働く事のプライドが持ちづらい世の中になったのではないか?

「働く事」に関して、私はよく、お医者さんで例えることが多いのですけれども(お医者さんで考えると、話がわかりやすくなることが多いんですよね)


今回は「働く事のプライド」といったお話をしたいので、もしよろしければ「空想上の理想のお医者さん」を、頭に思い浮かべながら、話を聞いてもらえると良いかなと思います。


さて本題。

 

まず最初のテーマは「お医者さんのやりがいについて」


アナタが空想したお医者さんは、何を「やりがい」にして、働いていると思いますか?

 

 「賃金」でしょうか?

 「仕事の内容が楽しいから」でしょうか?

 「医者という仕事が自分にあっている」からでしょうか?

 「“先生”と呼ばれるのが、嬉しい」のでしょうか?


どうでしょう?


私は、「賃金」「楽しい」「仕事との相性」「ステータス」というような事を、「やりがい」だと感じているお医者さんは、


あまり、信じられないです。

 

そういった、即物的な欲望や感情よりも、「人を助ける意義」みたいなものに、やりがいを感じている先生じゃないと、ちょっとイヤな気がします。


これ、どうでしょう。ちょっと綺麗事すぎますかね?

 

でも、基本的には同意していただける方、多いのではないでしょうか

 


・・・でも


じゃあなぜ、私は、「賃金」「楽しい」「仕事との相性」「ステータス」などをやりがいと感じているお医者さんを、信じられないのでしょうか?

 

だってベつに、なにをやりがいにしていようと・・・医者としての腕が良ければ、良いじゃないですか?・・・ねえ?

 

別に医者だからって、絶対に「聖人君子」でなければいけないって、わけじゃないですよね?

 

そう、医者だって人間です。

 

うまい飯も食いたきゃ贅沢もしたい。楽(らく)もしたいし遊びもしたい。

 

そんな医者が、例えば「仕事は金のタメだ」と割り切って仕事をしていたって、良いじゃないですか?だって医者も人間なんだから

 

医者としての腕がよければ、なんの問題もないでしょう?

 

いや


私は、そうは思わないんですね


なぜか?


私が「賃金」「楽しい」「仕事との相性」「ステータス」などをやりがいと感じているお医者さんを信じられない理由は・・・


そういう医者は


 「ヤバい時に、乗り越えてくれない(逃げる)」


と、思うから、なんです。

 

単純に、解説をします


私が、「誰も知らない難病」になったとします

 

そうすると、「賃金」「楽しい」「仕事との相性」「ステータス」などをやりがいと感じているお医者さん達なら


 お医者さんA「そんな知らない病気、対応したって金にならない」

 お医者さんB「その病気は知らないから、楽しくない」

 お医者さんC「その病気は知らないから、自分には出来ない」

 お医者さんD「知らない病気に対応して治らなかったら、私の評価が落ちる」


などと、こんな風に言って、対応してくれないんじゃないか(逃げちゃう)と思うんです。

 

つまり、私の「誰も知らない難病」は、彼らの低次のやりがい(欲求)を満足させることが出来ない。

 

だから彼らは、逃げる(と思う)。


よって私は、彼らを信じられない。


どうでしょうか?


私の言いたい事、伝わっているでしょうか?


これが私が、「賃金」「楽しい」「仕事との相性」「尊敬されたい」という事を、「やりがい」だと感じているお医者さんを、信じられない理由です。


「人を助ける意義」という事に、医者としてのやりがいを感じている先生であれば、例え難病であっても、そんな反応はせず、きっとベストを尽くしてくれる。そう思うんです。

 

「賃金」「楽しい」「仕事との相性」「尊敬されたい」というような、低次の自己実現的な欲求をやりがいとせず、もう少し大きな立ち位置で、仕事を悟り、自らの使命を悟り、意義を見出している。

 

例えば「人を助ける意義」のようなものを、やりがいと感じ、働いている。

 

そんなお医者さんなら、信じられる。

 

「医は仁術」と言いますが、それが医者の「プライド」なんじゃないでしょうか?

 

かっこいいですよね?そういうお医者さん。


う~ん。かっこいい

 

 


でも・・・


でも、ですよ・・・


もう一度言いますが、やはり医者だって、人間だと思うんですね。

 


 「賃金」「楽しい」「仕事との相性」「ステータス」

 


優れたお医者さんの中に、上記のような「やりがい」は、本当に無いのでしょうか?


「無いのでしょうか?」というより「必要ないのでしょうか?」


つまり、世の中に優れた医者が生まれるために、「賃金」「楽しい」「仕事との相性」「ステータス」といったような、低次の欲求は、必要ないでしょうか?

 


いや、そんなことは無いですよね。必要ありますよね。絶対に必要あります。

 


例えば医者と言う仕事が、とても低賃金であれば、目指す人は、少ないはず。

 

医者と言う仕事が、世の中から「かっこわるい仕事(尊敬されない仕事)」だとしたら、目指す人は、少ないはず。

 

 

この話を単純化するために、「小学生」になって考えましょう


「小学生」であるアナタが、医者を志したとします。

 

そしてよく勉強をし、医学部に進学し、医者になったとします。すばらしい。


そんなあなたは、「小学生」の時に、なぜ医者を目指したのでしょうか?


 ※「人を助ける意義」に、目覚めたのでしょうか?


いや、恐らく違うでしょう


 「お金がたくさんもらえるらしい。カッコイイ!」

 「患者からありがとうって言われる仕事は楽しそう!」

 「わたしは手先が器用だからお医者さんに向いているかも!」

 「ぼくも“先生”と呼ばれるような仕事がしたい!」


こんな感じじゃ、ないでしょうかね?

 


つまり、「初期衝動」ですね。

 

(「初期衝動」についてはこのblogでもけっこう書いていますが、私、「初期衝動」って結構好きなテーマなんで、また書きますwww)

 


「初期衝動」なんて、低次の欲求で良いんですよ

 

「金」「物欲」「性欲」「ステータス」「流行」「相性」「承認欲求」・・・

 

その程度の、「低次の欲求」でよくて、それで、その世界に入れば良い。

 



問題なのは、その後、ですね。

 

お医者さんで言えば、


 1)低次の欲求による初期衝動に従って、医学を学ぶという世界に入る

 2)その後、様々な経験を乗り越えて、医者として成長していく


これ

 

この2)「医者としての成長」が、つまり例えば「人を助ける意義に目覚める」などの「悟り」に繋がるのではないかと、思うんですね

 

そこに辿り着いてようやく、「プライド」が生まれ、

 

その次元の「プライド」に辿り着いた人を、私は、医者として信じられると思うわけです。


どうでしょうか?


私も医学の世界を知っているわけではないので、あくまでも空想ですけれども、まあ、「働く事のプライド」と言う意味では、そう間違っていないお話なのではないかなと、思うんですね。

 

 

はい、一度纏めます。

 


ここまでで言いたい事は

 

 1)低次の欲求による初期衝動に従って、人は働き出す

 2)その後、様々な経験を乗り越えて、社会人や会社人として成長していく

 3)成長して「働く事のプライド」を持つようになる


まあ、これが言いたいわけ

 

これ、例えば仕事じゃなくたって言えます。

 

例えば「子育て」とかも


 1)低次の欲求による初期衝動(子供はかわいい。自分の子供がほしい)で、親になる

 2)その後、様々な子育ての苦難を乗り越えて、親として成長していく

 3)成長して「親のプライド」を持つようになる

 


例えば「アーティスト」とかも


 1)低次の欲求による初期衝動(誰かの作品に感動した。あんな作品を私も作りたい!)で、アーティストになる

 2)その後、様々な苦難(売れない、作れない、作品への批判、生活苦)を乗り越えて、アーティストとして成長していく

 3)成長して「アーティストのプライド」を持つようになる

 

どうでしょうか?

 

まあ要するに

 

 1)初期衝動

 2)挫折を乗り越える

 3)プライドを持てる


そういう構造が、色々な分野にも存在するのではないかなと、考えるわけです。

 

 

で、ここからようやく、主題に入ります。

 

 主題「働く事のプライドが持ちづらい世の中になったのではないか?」

 

 

昨今急激に、「働き方改革」の時代になりました。

 

様々な過労死事件などを背景に、日本の社会は、「これからの働き方を見直そう」という、時代になりました。

 

私の経営する「株式会社ソノリテ」も、様々な施策を打ち出しながら、社員の皆さんの「働き方」を、変革しています。

 

「働き方改革」の主題はいくつもあると思うのですが、私が気にしているのは、3つほど。


 1)「日本人は働き過ぎ」の是正

 2)「日本人の働かせ方は良くない」の是正

 3)さまざまな人がさまざまな働き方が出来る世の中の実現


それぞれの詳細は、各種報道などを確認していただきたいのですが・・・

 


ちなみに齋藤は現在50歳。

 

現在の会社の社長になる前は、バブル世代に社会人になり、IT革命期とともにシステム分野で仕事をしてまいりましたので、

 

まあ世代的には

 「24時間働けますか♪」

って感じです。

 

残業は200時間くらいまでしたことがありますね。

 

サービス残業だってしたことがあります。むしろ自分からサービス残業をしていたような猛烈社員でした。


猛烈だったことはあまり誉められた話でもなく、その当時勤めていた会社からの評価は
高かったと思うのですが、鬱病寸前だったこともありますし

 

 

もちろん私の会社「株式会社ソノリテ」を、「残業200時間、サービス残業当然」みたいな会社にするつもりは、ありません。


ただ


残業の話では無い部分で、

 

「仕事そのもの」あるいは「組織で何か役割を果たす」とか「仕事の約束を果たす」というような、「仕事のストレス」の話をしたいのですが

 

 ※仕事のストレス

   ・人間関係

   ・約束や納期を守る事

   ・悩み、何かを産み出す事

   ・最新の情報を常に勉強し、競争に勝つ事

   ・トラブル対応やクレーム対応

  など

 


 この 「仕事のストレス」 って、

 

    「悪いもの」なのでしょうかね?

 


もちろん「過剰なストレス」によって病み、人権を著しく侵害されたり、結果悪しき事例のように自ら命を絶つような事があっては、絶対にいけませんが

 

 

 この「仕事のストレス」って、

 

 言ってみれば仕事上の理不尽なリクエストや体験って

 


みなさんは、「それを乗り越えて、成長し、仕事のプライドを持つ」為の、人生のテーマだとは、考えないでしょうか?

 

 

例えば先の医者の例ですと、

 

医者として未熟な自分がいたとして、様々な同僚の叱咤や、救えなかった患者に対する虚しさなどを乗り越えて、医者として成長し、悟っていく


例えば私達株式会社ソノリテがやっている事業のひとつ、システム開発ではシステムエンジニアとして未熟な自分がいて、さまざまなトラブルや障害対応の辛さを乗り越えて、エンジニアとして成長し、悟っていく

 

 

そんなような

 

人生のテーマ

 

プライドをもって生きるための、人生のテーマ

 

「それを乗り越えて、成長し、仕事のプライドを持つ(為のテーマ)」

 

とは、考えないでしょうか?

(考えろと言っているわけでは無くて、聞いています)

 

 

プライドを持つには


 1)初期衝動

 2)挫折を乗り越える

 3)プライドを持てる


というパターンにおいて、2)の部分がとても重要だと思うのですが、

 

その部分には、テーマ(つまりストレス)が、いる。

 

ここが今日、私が心配している、問題なんですよね。

 

 

※つまり現代は、「ブラック・強制的」な働き方から、「より人権保護的」な働き方へのシフトがある。で、その中で、「テーマ」が見出しづらく、「逃げやすい」世界になったとも、言える。

 

 

ブラック企業」はもちろん看過すべきではありません。

 

人はすべて自由に生きる権利があり、人の自由を束縛する権利は誰にもありません。


 

もしアナタが、「プライド高く仕事をしたい」と思ったとしたら、あるいは「人に信頼される仕事がしたい」と思っているとしたら

 

どうやって

 

 2)挫折を乗り越える

 

を、やるか・・・

 

これが、昔ならわりと、理不尽をぶつけられた。今は、なかなか・・・

 

ですから皆さんがもし、初期衝動を超えて仕事を悟れていないとするなら、「意識をして自分にテーマを与える」ということを、考えなければならない

 

でも、


そう、私達は人間です

 

うまい飯も食いたきゃ贅沢もしたい。楽(らく)もしたいし遊びもしたい。

 

そう、楽(らく)がしたいんです。

 


そんな私が、自分たちの意識だけで


 2)挫折を乗り越える


ってのを、積極的にやることが、本当に出来るのでしょうか・・・・?

 

 

ここでもう一度、「僕の理屈」を反芻(はんすう)しますけれど

 

仕事のやりがいは 人それぞれ・・・ でしょうが

 

「だってベつに、なにをやりがいにしていようと・・・担当者として、担当業務の腕が良ければ良いじゃないですか?・・・ねえ?」

 

そんな担当者、私、信用できないです。

 


例えば株式会社ソノリテが行っている事業のうち

 

システムエンジニア で言えば
 「システムエンジニアとしてのプライドがないエンジニアは信じられない」

 

・Webデザイン で言えば
 「Webデザイナーとしてのプライドがないデザイナーは信じられない」

 

・メディアクリエイター で言えば
 「クリエイターとしてのプライドがないクリエイターは信じられない」


という事です。

 

 

プライドが、あれば

 

・プライドのあるシステムエンジニア で言えば
 例えば不具合の追及を、自らの都合を犠牲にしてでもとことんやってくれるでしょう
 (医者が夜間の呼び出しに応じるように)

 

・プライドのあるWebデザイナー で言えば
 例えば隅から隅まで徹底的に完璧なデザインが出来るまで、妥協しないでしょう
 (医者が患者を完治させるまで治療を妥協しないように)

 

・プライドのあるメディアクリエイター で言えば
 観る者を感動させる作品に拘り、マイクロ秒単位に拘り、何度も何度も編集するでしょう
 (医者が患者の病気を徹底的に検査するように)

 

そう。私はそういう人を「信用できる」

 


そしてそれらの「プライド」は、どうしても私には

 

 2)挫折を乗り越えた経験


から産み出されるものが多いのではないかなと、思うわけです

 


ここまで、おわかりいただけますでしょうか?

 


なぜ「働く事のプライドが持ちづらい世の中になったのではないか?」という話に戻しますが


それは「強権的な働き方から、人権を尊重した健康的な働き方へ」のシフトなわけです

 

もちろんそれは素晴らしいことで、私は「昔ながらのブラック企業で殺人的残業でさらにサービス残業」なんてことを「しろ」と、言っているわけではない。です

 

でも・・・今の時代は


社会は、これから働こうとする人たちに対して


 ・ガマンするな


と、教えている、わけです


それが、働き方改革だから


 ・人権侵害に抵触する理不尽な命令や指導と言う名のバイオレンス

 ・法定労働時間を超えた残業命令など不法な雇用


それらは、絶対に改善しなければならない問題です

 

それを改善しようとして、世の中は「逃げ場を沢山作る」という事を、始めている
ように思います。

 

 ・ガマンしなくていい。ここへおいで


世の中だけじゃないです。親や、友人や、その他関係者もすべて、今、


 ・ガマンしなくていいよ

 ・やりたくないことは、やらなくても、いいよ

 ・君がそう思うなら、君の思う通りやればいいよ


そういう、雰囲気

 

これが

 

 2)挫折を乗り越えた経験のある人

 3)仕事にプライドを持っている人


に対してなら良いんです


これが

 

 1)まだ初期衝動レベルの人


に、あまりに強く「逃げ場はアルヨ」という事が出来上がり過ぎてしまうと・・・

 

・・・いや、私はそれを批判しているわけではない

 

ここ、間違って捉えらえたくない部分です。


私は、「過労死」を 絶対的悪 だと思っています


そして「過労死」は、「逃げ場のない職場」で生まれます


だから世の中に「逃げ場はアルヨ」というメッセージは、満ちていたほうがいいし、そして世の中は、少なくとも私が若いころよりは、そういうメッセージに溢れた世界になってきた

 

 

そうなったら


 「働く事のプライドが持ちづらい世の中になったのではないか?」


という事にも、なったんじゃない?

 

と、言いたいわけです

 


だから皆さん

 

ここから、結論です


今、アナタが

 

 ・自分は働く事にプライドが持ててなくて、持ちたい


と、思っているとする、なら


もしかしたら

 

 1)自分はまだ初期衝動レベルの人間で

 2)挫折を乗り越える経験をしていない


のかも知れない。という事を、検証してみて欲しいです

 


そしてもし、

 

 2)挫折を乗り越える経験をしていない

 

と、感じるなら


アナタの周りにいる親、友人、その他関係者、すべてから、

 

 ・ガマンしなくていいよ

 ・やりたくないことは、やらなくても、いいよ

 ・君がそう思うなら、君の思う通りやればいいよ


そういう言葉に包まれて、アナタは生きているんじゃ、ありませんか?


と、問いたい

 

だってそういう現代だし、それが今の風潮だから。そしてそれは悪いことではないわけですし

 

 

さて、

 

 

私は、全ての社会人が、「プライドを持って働いている」なんてことは、無いと思っていますし


そうじゃなくても良いと思っています。


人はそれぞれ自分の思うように生きるべきです。誰に強制されるべきではない。

 

だから私が、「働く事のプライド」を、皆に「持て!」と言うのは、間違っている と、思っています。

 

思っています、が


私は、


1)プライドを持って働いている人を信じています。プライドのない人の仕事は信じていません

 

これは、言っても良いよね?

 

世の中がいくら軟弱になっても、私が欲しい物、私が買うもの、私が関係するものは、すべて「プライドのある者たちの作品」であって欲しい、です。

 

それと

 

2)私の会社「株式会社ソノリテ」で働く人たちは、皆さん自分の仕事にプライドをもって働いてもらいたい


これも、言っても良いよね?だって私は、代表だもの

 

「やだ、プライドなんて持てなくていいから、楽に働きたい」と、思うなら、それは私の考えるソノリテ社員では、無いんです。

(「楽に働きたい」を人格否定していません。ただ、私の会社に対する私の希望の話をしています)



だから私は、私の会社、株式会社ソノリテが

 

 仕事にプライドを持っている人達にとって、ホワイト企業である


ように、していきます。

 

ソノリテとは、フランス語で「共鳴」を意味します。

 

働き方改革時代を迎えて、私は「仕事にプライドを持っている人達にとって、ソノリテをホワイト企業にする」。それが社員の皆さんと「共鳴」しなければいけない最重要項目であろうと、確信しています。

 

 

最後の最後に本当に纏めます。

 

今日言いたかったこと1


 ・働く事のプライドが持ちづらい世の中になったのではないか?

 

今日言いたかったこと2

 

 ・それはそれでいい。ブラック企業蔓延よりよっぽどいい

 

そして今日言いたかったこと3

 

 ・でも俺は働く事にプライドを持っている人にとってホワイトな株式会社ソノリテにするぞ~!