・Aさんと、出逢う
・Bという問題がおこる
・Aさんが、解決してくれる
とか
・Cさんと、出逢う
・Dさんと、出逢う
・CさんとDさんが、実は知人だった
・距離感が縮まり、想定もしていなかった新しい何かが、産まれる
とか
人生におけるめぐり会わせ、めぐり逢いとは、なんとも面白いものだなぁ そう、思うんです。
大抵において、事件や事象、仕事や遊びは、人との出逢いからスタートします。
だとすれば人生とは、その全てが「人との巡り合わせ」に依存している。
・素晴らしい人に出逢えるならば、素晴らしい人生となる。
・悪人と出逢っているなら、悪い人生となる。
人との出逢いを、舐めていてはいけません。人生は自分で切り開くなどと、自分の人生は自分で決められるなどと、過信してはいけない。
人生において「誰と出逢うか」ということを、もっと真剣に、考えるべきです。
また、反面
自分と言う存在が、他人にとって「出逢うべき魅力がある人か」ということについて、もっと真剣に、考えるべきです。
人生のエポックは多くの場合、他人がもたらす意外性の中にあります。
・どういう時期にどういう人間と出逢い、自分の人生がどうかわるか
を、良好な方向に設計するには
・自分が他人にとって出逢うべき人であるか
という客観との因果関係があります。
それとあと二つ
・出逢うべき人が集まる場所に行く事
・出逢うべき人と同じ言語で話す事
この三つが揃えば、自分の人生を他人との出逢いによって良質な方向に変えることが可能になっていきます。
むかしTwitterにこんなことを呟いたことがあります
良いマッチングの為に必要な事は、1)こちらが魅力的であること。2)魅力的な相手の溜まり場にこちらの情報を露出すること。3)共通言語で話すこと。の3点だと思うのですが、3)が見落とされがち
— 齋藤和政 (@saitoukazumasa) 2014, 4月 2
また、こんなことも
今日もまた、自分一人で考えていたら、絶対に開かなかった扉が、開きました。 こういう現象を、縁(えん)と言うのでしょうね。 当たり前の事だが、ご縁を大切にして行こうと思います。 俺なんて何も価値がない人間だけれど、縁には無限の価値があるわけだし〜
— 齋藤和政 (@saitoukazumasa) 2013, 10月 11
よく
・運が良い
・人との巡り合わせが良い
・人が自然と周りに集まってくる
と言う人がいます。
わたしも、自分には少しそういう所があるなぁと思っていますし、そうありたいと思っています。
そういう人って、やはり
・出逢うべき人が集まる場所にいる(行動)
・出逢うべき人と同じ言語で話せている(コミュニケーション)
・その人自身が、相手にとっても出逢うべき存在である(魅力)
という三要素を、実践している人なのではないかと思います。
私も常に、良きめぐり逢わせに辿り着くために、出逢いたい人に対して、情報を発信していきたいと思っています。
私個人の情報発信、その一例は、これですw
お暇なとき、観てやってください
【カイザー☆齋藤のオールナイヨニッポン】Vol1:アウシーシンジャンピョという国 - YouTube