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わらしべ長者+α

皆さんは「ヤマハの歴史」というコピペをご存知でしょうか?

ヤマハとは (ヤマハとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 

内容としては、ヤマハ株式会社さんが、最初の「輸入ピアノの修理」という事業から、様々な多角経営を行っていくプロセスを、面白く表現しているコピペなのですが

 

とても面白いのは、一つ前の事業で得たノウハウや技術や販路などを利用して、次の事業を行っている。ということ

(もちろん面白おかしいコピペですので、事実かどうかはわかりませんが)

 

これですね、とても、私の事業に対する考え方に近しくて

 

経営者をやっていて・・・いや、その前、ビジネスマンだったころに、新規事業を立ち上げたり、ビジネスアイデアを皆で考えたり、そのころから感じていた事なんですが

 

人間とは、近い事は見えすぎて、遠い事には憧れる、傾向がありますね

 

 

どういう事かと、言いますと

 

例えば私が、ジャガイモを作る事業をしているとして

今までジャガイモ事業で、とても苦労してきたとします。

 

そんなときにですね、若い社員が入って来て、「今度は、別の品種のジャガイモを作りませんか?」と、言ったとしますね?

 

そうしたら、私は、こんな事を言うでしょう

「ばかやろう。イモってのはな、そんな甘いもんじゃねえんだ。土から作って、何年も苦労して、やっと出来上がる。あの品種は、XXという病気に弱いんだ。そういう事を勉強してからモノを言え」

 

でも、ですね

 

ある日、例えば、どこからか「ビジネスマン」がやってきて

 

「イモを使った化粧品を作り、販売したいから、協同出資してくれませんか?この事業は絶対に売れます。化粧品を作る事と、それを売ることに関しては我々に任せてくれれば良いです。我々はこの化粧品業界ではトップの実力を持っているから大丈夫。御社は良い品質のイモを作ってさえしてくれればOKです」

 

何てことを、言われると

 

意外とこれ、信じてしまう・・・

 

これはですね、

 

ジャガイモを作るビジネスをしている私にとって、「新品種のジャガイモ」よりも、「化粧品」の方が、遠い存在なんですね。

 

そしてこの「遠い存在」の方が、人は信じやすい(というか、夢見やすい)という事があります。

 

だから、言うなれば、騙されやすい

 

脱サラしたいサラリーマンを対象にした、起業させ屋商売なんかが使う手でもあるんですが・・・普段あまり馴染のない分野のビジネスを「有力ベンチャー」などと偽り、出資させる・・・

 

これ、なじみがないから、眼が効かないわけなんですね。信じるしかない。

(そして背景には、知っているビジネスに疲れ果てていて、そこから逃れたいという願望もあり、それが後押ししてしまう)

 

それでは、リスキーなんです

 

人間と言うのは、ついつい現実に対しての不満から逃げ、「目新しい事」に吸い寄せられていきます。

 

それは非常に非効率で、リスキー。

 

今までやってきたことを前提に、「そのノウハウ」をちょっとづつ育て、成長していくことが、重要です。

 

これを僕は「わらしべ長者作戦」と、呼んでいるんですけれどね

 

つまり最初は「拾った藁しべ」を、だんだんと育てて行き、価値のある物と交換していき、大きくしていく。

 

これが事業の基本だと、思うわけです。

 

例えば当社であれば、

 ・優秀なシステムエンジニアのいる企業

 ・そのエンジニアに強みを持たせる(Microsoft SharePoint

 ・その強みを、商品メニュー化し、ダイレクトマーケティングを行う(SSS)

 ・その強みで得たお客様に、アップセルを行う(メディア事業

 ・その強みに、ちょい足しして、クラウド対応し、新マーケットを狙う(テラスク365)

 

などなど・・・

 

こんな風に、事業拡大していくのが、良いのですね

 

はい、これがセオリー

 

 

所が、人間は・・・というか現実のマーケットは

 

それだけでは、すまない

 

私たちが得て来たノウハウや技術や販路、を、ストレートに拡大していくだけでは、時代の変化やニーズの多様化には対応出来ない、硬直化した会社になっていってしまう

 

というのが、モダン経営の悩み処・・・なのではないかと、私は考えています。

 

ですので、「わらしべ長者」をやりながら、余ったもう一つの手で、「新しい藁」を捜す努力を、しなければいけません。

 

ただそれは、無秩序にリビドーに従ってというと、先の起業させ屋などにダマされるような、精神構造の方向に、進んでしまいます。

 

だから、

 ・少しでもノウハウがある

 ・漸進出来る(というか、する)

 

という前提、設計、覚悟を持ちながら

 

それでも(見かた次第では)まったく異なる新分野のような事を、やっていく

 

という「新しい藁を捜す」事を、多様性人財などの後押しを受けながら、進めて行くのが、「会社を硬直化させず過リスク状況に追い込まない」手段なのではないかなと、私は考えています

 

ですので株式会社ソノリテ(私の会社)は、

 

(見かた次第では)既存のSE企業が行わないような、色々な面白い取り組みを、今後も行っていきます。

 

これが私の「わらしべ長者+α」経営、です

 

+αの中の一つ、をご紹介

 ・おもしろメディア

 

当社の社員発、蛇足販売「わがままーと」

ネコ専務をあしらった商品「トートバッグ」

 

こちらから購入出来ます 

 

 

さてこの、「藁」は、どうやってお宝になっていくのでしょう。私は本気です。今から楽しみです。

長所と短所。得意と苦手。感情を除外して考える

当社「株式会社ソノリテ」の経営理念には「社員の成長」があり、社員には「長所を生かした仕事をしてほしい」と思っています。

 

ここで「長所」とは何か?という話になりますが

 

例えば

 

 「あの人の長所は、我慢強さで、お客に信頼を得る事だ」

 「あの人の長所は、マシンガントークで、場の空気を盛り上げる事だ」

 「あの人の長所は、全てのお客様の生年月日を記憶して、アフターフォローしている事だ」

 

など、

 

なんとなく、僕の定義では、「長所」というのは

 

 ・対象となる事柄(仕事など)に対するものである

 ・第三者の評価であったり、定量的に測れたりするものである

 

というのが、「長所」なのかな?と思っています。

 

これが、例えば「対象となる事柄(仕事など)」が、変わるとですね


例えば、おしゃべりな人がいて、司会者のような仕事があったとして

 

 「あの人の長所はマシンガントークで場の空気を盛り上げる事ですね」

 

となるのかも知れませんが

 

逆に、例えば同じおしゃべりな人が、弁護士のような仕事をすると

 

 「あの人の短所は、おしゃべりのしすぎでお客様に信頼感を与えられない」

 

なんてことも、あるんじゃないかな?


つまり対象に対して、自分の「特徴」をどう生かすか・・・という所が、「長所あるいは短所」なのではないかなと思うんですね。

 

 

で、うちの会社は、社員の皆さんが「長所」を活かしてもらいたいので、社員の「長所あるいは短所」を知りたいわけなんですけれど・・・


まあ単純に「あなたの長所は何ですか?」と、聞きますよね?(まあこういう質問をする私も良くないのですけれど)

 

そうすると、

 

 「暗算が得意です」

 「体力には自信が有ります」

 「数字に強いです」

 「手先が器用です」

 

いろいろとお返事が返ってきます

 

でもこれみんな、「得意」な話であって、先の定義でいう所の「長所」ではない。


え?


「長所」と「得意」って違うんですか? と思われたかも知れないのですが、

 

私の定義では、違います。

 

私の定義

 長所:やると、良い成果が出るもの

 得意:やると、上手く出来て楽しい事

 

むむむ?似たような、似て非なる物のような・・・

 

では、逆に「短所」と「苦手」に関する、私の定義を書きましょう。こっちの方がわかりやすいと思うので

 

 短所:やると、悪い成果が出るもの

 苦手:やると、上手く出来ず苦しい事


・・・あんまりわかりやすくないかな

 


要するに言いたいのは(あくまでも私の定義ですが)

 

 長所/短所:客観的な成果となって現れる

 得意/苦手:主体的な感情が中心となっている


ということ

 

だから例えば、先に言った「おしゃべりな人」にとって、「おしゃべり」は「得意」
なんじゃないかなって、思うんです。

 

 おしゃべりが「得意」 -> 仕事Aにとっては「長所」
 おしゃべりが「得意」 -> 仕事Bにとっては「短所」

 

こんな感じ


な~んだ、そんな事か~


そう。そんな事なんですね。そんな事なんですけど、これとても重要な事で・・・


私は、「長所は」と聞いて「得意」な事を喋る人は、ちょっと足りてないなと思うんです


だから例えば「長所は」と聞いて

 

 「私の長所はおしゃべりです」

 

と答えた人がいるとすると・・・ああ・・・こいつ足りてないわ・・・と思う


 「それはおまえ、おまえが喋るのが好きなだけちゃうんか?」と、思う


例えば、アナタの周りにもいませんか?自分の喋りたい事だけ好きなように喋って、相手の話なんか全然聞かないし、相手が自分のおしゃべりに対してどう思っているかについて、すごく鈍感な人。


そういう人にとって、「おしゃべりが必要な仕事」は実は「長所に成り得る場面」では、無いかも知れないんですよね


それに本来(ここ重要)


 「長所は」と問われて、自分が何をやることが「楽しいのか?」と考えている時点で、自分本位でしかない。


わけです


ドラえもんに出て来るジャイアンに「何が長所ですか?」と聞いたら、「歌を唄う事」と答えた・・・ようなもんです


長所は、おそらく過去に自分が出したことがある「成果」を起点にして、語るべきかと思うんですね

 

 「私は過去にこういう成果を出したことがある。その時私はこのような評価を受けた。よって私の長所はそういう所にあると思う」

 

これが恐らく、思考するフレームワークとしては正解じゃないかな

 

(まあそれでもジャイアンなら「私は過去に町中の少年たちを集めてリサイタルを成功させ、少年たちから喝さいを浴びたので、私の歌は長所だと思う」と言うだろうけれど)

 

つまりは、ですね(ここも重要)


 私は「アナタが何を楽しいと思っているか」なんて聞いてないよ


って事に、よく注意してもらいたいんですよね。

 
さっきの、私の定義

 長所:やると、良い成果が出るもの

 得意:やると、上手く出来て楽しい事


つまり、私の質問は

 

 「アナタはどんな成果が出せる人なのか」

 

であって、

 

 「アナタが何を楽しいと思っているか」

 

という質問は(基本的には)していないよ! って事なんです。


(基本的には)と記したのは、先の「長所」「得意」議論の外枠で、「人は得意な事を仕事にしたほうが、楽しいし捗るし成果が出やすいハズ」という、ちょっと浅めの仕事論があるので、(基本的には)を付けているわけですが


だから改めて書きますが、私が「あなたの長所は?」と聞いたら、あなたはうちの会社に、どんなメリット(成果)をもたらしてくれますか?という事を聞いているのであって、あなたが何を楽しいと思っているか?なんてことは、基本的には聞いていない。

 


おいおい

 

とんでもねえ、ブラック社長だな? ソノリテの齋藤って野郎は

 

社員が、どんな仕事を楽しいと思うのか?ということは無視して、どんな成果が出せるのかしか、興味がないってさ。コイツは?


・・・と、


思われたかも知れませんね。

 

もちろん、必ずしも、そんなことはないです。

 

「必ずしも」です。


もう少し、「仕事」を、深く考えましょう。


皆さんは「仕事」に、何を求めているのでしょうか?それはそれは、色々な事があると思います。


 生活の糧/楽しみ/暇つぶし/やりがい

 /人の役に立つ感触を得たい/自分の力を試す場/修行の場

 /家族を安心させたい/組織に帰属したい/etc


色々な立場の人が、いろいろな物を求めて、働いている。そういった中で、「得意な事を仕事にしたい」という一局面だけで会社のスタンスを、単純に評価しては、いけませんね。

 

組織は、運命共同体。パフォーマンスが重要。会社は遊び場ではありません。

 

私は、社員の皆さんに「長所を生かした仕事をしてほしい」と思っています。これは、本当です。

 

それは何より、会社のパフォーマンスが最大化するからです。会社にとって唯一無二の尺度は成果であり、社員がなぜ働くかは、先に示したように多くの事柄があるのですから、

それは何であれ(例えばひまつぶしであれ)「成果」を出してくれれば、私は「社員がなぜ働くのか?」にまで、本質的に立ち入るべきではないと考えています。


だからそれで、いいはずだと、これが私の定義

 長所:やると、良い成果が出るもの

 得意:やると、上手く出来て楽しい事


の違い、でした。

 

 

 

追:

ちなみに私は、当社に入社面談をしに来てくれる人たちに、私は、色々な言葉を使って質問をしています


 「あなたの長所は?」

 「あなたは何が得意ですか?」

 「あなたは何をやっているときが楽しい?」

 「あなたはどんなことがやりたいですか?」

 「あなたの嫌いな事はなんですか?」


その質問に対して、例えはこのblogに書いているように

「齋藤という人間は、長所という言葉と、得意という言葉を、使い分けて考えているようだぞ。面談の質問も注意深く聞いていないと、間違った答えをしてしまいそうだな」

 

などとは、考えていただかなくて結構ですよ。

 

言葉の定義なんて人それぞれだし、質問に対する一問一答よりも、もう少し深い所で人間観察しているつもりですので

 

ただ、最近ちょっと思うのは・・・どうも

 

「自分にあった仕事をする」

 

という事を、短絡的に

 

「やったら楽しそうな仕事をする」

 

と、考えがちな人が、けっこういるな・・・って感じているところから、こんなblogを書いてしまった齋藤です

 


ビジネスというゲームに勝つには、自分の感情に左右されず、まるでポーカーをやっているように計算高く、表情にださず・・・そんな勝ち方も、ありますよね。

 

また、自分が「苦手だな」と思うような事は、大抵の人達もやっぱり「苦手」であって、この「苦手」な事をやってあげれば、人助けと言うビジネスが成立するという、基本的なサービスの原点も、あります。

 


どうも最近、「仕事と感情」っていうテーマが続いている齋藤blogです

 

 

纏めの二言

 

 「自分の長所は、自分にとって楽しい事とは、限らない」

 「自分が楽しい事が、成果を出せるとは、限らない」

 

 

感情を除外して、自分が仕事で何が出来るのか、考えてみても良いのではないでしょうか

なぜ仕事はつまらないのか?

■人間の考えることは、大抵楽しい

 

私は「罠(ワナ)」を作りだした人間の知恵って、すごいな~と思うんですよね。

 

我々人間がですね、肉食動物であるとして

 

原始、腹減っているわけですよね毎日。だって狩猟道具はチープだし、冷蔵庫だってないから、保管もままならないし

 

だから原始の頃の人類は、毎日腹減ってる。そんな気がする。

 

腹減ってたら、普通、山を走り回って、目の前に獲物が現れるまで、探し回るとか、そういう

 

「感情(はらへった)」

 

に突き動かされる行動をとるんじゃないか?というか、それしか、とれんでしょう・・・普通


そういうもんだと思うんですよね。

 

ところが人間は、「罠(ワナ)」を作ったわけですよね? これ、すごい!

 

例えば穴を掘って、そこに何かしら、ヤリのようなものを突き立てておいたり、すこしエサのような物をまいておいたりして、動物がそこに落ちるのを、待つ。

 

そんなワナを作った

 

腹減ってるのに、すごいです

 

 ・腹減ってるのに、穴をほって

 ・腹減ってるのに、餌をまいて

 

そういうこと、出来たんですよ。凄いです


そうしてきっと、人類は、「罠(ワナ)」を進化させていき、より効率的に獲物を獲得するということを、まなび、行っていくようになるわけですよね。きっと

 

このように人類は、期待される未来に対して、現在の感情を押し殺した行動が出来るように、なっていくわけです。

 

このあたりが、人類の凄い所・・・

 

こういうのは、農業のモデル(一年分の食料を、一年かけて生産する)みたいな事も、同じかなと思っておりまして

 

いまそこにある種みたいなものを食べちゃうんじゃなくて、きっちり、一年間育てる。そして収穫する。

 

こういう事を、計画的に、しかも集団で行えるようになったんだから、すごい。

 

はら減ってるのに、です。


つまり人間はきっと、感情に支配されることなく、未来を設計し、作業を分担したりしながら、より効率的に生きて行くシステムを作ることが出来るという脳をもっているわけです。


それは、なぜか?


「学習」ですかね?


「目前の衝動に囚われず、計画的に生きれば、そのほうが効率よく飲食にありつける」という、学習なのか・・・

 

腹が減っているからといってムヤミに森に狩りに出かけないで、じっと考えて、イノシシが通りそうな場所に、腹が減っているのに一生懸命穴を掘って、そこで待つ・・・

 

その方が効率がいいと学習しているから・・・


・・・でも

 

・・・たぶん

 

・・・たぶん違うと、私は思っているんです

 

(人間がいつ人間になるかという、実存主義的なお話でもあるんですが、それはちょっと置いておいて)なんとなく私は、少なくとも私はですね

 

「罠(ワナ)」を作ることは、楽しい。

 

これは恐らくかなり原始的な衝動レベルで、楽しい

 

腹を減らしている原始の人類が、目の前にいる獲物を槍で追い詰める。この衝動って、たぶん狩猟本能とでもいうのか、本能的に「楽しい」のではないかと、思うのですが

 

「罠(ワナ)」を作ることも、きっと人間の本能のどこかに、「楽しい」と思える受容体的プログラミングがされているのだと、僕は思うんですよね

 

あと例えば、みんなと一緒になって農作物を作ること・・・なんていうプロセスも、恐らくどこか人間の本能の近いところに、プログラミングされているコードがあり、わりとそれに準じているうちに、農耕という文明が出来上がるというような

 

つまり先天的か、後天的かという部分は少し曖昧なまま置いておくとして、本能的に(これを無意識的にと表現したらわかりやすいかな?)人間は、ある程度社交的だったり、計画的だったりする行動を、「楽しい」と思えるように出来ているのではなかと、思うんですね

 

言いたいのは、ワナづくりとか、農作とか、色々な文明的発達は

 

 ・それが効率的だから

 

だけではなく

 

 ・それが楽しいと思えるから

 

発達したはずだ。というのが、僕の理解です。


どうでしょうかね?


あと、ちょっとだけ違う話をするとですね

 

例えば、自動車という発明がありますよね

 

自動車好きな人、多いですよね

 

これもですね。自動車が「効率的な乗り物」だから進化したわけじゃ、ないですよね。

 

自動車ってかっこいいし、なんか運転していると爽快だし、デカい車に乗っていると、なんだか強くなった気になったりする。

 

そういう「快楽」の部分が、かなり混入している発明品であって商品であって文明ですよね


テレビとか、インターネットもそう。それぞれ通信手段として効率的だとか、そういう意味ではない部分で、人間の原始的な快感情の部分にうまく同調しているところに、発達の根源的理由があるのではないか、と思います。

 

 

まあここまでで言いたい事は、

 

 人が創り出すものは、何がしか人が快感を得るように出来ている。出来ていなければ発展しないはず

 

まあ、こんな感じかな・・・・

 


■しかし仕事はつまらない


では「仕事」は、どうか?

 

仕事だって、人間が考え出したシステムだから、快感をえるようなものなんじゃないか?


私は会社の社長をやっているので、社員のみなさんに「自社の仕事を楽しんでもらいたい」と、考えています。


そして先の「人が創り出すものは、何かしら快感がある(ハズ)」というのがあるので、例えば先の「農耕」みたいなものを「仕事」だと考えれば、仕事の成り立ちだって、

 

どこかに人間の原始的な快感情をベースにしたものが存在するはず、とそう思うのですよね。

 

人間が人間の為に作り上げたシステムが「仕事」なんだから、人間にとって「楽しい」と思える要素が、きっとある

 


     だから仕事はみんな楽しいんだ~ わ~い

 


・・・なんていう現実では、残念ながら、無いっぽい


なぜか?

 

なぜ仕事は、つまらないのか?


だっておかしいとは思いませんか?少なくとも私は「ワナ作り」は、楽しさから人間が産み出した仕組みだと信じています。ですから人間は、例えお腹が空いていても、ワナを作ることに没頭出来たはずなんです。

 

そういったシステムの延長線上にある、「仕事」が

 

 ・責任で押しつぶされそうになったり
 ・達成感が得られなかったり
 ・人間関係で憂鬱になったり

 

なんで、そうなって、「仕事は面白くない」ってなるんでしょうか?


もしかしたら、こう、考えてはいませんか?

 

 「仕事はお金をもらってやることだから、自分のわがままが言えない」

 

確かにそうなんですが、これ、ちょっと違っているはずです

 

だってみなさん、仕事だって、何がしかの快楽を得られるように人間がつくったシステムです。

 

例えば適材適所の問題はあります。Aさんにとってはつらい仕事でも、Bさんにとっては快適な仕事ってのがある

 

それはわかりますが、もし自分がその仕事に合わなかったら、別の仕事を見つければ良いだけの話です。仕事をえりごのみすればいいんです。

 

そういう前提を無視して

 

 「仕事は面白くない」

 

って、決めつけてませんか?

 

でも不思議なんですよね。だってやっている人が「楽しい」と思えない仕事なんて、その仕事の結果が、良いものになるわけないじゃないですか?

 

なのにみんな、世の中のほとんどの人が、「やりたくもない仕事」を「生活の為だ」などといいながら、ヤル羽目に陥っている。

 

なぜか?


これ、ちゃんと考えれば、答えは簡単です。


答えは「競争が激しいから」

 

例えば現代において、自分の快楽に従った農業をやろうとしましょう(あるいは、なんでもいい、快楽にしたがった仕事を自分で考えて、実行したとしましょう)

 

それ、残念ながら絶対に儲からない

 

せいぜい、自給自足出来るかな、程度の事で

 

例えば自分一人で、あるいは気の合う仲間数人と、その人達とやれる範囲で、気候のいい場所で、農業をしながら、暮らしていく

 

自分の好みの野菜を、健康を気にして無農薬で、昔ながらの製法で手をかけながら、やる

 

そういう生活を空想してみてほしいのですが

 

そこにはもしかしたら、原始的に人間にインプリされた快感が、あるかも知れませんね。そんな「仕事」なら、それは、楽しいかも(と思える人が、いるハズ)


でも、ハッキリ言います。それ、儲かりません


そんな「あまっちょろい」生産者などは、マーケットに入る事すら許されない競争の世界がもう、出来ています。だから、そんな生産じゃあ生活できない。

 

もちろん農業じゃなくたって、様々な生産や経済のシステムは高度に発達しているから、個々人が快感をえられるような、単純かつ工夫のない仕事をしたとしても、

 

マーケットは一部の勝者の為にしか残されておらず、その他の多くの人々は恩恵を受けられない。


多くの人達はその高度な競争の中の一部の役割を担う事で日々の糧を得るに過ぎない。

 

そうですよね?

 

当初は人間が人間の快感情をベースに創り上げたシステム(仕事)は、勝手に成長し、勝手に巨大化し、高速化してしまい、普通の人間がついていけなくなってしまった!とでも言えば良いですかね

 

だからみんな、責任もとれなければ、達成感もえられなかったり、ギスギスとした人間関係の中で居場所作りに苦労するような「仕事」しか出来ないわけです。


 結果として「仕事は辛い」

 


ここまでの纏め

 「本来仕事は面白かった。現代において面白い仕事は一部の勝者のものになり、残された人々にはつまらない仕事のみが与えられている。」

 

で、ですね。ちょびっとだけ脇道にそれますが

 

「ボランティア」や「プロボノ」など、特に若者の中に、達成感や人との繋がりを求めた、動きがありますよね

 

なぜか


【ここ重要】

もともと人は「楽しみ」を求めて生きているハズですが、「仕事」は前述のように、もう普通の人が仕事で快感情を得ることは難しい、から、人々は「生きがい」を「仕事以外」に求めなければならなく、なってきた

 

そんな、感じかな?と思うんです

 

そんな感じ・・・を、みな深く追及することなく、なんとなく

 

 「仕事は、面白くない」
 「金儲けは、汚い」
 「仕事以外に生きがいを求めたい」
 「会社に搾取されたくない」
 「働いたらまけ」

 

なんじゃら、かんじゃら

 

あまり自分で深く考えず、そういった整理をしてしまっていると、「なぜ仕事が面白くないか」がわからないわけですね

 

親も、先生も、そこんとこあまり深く考えていないで、

 

 「社会に適合しろ」
 「夢ばっかり見るな」
 「大人になれ」
 「自律してないのに一人前の口を聞くな」
 「仕事とは修行だから3年は我慢しろ」

 

みたいな事しか、言えないから、若い人達も、学べないし、ね

 

ここまで整理します

 1)仕事は本来楽しい
 2)でも競争が激化し、普通の人は楽しい仕事が出来ない
 3)みな「なぜ仕事がつまらないか」考えないで、仕事はつまらないと決めつけている

 

 

■私は株式会社ソノリテの「仕事」を、どうするか?

 

改めますが、私は、株式会社ソノリテという会社の社長です。

 

で、私は株式会社ソノリテで働く皆さんに、仕事を楽しんでもらいたい。と、思っています。


かつ、私は前述のように、みなさんが「仕事はつまらない」と自動思考していると、思っています。

 

さらにその「仕事」とは、過当競争にある現代において、大抵の人にとってつまらないものになっているとも、考えています。

 


【さあここ最重要】
それでも私は、当社の皆さんには「仕事を楽しんでもらいたい」と、思っている。強く思っている。

 


そんな当社においても、ある程度立場が上の方にいて、ある意味で「仕事が出来る社員」達は、自分たちが「仕事は辛い」というものと、どう向き合って、それでもモチベーションなどをどうキープして戦っていくか・・・という点について長けています

 

それに対しサトリ世代である若い世代は、それらを「社畜」などといい、否定します。

 

このギャップは、当社においても生まれているわけですが

 

そうこのギャップにおいては、私は完全に旧世代の味方です

 

なぜか?

 

確かに「仕事はつまらない」んです、大半の人において


「大半の人」 です


何度も言いますが、僕は自分の会社を「仕事が楽しめる」会社にしたいんです。ね。


この激化した競争社会において、「仕事が楽しめる」という、

 

 ごくごく少数派の会社にしたい

 

わけであって、

 

そういう意味において「仕事はつならない」という自動思考のサトリは、邪魔なんですよ。

 

【ここも最重要】
そんなもの(仕事はつまらない)という自動思考は、凡人の発想なんです。大衆のものなんですよ。

 

これが私の思考方法です。

 

そうですある意味で超人思考(マッチョ)です。自社をブラック企業にしないよう気を付けます(社労士から「休みが多すぎる」と怒られるような会社ですから現状は大丈夫だと思います苦笑)

 

 

私の会社は、仕事が楽しい会社 です

 

今後もどんどん、仕事が楽しい会社 に していきます

 

その為には、社員がみんな、非凡 であり プロ でなければいけません

 

だから私の会社は、とても多様で、かつとても(成長に対し)厳しい 会社になっていくでしょう


ついて来れない人が、沢山出る、会社とも言えますね。

 

でも楽しいはず

 


・・・

 


「楽しい」ですからね


「楽(らく)」じゃないです


ここがポイントですね

 

現に当社に今いる社員達は、皆それぞれにとても個性的で、非凡で、ある部分において皆超人的で、自律的な思考をもっています。

 

私はそれらをとても誇りに思うし、社員の皆さんと共に闘っている事が、とても、とても、「楽しい」

 

 


■楽しい会社 株式会社ソノリテ


弊社「株式会社ソノリテ」のホームページを見てもらい、多くの入社希望者が来てくれます。嬉しい事です。


その人たちが、口をそろえて、こう言ってくれます


 「楽しそうな会社ですね」


私はそれを聞くと、とても嬉しい


でも反面、心のなかで、こうも思っています


 (そう私たちは楽しい。でも君はついて来れるかな?)


これは私がはっている「罠(ワナ)」なのかも、知れません笑

悔いが残らない方を自分で選べ

タイトルは、進撃の巨人のリヴァイ兵長による名言(迷言と評価する人もいます)です。

 

指揮官であるリヴァイが、部下であるエレンに対して、「指示をせず、自己判断を促す」わけですね。

 

これを「リヴァイの職務責任放棄」と取る人もいます。

(詳しくは「進撃の巨人」をお読みください)


この「自分で選べ」の前のリヴァイの台詞は、こうです


 「俺にはわからない、ずっとそうだ」

 「自分の力を信じても、信頼に足る仲間の選択を信じても」

 「結果は誰にも分からなかった」

 「だから、まぁ精々」

 「悔いが残らない方を自分で選べ」


兵長であるリヴァイが、「俺は(どちらが正しいか)ずっとわからない」と、言っています

 

もしあなたがこの人の部下だったら

「そんな事言わないで指示をくれよ~」と思いませんか?


 ・あなたが上司なんだから

 ・あなたが先輩なんだから

 ・あなたが責任者なんだから

 ・あなたがここに連れて来たんだから


そんな風に思って、「指示を出せない上司」を「情けない」「責任感がない」「経験不足」なんだかんだと、思いませんか?

 

だからこのリヴァイの台詞を、「迷言」と捉える人が、いるのでしょうね

 

だって軍隊ですもの。軍隊っていうのは上官の命令が絶対。命令のなき作戦はないって、アベンジャーズでキャプテンアメリカも言ってた。確か~

 

 


さて、ちょっと別の話


昨日から本日、2016年1月23日から24日にかけて、全国的に大雪と言う予報があったので(実は関東では雪にならなかったのですが)、

 

私は外出の予定を入れずに、撮りダメしていたビデオを、観ていました

 

そこで、以下2本の、別の主張をもったテレビ番組を観たのです


 ・一つは、起業家の有名人、家入一真さんを特集していた番組
  家入さんの主張である「嫌なら逃げろ」を軸とした話

 ・もう一つは、「しくじり先生」一億円の借金を背負った某タレントが、
  逃げずに奮起して、何年もかけて借金を返す話


「嫌なら逃げろ」の方は、世の常識やイジメなどのプレッシャーなどの重圧から逃げ、自分らしく居られる場所を提供するという、家入さんの哲学が原点にあるお話。

 

現代は自己責任型の競争格差社会化が進んでいますから、プレッシャーに押しつぶされ、自己嫌悪から自死するなどの結論に至る若者が少なくなく、いわゆる「ひきこもり」から企業家として成功なさった家入さんがリバ邸などを用意し、若き苦悩人に居場所を提供しているという活動に対しフォーカスした番組でした。

 

「しくじり」の方は、人の良さから他人の借金の連帯保証人として始まった借金が、みるみる1億円まで積上がってしまったものを、「家族を悲しませない」という一心で奮起し、いろいろな人に助けられながら、逃げずに立ち直ったという実話を、面白おかしく紹介した番組でした。

 


これですね

 

>家入さんのは、なんというか、逃げ寛容系癒し論とでも、いいますか

 

>しくじりのほうは、これは、逃げないで戦った武勇伝って、感じでしょうか

 

 1)まず「挫折や失敗やプレッシャー」があり

 2)それから「逃げていい。きっと他に居場所はある」と、考えるか

 3)それとも「逃げちゃダメだ。負けるな戦え。諦めない人が最後に笑う」と、考えるか


本当に、どっち(「逃げろ」も「逃げるな」)も、それぞれに素敵なお話なんですよ~

 

 

さてここで、私の話をしますと

 

私はどちらかというと、精神的にマッチョな思考を取るほうです。

 

 1)失敗を恐れず進め

 2)痛み失くして成功なし

 3)諦めずにやり続けた人間に勝機はやってくる


こういった考え方に、快感や成功体験を持つほうです。つまり「しくじり先生」スキ。


でも、本当はどうなんですかね?


例えばですが、私みたいなマッチョタイプの人間が、家入さんのリバ邸に行って、挫折したり、プレッシャーから逃れたくて集まってきた子達に、

 

「逃げるな戦え。自分の世界は自分で作れ。戦い方なら教えてやる。お前のその逃げグセを性根から叩き直せ。話はそれからだ」

 

とか言ったら、どうなるのか?


  みんな鬱病になったり、ひどい場合自殺したり、するのか

 

・・・いや、そうとも、言いきれない


いろんな人が、いろんな風に、物を考えていて、いいわけですよね?

 

つまり私が怒鳴ったところで、誰がどう、どのように感じ、その後の人生にどう影響するのかなんて、人それぞれ、色々あるわけだから

 

つまり正解なんて、ない


それぞれの「判断」が、あるだけです

 

私たちは生きている過程で、様々な判断をします。

 

そしてその「判断」は、教育や経験によって、習得してきたものです。

 

言うなれば「判断の集合」が、「個性」なんじゃないかと思います。

 

過去、私たちがどのような経験をし、どのような事を学び、そしてどのような判断をするような人間になったかということが、「個性」です。


だから「個性の発揮」は「判断の発揮」とも、言えます


言い換えると「判断をさせてもらえない状況」とは「個性が発揮できない状況」という事です。

 

わかりますよね?

 

制服のある学校では、毎朝、今日着て行く服を判断する(決定する)という事由がない。

 

つまり個性が発揮できない。ここがポイントなんです

 

制服があると、他人と別の服が着れないから、個性的じゃない・・・のでは、ないんです。「自分の判断が通用しない」から、個性的じゃない。

 


だからタイトルのセリフ

 

 「悔いが残らない方を自分で選べ」

 

 

 「お前の個性を発揮しろ」


という、セリフなんだと、私は思うんです。

 


ここまで、纏めます。この2文。です


 ・正解なんてない

 ・お前の個性を発揮しろ

 

 

さてここに、もう一つモノサシを加えるべきだと考える人がいるかも知れません。

 

それは、判断というアクションを、組織(集団)が求めている話なのか、それとも個の生き方の話なのか、というお話です。

 

ちょっと古い概念のまま、あえて説明しますが


例えば軍隊や会社などの組織において、各個人がワガママに自分の個性を発揮して自分のルールで動いていたら、その組織はおかしくなる。やはり命令に忠実であるべきだ

 

反対にアーティストのような個性重視の仕事をしているひとが、人からの命令を待つような没個性型では、なんの活躍も期待できないのではないか


というポイントです。

 

つまり人は、個性的(判断出来る)、没個性的(判断出来ない)どちらであるべきかと言う問題において、集団に属しているか居ないか、がかかわってくる

(リヴァイの例でいえば、あれは軍隊だから、やはり、リヴァイは命令を下すべきではないのかという話)

 

 

そのポイントまで踏まえるとですね

 

今まで話をしてきたことが、4パターンに分類されることに気が付くんですね

 


パターン1:追い込みタイプ

 1)組織や学校などから逃げるな(マッチョ)

 2)親や社会のいう事を聞け(没個性)

 

これは親が、学校にいって良い会社に勤めろ!というようなものですね。強さを求められるが、個性は求められない。大企業で成功するタイプかも

 


パターン2:ストイック成功者タイプ

 1)ストレスから逃げるな(マッチョ)

 2)常識を疑え自分を信じろ(マッチョ)

 

これは自分で自分を追い込めるアーティストや、企業家など。没個性で成功することに必死になっている人。

 


パターン3:癒し系オンリーワンタイプ

 1)逃げて良い(癒し)

 2)自分の可能性を信じて探せ(マッチョ)

 

これは社会の枠に自分があてはめられないけど、何かに猛烈に熱中しているタイプ。天才タイプってヤツかも知れない

 


パターン4:甘えん坊

 1)逃げて良い(癒し)

 2)誰か教えて、誰か食わして(没個性)

 

これは思考停止状態ですかね。良く言えばモラトリアム。悪く言えばヒキコモリ。

 

 


さあこう分類してみました

 

さあ


私の考えでは

 

例えば家入さんの考え方は、

 

 パターン1のストレス状況(逃げるな、言う事を聞け)で追い込まれている人に、いったんパターン4の「場」を提供し、最終的に、パターン1、2、3のどれかにしてあげようっていう事なんじゃないかと思うんですよね。

(番組をみたり、twitterなどから情報を得ているだけですので、間違いかも知れませんがご容赦)


 ここで問題なのはパターン4を知ってしまうと、パターン3くらいしか、人間として回復出来ないのではないかと言う疑問なんですが

 

 つまり自分をストレス状況に追い込む必要などないというパターン4空間の承認を受けてしまっていると、ストイック型には戻れないのではないか

 

という錯覚

 

それってつまり「人は状況に甘える」という問題なんですけれど・・・

 

残念ながら


私は理念では人を信じていますが、現実には現実の人達に裏切られてばかりです。本当にみんなガキで、だらしがなく、美学をもっていない

 

実際私は、パターン4の人達が、「俺ら実は才能ある」って言っている事に、何度も裏切られてきました。


つまり私は、そのような経験から、パターン4の世界に行ったら、皆さんに私の美学をもって私は愛をもって説教するでしょう

 

「逃げるな戦え。自分の世界は自分で作れ。戦い方なら教えてやる。お前のその逃げグセを性根から叩き直せ。話はそれからだ」
(先ほどのコピペです)

 

でも、その反面で


本当に心から信じられる人がいて(当社にもいます)、いや、もうちょっと大サービスで、「信じたい人」がいたら、こう言います


「悔いが残らない方を自分で選べ」

 


つまり人は、いつか、パターン4から脱出しなければならない。

 

パターン4のまま、借金を1億円作ってしまう人は、家族の一言で、自分をストイックな人間に押し戻せた

 

学校のイジメに耐えられずに引きこもり(パターン4)になった青年は、自分で街を出て(逃げて)、さまざまな出逢いをへて、企業家になった


パターン4からは脱出しなければならなない。それはもう、みんなわかっています。


が、しかしその先にパターン1(例えばこれは社畜)、パターン2(例えばストイックなプロ)、パターン3(例えば何かの才能で社会を舐め切ったまま一攫千金)、どのようなストーリーで、どうなるか、

 

その正解はわからない

 

だから

 

沢山の考え方があり、沢山の状況(パターン1~4)があり、それぞれの人達は、どのような考え方によって、相手にどのような感情をもっているのか

 

それらが一堂に会している多様性を、私は自分の会社に構築したい。

 

そしてそれらの間を各社員がコミュニケーションし、かつ行きかい、さらにそれらが全体的には生産的な方向に成長していくというテーマに取り組んでいるつもりなんですね。

 

(つまり例えば疲れている人にはパターン4の場を提供できるような多様性があるべきだと思っています)

 

それは社員においても、様々なパターンに存在する社員達が、それぞれに衝突し、時に傷つけあったりして、それでも多様に個性を発揮しながら、

 

当社は個性の発揮による衝突が、それぞれの状況や考え方に対する尊重を前提として、つねに多数起っている会社に、したい


それが社員の皆さんの脳を常に励起する多様性の状況であると考えているから、多様性の中において常に考えの相違に触れ、自己判断を求めらえている組織にしたいわけです

 

だから、リヴァイの話に戻すと

うちの会社では(これも前述のコピペ)

 

 ・あなたが上司なんだから

 ・あなたが先輩なんだから

 ・あなたが責任者なんだから

 ・あなたがここに連れて来たんだから


「そんな事言わないで指示をくれよ~」


なんて思っている社員が、あまり、いてほしくはないですね

 

(だけど、もういちど言いますが、私は理念では人を信じていますが、現実には現実の人達に裏切られてばかりです。本当にみんなガキで、だらしがなく、美学をもっていない。)

 


当社の社員さんへ

 

私に

 

 「答えはこうだ。だからこう指示する」

 

と、言われたら、もっと頑張りましょうね

 


私に

 

 「お前はそう言うけど、こういう意見もあるよ」

 

と、言われたら、見込みあり。一緒に多様な人々の考え方の中で自分を磨きましょう。私は指示はしません。逆の考え方もあるよということを見せていきます

 

 

私に

 

 「悔いが残らない方を自分で選べ」


って、言われたら、


 たぶんあなたは、当社の救世主(つまり巨人)ですね~www

 

 

 

ちなみに当社株式会社ソノリテの今期スローガンは「悔いが残らない方を自分で選べ」です。

 

今期中に私に「自分で選べ」と言われる人は、何人出て来るのかな~ 笑

継続こそ力

皆さまあけましておめでとうございます

 

2011年、第三期の幕開けから私が代表取締役を務めさせていただいております株式会社ソノリテも、第七期に入っております。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

さて、2016年一発目のblogでは、継続というテーマについて書きたいなと思います。


継続と言うテーマで、私は以前、こんなblogを書いています


「継続こそ力なり」

ameblo.jp

「私は意思が弱い」

ameblo.jp


この「継続」というテーマは、私にとってとても大切なテーマですので、今後も何度でも、書きたいと思っています。

 

なぜとても大切なテーマなのか?と言えば

 

つまり私は天才でもなければ、意思も弱い

 

そんな私が、あるいは皆さんが、どうやってビジネスの世界で、勝つか?

 

その方策の一つが「継続」だと考えているからです。

 

 

さて、とくに若い人


若い人は、継続力が、ありません


あたりまえですよね?若いんだから


若いんだから、そもそも生きてきた時間が短い。短いんだから、「何かを長く続けて、成功する」という成功体験が、少ない

 

若い人が持っている成功体験は、せいぜい

 

 中学、高校、大学の、せいぜい3~4年間、何かを続けた

 

とか

 

 ちょっと何かを始めたら、偶然、成功して褒められた


この程度、この2つくらいでしょう


この2つ程度の成功体験しか持ち合わせていない「若さ」に、誘惑の多い「現代」が覆いかぶさっていますから、

 

若い人が

 

 「ちょっとやって、上手くいかなかったら、もっと楽しそうなことに、簡単に乗り換える」

 

思考になってしまうのは、頷けます

 

つまり現代において若い人は(いやもちろん、若い人だけではありませんが)、継続力が育つ土壌がない。

 

むしろ現代人に継続力を持てというのは、酷だとも言えます。

 


しかしこれは、残念ながら

 

成功の方程式からみれば、完全に間違えていると、私は考えています。

 

継続は力なんです。いえ、継続こそ力なんです

 

だが現代は、継続を妨げる誘惑に満ちている。

 

そして多くの人達は、成果に対する効率ではなく、誘惑に対する感情で意思決定をし、結果として自分の人生を成功から遠ざける。そのように生きています。そう、言いきれると私は思っています。


「楽しくいきたい」と、言うのは、良いです

 

ただ、人や社会からの誘惑に単純に乗っかって、「楽しい」方にだけ感情を傾けて生きているなら、私はその生き方を堕落と見ますし、それは少なくとも「成功の方程式」には乗っかっていないと考えています。

 

現代は様々なメディアが、消費者の関心を惹こうと努力しています。次から次へと「面白そうなこと」が襲ってきます。

 

家に帰ってインターネットに接続したり、スマホやゲームのスイッチを入れれば、様々なメディアが若者を消費者に変えようと、アプローチしてきます


このような状況において、「目移り」せず何か一つ事に打ち込むということは、


事実上不可能。


はい。不可能だと、私は考えます。

 

少なくとも私には不可能です。

 

なぜなら私は、意思が弱いから。


私は意思が弱いんです。でも皆さんだって、意思が弱いでしょう?

 

自分一人の力では、たばこ一つ止められない。それが人間なんです。

 


ここまでのまとめ。

 

 「人間はすべからく意志が弱い。現代は誘惑が多い。したがって何かを継続することは困難、不可能。」

 

 

成功するには(正確には成功の確率を上げるには)「継続」しかない


どんなビジネスモデルでもいい、どんな修行でもいい、どんな趣味でもいい。


それで「成功」するには、「継続」は必須条件です。


が、しかし、現代は何かを「継続」するには、不適切な誘惑に満ちている


ここまで、合意していただけましたでしょうか?

 


はいではここで、極端に、言い方を、変えてみようと思います

 


現代は

 

 「多くの人が、何かを継続することが、出来ない」

 

わけです(ただしここでは「思考停止でただ惰性で継続している」事は含みません:後述)


ですが、ここで言い方を変えると、もし現代が本当に「多くの人が、何かを継続することが、出来ない」なら


現代は


    「継続できる人の、一人勝ち」


だとは、思いませんか?

 

 

私はそう思っています。

 


つまり現代において「何かを継続する方法論」を見いだせた人は、とても強い!


とくに若い人

 

前述したように、若い人はそもそも長い時間生きていないし、誘惑に弱いし、自分の
可能性についてまだ夢があるぶん、現実を観ようとしない(否定しているのではなく、
それが人間だと言っています)

 

ので

 

若いうちに「何かを継続する方法論」を創り上げる


と、これは最強なんです!私は、そう考えています。

 

 

(・・・・たしかに最強かも)

 

 

ここまで読んで、そう思えない方は、ここから先は読んでいただかなくて、結構なんですけれども

 

さて私が考える「継続できる人」には、3種類います


 1)変質的に固執出来る人(天才)

 2)自分の弱さを知っている人

 3)滅私し思考停止で反復行動が出来る人


ここで、私は3)の人に魅力を見出しません。

 

3)の人は、会社や社会の歯車としての役割を、非生産的に過ごしているに過ぎませんので、こういう人は「継続はしている。しかし成長もしない」わけですから、ここでは除外します

(ちょっと加筆しておくと、例えば自分の頭を空っぽにして、シゴキに耐える。などは3の能力を必要とします。この場合、3の能力によって肉体が鍛えられるという可能性があります。ただし私はおもに知的生産的なビジネスについて話題にしているので、思考停止能力についてはここでは評価しません)


ですので「知的生産的継続」が出来る人とは1)か2)に限りますが、

 

 1)の人は、ほっておいても、24時間365日、何かについてずーーーーっと拘って考えている人、ですね。

 

天才的な画家、天才的な音楽家、天才的な・・・そういう人


でもまあ、これは・・・誰でもなろうと思って、なれるもんじゃない。


また、こういう人は、例えば何か時代が変ったりしても、変化に弱いので、時代の変化と共に死んで行ってしまうタイプ、ですね。


私が話題にしたいのは、2)のタイプ、です。

 


私の知人で

 

2ヶ月くらいで、たしか30kgくらい、ダイエットした人がいます。

 

まあダイエットだけでしたら、一時的にやろうと思えば、出来る・・・かも知れない

 

でもその人は、まったく運動しない、失礼ながらただのデブ、だったんですが、そのダイエットと共にマラソンに挑戦し、本当にぜんぜん運動していなかった人なのに、最終的にフルマラソンを3時間で走れる人になったのですね

 

すごいこと、です

 

で、その人は、たったの2~3ヶ月で、体重を30kg落とし、マラソンを3時間で
走れるようになり、なおかつ今もそれを続けている・・・のですが


それを、どうやったか


どうやってツライダイエットやジョギングを、続けたか

(ちょっと記憶が曖昧なところもあるので、正確な情報と言うより、お話として読んで欲しいのですが)


その人は、「自分の弱さ」を、ちゃんと知って、そしてそれを計画的に取り入れて、ダイエットやマラソンにチャレンジし、それを継続しているんです。


どういう事かと、言いますと

 

つまり彼だって「誘惑に弱い、移り気な、現代人」なんですよ


誰だって、そうです。


ところが彼は、こうやった

 

1)カワイイ女性トレーナーを雇い、彼女に毎朝呼び出してもらい、トレーニングをした

2)呑み会など、現実的に止めるとストレスになる物は、ガマンしなかった

3)「いつまでに何をやり遂げたら、ご褒美」とてつもないご褒美を設定した

 

 

~~~な~~んだ~~ そんなことか~~

 

って、思うでしょうか?

 

いやこれ、簡単な事じゃないです。みんなこれ、簡単には出来ない事です。


少なくともここから先は、

 

 ・人間は継続が苦手

 ・人間は意思が薄弱


ということを理解している人じゃないと、読み進められないので、


~~~な~~んだ~~ そんなことか~~


と思ってしまったら、まあ、ここから先は読まないで下さい

 

はいでは、上記の事例なども含み置きながら


そんな意志の弱い人間である僕が、継続に対して思う、重要なこと

 

つまり「誘惑だらけの現代で、意志の弱い私たちが、どのように何かを継続し、成果を上げるか」には、以下のものが必要だと思います。
(ここでも思考停止の話は除きます)


 1)ペースメーカー
 2)原始的な衝動を呼び起こす報奨
 3)作り込み過ぎない姿勢
 4)コクーン(誘惑の遮断)

 

大抵このどれかが欠けている事によって、継続は失敗します


私は特に、1)ペースメーカー と、3)作り込み過ぎない姿勢 が重要だなと思っていて、大抵そのどちらがが、上手く作れない人が多い


特に、真面目な人、真面目な人ほど、この2つが上手く作れない。


1)ペースメーカー は、良いですよね?

 

いきなり結論めいたことを言いますが、継続は自分では出来ません。ハッキリ言います。絶対に出来ません。

 

なぜなら人間は、自分一人の力では何も出来ない弱きものだからです


だからペースメーカーによって、呼び出され、動く。これが重要です。

 

マジメな人は最初から

 

「いや!やる。おれは誓った!俺は意思が強い!だから最後まで自分の力でやり遂げる!」

 

と、言います。そして必ず、途中でイイワケをつくり辞めてしまいます


だからペースメーカーが必要です

 

例えば前述の「ダイエットをした人」は、毎朝素敵な女性と、トレーニング場所で落ち合うという、ペースメーカーを作った。

 

人と待ち合わせをしていると、それを裏切ることは、なかなか難しい。

 

それが好みの異性であるなら、そのペースメーカーとしての力は、とても強い

 

そういうペースメーキング

 

そのように「外的な強い力でペースメーキングしてもらって初めて、意思の弱い人間は
何かを継続することが出来るようになる」のです


私の場合、例えば私の会議スケジュールなどは、大抵の場合人に決めてもらいます。

 

私はだらしなく、ダメな人間だから、です

 

毎週毎週推進会議をやると決めて居ても、自分で設定すると、ついつい都合の良いことをいって、飽きて、辞めてしまいます

 

だから人に会議を設定してもらう。

 

人に頼るんです。

 

徹底的に人に頼る。それによって、継続させるんですね。

 

 

次に、3)作り込まない姿勢


これが、出来ない。本当に、真面目な人ほど、出来ない

 

問題は、始めるとき、です


始めるときに、「継続」が下手な人間は、「完璧」なプランを作る。


そしてその完璧なプランに、数日経って「飽きた」自分が、潰されてしまうんです。


例えば毎月、決まったレポートをする。という仕事を考えたとします。


完璧主義の人は、すばらしいレポートを考えます

 

始めは良いんです。始めは


でもそのうち飽きます。

 

飽きなかったとしても、例えば予想外の問題が発生したりします。

 

さまざまな理由で、その完璧なレポートが書けない月が、出てきます。

 

そうなるとこの「完璧主義」が逆に働いて、その仕事に対する愛着を失い、だいたいその仕事は失速していきます。

 

ですから

 

如何に最初から「作り込まないか」が重要です

 

一番最初に、「この仕事は永遠に続けなければならないものだ」という前提を置いた場合、出来るだけスモールに、出来るだけフレキシビリティを高く、出来るだけ力みのない仕事にしておく必要があります。

 

それが出来ない、人が多い

 

 A)毎回の仕事のクオリティは高いが、続かない

 B)たいした内容ではないが、続いていて、だんだん成長している


この2つのどちらが、最終的に成功するか、わかりますか?

 

(ここまでの文脈で、これがわからないようだと、もうこの長文にお付き合いいただくのが、逆に申し訳ないです・・・)

 


これがわからなければ、例えば・・・


アナタが映画監督だとしましょう


A)壮大なシナリオ、最高のキャスト、素晴らしいスタッフを集めたが、意見の衝突や様々な問題が発生し、熱意が続かず空中分解。「自分が納得できない作品をつくるくらいなら止めてしまうという決断をした」

 

B)あまり難しく考えず、肩の力を抜き、様々な問題に対処したり、いろいろな妥協なども呑み込みながら、納得のいく作品にはならなかったが、何しろ作品を創り上げた


これ、どちらの映画監督が、「成功する」と思いますか?


これ、間違いなく、B)なんです

 


B)は「創り上げた人にしかわからない経験」を積むからなんです


つまり、未来につながる


A)は、なんだかんだ理由をつけて、現状にとどまっているだけなんです。そしてそれは、感情に支配されて、「成功とは何か」を見失っている傲慢で幼稚な答えでしかない。


例えば、B)の人は、この映画を作り、公開したことによって

 


創り上げた作品に対して、多くの「批判」を浴びるでしょう

 


A)の人は、浴びない

 


どちらの人が、最終的に「成功」するでしょうか?

 

そう考えていただけたら、わかると思います・・・・

 

 

だから「継続」すべきなんです

 

なんだかんだ、恰好のいいことを言って、「止めてしまう」のは、誰にだって出来る事なのですから・・・

 

 

さて、もう本当に長文になってしまったので、纏めます


私は、現代人は「継続力」を失い、目先の感情だけで判断し、短絡的に生きることが許されていると、考えています。


その中で、私は、そして当社は「継続」を力として、際立って行こうと考えています。


私たちの行動は時に幼稚で、しかしそれは設計された力の抜き方で、「継続して、最後は勝つ」ために、進めている作戦によるものです。


かつ私たちは平凡な普通の人間であり、若い集団でもあるので、私は当社の若い人たちに、「力を抜き、継続し、しかしその継続の中で成長し、最終的に成功する」という方法論を、説明し、伝授していきたいと考えています。

 

 


その例の一つとして


これ、続けていますw


【カイザー齋藤のオールナイヨニッポン】Vol48:ヘッサポムというデコトラ(前編)

忘年会をしません

私は忘年会をしません。

 

私がしないから、私が代表を務める株式会社ソノリテにも、忘年会はありません。

 

呑み会はします(というかしょっちゅう呑んでいるけれど)

 

「忘年会」という名称が、嫌なんです

 

 

  なんで、「忘れる」の?

 

 

  なにか「忘れたい」の?

 


なんというかこう、ネガティブな、拗ねたような、性格を感じませんか?「忘年会」って名称が?


「生きることは辛いこと。ツライ思い出ばかり。だから忘れてしまおう。忘れてまた、来年頑張ろう」

 

って意味なんですかね?「忘年会」って


私は、そういう、ネガティブな考えは、いやだなあ~

 

なんかこう、日本人のウジウジした、悪い面を、感じるんです。

 

 

人生の経験は、良いことも、悪いことも、自分の糧ですよね。


良いことも悪いことも、噛みしめたり、時に反省したりして、人は成長する。

 

辛いことや理不尽んな事だって、人を優しくしたり、強くしたりする。

 

だから忘れる必要は、ない。

 


そういう考えで、私は、「忘年会」って言うのを止めたんです。去年から。

 


ええ、去年からです。

 


(たかが慣用句に、こだわりすぎ! あいかわらずメンドクセエな~齋藤和政ってヤツは~)


ええ、まったくその通りなんですけれど

 


私がそのことに拘りだしたのは、まさに去年。

 

その年の春に、大事な社員が一人、命を失ってしまうという事があって、

 

私や、当社の社員たちは、そのことで凄く、悩みました。

 

本当に、凄く悩んだんです

 

 

そして思った

 


「このことを忘れてはいけない」 と

 


私は会社の経営者です。

 

中小企業の経営者って、すごくつらいことが、沢山あるんです。

 

まあ経営者じゃなくたって、みんな、色々辛いこと、ありますよね。

 


でもですね

 

 

その一つ一つの、辛いことに、正面からぶつかって、戦って、悩んで、そして、立派な人間になっていったり、

 

会社だって、一つ一つの問題を、マジメに深く考えて、取り組んで、そして成長していくのだと、思うんですね。

 


だから

 


「今年あった辛いことなんて、呑んでパーッと忘れちゃいましょう~」


って感じの、「忘年会」ってのは


もう私は、やらないことにしたんです。言わないことにした。

 

 

 

でもまあ、株式会社ソノリテでは、「納会」ってのを、やるんですけどねwww

ニコ生と企業内ルサンチマン対策

ニコニコ生放送を始めました。

 

ソノリテ公式チャンネル

ch.nicovideo.jp

 

月に1度、第四日曜日の夜9時から、一時間半くらい放送しています。

 

放送内容のコンセプトを、「社長と匿名社員の愚痴バトル」としています。

 

株式会社ソノリテは現在成長戦略をとっています。出来るだけ成長(売り上げの増加、社員数の増加、等)をしていこうとしています。

 

そして戦略通り、成長しているのですが

 

成長痛のようなものも、ありまして

 

ですので「社員の不平不満愚痴」をありのままに聞き、そして私の「社長の不平不満愚痴」をありのままに聞いてもらおう、という趣旨で、始めています。

 

ここで、

 

なぜ「ニコニコ生放送」なのか? という点について、解説をいたしますと

 

私はこの放送を、もちろん現役社員に対して行っているのですが

 

他にも、こんな人たちに、聞いてもらいたい

 1)ソノリテに興味がある人
 2)ソノリテを辞めた人
 3)メディア

 

つまりは社内情報共有の要素と、広報の要素を織り交ぜているのです


それにしても、本来「会社の不平不満愚痴」は、社内の会議室やクローズドネットワークで行うべきでしょうが

 

あえてそれをオープンなメディアである「ニコ生」で行う事で、以下2点の効果を狙っているのです。

 

 A)見ている社員の完全匿名性が強化される

 B)人のケンカは良いコンテンツ


で、今からはこのA)について主にお話をいたしますが

 

「不平不満愚痴」は多くの場合、ルサンチマン的思考回路から発せられる、非生産的な情報です。

ルサンチマン - Wikipedia


ですので大抵の場合、あまり価値を持たない情報です。

 

が、このルサンチマンが結託すると、会社に良い「雰囲気」が生まれない。これが問題です。

 

他愛もなく「会社は我々から搾取している。我々の声を聞こうとしない。我々は被害者だ。」といったルサンチマンは、とるに足りない思考回路ですが、ただそれが蔓延すれば、やはりネガティブな空気が生まれ、はびこり、会社を無責任で不健康なものとしてしまう。

 

だから私は、会社の成長痛を感じる中で生じる「ルサンチマン対策」を、したいわけです。

 

で、その「対策」ですが

 

ではまず、ルサンチマンたちに発言をしてもらう必要があります。ルサンチマン側の主張が何なのか、聞かないと対策も出来ませんので。

 

ですのでそれにはまず、ルサンチマン達が大好きな、「匿名ネット」の準備が要ります。


つまりそれが、私のルサンチマン対策においては「ニコ生」なわけです。

 

さて次に、ルサンチマンに対して私が、「何をするか?」ですが

 

私はルサンチマンに対し、「弱者側にまわる」という事をし、「ルサンチマン群に対するルサンチマンを発する(愚痴る)」という事を、します。

 

これが、効果があるのではないかと、私は思っています。

 

これはつまり、ニコ生という放送において

 私は顔出し実名出しの攻撃対象(つまり弱者)

 社員側は匿名で攻撃できる(つまり強者)

 

となり、会社と言う契約的支配とは逆の立場になることで、私が日頃会社の社員に対し
思っている不平不満愚痴を言える立場(弱者側立場)になる。という事です。

 

これによって、ルサマンチン対ルサマンチンという、非生産的無責任的愚痴の言い合い
という場になり、お互いの無常を理解し合うという事が発生していく。

 

さらにはそれがコンテンツになる可能性もあるなと仮設し、実施しています。


結果として、同放送においては

 

匿名社員(社員じゃないかも知れないし、もう辞めた社員かも知れない)から

 ・給料あげろ!ボーナスだせ!
 ・使えない社員を首にしろ!
 ・社長なんでそんなすぐ怒るんだ!

 

などの愚痴

 

私からは

 ・小さいこと言ってないでもっとデカい話をしろ!
 ・お前ら月曜の朝休みすぎだ。すぐメンタルに逃げるな!
 ・もっと頭使え!

 

などの愚痴

 

を、言い合う場に、なっていて


それは俯瞰すると

「社員の本当の本音と、社長の本当の本音を、匿名というクッションを通じて、お互いに知り合える」

 

という、ルサンチマン的不平不満情報のはけ口になろうと、しています


株式会社ソノリテのニコ生、なかなか、面白くなってきました

 

よろしければ皆さまも一度、ニコ生に遊びに来てください。偽社員大歓迎です。

 

次回は平成27年12月27日(日)夜9時から放送する予定です

live.nicovideo.jp