「尊敬する人は?」と聞かれて困っていた

そういえば、子供のころから

 

何かと「尊敬する人は?」と、聞かれてきた気がしませんか?

 

子供のころから、というより、子供のころに、特に。

 

自己紹介をするとき、入試などの面接とか、そういう局面で。

 

まるであたりまえのように聞かれてきた気がします「尊敬する人」を。

 

今、私は会社の代表なので

 

面接というと、面接官の方をよくやるんですが

 

まあ、あまり堅苦しい面接みたいなのをしたくないんで、入社希望者には「雑談しようよ」と、もちかけることが多いので

 

私の方から「尊敬する人は?」みたいな質問はしないんですけど、

 

それでも、「私はXXを尊敬していて~」などと話してくれる人がいて

 

ああ、そうなんだね

 

ある日、面接した人は

 

「私は父を尊敬していて…」

「父は〇〇という仕事をしていて…」

「〇〇という仕事にはこんな苦労があって…」

「そんな父を私は誇りに思うんです…」

 

みたいな話をしてくれて

 

うん

 

すごい。好感度高いですね。その話。

 

うーん

 

私はどちらかというと、アナタのお父さんの話じゃなくて、アナタの話を聞きたいのだが

 

まあ…あなたがそれを話したいなら…それで…いいけども…

 

 

振り返ると

 

私も子供のころから「尊敬する人は」と、よく聞かれたような気がします。

 

そして毎回、困っていた気がします。

 

「尊敬する人」ね…

 

(私に、そんな人、居るかな…)

 

私はそもそも、あまり人に依存するタイプじゃ無いんですよね

 

だから「面接などでは、尊敬する人の話をすると良い」とか言われても、「じゃあ面接用に、尊敬する人の話でも、考えるかな」というような感じで

 

なんとなく、毎回、適当と思われる「尊敬する人」を考えて、そんな話をしていたような…

 

いや、まあ、「好きな人」とか「すげえなぁと思う人」とかは、居るんですよ確かに。

 

でもですね、まあ、別に尊敬はしていないかなぁ

 

私の人生に影響を与えた人っていうのも、いまして

 

そういう人との出会いや、学びやらを、すごく尊いものだとは、本当に思っているんですけれど

 

だからといって、その人を尊敬しているかというと…

 

つまり「尊敬」っていう言葉の解釈にもよるのかも知れないですけれど

 

なんというか「尊敬」というと、敬語と言うのか、敬う(うやまう)感じというのか

 

それは私には、正直、ないなぁ

 

「すげえ好き!」とか「あの人最高!!」とか「うひゃーあの人には適わないわ!!」とかそういう感想を持つことはあっても

 

尊敬は、正直、とくにないです。

 

だから毎回、思うんです

 

「誰かを尊敬してなきゃダメなの?」って

 

それって

 

やはり精神的な依存の状態なんじゃないか?みたいな気もする

 

私はおそらく、それが出来ない

 

私は「尊敬」という態度で、誰かに依存すること が 出来ない

 

出来ない というより 好きじゃない

 

という感じかな?

 

私は、好きじゃない

 

私は、誰にも、依存しない

 

敬意は払うことがあっても、心底尊敬するというような、人に依存する感性は持ち合わせていない

 

のです

 

だからですね

 

小さな子供のころから、「尊敬する人の存在」を、定義させようとする日本の社会が

 

あまり合わない

 

 

まあ、あえて言うなら

 

私がもし、日本の学校教育に影響力をもつ存在になったとするなら

 

さいころから、「尊敬する人は?」と、子供に聞くようなことは、辞めさせたい

 

それよりも

 

「尊敬される人になれよ」とは、言いたいですね

 

 

尊敬する人は誰ですか? と 聞くより 尊敬される人になろうね と、言いたいです

 

 

おしまい