嘘をつかれるのが嫌い

4月から、

  1. 自分にとって軽く書く
  2. 軽くっていうのは、何を書くかとかオチとかを考えずに思うままに書き、書き直しをしない
  3. 読者にとってわかりやすい文章にしようとかは考えない

 

って感じで書きますので、より読みづらいし、より誤字脱字も増えるだろうし、より意味がわからなくなるだろうと思いますがよろしくお願いします。

 

毎週金曜、出社した時刻に、書きたいなと思ったら、書こうと思ってます。

 

さて、嘘をつかれるのが、嫌い です。

 

嘘をつくほうは… どうかな? そんな嫌いではないかな。嘘がうまい人間になりたいとは思っている気がする。

 

嘘をつかれると、何を思うのか

 

たぶんですね、ひとつには、馬鹿にされてるなぁと思うんですよね。だから嫌い。

 

(その程度の嘘を、私が見抜けないとでも思っているのか。見くびられたものだな)

 

という風に、思っちゃうところがあります。

 

まあ基本的にコンプレックスや反骨心で生きているので、この「馬鹿にされる」ってのがね

 

なめんな みたいなね

 

ビーバップ世代だし

 

なめられたら、負け みたいなカルチャーがいまだに心の奥底にあって、そこを刺激される感じがある。たぶん。

 

いいじゃんね。嘘をつかれても。実害が無ければ。

 

いや

 

でもさあ、みんななんで嘘をつくのか?っていうと、まあ、私利私欲のためじゃん?普通は。

 

嘘の基本って

 

 「りんご5個ください」

 

に対して

 

 「はいこの箱の中にりんご5個入ってますよ(ほんとは4個だけどねウヒヒヒヒ)」

 

って感じの事だと私は思っているので

 

それはさぁ、ダメでしょ?

 

怒るでしょ

 

「ナメとんのか!」って、なるでしょ?

 

だから嘘をつかれるのが嫌いです

 

でもさぁ

 

例えばさっき、「実害が無ければ」って書いたけど、実害のない嘘なら許してあげなよってのがあって

 

じゃあさあ、実害って何かって話だけど

 

 「はいこの箱の中にりんご5個入ってますよ」

 

って言われて、

 

 箱をあけてみたらリンゴ3個にミカンが10個入ってたとするじゃん?

 

そんで私は別にリンゴじゃなくてミカンでもよかったとするじゃん?

 

保管場所とか使用用途とか、まあいろいろな事を考えても、実害がない。むしろ少しお得だとするじゃん?

 

そしたらさぁ

 

いや、やっぱり私は、それでも嘘をつかれるのが嫌なんですよね。

 

信用できない。

 

そう、信用なんですよね。

 

「信用」ってのを、軽く考えてるな。って思う。

 

というか「私に信用されたいと思わないのかな?」と思う。

 

「誠意がない」って思う。

 

「リンゴ3個しか準備できなかったんで、ミカン10個つけますから、それでいいですか?」

 

って言って欲しい。

 

そしたら私は、「それならリンゴ3個とミカン2個にしてください」とか、そういう事を言いたいし。言えるし。

 

で、ですね。

 

なんでみんな嘘をつくんだろうっていうのを、さっき、私利私欲って書いたけど、ほんとは

 

  • 私利私欲
  • 私(齋藤)のため
  • 誰かのため

 

って、3パターンあるじゃないですか?ほんとは。

 

で、まあ「私利私欲」は、ダメだよね。ほんと、ダメ。

 

例えはさっきの「リンゴ3個とミカン10個」の件だと、なんでアナタは「リンゴ3個しか準備できなかったんで、ミカン10個つけますから、それでいいですか?」って、言えないの?って話。

 

  • めんどくさかったのか
  • 忘れていたのか
  • それが私(齋藤)の気に障る話だと、思わなかったのか?

 

まあ、そんなところじゃないですか?

 

そうするとね、「めんどう」ってのは、まあ、私から見ると私利私欲ってヤツで、それは「それくらいのことをメンドくさがって嘘ついちゃう人」っていう整理になってですね。

 

「ああこの人はメンドくさくなると嘘つくんだ」

 

って思うよね。

 

だから信用できない。

 

「忘れていた」ってのは、まあこれは厳密にいうと嘘ではない。うっかり。だからまぁきっと、あとで「あれ?ミカンになってんだけど」と聞いたら「あ!ごめんなさい言うの忘れてました!」って返答されるだろうから

 

私は人間の「うっかり」には寛容なので、それはいいのよ。

 

でもね、作為的に嘘ついていたんだけど、それを後から指摘された場合に「うっかりしてました」って言うタイプの人もいて、まあこういう人もだいたい「その嘘、バレてるよ」って思えるんで、「嘘つき癖」として捉えられる。

 

普段あんまり嘘つかない人が「うっかり」するときに限って、「うっかり」は全然許せるし、私は人間は間違える動物だと確信しているので、「うっかり」には寛容。

 

あと最後に「それが私(齋藤)の気に障る話だと、思わなかったのか?」ってのがあるけれど、もうこれは、感性の問題として、あーそーゆーズボラな感性の人なんだなぁって感じで。感性があわないから、まあ、嫌いだよね。

 

それで次に、「私(齋藤)のため」に嘘つく場合ありますよね。

 

例えば「これ言うと齋藤さん傷つくだろうから、とりあえず嘘の理由を言っておきましょう」みたいなね。

 

これもね

 

大抵は、「君たちそんな嘘が私に通じていると思っているの?」って場合が多くて

 

あるいは「それ私が聞いたら傷つくと思ってたの?」みたいな程度の低い場合が多くて

 

どっちにしても「ナメてんの?」って事が多いし

 

多くの場合、「これ齋藤に本当のことを言ったら怒られるから、齋藤のことを気遣って本当のことを言わなかったというような、ストーリーをでっちあげよう」

 

ってのが結構あって、まあ結局私利私欲をさらに嘘でオーバーラップしようってことだし、さらにそれってだいたい透けて見えるので

 

ナメてんやん

 

だし、まあ嫌い。まあ信用できない。

 

最後にですね、「誰かのため」ってのがあって、

 

昔ですね、「花街の母(はなまちのはは)」っていう演歌があったんだけどね

 

 ♬人にきかれりゃ お前のことを

 ♬歳の離れた 妹と

 ♬つくり笑顔で 答える私

 

って歌詞があるんだけど

 

これって花街で生きていき、娘を育てるためには、子持ちであることを隠さなければいけないんで、なんとか若作りして、後ろ指を刺されながらも生きていく、いじらしい芸者さんの歌なんだけど

 

まあこの人の場合、私利私欲っていうか娘を育てるために、歳をごまかしたり、子供がいることを隠したりせにゃいかんと

 

んでですね

 

まあこれも、嫌い ね。悪いけど。

 

この「いじらしい」例で言っても、人はですね。弱い人は、嘘をついてもいいってのが、ありますよね。

 

腹をすかせた妹(せつこ)に食わせるために畑から野菜を盗む兄(せいた)みたいなヤツですね。

 

これね

 

かわいそう では あります。 もちろん

 

でもですね、「弱い」からって「嘘」とか「盗み」とかね

 

さらに言うと「弱い」ってやつね

 

弱者しぐさ ってやつね

 

あなたたち、私が、嘘や盗みを指摘すると、すぐ、「弱者しぐさ」始めるよね

 

それ

 

それはですね、ダメだよ

 

本当の弱者を救うために、生きなきゃ

 

本当の弱者を救うために、私たちは強者になるべきだし

 

弱者ぶるなんて

 

弱者ぶるなんて、大嫌いですし

 

イジイジしてんじゃねえよ

 

「私なんてなんのとりえもないし顔の美しさはちょっと自信あるから芸者でやっていくしか出来ない愚かな人間なんです娘を育てるためになんとか歳をごまかしてなんやらかんやら」

 

イジイジしてんじゃねえよ

 

ってのが、基本にある。

 

なんなら、「被害者ぶってんじゃねえよ」ってのが、ある。

 

だから、嫌い

 

嘘つきはみんな嫌い

 

 

だけど私は、嘘つきに「嫌い」とは言わない。

 

私が大嫌いな「嘘」をつく「人間」というのを、大きくは、「おもしろいもの」と、とらえている。

 

だから私は、人々がつく「嘘」は、利用する。

 

私に利用されたくなかったら、私に嘘をつかないほうがいい。

 

私を「嘘」で利用できるとおもったら、かかっておいで。けっこう見抜くから。

 

まあ、そんな感じかな。

 

 

私のなかで、「嘘つき」は「敵」なんだねきっと。

 

そして豊かな人生には敵が必要だし、敵は私のQOLを上げてくれる存在だし、私は敵に勝つことをゲームとして楽しむ。

 

だからね、今後も嘘をついてほしいし、私はその嘘を見抜いていくという事に、頭を鍛えていくんだな。きっと

 

おしまい