マンションデータ偽装問題とシステム開発の類似性

横浜市の大型マンションが、基礎の杭が地盤に到達しておらず、傾いてしまった問題。

 

かつその建築の工程において、杭打ちのデータを偽装していたという問題。

 

さらにその後、セメント注入量や、他の建築においても類似の偽装が行われていた問題。

 

さらにそのマンションのデベロッパーや施工業者が、名だたる大企業であったという問題。


今も同マンション、あるいは類似の問題で苦しんでいらっしゃる方々の心痛を考えると、本当に罪深い問題だと感じます。

 

私はIT企業の社長ですが、この事件に感じますのは、組織とは、あるいは人間とは、「あっさりとこのような悪事をやってしまう」可能性のある、恐ろしい物であり、

 

仕事とは、これも一歩間違えると、このような不誠実な事を、集団でやってしまう可能性があるという事実から、目をそむけることは出来ない。という事です。

 

この「事件」がなぜ起きてしまったのか、その動機的原因について、様々な論客が持論を展開されていらっしゃいますが、

 

その中で三つ、気になる物が有ったので、ご紹介いたします。


その1)マンションの青田売り問題

新築マンションは通常、施工工事が完成する前に各部屋を売り出し、購入してもらう、いわゆる「青田売り」が行われる

・したがってマンションはマンションが完成する前に、売り上げが確定する

・そうなるとマンション施工中に発生した問題(例えば思ったより地盤が緩かった、など)をあとから追加費用を発生させ、対処し、それをマンション売価に上乗せすることが難しい

・マンション事業は通常5%程度の薄利で行わているので、利益の取り崩しも難しい


その2)設計と施工が同一

・日本の新築マンション建設の場合、設計業者と施工業者が同一である場合が多い

・したがって設計者が施工を、施工者が設計を、厳しい目で監視し合うような構造にならない


その3)1981年の新耐震基準

・1981年に建築基準法が改正され、同年以後に建てられる建物に関する耐震基準が大きく変更された(厳しくなった)

・ところがこの新耐震基準は、それ以前に建てられた建物については「おとがめなし」だった為、街には「緩い耐震基準の建物が溢れているのに、新しい建物は厳しい基準で建てなければならない」という状況になった

・かつその後1990年代に入り不況となって、建築業界の価格競争は激化した

・そういった背景によって、業界に「ごまかし」文化が生まれた

 

これら3点は、勿論許される話ではありませんが、経緯としてそれぞれにうなずける、動機的原因だと思います。

 

これらについて、

 

このブログのタイトルを「マンションデータ偽装問題とシステム開発の類似性」と記したように、

私がもう30年余り努めてまいりました、システム開発の業界と、悪い意味で類似しているのだなあという感想を、衝撃的に、持ちました。

 

大規模システム開発の世界では、有名な「動かないコンピューター」系の事例をひも解くまでもなく、よく「8割がたが失敗プロジェクトだ」というような言われ方をします。

 

プロジェクトの評価は、よく3点(品質/納期/コスト)であると言われます。

 

システム開発において、たとえ大規模な事故や、不具合などが、なかったとしても、

 

 ・予定の品質に達しなかったり、機能実装が不十分になってしまった
 ・予定の工期で終わらなかった
 ・予算をオーバーした

 

これらのどれかが該当すれば、そのシステム開発プロジェクトは「失敗」だと評価するとしたら、

 

システム開発の世界は、8割が失敗・・・と言われても、あながち外れてはいないだろうと、私は感じます(8割よりもっと多いかもしれないとも思います)

 

で、なぜ私は、マンションデータ偽装の問題に衝撃を感じたかと言うと


実は私は、今まで、なんとなく

 

 ・建築業界はシステム業界に比べ、はるかに失敗が少ない

 

と、考えていて

そしてその理由の根源は

 

 ・システム開発業界は、建築業界に比べて、「枯れていない」ので、見積制度が低いから

 

だと、考えていたのですね

 

でも、今回のマンションデータ偽装の問題の同期的原因が、本当に上記3点のようなものであるなら、私の認識はある意味、間違っていたと言っていい。

 

「なんだ。システム開発業界と建築業界は、本質的に変わりはないのか・・・」

 

と、極めて残念な感想をもってしまった。という事なのです。

 

特に「その1」の青田売り問題については、システム開発業界では「請負い問題」という事と置き換えられます。

私はずっと、IT業界では請負いを出来るだけ避けるべきだ(お客様にとっても)と考えていますし、似たような持論をお持ちの業界人は多くおります。

 

fixed price契約でプロジェクト進行すると、発注者も受注者も幸せになれない。

 この話に簡単な解決案や持論を提示するほど、私は悟れた何かを持ち合わせておりませんが

 

この罪深き問題に対し、むしろ我々システム開発業界人は、ちょっと不感症になるほど慢性的に「ごまかし」文化に浸っているのではないかと、一IT企業代表として、震えるほどの恐怖を感じました。

 

本当に組織とは、あるいは人間とは、集団となると「あっさりとこのような悪事をやってしまう」物であり、

仕事とは、一歩間違えると、このような不誠実に不感症になってしまう、可能性がある。

 

その事実から、私は、一企業の代表として、目をそむけるわけには、いかない。

 

私が「枯れている」と考えていた建築業界ですら、「基礎の杭のデーターをごまかす」といった文化に成りえるのですから、

 

いわんや私たちシステム開発業界の人間たちは、どのレベルから自分たちのコンプライアンスや基本動作、もっと言えばプライドを、考え直し、立ち向かっていかなければならないのか

 

このニュースに触れて私は、システム業界の深部のテーマを、自責的に強く感じています

やってみたら出来るかもしれないじゃん

適する例が、あまり汎用的な物が思いつかず・・・ややわかり辛いかも知れず申し訳ないのですが、私が大学生の時にやっていたスポーツの話をしたいのですが


私が学生時代ですので・・・もう30年近く前の話ではあるのですが、


「パワーリフティング」というスポーツをやっていました

 

「パワーリフティング」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%95%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0

 

それでですね、まあ詳細は良いとして、パワーリフティングは、三種類のルールでバーベルを持ち上げる協議でして、その重量を争う競技なわけです。

 

で、私が学生の頃は

 

 ・ベンチプレスで、体重の 2倍
 ・スクワットで、 体重の 2.5倍
 ・デッドリフトで、体重の 3倍

 

くらい挙上できるようになると、まあ、試合に出れるかな・・・というような感覚でした。

 

で、ここで言いたいのは、デッドリフトという競技の話なんですが、これは、床に置いてあるバーベルを両手で持って、腰のあたりまで持ち上げる・・・という競技でして、その話なんですが
(競技のイメージがわかない方は、どうぞネットで動画を検索なさってください)

 

私はパワーリフティングの競技者であったころ、体重が60kgでした(今よりか~なり痩せていました)

 

ですので、デッドリフトでは、体重の3倍、180kgくらい持ち上げないと、試合に出れません。実際、それぐらい挙上していました。

 

で、私が問題にしたいのは、「握力」なんですけれども

 

私、当時、右手の握力が60kgくらいでした。左手はたぶん55kgくらいかな

 

両方足すと、115kg ですよね

 

両手を足して115kgの握力の人が、180kgのバーベルを、持っている事が出来るのか?というお話なんですけれど

 

   ・・・これ不思議じゃないですか?

 

私は実際、両手合わせて115kgしか握力が無いのに、180kgのバーベルを、引っ張り上げていたんです。
(ちなみにパワーリフティング競技では、挙上して3秒間は静止していないといけないので、一瞬だけ力が出ればいい、というわけではない)

 

これ、なぜ、出来るんですかね?

 

まあ、とうぜん理由はあるのでしょうが・・・

 

 

こんな変な例を出したのは、ですね

 

「頭で考えたら出来そうにないのですが、やってみたら出来た」

 

なんてことが、沢山あるよね、っていう話をしたいんです


デットリフトをやれと言われたときに、デッドリフトに関与する筋肉の中で一番小さく、かつ関節的にテコの原理が働いてしまう「握力」が、この競技のボトルネックになるのは明らかで

 

その握力の合計がどうしたって影響する。それがバーベルの重さを越えない限り、バーベルが浮く前に手が外れてしまう、はず

 

そう、頭では、考えられる


でも実際は、そうでは ない。


そうではないんです。

 

持ち上がるんです。180kgのバーベルは。

 


やってみれば、出来るんです

(もちろん鍛えていない素人でも出来ると言う意味ではないです)

 


こういう事って、実は

 

ビジネスの世界での意思決定でも、けっこう行われているのではないでしょうか?

 

今日はそれが言いたい

 


 ・当社は人数10名の企業だから、人数1,000名の企業に勝てるわけがない

 ・新人なんだから、誰かに教えてもらわないと、仕事が出来るわけがない

 ・システムの会社が、アニメ映画なんて作れるワケがない

 


たとえば、そんな感じ、そんな風に「頭で考えれば、出来ない」

 

「出来ない、出来ない、出来ない、どう考えたって、出来ない!」

 

何を聞いても、けっこう「出来ない」っていう人は、多いです。

 


でも、やってみなければ・・・

 


やっていない人が、何を言った所で、私は信じないです。

 

ハッキリ言います。信じない。

 

 ■座学耳学で、偉そうに説教吹いている人を、私は信じない

 

 ■「できないできない」と、理論武装して自分から何も行動しない人を、私は信じない

 

 


A「出来ません」

私「やってみたのか?」

A「やってみました」

私「とことん、やってみたのか?」

A「自分なりに考えて、やれることはやりました」

私「じゃあ、お前がやってみたアイデア以外のアイデアを、オレが思いついたら
  100円くれ。さあ、今までお前が何をやって来たのか、言ってくれ」

A「・・・もうちょっと時間を下さい。まだ何か出来るか考えます」

 


まあ、大抵、こんな会話をしていたりしますね・・・

 

 

私は、自慢じゃないですが、バカです。

 

これは、本当です


で、社員の皆さんは、大抵私より、頭が良いです。ホントみんな、頭が良い。

 

頭が良い人は、防衛本能が強いです。防衛のために脳を利用します。

 

したがって未曽有のテーマに対して、「頭で考えて、出来ない」という結論を出したがります。

 

人間とは変化や成長を深層心理で「恐怖」と捉えますので、当然の事です


ですので「頭の良い人」が成長するためには、自分の常識や脊髄反射を破壊してくれる環境を必要とします。

 

そうでなければ頭の良い人は、色々な理由をつけて楽な生き方を選び、成長をしようとしない本能に忠実に生きるからです。


ですので私は、頭の良い人に対してバカでいるべしだと、考えています。

 

それが、当社の理念である「社員の成長」に結び付くからです

 


バカである私は、社内でこう言い続けます

 

 「そんなの、やってみないとわからないじゃん」

 「やってみたら出来るかもしれないじゃん」


そして私の周りの皆さんは、私に振り回され、頭で考えたら出来なかったことが、出来てしまうという成功体験をしていく、というのが、私の理想です

 

 


傲岸不遜

 

バカで傲慢な私の発言が、社員の皆さんの成長に結びつくことを、日々祈っています

話せないこと

私は会社を経営している、社長です。

 

そして、自社を

 

 「透明性の高い会社にしたい」

 「風通しの良い会社にしたい」

 

と、思っています。

 

そう、思うのですが

 

なかなか、そうもいかない

 


良いことは、共有したい。成功した体験を、皆で、分かち合いたい。もちろんです。

 

では、悪いことは、どうか?

 

会社を経営していて経験する「悪いこと」には、どうやら3種類くらい、あるんじゃないかと、思います。


1)事業推進上の悪いこと
 製品トラブルが発生した。不完全な商品が出来た。やるべきテストが出来ていなかった、など

2)組織推進上の悪いこと

 誰かが不法行為を行った。誰かが病気になった。誰かと誰かが組織内でイザコザを起こした、など

3)経営推進上の悪いこと

  赤字になった。裁判になった。格付けが下がった。など


で、この3点ですが、

 

おそらくこの3点それぞれにおいて、「透明、風通し」という考え方をどうするかが、変わってくるんじゃないかなと思うんですね。


まず「1)事業推進上の悪いこと」ですが、これはもう誰が考えても、すぐに共有し、全員総力戦で対処したり、反省から何かを産み出す努力をするべきですよね

 

何か事業をやっていて、トラブルが発生したら、それらを隠ぺいしようとせず明るみに
出し、対処するのが成熟した企業のあるべき姿です。これはもう、当たり前。

 

「くさいものにフタ」を、しない

 

最近のニュースで言うと、例えば自動車会社の検査不正や、マンション施工会社のデーター改ざんなど、それら企業の信頼は一気に失われます。

 

仕事とは人間が行うモノです。仕事にミスは許されませんが、かといって仕事は人間が行うものなのですから、人間が行う限り「100%失敗しない」と考えるのは奢りです。

 

が、しかし

 

厳罰主義、競争社会の中で会社を経営していれば、「ミスを隠したい」と考えてしまう人間の弱さが有ります。

 

この弱さに如何に向き合って、風通しのよい情報共有環境と改善社風を創っていくかが、高品質な事業を創っていくうえで不可欠だと、私は考えます。

 

だから「1)事業推進上の悪いこと」については、徹底的に風通しの良い会社にしたいなぁと、思います。

 


では次に「2)組織推進上の悪いこと」ですが、ここでは「個人」という問題が出てきます。

 

会社は個人の集団です。個人の集団である以上、様々な「個人情報」を取り扱います。

 

そしてそれぞれの個人が抱えている事情は様々で、その様々な事情の中には「不特定多数の人に知られたくない事実」をたくさん含みます。

 

が、しかし会社は、それら個人情報に深入りしないと様々な問題に対処できないという場面があり、したがって会社は、その個人情報を公開しないという前提の中で、それを知ります。


例えば誰かが、急に会社に来なくなったと、します

 

そしてその理由が、「不特定多数に知られたくない個人情報」であったとします。

 

しかし組織の中にはこのようなウワサ話が流れるでしょう

 

 「アイツに何があったのか、会社は何も教えてくれない」

 「なんで教えてくれないんだろう。急にいなくなって、俺は困っているのに、理由くらい教えてくれたって、いいじゃないか」

 「よく会社のグチを言っていたから、会社とトラブったんじゃないか?」

 「もともとXXと上手くやっていなかったから、きっとXXとトラブって、会社はXXの方が大事だから、辞めさせられたんだ」

 

など、など


これらはどのようなウワサ話になろうとも、会社は真実を伝えるわけには行きません。

 

ですから私たち中小企業経営者は、このようなウワサ話を耳にすると、とてもモドカシイ気持ちになります。

 

本当の事を話せば、みんなわかってもらえる事なんですけれども、どうしても個人の
事を考えると、それを皆さんにお伝えするわけにはいかない

 

しかしその「言えない」という事がキカッケとなり、社員の皆さんに猜疑心が生まれ、あまり良くないウワサ話なりデマなりを、流布する人が出て来るのが、

 

これがどうしても、残念なんですね。

 

この件については、「そのように下世話なウワサ話に卑しむことなく、皆さんが自分の仕事に誇りをもって、それぞれがそれぞれらしく活躍してくれることを願う」以外になくて、

 

結局、経営サイドのモドカシサは無くなりません(苦笑

 


さて最後に、「3)経営推進上の悪いこと」についてですが、これはですね

 

いやこれこそが、「権限移譲」なわけですね。

 

会社が「良いとき」。これはその「良さ」を共有し、「良さ」を伸ばしていこうと思えます。

 

これはとても、簡単な事です

 

しかし、当たり前の事ですが、経営をしていると良い事ばかりじゃない。だから「悪いこと」に対して、情報を公開できるかどうかは、その人との信頼関係と権限移譲度に依存します。

 

普通の人間は

 ・居心地が良ければ、います

 ・居心地が悪ければ、去ります


そしてある種の人間は

 ・居心地が悪ければ、その場を良くしようとします


この、「良くしようとする」人を信頼し、権限移譲したいわけですね

 

だから「3)経営推進上の悪いこと」については、ロジカルに考えればわかるように

 

 ・普通の人には積極的に公開しない

 ・「良くしよう」と考えてくれる人には、公開し、共に悩む

 

というわけです


例えばある会社が、来週にでも倒産しそうなピンチだったとします

 

その時、社長が

 

「皆さんよく聞いてください。当社は来週にでも倒産しそうな状況です。皆さんが頑張って来週までに二倍の成果を出してください」


と、社員全員に言ったとしたら、社員全員がとても頑張る・・・・

 

と考えているとしたら、僕はそれは甘い考えだと思いますね

 

そんな風に言ったら、その日から八割がたの社員が、転職活動を始めるでしょう。

 

つまり来週ではなく明日潰れます。

 

普通の人間は、そうです。それが普通です

 

だから私は、社員の皆さんに成長してもらいたい。

 

社員の皆さん一人一人がそれぞれ力をつけ、自立し、仕事にヤリガイや使命を感じるように、どんどんと成長してくれたら

 

私はどんどん社員を信頼し、社員に権限移譲していく

 

つまりそれは、会社の「3)経営推進上の悪いこと」を、公開していくという事です。

 

ですので

 

もし貴方が、「会社から経営推進上の悪いことを、教えてもらえてないなぁ」と思っているとするなら、アナタは会社から

 

 ・居心地が悪ければ、良くしようとがんばる、信頼に足る人


だとは、まだ、思われていないのかも知れませんね。

 

 ・居心地が悪ければ、去ろうとする、普通の人


程度の、認識なのでしょう

 

 

あーなんか、ここまで書いて


「こういうブログを社長が書くという事は、ソノリテっていう会社は危ないんじゃないか?」などと

 

思う人もいるかも知れないなぁ・・・

 


もしアナタがそういう感触を感じたら


もう一度よく、このブログ頭から読んでみてください(苦笑

 


さて私は今から「ソノリテ第六期お疲れさまパーティー」で行う「社長賞 第六期MVP」の専攻でもすることにしますwwwww

 

私は社員の皆さんを信頼し、会社を推進できている事に、幸運と誇りを感じていますよ。これ、本当です。

 

会社の成長と変化と多様性と新陳代謝

2015年10月より、弊社ソノリテは第七期に入りました。

 

私は第三期(厳密には第二期の後半)からこの会社の社長をしておりますので、私自身は社長業五年目に突入といった所ですね

 

私がソノリテの社長になった時には、ある会社の100%子会社で、正社員が8名、本当に小さな会社でした。

 

現在は独立会社となり、社員数50名を超え、「それなりに会社らしくなってきた」と言った所でしょうか

 

4年間で8名から50名へ、と言うと、その成長速度を褒めてくれる方もいらっしゃるのですが、まだまだこれから

 

もちろん社員数だけが会社の成長ではありませんが、一つの目安として、出来るだけ最短距離で、社員数は100名を越したいと考えています。

 

ところでなぜ社員数を増やしたい、と考えるか? ですが

 

 「お仕事があるから社員数が必要」

 

とか

 

 「人数が居た方が、競合他社に対して競争力が強まる」

 

というのが、普通の考えかたかも知れないのですが、私の場合は

 

 「多様性を高めたいので、会社を大きくしたい」

 

と、考えています。

 

 「多様性

 

と言うと、また、流行言葉を持ってきた安直な発言に思われるかも知れないのですが

 

私は「株式会社ソノリテ」の重要なコンピテンシ、言うなれば企業の個性として「多様性」というモノに力を入れて行きたいと、強く思っています。

 

 「多様性組織は、変化に強い」

 「多様性組織は、イノベーションを生み出せる」

 

だ、などと、言いますが

 

それらはみな、「企業存続」や「企業戦略」という観点において、方法論としての「多様性」なんだと思うんですけれど


我々ソノリテの企業理念は

 

 「社員の成長」


企業理念に「顧客指向」「顧客の為」「顧客第一」などと謳う企業は多いと思うのですが、我々の企業は「社員の成長」

 

私は、私の会社である株式会社ソノリテは、「社員が成長」することを目的に活動している会社ですので、私は「社員の成長」の為に、多様性が必要だと考えています。

 

これは、極めて、わかりやすい考え方のハズ


例えばですね、先日ある「ダイバーシティ推進セミナー」のようなものに参加し、国籍の多様性ジェンダーフリーに取り組んでいる企業の人達の「本音」を聞いたんですが

 

 「(多様性組織って)ハッキリ言って、面倒くさい」

 

んだと思うんですよね。そう、言っていました

 

組織ですから同質性が担保された仲間うちで、何か仕事をしていく方が、らくに決まってるんです。「あうんの呼吸」で仕事出来ますから。

 

らくに仕事出来た方が、お客様に対して「らくに」サービスが出来ますよね?

 

だから無理に「多様性」に踏み出す必要などない。「多様性」とはお客様からみて企業のエゴだと言って良い様に思うのです。

 

現に我々「株式会社ソノリテ」の多様性志向についても、お客様や関係企業からしばしば疎んじられて見られる現実も有ります

 

 ・「B2BのIT企業なんだから、XXなタイプの社員がいるべきだ」
 ・「うちの会社に出入りするのに、髪の色はXXX」
 ・「ソノリテの社員は社会の常識が通じないから、心配だ」

 

極端に言えば、そのような声が、聞こえます


私は、提供しているサービスがしっかりしておりさえすれば、個人的主張や個人的趣味嗜好における考え方や表現について、「とやかや言われる筋合いではない」と思うのですが、そんなことは理想論でしかなく、やはりお客様も社員も、同質性を担保してくれる会社が、らくなハズです。

 

もうちょっと言えば、異質性は排除の対象、なわけです


だから私は、私の思う「多様性」において、一企業としてそれを個性とするという戦いにおいて、非常に苦戦しています

 

だってお客様だって、社員だって、同質性のほうがらくなんだからね。


そこで「じゃあなぜあえて多様性?」と問われると、それが「社員の成長につながる」と信じているからなんです。


・・・まあここまでは、いったん理解してください


では次に、スケールの話をしますが

 

なぜ私は会社を大きくしたいのか?

 

それは、それこそ多様性の為です。

 

会社の規模が小さいうちは、どうしても「集中選択戦略」の方が、適します。

 

自分たちの強みを集約し、その強みに集中し、少数精鋭のプロフェッショナル集団となり、特定マーケットで勝負する。

 

その小企業ビジネスの基本スタイルを実現するには、同質性が好ましい。

 

同質の仲間と、同じ価値観で、限られた仕事に集中する。それが、良いわけです。

 

言い換えると、会社は「ある程度」サイズが無いと、多様性が活きない

 

どうしても、そうなります


例えば、テニスをダブルスで行うとして

 

この二人は、それぞれがテニスのプロであると同時に、二人の息が有っていることが、重要ですね。そうじゃないと勝てない。

 

だから二人でやるテニスのダブルスでは、あまり多様性は活きない。密着した二人である方が、良い。


次に、例えば野球

 

野球は9人で行いますね。9人それぞれが「野球」という同質なものに対して、同じような価値感をもっていると共鳴します。

 

ですが野球にはそれぞれ、役割が有ります。ですので各人が各人の個性を上手く発揮し、それぞれが適材適所のポジションで役割を果たせば、そのチームは勝ちます。

 

ですから、ダブルスよりは、個性が活かせますよね。

 

例えば足の遅い選手が居たとしても、力があれば、そのような打順や、ポジションがあると思うし、脚も力も弱いが、頭脳明晰というのであれば、そういう役割が、きっとある


このように、集団で何かをやるということになると、その「やること」が複雑であればあるほど、個性が活かせるようになってくる、言うなれば「多様性が活かせ易くなる」はずなんです。

 

ですので私は、この「多様性が活かせる世界」を今よりもっともっと大きくするために、

 

 ・会社を、大きくする

 ・難しい(単純ではない)仕事をしていく

 

という事を、したいんです。


後半に「単純ではない」仕事と、さらっと書きました。これは少しだけ解説しておきますと

 

例えば人数が多くても、行っている仕事が単純な場合、そこに多様性は必要ないんです。言うなれば没個性が必要なんです

 

軍隊を想像してもらえるとわかります

 

何百人何千人という人数の軍人が、号令のもと、一斉に同じ行動をとれる軍隊が、強い

 

一人一人が自由に活動し、個別の価値観で戦闘をしたら、その軍隊はかんたんに崩壊してしまうでしょう


だから、多様性が活かせる仕事とは、一人一人が個性を発揮することで生きる仕事とは、単純ではない仕事のハズなんです。

 

 ・マニュアルが無く

 ・先駆者や先生がおらず

 ・ディテールに厳しく

 ・変化しやすく

 ・保障が無い


そのような仕事において、私は、多様性が活きるのではないかと仮設しています

 

だから私は、株式会社ソノリテを


 ・大きくし

 ・難しい仕事をする


会社にしたいわけ、です

 

その手段としての多様性であり、その最終ゴールとして、「社員の成長」があるわけですね

 

ここまでも、一応、理解していただけたとして


最後に、新陳代謝の話をしたいのですが


成長期の人間って、新陳代謝が激しいじゃないですか?

 

だからというわけじゃないんですが、株式会社ソノリテも、やはり、新陳代謝を繰り返しながら、成長していくのかな?と、最近思い始めたのですね

 

以前私は、なんとなく

 

会社って、石を積み上げて行くように、大きくなっていくのかな?と思っていたんですが

 

あれ?それはちょっと違うのかな?と最近思い始めました。

 

すなはちそれが、新陳代謝の話なのですが


私は「社員数を増やす事」と「多様性」という関係の中に、「難しい仕事」という概念をあまり意識せず考えていたから、「石を積み上げていくように」会社が成長していくんだと勘違いしていたような気がします。

 

会社が大きくなる時に、私は多様性を強めて行きます

 

ですのでその多様性が活きるために、より複雑な仕事を出来るようにして行きたいわけです

 

そうなると仕事の質が変わる(私のなかでは、より難しい仕事は、より付加価値が高いので、より高額なペイが行える質の仕事に変わるという認識なのですが、その解釈は人それぞれとして、まあ、仕事の質が変わる)

 

言い換えると私は同質性を担保したまま、現状のビジネスに食らいついたまま、企業拡大を行いたいわけではないので、巨大な軍隊をつくりたいわけではない。

 

つまり今までの話を纏めると

 

私の会社は、大きくなればなるほど、多様性が高まりつまりメンドクサイ会社となり、かつ、やっていく仕事はより難易度の高いものになるわけで、私はそれが、当社の理念である「社員の成長」に繋がっていると考えている


の、ですが


まあ何しろ会社は変わるので


それが成長なのか何なのか、まあそういうことはどう解釈されるのであっても、会社が
変わるんだから、「自分が入社した時のソノリテと変わってしまった」と思う人は、出るなあと、思うし

 

ちょっと偉そうな言い方をすることを赦してもらうと、仕事の質がどんどん難易度を高めていくので、「ついていけない」と思う人も、出る

 

また多様性の高まりから「この会社ずいぶんメンドクセエ会社になっちゃった」と思う人だって、出るから

 

そこで新陳代謝が生まれ、新たな才能が会社に入ってくるし、会社を去る人は去る。


そういう事なのかな・・・と


ソノリテ第七期に入り、私は以後更なる会社の成長を考えるときに、見誤っていた新陳代謝に対する概念を、再認識し咀嚼し行動していこうと思い、このblogを書いた次第です

 

 

まとめ


「自らの個性を活かし」「変化と成長」を楽しみたいと思う人達、私はその人たちの為にこのソノリテを大きくしていきます。第七期開始において、私はそれをここに誓います。

 

 

株式会社ソノリテ第七期期初宣言 代表取締役 齋藤和政

ストロング・ポイントを明文化出来ない

最近ちょっと気になっている事があって

 

私は、弊社「株式会社ソノリテ」の社員から、こう言われる事があるんですよね

 

「一度どこかの会社に勤めたことがあると、ソノリテの良さがよくわかる」

 

 

これ、とても嬉しい事なんですが、ちょっと気にしなければな・・・と思う問題でも、あります。


私は、比較的大手のシステム系企業2社で、22歳から44歳まで働き、その後、中小企業である「株式会社ソノリテ」の社長になりました。

 

ですので

 

過去私が、「比較的大手のシステム系企業」で経験してきた

 

 「会社の、こういう所が、嫌だ」

 

という、ネガティブな感情を、自分の会社の社員には感じてもらいたくない!

 

そういう思いが、強くあります

 

そういった齋藤の経営思想の根底の部分が、社員と共鳴している・・・と、するなら、わが社は

 

「一度どこかの会社に勤めたことがあると、ソノリテの良さがよくわかる」

 

そんな風に、思ってもらえる会社に、なれているのかも知れない。ちょっとウヌボレていますが、そんな風に感じます。


まあ、ウヌボレです。

 

「うちの会社なんて、マダマダだ。悪い所が、いっぱいだ」そう思っている社員だって、たくさんいるでしょう。それも、わかっています。


でも、例え一部の人間だとしても、「弊社は(他社に比べて)良い所がある」と、思えてくれているなら、それはとても大事にしなければならない、当社のストロング・ポイントなはずです。


だからそういう点を、変に卑下することなく、伸ばしていくのも、経営の務めではないかと思っています。

 


さて、ではその「弊社のストロング・ポイント」とは、なんであるか?

 

 

言うなればなんの変哲もない、システム系中小企業が、毎年1.5倍成長を続けられるほどの、「ストロング・ポイント」を持っているのか?という所、ですが

 

それは別に、弊社の業務内容や福利厚生、人間関係の問題では、無い。と私は思っています。

 

所詮会社だし、所詮仕事だから、弊社にも理不尽な事は、たくさんあります。

 

組織ですから上司部下の相性もあるし、色々な問題はあります。

 

べつに給料がとくべつ高いわけでもないし、

 

私もめちゃくちゃ怒鳴ったりしますし、ぜんぜん優しい社長じゃないんです。机叩いて怒鳴ったりします。ブラック社長ですよブラック社長。

 

そんな、なんの変哲もないシステム系企業ソノリテの、何が「ストロング・ポイント」か?

 

 


ゴメンナサイ

 

 これ、明文化(めいぶんか)出来ないです。

 

 

 

例えば(他社に比べて)

 

 ・社員一人一人の個性や長所を大切にしようとする働きかけがある

 ・新しい事にチャレンジする社風がある

 ・明るい雰囲気がある


などと、まあ、文章にしてみても、良いのですが・・・

 


皆さんに、例えば「恋愛対象の相手」が居るとするじゃないですか?

 

その人の「良さ」を、言ってください。と言われたら

 

 ・誠実

 ・容姿端麗

 ・経済力がある

 ・包容力がある

 

だとかなんとか、まあ、色々言うでしょうが


すべては本質というよりも、本当はもっと、あまり明文化出来ない「感情の部分」で、恋愛対象にしていると思うのですよね(もちろん現実の恋愛には、打算の部分も、あるでしょうが・・・)


そういった意味で、私は

 

弊社のストロング・ポイントを、あまり明文化したくは、ないんです。

 

わかってもらえますか?

 


ただ、それでは身も蓋もないので、では何が


「一度どこかの会社に勤めたことがあると、ソノリテの良さがよくわかる」

 

という所なのか? を、やはり恋愛で例えたいのですが


これ、


 「あの人の良さは、一度失恋をしたことがないと、わからないよ」

 

とか

 

 「あの人の良さは、一度男に(あるいは女)に、裏切られた経験をもっているなら、わかるよ」

 

と、


これと、近い(というか、近い話だったら良いなぁ・・・と、私が勝手に思っている、わけなんですけれどね)


そういう、話なんじゃないかな・・・

(もちろん私の勝手な妄想ですが)

 


そんな「ストロング・ポイント」、明文化出来ますか?いや、しないほうが、良いですよね・・・

 

要するに感情の部分。それが弊社の「ストロング・ポイント」だったりすると、私はあえて明文化を避けたいんですね。

 

ここまで、まあ、異論もあるかも知れませんが、とりあえず良いでしょうか?

 

 

さて、それで


ではですね、その「問題」ですが

 

弊社が

 

「一度どこかの会社に勤めたことがあると、ソノリテの良さがよくわかる」

 

会社だという事は

 

「一度も会社に勤めたことがないと、ソノリテの良さはわからない」

 

という、事でして

 

恋愛でいえば、じゃあ弊社は「恋愛に未成熟な人には、良さが伝わらない人」そんな感じ、なんでしょうかね?

 

 


残念ながら、それは、認めます。

 

 


恋愛に未成熟な人は

 

 ・容姿端麗なパートナーを友人に見せびらかしたい

とか

 ・経済力のあるパートナーを連れて、両親を安心させたい

とか

 ・何でも言う事を聞いてくれるパートナーと暮らして、楽をしたい

 

みたいな事があるわけで

 


そうなると例えば、会社とか就職という点においては


 ・高い収入を得られる会社に入って、友人に自慢したい

とか

 ・誰もが知っている大企業に入って、両親を安心させたい

とか

 ・仕事が楽な会社に入って、座っているだけで給料をもらいたい


みたいな事の呪縛から、まだ一皮剥けていない人だと、やっぱり弊社ソノリテの良さは、まだわかり辛いのではないかと思うのですよね。恐らく

(もちろん弊社には過去の他社就業経験に関係なく、当社の良さを心底理解して日々業務にいそしんでくれている人も、沢山いるわけですが)

 


まあ、そういう事

 

これ、問題ですが


問題ですけれども・・・・

 


どうしようも、ない、かな~

 

なんかもう、「わかってもらえない人に、わかれと言うのも、違うし」とか、考えちゃいますね。

 

 

最近この事を考える時間が多いのですが・・・何も見いだせない。です。


だれか良い答えを知っていたら、教えて下さい。

「仕事」とか「マジメ」とか「モチベーション」とか、指導、哲学

「仕事なんだからマジメにやれ!」という定型文があって、

 

まあ、多くの良識人にとって、おおむね合意な定型文なわけですが

 

ではなぜ「仕事」は「マジメ」にやらなければいけないか?と問われると

 

例えば「お金をもらっているんだから」と、言うのが、一般回答なのではないかと思うのですね。


まあコレが、いわゆるサラリーマンなわけですよね。あるいは公務員でも良いけれど、ようするにサラリーを貰っている人。

 

例えばこれが、自分の作品を売っているようなアーティストだったりすれば、そんな下らない会話は無いわけです。

 

そういう人は、 売れなければお金が貰えない。このシンプルなルールに従っているだけ。

 

お金を貰うために、努力するならすればいいし、マジメにやりたければ、やればいいわけです。別に誰の責任でもない。

 


でも現代、多くの人は、サラリーマン的に生きていると思うんですよね。その方が安全だし、効率が良いから。

 

その「サラリーマン的に生きる」と言うのが、「就職」だったり、「会社で働く」ってことだったり、するわけです。

 

「会社で働けば」サラリーが貰えるわけですね。

 

そしてその「会社」で、遅刻やら、居眠りやら、サボっていたら言われるわけです

 

「仕事なんだからマジメにやれ!」って

 


サラリーマンだって、アーティストだって、何かをして、お金を得ることは、仕事、です。

 

だから「仕事なんだからマジメにやれ!」は、本質的には、おかしい。しっくりこない。

 

例えばあるアーティストが、悪ふざけで作った作品が、凄く売れたとする。そんな事って、いくらでもある。

 

ではなぜ、

 

 「仕事なんだからマジメにやれ!」

 

が、正解なのか?


それはきっと、「会社」というものの大部分が、チームワークで仕事をすることで、スケールメリットを出そうとする、組織、だからですよね。

 


例えばみんなで、大きな船に乗っている。とする。

 

船といっても、みんなでオールを漕いで、前に進む、人力(じんりき)の船だと、する。


小さなボートで個人で移動するよりも、大きな船をみんなで漕いで移動した方が、何かと安全だし、効率もいい。大きな船なら、高波があっても、大丈夫


だから皆で、大きな船を漕ごう!


誰かがサボっている


「おい!真面目に漕げ!!!」

 

 

まあ、そういう事ですよね?

 

会社はチーム。このチームは一蓮托生。オレが頑張っているのに、お前がサボるのは許せない。

 

 だからマジメにやれ!!!


これが組織人の本質、ではないでしょうかね?

 

 

だとすると

 

「このボートを漕がないならこの船に乗る資格は無い(だからマジメに漕げ)」

 

と、似たような事を言いたい、言いたいのを

 

「お金をもらっているんだから(マジメにやれ)」

 

と言うのは、僕はちょっと、違うように思うんです。

 

 

 

ちょっとだけ話題を変えます

 

「(仕事の)モチベーションが上がりません」

 

これも、良く聞きます。

 

「なんだか仕事へのモチベーションが上がりません」と、ある社員が言ったら、先輩や、同僚が


「そうか、例えば現在の仕事の目標をこういう風に考えて、少しずつ成果を上げて行けば良いんじゃないか?」

 

とか

 

「人間関係に悩んでいるのか?じゃあ、あの人はこういう性格だから、コミュニケーションをこういう風に、とれば良いんじゃないか?」

 

とか


まあ、そういうアドバイスを、しますよね?

 

でも私、


最近なんだか、世の中の人すべて、「モチベーション」って言う言葉を、簡単に使い過ぎなんじゃないかなって、思うようになってきました。

 

そしてその、「モチベーション」ってやつが、何と言うか、イイワケめいていると言うのか、あと、「モチベーション」ってさも、人からもらえる自分の権利・・・社会や会社が用意する必須条件・・・みたいな・・・

 

先の船の話でいうと

 

 「ちょっと、オールを漕ぐモチベーションを失ってしまいました」

 

と、誰かが言ったら

 

 「バカ野郎、じゃあ今すぐ船から降りろ」

 

と言われるのが、普通、なんじゃないか


お金やサラリーの話でいい変えると、

 

もし本当に仕事へのモチベーションを失ったのなら、もう、自分からすぐ船を降りる、つまり会社を辞めるべきなんじゃないかと、僕は思うんです。

 

(いやもちろん、例えば人が減って行けばその船は前に進まないんだから、仲間たちへの責任感として、モチベーションなんて下らないものがあろうとなかろうと、オールを漕ぎ続けるべきだと、僕は思いますけれど。)

 

 

 たぶん、船に乗っている実感が無い

 

 たぶん、働くことによって対価を得ているという実感が無い

 

 たぶん、社会に生きるために何がしかの責任を背負っている実感が無い

 

 

実感が無いから

 

「モチベーション」程度のキーワードが、重要なように思えてしまうし、モチベーションが上がらなければ、役割を果たす必要などないと考えてしまう。

 

さらに、そのモチベーションを誰かが与えてくれるのを待つ・・・

 

これがとても気持ちが悪い


 ・何に対してもやる気が出ません。僕はどう生きたら良いでしょうか?


こんなにも気持ちの悪い質問が、当たり前のように会話される

 

これらはなんというか、「実感の無さ」を起因にしているのではないかと思います。

 

 

なぜ実感が無いか?

 


それは「効率的な世の中」、だからですよね。

 

例えば私だって、鶏肉を食べるときにニワトリをサバくなんてことしませんし、お米を
食べるためにタンボを耕すようなことをしません。

 

だから私だって、尊い生命をイタダいているという実感なく鶏肉を食べていますし、
農家のご苦労に対する実感なく、米を残したり捨てたりします。申し訳ないですが、
そうです。

 

それが効率的な世の中

 

つまり世の中は、どんどん様々な「実感」が持てなくなるように進化する。

 

会社やサラリーマンという生き方も、とても効率的。だから実感は持てない。

 

だから皆さん、仕事に対してもこう思う


 ・なぜ仕事はマジメにしなければいけないのだろう?

 ・なぜモチベーションを感じられない仕事をしなければいけないのだろう?


「仕事=生きる事」という実感は、この効率的な世の中において、もう、絶対に持てない。

 

 

だから

 

私たちは「効率的な世界が提示するルール」に従って、「実感はもてないが役割はある」ことを自分で承認し、実感の無さに対して自分で理屈を作ったり、自分を奮い立たせたり、自分に催眠をかけたりして、生きる必要がある。

 

のだと、僕は思います。

 

例えば私も、生活の為に仕事をしているという実感は、あまりありません。
(経営者なのでサラリーマンよりは遙かに大きなリスクを背負っていますが)

 

どちらかというと、反骨精神などをモチベーションとして、生きていますし、働いて
います。

 

つまりそういう、「理屈付け」によって、仕事というお金貰いゲームに対する、生き様を自分で定義して、それを成功体験に変え、快感を得る努力をしている。

 

のだと、自分で思います。

 

 

・・・ちょっと唐突ですが、これ以上長文を書いてもクドイような気がしてきたので、クロージングに入ります。

 

私も経営者ですので、色々な人の仕事に対する悩みを聞いたりしますし、それなりの指導をします。


 ・なぜ仕事は仕事だからマジメにやらなければいけないと言われるのか

 ・なぜ自分はモチベーションが上がらない仕事をしなければならないのか

 ・自分はなぜ働いているのか


こういう人が、回りにいたら


これらの悩みに対して

 

 ・仕事なんだからマジメにやれ

 ・お金貰っているんだからチャンとやれ

 ・モチベーションが下がっている原因はなに?その原因の対処はこうだよ


といった指導をするのは、指導する側の人間として、思慮が足りないと思います。

 

指導には、ポイントが2つあると思うのです。


 ポイント1)なぜ働くのか、実感の持てる回答はない。自分なりの哲学を持て

 ポイント2)働かないなら、船から降りろ

 

どうですか?共感できますでしょうか?

遠慮に隠される

最近苦しんでいる問題の一つに、「遠慮」というモノがあって・・・

 

つまり私は経営者で、株式会社ソノリテを、良い会社にしたいわけです。

 

そして良い会社にするために、社員の意見を聞き、良いものを取り入れ、磨き、実現していきたい。

 

ちょっと綺麗ごとっぽい言い方をしますが

 

 「社員を愛するソノリテにしたい」んですね。

 

私にとって、それが「良い会社」なんです。

 

当社「株式会社ソノリテ」は、経営理念にも謳っていますが、お客様の為の会社~ではありません(ここ重要)

 

社員の成長を考えて意思決定をする会社なんです。

 

 「社員を愛する」

 

と、書きました。

 

じゃあ? 「愛」ってなんだ?

 

そこですが、ちょっと宇宙刑事ギャバン的な問題提起になりますが

 

 「愛ってなんだ?」


社員にとって、楽ちんで、給料が良くって、怠けても文句を言われなくて、

 

そういう、甘えられる組織

 

もちろんそうじゃないです。

 

「愛ってなんだ?」


私はそこに「成長」を置きました。


弊社の経営理念の全文は、こうです

 

「私たちソノリテは、すべての行動を通して、社員が成長することを第一に考え、意思決定をしてゆく会社です。」

ソノリテの理念・戦略 - 株式会社ソノリテ


人が人を愛するには、様々な形があります

 

私たちはビジネスシーンにおいて、成長することを目的として、愛を形成する。それが私の理想であり、弊社の理念です。

 

言うなれば愛し方です。

 

大変おこがましい、考えかも知れないですね。会社如きが、人を成長させるなどと、

 

まあそこで、私は日々、色々と悩んでいる。苦しんでいる。

 

その一つが、「遠慮」です。

 

うちの社員、けっこう「良い人」が多いです。

 

みんな、遠慮します。

 

遠慮することは、美しいし、遠慮することは、立派だなと、私も思います。

 

が、しかし、遠慮が過ぎると

 

まあ簡単に言えば、何を考えているのかわからない。ということになる。

 

例えば、

 

 「リンゴ、食べますか?」

 「いえ、いりません」

 

そう言われたら、「あれ?リンゴ嫌いなのかな?」と思いますけれど、でも実は、遠慮だったりする。

 

同じことで

 

 「職場に問題ありませんか?」

 「問題ありません」

 

これも、遠慮があると、現実が把握しづらくなる。

 

だからまあ、こう言いますよね?

 

 「遠慮しなくて良いから、言ってごらん?」


さて、ここからです

 

実は、人に問題や課題、あるいは自分の思っている本音などをお話しすることは、とても大変です。

 

場合によりそれは「交渉」や「責任」なども伴いますし、さまざまな「リスク」があります。

 

そもそも人は、現状を維持することで安定した毎日を送りたがる生物であり、変化を好みません。

 

さらに言えば「変化のトリガー」になろうとしません。

 

だから、基本的に何かを変化させるような発言を求められても、


 我慢 することで 遠慮 をし 問題のトリガー になろうとしない


という思考パターンに陥る、場合がある。


私の知る限り、それは


 「良い人」


と、言われる人たちの中に、存在するのですね・・・


だから


 「遠慮しなくて良いから、言ってごらん?」


なんて、薄っぺらい言葉だけで、そのような精神的防壁が崩せようもなく、問題は顕在化しない。

 

悩ましい問題です。でも闘っていきます。


なぜ闘うか、それが私の、そしてソノリテの「共鳴精神」だからでしょう。


言うなれば、良い人には、少し悪い人になってもらって、遠慮をしない人になってもらって、自我を開放してもらいたい。


その次の段階として、それを全員の課題と考えて、全員が自我の違いを尊重しつつ、組織にプラスな変化をもたらせたい。

 

それがきっと、成長なんだと思うんですね。

 

そしてそのような関係性が出来たら、それを「愛」と呼んでも良い様に思うんです。


難しいですかね・・・


ああ、難しいなぁ・・・


とりあえず私は、本当に・・・「とりあえず」なレベルですけれど

 

様々なチャネルを使って「社員の本音」に辿り着くような手段を、これからもやって行こうと思っています。


そしてそこには責任と、問題を背負う覚悟がいると思うんです。

 

でもそれが私が成長する必然に結びつき、私と当社の経営理念の結晶となるわけです