現代日本には閉塞感がある。
みたいな
「閉塞感」。よく聞く気がするし、なんとなく、わかる。
みんな閉塞感を感じているのかな~という気がする。
ただ、例えば「さとり世代」というキーワードでwikipediaを確認してみると、「閉塞感」というものとは、多少違うニュアンスを感じる。
多少違うニュアンスというのは、例えば
- 「閉塞感」は、現状を打破できず、それが苦しい というような感情
なのに対し
- 「さとり世代」は、現状に期待がなく、欲求が強くなく、したがって苦しんでいない
というような感じかな
それで私は、今日、このブログで何を書きたいのかと言うと
私はあまり、閉塞感を感じていないんですよね。
だからといって、私は「さとり」ではないんですけどね。
という話かな。そんな事が書いてみたいなぁと思って、書き始めてみました。(例によってノープランで書いています)
で、じゃあ私がなんで閉塞感を感じていないのかなっていうと、たぶん、あんまり人に期待してないんですよね。おそらく。
人とか、社会とか、政治とかに、期待していない。
だから閉塞感を感じない。
あれ?それって 「さとり」 では? いや、そうではなくて
欲望とか欲求みたいなものは、あるんですよね
そう。欲望も欲求もあるし、それが上手くいかず、現状打破できないモガキみたいなことも、たくさんある。
そう、たくさんある。会社の社長やってるっていう時点で、欲望も欲求もたくさんあるわけだし、
経営が上手くいかなくて、本当に苦しいっていう事も、たくさんある。
ただ、それが、「閉塞感」には、結びつかないんですよね
たとえば、仮に私が、将棋のプロだとするじゃないですか?棋士というのかな?
それで仮に、ぜんぜん勝てないとしたら
閉塞感を感じるのかな?
いや、たぶん感じないですよね?
わかるかな?
「勝てないストレス」は感じると思うんですよ。
でも「閉塞感」とは違うと思うんですよね
「勝てねぇなぁ」
「これ以上勝てねぇなら、引退するか」
みたいな感じですよね
それは閉塞感ではないと思うんだよな
だからですね、この「閉塞感」ってのは、なんとなく他責的で依存的なんじゃないかなと思うんですがね。
例えば「日本経済にただよう閉塞感」とか、言うじゃないですか?
いや知らんし
そこにあるのは、例えば、外資が国内企業を大型買収するだとか、円がどんどん安くなるとか、国の借金がどんどん膨らんでいくとか、少子化が止まらないとか
まあ、そういったことによる、将来に対する漠たる不安を、「閉塞感」と言っているような気がするんですが
そんなん知らんし
そう
そんなん知らんよ私は
私はそんなもんに期待していない
私には欲望があって、欲しいものは欲しいし、食べたいものは食べたいし、遊びたいし楽しみたいし、仕事だっていろいろな事をしたい
そういう欲望が、果たせるかどうかって話で
その欲望に対して、例えば、外資が国内企業を大型買収するだとか、円がどんどん安くなるとか、国の借金がどんどん膨らんでいくとか、少子化が止まらないとか
そういう事が、うまく、利用できるか出来ないか ってダケで
上手く利用できれば、「お、やったぜ」って事で
上手く利用できなければ、「これ以上勝てねぇなら、引退するか」って
まあ、そういう事であって
私が私の人生に対し権限を持っているわけだから、そういうことが自由という事であって、
だからですね。「さとり」なわけではぜんぜんないんですが、「閉塞感」は感じないですね。
仮に、環境に「閉塞感」を感じたとするなら
移動するんじゃない?
不通そうでしょ?
水中にいて、呼吸が出来なくて、苦しい
ああ、こりゃ、「閉塞感」だわ
とか言ってないで、呼吸の出来るところに、移動するでしょ?
いや、例えばですね、誰かを介護しなきゃいけなくて、そこを動けないんですよ。とかね。まあそういう縛りのある生き方をせざるを得ない人がいて、その人が「閉塞感」を感じているというならわかりますよ。かわいそうだなぁと思います。
でも、ホントかね?
例えば若い世代は年金を払い損だとか言うじゃないですか?
それが嫌なら日本になんか住まなきゃいいのに
ほんとにもう
知らんし
俺は知らんよ閉塞感なんて
特になんの縛りもなく閉塞感だけ感じている人って、なんなの?と、思いますね
本当に、そう、思っています。
ただ、まあ、
私もバカではないので
組織や社会や市場に対して、親近感みたいなものをもって接することも大事だということは理解していますので
私も「閉塞感」を感じてますよ~みたいなスタンスをね、とることはありますよ
でもそれは、私が閉塞感スタンスをとることによって、私の欲望や欲求を満たすための手段としてやっておりますので
はい
私にとっての「閉塞感」は、言ってみりゃ手段ですかね
ということはですね、逆に言うと、「閉塞感」というキーワードをよく理解すれば、「大衆」みたいなものとのシンクロニシティがとりやすい手段を手に入れたようなものでして
まあ、その辺りでしょうね
私の会社「ソノリテ」において、産み出されるものが、そういった理解によって創造されるものであり、
当社の社員は、そういった知的創造に向かって脳が成長してくれることを望んでおりまして
そうなれば当社の社員は「閉塞感を感じていないが閉塞感を理解している」というレベルに
なるのかな?
なったら良いなぁ
まあ、ならなかったら、「これ以上やってもそういう会社にならねぇなら、引退するか」 って、ダケですね
おしまい