最近、「世間(せけん)」という存在が、気になっているんです
「世間が許さない」とか「世間知らず」とか
おそらく「社会」みたいなものと、近いのだと思うのですが、この「世間」というのが、結構、恐いっていうのがある。
恐い
「世間の常識」とか、超恐い です
例えば僕はヒゲを生やしているのですが、会社員だったころは良く「サラリーマンはヒゲをそれ」と言われました。
それが世間の常識だからですね。
サラリーマンなのにヒゲを生やしたいなんて、世間知らずと言われちゃう。
今でもあると思うんです。先輩から、こういう事を言われる会社、けっこうあるんじゃないですか?
「社会人ならヒゲをソレ」
「ピアスするな」
「髪を染めるな」
理由は「それが世間の常識だから」
まあ、「常識」などの概念を、いかに自分の人生に取り込むか、あるいは社風に取り込むかは、人それぞれ、会社それぞれですので、
私は「ヒゲ、ピアス、髪染めなど」を批判する人を批判したいわけじゃなくて
ここで言いたいのは、「世間」ってヤツに、我々翻弄されちゃう事があるんじゃないかな?それって恐いな、って話なんです
どういう話かと言うと
例えば後輩が、髪の毛を染めて会社に来た
Aさんはそれが不愉快でたまらない
と、した時に
Aさんは「後輩が髪を染めたこと」とか「髪の色」が、気に入らないから、不愉快になったのでは、なくて
Aさんは「後輩が世間の常識に反する事をしたこと」が、不愉快だ
と、いう事なんです。これが、恐い。
これ、なんなんでしょうね?
例えば僕は、刺青(いれずみ)をしている人を、なんとも思わないんですけれども、
でも「世間」では刺青は、あまり良い印象を与えない、良い物ではないものと定義されているから、
ぼくもうっかりすると、「刺青を入れるのは良くない!」って、思ってしまう。
「世間の常識を逸脱した行為をすると、不利益を蒙る場合が多いから、その不利益に
対して不快感が生じる」とか、そうじゃないんですよ
生理的に、直感的に、不快感が生じるときがある
それがとても恐いです
電車の中で、大声で騒いでいる、学生などが居たとします
その時私は、たぶん不快になるんですけれど
>本当にそいつらがウルサイから、その騒音が許せないのか
>電車の中に「世間の常識に倣っていないヤツがいる」事に許せないのか
ちょっとわかんない時が、ありますね
なんなんでしょうね? 恐くないですか? 私はすごく恐い
私たちソノリテは、B2B系の事業をしています。ですので、大企業の企業文化や社風に、よりそっています
そんな私たちですから、やはりお客様から
・男性の長髪、髪染め、ヒゲなど禁止
と、言われることは、多いです
・・・でもさあ
こんだけグローバルグローバル言っている時代にさあ、髪の毛金髪の日本人いたらダメなの?
ヒゲだってさ、国によって解釈が違うわけだしさ・・・
ようするに人を見た目で判断するなよ
って、思うんですね
思うんでね
思うんで、お客様にも、言うんです
「どうして長髪、髪染め、ヒゲ禁止なんですか?」
最初お客さんは怒ります
「そんなの非常識だ!俺はそういうチャラチャラしてるのは嫌いだ!」
でも、よくよくお話をすると、
「いや、本当は俺自身はそんなに嫌いじゃないんだ。ただなあ・・・・」
ただ?
ただ、なんなんだ?
な ん な ん だ ?
たぶんこれが「世間が許さない」ってヤツなんじゃないかな?
みんな、世間を気にして生きています。
それは、ぼくは良いんだと思います。
問題は「世間と自分の意見の境界線が曖昧になってはいませんか?」ってところなんですよね。
この話って恐くないですか?
最近気になっている、社内での1シーン
主人公1:先輩上司。世間の常識を部下に叩き込みたい
主人公2:後輩。上手く世間に合わせられない
この衝突。よく、やりあっています
衝突自体は良いんです。どんどんやってほしい。どんどんやっていく中で、双方に何かを掴んだり、何かが成長してくれれば、いい
ところが私、ちょっと気になっているのが、この二名の感情の交流が
先輩<------>後輩
という、衝突になっていなくて
先輩<--->世間の目<--->後輩
と、なっていないかな?ということ
これだともしかしたら、感情の交流にならず、ルールの押し付け合いにしかならないから、成長しないかも知れないなぁ・・・
恐い恐い
いろいろと、恐いです。