4月になりました。
当社【株式会社ソノリテ】
にも、新卒、既卒、転職、さまざまあわせて10名の新人が入りました。
それぞれに、年齢、性格、国籍などもユニークで、とても魅力的なメンバーです。
さまざまな個性をもった社員が、その個性を発揮し、既存社員との軋轢(あつれき)を産み、その先にあらたなシナジーが生まれ、ソノリテ全体の成長に繋がると良いなと、思っています
なぜ軋轢(あつれき)か?は、こちら
■新入社員の価値は「あつれき」をもたらすこと ~ナルシスト採用参加企業に聞く(後編)
私は今年の新入社員の皆さんに、ソノリテで働いてもらう事について、以下のようなキーワードでお話をいたしました。
・共鳴すること
・性善説で経営しているということ
・笑顔と覚悟で働いて欲しいということ
・ソノリテはどんな会社か?それはあなた次第
ここで、私の考えを、少し説明しておきますと、私は根本的に、自責的に生きることを良しとする人間なんです。
自責については賛否両論あるでしょうが、私は、自責的に生きる人を美しいと思いますし、仕事においても、美しいものや優れたもの、新しいものを産み出すためには、その制作者は、極めて自責的に自分を追いつめて、追いつめて、限界まで考えぬく。
そしてその追及の果てに、新しい何かが生まれてくるのではないかと思っています。
それが出来るのが「プロ」なんじゃないかな、とも思います。
逆の言い方をすると、私は、なんでも人のせいにしたり、安全地帯から人の批判だけして、自分は行動しない人を、美しくないと考えるほうですし、
そういう人は「プロではない」と思うんですね。
それと私は、自分の会社を、出来るだけ(ここ重要)、社員の皆さんが自主的に運営していただきたいと考えています。
なぜならば、当社が「プロ」にとって「良い」会社でありたいからなんです。
・自社は自責的なプロ集団である
・自主的なプロの活動を過去のルールで制約するべきではない
・よって当社にはルールが少なく、自主性で行動する事が出来る
■ルールを無くしていく
あくまで理想ですが、私は
・自社が主体的自主的自責的なプロ集団であり
・社員が多様であるならば
・会社は社員を出来るだけ縛らず、チャンスだけを与えるものであるべきだ
と考えています・・・
ところで、新年度
ネット上でこんな表現を目にしました
■【訃報】明日から懲役40年が始まる
つまり新社会人にとって、これから定年まで続く「社畜生活」を、懲役になぞらえて
シニカルに表現しているわけですね。
これに対し、Twitter界隈では
・定年が70までかも知れんぞ?そしたら懲役50年だ
・なにが懲役40年だ、生まれた時点で懲役80年だろ
・40年も同じ会社でちゃんと給料もらえて働けると思ってるの
・無理ならフリーでやるなり自分で会社創ればいいじゃん。
・まじで気持ち悪い。仕事にビビりすぎ!じゃあやめれ!
・真・魂斗羅のビル・ライザーなんか懲役1万年なんだぞ。
などなど、なかなか面白いネタが飛び交ったわけなんですけれども
まあ、本当になんというか、社会人になり自立する事への不安に対し、みなとても自虐的なんですね。
ストレスを前にしたときに、被害者意識に埋もれる事で、不安意識を転嫁することが好きなのだなと思います。
でも私は、残念ながら覚悟を感じない、弱さをさらけ出し甘え救いをこう姿は、正直、あまり美しいとは思えないんです。
だからそんな彼らが、いつの日か、力をつけ、何かを産み出したり、何かを助けたり、誰かに頼られたりするような、力強い社会人になってくれることを、祈ります。
育って欲しい。私の知らない所で。
最近、なんだかこう思うようになりました
「自分の幸せを定義していない人を、幸せにすることは出来ないんだなぁ」
私は、わりと幸せな人生を送っています。社長だし。
でも私はきっと、社長だから幸せなんじゃないんだと、思うんですよね。
私は、自分で幸せだと思う事を、幸せに近づくように“自由に”生きることが出来ているから、幸せなんですよね。きっと。
それに、なんでも「アイツが悪い、コイツが悪い、会社が悪い、世間が悪い」と、言っている人に
じゃあ「何が幸せなの?」と聞くと、答えてくれないケースが多いんですよね
隣の芝生を観て、なんとなく、隣の芝生のほうが幸せに見えて、それで、
「なんでうちの芝生は青くないんだ!」と、嘆いているだけだと、そんな風に感じることが多い
そうなると
「自分の幸せを定義していない人を、幸せにすることは出来ないんだなぁ」
と、感じてしまうんです
(いやいや齋藤バカを言うなよ。幸せの定義なんて決まっているだろ?)
と、反駁する人に話を聞くと・・・ワリとこう、自立出来ていない回答が多いと言うか・・・
・出来るだけ怒られたくない
・出来るだけ遅くまで寝ていたい
・出来るだけ多くお金が欲しい
・出来るだけ遊ぶ時間が欲しい
・出来るだけ楽をしたい
というような・・・
そういう人にとっては、例えば「学生」と「社会人」という生活のギャップはそれはとても大きなものでしょうし、そうなったら「ああ今から懲役40年か・・・」と思うのも、無理はないと思うんですよね。
「はじめて働く」人が、社会でやっていく自信に、満ち溢れているはずもなく、そんな新人に先人も、「まあワガママ言わずにとりあえず3年辛抱しろ」程度のシニカルな発話しか出来ないとする。
みんなでガマン大会。それが社会。そんな雰囲気。それなら確かに、「懲役」かも
そういった自虐的社会観がわりと支配しがちな、気がしています
ところでここで言う「懲役」とは、なんの比喩なんでしょうね?
私は「自由が奪われること」ではないかと、思います。
会社とは「ルールの塊」ですからね・・・
はい、また出てきましたね。ルールの話・・・
私は、大企業あるいは大企業的な会社において、自主性の発揮はある程度制約されるべきではないかと考えます。
大企業には、その会社が大企業となりえた優れたビジネスモデルや強固な組織、社風のような物が存在するからです。
その大企業の「大企業となりえた」成功を、後から入社したものが、その恩恵に預かるわけですから、
それはもう、「先輩たちの言う通りの行動をしろ」と、いう事に、なるわけですね。
ここでいう「先輩たちの言う通り」というのが、ルールですね。規則。
あるいは社風だったり、タテ社会だったり、「求められる人財像」だったりするわけです
■当社が欲しい人財の定義は「よくわかんない」
「大企業の成功体験の恩恵」を享受するためには、自主性を抑え込み、会社の規則に
従って「言われたことを出来る」人間であるべきだと、私も思うんです。
で、そんな組織ならば、必ず、先輩のほうが偉いんです。だって、「その組織」に何年も従属し、「慣れている」わけですから。
「若いやつは、先輩のいう事をきけ。それが当社の、やり方だからだ」
と、こうなりますね。
だから若い人も、「思考停止」で、いいわけで・・・
・・・
・・・ちょっと大企業批判みたいになってきちゃったので、それが本意ではないので、話を戻しますが
つまりなぜ「懲役」なのか? それは、「自由を奪われること」
企業に入れば、過去の成功体験の恩恵に預かろうとするなら、「郷に入っては郷に従え」
・・・では問題です
そこで奪われる「自由」とは、なんですか?
そこが問題だと、私は思います。
言っては悪いですが、SNS上でだらしなく呟かれている多くの「懲役40年論」の
大多数は
・出来るだけ怒られたくない自由
・出来るだけ遅くまで寝ていたい自由
・出来るだけ多くお金が欲しい自由
・出来るだけ遊ぶ時間が欲しい自由
・出来るだけ楽をしたい自由
が、奪われていると、言っているに過ぎない
これだと私的には、美しくない・・・という事なんですね
働く人は「プロ」であってほしい
今年新社会人になった人は、今プロじゃなくても、プロを目指してほしい
「凄い人」になってほしい
極めて自責的に自分を追いつめて、追いつめて、限界まで考えぬき、美しいものや優れたもの、新しいものを産み出せる、プロになってほしい
私はそのように、考えています。
だからね
当社はやっぱり、「プロ」を目指す人にとって、自主性が発揮できるようにしたいから、たぶん永遠に、大企業には、ならないです
ただ・・・
出来るだけ多様な人達が、出来るだけ多様に、自分の強みが発揮できる当社になるためには、ある程度のビジネスサイズが必要だから、多様な事業を展開する、大きな会社にはしたいのですけれど・・・
大きな会社にはしたいけど、大企業にはしたくない。
プロ集団が硬直化せず、自主性をもって運営し、常に変化しているソノリテでありたい。
このジレンマに向かって、社員の皆さんと共鳴していきたい。
新人さんを迎えての、齋藤の気持ちであります。
例によってダラダラした文章を、とめどもなく書きまして申し訳ない。
■まとめ
当社に入られた新人の皆さんへ、
・堕落した欲望しかもっていない人には「ああ懲役だ」と思われてもかまわんが
・プロを目指す人には「自由な会社だ」と思われるよう努力してルールをなくしチャンスを与えます
ので、よろしく~
■追記
ソノリテの社風などがわかる「エイプリルフール2017ネタ」はこちら
色々なところをクリックすると、動画がみられます~