスは静かな方が良いとのぞんで生きている人がいるとしましょう。
この人が、「自分の望み通りの人生を送ること」を、するとすれば、
一生バーベキューにも行かないし静かなオフィスで働く人生
そしてそれは
望み通り長生きするし人現関係のストレスに惑わされないが
喜びの少ない人生だし人としての成長が望めない人生
です。
ポイントは、本当にこの人にとって、この人生は、「正解」なんでしょうか?という点です。
なるほど「望んだ人生」ではある。
しかし人生や社会には「間違い」や「理不尽」や「非合理」はつきものです。
そして人生や社会にとって「間違い」や「理不尽」や「非合理」は重要な要素です。
皆さんには「人生の望み」があると思います。
でもその「望み」が「自分の人生を幸せに導く」ものだと、自信をもって言えるでしょうか?
例えば子供が「野菜が嫌い」だとして
この子供の望む人生は「一生野菜を食べなくていい人生」だとして、
果たしてそれは、この子供のQOLを成熟させることが出来る生き方なのでしょうか?
そういう言い方をすれば、誰でも疑問を持つのではないでしょうか?
そういう方向性から考え直せば
- 野菜嫌いの子供に何とかして野菜を食べさせようとする親のように
- 外出嫌いの人を何とかバーベキューに誘おうとする同僚のように
いわゆる「おせっかい」が、
実は、その人の人生のQOLを満たす方向に導くことだって、あると、考えた方が、自然だとは思えないでしょうか?
逆の話もします。
「野菜が嫌い」な子供がいます。
親が過度に厳格だとします。
子供が「野菜が嫌いだ」なんてことを言おうものなら、烈火のごとく叱られます。
全体にこの子供は、厳格な親から「素直に指示を聞く」人生を強いられます。
この子供の刷り込みは強く「好き嫌いをせず食べることは自分の望みだ」と思いこまされています。
この子供は確かに食べず嫌いをせず、きちんとバランスの良い食生活を過ごします。
結果としてこの子供は、健全な肉体を手に入れるかも知れません。
しかし
「自らの欲望を抑圧し、素直に指示を聞く」ことだけを、生き方として刷り込まれたこの子供の、
その後の人生のQOLは、果たして高くなると、いえるでしょうか?
そういう方向性から考え直せば
- 厳格な親のしつけに抑圧されている友達を、夜遊びに連れ出す友人のように
- 「無理してバーベキューに付き合わなくても良いんだよ」と心配してくれる同僚のように
いわゆる「おせっかい」が
実は、その人の人生のQOLを満たす方向に導くことだって、あると、考えた方が、自然だと思えないでしょうか?
ようするにですね、
自分の欲求が、自分のその後の人生のQOLを「絶対に満たす」なんて、自信をもって言えますか?
時に自分の欲求以外の行動に、誘ってくれる、巻き込んでくれる、叱ってくれる、存在があって、そういう「おせっかい」という「間違い」や「理不尽」や「非合理」が
周りにあって、
人は社会性をもったり、成長出来たり、器が広くなったり、するんじゃないでしょうか?
っていう話なんですね
そこまで込みで、
つまり、
「自分の欲求としてはxxだけど」
「もしかしたらこの機会は私の人生にとって必要な非合理かも」という可能性まで折り込んで
バーベキューに行くこと/行かないこと を決断したり、
私語禁止オフィスを望んだり、/わいがやオフィスを望んだり、
するべきなんだと思うんですよね~
難しいでしょう?
この「難しさ」って言うのは、要素の多さではなくて
時に自分は、自分の感情に相反する選択をしなければ、人生を成功できないかも
知れない
という、難しさなんです。
■テーマ2:会社を私語禁止にする。会社をワイガヤにする。いや、どちらもダメでしょ
人間のプリミティブな欲求は相反する
例えば「楽しみたい」と「長生きしたい」は相反する。
例えば「集中したい」と「人とつながりたい。仲良くなりたい」は相反する。
だから私は毎年、かわるがわる、色々な社員から
「オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止にしてください」
という要望と
「オフィスが静かすぎてコミュニケーションが取りづらいんで、オフィスをもっと楽しい雰囲気にして、会話しやすい雰囲気を作ってください。例えば音楽を流すとか」
という要望を、受けます。
で、まあ前述したように、私語禁止と推奨ルームをわけたり、まあいろいろとしているんですけれども
根本的には、
「会社を私語禁止にする。会社をワイガヤにする。いや、どちらもダメでしょ」
って、思っています。
相反するからですよね。相反するから決められないんですよね。
いや、まあ、そうなんだけど
少なくとも、そういう事をですね
「法律・規則・ルール」
でやったら、ダメなんだと思っています。
バーベキューの話で言うと、前述した
3.「バーベキューに行くことの強要」をハラスメントとして糾弾し、
会社に「バーベキューに誘う事を禁止」にさせる
これが、一番ダメな、考え方です。
ハッキリ言います、「ダメ」 です。
「オフィスの私語」の話で言うとワイガヤ(私語)というのは、単純に考えると、オフィスにとって「悪」でしかありません
- 基本的に私語だし
- 仕事をしている人が集中がそがれるし
- お客さんに聞かれたら「仕事サボってる会社」と思われるし
でも、私語は
- 人間関係が円滑になる
- 組織エンゲージメントが高まる。承認欲求が満たされる
- 意外な雑談から、アイデアやチャンスが生み出されることがある
などの、効果もあります。
つまりこの「メリット・デメリット」について、
単純に「禁止」あるいは「推奨」とするなら、相反するメリットを会社から削除する、という覚悟が必要です。
相反するメリットを削除してしまえば、必ず
「オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止に
してください」
あるいは
「オフィスが静かすぎてコミュニケーションが取りづらいんで、
オフィスをもっと楽しい雰囲気にして、会話しやすい雰囲気を作って
ください。例えば音楽を流すとか」
の、どちらかの社員不満が必ず高まり…
…いや、そこが問題なのではない。
先に書きましたが、人の人生の法則には
「時に自分は、自分の感情に相反する選択をしなければ、人生を成功でき
ないかも知れない」
という、難しさがあるよ。って、事なんで
それを、合理化して「本当に良いの?」っていう話になるんですが…
これはですね?
「尺度」の問題が絡みます
会社ですからね、会社ってみなさん、「金儲け」をするところだと思うじゃないですか?
目的が「金儲け」なら、たいていの「尺度」は、例えば「生産性」とか「効率」とか「コスパ」とか、そういう事になりますね?
うちの会社の「金儲け」にとって、「オフィスの私語」は、禁止/推奨
どっちにしたほうが、「金儲け」にとって「効率」がいいの?
って話になりますよね?
この辺の尺度の話は、後半にもうちょっと書きます。
■テーマ3:「バーベキュー」を開催しよう!という話
ここまでで
- 人間のプリミティブな欲求は相反するので、何かを決断するにも、いろいろな事を、考える必要がある。
- 人間は自分の欲求が、自分のその後の人生のQOLを「絶対に満たす」とは言えず、時に自分の欲求以外の行動に誘われ、巻き込こまれ、成長するとも言える。
- 組織が所属員の欲求に対し「法律・規則・ルール」を作る時、それは相反するメリットを削除する覚悟が必要で、そこには尺度の話も出てくる。
というような事を言ってきました。
で、ですね、言うなればここまでの纏めなんですけれども、
QOL(クオリティ・オブ・ライフ 人生の質)の話になっちゃうんですけれども
なんか最近、多くの人に、以下のような人生観をよく感じるんですよね。
- いろんな決断は複雑で、疲れる。生きづらい。だれかに決めて欲しい
- 自分の欲求は、不労所得が入って、家で好きなゲームやって過ごして、ご飯もコンビニかケータリングで届けてくれれば満足。
- まあでも時には誰かに巻き込まれて何か行動しないといけないのはわかってるが、出来るだけ気の合う人、傷つけられない人との付き合いに限定したい
- とはいえワガママだけで生きられるとは思っていないので、社会に対しては不満があっても従順になります。組織やコミュニティのルールであるなら従います。従うだけなら頭使わなくて出来るから楽だと思ってます。
みたいなね
こういう人生観を、よく感じるんですけど…
いや、まあ、そう。そういう人生観を否定したいわけじゃ、ないんですけれど…
これは一つの依存なんだろうなぁ…とは、思うんですよね。
そしてこの依存は拡大傾向にある…気がする…
自分で考えるべきではない。ルールに従うべきだ。みたいな。
う~ん
「齋藤さん、私、バーベキュー行ったほうがいいですか?」
「〇〇さんは、バーベキューに行きたいの?」
「どちらでも良いんです…決めて欲しい」
う~ん
で、私が思うに、ほんとに、「ルールに依存する」のを否定したいわけじゃ、なくて…
今日は別の話がしたい、という意味で
少なくともリーダーや、イノベーター、クリエイターやアーチストは「ルールに依存する」スタンスは取るべきでは無いと、思うんですね。
じゃあ、なんなんだ、というと
「巻き込む」という話でして
私が現代的な会社において「価値」を感じる一つの「性質」には「巻き込める人」っていうのがあります。
少なくともリーダーや、イノベーター、クリエイターやアーチストは「ルールに依存する」人ではない。
「巻き込める人」
つまり、
最初の「会社の同僚との週末のバーベキュー」という話の中で
私が最も価値を感じる人は、「バーベキューに誘っている人」なんです。
あるいは「オフィスを私語禁止にする/オフィスをわいがやにする」というテーマであれば
例えば「オフィスで雑談ティータイムを企画推進してくれる人」とか
例えば「声を出さず雑談出来るチャットコミュニティを企画推進してくれる人」
なんですね。
だから私は、会社としては、上記の対策として、現時点では、
- 雑談推奨のオフィスルームと私語禁止推奨のオフィスルームをわける
- 雑談用のソファを用意する
- 集中できる個室型ブースを用意する
なんてことを、【会社としては】やっています … が、
それらを利用して、何か自分が「これは問題だ」と思う事に対して、
自らが責任者としてアクションしてくれる人
が現れるのを待っていて
待っているあいだ、色々な人が
「オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止に
してください」
とか
「オフィスが静かすぎてコミュニケーションが取りづらいんで、
オフィスをもっと楽しい雰囲気にして、会話しやすい雰囲気を作って
ください。例えば音楽を流すとか」
という要望を、出来るだけはぐらかして、
ただ、「首謀者」「巻き込む人」が現れるのを、待っています。
■どんなことが、「開催」され出したか
上記のような「開催」の「首謀者」「巻き込む人」が現れ、人の相反する欲求に対しチャレンジし、人を巻き込み、成長する
解決なんてしなくてもいい。どうせ解決しない。
が、時流に合わせ、変化していくことを、首謀者として行っていく。
それがイノベーションであると、私は思っています。
イノベーションはソリューションではない。
ソリューションは具体的解決を約束するものであり、逆に言えば、解決できることを行うべきである。
人間の相反する欲求に対し「今、求められているモノ」を新規性をもって立ち上げていくのがイノベーション。
例えば今、会社の「雑談の是非」に対するイノベーションとして、私が注目している、社員発のアイデアは、「社内ラジオ」というもので
社員がラジオパーソナリティーとなり、他の社員にインタビューして、仕事の内容を語ってもらったり、リスナー(社員)にお題(仕事以外)を出してメールで回答してもらうような、本当にタレントがやっているラジオのようなことをして
新しい形の「社員の雑談」みたいなことを産み出してくれています。
この社内ラジオも社員が提案してきて、会社はそれをバックアップしています。
そしてこの社員が中心となり、「他の社員を巻き込んで」盛り上げている。
他の社員も「ラジオで声だけなら」「メールでお題に答えるだけなら」などと言って、巻き込まれようとしてくれている。
きっとみんな、社内ラジオという新しい形のカスケードを経由して、新しい形のエンゲージメントとか部署間の風通しなどを産み出そうとしてくれているのだと思います。
もちろん会社には
- 社内ラジオに各部署から1通づつメールを出しなさい
- 社内ラジオに協力した部署には評価加点されます
みたいな「ルール」は、とうぜん、ありませんw
これが「ルールに依存する」人が増えている現代において、あるいは「いかがなものか」風潮の前にセーフティーに生きるべく自分を出せない生き辛さを感じつつも身動きが取れない社会において
あるいは旧態依然としたパターナリズム的マネジメントが否定され、手足をもがれたかの如く後進を導かない先達がぬるま湯化させた無責任社会において
必要とされる イノベーターの気質 であるのではないか、と考えます
だから私は、
「オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止に
してください」
とか
「オフィスが静かすぎてコミュニケーションが取りづらいんで、
オフィスをもっと楽しい雰囲気にして、会話しやすい雰囲気を作って
ください。例えば音楽を流すとか」
という要望が来ると、出来るだけはぐらかして、
そして、言います
「そうだね。君の言うとおりだ。でもルールにしたくない。何か方法を考えてみて」
■最後に尺度と多様性の話
さて、またまた長くなってきましたが…
最後にしますが、「尺度」の話を書いておきます。
中盤でちょっと「尺度」の話に触れました。
こんなこと
*****
会社ですからね、会社ってみなさん、「金儲け」をするところだと思うじゃないですか?
目的が「金儲け」なら、たいていの「尺度」は、例えば「生産性」とか「効率」とか「コスパ」とか、そういう事になりますね?
うちの会社の「金儲け」にとって、「オフィスの私語」は、禁止/推奨どっちにしたほうが、「金儲け」にとって「効率」がいいの?
って話になりますよね?
*****
私はその後、イノベーションの話に話題を挿げ替え、
「オフィスの私語」の話も、何か「首謀者」になって「巻き込む人」
が現れてくれることが最も価値があるんだ
みたいな感じに纏めようとしました。
で、これ、本当でしょうか?
だってですね、これも途中で書きましたが
*****
「オフィスの私語」の話で言うと ワイガヤ(私語)というのは、単純に考えると、オフィスにとって「悪」でしかありません
- 基本的に私語だし
- 仕事をしている人が集中がそがれるし
- お客さんに聞かれたら「仕事サボってる会社」と思われるし
でも、私語は
- 人間関係が円滑になる
- 組織エンゲージメントが高まる。承認欲求が満たされる
- 意外な雑談から、アイデアやチャンスが生み出されることがある
などの、効果もあります。
*****
って、事です。
だから、例えば、業務によって
「私語」を禁止にするべき業務
「私語」を推奨するべき業務
っていうのは、実はその業務の「金儲け」にとってどちらが「効率的」なのかっていう視点で、決定づけられるはずであって、
これが「尺度」だと、考えられませんか?
たとえば「ガードマン」みたいな仕事がありますよね?
「ガードマン」って、あんまり、同僚とか道行く人と雑談してほしくないですよね?
でもですね、例えば…何かのクリニックとか、保護施設のようなものがあったとして、
そういう空間で働く人たちや、そこでお世話になっている人たちの間では、個人的な会話も行きかって、やわらない雰囲気や、話しやすい雰囲気があるのが望ましいんじゃないかと思うと、そこは業務的なコミュニケーションと私的な会話の境はあまり設けないほうが適切なんじゃないかと思うし
例えば特定の社員が心理的ストレスをすごく抱えてしまったような業務の状況によっては、その特定の社員のストレスをケアしあうようなチームワークが発動すべきであって、その「ケア」の為の私語と言うようなものは、あって良いし、あったほうが「効率的」なんじゃないかと思います。
と、いうことは
仕事という「尺度」においては、実はたいていの場合「答え」は決まっており、決断なんかいらない。
例えばターゲット(顧客)視点を尺度に据えれば、ターゲットからの対価が増加するか減少するか、でマネジメントすれば明らかで、
例えば飲食店で、ホールの店員の私語が多い店があったとして、来店客から「店員の私語」が敬遠されるなら「ホールでの私語禁止」にするべきで、話は簡単なんですよね。
そう
今まで私が「難しい」と言ってきたことは、実はすごく「簡単」な話なんですよね。
「尺度」によっては、です。
大体は、「尺度」が、曖昧なんです
よく日本人は「主語がない」って言いますよね
例えば、最初からお話ししている
「オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止に
してください」
っていう、要望
これは、是か非か
主語を明確にしないとですよ
「(私は人がしゃべっていると、気が散って仕事が出来ないので)
オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止に
してください」
とか
「(先月、オフィスの来客者に、無記名でアンケートをとったら、
オフィスの私語が気になるという回答が多かったので)
オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止に
してください」
とかですね
場合によっては
「(先日、オフィス内の会話で、顧客の重要情報をしゃべっている
人がおり、セキュリティ上問題だと思うので)
オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止に
してください」
とかですね
どういう「尺度」に対する話をしているのか?を、まず、明確にすればよくて
かつ
★★★じゃあどの「尺度」が、自分の組織は、大事なのか?★★★
そりゃ、会社なんだから、「金儲け」でしょ?
では、なく
少なくとも株式会社ソノリテでは、「金儲け」ではない。
株式会社ソノリテで、一番大切にしている「尺度」それは、経営理念である
★★★「社員の成長」★★★
です。
つまり、「社員の成長」にとって、
例えばオフィスは「私語禁止/私語推奨」どっちなん? という「尺度」になる。
つまりオフィスは「私語禁止/私語推奨」どっちが「社員の成長」につながるの?という話。
私はバーベキューの話では、QOLと書きました。
QOLは、私が定義するべきものではない。皆さんが自分で定義するものですよね。
例えば「楽しみ」と「長生き」それは皆さんが、自分自身はどれくらいのバランスで生きていくべきなのかを考え、自分のQOLを考えていくべきです。
私は、QOLを「尺度」とすべき事柄は、人や組織に決められるべきではないと、考えています。
- 例えば結婚をするべきか
- 例えば子供を設けるべきか
- 例えば性別をどう自任するか
- 例えばどのような仕事をするか
- 例えばどのような名前を名乗るか
というような事柄は、けして、例えば法律などで決められるべきものではない。と考えます。
が、
QOLではなく「(社員の)成長」という「尺度」について、どうか?
- 例えば(バーベキューなどの)おつきあいイベントにいくべきか?
- 例えば社内での私語の是非は?
- 例えば会社は「金儲け」の尺度でモノを考えるべきか?
などの事柄について、どうか?
それを考えるには、「尺度」に対しもう少し分解が必要で、つまり何を「社員の成長」と定義しているか?が必要で
例えば、会社なので(これは例えです。うちの会社の尺度ではないです)
>当社が専門としている技術分野のスキルが向上する
という成長という定義ならば、それが「尺度」に対する「具体性」であるなら
- バーベキューの話は、例えば技術をもつ先輩後輩の交流につながるなら良しであろうが、バーベキューではない技術的視野のイベントのほうがより良い
- 私語の是非も、後輩が先輩に対し話しかけやすい雰囲気を作ればより技術伝承が進みそうであれば良しだが、ただの雑談が場の生産性を下げるなら悪
- 金儲けの話は、金儲け主導になりすぎて新技術に挑戦する余地が無いようであれば悪
などと、要するに「尺度」に対する「具体性」を持たせれば、決まってくる。
では私の会社、株式会社ソノリテにおける「成長」の「具体性」は、というと
- 多様性を受け入れる成長
- 協創が出来るようになる成長
- (働き方改革等の)「人の幸せ」を提供できるようになる成長
など、なんです。
私たちの会社は、多様性組織を推進し多様性が協創することによって「働き方改革」や「遊び方改革」などを産み出す会社です。
したがってその中で、社員は
- 多様性を需要する力
- 協創する力
- 人が喜ぶことを産み出す力
が成長していくはずで、これらを会社の「成長」の「具体的尺度」としています。
なので、例えば
- バーベキュー行こうかな/やめようかな
とか
- オフィスを私語禁止/私語推奨にしようよ
などについては
- 多様性を需要する力の成長
- 協創する力の成長
- 人が喜ぶことを産み出す力の成長
に、どちらのほうがより関与するか? という話になり、
- 多様性を需要する力の成長
- 協創する力の成長
- 人が喜ぶことを産み出す力の成長
に関与するアプローチとしては
- 様々な人と話し合う
- 様々な人の意見を受け入れあう
- 主体的に行動する
というような事を期待するし、
- ルールを作る。罰則を作る
- ルールに従う
- 命令する
というような事を、期待していないんです。
さらに
もっとも厄介なのが、「多様性」というやつで…
私の会社は「成長」の為に「多様性」をつくり、維持する必要があって、これはいろんな回で書いていますけれど、中小企業にとって多様性経営って、基本的には定石ではないわけですね。
なぜならば組織や事業の規模が小さいから。
中小企業は同質性経営をすべきなんです。
似たような人間が集まって、コア・コンピテンシーに対して一点集中すべきなんです。
だから多様性経営は不向き。
例えば「オフィスは私語禁止/私語優先」なんて話題も、同質性経営をしているなら簡単に答えが出るんです。皆、同じような考えを持つし、方向性は同一だし、思想は一枚板になっているべきだから。
今、当社は50人程度の小さな組織ですが、本当に多様性を大事にしているし、皆、色々な意見を持っている。
だから「オフィスは私語禁止/私語優先」なんて簡単な課題もルールに落とさない。落ちない。
私もそれ(ルールや決めごとを増やさない事)を望んでいる。
では何を望んでいるか。
私は、
課題に対しルールを決めることを望んでいない
私は、
課題に対し皆の「対話による多様性の需要」を求めている
そしてもっと、私が望んでいることは
課題に対し主体性をもって取り組み、ひとを巻き込むこと
であり
他の人も、せめて多様性に巻き込まれて現状維持バイアスから抜け出る勇気を持つこと
なのですね。
それが当社が理念として掲げている「社員の成長」の具体的な方法論であり、希望するアクションなんです。
■最後の最後に
もう長くなったからこれでやめますけど
今日書きたかったことは
- 問題があったら
- ルールを求めないで
- 対話して
- 出来れば主導的にアクションして
- 出来なければせめて巻き込まれてね
という、話なんですけど
それが、成長に結びつくよね って話だったんですけど
それがね
「在宅勤務」「リモートワーク」だと、なかなか、難しいねホントに。
「在宅勤務」「リモートワーク」は、人類の進化ですね
人類の進化は、人の退化を起こさせるよね
薬は人の免疫力を下げたし
自動車は人の脚力を下げたよね
だからきっと在宅勤務やリモートワークは、人のコミュ力を下げるんだよ
そんな中で、むしろそれを積極的に取り込んで、ニューノーマルな「成長」を遂げるとしますよ。当社は
それが、代表取締役である齋藤の「成長のテーマ」であって、
当社の社員は私の具体的アクションに「巻き込まれている人たち」という事です。
はい
纏めでした。
お疲れさまでした。終わります。
最後までお読みいただき、巻き込まれてくれて、ありがとうございました。
HERO、人事評価、パレートの法則 その10
「HERO、人事評価、パレートの法則」について、今回が最終回です。
奇特にも全部読んでる方がいたら、ありがとうございます。そしてご苦労さまです。
前回のブログこちら
HERO! ヒーローになるとき~♪ Ah Ha! それは今~♪
HERO! 引き裂かれた夜に~♪ お前を 離しはしない~♪
HERO! 空はひび割れ~♪
HERO! 太陽は燃え尽き~♪
HERO! 海は枯れはてて~♪
HERO! 月は砕け散っても~♪
HERO! ヒーローになるとき~♪ Ah Ha! それは今~♪
HERO! 引き裂かれた夜に~♪ お前を 離しはしない~♪
【甲斐バンド「HERO」(1978)歌詞より引用】
そうなんですよね~
引き裂かれたり、
空が、太陽が、海が、月が、なんだか大変なことになって
それでですね、というか、そういうことが必要で、
なんだか大変なことになると、みんながHEROになるときが、来るのかも知れない
だから私は
世界に嫌われなければ、ならんのですね
■わだばサノスになる!
「サノス」をご存じでしょうか?
マーベルの産み出した、スーパーヴィランです。悪役です。
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』からの『アベンジャーズ/エンドゲーム』にて、サノスは最強最悪の悪役として登場します。
まあ、もちろん悪役ですので、アベンジャーズ軍団と対峙し、最後は倒される…わけですが
まあすごい
なにがすごいって(大きなネタばれはしないように、以後wikipediaに書かれている程度にしますが、それでも気になる方は以後読み飛ばしエリアの読み飛ばしをお願いします)
****読み飛ばしエリア ここから****
サノスは指パッチンを一回やるだけで、全宇宙の生命の半分を消滅させちゃう。
というかその指パッチンパワーを手に入れるためにアベンジャーズたちと戦い、そして手に入れて
それで指パッチンやっちゃう。
あっさりとパッチンしちゃう
あ~やっちゃったよ
全宇宙の生命の半分、いなくなっちゃったよ(インフィニティ・ウォー)
アベンジャーズのメンバーだって例外ではない
半分、消えちゃった
すげえ
なんでそんなことすんの?
なんつったってその指パッチンパワーを手に入れるために、自分の娘も殺しちゃうんだからねサノスは
どうしたん?
何がしたいん?
なんでそんなことすんのよ?
まあ、そう思います。
悪役だからね、普通まあ、悪役ってのは、悪の限りを尽くすわけですが、
サノスは違う
普通の悪役はね、まあ、自分の欲望のために悪いことをするよね。
世界を征服するんじゃ!とか、自分が世界の王になるんじゃ!とか
でもサノスの場合、「使命」なんですよね…
別に私利私欲じゃない
全宇宙の生命の半分を消滅させるために、恐るべき覚悟をもって、それを成し遂げる。
どうしたん?
何がしたいん?
なんでそんなことすんのよ?
劇中のサノスのセリフによると
「宇宙のバランスを保つためには、全宇宙の生命を半分消し去り、生き残った半数の者たちを紛争や飢餓から救うしかない」
ということらしくて
「その責任を負う覚悟があるのは自分だけだ」
ということ、らしいっす
背景にはまあ、サノスには過去にいろんなことがあったんですけれど
とにかく、「宇宙のバランスをとる」ために
すごい酷いことを、する
****読み飛ばしエリアここまで****
このサノスの使命
どうですかね?
~深い
私はそんな風に感じました。
そして私は、映画とかにすぐ影響されちゃう私は
「生きる」とか「戦う」とか「活躍」とか「正義」とか「HERO」とか
こういう映画とかに、すぐ影響を受けて、そういうことを考えてしまい、それで私の悪い性格として、それをすぐ、実行しちゃう 実践しちゃう
本気で思うんですね。
「その1」で書きました通り、私は
■わだばHEROになる!
と、思っているわけですが…
それで、私のHERO像とは何なのか?
私は、どんなHEROになろうとしているのか~ と言うと
■わだばサノスになる!
という、わけです。
私は、自分の会社に
- バランスを保つ(ために、時に消し去る)
- 会社を紛争や飢餓から救う(ようするに儲ける)
ということを、するために、
私は
- HERO達を生み出すための、スーパーヴィランでなければならない
と自覚し
さらに私は
- 「その責任を負う覚悟があるのは自分だけだ」
と、思っちゃったんです
つまり私自身のHERO像とは、HEROを生み出す存在である必要があるわけで、そこを突き詰めていくと、私は自身が経営する会社「株式会社ソノリテ」において、
- 社員からHERO達を生み出すために
- 自らはスーパーヴィランである必然性を感じ
- その私が生み出した「指パッチンパワー」が「H・A・L評価制度」である
という事。
だからですね、H・A・L評価制度は、きわめて残酷なんですよ。
サノスのように、半分、とは言いませんが、
パレートの法則に従って、2:6:2で社員を分類し、容赦なく、裁定を下す。
残酷、が、しかし
物語(ものがたり)はそこから始まるんです
物語の始まりが、理想的な終わりのためにあるのだとするならば、物語は破壊から始まるはず。
私利私欲でもなく、会社のためでもなく、理念追及のための、使命として、私は会社を毎年破壊し、
毎年新たなHERO達が生まれ、復旧していく。
- スクラップ&ビルド
- ノーペイン ノーゲイン
まあ、そんな感じ
だから私が、ソノリテと言う会社の筋線維を破壊する負荷をかけ、会社のHERO達はそれを超回復させ、脂肪は燃焼していく。
自分がHEROであると思うなら、チャレンジをすればいい。
チャレンジをし、このサノスが下した2:6:2を壊し、みんながHEROになっていけばいい。
それが自分達の選択であるべきで、自分たちの自主性であるべきで、支配者からの評価であるべきではなく、それであるならば旧来型のヒエラルキーに対する依存でしかないと考えるわけですね。
それがプロアクティブの意味であり、「依存からの自立」を進めていける存在こそがHEROであり、それが共鳴していく世界を作るのだという、理念であり哲学のつもりです。
■サノスが与える四苦八苦
私は、嫌われる
社員は私に挫折させられ、そして成長する。
「その9」の最後に、そう書きました。
私の役割は、社員への挫折の提供です。それがサノスの役割だからです。
「その1」にはこう書きました。
さとり世代は、欲がない。
だからHEROにならない。
「さとり」と言えば、お釈迦様。
お釈迦様って、どういう環境で、育ったんでしたっけ?
仏教のスタート地点とは「四苦(しく)」です
- 死 の 苦しみ
- 病 の 苦しみ
- 老 の 苦しみ
- 生 の 苦しみ
さらにこれに4つ加わり「四苦八苦(しくはっく)」となる
「さとり」ってのはこのような「四苦八苦」からの解放。
さとり世代には、欲がない。
だからHEROにならない…
のでは、ない
私が悪い
私が「四苦八苦」を作らないから、みんなの「HERO」が、輝かないだけだ。
だから私はサノスになろうと思う。
どうも気に入らない理論として
>人には「欲」があり、「四苦八苦」につながる
>さとれば「欲」がなくなり、「四苦八苦」から解放される。
と、考えられているような気がするんですが、
私的には
>「欲」への執着が、不幸なのではないように
>「欲」がないから、さとりなのではない
と、思っているんです。
人間の原罪や、生命の渇望は、そんな理論的なものではないですよね?
「ネコちゃんカワイイ」「牛肉美味しい」が人間だし
「生命愛おしい」「ゴキブリ死んでくれ」が人間だし
「人はみな平等」「迷惑人間消えてくれ」が人間なわけで
見かけのサトリは作り上げられた平和ボケの上に成り立っているにすぎず、それは平和ボケに対する依存でしかない。
「消費をしないこと」が持続化可能性では無いように、「生産すること」の害悪も人間であり、それもまた「仕事の本質」だから
私がサノスになるから、みなはアベンジャーズのように
さとりの世界に、会社を、導けば良い
H・A・Lによってそういう物語(ものがたり)が始まるんだと思う。
2021年であり、20年遅れましたが…
■現状維持バイアスを壊し、成長に導く
私が生み出す「四苦八苦」は、おそらく「現状維持バイアスの破壊」を目的とした指パッチンだと思う。
私は「現状維持」を見つけたら、それを壊す。
「現状維持」に対し、LAY PERSONと名付け、目標設定を促す。
そして社員の皆さんの深層心理にある、HEROに期待をして、待つ。
その活動がいつかきっと、本質的に多様で、本質的に成長体質の組織につながっていくのだと思う。
そこにいるのは極めて多様なHERO達で、自分たちのクラスタをつねに創造的破壊に導こうとする社風をもった共鳴組織であり
そうなったとき、私は隠居するし、
そうなるまで、私は、指パッチンを続ける
自らの現状維持バイアスに対し、指パッチンを続ける。
それがH・A・L評価制度の本質なんです。
HEROを生み出すための四苦八苦
という、スーパーヴィラン
だからまあ、
嫌われて、当然
でも、まあ
いいよ。それで。
「その責任を負う覚悟があるのは自分だけだ」
HERO! ヒーローになるとき~♪ Ah Ha! それは今~♪
HERO! 引き裂かれた夜に~♪ お前を 離しはしない~♪
HERO! 空はひび割れ~♪
HERO! 太陽は燃え尽き~♪
HERO! 海は枯れはてて~♪
HERO! 月は砕け散っても~♪
HERO! ヒーローになるとき~♪ Ah Ha! それは今~♪
HERO! 引き裂かれた夜に~♪ お前を 離しはしない~♪
【甲斐バンド「HERO」(1978)歌詞より引用】
私の使命は、どうやら夜を引き裂き、空は割り、太陽を尽かせ、海を枯らし、月を砕くことのようだと、
気が付いた2021年でした。
みなさん来年も、どうぞよろしくお願いします。
HERO、人事評価、パレートの法則 その9
めっちゃ時間空けちゃってすみません。
このブログ(その9)と、もう一回(その10)で、「HERO、人事評価、パレートの法則」のブログは終わりにする予定です。
前回のブログこちら
パッパッパラッパパパラパ ここで 登場 ピンチヒッター♪
パッパッパラッパパパラパ あれは きっと パンダヒーロー♪
カニバリズムと言葉だけ 歌うアンドロイドと遊んでる♪
きっと嫌われてんだ 我がヒーロー♪♪
きっと望まれてんだ ほらヒーロー♪
【ハチ(米津玄師)「パンダヒーロー (ORIGINAL)」(2010)歌詞より引用】
Heroとは 嫌われている。
しかし同時にまたHeroは望まれている。
世界に勇気を与えるHeroは同時に
世界に嫌われる存在
■さあ、嫌われよう
もうあと2回でH・A・L評価制度について書くことをやめますので、最後にネガティブな側面を書きます。
まあ簡単な話です。
光りある所には影があります。
HEROがいるところには、HEROではない人がいます。
社会ってそういうものですよね。それが「あたりまえ」です。
つまりパレートの法則にしたがえば
よく働くアリ(人):20%
ふつうに働くアリ(人):60%
さぼるアリ(人):20%
この「さぼるアリ」が、そういう存在。
当社のH・A・L制度の格付けでいえば
HERO(全社員のうち20%)
AVERAGE(全社員のうち60%)
LAYPARSON(全社員のうち20%)
この、「LAYPARSON」が、そういう存在。
この「LAYPARSON」の話をします。
私は、H・A・L評価制度で
「みんなでパレートの法則をうちやぶろう!」
「みんなHEROの会社になろう!」
っていう掛け声をかけているんです!
でも、その反対に、全体の20%の人にたいし、
「あなたはLAYPARSON(下位20%)です」って、ラベリングするんです。
その 意味について、書きますね。
■さまざまな批判
私がH・A・L評価制度を制定する過程や、ここまで実践してきた過程において、LAYPARSON認定に対し、以下のような批判的な意見をもらっています。
- 人は褒められて成長する。「自分は下位者だ」と言われてやる気を出す人などいない。下位の存在をモチベートしていくマネジメントこそ理想なのではないか?
- ソノリテは多様性を重視する会社。多様性とはさまざまな人のさまざまな良さを受け入れる事。なのになぜ「下位者」を定義する必要があるのか?
- なぜ毎年LAYPARSONを再定義する必要があるのか?会社が理想に向かって成長しているのなら、「LAYPARSONがいなくなるというゴール」を制定すればよいのではないか?
はい。その通り。
確かにその通りだと思います。本当に。
だから甘んじて受け取ります。批判的意見に耳を傾けます。
そして私は、この会社を改革するHEROに、私自身がなるしかないと思っていて…
さっきの批判的意見をまとめれば、こんな感じ。
1)褒めて成長させよう
2)多様性を尊重しよう
3)みんながHEROな会社をめざそう
って、
そうだね。
その通りだね。
でもね、みんな、ダメだね
ダメなんだよ
残念ながら、ダメ
だって仕方ないでしょ、世界は残酷なんだから(ミカサ)
世界は残酷なんで
1)褒めて成長させよう としても
2)多様性を尊重しよう としても
3)みんながHEROな会社をめざそう としても
だれも、ちゃんとしない。
1)褒めれば、現状にあまんじて、成長しようとしない。
2)多様性の環境を与えても、お互いを尊重しようとせず、同質性の殻に閉じこもる
3)みんながHEROな会社をめざそうと言っても、左右を見渡し、ニヤリと冷笑し、様子を見る。
ダメ。
ダメだこりゃ(いかりや)
そしてその、ダメを創り出しすのは(その5くらいに書いてあるけど)、社長である私自身の、憶病、安定志向、防御本能。
だから私が「HEROを創ろうとしていなかった主原因」なわけです。
で、その、臆病は
つまり憶病とは?
具体的に言うと、何に対し憶病なのかと言えば、つまり
「おまえたちなんて、HEROじゃない」
って、
社員に向かって、
言ってないってことなんですよね。
1)褒めて成長させよう
2)多様性を尊重しよう
3)みんながHEROな会社をめざそう
という美辞麗句を隠れ蓑に、私は臆病者な安定志向で、社内や組織に生まれる軋轢、批判を避けていた。
だから私は、嫌われなければならない。
平気で「おまえはLAYPARSON(下位20%)だ」と言える人に、ならなければいけない。
そうしないと、HEROは生まれないんです。
■野球のレギュラー落ち、二軍落ち
野球、プロ野球で例えるとですね。
私は、褒めて成長とか、多様性を尊重とか、そういう美辞麗句を隠れ蓑に、
「がんばってるみんなはみんなレギュラーでいいよねーわーいわーい」
みたいなことを、やっていたに過ぎなくて
努力しない選手もレギュラーに残し、何か良いところで活躍してくれないかなーと、もう9人以上のたくさんの選手であふれかえっている野球場に、さらに選手を放り込んで、
それで、たいして練習もしていない選手だらけの球場で、野球の真似事をさせようとしていた。
だれかが「ピッチャーやりたい」と言えば、めっちゃ頑張って投げていたエースに頼んで「ちょっとこの子も投げさせてあげて」みたいにして、投げさせてみたり
「ちょっと肩が痛いんで今日は打席に出たくない」という選手がいれば、「そうだね無理をしてケガをしたら一大事だもんね」とかいいながら、チャンスの打席に意味なく代打を出したり、
まあそんな経営です。
それが「選手のみんなが居心地のいい」「多様性を尊重した」「理想の会社」だと、本当は思ってもいないのに、私自身の憶病、安定志向、を前提として、美辞麗句を隠れ蓑に、まあそういう事をしていた。
それで良いと、それが今どきなんだと、適当な思考停止に落ち込んでいた。
というか
私がかって所属していた企業もみなそうだったし、
多くの日本の企業は、だいなりしょうなり、そういう感じなんだと思う。
なんでだ?
なんでプロ野球なら、すぐ「レギュラー降板」あるいは「二軍落ち」と言われる
ような選手を、本当は思ってもいないのに大事にし、ずっとプレイさせているんだ?
なんでそんな、骨抜きな経営しか出来ないんだ。
そう思うわけですよ。
なんで?
なんで?
だから逆に考えてみたんです。
逆に考えるの好きだから私は。
で、逆に考えると、なんでプロ野球の世界では、「レギュラー降板」あるいは「二軍落ち」っていう、宣告が出来るんだっけ?
そこを考えてみた
プロ野球の世界は
- プロ野球選手はプロ意識が高いから だっけ?
- そういう文化が根付いているから だっけ?
- 最初からそういう契約だから だっけ?
まあ、そんな理由な気もしますが…
でもそれは、凡人の思想ですよね。哲学が足りない。逃げの思想。思考停止。
なので私は考え、考え、
そして、サトリました。
プロ野球なら、なぜ監督は、パフォーマンスが落ちた選手に対して「レギュラー降板」あるいは「二軍落ち」と言えるのか
それは…
その答えは!!
じゃじゃーん!!
★★★ 野球は9人でやると決まっているから ★★★
なんですよ!
なんです!!
はい、そうなんです!
プロ意識の問題でも、文化の問題でも、契約の問題でもないんです
★★★ 野球は9人でやると決まっているから ★★★
なんです!
レギュラーが9人って決まっているから、レギュラー落ちも、二軍落ちも、そういう事が、ハッキリする。
監督も、悩みますよね
悩んで、9人を選ばなければいけない
みんな努力している。
みんな良いところが沢山ある。
どうする?監督?
だれをレギュラーにする?
そして監督は、レギュラーから落とす選手も決めなければいけない。
だってレギュラーは9人までだよ?
どうする監督?だれを落とす?
納得する選手もいれば、なっとくがいかない選手もいるだろう。
なっとくのいかない選手の中には、監督を恨む選手もいるだろうし、他の球団に移る選手もいるだろう
どうする監督?
でも、そうやって選手を選抜するから
そういう厳しい選抜があるから
それが
それがあるから…
勝てる
いや、勝つってだけではない。勝ち負けよりもっと大事なことがあって…
それは
選手(社員)が、成長する
という、それなんです。
限られた9人というレギュラー枠を争奪する仲間がいて、その仲間との競い合いが前提となり、モチベーションとなり、突き動かされ、選手たちは成長する。
モチベーション
・野球の魅力
・自身の得意分野を活かせる喜び
・高い給与
などなど、選手を努力に導く「美辞麗句的要素」はたくさんあるでしょう。
でも、結局
(がんばらないと)落とされちゃうかも
という「突き上げ」が、選手にプロ意識を持たせるし
選ばれた
という喜びが、選手のプロ意識やモチベーションを強化する。
そして
落とされた
という事態は…
落とされた
という事態については…
さて、どうなるでしょうか?
野球は、9人で行うスポーツで、あなたは努力して努力して、
でも、レギュラーになれなかった
落とされた
さて、どうですか?
落とされたら、どうですか?
これが今日の、メインテーマ。
そして私が、「H・A・L評価制度」のネガティブな要素として、「あなたはLAYPARSON(下位20%)です」って、ラベリングされた社員が、もしそれがアナタだったら
どうですか?
というところを、説明したいのです。
■HAL評価制度を実施して、半年経ちました。経過報告
それでですね
努力報いず、レギュラーになれなかった野球選手は、どうですか?という話の前に…
HAL評価制度を実施して、半年経ちましたので、経過報告をしようと思います。
先に説明した通り、私の会社「株式会社ソノリテ」では、本年2021年の7月1日より、新評価制度「H・A・L評価制度」を開始しました。
で、この12月で、開始から半年が経ちます。
H・A・L評価制度では、一年を半分に割り、7月から12月を「前半」、1月から6月を「後半」として、チャレンジ等を区切るのですが、
2021年7月から始めた制度の、初めての「前半」を終了し、今、どうなったか?ですが。
その経過の報告です。
先に説明した通り、全社員数に対し、7月1日に
HERO(全社員のうち20%)
AVERAGE(全社員のうち60%)
LAYPARSON(全社員のうち20%)
というラベリングをしました。
それに対し、前半を終えた段階では、現時点の状況から類推される結果として
HERO(全社員のうち約30%)
AVERAGE(全社員のうち約68%)
LAYPARSON(全社員のうち約2%)
となりました。
どうしてそうなったかというと、様々な社員がチャレンジをしてくれたことによって、割合が変化(昇格したり)したわけですが…
どう、思います?
私は、これは良い結果だと思っています。
まあ、しょせんはラベリングです。ラベリングの匙加減ですけどね。
でもですね、こういう結果が出たんです。
この結果って、パレートの法則を打ち破っていると、思いませんか?
パレートの法則にしたがい、20%しかいないと思っていたHEROが、AVERAGEからのチャレンジにより、HEROとなることで、HEROの数が増え、全社の下位20%とラベリングされてLAYPARSONが、全社の2%まで縮小しました。
これ、良い結果ですよね?違いますか?
でもですね
もちろんネガティブな話もあるわけです。
つまりLAYPARSONの中には、LAYPARSONに認定された事を理由に、会社を辞めると決断した人がいるわけです。
そりゃそうですよ
そりゃ、そうなんです
レギュラーになれなかった野球選手のうち、「ならばこの球団を辞める」とか、「ならば野球を辞める」という選択肢をとる選手は、必ずいますよね。
だからLAYPARSONの中で、「ソノリテを辞める」と考える社員がいることは、当然なんです。
当然なんです。
当然なんですけども…それでいいのか? という話。
辞めた社員がいるから、LAYPARSONの割合が減ったわけですし、私はH・A・L制度でLAYPARSONに認定された人のうち、辞めてしまう人もいるだろうと想定して、この制度を導入したわけです。
それは、私がこのH・A・L評価制度を考えるにあたり、とても悩んだ項目であり、そしてとても苦慮して結論付けた内容でもあるんです。
■会社を辞めるということは、ネガティブな事なんでしょうか
ちょっと私の話をします。
私も今の会社の社長になる前は、いわゆる勤め人、サラリーマンでした。
22歳で社会人になってから、37歳までの15年間、日立系のIT企業に勤め、転職し37歳から44歳までの7年間、東京電力系のIT企業に勤め、
その後、株式会社ソノリテの社長になるわけですが…
まあ、いうなれば2回転職しているんですが…
転職した時、どう、思ったか
というか、自分の人生において、転職って、なんだったか といえば
少なくとも私は、わたしにとって転職は、大きく成長する機会であったし、実際私は転職によって成長したんです。
これはですね…
なんで転職で「成長したか」って話ですけどね
それを、さらっと書きますけど
★自分の決断で転職したからには、意地でも、「転職してよかった」っていう解釈をしたいから
なんだと思うんですよ
つまりですね、転職するっていう事は、多少なりさまざまなリスクを背負うわけじゃないですか?
それでも自分は、この転職によって「成功した」と、自分の人生を解釈したい。そういう「意地っ張りモード」になるわけですよ。
これをですね、端的に確認できるのは
同じ会社を、同じタイミングでやめた仲間と飲み会なんかをやると、すごくよくわかるんです。
今はバラバラな会社にみんな転職しているんで、まあ確率論で考えれば、「転職してよかった」人と「転職して失敗した」人が、点在していても良いものですが
「同じ会社を同じタイミングでやめた仲間」とのむと、みんな口をそろえて「辞めてよかったよね!」って、言うんです。
なぜかといえば、
★自分の決断で転職したからには、意地でも、「転職してよかった」っていう解釈をしたいから
な、わけですが
この
★★自分の決断を、なんとしてもポジティブに受け入れようとする気持ち
ってのが、いかに人を成長させるか…という点なんです
これ
これをですね
私は「LAYPARSON認定」という形で、社員にこれを、突きつける。
そうなんです。
私はこの「決断」こそがもっとも人を成長させるものだという確信があり、かつ自分自身の転職経験からもそれを理解し、
さらに、それを社員に示さなければいけなかった。
その理由は当社の経営理念が「社員の成長」だからなわけですが…
私はそれをサボっていた
私は自分自身の保身や、甘えを美辞麗句で隠蔽し、ぬるい経営をしていました。
レギュラーになれなかった野球選手は、どうなるか?
その答えは
「その挫折をポジティブにとらえ、新しい人生に立ち向かうなら、その人は成長する」
です。
だいぶ長くなったんで、次回「その10」を最終回にすることを約束し、
今回はここまでにします。
私は、嫌われる
社員は私に挫折させられ、そして成長する。
カニバリズムと言葉だけ 歌うアンドロイドと遊んでる♪
きっと嫌われてんだ 我がヒーロー♪♪
きっと望まれてんだ ほらヒーロー♪
その10に続きます~
HERO、人事評価、パレートの法則 その8
すみませんすこし時間あいちゃいました。
前回のブログ
その続きです
胸を張れ♪
今こそ君は 本当のHero♪
このフィールドは 君が輝く舞台♪
流した涙 超えて ここに立つ♪
そのまなざしが 世界に勇気を与える Hero♪
【嵐「Hero」(2004)歌詞より引用】
そうですよね
Heroとは 何か?
「世界に」「何かに」勇気を与える
それがHeroという存在なのではないでしょうかね?
では
「勇気」とは何でしょう?
そこが、本当の、問題のような気がします。
■パレートの法則を打ち破る
ここまでのブログで、私は
- パレートの法則(働きアリの法則)を打ち破りたい
- HEROだらけの会社にしたい
- HEROになるために皆を揺り動かしたい
- そのために会社の制度で社員HEROと呼ぶことにしました
ということを、説明して来ました
ですが、
というネガティブな事実も、説明し
さらに
- 社内評価制度(H・A・L)では、上位20%の社員をHEROと呼ぶ
- ということは2:8の法則であり、2がHERO
と、前回言いました。
で、それはなんでか?
なんで、「パレートの法則(働きアリの法則)」を打ち破りたいと言っているのに、HEROは20%なのか?ですが、
そのネタばらしは、とてもシンプル。
パレートの法則を打ち破るのは、私ではない。
社員の皆さんだからです。
■社員の意思によって、HEROが増える
「その7」で説明したように、H・A・L評価制度では、社員を
- HERO:20%
- AVERAGE:60%
- LAYPARSON:20%
と、分類します。
ここは思いっきり「パレートの法則」です。
そしてこの3分類は、***期中に覆されます。***
それが「チャレンジ制度」です。H・A・Lには「チャレンジ制度」があります。
チャレンジ制度とは、簡単にいえば「社員が自分で目標達成や成長をプレゼンし、昇格を勝ち取る制度」です。
社員は「チャレンジ」に成功することによって昇給、昇格します。
かつ、例えば「A(AVERAGE)」だった社員がチャレンジに成功すれば、「H(HERO)」に、なります。
つまり、H/A/Lそれぞれの分類と、チャレンジによる昇給昇格は、疎な関係をもっている状態です。
簡単に言えば、例えば
- 会社にHEROと認定されても、チャレンジしなければ昇給昇格は、無い
- 会社にHEROと認定されなくても、チャレンジして成功すれば、HEROにもなるし、昇給昇格にもなる。
という、制度なんです。
また、LAYPARSONに関しては
- 会社にLAYPARSONと認定されても、チャレンジして成功すればAVERAGE(やHERO)にもなれる。昇給昇格もある
- LAYPARSONと認定され、チャレンジしなければ、降給降格になってしまう。
という制度でもあります。
実際はもうちょっと複雑ですが、まあ、こんな感じです。
これを期中、繰り返します。
そうすると、どうなるか…(まあ、これは、予想ですがね…今年から始める制度なので)
AがHを目指し、LがAを目指すという単純明快な構図が生まれ、一年が過ぎると
HEROが20%以上となり
LAYPARSONが20%以下となっている
そういう組織に、明示的になっている。
そしてそれは「H・A・L認定」と「チャレンジ」の疎な結合が、社員が自ら「パレートの法則」を打ち破るエンジンとなり、
かつ「H・A・Lラベリング(認定)」が、組織がパレートの法則を打ち破っている量的指標となるわけです。
よく、考えられているでしょ?
■そして毎年リセットする。
そしてこの「H・A・Lラベリング(認定)」ですが、毎年リセットします。
つまり一年を通して、会社が
HEROが20%以上となり
LAYPARSONが20%以下となる
という「理想的な状態」になったとします。例えば
- HERO:40%
- AVERAGE:50%
- LAYPARSON:10%
くらいになったとしましょうね
すごいじゃないですか?社員の40%がHEROだなんて!
でもですね、一年たったら、これをあっさりとリセットし、また
- HERO:20%
- AVERAGE:60%
- LAYPARSON:20%
と、あらたな認定を行います。
(当社ではこれを毎年7月1日に実施する予定です)
ヒドイですよね
でも、やります。
狙いは簡単な話です。
以前話しました通り「凡庸な安定的な組織」にしないため、です。
毎年リセットすることにより
- HEROは「毎年HEROになるために」努力をするし
- AVERAGEも「来年LAYPARSONにならないよう」な緊張感が持てる
そういう、事です。
この「リセット」が、非常に重要なんです。
「リセット」出来るラベリングがあるからこそ、「凡庸な安定的な組織」から抜け出せる仕組みになっているわけです。
■会社組織への違和感:ラベリングと給与の連動
私が過去所属していた、日本の伝統的な会社(比較的大企業に分類される会社)では、ラベリングと給与が連動していました。
ここでいうラベリングとは、
「会社はあなたを評価していますよ~その称号をあなたに与えましょうね~」っていうものです
だいたいの会社では、今でも「役職」ってやつが、このラベリングの機能をもっていると思います。
主任、課長、グループリーダー、主査、部長、本部長、専任なんちゃら~
これらのラベリングは、社員が努力をし、会社の評価を得たことを対外的に示すことが出来るラベルです。
そしてこれらは給与と連動し、かつ組織体系、権限等とも連動していました。
ですがこの役職ってやつは給与や権限と連動しているとなると、これは、めったに動かすわけにはいきませんね。日本の労働法的な制約も出てきます。
ベンチャー企業なんかですと、「リーダーがすぐ異動になる」とかそういう緊張感はあるかもしれませんが、逆にいろいろな不都合も出てきます。
あまり動かせないとなると、あんまり「お気楽に」与えらえるものでも無くなってきます。
「去年頑張ったから今年課長やってよ。来年は降格になるかもしれんけどね」ってわけにもいきません。権限の付与ってそんなモノではありませんし、ある程度タフネスを持ち合わせていないとモチベーションが心配です。
と、いう事は、やはり会社が「凡庸な安定的な組織」になっていくんですよね。
だってそうですよね?
日本のほとんどの会社って、一度「課長」になったら、めったなことでは降格したりしないですよね?
少なくとも一年単位で上がったり下がったり、そういう危機感は、なかなか持てないですよね?
そういう組織って、どうなるか?私の考えでは、「パレートの法則」的な「効率」が発生し、「安定思考」が発生する
本来「会社からの期待を込めての昇格」というラベリングが、むしろ
「まあ上がったし、しばらくは頑張ったところでさらに上がれはしないだろう」
「むしろ失敗して降格しないように、あまり目立たずにいよう」
という本人思考が生まれるでしょうし、評価側も「一度評価していしまうとなかなか下げることは出来ない」となれば
「まだ早いのではないか」
「本当に大丈夫か」
「子供がまだ小さいから、無理できないのでは」
などと、評価することに「ためらい」が出来てしまう
そんな組織の評価制度で、硬直したラベリングが生み出す社員意識の中で、HEROが生まれるわけが、ない。
つまり安定思考を「創造的破壊」するために、H・A・L評価制度では、昇給昇格と疎な結合をしているH・A・L認定を、定期的にあえてリセットするわけです。
よく出来てるでしょ?
これが「揺り起こし」の根底です
これがソノリテの「H・A・L評価制度」です。
胸を張れ♪
今こそ君は 本当のHero♪
【嵐「Hero」(2004)歌詞より引用】
そうです。
今年あなたは、本当のHEROです。胸を張ってください!
でも来年は、わかりません…
はい。まだ続けます。次回以降にネガティブな側面の説明を少し補強します。
HERO、人事評価、パレートの法則 その7
前回のブログ
その続き~
千年に一人のような センスがなくたって♪
アタシや 君だけのゴールを 見てみたいよね♪
どんなに世界が わからず屋ばっかでも♪
アタシはキミという わからず屋の味方♪
【LiSA「だってアタシのヒーロー。」(2018)歌詞より引用】
■H・A・L評価制度
当社はこの7月から、株式会社ソノリテの新しい評価制度として、
H・A・L評価制度
を開発し、運用を開始しました。
これを解説していきます。
■成果主義的評価制度の問題点
私は以前から、成果主義、目標管理的評価制度について疑問を持っていました。
「疑問を持っていました」は少し言い方が甘かったかも知れません。ぶっちゃけ嫌悪感を持っていました。
企業が社員を評価するにあたって、いろいろな方法があり、それぞれに色々な問題点があると思うんですが、
根本的に私は、以下のような考え方に嫌悪感がありました。
- 会社から量的GOALを設定される
- 中間執行役が実行計画を練る
- 下位チームにノルマが割り与えられ、ノルマの実行を中間管理者が管理する
- ノルマの実行に対する目標と実績をベースに評価が決まる
それを、以下のように(自社ソノリテでは)したかったんです。
- 「自分の成長」に興味をもちソノリテに入社する
- 会社で成長のチャンスを得て、チャレンジする
- 様々な経験の中で成長する、成長の場であるソノリテも結果として成長する
- したがってソノリテは、社員の成長を評価軸とする
結果の部分(つまり両方とも④)、で言うと
前者:目標と実績の差分で評価する
後者:成長を評価する
という違いがあるわけですが…
違うったって、違わないんじゃない?みたいなね…
違いは確かに、両方に添えたイラストにあるように、意思が「上から下(トップダウン)」なのか、「下から上(ボトムアップ)」なのか、という違いに見えますが
本当の違いは、
「(みんなを)揺り起こす」
この、方法の違いです。
■H・A・L評価制度で「揺り起こす」
私が旧来の「成果主義、目標管理的評価制度」に対して嫌悪感を持っていた、その理由。それは
「揺り起こし方が上意下達:トップダウン」だと言う事。
つまり会社の意思、例えば
- 「来年度は売上5,000億円を達成するぞ!」と言われて、
- 各部署に目標値が割り当てられて
- なんやかんや経て自分の部署や自分の仕事にミッションが落ちてきて
- ほんでそのミッションを「しょうがねえ!やってやるか!!」と「揺り動かされる」
この「揺り動かされ方」が、嫌なんですよね…
何が嫌かって言うと、まあようするに、凡庸的、凡人的なんですよね…
つまりほら、「その4」や「その5」でも書きましたが、働くっていうことに対して
- 働くのは、義務
- 働かすのは、会社の義務
- 働くのは、食いぶち のため。
- 働くのは、生きるため
- 会社は、雇用を創るためにある
みたいな文脈なわけですよ
つまり
- 働くのは、義務だし
- 働かないと、生きていけないから
- 会社のいう事を聞かないといかんから
- このミッションをどうこなすかが、俺の「目標」なわけよね
という「受け身」な考え方になるわけだし、そこにDNAからしみだしてくる安定志向を掛け合わせれば
「出来るだけ効率よく安定的にこのミッションを終わらせるか」
というような思考になるのは自明なわけで
「やりゃあいいんでしょ。やったよほら。やりゃあ文句ないんでしょ。給料くれるんでしょ?(会社は雇用を創るんだから)」
というような感じになるじゃない。
こりゃあ、ここを「働き方改革」しないかぎり、社員はヒーローにはならんさ…
こういう命令と評価の制度を続けていれば、人はみな「仕事は効率よくパパっと終わらせて~」みたいなモノになるわけで…
いや、べつにそういう会社はそういう会社であっていいけれど、私は自分の会社を「ヒーローを創ることが上手くなる」会社にするための方法論として
代表(齋藤:わたし)が、本能の呪縛(安定)から解放される
ことをどうやって、やり、そして
「(みんなを)揺り起こす」
ことをやるのか? って話をしているのだから、これは、旧来の
- 会社から量的GOALを設定される
- 中間執行役が実行計画を練る
- 下位チームにノルマが割り与えられ、ノルマの実行を中間管理者が管理する
- ノルマの実行に対する目標と実績をベースに評価が決まる
って方法を、大至急、捨てて
- 「自分の成長」に興味をもちソノリテに入社する
- 会社で成長のチャンスを得て、チャレンジする
- 様々な経験の中で成長する、成長の場であるソノリテも結果として成長する
- したがってソノリテは、社員の成長を評価軸とする
という会社にせにゃならん、と、なったわけです。
■ではH・A・L評価制度の「H・A・L」とは
ということで、会社を
- 「自分の成長」に興味をもちソノリテに入社する
- 会社で成長のチャンスを得て、チャレンジする
- 様々な経験の中で成長する、成長の場であるソノリテも結果として成長する
- したがってソノリテは、社員の成長を評価軸とする
こんな会社にすることが、ソノリテが旧来の安定志向(パレートの法則の呪縛)から解き放たれ「ヒーローを創ることが上手くなる」会社になる方法論であると考え、
「H・A・L評価制度」というのを、つくったわけなんですけどね
ではH・A・L評価制度の「H・A・L」って何ですか~って部分ですが
こうです
H:HERO
A:AVERAGE
L:LAYPARSON
HERO/AVERAGE/LAYPARSON、それぞれの頭文字をとって、「H・A・L」です。
社員をHEROと呼ぶってのは、ひとつ前の「その6」でふれました。
社員をHEROと命名することで、「揺り起こす」ということを、狙ったものです。
が、しかし、HEROだけじゃありませんで、
「H・A・L評価制度」では年に1度(当社は7月)に、社員をいわば格付けしまして、「H・A・L」にラベリングします。
それぞれの意味付けとしては、こんな感じなんです
- HERO:(20xx年の)ソノリテにおいてアナタは文字通りヒーローです。ソノリテの改革的成長に寄与することを期待された存在です
- AVERAGE:(20xx年の)ソノリテにおいてアナタは平均的存在です。もちろんアナタの存在によって会社は成立しています。アナタは大切な存在ですが、HEROを目指してほしいという期待もあります。
- LAYPARSON:(20xx年の)ソノリテにおいてアナタは残念ながら下位の存在です。意志や目標をもって行動することを期待されています。
そしてこの「H・A・L」の格付けは、以下のような割合でラベリングされるという制度設計なんです。
- HERO(全社員のうち20%)
- AVERAGE(全社員のうち60%)
- LAYPARSON(全社員のうち20%)
つまり「H・A・L評価制度」では、全社員のうち上位20%をHEROというようなラベリングをし優越感やら心理的安全性を受け取ってもらい、
逆に下位20%の人にはLAYPARSONという不名誉な格付けが行われることによって、全体に競争原理的な「揺り起こし」を…
「揺り起こし」を…
を…
ちょっとまて!
- HERO:20%
- AVERAGE:60%
- LAYPARSON:20%
って、おい!!!
おもいっきり パ レ ー ト の 法 則 やんけ!!!
おもいっきり 働 き ア リ の 法 則 やんけ!!!!
こんなんで評価されたら、めっちゃ「安定志向」ちゃうんか!!!!
むしろ「凡庸な安定的な組織」を強固なものにしてしまうんちゃうんか!!!!
そう
そうなんです!!
そのあたり、次回以降に説明は続きます
つづきます。まーだまだ続きます
HERO、人事評価、パレートの法則 その6
前回のブログ
の、続きです~
(そろそろ「解決編」に入っていきます)
There's a hero♪
If you look inside your heart♪
You don't have to be afraid♪
Of what you are♪
【Mariah Carey「Hero」(1993)歌詞より引用】
ヒーローになろうとする人は、少ない
でもヒーローは、そこにいる
こころの中を、覗いてみたら?
■社長(私)がそれを望んでいなかった。
ここまで書いてきたことの整理。
- 仕事とは人助け。
- だから仕事には、ヒーローが最適。
- でも会社は、ヒーローを創ろうとしていない。なぜか?
- 多くの組織は呪縛は「遠慮」「憶病」「パレートの法則」に縛られている。
- そして当社において根本的な原因は私(社長である私)。私が本能でブレーキをかけていた。
私が本能でパレートの法則に縛られて、私が皆さんをヒーローにしていませんでした。
自分が「10年間でいっちょ前の会社にしたったぜ~!」とか、そんな小さいレベルで満足して、
変化を恐れ、小さくまとまろうとしていました。
そうなんです。
だれが何と言おうと、私のせいでした。
でもねえ、言い訳するわけじゃないけど、きっと多くの会社のワンマン社長って、そうですよ。
口先では後継者育成を叫びながら、なかなかその席を譲ることが出来ない、いわゆるワンマン社長。
わたしもそれでした。
口先では「社員を大切にする会社」「社員の生活を守る会社」と言いながら、社員が会社に依存する関係に安住し搾取することを肯定的に考える経営。
わたしもそれでした。
いろいろな会社が「ヒーローを創ることをもっと上手くなる」方法論を持たない根本的な原因。それは依存と搾取の構造が本能的な「組織の安定」で、あるから。
背負って「社員の生活守ってて大変ですね~」とかなんとか言われて、それで満足している。
「会社は家族だ。社長は家長だ」みたいな感じ。
そして当社においても、それが原因。
「代表である私が、依存と搾取の構造に安住することを望み、ヒーローを創ろうとしていない」ということ。
そういうことです。
はいではこれからどうするか?
というかこの7月から会社はどう変わるのか
そこを引き続き書いていきます。
■ではソノリテは今後どうするか その1
根深い問題です
根深いし、本能的な行動でもある。
ですが、
組織なんて、ちゃんとチェンジマネジメントすれは変えらる! と、私は思っています。
だから、変えます。
変えることこそ、私、齋藤和政の本質。
積極的、創造的破壊こそ、私、齋藤和政の信条。
やったります!!!
そこで、私が考えたこと、ですが
当社ソノリテに
「ヒーローを創ることが上手くなる」方法論
を、もたらすには、二つのことが必要である。
一つは(これは その4 で書きましたが)
(みんなを)揺り起こす
そして、もう一つは
代表(齋藤:わたし)が、本能の呪縛(安定)から解放される
と、いうこと
この2点。
この2点に集約されるのだと、考えました。
■社員をヒーローと呼ぶことにしました
説明しやすいほうから、解決策について書いて行きます。
「(みんなを)揺り起こす」の方から、書きます。
当社は社員を「HERO」と呼ぶことにしました。
…は?
…ひーろー?
…社員をヒーローって呼ぶの?
…アフォなの?
…本気で言っているの?
はい、本気です。
とはいえ、本当のヒーローだけです。
たとえばディズニーワールドではスタッフの事を「キャスト」と呼ぶじゃないですか?
そういう事ではなくて
朝のあいさつで、「やあヒーローたち!今日も元気かい?」と言うとか、そういう事ではなくて
本当にヒーローと思う社員に対して、社内で「ヒーロー」という称号を与えることにしました。
…ああ
…あれかぁ
- 社長賞
とか
- MVP
とか、そういうやつの事ね…
いえ、違います
どちらかというと、「役職」に近いです
先に言っておくと、当社には「役職」はありません。以下の私の過去ブログに書いた通りです。
先のブログにも書きましたが、「役職」は無いほうが絶対に良いです。
が、「役職を無くす」デメリットもやっぱり存在していて、
それは、会社からの期待値が社員に伝わりづらいって事です。
なんだかんだいって、やっぱり人間って組織が好きですよね。
人間という生物は、組織のようなものに所属していないと、承認欲求を満たし辛い生物です。
そして人間にとって、自分の承認欲求を充分に満たせる組織、心理的安全性をきちんと担保することが出来、エンゲージメントが高い組織とは、
「自分が高く評価され、自分を必要としてくれる組織」です。
そういう組織に所属していると、人は承認欲求を満たしやすいわけです。
「役職」は、そういう「承認欲求」を満たすモノでした。
主任よりも課長の方が、会社に必要とされているでしょうし、課長よりも部長の方が、会社に必要とされている。と、誰もが思います。
よって「役職」という仕組みには、権限の強さ云々というよりも、役職者の「承認欲求」の高さからくる会社へのエンゲージメントが、良質のモチベーションを産み出し、会社への貢献がなされるという機能がありました。
その機能が、「役職を撤廃」した当社にはロストされていたという事実があります。
もうちょっと深堀して言うと、会社が社員に対し称号的なものを与えることで、社員のモチベーションに寄与するという事が、やりづらい状況でした。
なので当社では、組織貢献に対するモチベーションを、社員それぞれのプロフェッショナリズムやプライド、あるいは哲学などに依存するしか、ありませんでした。
これは当社だけでなく、多くのフラット組織に内在する課題だと思います。
フラット組織がスケールし難い原因の一つだと思います。
その問題に対し、当社では称号として「HERO」を設定し、それを評価制度と連動して運用することにしました。
なので当社では、毎年、公式に
会社が認める「上位20%の社員」を、その年の
HERO
として、認定することにしました。
そしてこのHERO認定は、昇給昇格についても有利に働くような人事査定制度になっています(HERO認定されるとダイレクトに昇給するわけではありません)
だってそうですよね?
私が自社にもたらしたいことは、前に書いたように
「ヒーローを創ることをもっと上手くなる」方法論
です。
ならば、というか、そうなると絶対に「ヒーロー」って呼ばなきゃ、です。
相撲部屋を作るとして、そしたら横綱をたくさん作りたいじゃないですか?
野球チームを作るとして、そしたらエースやスラッガーをどんどん作りたいじゃないですか?
そしたら、横綱には「横綱!」、エースやスラッガーには「エース」「スラッガー」って、そう呼ぶでしょ?
そう呼ばないとね
そう呼んで、特別扱いしなきゃね
そう思いますよね?
だからヒーローを創りたいなら、「ヒーロー」と呼ばないと
そして特別扱いしないと
というか、そんな難しいことじゃないんですよ。それだけの事なんです。
当社が
「ヒーローを創ることをもっと上手くなる」方法論
を、持つために
「(みんなを)揺り起こす」
ことを、どうやって考えたかと言うと
ヒーローと呼ぼう!
って、事なんです。めっちゃ簡単なことなんです。
でも、それが大事
そうなんです。
そんなことでして、わが社では上位20%の社員に「HERO」という称号をつけることにしました。
これ、続けてもうちょっと続けて解説していきます~
There's a hero♪
If you look inside your heart♪
You don't have to be afraid♪
Of what you are♪
【Mariah Carey「Hero」(1993)歌詞より引用】
ヒーローはそこにいるんです。そう呼んでいなかっただけ。
つづく
HERO、人事評価、パレートの法則 その5
前回のブログ
はい、続きです
例えば 誰か 一人の命と♪
引き換えに 世界を 救えるとして♪
僕は 誰かが 名乗り出るのを 待っているだけの男だ♪
愛すべき たくさんの人たちが♪
僕を 臆病者に 変えてしまったんだ♪
【Mr.Children「HERO」(2002)歌詞より引用】
ヒーローになろうとする人は、少ない
そうね。そうでしょう。
たくさんの大人と、そして本能も「臆病者になれ」と言う。
それが愛、らしい。
「ヒーローだなんて、やめた方がいいよ」
「普通が、一番だよ」
■会社の価値は「雇用を創ること」なのか
私はですね~
長年悩んでいたことが、ありまして。
会社を経営するようになって、色々なことを悩んでいるわけですが、
色々な本を読んだり、ビジネス学者の教育を受けたり、先輩社長に話を聞いたり、いろいろとしているわけですが、
一つ、大事な問いとして「会社の存在価値とは何か」というのがあってね。
まあ「会社は何をすればいいのか」って言い換えても良いけど。
そこで、ある考え方に出会いました。
会社の価値(の一つ)は、「雇用を作り出すこと」だ
という、考え方です。
ようするに、「仕事をつくる」って事ですね。
国民は、収入がないと死んでしまう。
仕事=くいぶち って事ですね。
だから仕事をする必要がある。
まあ勤労は国民の義務でもあるしね。
だから会社は、そういう「国民たち」に対して、「仕事」を与える役割があるんだよ。ってこと、ですね。
「雇用を創る」ってのが会社の価値であると。
この考え方に、私はとても悩み続けました…
この「雇用を創る」っていう考え方。もうちょっと酷い言い方をすると
- 国民は凡人である
- 凡人とは労働者である
- 会社は労働者に労働を提供しなさい。
- そして凡人である労働者は国民の義務である労働をしなさい。
- そしてみんなで経済を創りなさい
っていう、
そういう感じがしてたのですよ。私は。
- 働くのは、国民の義務
- 働かすのは、会社の義務
そんな感じかな…
そんな感じのことが、例えば日本の会社法とか労働法とか、そういうモノの根底に、ある感じがしていた。
例えば経営者って言うのは、雇用保険、労働者保護の対象ではないんだけど、(でも所得税は払うんだけど)そういう面からも、
- 働くのは、国民の義務
- 働かすのは、会社(経営者)の義務
みたいな感じがある。
それに私もね、社長をやっていると、よく
「社員50人の生活を背負っているんだから凄いですね」
とか、言われるんだけれども…
う~ん…
なんか…違うんだよな…
■仕事、生きる、成功する
これ、「会社」と考えると、すこし難しい話のように感じてしまうと思うので、話をシンプルにするために、言い換えようと思います。
ここでは「村」としましょう。
みなさんがどこかの「村」の「村人にならなきゃいけない」って話にしましょう。
はい、頭を切り替えてください。あなたはどこかの村の村人にならなきゃいけません。
村が3つあります。どの村にしますか?
- 村A:大きな田んぼと大きな畑を持っていて、たくさんの農民が住む村
- 村B:山賊の住処で、無法者達が他の村を襲って暮らしている村
- 村C:村Aも村Bも嫌な人間が集まり、新たな村を創ろうとしている、今は何もない村
さて、どれにします?
まあ、たいていの人は、「とりあえず:村A」って感じじゃないですかね?
私だって、もし私があなたの親だったら、「村Aを選べ」って言います。
「村Bに行きたい」って子供が言ったら、「え?やめろ!危ないぞ!」って言うと思うし。
そして、もし子供が「村Cに行きたい」って言ったら、たいていの親だったらこう言うんじゃないですか?
「お前ねえ、考えが甘いよ」
「村Cなんて、なんの保証もないんだよ」
「村Aを選ばないなんてどうかしているよ。お前は我慢が足りないんだよ」
みたいにね。そう、言うと思います。
これは、「村」を、みなさんがどのように考えているかがポイントなんだと思うんですよね。
まあなんとなく「村」ですから、生活の基盤と言うか、「生きるため」に所属するグループなわけだと…なんとなく…そのような考えを前提において、意思決定している気がします。
目的が「生きるため」ですから…これはもう、「生命」の問題ですから、自分の「生命」にとってリスクが低いのはどの村だ?って話でして。
よっぽど腕力が強いとか、暴れん坊なんだよ!って人なら村Bもありえるかもしれませんけれど、普通、「生きるため」が目的なら「村A」を選びますよ。
じゃあ次
皆さんが「何かで成功したい」人だと、そう考えましょう。
皆さんは「何かをやって成功したい!」と考えている野心家です!
そしてその「成功」するための仲間を探しているとします。
仲間を探すために、ある村の村人になろうと考えました。
どの村にしますか?
- 村A:大きな田んぼと大きな畑を持っていて、たくさんの農民が住む村
- 村B:山賊の住処で、無法者達が他の村を襲って暮らしている村
- 村C:村Aも村Bも嫌な人間が集まり、新たな村を創ろうとしている、今は何もない村
さてどうします?
- 案1:いったん村Aに行って安定した生活を送りながら、「成功」のための準備や仲間づくりをしよう
- 案2:(もし自分の腕力や悪知恵に自信があるなら)村Bに行き、手っ取り早く資金を集めたり、悪い仲間を増やそう
- 案3:俺と同じように「何か新しいことを求めている」人が多くいそうな村Cに行き、仲間を増やそう
さあどうしましょうかね?
- 案1だと:安定的に物事が進められるような気がしますが、やや生ぬるいというのか、安定に甘んじて成功への進みが遅くなる気がしますし、「やる気のある仲間」が現れるか不安かも
- 案2だと:かなりヤバい感じの進め方になるだろうし自分が悪の道に染まっちゃうかも知れない。そもそも違法なことをして金や仲間を集めても、成功した後に叩かれるかも
- 案3だと:「現状に不満のある仲間」「新しいことを始めたい仲間」ってのが集まりやすいと思う反面、気が合うか?とか実力が伴っているかと言うとわからないしみんなワガママなだけかも
というような感じですよね。
さあどうするか
答えは…
まあ答えは、ありませんw
こんなことに、答えなんてあるわけがない。
判断ではなくて、決断です。自分が信じた道を進むしかない。
「じゃあ、どれでも良いんじゃん?」と思われるかも知れませんが…
どれでもいいというよりも、どれにするんだ!自分で決めるしかないんだぞ!っていう事でして
私が一つ言いたいのは、
案1(村A)、案2(村B)、案3(村C) の違いって
ローリスク・ローリターン(案1)か、ハイリスク・ハイリターン(案2,3)か、って、事なんですよね
つまり
「仕事」を「生きるためにする事」と定義すると
村A:ローリスク・ローリターンが一番だよね
ってことになり
「仕事」を「成功するためにする事」と定義すると、ローリスク・ローリターンか、ハイリスク・ハイリターンか、いろいろあるぞ、自分で決めろ!
ってことになる
ここです。
「働く」という事に対して
- 働くのは、義務
- 働かすのは、会社の義務
- 働くのは、食いぶち のため。
- 働くのは、生きるため
- 会社は、雇用を創るためにある
そういう考えがあるなら、誰だってローリスクが答えだよってなるよ…
なるよそりゃ…
- 働くのは、「成功するため」
と考えなければ、ハイリスク・ハイリターンの事なんて、だれも考えないって。
だからですね
- 働くのは国民の義務
とか
- 会社は雇用を創るためにある
なんていうのは、私は、好きになれないんです。
好きになれないんです。
好きに…
いや、本当か?
本当に、私は、好きじゃないのか?
いや、おかしい
本当はそれで良いと思っているんですよ。たぶん。心の奥底の、本能の辺りで。
■「安定志向」をどう崩すか
おそらく私は臆病者である。私ほどの臆病者はいないであろう。
確かに私は比較的チャレンジ志向ではある。
「やるのか、やらないのか 迷ったら やる」
と考える方だ。
がしかし一方で私はとても憶病者なんです。大胆になり切れない自分を不甲斐ないと感じる事もしばしばあります。
怒られることがとても嫌いです。
待ち合わせに遅れることもすごく嫌い。
パーティーで知らない人に声をかけることも出来ないし、
ランチタイムはいつも決まった店に行きます。新しい店を開拓して失敗することが怖いんです。
そんな臆病者な私が、なぜビジネスの決断では比較的チャレンジ志向であり、かつ自分の会社に対しヒーローを求めるような言動をするのかと言えば
おそらくは私が当社のパレートの法則の中の上位20%だからであり、かつその上位20%の中の上位20%でもあるからです。
どこまで行っても私が最終意思決定者(つまり社長)なわけで、それは文字通りTOPだから(そして当社がイノベーションを基軸にした戦略を立てているから)
そんな私ですら、いや、結局みんなそうなんじゃないかと思うんですが、
- 会社は雇用を創るためにあるんだよ
- 会社は社員の生活に安定をもたらすためにあるんだよ
- 「社長さんは社員の生活を背負っているんだから大変ですね」
みたいな言葉に寄り添わされて、ついつい「安定志向の会社」を創ろうとしてしまう。
つまりパレートの法則で言えば
80%の社員の「遠慮」という「本能」に寄り添われ
自分が、つまり私が
HEROを創ろうとしてない
ということ、なんですよね。
そうなんです。
そんな会社で、ヒーローなんて、産まれるわけないですよね
原因は、私です。
私が臆病者だから、ヒーローが生まれない。
私がパレートの法則に縛られているから、ヒーローが生まれない。
愛すべき たくさんの人たちが♪
僕を 臆病者に 変えてしまったんだ♪
【Mr.Children「HERO」(2002)歌詞より引用】
まだまだ続きます~↓