「ああ、君は結局、また、逃げちゃうんだね~」
とまあ、良く思います
逃げちゃうよね
みんなよく、逃げるよ
碇シンジは「逃げちゃだめだ」ってよく言ってましたね。うなされるように言ってました。
ああまた逃げちゃったか。逃げちゃダメなのにね~
とまあ、良く思うという事は
うなされているのは、私なのかもしれない
逃げないで欲しくて。私は
でも
逃げるという事については、今、世の中のヒューマニズムは、「逃げても良いんだよ」という感じだと思うんですよね。
それはきっと
逃げても良いんだよ(死ぬくらいなら)
って、感じだと思います
世の中は、ようやっと、「逃げても良いんだよ」に、たどり着いたと、言っても良いと思います。
逃げても良い。死ぬくらいなら
逃げても良い。病気になるくらいなら
逃げても良い。不幸になるくらいなら
だとして
私、つい先日、通販でお願いした荷物が届かなかったことがあったんですね。
で、いろいろと確認しましたら、「すみません。連絡ミスで配送されていませんでした」みたいなことで
そういう事は、おそらく増えた
「逃げても良い」社会は「約束を守らなくてもいい」社会でもあって、そういう社会はコミットメントが弱まる
誰もが「約束」や「契約」よりも「個の権利」を守ることを良しとするから、荷物が届かなくても「しかたがない」。
私も「しかたがない」と思っていますしね。
まあ、良いんじゃない?送料無料のサービスだし。
じゃあさあ、「絶対にXX日YY時までに届けてほしい!」みたいなものは、どうなるんだろう?これからの世界では?
私の考えでは、それは、スペシャルなサービスになって行く
例えば何か、人の命にかかわるような大事なモノを、「絶対にXX日YY時までにZZ病院に届けてほしい!」なんてのも、あるでしょうし
軽い話だと、「XX日がAさんの誕生日で、その日のYY時からパーティーをやるから、必ずその日時にこのプレゼントを届けてほしい」みたいなのだってある
そういう大事なロジスティックスはコミットメントが必要だと思うので、そのロジの経路に「仕事よりも自分の権利を優先する」人物が介在するとちょっと困る
だから、それはスペシャルなサービスということになる。
スペシャルとはどういう事かといえば、付加価値ということで、まあ簡単にいえば値段が上がる。
「絶対に」とつくようなモノは、値段が上がる。
受容と供給的にそうなる。
つまり「絶対」をコミットメント出来る存在というのが高付加価値、高収入化していく。
そういったニーズは減らないし
そういった人財は減るから。
つまり収入的に社会の上位層になりたいなら、一つの可能性としては「逃げない」人になるという方法論があるわけだ
これ、別に
二刀流で大リーグで活躍するほどの身体も要らないし
超天才的な頭脳が必要だってわけじゃない
ただ、「逃げない」っていう思考の癖をつけるだけです
それだけで高収入になれるわけです
簡単だと、思いませんでしょうか?
世の中にはプロパガンダというものがあって
プロパガンダは往々にして、大衆の心に響く、いうなれば大衆に迎合した雰囲気で、大衆を動かそうというものではないかと思うんですが
私は人に安易に「逃げても良いんだよ」と、言うプロパガンダは
言うなれば「無理するくらいなら低所得者で良いじゃん?」って言っているのと、そんなに変わりはないかなとすら思うんですよね。
私は、少なくとも縁があって当社の社員になってくれた人たちに、安直に「皆さんは低所得者で良いですよね」みたいな仕事についてもらいたいとは思わないんです
(ただ、「雇用を作り出すのは経営者の仕事だ」という考え方も理解はしているので、そこは二枚舌になりますが)
だから、まあ、やはり
逃げる人 を 信じない し
逃げる人 に 逃げても良いんだよ とは言いたくなくて(言うけど) 逃げるなよ と、期待するし
私が「逃げても良いんだよ」と言う場合、それこそ「アナタは少し逃げても良いと思う」っていうくらいすっごく責任感がスーパー強い人か、あるいは私が全然期待していない人か…
と、いう感じかな
とはいえ
「逃げるな」が隠蔽する不幸の中には、本当に非人道的な事もあるんでね
特に「戦争」とか「いじめ」とか「パワハラ」とか、そういう話題の中に、「逃げるな」という概念が思考停止ワードとして加担している事が多くあり、
だからまあ、日本の世の中が「逃げても良いんだよ」に、ようやっとなったというのは、人道的平和求道的に喜ばしいという事は、間違いはないのだと、私も思います。
だから世の中が「逃げても良いんだよ」になることに反対しているわけではなくて、むしろ賛成です。
そこをね
ちゃんと書いておかないと、どうしても読み取ってもらえないようで
一応書いておきました
まあでも
そこがわからない人は、私からは逃げたほうがいいかもです
おしまい