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プロ集団であるために、永遠に大企業にならない

4月になりました。

 

当社【株式会社ソノリテ】

sonorite.co.jp

 

にも、新卒、既卒、転職、さまざまあわせて10名の新人が入りました。

 

それぞれに、年齢、性格、国籍などもユニークで、とても魅力的なメンバーです。

 

さまざまな個性をもった社員が、その個性を発揮し、既存社員との軋轢(あつれき)を産み、その先にあらたなシナジーが生まれ、ソノリテ全体の成長に繋がると良いなと、思っています


なぜ軋轢(あつれき)か?は、こちら

 

■新入社員の価値は「あつれき」をもたらすこと ~ナルシスト採用参加企業に聞く(後編)

president.jp


私は今年の新入社員の皆さんに、ソノリテで働いてもらう事について、以下のようなキーワードでお話をいたしました。

 ・共鳴すること

 ・性善説で経営しているということ

 ・笑顔と覚悟で働いて欲しいということ

 ・ソノリテはどんな会社か?それはあなた次第


ここで、私の考えを、少し説明しておきますと、私は根本的に、自責的に生きることを良しとする人間なんです。

 

自責については賛否両論あるでしょうが、私は、自責的に生きる人を美しいと思いますし、仕事においても、美しいものや優れたもの、新しいものを産み出すためには、その制作者は、極めて自責的に自分を追いつめて、追いつめて、限界まで考えぬく。

 

そしてその追及の果てに、新しい何かが生まれてくるのではないかと思っています。

 

それが出来るのが「プロ」なんじゃないかな、とも思います。

 

逆の言い方をすると、私は、なんでも人のせいにしたり、安全地帯から人の批判だけして、自分は行動しない人を、美しくないと考えるほうですし、

 

そういう人は「プロではない」と思うんですね。

 

それと私は、自分の会社を、出来るだけ(ここ重要)、社員の皆さんが自主的に運営していただきたいと考えています。

 

なぜならば、当社が「プロ」にとって「良い」会社でありたいからなんです。

 

 ・自社は自責的なプロ集団である
 ・自主的なプロの活動を過去のルールで制約するべきではない
 ・よって当社にはルールが少なく、自主性で行動する事が出来る

 

■ルールを無くしていく

saitoukazumasa.hatenablog.com


あくまで理想ですが、私は

 

 ・自社が主体的自主的自責的なプロ集団であり
 ・社員が多様であるならば
 ・会社は社員を出来るだけ縛らず、チャンスだけを与えるものであるべきだ

 

と考えています・・・

 

 

ところで、新年度

 

ネット上でこんな表現を目にしました


■【訃報】明日から懲役40年が始まる

カオスちゃんねる : 【訃報】明日から懲役40年が始まる

 

つまり新社会人にとって、これから定年まで続く「社畜生活」を、懲役になぞらえて
シニカルに表現しているわけですね。

 

これに対し、Twitter界隈では

 

 ・定年が70までかも知れんぞ?そしたら懲役50年だ
 ・なにが懲役40年だ、生まれた時点で懲役80年だろ
 ・40年も同じ会社でちゃんと給料もらえて働けると思ってるの
 ・無理ならフリーでやるなり自分で会社創ればいいじゃん。
 ・まじで気持ち悪い。仕事にビビりすぎ!じゃあやめれ!
 ・真・魂斗羅のビル・ライザーなんか懲役1万年なんだぞ。

 

などなど、なかなか面白いネタが飛び交ったわけなんですけれども

 

まあ、本当になんというか、社会人になり自立する事への不安に対し、みなとても自虐的なんですね。

 

ストレスを前にしたときに、被害者意識に埋もれる事で、不安意識を転嫁することが好きなのだなと思います。

 

でも私は、残念ながら覚悟を感じない、弱さをさらけ出し甘え救いをこう姿は、正直、あまり美しいとは思えないんです。

 

だからそんな彼らが、いつの日か、力をつけ、何かを産み出したり、何かを助けたり、誰かに頼られたりするような、力強い社会人になってくれることを、祈ります。

 

育って欲しい。私の知らない所で。

 


最近、なんだかこう思うようになりました

 

「自分の幸せを定義していない人を、幸せにすることは出来ないんだなぁ」


私は、わりと幸せな人生を送っています。社長だし。

 

でも私はきっと、社長だから幸せなんじゃないんだと、思うんですよね。

 

私は、自分で幸せだと思う事を、幸せに近づくように“自由に”生きることが出来ているから、幸せなんですよね。きっと。


それに、なんでも「アイツが悪い、コイツが悪い、会社が悪い、世間が悪い」と、言っている人に

 

じゃあ「何が幸せなの?」と聞くと、答えてくれないケースが多いんですよね

 

隣の芝生を観て、なんとなく、隣の芝生のほうが幸せに見えて、それで、
「なんでうちの芝生は青くないんだ!」と、嘆いているだけだと、そんな風に感じることが多い

 

そうなると

「自分の幸せを定義していない人を、幸せにすることは出来ないんだなぁ」

と、感じてしまうんです


(いやいや齋藤バカを言うなよ。幸せの定義なんて決まっているだろ?)

 

と、反駁する人に話を聞くと・・・ワリとこう、自立出来ていない回答が多いと言うか・・・

 

 ・出来るだけ怒られたくない
 ・出来るだけ遅くまで寝ていたい
 ・出来るだけ多くお金が欲しい
 ・出来るだけ遊ぶ時間が欲しい
 ・出来るだけ楽をしたい

 

というような・・・

 

そういう人にとっては、例えば「学生」と「社会人」という生活のギャップはそれはとても大きなものでしょうし、そうなったら「ああ今から懲役40年か・・・」と思うのも、無理はないと思うんですよね。

 

「はじめて働く」人が、社会でやっていく自信に、満ち溢れているはずもなく、そんな新人に先人も、「まあワガママ言わずにとりあえず3年辛抱しろ」程度のシニカルな発話しか出来ないとする。

 

みんなでガマン大会。それが社会。そんな雰囲気。それなら確かに、「懲役」かも

 

そういった自虐的社会観がわりと支配しがちな、気がしています

 

ところでここで言う「懲役」とは、なんの比喩なんでしょうね?

 

私は「自由が奪われること」ではないかと、思います。

 

会社とは「ルールの塊」ですからね・・・

 

はい、また出てきましたね。ルールの話・・・

 

 

私は、大企業あるいは大企業的な会社において、自主性の発揮はある程度制約されるべきではないかと考えます。

 

大企業には、その会社が大企業となりえた優れたビジネスモデルや強固な組織、社風のような物が存在するからです。

 

その大企業の「大企業となりえた」成功を、後から入社したものが、その恩恵に預かるわけですから、

 

それはもう、「先輩たちの言う通りの行動をしろ」と、いう事に、なるわけですね。

 

ここでいう「先輩たちの言う通り」というのが、ルールですね。規則。

 

あるいは社風だったり、タテ社会だったり、「求められる人財像」だったりするわけです


■当社が欲しい人財の定義は「よくわかんない」

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

「大企業の成功体験の恩恵」を享受するためには、自主性を抑え込み、会社の規則に
従って「言われたことを出来る」人間であるべきだと、私も思うんです。

 

で、そんな組織ならば、必ず、先輩のほうが偉いんです。だって、「その組織」に何年も従属し、「慣れている」わけですから。

 

 「若いやつは、先輩のいう事をきけ。それが当社の、やり方だからだ」

 

と、こうなりますね。

 

だから若い人も、「思考停止」で、いいわけで・・・

 

 

・・・

 


・・・ちょっと大企業批判みたいになってきちゃったので、それが本意ではないので、話を戻しますが

 

つまりなぜ「懲役」なのか? それは、「自由を奪われること」

 

企業に入れば、過去の成功体験の恩恵に預かろうとするなら、「郷に入っては郷に従え」

 

・・・では問題です

 

そこで奪われる「自由」とは、なんですか?

 

そこが問題だと、私は思います。

 

言っては悪いですが、SNS上でだらしなく呟かれている多くの「懲役40年論」の
大多数は

 

 ・出来るだけ怒られたくない自由
 ・出来るだけ遅くまで寝ていたい自由
 ・出来るだけ多くお金が欲しい自由
 ・出来るだけ遊ぶ時間が欲しい自由
 ・出来るだけ楽をしたい自由

 

が、奪われていると、言っているに過ぎない

 

これだと私的には、美しくない・・・という事なんですね


働く人は「プロ」であってほしい

 

今年新社会人になった人は、今プロじゃなくても、プロを目指してほしい

 

   「凄い人」になってほしい

 

極めて自責的に自分を追いつめて、追いつめて、限界まで考えぬき、美しいものや優れたもの、新しいものを産み出せる、プロになってほしい

 

私はそのように、考えています。

 

だからね

 

当社はやっぱり、「プロ」を目指す人にとって、自主性が発揮できるようにしたいから、たぶん永遠に、大企業には、ならないです

 

ただ・・・


出来るだけ多様な人達が、出来るだけ多様に、自分の強みが発揮できる当社になるためには、ある程度のビジネスサイズが必要だから、多様な事業を展開する、大きな会社にはしたいのですけれど・・・


大きな会社にはしたいけど、大企業にはしたくない。

 

プロ集団が硬直化せず、自主性をもって運営し、常に変化しているソノリテでありたい。


このジレンマに向かって、社員の皆さんと共鳴していきたい。


新人さんを迎えての、齋藤の気持ちであります。


例によってダラダラした文章を、とめどもなく書きまして申し訳ない。

 


■まとめ

当社に入られた新人の皆さんへ、

 

 ・堕落した欲望しかもっていない人には「ああ懲役だ」と思われてもかまわんが

 ・プロを目指す人には「自由な会社だ」と思われるよう努力してルールをなくしチャンスを与えます

 

ので、よろしく~

 

 

■追記

ソノリテの社風などがわかる「エイプリルフール2017ネタ」はこちら

www.sonorite.co.jp

 

色々なところをクリックすると、動画がみられます~

当社が欲しい人財の定義は「よくわかんない」

採用支援企業の営業を受けることが多いのですが

 

必ず聞かれるのが

 

 ・どんな職種を募集しますか?

 ・経験年数は?言語は?必須スキルは?

 ・年齢層は?

 ・男性女性など何か要望はありますか?

 

で、私が

 

「う~んそういうの別にない」

 

と、言うと

 

 ・では採用にあたり重要と思っている事は何ですか?

 

と、聞かれるので

 

「う~んよくわかんない」

 

と、私、答えるんですね。

 

そうなると採用支援の企業の営業の皆さんは、ちょっと困りだすわけですが・・・

 

 ・例えば御社の企業理念に共感した人財が良いとか・・・

 ・例えば前向きで意識高い系の人が欲しいとか・・・

 ・例えば実直な体育会系の人が欲しいとか・・・

 

「なんかねえのかよ?」みたいな顔をして聞いてくるので

 

「う~ん」

 

と、私、なっちゃうんですよね・・・

 

まあでも、当社「アソビゴコロとテクノロジー」企業ですので・・・

 

例えば「アソビゴコロ」だったり「テクノロジー」だったり、そーゆー感覚(なんだそれ?)に強い人だと良いのでは???なんて自問自答したりするんですけれど、

 

でもそれって、何と言うかな?

 

なんかこう、「同質性」を求めてしまう思考方法なわけでして

 

そもそも私、会社を「成長できるコミュニティ」にしたいわけですね。それは、理念でもうたっている事ですので、ゆるぎないんです。

 

株式会社ソノリテは、多様性の中で社員が成長し、多様性の中から新しいサムシングを産み出していく企業、に、したいんです。

 

だからですね

 

「どういう人を採用したいですか?」と聞かれたら

 

例えば

 

 ・今まであったことのないような人

 ・私と考え方が真逆な人

 ・尖っている人

 

とか、例えばそんな答えになっちゃうんですけれど、

 

でもまあ、それも違うんですよね。

 

違うというか、違わないんだけど、言葉が足りないというかな

 

やっぱ、コミュニティじゃないですか?だからコミュニティは何がしかの結束(エンゲージメントという言葉を私はよく使いますが)が無いと、ただたんに、多様ではダメなんです。

 

 一人一人は違うけど、一つになれば、ごらん、無敵さ~♪

 

これは昔のヒーロー戦隊ものの主題歌のパクリだけど、そういう会社にしたいわけ

 

だからですね、色々な人がいて、色々な考え方があって、色々な好き嫌いがあって、それらが議論したり時に衝突し合って、でも助け合って、そういうクリエイティブ集団を目指しているんですよね。

 

一人ひとり違うんですけれど、どこかでつながっている、そんな感じ

 

そうなるとですね

 

やっぱこう、基本としては、いろんな人にいて欲しいんですよとにかく。

 

でもですね、その根底には、何がしかの理由で、結束が必要なんですね。

 

だから・・・採用にあたっては

 

その人が、どんな経験?どんなスキル?どんな性格?そういう事を事前定義するわけではなくて

 

 1)出逢って

 2)「ああ、この人すげ~」ってのが感じられて

 3)採用希望者も「へ~この会社おもしろい」って思ってくれて

 4)「もしかしたら結束出来るかも」ってのが、感じられて

  5)「この人なら、多様性を糧に成長してくれるかも」あるいは「この人の個性なら、うちの社員や私を成長させてくれるかも」ってのが、感じられて

 

って、順番ですよね

 

つまり多様に門戸を開いて、その中の出逢いから、会社が成長していくという事

 

同質性を高めてコンピテンシーを強化していくのではなく、多様性を高めて変質していくことを成長と定義し、オンリーワン企業に成っていく

 

これが私の望みであり、当社の採用方針なので

 

やっぱり本blogのタイトルについてですが

 

「当社が欲しい人財の定義」 は 「よくわかんない」 です

 

 

そんな当社ですが、去年までの活動を纏めてみると

 ・確固たる大企業向け事業が根付き、力強い口座が増え

 ・中小企業向け事業の契約口座数が増え

 ・B2C系の事業が芽吹き

 

何といっても

 ・変化優位を許容してくれる経験者に支えられながら、変化を起してくれる強力な人財が増え、変化成長路線の齋藤のヘボ経営について来てくれる素晴らしい仲間たちと、一年を過ごせた

 

わけで、

 

「よくわかんない」方式の俺の採用も、やっぱ素晴らしいんじゃないかなと、自画自賛出来る2016年でした。

 

さて今年もがんばろう~

 

あ、そんな私ですが、去年、商工会議所さん主宰のこんなセミナーの講師をさせていただきました

 

なぜ中小企業でも人が採用出来るのか~お金をかけない採用の実践講座~

http://www.city.bunkyo.lg.jp/sangyo/chushokigyo/chusho/seminar/saiyo28.html

 

おかげさまで、自分で言うのもアレですが好評でして、当日立見席などもしていただいていた様子です。

 

中小企業の皆さま、共に社員をどんどん採用して、日本の将来を作ってまいりましょう!

 

あ、

 

あけましておめでとうございます

ルールを無くしていく

私の経営におけるポリシーとして、「出来るだけルールを無くしていく」ということに挑戦しています。

 

なんの話かと言うとですね、例えば当社には「出張宿泊時における宿泊費の上限」って、無いんですね。

 

普通の会社には「一律1万円まで」などのルールがあると思うんですが、当社には、無いです。

 

ルールが無いと、どうなるか?

 

 ・社員が好き勝手に高いホテルに泊まり、会社の経費がかさんでいく

 

と、思いますでしょうか?

 

そうなるかも、知れませんね。

 

あるいは

 

 ・真面目に安いホテルを探す社員と、わがままに高いホテルに泊まる社員が発生し、不公平が生じる

 

と、考える人もいるでしょうね。

 

どちらも、経営者としては悲しいお話です。

 

ですので、普通の会社ではルールを作ります。

 

例えば、「宿泊費としては一律1万円を支給します」というルールにする、と

 

【ルールによる思考】
 ・安いホテルに泊まり、残りを小遣いにしても、よし
 ・支給額限界まで利用して、少しでも良いホテルに泊まる
 ・差額を自分で負担して、とても良いホテルに泊まる

 

というような事を、社員が自分で考える。これなら不平等でもないし、不公正でもない・・・・


・・・・という事が、私は好ましくないと、考えるのですね。

 

何が好ましくないかと言うと、折角の「会社の経費、不平等」などに対して、社員が考えるチャンスを、奪っていると思うんですよ。ルールが。

 

【ここ重要】ルールが思考停止を産んでいるわけです。

 

例えばですね、当社で社員が出張することになり、宿泊することになる。

 

社員は宿泊するホテルを探します。宿泊費は経費で落ちるので、「いくらくらいまでの宿泊費なら許されるのかな?」と、社内のルールを捜します。

 

でも、ルールはない。

 

そこで、私や上司に、聞きます。「いくらくらいまでの宿泊費なら許されますかね?」

 

で、私はこう答える

 

【指導による思考喚起】
 ・経費は貴方や同僚の皆さんが一生懸命働いて得た利益を取り崩すものですから、少ないほうが良いですよね
 ・でもあまりにもチープな宿泊場所を選んで、まともに寝れなかったり、現場へのアクセスが悪かったりすれば、仕事のパフォーマンスに影響しますよね
 ・行く地域によってもホテルの金額は様々ですから、よく調べて、旅慣れてもらうのもビジネススキルですね。
 ・ちなみに私(齋藤)は、こういうビジネスホテルをよく使いますよ

 

こんな感じ


私が指導のポイントとして置きたいのは「会社とのエンゲージメント」と「自主性」と「自立的思考」です。

 

先の【ルールによる思考】と【指導による思考喚起】において、「会社とのエンゲージメント」と「自主性」と「自立的思考」のレベルが、大きく違うのが、おわかりいただけますでしょうか?


少なくとも【ルール】の場合、社員が「どうやって自分がお得な状況を作るか」でしか思考していないのに対し、

 

後者はエンゲージメントなどを喚起し自分で考えなければならないというテーマを、与えるわけです。


これが私の、「ルールを無くしていきたい」理由です。

 

わかりますでしょうか?

 

「ルール」って、主に効率化の為の、ノウハウの凝縮だと思うんですよね。

 

すごく簡単に言うと、「ルール(やマニュアル)に従うだけで、誰でも仕事の品質を担保できる」

 

だから優れたノウハウを持った企業には、沢山のルールやマニュアルが存在し、それらが運用され、社員はそれに従い、品質を高めている。

 

まあそれは、良い事です。

 

ただ私は、私の会社では、それをしたくないんですね。

 

なぜならば当社の理念は「社員の成長」だからです。


ルールがないと、すごく困ります。

 

現に、当社に社員はすごく困る。特に中間管理職になると、本当に困る。

 

だって「部下を叱る」よりどころであるところの「ルール」が存在しないから。


例えばある時、社員が出張して、一泊30万円のスイートルームに経費で泊まったとしましょう。

 

普通の会社なら、「それはルール違反だよ」と言って、叱れるでしょうね。

 

でも当社だったら、当該社員に
「え?だって宿泊費の上限とか、そういう決まりないでしょ?だから良いのかと思って」と言われたら、「ルール違反」とは言い返せない。

 

だから上司は、困るわけです(どうやって、叱ろうか・・・)

 

そこで上司は(例えば)こういう事を話さなければならない

 

 ・会社の経費とは何か
 ・そのような(経費を使って自己欲を満たす)レベルで生きず、もっとプライドをもって生きろ
 ・目先の損得よりも、誰かに貢献する喜びを感じられる大人になれ

 

わかりますでしょうか?

 

これ、大変ですよね?

 

ルールさえあれば、上司は「ルール違反だよ」程度の事を言えばいいのですが、ルールがないので、その人の「生き方」や「美学」にまで立ち入って指導をしなければならない

 

大変です


大変だから「成長」するんですよね。だからこれ(ルールを無くしていく)が理念に通じる考え方だと、思っているんです。

 

ちなみに今、私は、当社(株式会社ソノリテ)の、「定年制度」というルールを無くしたいなと考えていて、法的整合性などを検証しながら、検討していこうと思っています。

 

多くの会社に、「定年制度」というルール、ありますよね?

 

これ、「なぜ人は60歳になったら仕事をリタイヤするのか?(リタイヤする必要があるのか?)」を、説明できる人いますか?

 

あるいは「人は60歳(あるいは65歳)になったら、仕事が出来ない」という理由でもいいです。説明出来ますか?

 

すくなくとも私は説明できない。

 

「何歳まで働くか」なんて、自分で決めればいいことだと思うんです。

 

確かに例えば年金や生命保険などの社会インフラは「多くの社会人は60歳でリタイヤする」ということを前提に合理化されてはいますが、それって後付の理由で、本質ではない。

 

だから私は、自分が理解もしていないし説明も出来ない慣習である「定年制度」というルールを、当社から撤廃しようとして、思考中です。

 

もちろん定年に代わる、何がしかの「リタイヤプラン」を作る必要がありますが、それは社員の自律的な選択を喚起するようなものにしたい、少なくとも思考停止を産み出すルールにはしたくないな、と思っています。

 

もっと人に迷惑をかけろ

若いころ、親や先生に

 

「人に迷惑をかける人間になるな」

 

とか

 

「人様に迷惑をかけなければ、何をやっても良い」

 

などと、よく言われませんでしたか?

 

私も、「人に迷惑をかける人間、最低!」と思って生きて来ました。

 

今でも、電車の中で大騒ぎをする人や、道路に平気でゴミを捨てる人は、大嫌いです。

 

本当に、メイワク。迷惑。あーいやだいやだ。不快です。不快!

 


「迷惑をかける」という言葉には、以下の意味があるようです

 

 ・その行為によって、他の人が不利益を受ける

 ・その行為によって、他の人が不快を感じる


つまり、「不利益/不快」を産み出すということですね。

 

道路に平気でゴミを捨てたり、不適切な場所で喫煙したりする人は、私に不快感情を与えます。つまり迷惑です。だから、嫌い。

 

あと例えば、私達のビジネスに悪影響を与える人がいたとしますね。そうすると私は、その人から不利益を蒙りますから、つまり迷惑ですね。


「人に迷惑をかける人間になるな」


を、言い換えると

 

「人に不快感情や不利益を与える人間になるな」

 

と、いう事でしょう

 

まあ、その通りかな・・・


その通り・・・


その通りかな・・・という点について、アマノジャクな私は、最近こんなことを考えるのですよね

 

 「人に迷惑をかけるな」と、言われて育っているうちに、

 

 「人に頼るな/人に助けを求めるな」と、言われているように思い、

 

  それを追及するうちに、まるで

 

 「人に頼るのは全部悪!」と


 なんか、そんな風になってやしませんかね・・・そんな気がするんです。

 


人に何かを頼むのは、いろいろと、大変ですよね。

 

 ・買い物行ってきて

 ・背中かいて

 ・どいて

 ・静かにして

 ・ちゃんとお風呂に入って


みんな、頼むの、大変です

 

頼むと、嫌な顔をされるかも知れません。見返りも、必要ですね。

 

相手の感情と、お付き合いをしなければいけない


だからですね、相手に嫌な感情を持ってもらいたくないから、頭のいい人は、全部自分でやるんです。自分でやってしまう。

 

 買い物だって自分で行くし、

 背中がカユければ孫の手を買ってくる。

 どいて欲しくても自分の方が移動するし、

 静かにしてもらいたいけど我慢して耳栓をする。

 ちゃんとお風呂に入って欲しいけど、これ言ったら嫌な顔するだろうから、こっちが匂いを我慢して一日過ごすのが正解だ・・・


そうなんですかね?

 

そんな調子で、良いんでしょうか?

 

これっていわゆる、「傷付け合わない事だけを保障しあっている楽な関係」なだけで、

 

これ、本当にいいのでしょうか?

 

最近、本当にコレ、思うんです。

 

この

 「人に迷惑をかけるな」

が、

 「傷付け合わない事だけを保障しあっている楽な関係」

を、作り過ぎてはいないだろうか?


極端に大袈裟に言うと、これってもしかして人間の関係性の稀薄を産む原因だったりして、それが高じて自意識の低さや承認欲求の渇望を産み出してやしないかとすら思うのですが・・・


少なからずこの、「傷付け合わない事だけを保障しあっている楽な関係」からは


 ・何の助け合いも生まれないし

 ・何の議論も生まれないし

 ・何の変化も起きない


ような気がして、ならんのですよね・・・


なんででしょう?

 

いつからこんな風になっちゃったんでしょうかね?

 

私、いっつも気持ち悪いんですけれど


例えば社内の会議で、5人、いるとしますね

 

Aさんが、「商品Zを作りました」

Bさん「いいね!」

Cさん「いいね!」

Dさん「いいね!」

Eさん(えーぜんぜん良いと思わない。少なくともココ直した方が良い。あーでもみんないいね!って言っているし、ここは空気壊さないように、私は黙っておこう・・・)


これ、全然ダメな会議じゃないですか?

 

でもけっこうこれ、組織の中で起こりがちなことで、


ほんとうに気持ち悪い!


   ほ ん と う に 気 持 ち 悪 い !!


もうね

 

もっとこう、迷惑をかけあうべきだと思うんですよ。少なくとも、クリエイティブならば。


 迷惑もかけるし、

 人も傷つけるし、

 助けられたら、全力で有難う、言うし

 自分も全力で、助けるし

 傷つけられても、そこから何かを得て、リベンジしながら、成長する
 (むしろ傷つけてくれた人に、感謝!)


そういう事が、なんというかワリとこう・・・

 

 「人に迷惑をかけるな」

 

と、育てられた人には、課題となってしまい、


例えば何か議論すべき場がササクレ立つと、そのササクレからの熱で何かが産み出される、その産み出される前に、熱をさまさせてしまったり・・・


そうじゃない


もっと迷惑をかけあわないと


もっともっと、仲間に迷惑をかけて、自分を主張して、でも助けて、その輪を質の高いものにしていかないと、成長はない


だから私はおもうんですね。迷惑をかけましょう。迷惑をかけあいましょう。と

 

私の会社株式会社ソノリテには、いろいろな人がいます。尖がっている人もいるし、優しい人もいます。

 

その色々な人の中に、けっこう「人に迷惑をかけるな!」と考えて生きてきた人がいて、それは素晴らしい事なんですけれど、前述のような課題もあるな・・・と

 

どうでしょうかね?賛同していただけますでしょうか?

 

だから私は会社のなかで、言い続けようと思っています。

 

 「もっと人に迷惑をかけろ」

 

もちろん、会社の中で、ゴミをポイ捨てしてもいいよって事ではないですよ。

遠慮/ディスカッション/怒っている話

  • 今、ここは会社で、同僚が10人ほどいる
  • 会社の退勤時間になろうとしていて、皆帰り支度をしている。
  • 常連のお客様から急な電話が来て、明日の朝までに(そうだなぁ…例えば)「恰好のいい男性の絵」を描いて、納品してほしいと、頼まれた。
  • この「絵を描く仕事」という事を、この会社では誰もやったことがない。ですが「どうしても御社でやってくれ!」と常連のお客様が言っています。

 

さて、アナタは、お客様からの電話を受けた人です。

 

電話を受けてしまったからには、誰かにこの仕事を振らないといけません。


どうしますか?


答え1)

「申し訳ありませんが当社はもう終業時刻が近くなっておりまして、また、そのようなお仕事をお受けしたことは前例がなく、このお仕事をお受けすることはできません」


まあこれも、答えですね。

 

どのような仕事をしているかにもよりますが、この答えでは、あまり優れたサービス業の姿勢とは言えないかも知れないですね。

 

このお客さま常連です。この会社が何時が定時かくらい、だいたい知っているでしょう。「絵を描く仕事をしていない」という事も知っているでしょう。

 

その常連のお客様が、急に電話をかけてきたのですから、ちゃんとお話を聞いて、解決してあげようと考えるのが、まあ、優れたサービス業の姿と言っていいでしょうね。

 

アナタが答え1)のような回答をしたことで、この常連は会社を嫌いになるかも知れませんね。

 


答え2)

 (皆、帰りたいだろうから、私がお話を聞いて、私が出来る事だったらやろう。私が出来ない事だったら、丁重に謝ろう)


こういう人、けっこう、居ますね

 

なんとなく、他の社員想いの、やさしい社員なんじゃないですかね。アナタは。

 

でもこれ、正解なんでしょうかね?

 

アナタは、八方美人に成りたいだけで、お客様のことなんてちっとも考えてはいないですね。

 

だってアナタには出来ない事でも、今まさに帰ろうとしている社員Aさんだったら、簡単に出来るお仕事かも知れないのですからね。

 

アナタは、他の社員から嫌われることを恐れているだけで、他の社員達に遠慮して、お客様の事なんて、ちっとも考えていないのかも知れません。

 

こういう会社は、社内は仲が良くて居心地が良いのかも知れませんが、競合他社には負けてしまいますよね。

 

だって社員が総力で戦っていませんからね。電話を受けたアナタが出来る範囲のサービスしか提供しないわけですから。

 


答え3)

  • アナタ「みんなちょっと待って!常連のお客様から”恰好のいい男性の絵を描いて、納品してほしい”っていうご依頼です!」
  • アナタ「だれかこの件を対応してくれる人、いませんか!?」
  • Aさん「あ、なら僕がやりますよ。ぼく今日アフター5の予定ないですし。絵も描いてみたかったんです。みなさん帰ってください。僕やっときます。」
  • アナタ「わかりました。お願いしますね」


さてこれどうでしょう?

 

とりあえずアナタの第一声は、すこし進歩しました。「情報の共有」を行いましたね。

 

しかしその後、「意思決定」をする段階において、またもアナタは「顧客無視」を行いました。意識の高い社員の挙手に頼って、お客様に最適なサービスを提供出来る人財の選択をする行為をサボったわけですからね。

 

結局こういう会社も、社内における「挙手」だけがディシジョンメイキングの観点でしかなく、挙手した人財の能力だけがサービスの規定になってしまうので、答え2)とあまり状況は変わらず、アナタの会社は競合他社に負けてしまうでしょう。

 


答え4)

  • アナタ「みんなちょっと待って!(以下同文)」
  • アナタ「恰好のいい男性の絵 を描くのが得意な人、いませんか??」
  • Aさん「やってみたいけど、描いたことはないです」
  • Bさん「私、得意ですよ」
  • Cさん「みなさんがお得意なら、私はたいした絵は描けませんので」
  • Dさん「一口にカッコイイといっても色々価値判断があるじゃないか、そんなもの、わからないよ」
  • アナタ「じゃあ、Bさん。お願いします」


さて、また少し進化しました。

 

ですがまあ、「意思決定」においては、まだまだ問題がありそうですね。わかりますで
しょうか。

 

これは意思決定の怠慢です。ですがこのような意思決定の怠慢は多くの仕事の局面で沢山行われているように思います。

 

何が怠慢かといえば・・・

 

この辺りから言語化するのはなかなか難しい話になってきますが、私だったらという
話をしますね。私だったら、この段階

  • Aさん「やってみたいけど、描いたことはないです」
  • Bさん「私、得意ですよ」
  • Cさん「みなさんがお得意なら、私はたいした絵は描けませんので」
  • Dさん「一口にカッコイイといっても色々価値判断があるじゃないか、そんなもの、わからないよ」

というヒアリングをした段階ですと、少なくとも、

 

 「だれにお願いするべきか、わからない」

 

というのが、答えのハズだ、と、思うわけです。

 

ここでいう、「だれに(お願いすべきか)」の、「だれに」は、オフィスに残っている10人のうち、発言しているABCDさん以外の人達も含みます・・・

 

ヒントはCさんの発言ですかね

 

 「みなさんがお得意なら、私はたいした絵は描けませんので」


これも、日本人の美徳 「遠慮」 ですよね。

 

■回答のまとめ

 

私が今回のblogでお話ししたかったテーマは、「遠慮」です。

 

「遠慮」という日本人の美徳は、ビジネスのチームワークにおいてとても難しいテーマ
だと、私は常々感じています。

 

私達は例題のように、ビジネスのさまざまな局面で、「メンバーを選ぶ」という意思決定をしなければなりません。

 

その「メンバーを選ぶ」という意思決定を、「遠慮」は邪魔をします。

 

遠慮は往々にして、目の前の相手に対し、「慮(おもんばかる)」という事をします。つまり日本人は、目の前の相手を「不快な気持ちにさせない」という事に長けており、

 

かつこの「目の前の相手を不快な気持ちにさせない」という概念は、「社内(社員同士)」と「社外(お客様)」というコミュニケーションにおいて、近しい、目の前の存在(つまり社員同士)との関係性やルールを優先してしまい、

 

ディスカッションをすることをせず、社内に「馴れ合い」の状態を作り、結果としてお客様(通り存在)に、最適なサービスを提供することを拒むからです。

 

一般的にこのような企業は変化に弱いのではないかと思います。


強い会社、変化に強い会社、協創を行う会社に必要なのは「ディスカッション」です。

 

例の話に戻しますと

答え1)~4)どの答えをみても、「ディスカッション」に至っていません。

 

この事例では

  • 明日の朝まで、火急のお話
  • お得意様からのお話なのでマストウィン
  • 要求事項が曖昧(カッコイイとは何か)
  • 自社や社員に実績のない仕事(誰がスキラーか不明)

 

ざっと考えても、これぐらい難易度のある仕事、です。

 

こういった課題に対して、ベストソリューションを提供するには、「ディスカッション」が必須だと思います。

 

「ディスカッション」をすることを「遠慮」しているから、答え1)~4)のような、「顧客無視の思考停止の意思決定」をしがちなのではないかと、思う所があります。

 

「ディスカッション」は、主張、尊重、統合などの必要がありますよね。もしかしたら感情の機微に対する感受性の高い日本人は得意ではないのかも知れない・・・

 

私は


会社の中で。「ディスカッション」が出来ていない、皆が遠慮し合って、怠惰で妥協だらけの付き合いをしているのを見ると


   ***めっちゃ怒ります***


怒ることを、遠慮しません


この「怒る」っていうマネジメントは、基本的にあまり高級な物ではないかも知れないと、自分でも思うんですけどね・・・

 

 


思うんですけど・・・

 

 


効くんですよねwww

 

 

 

もうね・・・ほんと・・・効く

 

 


私の「怒り」がなくても、皆が心地よく遠慮なく「ディスカッション」出来るわが社に、早くならないかな~と思いながら、毎日のようにオデコに血管を浮かべて、怒ってます。

 

なんなんでしょうね?

 

皆さん、ちゃんとディスカッション出来る能力を、お持ちなんですよ。うちの社員って、ほんと凄い力を持っている人、ばっかりなんです

 

でもね、ちょっとほっておくと、ディスカッションを「遠慮」する人、多いです。

 

それでも、ちょっと自慢ですが、うちの会社って他の会社に比べたら、「すごく意見の出し合いが出来ている会社」なんだと思います。けっこう褒められますからね。

 

でもですね、もっともっと!

 

もっともっと!私の理想と思える「ディスカッション出来る」会社になるまで、私は怒り続けます!!

弱い人間たちの為に何をするのか

人間は弱い。

 

会社の社長をやっていると、本当にそれを感じる。

 

「人間は弱い。弱いから、理解できない人を、恐がり、恐い相手を嫌い、嫌いといい遠ざける。」

 

特に若い人は弱い。

 

  **弱いから、すぐ人を嫌う。**


人を嫌う事で、自分が傷つくことから逃げる。


逃げ、弱いままでいる。


弱いままでいるから、嫌いな人が、増える・・・

 

 

本当は、強くなって欲しい


強い人は、もっともっと、強くなってほしい

 

強い人だらけになれば、傷付け合いながらも、お互いを理解し合い、また、強くなれる。

 

嫌いあう状況が生まれず、お互いの強みを尊重しあえる

 

尊重し合う事で、お互いに器が大きくなり、そしてまた、強くなれる

 

それが多様性が統合された組織、なのだと思う。

 

あるいは、その拡大が、民度の高い、成熟した、平和な社会。 

 

 

当社も多様性組織を目指している

 

まだ外国籍の社員は数名だが、留学経験や外国生活の長い社員は、少し増えてきた。

 

LGBTについてもオープンだし、出来る限りのフリーを実行している。

 

でも、やはり

 人間の弱さに直面する

 

弱さゆえに人を嫌い、同質性の殻に閉じこもり、成長機会に背を向ける

 

残念、挫折

 

「社員の成長」を経営理念に据えた会社、株式会社ソノリテの代表として、挫折も多い、です。


ほんと、もう、「ニッポン人、どげんかせんといかん!!」です

 

・・・強くなってほしい

 

 


でもですね


弱さ、も、また、価値です


多様性の中に、弱さのインテグレーションも、必要 と私は思っています。


前提としているロジックとして、前述したとおり

 

「人間は弱い。弱いから、理解できない人を、恐がり、恐い相手を嫌い、嫌いといい遠ざける。」


ですから、つまり

「理解できない」という問題を、内包しています

 

 

したがって私は、株式会社ソノリテの「多様性組織化」に向けては

 

 ・社員に強くなってほしい

 

と、願望する事だけでなく

 

 ・お互いを(自分と価値観の違う人を)理解して欲しい

 

という事において、積極的に何か働きかけようと、思っています


理解とは、情報を知る、ということだけではなく、悟るとか、和解する、とか、尊重する、ということを、含み、意味します

 

会社が提供するサムシングで、社員が「今まで理解できなかった人を、理解できるようになった」という経験を好感情と共に成功体験として経験出来れば、

 

それはきっと将来、「社員が強くなる」という順回転に、結び付いていくのではないかな?

 

そう、思うんですね


私が代表を務める株式会社ソノリテは、今、50人の壁を乗り越えようと、四苦八苦しております。

 

多様性組織にならず、小さな同質性コミュニティが多在するだけの、弱い組織であるという原状。

 

そしてそれを打破できていないという問題を抱えていると、私は思っております。

 

それを打破するためには、社員に「強くなってくれ」と念仏を唱えるのではなく、

「理解し合う経験を積ませるためのサムシング」に投資していこうと、私は考え始めています。

 

そのキーワードは、つまりそれは情緒の育成であり、結局はメディアなんじゃないかな・・・

 

当社はICTによる社内コミュニケーションを活性化することに、特化したテクノロジーの会社なんですが、

 

コミュニケーションでは情緒の醸成は、なかなかに、難しく、

 

やはり次に、会社を成長させるのは、エンゲージメント、そのエンゲージメントの基礎となる情緒は、ブランドとかカリスマという言葉で定義が曖昧化された、エンターテイメント的な意味合いを強めたメディア生成能力なのではないかな・・・

 

つまりコミュニケーション活性化能力やメディア製造能力は、やはり中小企業改革の武器なんですよね・・・

 

あれ?

 

脱線したかな?

 

まあいいや、脱線でも、まあ、最近考えている事でした。ほんともう、ニッポン人どげんかせんといかんです。おわり

 

 

あ、おまけ

president.jp

ALSアイスバケツチャレンジと不謹慎狩り

株式会社ソノリテの記者、ピーターメロス君と、定期対談をしています。

 

先日は、「不謹慎狩り」というテーマについて、お話をしました。

peter-melos.com

 

私が「不謹慎狩り」という風潮について考えている事は、そちらの記事をぜひお読みいただいて、

 

今日は、私の不謹慎な話をします。

 

今さらですが、また「ALSアイスバケツチャレンジ」をやりました。3回目、です。


一回目(2014年8月22日)は、こちら

www.youtube.com


これはまさに、2014年の「ALSアイスバケツチャレンジ」ブームの時に行ったものなのですが、

 

テーマとして「セレブぶってかっこつけて話そうとする前に皆に水をかけられちゃう」という感じで、行いました。

 

なんでそんな風に行いたかったかと言うと、セレブぶりたかったわけですよ。私、本当は。

 

ネット上のノリのいいセレブと、友達っぽいところを見せたかったわけです。ダサいですね。

 

だからそんなダサイ私の感性を、皆さんに笑ってもらうくらいが身の丈にあって良いかなぁと、そんなくらいがダサカッコイイかなぁと思って、そうしました。

 


二回目(2015年1月30日)は、こちら

www.youtube.com

 

これはですね、そのシーズンの冬に、雪が降りましたので、その中でやりました。

 

このテーマはですね、

 

「ALSアイスバケツチャレンジやったセレブって、あれ夏だからやってたんだよな。冬にやる根性ねえよな」

 

とか、

 

「ああいったブームってのは病気のことを何も知らない浮かれた連中が売名行為のためにやって、ブームが過ぎたらもうやらねえんだよな」

 

っていう、不謹慎狩り達へのアンチとして、

 

ブームが去った後にもまだALSバケツやっているヤツがいるよ。バカだね。と、言われたくて、やりました。

 

 


そして今回は、三回目(2016年5月12日)

 

三回目はこれです。

www.youtube.com

 

これは、どういった趣旨で行ったかというと、それは是非youtubeを見てもらいたいのですが、

 

ようするにALSという病気に対していまだ差別的な排除行為が、よりにもよって厚生労働委員会において行われてしまったという事実に対し、

(というか本当は、岡部 宏生さんかっけえな! って思ったからなんですけどね)

 

俺は氷水をかぶった。わけです。

 

そしてこれはですね、ある一つの誰かさんのTweetがキッカケでして、そのTweetは偶然見かけたものなんですけれど、


それは、たしかこんなことが書いてあった

 

「(厚生労働委員会ALS患者に対して行った差別に対し)数年前にALS氷バケツチャレンジやった連中にもしっかりと反省してもらいたいもんだぜ!」

 

ああ出たわ不謹慎狩り

 

そうなるとですね、こういう不謹慎狩り的発言を見つけちゃうとですね。俺は思うんですよね。

 

 「何かやろう」「この不謹慎狩り君が出来ないことをやろう」

  出来れば俺らしく、もちろん良い事を。

 

そういう事、です。


今回映像を撮ってくれた当社の

 

 映画監督山下君

 英訳など手伝ってくれたマーケティング櫛島君

 盛り上げてくれたソノリテ公式アカウントその子さん

 同じく盛り上げてくれたわがままーと店長

 

どうもありがとう。また何かの機会にやるんで、よろしく。

 

なんかこうなるともう、俺の芸風みたいにしようかな。氷バケツ


次回ですが(ALSアイスバケツチャレンジに次回もクソもないですが)

折角なので神田明神の 寒中禊(かんちゅうみそぎ)なんかに挑戦しようかな?って、思ってます

www.youtube.com

 

 

趣旨代わってますねwww