常識人は、常識の殻を被っている。
常識の殻を被っているままだと、自由な発想が出てこない。
だからブレインストーミングという手法を使って、複数人の脳をシンクロさせ、ストームさせ、総力で常識の殻を打ち破り、未曾有のアイデアを産み出す。
ブレインストーミングじゃなくても、何かクリエイティブな発想をしようというときには、常識が邪魔をする。だから非常識に考えるという思考セットが必要だ。
- 電話って言うのはこういうもんだと決めつけていたら、携帯電話は生まれないし
- 携帯電話はこういうもんだと決めつけていたら、スマートフォンは生まれないし
- 本屋っていうのはこういうもんだと決めつけていたら、amazonは生まれないし
- 映画っていうのはこういうもんだと決めつけていたら、netflixは生まれないし
まあ、そういうもんでしょう。そのへんのレベルの話は、まあ置いておいて
脳を「自由な発想状態」にするには、様々な社会的規制をとっぱらって、脳をまるで子供のような無邪気な状態にしたいし
あるいは何か「人の心を動かすもの」をクリエイトしたいと考えるなら、制約はできるだけとっぱらったって、あらゆる可能性を動員したほうがいい。そのためには非常識であり不安定であるべきだ。
芸術家の岡本太郎さんは生涯反逆児であったというし、
草間彌生さんの生涯のモチーフは幻覚・幻聴であったというし、
危なっかしく非常識な行動や精神の状態から、後世に残るアートが産まれているという事実がある。
だから私は非常識が好きだし、非常識な状態に自分や仲間を励起する事にとても興味がある。すごくある。
現代美術家の会田誠さんは、よく性暴力や児童ポルノという分野で問題視される。
そりゃあそうだ。常識 というモノサシで測れば、芸術家の視点なんてマトモじゃない。
「そりゃアートだからだよ。齋藤のソノリテっていう会社は別にアートの会社じゃないんでしょ?。だからそこまでの非常識さなんていうのは議論の対象じゃないはずだよ」
なんてね。
なんてまあ、常識人はそういうよね。
でもまあ、私はそこは抗いたい。
抗いたいし、そんな抗いに対して一緒になってブレインをストームしてくれる人達と、ブレインストーミングをして、世の中を「あっ」と言わせたいわけです
まあでもね、最近は常識人たちに
「それ、ハラスメントだよ」
って、言われるからな
厚生労働省のパンフレットによれば、職場におけるパワーハラスメントの定義は
- 優越的な関係を背景とした言動であって、
- 業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、
- 労働者の就業環境が害されるもの
この3要素を満たすものである
そしてこの「業務上必要かつ相当の範囲」というやつは、いわゆる「常識人」の「常識」によって規定される。
ゆえに
私はこの定義をまっすぐに捉え遵守する組織が、誠のブレインストーミングをすることは出来ないと思っているし、したがって誠に人の心をうつクリエイティブを産み出す可能性はとても低いと感じている。
先日
映画監督の庵野秀明さんのドキュメンタリーを観ていました。
「シン・仮面ライダー」の撮影現場のドキュメンタリーでした。
出演者もスタッフも監督もニコニコと、元気よく、明るいコミュニケーションをしながら…
なんてことはぜんぜんなくて
庵野さんがわけのわかんない指示をするし、勝手だし、怒鳴るし、
スタッフみんな困っているし、撮影現場の空気はどんどん悪くなるし
あれは
一般の会社だとパワハラだよ
誰かがひとこと「パワハラだ」って言えば、それで終わりだ
でも
誰かがひとこと「パワハラだ」って言えば シン・仮面ライダー は、産み出されなかったんだ
庵野さんの現場では、どうしてみんな「パワハラだ」って、言わないんだろうね
相手が庵野さんだからかな
ギャラが高かったからかな
みんながプロのアーティストだからかな
私も庵野監督のように生きたい…
その為には
会社をもっともっと「プロ集団」に、しないとなぁ…
シン・仮面ライダー、実はまだ観てないんですよ。今週末観に行こうと思ってますw
おしまい