学習性無気力とかの話

私がまだ若いころ、20代後半のサラリーマンだったころ

 

ある医療系の大規模システム開発に従事していて、すごく悔しい思いをしました。

 

そのシステムは大きな「失敗」をしました。

 

どういう失敗かというと、ザックリ言うと

 

  • まともに動かない
  • データーが狂っている

 

というモノでした。

 

今で言うと、例えば「マイナンバーカード」のシステムトラブルに、似ています。

 

  • 他人の情報が登録されていた

 

とか、そういう感じです。

 

マイナンバーカード」のトラブルでは「データーが狂っている(他人の情報が登録されていた)」というのは、ニュースになっていますが

 

おそらく「まともに動かない」というのも、起きていると思います。

 

「まともに動かない」の話で言うと、メガバンクのATMトラブルなどに似ています。

 

マイナンバーカード」の場合、システムを利用するのは公共機関の人だろうから、一般人が直接利用するものではないから「まともに動かない」のほうが世間にさらされないダケで、きっと「まともに動いていない」。

 

マイナンバーカード」を「保険証」とする時期を見極めるため、政府が総点検をしているようですが

 

おそらくご都合主義的な答えが出てくるだけで、「まともに動いていない」という事が、世の中に知れ渡りは、しないでしょう。

 

世の中に知れ渡るのは、一般人が直接迷惑をこうむったり、気持ち悪いと思う事が出来る「データーが狂っている」という事象だけだと思います。

 

私がすごく悔しい思いをしたという医療システムも、そんな感じで

 

 ・まるでマイナンバーカードシステムのように、日本全国の患者さんのデーターが狂っていたし

 ・まるで「ATMシステムトラブル」のように、まともに動かない

 

そんなモノでした。

 

20代の私にとって、自分がかかわっているシステムがそのようなトラブル状態になるという経験は、初めてのもので

 

本当に、悔しかった。

 

一応弁明しておくと、私が担当した仕事はすべて、キチンと納めています。ちなみに私が担当した仕事は、ネットワークインフラの設計、設備。あとクライアントシステムのコーディング。だったんですけどね。それらはちゃんと動いた。

 

でも、システム全体としてはグチャグチャ。

 

新聞沙汰にもなったし

 

管掌する政府機関や、関係する大学、もちろん自社や関係企業

 

めちゃくちゃえらい人たちが、めちゃくちゃ怒り、怒鳴り散らし、そういう場面が幾度も繰り返され

 

現場は超デスマーチ状態となり、何週間も睡眠をとれず

 

まともな指揮系統の無い中で、パッチワークが繰り返され、業況は悪化し

 

現場にただようのは無常観、無気力…

 

私の人生の何か月かは、このシステムのリカバリーに費やされた…

 

…んですが

 

そんなことが「悔しかった」わけではなくて

 

何が悔しかったかというのは

 

つまりですね

 

人が死ぬんですよ

 

医療系システムが

 

  • まともに動かなかったり
  • データーが狂っていたりしたら

 

そうだったら、人が死ぬんです

 

そりゃそうですよね

 

  • 自分の「マイナンバーカード」に、他人の情報が入っていたり
  • ATMがトラブって、お金が下せなかったり

 

そういう事があっても、ダイレクトに「人が死ぬ」っていう事は、ない

 

でも、医療系システムが狂っていたら、人が死ぬ。

 

というか、そういうタイプの医療系システムだったんです。かつ大規模なもので、日本全国の患者を対象にしたものでした。

 

だからですね

 

悔しい…

 

 

いや

 

というか

 

 

システム開発にトラブって、「人が死ぬような」システムが出来上がってしまって、そのシステム開発に自分も携わっていた から 悔しい…

 

…のでは無くて

 

問題はその、原因なんです。

 

その原因が、悔しい。

 

その原因とは

 

なんというか

 

みんなですね

 

開発者は、大勢の開発者が携わっていたそのシステム開発

 

みんなわかっていたんです

 

  • 責任者がいない、責任者がシステムを知らない
  • 理想論ばかりが語られる
  • 自治体の意見がまとまらない
  • 医療機関の意見がまとまらない
  • 組織の力関係などで、身動きが取れない

 

みたいなことが源流にあり、開発者はみんなわかっていた「このシステムはまともに動かない」

 

 

みんな沈黙していたんです。

 

「このシステム開発、このまま進めていったって、まともに動きはしませんよ。日本全国の医療現場に、そうとうに不幸な事件が起こる可能性があります」って、みんな、大なり小なり、感じていたんです。数年にわたる開発期間の間、ずっと。

 

みんな感じていたけれど、みんな沈黙していた。

 

「そんなこと言ったって、何も変わるわけじゃない。俺の責任じゃないし」

 

そういって、そう感じて、みな沈黙し、なんなら冷笑していた。

 

それが、悔しかった。

 

 

多くの 社会人は

 

巨大で複雑で理不尽な意思決定システムの前で、無力感を学習し、どう生きるかの選択を求められる。

 

そこで考えられる選択肢はおそらく一つしかなくて、それは「被害を被る前に逃げること」だと思う。

 

「被害」を「察知」し「逃げる」。これが正しい生き方で

 

正しい生き方が出来なかった人たちは、「学習性無気力」を発揮し、ただ隷従する。

 

ただ隷従した人達が「人の命」を、危うくする。

 

にやにや笑いながら、「私のせいじゃないから知らない」と言いながら、動かないシステムを作るし、狂ったデーターを作る。

 

私の幸福は

 

私はうっかり「学習性無気力」を、持ち辛い性格であったということで

 

それは私のサイコパス性でもあるわけですが

 

私はただただ、「学習性無気力」を持つことなく、ずっと「悔しい」気持ちで入れたわけで

 

その結果として

 

常に巨大で複雑で理不尽な意思決定システムが、私に無力感を学習させようとしてくることに抗うために

 

結果として見いだせた方法論が

 

「自分の会社を持つこと」で、あり

 

悔しい思いをした20代後半から準備を始め、44歳で今の会社の社長になり、今年私は56歳であるので、

 

「悔しい」から今日までを、ざっくり30年と捉えると

 

その30年のうち、後半10年は

 

所属する組織の最終意思決定者でいられて

 

まあ

 

幸せだっていう、話です。

 

 

そしてそんな私ですから

 

 

そんな私は

 

 

自分の会社の中に、つねに発生しようとする、

 

 「巨大で複雑で理不尽な意思決定システムに向き合う事で、無力感を学習し、冷笑しながら無責任な行動を始める」

 

事を

 

圧倒的な嫌悪感をもって、その芽をつぶす

 

私の会社の会社名「ソノリテ」とは「共鳴」という意味ですが

 

そんな私の波動が、会社の中や、世の中に、大きな共鳴を産み出し

 

「人が死ぬ」

 

のではなく

 

「人が人らしく生きる」

 

ということを起こすように…

 

 

 

~う~んだいぶ熱くなっちゃったな

 

 

もう止めます

 

 

学習性無気力かっこわるいです。

 

怒りをもって、生きよう

 

 

おしまい。