例によって思いつくままに、誤字など直さない感じで書きます。
最近思うんですけれど、当社の社員さん達と話すときに、よく
- XXの解像度が高まりました
- まだYYに関しては解像度が低いです
みたいな言い方をされるときがあって、最近はそういう言い方をするのだな~、あ、最近じゃなくて結構前からですよ~、とか
そんなことを思うのですが
「理解が深まった」みたいなことが「よくわかるようになった」→「よく見えるようになった」→「解像度が上がった」って事だと思うんです
誰かが言い出したのかな?出所わかんないですけど
「理解が深まった」って言うより「解像度が上がった」って言ったほうが、なんとなくカッコイイですね。なんとなくですけど。
だから最近私も使うようになりました。「解像度が上がった~」
で、
なんでこういう表現が出てくるのかな~と思ってですね
だって「理解が深まった」で、いいじゃん?なんでわざわざ「解像度が上がった」なんて言うのか?
まあこういうのは、様々な、小さい理由の集合だと思うんですけれど
私が着目したいのは、
「理解が深まった」
より
「解像度が上がった」
のほうが、自分が対象より遠くに居る気がするんですよね。なんとなく
「理解が深まった」という言葉からくる私の心象風景は、なんとなく
目の前にいる対象について、ずっと理解できなかったことが、理解できるようになったというか、もうちょっというと「理解しあえるようになった」とか「より対象の中に入っていけるようになった」というのかな?
「深まった」というところがポイントだと思うんですよ。「深まる」というからには、中に入っていくとか、深い所に沈んでいくとか、そういう感じ。
コアに近づいていく。とか、核心に触れる。というニュアンス
さらに言うと
よりディープな世界に入っていくのならば、というか、そのためには、というか
なんとなく「ここから先は後戻りできないよ」とか「ここから先は覚悟しなよ」みたいなモノに近づいていくフィーリング
そういうモノを、感じるんですよね「理解を深める」という言葉には
ところが「解像度を上げる」には、それを感じないところがあるというか
「深める」よりも比較的遠くから、自分の位置や、対象との距離感はあまり変えず、より高度なレンズを使ったり、より多くの情報を収集することで、対象に対する理解を高めるといった感じ
私の心象風景的には、「理解が深まった」と「解像度が上がった」には、この違いがある。
感覚的に似ていると、私が思う事で言うと
「敵陣に乗り込んで、人質を救出する」
みたいな時に
ランボーみたいな感じで、潜入し、奮闘する感じというのが、「理解を深める」で
ドローンを飛ばして敵陣内に催眠ガスを充満させて、無血で結果を出す、そんな感じというのが「解像度が上がる」
そういう感じ
どうでしょうね?
どっちがいいとかそういう事ではないと思うんですが、みなさんが「理解を深める」というより「解像度が上がる」という言葉のほうがしっくり来ているとするなら
まあやっぱり世の中ドローンですよね。ランボーとかやり方古いです。って感じでしょうね。
例えば、感度の高い思春期や青年期を、コロナでずっと在宅で過ごした人たちなんかは、どうなんでしょうか?
やっぱり解像度のほうがしっくりくるんでしょうけれど
でも心の中には、ランボー的に深めたい何かが潜んでいたりして
そんなことも、あるんか、ないんか…
とまあ
ちょっと「解像度が上がる」という言葉に対して、理解を深めてみましたw
おしまい