在宅勤務について色々考えている事

私は、自分の家が好きです。

 

私は、自分の家を、めっちゃリラックス出来る空間にしています。めっちゃストレスのない空間にしています。あとめっちゃ趣味の空間にもしています。

 

だって自分の家だしね。そりゃそうでしょ?

 

疲れて帰ったら、リラックスしたい。仕事以外の事に包まれたい。仕事の事を忘れたい。

 

そうやって生きてきました。だから自分の家には、そういう空間としての機能を期待していました。

 

そんな「家」で、みなさんは「仕事」、出来ます?

 

自分にとってめっちゃリラックス出来る空間、めっちゃストレスのない空間、めっちゃ趣味の空間である「家」で、「仕事」、出来ます?

 

さっきまで寝ていたベッドがそこにあり、スイッチを入れたら続きが始まるゲーム機がそこにあり、HDDに録画が溜まったビデオやネット映画を再生できるリモコンが手の届くところにある

 

状況の大小はあれ、大抵の人にとってそれが「家」でしょ?

 

そんな環境で、「仕事」、出来る?

 

俺は、出来ないわ~ はっきりいって。


「(どんな環境でも)集中すれば仕事は出来る」って言う人もいるけど、それって「出来る」という答えありきの発想なんじゃない?でしょ?

 

たまには家でも仕事モードになったりするけどね、それはね、たまに ですよ た・ま・に

 

まあ、私は、家で仕事は、出来ません。

 

Twitterだったかな?面白いアイデアを読みました。

 

「在宅勤務を上手くやるコツは、服をちゃんと着替える事」だ、そうです。面白い発想ですね。

 

そして真理ですね。

 

ようするに「仕事モードになること」ですね。通勤や出社にはそういう機能があります。

 

家にダンベルを買っておいても、なかなかやりませんよね。やっぱジムに行って「鍛えるモード」にならないと、体、鍛えられない。それと同じ。

 

会社に行って「仕事モード」になったほうが、やっぱ仕事って、する。

 

私は「家」で仕事しなきゃいけない時は・・・まあ最低限、やらなければ行けない事を、なんとか気持ちを作って、せいぜい1時間くらい、なら、まあ出来るけども・・・私はそんな感じ。

 

私は「気持ちの切り替えが下手」ってのも、確かにあるかも知れない。けれど、何しろ私にとって「家」は、とてもリラックスするスイッチ「リラックスモード」になれる場所なんですよ~

 

だから、私は、出来ればそこ(家)に、仕事を持ち込みたくはない。

 

仕事を持ち込みたくないというか・・・仕事のストレスをって感じかも知れないけども・・・

 

せっかく「リラックスモード」になれる家を、仕事のストレスを受ける場所にすることは、感覚的に拒否りたいわけです。

 

皆さんは違うんですかね?

 

本当に違うの?

 

いや、「在宅勤務がちゃんと出来る人」って居るんですよ。気持ちの切り替えがちゃんと出来る人なのかな。家で仕事をすることに慣れていて、私ほどは「むずかしい」と思わない人。

 

うちの会社でも、在宅勤務でキチンと成果を出している人が、います。

 

尊敬するわマジで。

 

でも、こういっちゃ悪いけど、普通の人は、「家だとダラケる人」の方が、多いと思うんですよ。

 

だって「家」だよ?

 

繰り返しますが、めっちゃリラックスしたいとか、趣味に没頭したいという要件を満たすためにチューニングしたのが「家」ですよね?

 

俺のような人間にとっては、「家」ほど仕事に適さない場所ってないですよ。

 

誘惑だらけです家は。

 

少なくとも俺みたいな人間にとって、もっとも仕事に集中できない場所。

 

それが「家」なんじゃないですかね?

 

・・・例えば受験勉強は家でちゃんとやってました。そういう人も・・・まあ居るでしょうけどね。

 

ほんとですかね?

 

ほんとうに、例えば受験勉強はチャンとしていたとして、でも同じ理由で、家でちゃんと仕事が出来ますかね?一日8時間もですよ・・・

 

私の身の回りの、多くの人に、本音ベースの話を聞くと

「家だと、やっぱ基本的にはダラける。だけど通勤のストレスや流感対策、あるいは個人的な都合を考えると、在宅勤務をうまく活用したい。」

くらいの意見や感覚を持っているようです。

 

まあ、普通の多くの人は、それが率直な感覚だと思うんだよね。


だから、「在宅勤務」って簡単に言いますけど・・・

 

そして私が、自社に在宅勤務制度を完全自由化することなんて簡単なんだけど・・・


世の中も、在宅勤務を推奨するムードですけれども・・・


皆さん、本当にどうするの?

 

本当に家で「仕事モード」になろうっていう気合い、あるの?

 

そしてそれ、どうやって実現するの?


ダラケちゃわない?

 

人間、一度ダラケたら、なかなか戻れないよ?知ってますよね?

 

本当に、大丈夫?

 

 本 当 に、 大 丈 夫 ?

 

 

まあ、まず、それが基本的な問いです。

 

ですから当社は、在宅勤務を希望する本人とよく話をして、個別に例外対応の形で在宅勤務を許可しています。そんな感じ。

 

 

ではここから、得意の4分割。


社員の性質を4分割してみましょう

 

  • 縦軸:家で仕事が
    a)出来る人
    b)出来ない人(俺みたいな人)

  • 横軸:在宅勤務を
    1)やりたい人
    2)(業務都合などで)やりたくない人


と分割して考えて、傾向をみましょう。

 

  1. a)の1):家で仕事が出来る人で、在宅勤務をやりたい人

    この人に在宅勤務をやってもらえれば、きっとパフォーマンスが上がるでしょうね。
    気質的にも業務的にも家で働けるという人から、通勤などのストレスを排除出来るんだから。この人のQOLも上がるでしょうし、会社としてもハイパフォーマンスが期待できる。
    この人が「身体を壊す」みたいなリスクも減るでしょう。

    当社にもこのタイプの人が何人かいますから、先の方針のように、特例的に在宅勤務を認めています。尊敬しますよホント、家でも仕事出来る人。


  2. a)の2):家で仕事が出来る人だが、(業務都合などで)やりたくない人

    こういう人の存在は、今、あまり顕在化していませんが、もしかしたら顕在化していないことに問題があるかも知れません。

    しかし「明らかに在宅勤務には向かない仕事をしている人」ばかりではなく、例えば「まだ入社したばかりで、職場の人間関係を構築したい人」とか、「今からしばらく、チームで膝詰めで議論して結果を出したいタイミング」とか、「在宅勤務をやりたくない」という状況は、さまざまなシチュエーションで起りえるはずです。

    こういう人や状況の存在があまり顕在化していない中で、一様に「在宅勤務推奨」みたいな「在宅勤務をするのが正解」みたいな会社指示を出す事は、社員のエンパワーメントを損なう可能性が、私はあると思っています。


  3. b)の1):家で仕事が出来ない人だが、在宅勤務をやりたい人

    このタイプが、大問題ですね。

    とりあえずこのタイプには2パターンの人がいると思います

    i)この機を利用しサボりたい人

    なんだかんだ言って、ただサボりたい。まあ上手い事言って給料だけもらえればいい。とりあえず何とかして、大好きな家にいて、仕事は「しているフリ」をしておこう。脳が働いていなくても、パソコンの前にたち手指だけ動かしていれば、なんとか仕事をしているような業務ログは残るだろう。

    残念ですがこのタイプが、あなたの会社に居る事が不幸ですね。サボりの確信犯なのでね。

    そういう性質の人が必要な仕事は、あなたの会社の他にもあるでしょうから、転職でもしてもらったらいかがでしょうか?転職していただくなら今がチャンスです。人材不足ですので。もうちょっとしたら不況になるから、チャンスは無くなります。

    ただ、「在宅勤務とは言わず、ずっと家に居たら?もう会社に来なくていいよ」みたいな言い方は、今時はパワハラです。ダメです


    ii)自分は在宅でも働けると勘違いしている

    このパターンもいますよね。このパターンの人の業の深さ、根の深さ。自分の良い様に理論を重ね、自分の良い様に自分の記憶を改ざん出来る。自分にウソがつけるタイプ。

    まあこのパターンの人が在宅を希望するのはやむを得ないでしょうね。このタイプは例えパジャマでベッドに横になっていても「仕事の事を考えていた」と、平然と業務時間であると主張しますし、自分で自分にウソがつけますから、「なぜこんなに真面目な自分を信じてくれないのかわからない」みたいな理屈をこねるでしょう。

    このパターンの人は自分の中では自分をa)の1)タイプだと思っているんですよね。自責的な観点が成熟していない若い人は、総じてこの傾向があります。

    まあこのパターンの人を「時給型労働」につかせていたとしたらそれは残念ですね。本人にとっても苦痛でしょうし、会社としても管理コストが増長します。

    このタイプの人にあう適職が有る、つまり「勤務に対する姿勢」が問われないようなスタイルのパフォーマンスが、その人間から産み出されているかを測るべきでしょうね。

    が、私は、こういう人間の「勤務に対する姿勢を問わないパフォーマンス」(例えば閃きとか、プレゼン力とか、対人能力とか、タレント性、カリスマ性)みたいなものは、人間の集合の中でこそ発揮しやすいものが多いと考えています。

    だから私の考えでは、このタイプの人間は、結局出社してこそ価値を発揮します。つまり在宅(で出来るような業務)は向かない。

    ということは、結局は出社させた方が良いです。

    だから時差出勤などを拡大し、なんとか出社させましょう。

    きっとこのタイプは、最も遅い時差出勤時間に、さらに遅刻をして出社してきますよ。そのくせ自分の中では正当性を主張出来ると思っています。

    まあ、仕方のないことです。うちの会社にも、何人かいます。


  4. b)の2)家で仕事が出来ない人で、やりたくもない人

    このタイプは自分にウソをつかず、実直であり、会社にとってとても有益な人だと思います。そしてストレス性の高い仕事も請けてやりこなしてくれる人だと思います。

    ですがこのタイプの人には、先に私が言った理由のように「家はリラックスする場」であることに強い意味を持っている人がいる可能性があります。

    このタイプの人の中には公私混合が上手くなく、会社のストレスが「家」に侵入してくると、ストレスが継続してしまい問題状況になる人がいると考えておく必要があると思うんです。

    リラックスできる逃げ場である「家」を、保ってあげるべき。

    最悪の場合このタイプの人に、交通事情等だけで無理に在宅勤務を命じたとしたら、仕事のストレスから逃げ出す空間を、家以外に探し出す必要が出て来て、それは例えば通信手段を経ち音信不通になるというような形で現れる事だって、あるのではないでしょうか?

 

はい、こんな4分割。

私は「在宅勤務と社員の質」について、上記の4分割のような考えをもっています。

 

みなさんは、いかがでしょうか?

 

この4分割の人の割合や業務内容との適合性を考えつつ、当社は、オリンピックや新型コロナウィルス対応の時系列に対処療法として考えるのではなく、あくまでも会社の「働き方改革のレベル上げ」として、社内のタイプレベルの変化にしたがいながら、在宅勤務を今後拡大、公式化していくつもりです。

 

(時差出勤は、すでに高いフレキシビリティで実現しています)

 

まとめます。


私たちは「働き方改革」で、働く事に対し高い裁量権を得て行くハズです。

 

ITは働く時間と場所の選択肢を高め、これからも高度化していくハズです。

 

そんな中で「働く人」はさらに自立、自律し、自己分析を高め、働き方を自分で選択しなければ、ただただ、成長の無い堕落した存在に落ちぶれる可能性があります。

 

在宅勤務を哲学し、自らを成長させる働き方を見つけて行きましょう。

 

おしまい~

「裏垢」やめませんか?

以下は中川翔子さんのツイートからの引用です。

 

 

 

裏垢をやめませんか?

 

理由は、過去との決別です。

 

過去と決別しましょう。

 

人間は、(普通は)成長します。成長しているハズです。

 

昨日より今日のほうが、「良い人間」「優れた人間」に(普通は)なりマス。

 

実感がないかも知れませんが、少なくとも、日々少しずつでも「優れた人間」になったほうが、良いデス。

 

そこは良いですよね?「昨日より今日の方が劣った人間になるはずだ」という実感を持った人は、少ないですよね。

 

ということは、つまり逆に言うと、今よりも過去の自分の方が、劣っています。劣っているハズです。

 

当たり前の話ですよね。誰もが過去の自分のほうが幼稚なハズです。

 

それなのに、人は過去の自分に囚われています。

 

過去の自分に囚われ、過去の自分を正当化する為に、時間を割こうとしてしまいます。

 

そして、過去の自分は現在の自分より愚かなのに、過去の愚かな発言を正当化するためにポジショントークをし続けていれば、「過去の愚かな自分」の方が「本当の自分」であるかのような、錯覚を起こしてしまいます。

 

なぜならば、人間は変化に弱いからです。

 

人間は変化に弱く、変化にストレスを感じがちです。そして成長もまた変化です。

 

「過去の自分」を「本当の自分」と錯覚していると、何か成長出来る事象に相対した時に、その事象が「(幼稚な)本当の自分」を変化させるものと、敵対視してしまい、「自分を変えようとする恐ろしい事象」と捉えてしまいます。

 

そしてその捉え方は、アナタの成長を阻害します。

 

だから「過去の愚かな自分」を「思い出させるもの」は、出来るだけ無い方が良いのです。

 

「裏垢」はその典型的な物です。

 

「裏垢」にある匿名の呟きは、大抵、以下のようなものではないかと思います。

  • 脊髄反射的なからかい、いやがらせ、差別
  • 傷の舐めあいを求める何か
  • クソリプ
  • メンヘラ的発話
  • 低次の笑いやくすぐり(おっ○い!ちん○ん!など)

 

まあ、アナタの美しい未来には不必要な、本音と言う名の「便所の落書き」でしょう。

 

それを過去のアナタが書いてしまったのは、仕方がないんです。

 

だって過去のアナタは、今のアナタより、幼稚だったんだから。

 

問題は、それを後生大事にとっておいている、アナタの体たらくです。

 

ましてやその裏垢に書いた便所の落書きこそが、自分の真実の姿だ!などと、下らない思い込みに頓着していたとしたら、それこそ体たらく。

 

アナタがもし、世の中に対して、

  • なんで私は幸せになれないんだろう
  • なんで私を助けてくれないんだろう
  • なんで私は勇気がないんだろう
  • なんで私はモテないんだろう
  • なんで私はカッコワルイんだろう

と、少しでも思う所があるなら、

 

そんな事を少しでも思う、美しい情緒があるならば、

 

世の中を嘆く前に、クソみたいな幼稚な裏垢をいつまでもとっておいていた自分を恥じ、今すぐ裏垢を捨てましょう。

 

今より劣っている自分にいつまでもシガミついていると、アナタは被害者になるんじゃないかと思います。

 

あらゆる角度から幼児退行を仕掛けて来るメディアのマーケティングに、太刀打ち出来なくなるんじゃないかと思います。いや、もう成っているのかも知れない。

 

だから、漠然とした留まり感の不安感情からくる緊張を弛緩させる系の癒しを求めるとでも言うか・・・バブみだオギャりだ転生だ・・・も良いけれど、でも結局、アナタの未来を構築するのはアナタなので、下や後ろを向く時間よりも、前や上を見る時間を増やせるように・・・

 

その第一歩として、まずは裏垢をやめませんか?それが私の提案です。

 

 

あ、あと、ちなみに

 

私の黒歴史であるyoutube【カイザー齋藤のオールナイヨニッポン】は、消しませんね。

 

これはね、黒歴史を作ろうとして作ってるからね。だから消しませんよ

 


Vol41:ラッサイ・モサイ・マーサインという刃物【カイザー齋藤のオールナイヨニッポン】

https://youtu.be/QiAiAgc2YZ0

 

年頭挨拶

■今年は社外BLOGで年頭挨拶をします

 

唐突ですが、今年、2020年の「(社長の)年頭の挨拶」っていうやつを、BLOGに書く事にしました。

 

まあそもそも年頭の挨拶なんてやつをまともにやったこともないですけど。

 

来年はどうするかも、決めてませんけど。

 

「なんで社外BLOGか」って話ですが、そもそもオープンイノベーションを実行していくのに、大体の事は社外も社内も無いはずなんですよね(もちろん社外に持ちだせない機密情報ってのはありますが)。


私が「これから株式会社ソノリテをどうしたいか」っていう表明について、「その情報を誰が欲しいか?」という事を、私の方から社内に閉じる事は無いと思ったわけです。


社外にだって、株式会社ソノリテとか、その代表の齋藤とかが、どんな考え方で会社をどうしたいか?って事に、興味のある人はいるはずです。

 

逆に、社内にだって「そんなの(齋藤の考え)には興味が無い」っていう人が居ても良い。その人にとって株式会社ソノリテが、何らかの理由で価値があるなら所属していればいい。別に「齋藤の年頭挨拶を聞く事」を、義務にするつもりは無い。興味があったり、利用価値を感じたりするなら、あなたの時間を利用してこのBLOGを読めばいいよ。強制はしない。


逆に私も、これはいつも言っている事だけど「おまえたちはこう動け」という気は無い。

 

ただ、私は会社の代表だし株主だから、私が株式会社ソノリテをこうしたいという事はココに書いておくので、それに共鳴すれば動けばいい。社員ならそうすればいいし、社外の人も何か共鳴するモノがあればなんらかのアクションを起せばいいと思うよ。


逆に共鳴も共感も無さそうならば静かにぺージを閉じ何か別の事に時間を割きましょう。

 

社外公開といっても、内容は基本的に社員向けです。それはまあ、許してください。

 

これは株式会社ソノリテのSR的なメッセージではありません。お客様に対する美辞麗句や社会に対する貢献的メッセージではありません。

 

あくまでも、社員に対する「年頭の挨拶・会社の方針説明」です。

 

 

■給料を1.8倍にする為に

 

さて当社(会社名:株式会社ソノリテ)は、2017年頃から「ソノリテ働き方改革」を行っています。

 

社員の皆さんはそのことをなんとなくウッスラ知っていると思いますが、これも「知れ」という気はなく、私から全社説明会などの押し付けはしないので、「教えて欲しい」という事があれば申し出てください。気が済むまで徹底的に説明します。

 

その「ソノリテ働き方改革」で打ち出している幾つかの方針の中には「給料を1.8倍にする」というモノがあります。現在これを着々と進行させています。

 

そして「給料1.8倍」すなはち一人一人の社員の高付加価値化を進行する方向性として、「自主性尊重」があります。

 

働く事に対し自主性の有る無しが個人のパフォーマンス向上、エンパワーメントに大きな影響を持つことは解説せずともわかると思います。

 

この自主性尊重を行うために、ソノリテでは「会社が指示、命令する」という構造をもつ組織・行事等を基本的に破壊しています。2017年には組織を無くし、上司部下の関係をすべてフラット化しました。

 

私達の会社は、誰かが会社や上司の命令で動く組織ではなく、必ず自主性が尊重され、自主性の集合によって前進するようにして行きます。これが基本です。

 

だから私はもう、「社長の挨拶を聞け」というメッセージを社内に投げかけません。独裁者やカリスマが大演説を行い皆がそれに従い進むような組織を否定したいからです。

 

よってこのBLOGの存在も「良かったら読んでみてください」程度のアナウンスにします。

 

かつ、我々が唯一無二のオンリーワン企業でありオンリーワン製品を産み出したり高付加価値なサービスを行える頭脳集団であるためには、多様性を統合する能力を前提としたオープンイノベーション型コミュニティである必要があると、これも常日頃謳っているわけですが、

 

「それならもう、会社の中も外もないじゃん」

 

っていう事で、年頭挨拶を、社内外の人が誰でも読めるBLOGに書くわけです。

 

ここまで、纏めると

 

  • 自主性のある人が尊重される会社なんだよ。誰も命令しないよ。
  • 社長の社内向け挨拶も公開するよ。読みたい人だけ読んでね。
  • うちの会社は給料を1.8倍にするよ。その為にオープンなんだよ。

 

って感じです。では、書きます。

 


■ここまで株式会社ソノリテがやってきたこと

 

株式会社ソノリテは2009年12月に創業した会社です。

 

そして齋藤は2011年7月にソノリテの社長になりました(私は創業社長ではありません)。

 

私がソノリテに来た時、社員は8名しかいませんでした。その時ソノリテは、創業からずっと赤字の会社でした。


その会社が、今は社員50名になりました。

 

最初のソノリテは、取り柄のないSES企業で、社員は皆、常駐先に居ました。

 

その当時のソノリテは、リーマンショックの不景気を主因に、親会社から赤字を背負って切り離される為に作られた捨て子会社でした。創業社長は二年を待たず職責を辞しました。(ちなみに、今まではそういう赤裸々な言い方は控えて来ましたが、今はもう、その当時の親会社も存在していませんし、過去の話です。傷つく人も少なくなったと思いますので、歯に衣を着せず、言います)

 

そして2011年当時、ソノリテへの発注者として縁があった私は、この会社の社長となり、以下の方針をたて、2019年までに実行しました。

 

  1. 特徴の無いSES経営を止め、強みをハッキリともった会社にする
  2. 仕事は持ち帰る。常駐を止める。
  3. 無理な請負開発をしない会社にする(仕事の完遂責任を請け負うのではなく、技術力を買ってもらう会社にする)
  4. 面白い華やかな事業もやっている会社にする。ゲームなど
  5. 下請けをせず、大企業と直接取引をする会社にする
  6. 強いストックをもつ会社にする
  7. 自社商品やサービスを企画・開発・販売出来る会社にする

そしてこれらの改革を実現する為に、変化を起こしました。


まず、1)~6)の構造へ改革する為に、取引き企業からのサーベイに耐えうる事業構造(売上など)の拡大を急速に行うため、社員を急速に増やしました。


先にも書いた通り改革前のソノリテ社員数は8名でしたが、社員数を一気に60名強まで増やしました。人財不足と言われているIT業界において人の拡大は難問ですが、ある種の「ソノリテらしさ」を私が私らしく率先牽引する事で、なんとか成し得ました。

 

短期間において紆余曲折もあり、決して楽な道のりではなく、失敗も多くありましたが、結果として1)~6)を完遂しました。

 

そしてこれまでに当社は、以下の企業となりました。

  • Microsoft Office 365のITプロフェッショナル企業
  • 働き方改革提案企業、自らも独特な働き方を実践している特徴企業
  • アナログカードゲーム制作なども好調なオモシロ企業 
  • 大企業と直接取引をし、下請けをしない企業

これが、これまでソノリテがやってきたことの総括かなと思います。


そしてここまでやってきたことは、先にも書きましたがある意味で私が牽引してきたと言っていいと思っています。

 

ですがこれからは、私は事業の牽引役からは降ります。

 


■これからソノリテがやりたいこと

 

昨年2018年7月に新本社に移転したのをきっかけに、ソノリテはタグラインとして「Think COLORFUL」を制定しました。そして経営方針として、先の

 

 7.自社商品やサービスを企画・開発・販売出来る会社にする

 

へのシフトを急速に行うために、今までの方針から大きく異なる、いわばリストラクチャとも言える構造改革を実行しています。2020年はそれが本格的にソノリテの主流になっていく年になろうと思います。


この構造改革とは、「売上イコール人数」的経営から、「売り上げを作れる頭脳集団」への変革です。


「頭脳集団」であるソノリテが目指してほしい基底的な考え方は、共鳴(ソノリテ)ファウンデーションに「5つのP」としてすでに示しています。

  • Professionalism:プロ意識
    ソノリテという会社は、プロ意識が持て、プロ意識を評価され、プロとして自分を研鑽することが出来る
  • Pride:プライド
    ソノリテという会社は、自分の仕事や存在にプライドがもてる
  • Proactive:主体性
    ソノリテという会社は、仕事などを主体的に取り組むことが行いやすく、主体性が尊ばれる
  • Philosophical:哲学性
    ソノリテという会社は、会社や仕事から好ましい哲学を感じられ、社員にも哲学を要求される
  • Playful:アソビゴコロ
    ソノリテという会社は、会社や仕事にアソビゴコロが感じられる

上記の共鳴(ソノリテ)ファウンデーション「5つのP」を意識しながら、ここまで培ってきた大企業のお客様とのリレーションやポートフォリオ、カードゲームやVR系ラボ開発等を経て来て積み上げたカルチャーなどを総結集し、新しい分野に新しい製品を作り産み出し販売していく組織へ変革することを期待しています。

 

ある意味、労働集約型メインで成長してきたソノリテは今、「より筋肉質な会社になるためのぜい肉落とし」が必要であり、2018年の本社移転を機にそれをやっているとも言えます。

 

ですので我々の会社は現在60名強の体制から50名を切る形へと改変していて、それは有用なストック、有用なコンサルティング能力、有用なカルチャーという「筋肉」を残してダイエットした形であり、これからもソノリテの「筋肉質化」は進んでいくと思います。


この筋肉質化は、簡単に言えば「給与1.8倍」を実現する為の手段です。

 

より社員一人ずつの付加価値が高い状態が生まれ、結果として給料が1.8倍に出来る状態になります。


とはいえダイエットには苦しみがつきものですし、何もかも「理想通り(筋肉を少しも落とさずに)脂肪が落とせる」わけでもなく、「チャンスが理想通りのタイミングで都合よくやってくる」というわけではないので、事実実態には子細な課題も起きています。それは皆さんも理解出来るかと思います。このダイエットの進行は複雑です。


なぜ複雑なのかの本質は後半に「シマウマ・パンダ理論」で説明します。

 

本日までの、この複雑性を持った改革は、時に社員の皆さんの心理的安全性を乱すような雰囲気を作っている可能性もある、過激な構造改革でもあったのかと思います。


しかし私はこれを成長痛だと捉えています。変化やストレスに弱い人は基本的に当社のような「変化し、最短距離で成長する」ことを狙う特徴企業の方針には、ストレスに思え、拒絶すべき対象と捉えて来たのではないかと感じもします。


その件について齋藤は昨年まで「変化を恐れる人はソノリテに居るべきではない」と説明していましたし、そのような態度をとっていました。


が、2020年からは多様性経営の枠を拡大し、2019年まで行ってきた構造改革の結果をベースとしながら、

  • チャレンジしたい人に、刺激的な道場でありつつ
  • そうではない人に、そうではない働き方を提供する

そんな両極端が混在するソノリテを作って行こうと思っています。ソノリテはやっと
その時期に突入出来たと思います。ただし本件は後半(自尊心の項)に、問題点なども含めて説明をします。

 


■頭脳集団の中で、齋藤は事業の牽引役ではなく、全体の推進を行います

 

さて先に私は、これからのソノリテで私は事業の牽引役からは降りると言いました。

 

ソノリテがより頭脳集団になっていく中で、皆さんが自主性を発揮し様々な「自社商品やサービスを企画・開発・販売」して行く事を、バックアップする立場に変わっていくつもりです。

 

もう一部の組織コミュニティにおいては私の存在なくして事業が好循環していますし、その方向性を私と調整するのみであり、私はそのコミュニティを尊重するだけで良い立場になりつつあります。


ですが我々の目指す高付加価値型組織はそのような「小さな成功」「順当な勝敗」に甘んじるべきではなく、時に成功している組織こそそのような変化偏重型未来像に対し眼を伏せがちです。

 

あるいは小さい成功に対し権利を主張する縮こまったクラスタを形成し、成長から目を背け、楽をしようとするのが人間というモノですから、私は「ソノリテ」という空間を常にチャレンジングでありオンリーワンなモノにするため、組織を常に挑戦型に仕向ける全体進行を司るのみとします。


別に「かき混ぜる」という事だけを役割とするわけではなく、そこに生まれる頭脳の動きこそがイノベーションに向かう頭脳の活動になるはずだと思うからです。


私はソノリテが「頭脳の動きがイノベーション型になるような多様性組織」であり続けられるよう会社を運営していきますので、皆さんはプロアクティブにそれを利用し、会社の理念である「社員の成長」を実現してください。

 

それはきっと皆さんや皆さんの組織コニュニティが新しいプロジェクトに常に挑戦するというスタイルで事業に落ちるでしょう。その事業が事業然としてくれば、その事業体は会社として独立することになると思います。

 

ですがその独立が「こじんまりした小さな成功」というイノベーションのジレンマに陥らないように、私がソノリテという方法論で上空から統治し皆さんに良質な共鳴が生まれるように努力します。

 


■2020年に期待しているモノ

 

「自社商品やサービスを企画・開発・販売出来る会社にする」動きの中で、すでに皆さんから、2020年に期待出来るモノが沢山提案されています。


当社が「働き方改革企業」として活動してきたノウハウをさらに加速させるパッケージ群として、「C.O.D.Y..(会議改善AI)」「ほたる(働く場所と時間の自由度向上)」「PacciPacci(褒め合いで社内Know Who)」などで、これらが日本企業に提供出来る付加価値は高く、導入も簡易ですから2020年にはB2B市場から一定水準以上の反響を得る可能性があると思っています。

 

これらの本格的リリースに向けて、齋藤は最終責任者として強度な(最悪の)関所レビュアーとなっていく覚悟です。私も必死で各分野について勉強しますので、チームの皆さん、特にプロダクトオーナーの皆さんの突破力に本当に期待しています。共に頑張りましょう。


その他「女性活躍」を主題にしたメディア展開や、「人財不足に対応する企業PR用SNS向けビデオを代金後払いで制作」するサービス「ポピカルビデオ」も2020年にお目見えするのだと思います。期待大です。


また、既存ソリューション群、Microsoft Teams(Office 365)に関する総合的コンサルティングや保守サービス(SSS:スリーエス)あるいは教育サービス(テラスク365)も好調であり、今年はさらにサポート範囲の拡大やホスピタリティの向上を行ってくれると思っています。


コンシューマサービス部門では昨年度ゲームマーケットやYouTuberの間で大好評となった「コンガラッチョ」系のビジネス拡大や、デジタルゲーム分野の新作もマーケットに投入する予定であり、また別企画ブランドからは音楽系の異質商品展開も予定されており、本当に楽しみな一年になりそうです。


これらはすべて「頭脳集団」たる皆さんが頭脳を振り絞って考え、回りの有志が支えて出してくれた結果であり過程です。

 

私は皆さんの頭脳に対し課題提起するストレッサ―となりながらソノリテの頭脳活動を支援します。その後それらが「Sonorite Strategic Steering」のカタチとなって社内共鳴しだす事を未来像として導いていくつもりです。

 

 

■多様性組織の「居心地の悪さ」を脱却する「心理的安全性」の方向性

 

さて今からは少し働き方に関する話をします。

 

先に少し「心理的安全性」という言葉を引用しましたが、齋藤はヒネクレ者ですので、心理的安全性はGoogle社のポジショントークだと思っています。

 

ですがこの言葉には人を引き付ける魅力があることは認めざるを得ず、時代性的に人々が組織に「安全性」を求めているのは事実であろうと感じます。

 

つい先日行ったソノリテ年末納会である社員が私に「私は仲良しクラブの雰囲気が苦手なんですよね~」と言いました。また別の機会にある社員が私に「ソノリテはプロフェッショナルの集合になっていない。中庸な社員が仲良しクラブを作って馴れ合いをしているだけだ」と言いました。


「オープンゾーンでの雑談のレベルが低すぎ、仕事の邪魔だ」という人も居ましたし、「今のソノリテに自分のビジネスパートナーを連れて来るのは恥ずかしい」とまで言う人もいました。また「お客様の目に触れる場所であのようなだらしない業務姿勢を許して良いんですか?」と言う人もいます。

 

正直言うと私自身は、彼らの意見に近いものを持ちます。

 

残念ながらまだ現在のソノリテは、多様性を高度にインクルード出来ている風土ではありません。

 

私が思う事を説明する為に、例として組織と社員の成長を下のようにモデル化してみます。

 

 レベル0)イヤイヤ働かされているし、組織も助けてくれない
 レベル1)イヤイヤ働いているが、組織には助け合いがある(人間関係が良い)
 レベル2)働く事は好きで、気の合うヤツと働きたい。嫌いな人は助けたくない
 レベル3)働く事は好きで、プロ同士高度に高め合いたい

 

上記のモデル化では、ソノリテは今、レベル1.5くらいなのではないかと思います。

 

よって

 

 a)レベルの下の方の人を、うまいこと仕事出来る環境に連れて来る人
 b)レベルの上の方の人だが、レベルの下の人に巻き込まれたくない人

 

が混在し、b)の人が「うちの会社は私が居るべきレベルに達していない」という不平を感じるというわけです。しかしそこにはa)の人の努力があることを軽んじてはいけない。

 

そしてb)の人が思う事は、きっと
「齋藤はなんで、会社をプロ集団化すると言っておきながら、a)を排除しないんだ」と思って、私に苦言を呈してくれているのだと思います。

 

私はb)の人に近い価値観を持っていますから、正直言えば私も本件についてはぐっと堪えていました。

 

堪えるのには意味があって、今、まだソノリテのレベルが1.5だとするならば、1.5の同質性の高まりによって「心理的安全性」を築き、「組織に助け合いが有る」事を選ぶべきステージを選択した方が、会社全体のパフォーマンスが維持できたからです。私の個人的な価値観で経営判断して良いわけではないから、です。


つまりa)の人の努力貢献によって現状のソノリテは動いている。

 

ですが、今後ソノリテはさらに、個の付加価値を「給料1.8倍」まで急速に上げ、「頭脳集団」が多様性の中でオープンイノベーションを起せるカルチャーにまで成長させねばならないので、2020年はこのカルチャーを破壊します。


やや、「b)の人」が今まで持ってきた職場へのフラストレーションに応える形をとります(ちょっと早いような気がしますが、やります)。a)の人はこれを危険な変化(職場の心理的安全性の崩壊)と見られると思いますが、出来るだけ視座を高くしていただき、徹底的に哲学していただくことを期待します。

 

ちなみに、「齋藤が強権的にやる」ということは、出来るだけ行いません。皆さんの
中からカルチャーが生まれて来るように行っていこうと思います。

 

そして重要な事はここまで(いわば堪えて)培ってきた「組織に助け合いが有る(aの人の努力)」を残した形で、その上にさらに一段階上がるようにするために、カルチャーが生まれる仕掛けづくりを、齋藤の方で行っていきます。

 

要するにa)の人にもb)の人にも「職場心理的安全性」を感じてもらうための組織
作りをします。

 

この話について、まず私が2020年以後、ソノリテ組織運営において「今後、当社が向かうべき社員に対する心理的安全性の確保」という話題における重要だと考えるキーワードを以下に示します

 

  1. 職場のポリコレ
    会社は働く場所です。働く時に重要なステイクホルダーは「お客様」です。

    私は今まで「一部組織の(いわば低次な)心理的安全性」を担保することを優先し、「楽しい雰囲気」を壊そうとはしませんでした。

    が、ソノリテがより高次の組織になろうとするためには、以下のカルチャーが生まれるべきだと考えます。

    ・働こうとする人に雑音を与えない(親密さを持ちたいなら他所で)
    ・お客様に不快感を与えない(気楽な雰囲気は顧客対応に相応しくない)

    オープンゾーンはソノリテが経営するレストランだと思えばわかりやすいと思います

    だらしなく私用物が散乱していたりすれば、そんなレストランには誰もいかないと思いますよね。もし今、例えばある種のa)の皆さんにとって、ソノリテに必要なのは同質性的「居心地の良さ(心理的安全性)」だと思っているとしたらそれは間違いで、その安全性は向上心に向かわない。その安全性は

    レベル1:いやいや働いているが、組織に助け合いが有る。

    を産むだけのものなので、早く卒業しなければならない、という「空気」を皆さんに作っていただきたい、のです。

    「その脱ぎ捨てた靴、お客様がここを通ったら不快に思わないですか?」
    「その場所に私用傘を干している行為は、社内にだらしなさを産み出しませか?」
    「その音楽を掛ける事によって、この組織が幼稚に見られはしませんか?」
    「その雑談は、そのカルチャーが嫌いな人にとって、害悪ではありませんか?」

    そういった自問自答や声の掛けあいが、これからのソノリテのポリコレをより高次なものにしていく、それを私は期待しています。

    この期待に応えてくれない人は恐らくいないと思うのですが、ただ人間は習慣の動物であり人は既得権益を手放すことを得意としません。高次のポリコレを指摘されたらなんとか自分の正当性を示すために反駁的ポジショントークをしてしまうでしょう。

    それらすべての「皆さんでは手に負えない事実」があったら私に報告をして下さい。

  2. 細密なハラスメント分析とゾーニング
    私は昨年末から、会社のコンテンツ制作の基盤をAdobe STOCKにしていただくよう皆さんにお願いしています。

    この小さな動きは、ソノリテが産み出す制作物が、国際的な基準からみて細密なハラスメント(ジェンダー的、宗教的、人種的、カルチャー的)に配慮が行き届かせているモノであることを、コンテンツ選びの面から支援する為です。

    日本人はやはり島国的でありドメスティックな文化圏の育ちですから、私も含めて国際的な文化への配慮が不得手です。よってグローバルにコンテンツ提供しているAdobe STOCKを利用すればAdobeの評価基準の手を借りる事が出来るでしょう。というお話です。

    例題を出せば例えばこういうお話です。

    大坂なおみ選手「次は私に相談して」
    https://www.bbc.com/japanese/46985554
    「笑ってはいけない」浜田の黒塗りメイクが物議https://www.huffingtonpost.jp/entry/history-ofblackface_jp_5c5d586ae4b0974f75b1a880

    上記例は差別の事例ですから話が明快ですが、私も含めソノリテはこれからもっと上級の仕事を行っていく企業となるために、あらゆるコミュニケーションにおいて上質であることを知らなければならないと思っています。

    が、私は「不寛容社会」には反対の立場です。よってソノリテが産み出すコンテンツやコミュニケーションを、「誰が見ても反対しない物」にしろと言っているわけではありません。また社会は「誰が見ても反対しない物」だけでは成り立たないとも考えています。

    ですのでソノリテの「頭脳集団」である皆さんには、世の中の常識に疑問をもちアンチテーゼを提示していったり、時に世の中のタブーに「上質に」切り込んでいくような戦闘的なスタイルを検討もしていただきたいと思っています。

    私はデジタルゲームがあまり詳しくないのですが、今年ソノリテの新たなチャレンジとしてゲームをローンチすることになるでしょう。そしてそのコンテンツの重要な部分として「二次元の美少女」がデザインされています。

    これで私達の会社は
      ・大企業向けITコンサルタント
      ・グラフィックデザイナー
      ・アナログゲームクリエイター
      ・デジタルゲームクリエイター

    達が同居し、異なる文化圏を共鳴させ合いながら新しいモノを産み出していく「だれも見たことのない会社」にさらに成長します。

    が、(これは例えば一例ですが)「二次元の美少女ゲームキャラクターが戦う」が万人に好意的に受け止められるかといえば、そういう捉え方はしないほうが良く、それは社内においても同様です。ですから例えば「美少女ゲーム」の開発は今年からゾーニングすることを検討します。チームの皆さんと相談をします。

    これから社内の多様性を完全尊重するソノリテであるべきで、たとえそれが業務内容であったとしても、「見たくないものを見ない権利」を社内で完全に尊重し合える我々であるべきだし、それは先にも別項で言いました「自分が楽しい事を公然でやっていいわけではない」という次元にソノリテは高まってきたという事です。

    ですので私たちはより「ゾーニングされた職場空間」を必要とするでしょうから、私はそれを実現していきます。また、社内交流を目的とした私語や、職場空間に流れるべき音声、音楽、そういったものもすべて、「あらゆる人に配慮する」という感覚の高さが必要になります。

    よっておそらく業務の空間で業務以外の会話をすることは極めてリスキーだと思えるようになるはずです。あるいは社内SNSなども「個人発信か、公共的空間か、同好の人の集いか」をよりゾーニングしたスレッドの必要を感じ、その運営能力、私語能力の高さを必要とするはずです。

    皆さんはただ「他人を尊重する」をしながら、「自分もまた尊重される」空間作りをすることに協力していただければ問題ありません。むしろ私は尊重しあえてこそ、それぞれのプロフェッショナルが「タブーに挑戦する」ような行動が起こせると思っています。

    ですから私は会社にもう少しゾーニングされた空間を増やします。ただし、当社は多様性をもったプロフェッショナルが共鳴してこそ「当社らしさ」を産み出せる会社ですから、このゾーニングの「塩梅」については齋藤に設計させてください。

    時間はかかるかも知れませんが、必ず実現します。
     
  3. 自尊心が傷つかない組織
    最後に自尊心の話をしようと思います。

    先のタイプb)の人の中には、組織より受ける「自尊心への攻撃」に苦しみ悩んでいる人がいます。例えば以下のような例です。

     ・年長者より年功序列的扱いを受ける
     ・マンスプレイニング的扱いを受ける
     ・年少者より無礼な扱いを受ける
     ・職場同僚に人格否定される
     ・セクハラ・パワハラなどの被害にあう
     ・ただただ傷つくのが嫌だ

    年功序列」「マンスプレイニング」等については日本組織の悪しきカルチャーであり、齋藤もその「日本組織の悪しきカルチャー」で生きてきた世代であるので、私も皆さんからの指摘を受けながら、成長するつもりです。

    その成長の意思表明としてシンボリックに実行しているのは、フラット組織化です。

    当社は2018年に組織を撤廃しました。厳密に言えば組織階層を撤廃しました。

    ですので皆さんの中に「序列」があるとすればそれは恐らく「仕事が出来る、出来ない」という主観的な物と、あとは「(プロジェクトの)リーダーかメンバーか」というモノだけのはずです。

    封建的文化ヒエラルキーは組織の序列を必要とし、日本文化には年功による序列という見えざるルールが存在しますが、当社にはありません。

    ましてや男尊女卑の類は絶対に存在してはいけません。これらの存在を全員で否定しながら、命令が無くとも自主的に動け、繋がりあえる組織であり続けましょう。

    逆に年少者からの無礼な扱いは、慣れの問題かも知れません。本当の「無礼」であればそれはコミュニケーション能力の問題で、その人は誰とも仕事が出来ず、当社ではパフォーマンスが上げられない人間になっていくでしょう。

    セクハラ・パワハラの被害については会社として過去も顧問弁護士などと協調の上、個人情報の取り扱いに万全の注意を払いながら塩田取締役が対処を行ってくれています。

    この問題について当事者ではない社員の皆さんは往々にして「一方向の論しか聞き得ない第三者」であり皆さんが何らかの人道的対処をする立場になることは不可能です。むしろ第三者の正義感が別の被害を産み出す場合もあります。問題を感じたら経営に相談をお願いします。本当にお願いします。

    最後に、「ただただ傷つくのが嫌だ」なんですが、当社の理念は「社員の成長」ですので、No pain No gainという考え方から、恐らく「傷つく事」を恐れている人にとって、不寛容な組織であるべきだと思っています。

    私は当社のコミュニケーションの理想は馴れ合いではないコミュニケーションで社員同士の共鳴が生まれる事だと思っていますが、「傷つけあうこと」だけを恐れて何も生み出さない、何も成長出来ない組織であるなら意味を感じません。

    例えば先の「年功序列」というテーマであるなら、何の意味も持たずただ歳が上だというだけで偉そうにする人がいたとしたら、皆さんはその人に(良質に)傷ついて欲しいと思いませんでしょうか?「自分が間違っていた」という気付きを、傷つきと共に心に深く刻んで欲しくはないでしょうか?

    そのような「正しい傷つけ合い」のようなものは有るはずで、それを望む人にとってソノリテは道場であるべきで、それを望まない人にとってソノリテは何らかのハラスメント的「望まないストレスの場」であろうと思います。

    したがってソノリテは2020年以後、

      ・悪しきカルチャーから脱する
      ・慣れ、免疫の問題、成長機会を得るために自ら自尊心を戦わせることができる場

    に、したいと思います・・・が、問題点もあると考えています。

    言葉を選ばずに言いますが、私の世代(齋藤は今年53歳です)から見て、これからの若い世代の人達は、等しく「自尊心を傷付けられることに弱い」ように思います。

    この感覚は
      ・齋藤の単なる老害(年寄りは若い人を必ずそう見る)
      ・時代の変化や世代的感性の問題
     など、色々な理由が考えられます。

    それにそもそも「自尊心を傷付けられること」は社内では無くとも起きうる事柄だし、「自尊心を傷付けられることに弱い感受性」が産み出す何か素晴らしい可能性を十把一絡げに「成長出来そうにないからNG」と決めつける事に齋藤の横暴を感じています。

    ですのでソノリテで働く選択肢の中に「そうではない人に、そうではない働き方を提供する」を設け、具体的には

     ・いかなる理由があれ自尊心を傷付けられたくない人には、自尊心の強化を強要しない場、区分け

    という事を考えてみようと思います。

    本件については今後、いろいろな意見(特に自分は自尊心を傷つけられることに弱いが成長したいとは思っている という人からの意見)を聞き、具体的なアクションに結び付けて行こうと考えています
    (ぶっちゃけ今齋藤は頭の中にアイデアがありません:これが問題点です)

ここまで1)2)3)と着目してきた内容について「これからのソノリテが定義する職場の心理的安全性」について纏めます

 

まとめ1:「職場のポリコレ」についてはフォーマルな文化が定着するまで指導役、
     あるいは裁き役を齋藤が引き受けます。が、本質的には社員の皆さんの
     互助によるカルチャー作りを期待します。
まとめ2:職場内のゾーニングを進めます。社員の皆さんには自制と自重を
     期待します。齋藤は「塩梅」を検討します
まとめ3:自尊心について「成長の道場」あるいは「望まない居場所」であるのかを
     ここに区分けできる何かを作っていきます

 

上記のまとめ1.2.3がソノリテが定義する「職場心理的安全性」です。この環境に不具合を感じるようならばソノリテに居るべきではないでしょう。

 


■リーダーシップ

 

ソノリテは自主性を尊重し、自主性によって運営される組織です。これからもその形式はしばらく変わらないでしょう。

 

よってソノリテには会社が設置した部署はなく、会社が任命した組織長という役職も存在しない。


会社が誰かに組織やミッションを任命(命令)するということはなく、社員の提案によって事業が立ち上がり、社員が組織するコミュニティやグループによって仕事が推進される。

 

しかし社員が組織するコミュニティやグループ、あるいはプロジェクトにおいて、リーダーは常に必要であり、私はこれからもリーダーのリーダーシップを高く評価していきます。


「私達のグループにリーダーはいません。みんなが平等です」なんていうクラスタに私は仕事を任せられません。

 

そしてリーダーシップ論はいくつもありますが、私は「リーダーシップは学んで得られるものではない」とする考え方が好きです。育ちや天性みたいなものが多分にあると思います。


私が見る限りソノリテ内に「リーダーシップ」を持っていて戦力たるリーダー経験を持っている人は5人もいません。でもリーダーシップの取り方にも色々とあると思いますし、皆さんの可能性を否定する気もありません。時代の変化もありますから。


ですから「自主的にリーダーをやること」を高く評価していきます。リーダーをやることの意義は山ほどあり、リーダーをやることによって成長出来る機会も劇的に増えるからです。

 

ここまでを纏めると

  • ソノリテは今後も「おまえがリーダーだ」と任命するような事は出来るだけしないよ
  • 自主的に「リーダーやります」という人を高く評価するよ

です

 

今年は初の試みとして、外部講師をお招きしてリーダー向け研修を行います。リーダー研修の取り纏めは社内から私が抜擢します。

 

ソノリテでリーダーをやる事はとても大変だと思います。会社としては何らかの支援を、リーダーに対しては別格で行っていきたいと思います。外部講師などの刺激を受けながら、レベルの高いリーダーシップを目指して行きましょう。

 

まあリーダーシップを評価するというお話は、これくらいにします。わかりやすいから。

 

ここからは「リーダーシップには興味が無い」という人について話します。

 

「リーダーシップを高く評価する」というと「リーダーシップに興味が無い人は高く評価されない」と考える人がいます。はっきりいって被害者意識高めのリスクヘッジ型思考だと思います。だれもそんな事は言っていない。


世の中はリーダーだけで回っているわけではありませんね。リーダーだけの会社なんて稼働する訳が無いし、そんな話は誰もしていない。

 

ところで私自身もとても難しいお話だと思っているのですが、皆さんは今まで生きて来て、自分でリーダーを選んできたでしょうか?

 

選挙に行く、投票する、部活のリーダーを推薦する。など、まあ、無くもないのかも知れませんが・・・日本人の標準的な状況としてはだいたい、誰かに「この人がリーダーだよ」と言われて、その人の下につく・・・というコミュニティへの参加が基本だと思うんですよね。


皆さんはそんな状況の中で、リーダーに対し何をしてきたでしょうか?

 

よく「サラリーマンが飲み屋で上司の悪口で盛り上がる」っていうのを目にします。

 

その人達はきっと、会社の人事から、部署異動を命じられ、その部署の上司がXXさんだった・・・みたいなお話なんだと思います。

 

自分で選んだ上司じゃないのなら、そりゃその人の言う事を聞きたくないでしょうし、文句を言うのも仕方がない・・・

 

だからソノリテでは組織を無くしました。コミュニティは自分たちで作ってください。自分たちで作ったコミュニティなら、その組織やリーダーに対して不平、不満はありませんよね・・・

 

というような説明を、私は去年までして来ました。

 

ですが、それは本当でしょうか?

 

自分で選んだリーダーなら、本当に「不平、不満はない」のでしょうか?

 

そんなワケはないですよね。リーダーだって皆不完全な存在ですし、間違える事だって沢山ある。

 

私は社長という役割、つまり会社のリーダーですが、私の采配だって間違いだらけだと自覚しています。


ではそんな私にとって、どんな人がチームに居てくれたら嬉しいか?

  1. 私の機嫌を取る事を最優先に忖度してくれる人
  2. 私の問題課題や弱点を解決してくれる人
  3. 私の問題課題を飲み屋やSNSで拡散し発散している人
  4. 私の問題課題を私に提起し具体的解決策を一緒に模索してくれる人

さてどれでしょう・・・と考えれば答えは簡単で2)4)の人です。

 

ですから私は皆さんが1)や3)の人であれば悲しみ、場合によっては評価を下げたりもします。

 

したがって「リーダーシップに興味の無い人」にとって、私が貴方に求めるモノは2)や4)の姿勢です。むろんプロフェッショナルな立場に立っている事は大前提ですが。

 

もし皆さんが「リーダーシップに興味が無い人」だったとして「(うちの会社は)リーダーシップに興味が無い人は高く評価されない」というような思考回路に落ち込んでいたとしたらもしかしたら3)の姿勢の入り口に入っているのではないでしょうか?

 

そうでなく、皆さんが2)や4)の姿勢であるとするなら、私や各プロジェクトのリーダーからアナタの存在が高い付加価値のある存在として評価されるわけですから、その点において愚直にプロフェッショナリズムを発揮していただければ良いはずです。

 

良きGiverになる事から全てが始まるハズです。

 


■(自己流チェンジマネジメント)シマウマ・パンダ理論

 

先に約束しました「シマウマ・パンダ理論」の話をします。これは私流のチェンジ・マネジメント理論です。

 

ソノリテがこれから「頭脳集団」になっていくにあたり、先に言った通り社員の皆さんはある種の「心理的安全性の損ない」を感じているハズです。

 

理由はいくつもありますが、その一つを言語化すると「状況が良く分からない/会社の考え方が良く分からない」という感じがあるのだと思います。

 

ではなぜ、よくわからないのか?

 

例えば先の例で「ソノリテはプロフェッショナルの集合になっていない。中庸な社員が仲良しクラブを作って馴れ合いをしているだけだ」と言ってくれた社員のフラストレーションは、


(齋藤はソノリテをプロ集団にすると言っているのに、なぜ仲良しクラブを放置するのか?)というモノであり、それは結局「会社の考え方が良く分からない(言っている事とやっている事が違う)」というモノかと思います。


わからない、あるいはわかり辛い理由を説明します。

 

思考実験をします。

○思考実験の課題

  • ここに、白と黒の大量のレゴブロックで作られた、シマウマがいます。
  • このシマウマを、レゴブロックを組み直してパンダにしてください
  • 多少ブロックを追加したり、減らしたりしても良いですが、基本的にはシマウマを構成していた白と黒のブロックをすべて使って、パンダにしてください。
  • 【重要】シマウマは生きています。生きたままパンダに変えてください。

こういう思考実験です。

 

この問題の肝は、もちろん「シマウマは生きています」という所です。シマウマは生きているので、ブロックをすべてバラして部品状態にすることは出来ません。死んでしまいます。


ということは、皆さんは少しずつブロックの位置を変えながら、生きているシマウマをだんだんとパンダにしなければならない、と言う事です。

 

たとえば問題の無さそうな、パンダの耳の部分などから作り変えて行くのも良いかも知れません。例えばシマウマの足の部分から部品をとってしまうと、シマウマの大切な足腰にダメージが有りますから、その時期にライオンに襲われたら、逃げられなくなるかも。

 

さてどこからどうやって、少しづつ、シマウマをパンダにして行きましょうか?

 

重要なのは、「中間のシマウマ・パンダ状態」をどう形成するか、ですね。

 

一気にパンダにすることは出来ませんから、何かを犠牲にしつつ、でも重要な何かは残しながら。ステージによっては「ほぼシマウマ」ステージによっては「だいぶパンダ」みたいなステージングを検討しながら、変更していく。時には急に現れたライオンの為に、いったんシマウマに戻すような事もやりながら・・・

 

この思考実験を真剣に考えていただけたなら、チェンジ・マネジメントの「難しさ」もご理解いただけるでしょうし、その過程における「難解さ、理解の難しさ、不整合さ」なども察していただけるのではないでしょうか。

 

まあ、何しろ、簡単ではない。


私だって、例えばブロックのように会社をバラシてしまって、それから理想の形に再構成すれば早いという事はわかっている。でもそれは成長ではないし、現実世界にはゲームのようなリセットボタンは押せない。ましてや現実はリセットマラソンをやればいつか強いカードが手に入るといったような簡単なルールではない。


ですので私が短期間で本気で「成長・変化を遂げる」として行っているオペレーションは、皆さんから見て「難解、不整合」なシマウマパンダであろうことは察します。

 

ここで言いたい事を纏めると

 

・皆さんが成長変化の途上において会社に心理的安全性を感じられない事があったとしたら、その根源はシマウマパンダ理論みたいな感じだからかも

 

という事でした。

 

そしてさらに言うと、

 

・なるほど、それで理念と実際の不整合などが起きているのか。納得だ

 

と、感じられるか?

 

・そんな会社嫌だな~

 

と感じられるか

 

これらは皆さんの変化に対する免疫や指向性などによると思います。

 

「嫌だ」と思うなら皆さんはこれから先も続くソノリテの変化や社員成長に向かうストレスに「適していない」と思います。「嫌だ」と思ってそれを乗り越える事にポジティブになれないとしたらそれは不幸で、皆さんの似合う職場はソノリテ以外にあるでしょう。

 


■どうやって自分の脳を「働いている状態」にするのか?

 

さて続けて働く場所の話をします。在宅勤務などの話だと思ってください。

 

言わずもがなソノリテは今後も「時間、場所の制約の無い働き方を提供する」会社にしていきます。

  • 満員電車のストレスを感じなくとも働ける働き方
  • 「定時」のような時間軸に縛られない働き方
  • 自分のライフスタイル(例えば育児、例えば通院)を主に、それ以外の可処分時間を「働く」に充てられるような働き方

これらの実現を目指していきます。

 

しかしこれらを目指すにあたり、いつも以下二つの問題に直面します。

  1. 労働法との適合性(法律がダサイ)
  2. 社員が自主性の高いプロフェッショナルになっているか

ソノリテが先進的働き方改革企業である為に、私はこれからも上記2点と闘って行きます。

 

そしてここからは働く場所の話というよりも、頭脳をどうやって働く状態にするのか?というような話をします。

 

私が思う、私達の会社が理想とするような「自社商品やサービスを企画・開発・販売出来る頭脳集団」における「働き方の理想(とくに企画段階)」って、はっきりいって

  • 基本、(PC、スマホ、あるいは取材と称して)遊んでいる
  • ひらめいたり、ゾーン状態になったり、集中できる状態になったらワーッとやる


こんな感じなんだと思います。(これってたぶん「売れっ子作家」みたいなイメージ)

 

ですがまあ、だいたいの大人は「結局そんな風に自分は働けない(働いたところで成果は出せない)」ということも知っているし、仕事にはかならずコミットメントが必要なので、成果物(とくに締め切り)をコミットしなくていい仕事を選べるほど凄いプロフェッショナルは、頂点の一握りてあることはわかっています(自分の納得のいく作品が出来たらアルバムを発表するミュージシャンのような生き方が出来ますか?という話。普通は誰かに頼まれたことを頼まれた期日までにヤラナければならない)

 

ですから普通、いかに自主性の高いプロフェッショナルになっていたとしても、なんとかして自分を鼓舞し、「働く状態に身を置く」と言う事をしなければならない。

 

ましてや自己抑制レベルの低い「若さ」や「幼稚さ」があるならばモッテノホカで、「働く状態に身を置く」事を自分に課さなければ、ヒマでもないのに暇つぶしスマホゲームに脳が逃げるし、私生活との区別がつかず食欲性欲睡眠欲等の低次の要求に逆らう事が出来ない。

 

その為に会社は最適であるわけです。なんといっても衆人監視がありますから。

 

私は「ソノリテは皆さんにとってなんであるか?」と考えた時に、ソノリテは皆さんにとって「都合の良い職場」でも「都合の悪い職場」でもなく、企業理念に謳われています通り「社員が成長できる場」でなければならないと思っています。

 

当社の企業理念は社員の成長ですから、社員が成長出来る場所を提供しなければそれはソノリテではない。

 

よってソノリテは皆さんが「働く事を通じて成長」するために「働く状態に身を置く」事が如何に出来得るかという価値判断で「働き方」を提供提案していきます。

 

つまり纏めると

  • 自分を「働き脳状態」に置きたい人にとって、良い場所
  • 可処分時間で「働きたい」人にとって、リモートなどで仕事、社会参加できる場所
  • 場所的制約に捕らわれないで「(ちゃんと)働きたい」人にとって、リモートなどで仕事、社会参加できる場所

さらにここに

  • (ミッション達成のために)多様性の統合という場が提供されている

ということを、もっともっと細分化し突き詰めて考えて、働き方を提供していきます。

 

また現在ソノリテにおいて、あるいは全ての企業活動等において、働く時間の中にどのくらい「クリエイティブな意味で脳を使う時間」というのが存在するのかというお話もあります。


そもそもクリエイティブ以外にも仕事は沢山あります。クリエイティブな局面などわずかしかないと言っても良いでしょう。プロダクト化やマーケットの流通における業務などはすべて時間と相手とのコミットが必要な仕事であり進行の管理や受け身な業務の為の待機などもすべて重要な業務です。


ということは「自分を働き脳にする」という観点以外においても「時間と場所を選ばない働き方」における論点があって、例えば

  • どんな場所にいても一定量の(例えば顧客や業務相手への)コミットに対応する為、自動的に自分が「働き脳」になれる仕事

をしている人にとって、例えば通勤電車などは単なる時間と体力の無駄使いであると
言えます。

 

何れにしても其々の業務内容や成長度合い、さらにそこに、今後の成長の糧となるはずの「多様性組織内でのコミュニケーション」という観点も加え、段階的かつ個別に多様な働き方の提供を行っていきます。

 


■SCS(Sonorite Creative Satellite)について

 

今年(2020年)の5月末日をもって、SCSを終了させます。

 

SCSは2017年5月に、以下の目的をもってスタートさせました。

【SCS目的】

  • MMD活動や非日常活動の為の空間
  • 社員が職場から逃げ出したい時のコクーン
  • 実況放送等が通常執務や残業に影響している現状を打破
  • 各拠点の設備の移動先
  • 広報的利用
  • MMD利用促進

これらの目的に対し、実績を出してくれました。ここまで運用してくれていたセンター長に感謝感謝です。

 

そしてこれからソノリテがさらに高度な頭脳集団となり、先から述べているような「プロフェッショナルの多様性が統合された組織」になるにあたり、SCSの当初の設立目的であったいくつかの要素が、今度は逆ザヤになってくるステージとなりました。

 

具体的に言うとこれからは皆さんをよりプロフェッショナルとして扱いますのでコクーンの必要性も無くなりますし、職場内のゾーニングや社員皆さんの意識の高さにより「誰かの業務が誰かのモチベを落とす」ような事は無くなるという事を期待しますので、上記のような「場所の提供」をむしろ無くし、本社なら本社にて混沌を作りだす方が有益で、皆さんの成長に繋がるからです。

 

クリエイティビティは今後も伸ばしていきたいので、ゲームや様々な刺激的な機材の
ある空間は本社内にもたらしていきます(もうわかると思いますが、誰かが何かを創造する為にSCSを占有していたら多様性統合に繋がらないですし、複数人でSCSを使う局面もメンバーが硬直化している)

 

すなはち創造的破壊の一環として、SCSを終了します。

 

皆さんナルハヤでSCSにある私物を持ち帰りましょう(私の私物が一番多いというのは承知です)

 


■みなさんの会社にする

 

そろそろ纏めます

 

私がここまで書いてきた事で、みなさん何となく

  • ああ、少しゾーニングとかを始めるんだな
  • 「マッタリと仲良しクラブ的ぬるい空気」がそろそろ許されなくなるんだな
  • それでいて今までより「他の仕事をしている人ともっと接点を持て」みたいな事が言いたいんだな

って感じが、少しわかってもらえたかと思います。

 

当社のような社風を持つ企業において、「働き方改革」機運はとても好機であり、先駆的に取り組んできたことが実を結んでいるし、これからもソノリテは働き方の改革に実践的に取り組んでいきたいと思っています。

 

もちろん誰かの真似ではなく、自分で考えた自分たちの為の「働き方改革(社員の成長の為の改革)」です。

 

働き方改革」は皆さんの意識の通りで

  • 優秀な人にとって、働き方改革は有りがたく、産み出す付加価値を上げられる
  • 堕落したい人にとって、Taker意識が強まり、堕落が進む

といったモノかと思います(もちろんブラック企業ではないという前提がつきますが)

 

ソノリテが「働き方改革時代の特徴企業」としてこれからもオンリーワン企業であり、オンリーワン製品、オンリーワンサービスを産み出すためには、皆さんの主体性がどんどんと加速し、皆さんが高速に成長していくことが必要です。

 

私はソノリテがシマウマからパンダに高速で変容し、給与1.8倍などといった低次の目標が簡単にクリアできてしまう状況を作り出すべく、出来る限り支援しますので、どうか皆さんソノリテでの成長を楽しんでください。

 


■ソノリテ Think COLORFUL

 

最後に、

 

結局私の言っている事は、

 

  • 自立した個が、共鳴し合う事
  • 多様な個が、個性を発揮する事

 

です。

 

 社名ソノリテ(Sonorite):仏語で「共鳴」
 タグラインThink COLORFUL:カラフル(多様性)に、考えよう

 

って事です。

 

最初っから、このことしか言ってないです。

 

その事に気が付いてくれたら、嬉しいです。

 

ではだいぶ長くなりましたので、なんかもっと言いたい事もあったような気がしますが、そろそろやめます。

 

2020年も楽しみましょう。

 

From: 齋藤 和政 <k-saitou@sonorite.co.jp>

「ごきげんよう」

職場で「お疲れさまです~」「お疲れさまでした~」みたいな挨拶をしますよね。

 

で、これが、あるときとても気になりだしました。嫌になりました。

 

「オツカレサマデス~」って、なんだか

  • 仕事とは、疲れるモノ
  • 仕事を頼んだ人が、仕事をやってくれた人を、労う挨拶

上記のような、前提がある、気がしてきた。

 

もちろん、そういうシゴトもあると思う。

 

私が誰かに「荷物を運んでもらう」というシゴトを頼んだとする。そうしたら私は、荷物を運んでくれた人に「お疲れさまでした」と、言うべきであろうと思う。

 

でも、当社の仕事の前提は、基本的には違う。

  • 当社の仕事はクリエイティビティの高い物でありたい
  • 当社の経営理念は「社員の成長」であるから、社員が当社で仕事をする目的は、自身の成長であってほしい
  • 当社は社員に、仕事を楽しんでもらいたい

そんな風に、思っている。

 

だから、「お疲れさま」では、ないはず。

 

社員のみんなは「頼まれたことをやっている」のではなく、「自分の成長の為に行動している」のであり、「クリエイティビティを高める活動を楽しんでいる」のである。の、はずである。

 

そりゃ、仕事ですから、ストレスはあります。あるでしょう。

 

だけど「ストレスに耐えるのが仕事だ」「疲れるのが仕事だ」と、最初っからそのように決めつけたくはない。少なくとも私は、ない。

 

私は、好きで社長をやっている。誰に頼まれてやっているわけではない。

 

社長だってストレスはある。中小企業の社長なんてストレスだらけです。ホント。

 

だからといって私は「社員の生活を守るために社長をやってあげている」なんて微塵も思っていない。私が社長業をやっている理由は、自分の成長の為である部分が大きい。

 

だから私は「お疲れさまでした~」と言われても、違和感がある。

 

あ、いや

 

それはちょっとウソ

 

「お疲れさまでした~」と言われたら、ちょっと嬉しい。

  • 社長って大変なんだよな
  • 社員より遅くまで残って、大変そうだよな
  • 大変なのによくやってるよな。ご苦労様だな
  • 疲れた男の背中って、哀愁があるよな

そう、言われている気がして、ちょっと嬉しい。

 

そして、この「嬉しい」ってのが、ダメなんだと、自分で思っている。

  • やってあげている
  • 犠牲を払ってあげている
  • 文句も言わずやっている
  • やりたくもないことを、やってくれている

こういうのを「褒められ、慰労されて、嬉しい」では、ダメだ。

 

少なくともクリエイター・イノベイター・改革者・アーティスト・etc・・・などの仕事をしているプロフェッショナルであるという自負があるならば、そんな犠牲的精神で「労働」しているようじゃ、ダメ。

 

もちろん「犠牲的精神で労働する」仕事だって、尊い

 

「誰かの為に犠牲になり、人の嫌がる事をしてあげる仕事」ってのは、尊い

 

そんな仕事をしてくれている人には「ご苦労様、お疲れ様」と、言ってあげたい。

 

だが、俺のような仕事は、それではダメだ。

 

  • 今この世界に無いものを産み出し、世界をあっと言わせるようなクリエイティビティをもった「ソノリテ」という会社をもっと成長させる。
  • 成長意欲をもったプロフェッショナルが集合し、互いに共鳴し、知的生産性が無限に増殖していくようなコミュニティとして「ソノリテ」を高めていく。

きっとそれが俺の仕事

 

産み出さないと。世界に無かった何かを。

 

そんな俺が「お疲れさまです~」とか「お疲れさまでした~」なんて挨拶してたら、ダメだ。

 

仕事を「そんなもんだ」と定義していたらダメだ。それを社員に振りまくなんて、ホントダメだ。

 

「何かを産み出す」事に執着し、ポジティブにアクションし、既成の常識にとらわれない生き方を楽しまなければ、絶対にダメ!

 

だからもっともっと、会社を極限までポジティブ、隅々までポジティブにし、あらゆるスキマからネガティブなものを掃き出すようにしていきたい。

 

そう、思うんですよね・・・

 

そうそう、私はとってもメンドウクサイ人間なんです。

 

「忘年会をしない」なんてのもメンドクサイあれでして・・・

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

そしてそのメンドクサさの延長線上に、ソノリテの共鳴哲学が存在して欲しいと思っているわけで・・・


・・・

 


まあ、そんな事なんですが、それは良いとして


じゃあどうすんだ?

 

その、齋藤の言う、ネガティブな挨拶として日本人に染みついている「お疲れさまです~」っていう慰労の挨拶を止めて、どういう挨拶をしようってわけ?

 

 

・・・これがすごく難問なんですね~

 

やっぱね~日本人、すごくシニカルです。「おつかれさまです」みたいな挨拶、染みついている。それに代わる挨拶って、あんま、無い。


で、今、私は、社員の皆さんに


ごきげんよう


って、挨拶しています。

 

 

って感じです。

 

 

うちの社員の皆さんって、私の奇行に付き合ってくれる、本当にとても良い人達ですw

みじめ ミジメ

■しらけ鳥音頭

 

しらけ鳥~ 飛んでゆく~ 南の空へ

みじめ みじめ

しらけないで~ しらけないで~ しらけたけれど

みじめ みじめ~

引用:「しらけ鳥音頭(1976)」

 

 唐突に「しらけ鳥音頭(1976)」を引用させていただきましたが、先日ふと

 

「さいきん“みじめ”って言葉を聞かないな~」と思ったので、今日はそんな事から、ブログを書きたいなぁと思ったんですが

 

みなさん、最近、聞きますか?「みじめ」

 

「おまえミジメだよな~」

 

とか

 

「わたしミジメだな~」

 

とか、

 

最近言いますか? 聞きますか?


なんとなく、最近、聞かないな~と思って・・・

 

で、「ところで ミジメ って何だっけ?」と思いましたので、調べますと、例えばweblioには、このように書かれています。

 

www.weblio.jp

 

「見ていられないほど、あわれ」ってのがポイントのようですね。

 

語源も、どうやら「みじ」は「見じ」で、「見たくない」という事から来ているようです


と、いうことは


「みじめ」って言うのを、聞かなくなったな~と、私が感じたのは、「見ていられないほど憐れな人が、いなくなったな~」と言う事かも知れない。


うん。そうか、確かに。


たぶん世の中って、私が子供の頃(私は1967年生まれ)よりは、ずっと豊かになっている。

 

豊かになったから、ミジメな人を、見なくなったのか・・・

 

そこで、私より古い世代、例えば私の親の世代の事を考えてみます。

 

私の親は、戦争や戦後を経験している世代です。

 

だから私が感じるに、私の親の世代は、私の世代より、それはそれは貧乏だったり、世の中が荒れ狂っていたり、していたはず。

 

それはきっと、リアル「火垂るの墓

 

例えば私の母親は、東京大空襲の時に赤ちゃんで、お姉ちゃんの背中にオンブされながら逃げ回り、空襲の火の粉が背中について、ギャン泣きしたらしいんだよ~みたいな戦争話を持ちネタとしてもっています。

 

私の親たちの世代は、そんなリアル火垂るの墓の世界で、とてもみじめな思いもしただろうし、みじめな人達も見てきたでしょう。

 

私はそれよりは豊かな世代です。なんたって青年期にはバブルも経験していますし。

 

だから「ミジメな人」を見るってのは、年代によって、だんだん少なくなっているのかも知れませんね・・・

 

まあでも、私が小学生くらいのころは、まだまだ日本には戦後や貧困の残骸がありましたし、

 

そんなころ(私が小学生のころ)、テレビのお笑い番組からメチャクチャ面白いテレビ番組があり、そしてその中で、小松政夫さんが歌っていたんです。

 

しらけ鳥~ 飛んでゆく~ 南の空へ

みじめ みじめ

しらけないで~ しらけないで~ しらけたけれど

みじめ みじめ~

引用:「しらけ鳥音頭(1976)」


この歌、当時の小学生に大流行しました。

 

誰かが何かを失敗すると、はやし立てるように言いましたね!

 

 ミージメ! ミージメ!!

 

 

■ミジメになりたくない

 

なにかで失敗したり、ボロボロになっていたり、見るのが辛いくらい極貧状態であったり・・・


そういうのが「みじめ」


「みじめ」な人は、見たくない

 

でも、そんな「みじめなひと」を見たら、どう思うか

 

「ああは成りたくは ないなぁ・・・」

 

私はだいたい、そう思っていた気がします

 

「あんなにミジメな姿には、なりたくないなぁ・・・」

 

 

■自分自身への疑問

 

話は変わりますが、私は、自分が本当に「成功したい」と思っているのだろうか?と思う事が有ります。

 

私は会社を経営しています。そして会社の経営には主導的な活動を行うための衝動が必要だと思っています。

 

多くの「働いている人」は、何らかの命令や、何かのミッションを与えられて、それを「受け、こなしている」のだと思います。

 

ですが会社の経営は、先導し、牽引し、決断し、場合により引責する事です。「言われたことをやる」というのとは本質的に違います。


ですので受動的な行動力よりも主導的な活動力が必要で、そのためには何らかのパッションが必要だと、私は考えています。

 

そしてそのパッションが、私の場合、「成功したい」とか「金持ちになりたい」とか「社会を良くしたい」とかそういう使命を起点にしたものかというと・・・ちょっと自分自身に疑問があるんですよね。

 

私は、自分は比較的、反骨心の強い人間なんじゃないかな~と思っているんです。

 

ですから私の企業経営者パッションの源泉は、反骨。

 

「なにくそ」とか「ふざけんなこら」みたいなモノから来ている気がしてます。

 

なにかこう、何かに対して「なにくそ」みたいな怒りがあり、それがエネルギー。

 

そしてこの「パッションの源泉」とか「エネルギー」って、もしかしたら「みじめ」と関係しているんじゃないか?そんな気が、ちょっとばかり、します。

 

「ミジメな思いはしたくない。ああは成りたくない。」

 

  • バカにされたり
  • ケンカに負けたり、カツアゲのような事をされたり
  • 人前で恥かしいおもいをしたり
  • プライドなく人の施しを求めたり
  • こそドロのような真似をしたり

 

そういうのが「ミジメだなぁ」「ああは成りたくないなぁ・・・」


ところがですね・・・

 

私はこの「ああは成りたくない」っていうのは、明確に人権を侵害されたりする事を除けば、


自分のプライドや、人格を貶められるような事ではないかと思っていたのですけれども・・・

 

ですから「人格を貶められる」事に対して、「なにくそ!」「ふざけんなこら」みたいなことを反動力として、エネルギーだったりパッションに、している・・・

 

そんな感じが、ちょっとあって

 

と言う事は、私は「ミジメな思い」をしたくないから「経営者やってます」みたいな感じで繋がるんですよね。

 

ミジメな人生を送りたくないから、経営者やっていますキリッ

 

ここでいう「ミジメな人生」っていうのは、ミジメの意味をひっくり返すと良いと思うので、言いたい事は

 

誰に見られても恥ずかしくない人生を送りたいから、経営者やっていますキリッ

 

って感じになります。

 

ある意味「ハングリー」みたいな事なんだけど・・・

 

 

まあ、でも

 

こういう「ハングリー」みたいなものは、きっと古い。

 

きっと古い・・・気がするんだが、

 

なぜなら・・・そう、ここがわからなかった。なぜ?

 

 

だってみんな、誰に見られても恥ずかしくない人生を送りたくない?

 

いや、どうもそうは思えないんですよね。

 

卑怯だったり、だらしなかったり、ウソつきだったり、甘えん坊だったり、すぐ逃げたり・・・

 

 

■フィルターバブルの話


見たくない物、見ます?


私は今、ビジネス上のコミュニケーションの大半をネットで行っています。

 

私は、私の同世代の中ではネットの利用が高い方だと思います。

 

そして私はIT企業の社長なので、ある程度はネット界隈に起きている事象について興味を持っておく必要があり、それを実践しています。

時によりネットの利用による企業の働き方改革ついて講演もしています。

 

そんな私が、本当に心配に思う事の一つに、「フィルターバブル」というキーワードがあります。

 

フィルターバブル

ja.wikipedia.org


ネット社会は急速に「情報の検索」が容易となったことと同時に、「見なくても良いモノを見なくて良い社会」を創り上げた気がします。

 

そしてこの「見なくても良いモノを見ない」という状況が、人々を、本当に幼稚にしているような気がしてなりません。

 

「情報皮膜で知的孤立」する人々が、幼稚な情緒や正義から成長する為の挫折に出逢う事なく、自分で作った被膜から出る事を「しなくてよい自由」が確立されて来ている。

 

これは情報化に対する老害的見方かも知れません。

 

ですが本当に心配なのは、どのような原因であれ、「人は長い孤独によって反社会的人格を形成する」事はさまざまに研究されており、そのような肌感もある。

 

私たちは、見たくないものを見ないでよいという情報被膜と同時に、情報化孤独という問題を持ち始めているのではないかと言う気がしているんです。

 

 

■ミジメな人は、本当にいなくなったのか?

 

ここまでで、私は

 

「みじめ」な物は、

  • 世の中が豊かになったから、目の前から消えたのか?
  • 見なくても良いモノを見なくて良くなったから、見ていないのか?

 

が、わからなくなり、そして私のハングリーが

 

  • もし「ミジメな思いをしたくない」ことに源泉があるなら、それと同じものをこれからの人達に期待する事はナンセンスなのではないか?

 

と、考えるに至るわけですよね。

 

うーん


「みじめ」

 

本当に、無くなったんですかね?

 

「ミジメな人」

 

本当は沢山いるんじゃないでしょうかね?

 

フィルターバブルで、見えなくなっただけなんじゃ???

 

いや、もっと言えば

 

フィルターバブルで、自分が「みじめ」だと、認めなくても良くなったから、自分が「ミジメだという自覚のない人」が、増えたのかも

 

卑怯だったり、だらしなかったり、ウソつきだったり、甘えん坊だったり、すぐ逃げたり・・・

 

それって、そんな人生って、ミジメだよね?そうでしょ?そうじゃないの??

 


なんかねぇ


見たくないんですよ・・・私・・・


Twitterなどに、どんどん増してくる、匿名垢、裏垢などで、ネットに不毛でクソな社会に対する愚痴や、不労所得を得ようとすることにだけ興味があったり、有名垢に対して嫌がらせDMすることだけを生きがいにしているような、下賤なる魂・・・

 

ほんと、見たくない・・・

 

匿名だから、恥かしくもないのだろうか???

 

人間の魂に貴賤は無い・・・とは思えない。それはきっと、情報被膜の中で幼稚なまま生きる事を許されているから。そしてそれは孤独と言う最悪の状況を加速させ、反社会的人格が芽生えている事を誰にも悟られない。

 

それは、「ミジメな人」なのでは ないか?

 

卑怯だったり、だらしなかったり、ウソつきだったり、甘えん坊だったり、すぐ逃げたり・・・ 

 

見たくない、残念な人・・・

 

 

まあ、でも


見なきゃダメなんじゃないか。お互いに。現実を。

 

会社の社長として、この「現実を見る」っていうことを、自責的に考えると

 

あらゆる人が「現実との向き合い」という事を、「しなければならない」理由として、「仕事」とか「働かなきゃいけない」ってのは、まだ機能していると思うんですよね。

 

  • 世の中、豊かにはなった
  • でもまだ、やっぱり基本的には、働かなければ生きてはいけない。普通は。
  • そして働くからには、自分で情報被膜からでなければならない

 

そんな所に、会社の役割っていうのが、一つあるような気もする。

 


私は、ハングリーで会社を経営している人間デス。

 

そんな私が、これからのトレンドとなっていくであろう「情報被膜内に居る事を許された、私より豊かな社会に生きている人達」を、「社会との接点を作る“仕事”」を提供する側となり、孤独を脱出させ、させながら会社としての機能を成長させる・・・

 

そんな未来像を予測し、これからの会社の在り方を考え・・・

 

・・・

 

う~ん


そんな現実、見たくないなぁ・・・


出来るのかしらん?


・・・まあ、やるけどな。俺は

 

こんな時代に会社の社長になったんだもの、やってみるよ

 

「見ていられないほど、あわれな現実」を、目ん玉ひんむいて、見て行きます

 

現実世界の無常に、しらけていないで、見て行こう!!

ルールがないとメンドクサイ?

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

前、ルールについて↑のようなブログを書いたんですが、また、ルールについて書きます。

 


私が小学生の頃に、学校に「廊下を走るな」というルールがありました。

 

皆さんの学校にも「廊下を走るな」というルール、ありましたか?

 

小学生なので、友人とふざけ合っていたりしてテンションが上がり、走り回っていると、先生から怒られたものです「こらっ!廊 下を走るなっ!!」

 

でも例えば皆さんは、先生が何か緊急の用事で、廊下を走っている姿を、見たことはありませんでしょうか?

 

その時、どう思ったでしょうか?

 

私はこう思いました。(まあ、先生は大人だからな…)

 


「廊下を走るな」というルールは、おそらく、走っている小学生同士がぶつかって怪我をしたり、すべって転んだりするような「怪我の防止」を目的にしたルールなのではないかな~と思います。

 

小学生ですから、周りの状況に注意して、理性的にふるまう事が必ずしも出来るとは限りません。

 

身長が低いせいで視野も狭い。 筋肉もまだ未成熟。

 

したがって大人よりも怪我をする確立が高い。

 

そして怪我をした場合、まだ未成年なので、回りの「保護者」が責任をとるということが一般的な通念である。


つまり「子供」なんですね。


あたりまえですよね。小学生 なんだから、 子供 である。

 


「子供」とは

  • 未熟である
  • 未熟ゆえに、失敗をするリスクがある
  • 未熟ゆえに、保護者が必要である


まあ、そんな感じ。

 

だから子供は、ルールにしたがいましょう。未熟者である子供は、色々な事を自分の力で制御したり、自分の判断で行動したりす ると、怪我をしたり、失敗をしたりするから、ルールにしたがいましょう。

 

まあ、そんな感じになるわけです。だからルールがある。


でも小学生だって、走り回っていたら危ない事ぐらいわかります。

小学校1年生と6年生じゃあ、体格もだいぶ違うから、1年生に6 年生がぶつかったら、とてもヤバい事になるくらい、知っています。

 

でもですね~ 走っちゃうんですよね。子供だから。

 

だからルールを作るわけです。「廊下を走るな」と。


なんなんでしょうね?


なんなんでしょうね?ルールって?


小学生だって、知っているんですよ。走ったら危ないってことぐらい。

 

じゃあ、「ルール」を作ると、どうなるのか?

 

「もともと(やったら危ないと)知っている事  が  ルール  に なった」ら、何が変わるのでしょうか?

 

子供(小学生)は

  • 自分(子供)は、「走ったら危ない」と、知っている
  • でも、テンションが上がっていたり、何か急いでいたりすると、つい、走ってしまう
  • でもその「今なら走っても良い」という判断は、間違っている可能性がある

 

そこで、大人(保護者)はルールを作ります

  • 自分(子供)は、「走ったら危ない」と、知っている
  • 廊下は「走るな」というルールがある
  • ルールを破ってはいけないから、走らない

 

これが、ルールを作った側の、期待値です

 

ここで、「ルールを破るモノ」が、出てきます

  • 自分(子供)は、「走ったら危ない」と、知っている
  • 廊下は「走るな」というルールがある
  • でも、テンションが上がっていたり、何か急いでいたりすると、走りたい
  • 今廊下には誰もいない
  • 走る

 

ここからはいくつかに分岐します。

  • 廊下を走っている子供がいる
  • 先生がそれを見つけ「廊下は走るな!」と叱る
  • 生徒「なんでですか?」
  • 先生「ルールだから」
  • 生徒「今廊下には誰もいないじゃないですか?」
  • 先生「子供は判断を誤る可能性が高い。だからルールに従いなさい」
  • 生徒「はい」
  • 先生「聞きわけの良い、良い子だね」

 

分岐2

  • 廊下を走っている子供がいる
  • 他の子供がそれを見つけ「廊下は走ったらだめ!」と言う
  • 走る生徒「なんで?」
  • 叱る生徒「ルールだから」
  • 走る生徒「今廊下には誰もいないじゃん?」
  • 叱る生徒「子供はルールに従わないといけない。大人のいう事を聞かなければいけない」
  • 走る生徒(もやもや)
  • 叱る生徒(私は先生のいう事を良く聞く、良い子)

 

分岐3

  • 廊下を走っている子供がいる
  • 他の子供とブツかる!怪我をする
  • 先生や、他の生徒が叱る「廊下を走ってはいけないルールでしょ!なんで走ったの!!」
  • 走った生徒「・・・・・」
  • 叱る側「お前みたいのがいるからルールはあるんだ!みんなもルールを守って、他の人に迷惑をかけるなよ!!」


こうやって、どんどん、「ルールを守る子」というのが出てきます・・・ね。


ルールはですね。


なかなか、難しいものです。


ルールによって、ルールを破って(廊下を走って)事故を起こした子供は、どうなるか?

 

ルールの大切さを知り、ルールを守ることで、みんなが平和に成れることを、知る

ので、しょうか・・・

 


私は、以下の可能性が恐い、です

  • ルールを破ると怒られるので、「何しろルールに盲目的に従う」人になってしまう
  • ルールがないと「判断が出来ない」人になってしまう
  • ルールを守らない人を「悪人だ」と評価する人になってしまう

 

上記が、恐い、です。とても、恐い。

 


私は、自社の社員に、以下のような人になってもらいたいと、思っています

  • 常識を疑える人
  • 自分の哲学をもっている人
  • 非常識な発想ができる人
  • 新しい事にチャレンジすることが出来る人
  • 古いものを壊すことが出来る人


だから、何かに、盲目的に従ったり、常識というルールに囚われたり、縛られたりしている人を、残念だなと思うのですね。


だから、私は私の会社に、出来るだけルールを作りたくないんです。

ルールは人を盲目的にし、自立志向や改革的発想を阻害する可能性があるから、なんです・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・・・・おいおい 大丈夫かよ 齋藤よ

 

・・・バカな事言ってちゃ、いかんぜよ 齋藤

 

ルールの無い所で、仕事の効率や、品質、安全などが、上げられるわけが、ないだろ? 齋藤

 

・・・うん・・・はい

 

・・・そうですね・・・そうですよね・・・


例えばですね


車を作っている工場があるとしますね?


ネジをシメるための、ドライバーがあります。この工場の中に、200本の、ドライバーがあるとします。


今日、ドライバーが一本、無くなってしまいました。

 

さて、どうしますか?


最悪の回答「ドライバー一本ぐらい、新しいの買えばいいよ」


まあ流石に、それはマズい事ぐらいは、わかりますね

 

そのドライバーが、まずお客様にお納めする車の中に入ってしまっていたら、入っている場所によっては、大きな事故に繋がります。最初にそれを心配しなければなりません。

 

もしお客様の車に入っていなければ、次に工場の機械を疑いましょう。明日工場を始動したときに不具合が発生し、大きなトラブルに発展してしまう可能性があります。

 

・・・ですので

 

必死に、必ず見つかるまで、工場の中を隅から隅まで探しましょう。

 

ドライバーが見つかるまで、絶対に何もしてはいけません。工場を動かしてはダメだし、作った車を売ってもダメです。これは「 ルール」です!


まあ、それくらいは、誰でも思いつきますね?

 

はいじゃあ、みんなで必死に探して、ドライバーが見つかりました。探すのに30分、みんなで残業をしました。


一件落着


・・・では、ないですよね


なんで、ドライバーは無くなったのでしょうか?


ここを調べないといけませんね

 

そうしないと、明日もまた、ドライバーが無くなるかも知れませんからね


明日もまた、全員が30分残業するとなると・・・会社としては無駄な残業代を払う事になりますし、工員のみなさんだって、迷惑です

 

はい。調べます。調べました。


原因は、ある工員の「ポケットから落ちた」のだとわかりました(もちろん今どきこんなミスをするようなオペレーションの工場なんてないでしょうけれど)

 

ですので、「工具をポケットに入れない」という「ルール」を作りました。


一件落着


・・・では、ないですよね


まだまだやる事は沢山あります。

  1. 他の工場で、類似事案が発生する可能性があれば、通知をする
  2. 自分の工場で、ドライバー以外で類似の事象が発生しそうな可能性があれば、通知をする
  3. 当該の工員が、「なぜドライバーをポケットに入れたのか?」を研究し、業務に不必要な理由であれば、その理由の根源を無くす
    (例えば工程1,2,3のうち、工程1と3にドライバーが必要で、工程2にドライバーが不必要なら、工程を見直す)
  4. そもそも作業服にポケットが必要なのかを検討する。また、ポケットに蓋をつけるなどを検討する

等々

 

何かトラブルが起ったら、上記のようなことをする「ルール」を作っておいて、品質を高めて行く

 

私は工場オペレーションの素人なので上記は想像ですが、まあ、モノヅクリをしている人は上記のようなことを「KAIZEN」 として行う事が、染みついている

 

みんなそうやって、品質の高い「仕事」をしているのだと思うんです。そうやって、過去の失敗経験や学びを「ルール」などにして、引き継いでいく。

 

つまりですね、言いたい事は・・・

 

KAIZENとは本当に、様々な思考や努力を徹底的に積み上げることであり、そのKAIZENの一つの産物として、「ルール」はあるんだよ。と言う事が、言いたいわけです。

 

  1. あるトラブルがあった
  2. そのトラブルを二度と起こさない様、徹底的に色々な策を考える。それがKAIZEN
  3. KAIZENの産物の一つとして「ルール」がある


ひっくり返して言うと、


「ルールとは過去の失敗を繰り返さないために制定されたノウハウ」

 

で、あるとも、言えるわけです

 

そう考えると、先の「廊下を走るな」というルールは、過去のトラブルを二度と起さないようにするノウハウであって、そのルールをみんなで守る事で学校生活の品質が上がると、まあそういう事ですね。


ルール素晴らしい!


ルール最高!


ルールがしっかりしている学校であれば、怪我をするリスクの多い子供たちだって、安心して任せることが出来る!!

 

ある種の親の感性からすると、そのように思います。


もうちょっと大げさな話にしましょう

 

ルールの延長で、法律の話をしましょう


「法律のない国」があったら、恐いですね


例えば車、全ての道において、どちらの車線を走っても良いし、信号を守ろうと守るまいと罰せられないし、どれだけ速度を出し て走っても良い。という国があったら

 

私だったら怖くて、車の運転をしないどころか、家から出れない・・・


だからですね!法律すばらしい!


法律最高! ルール最高!!

 

・・・・・


・・


あれれ・・・と


最初齋藤は、ルールが邪魔・・・みたいなことを言っていた。でも、なんだ結局、ルールは必要なのか・・・


どうやら背反な意見になっている


ルールによって安全が確保されたり、品質が高まっている社会では、「常識を疑える人」や「非常識な発想が出来る人」って、育たない・・・

 

逆に

 

「既存の常識に問わられず、自分の哲学を持つ人」にとって、「束縛の弱い自由な空間」を作ると、それはもしかして、❝とても品質が悪かったり、安全が保たれていない空間になっているのではないか・・・❞

 


さて、

 

うちの会社(株式会社ソノリテ)は、比較的、「ルールを作らない」会社です

 

だから、特に他の会社から転職をしてきてくれた人などは、戸惑う場合があります

 

「XXXのルールはどうなっていますか?」

「ありません。自分で考えてください」

「はぁ・・・しかしそれでは・・・困ったな ・・・」


先の「工場のドライバー」などの話で、例えば「ドライバーはどこに片付けたらいいですか?」と言われて「自分で考えてくださ い」と言われたら、困るでしょうね。

 

そう、うちの会社は、結構「社員が困る会社」なんですね。

 

困らせたいんです


出来るだけ、困らせたい


この「出来るだけ」というのが、とてもとても、難しいのですけれども・・・


社員「え?だって、ルールがないと、何をどうしたらいいかわからないですよ!とても怖いです。」

 

と、問われたら、私はだいたい、以下のように答えます

 

齋藤「社員から、成長の機会を奪いたくないから、出来るだけルールを決めない」


社員「えー」


で、


だいたいそのあと、社員の口から出る言葉って、決まっているんです


社員「えーーー メンドクサい会社だなぁーーー」

 


これ

 

そうなんですよね。うちの会社は「社員が困る会社」で、それは「社員がメンドクサがる会社」


この「メンドクサい」が、重要

 

そして、社員はこの「メンドクサい」の代わりに、何を得るのでしょうか?

 

そこが、さらに重要

 

私は以下3つだと思っています

 

  • 本質的な自由
  • (ルールに従えば楽、という依存型の効率ではない、本質的な)効率
  • ルール(ローカルルール)を自分で考えるという成長のチャンス


この3つ


長くなりましたが、この3つ「自由、効率、チャンス」を、自らの働き方に取り入れたいと考える人は、出来るだけルールのない職場で働く事をお薦めします。

 

アナタが

  • 常識を疑える人
  • 自分の哲学をもっている人
  • 非常識な発想ができる人
  • 新しい事にチャレンジすることが出来る人
  • 古いものを壊すことが出来る人

だったら、きっと成功しますよ・・・


廊下を走らない良い子だったアナタには、もしかしたらかぎりなく「メンドクサい」職場なのかも知れないですけどね・・・

 

でも、どうするかは、アナタが決める事です。



最後に一つ、一番大事な事を言うのを忘れていました。


最初の方に書きましたが

 

子供である小学生は、廊下を走るなっていうルールを守った方が良いですよね?

 

でも、大人である先生は、廊下を走っても良いですよね?


・・・大人だからね


そう


ルールのない会社で「自由、効率、チャンス」を得て、様々な活躍が出来るのは、大人だけです。

 

ルールのない会社が❝とても品質が悪かったり、安全が保たれていない空間になっている❞としたら、

 

それはそこに「子供」がいるからです。

 

子供がいるから「廊下を走るな」というルールが必要です。

 

大人だらけの空間に「廊下を走るな」なんてルールは不要。

 


だからアナタがもし「自分はまだ子供だ」と思うなら、それならルールのある会社で、修行した方が良いかも知れないですね

ボディビルジム選びと甘えの話

■マッチョになりたいとき

 

アナタは、マッチョになりたいと思って、ボディビルジムを選ぶ時、どういうジムを選びますか?

 

まず、【第一段階】ネットなどで

  • アクセスが良い、費用が手ごろ みたいな基礎的なもの
  • 評判が良い、悪いうわさが無い など社会認知的なもの

 

次に、【第二段階】体験入会などをして

  • ロッカールーム、トイレが綺麗 みたいな基礎的なもの
  • 事務員の対応が良い悪い などこれも基礎的なもの

を、確認

 

そして、さらに、いわば本丸【第三段階】

  • 良いトレーニング機器があるか?
  • 良いトレーナーがいるか?

などを確認

 

さらに言えば、この後、付加価値的な物を確認していくわけですが・・・


もしアナタが、本当に「マッチョになりたい」と思うなら、ボディビルジムの本体価値である【第三段階】に強く着目するべきだと思うんですよね。普通。

 

ところが現代人は、付加価値である【第一段階】や【第二段階】の課題を先んじてしまう傾向があります。

 

本当は、本当にマッチョになりたいなら、【第一段階】や【第二段階】の問題など、【第三段階】に比べれば微々たる課題なのにも関わらず、

 

場合によっては、というか多くの場面で、【第一段階】や【第二段階】という付加価値的な物だけで問題を判断し、時として【第三段階】を見過ごしてしまう。


なぜか?


結論を言うと現代人、というか消費者は、かなり甘やかされているからだと、私は思います。

 


■消費者は甘やかされている

 

今さらですが、物が溢れている時代です。マーケットは消費者に、自社の商品を買ってもらうために様々な工夫を凝らしています。

 

消費者はそれらの、工夫を凝らして擦り寄ってくる商品のなかから、自分に都合の良い商品を選ぶことで、消費をします。

 

つまりメーカーは、自分の会社の商品を選んでもらうために消費者を甘やかします。

 

そしてこの甘やかしに現代人は慣れています。

 

従って、例えで出したような「マッチョになりたいから、ボディビルジムを選ぶ」というような状況でも、

 

アクセスが良く、費用も手ごろ、ネット上の評判も良く、ロッカー、トイレが綺麗、事務員の対応も良い所を、選びます。

 

そして一番大事だと思われる、「トレーニング機器やトレーナーの問題については」トレーニング機器は少し物足りないし、この人が私がマッチョになるうえで良いトレーナーなのかどうかはわからないんだけど、親切で優しいし、まあいいか~

 

と、なります。


先、言っときますが、別に私は消費者が甘える事を否定したいんじゃないです。

 

イインデスそれで。自分の人生なんだから。

 

自分の人生なんだから、甘やかされたいのは当然なんです。

 

なんといってもあなたは消費者なんだから。

 

「お客様は神様です」なんて言う気、私はありませんが、あなたには甘やかされる理由があり、現に甘やかされている。

 

だから、イインデス。

 


■3つの自覚

ところでそんなアナタについて、私は、アナタに以下の3つの自覚があるかが気になります。

 

  1. アナタは、甘やかされている、甘えん坊である
  2. アナタは、甘やかされいている事によって、マッチョにはなれない
  3. アナタは、自分が甘やかされていると、気付かないようにされている

 

私も、自分は甘えん坊だと思っています。

 

私はとても根性が無くて、逃げ場があれば逃げる人間です。

 

すぐウソもつくし、自分を正当化して誤魔化して、プライドは維持しつつサボりたい。

 

私はそういう甘えん坊です。だから私は自分を甘やかしてくれる人が大好きです。

 

ですが、私には一応、上記の3つの自覚があります。

 

ですので私は、私は私のそのままではマッチョにはなれない。という自覚があります。また、私は「私が甘やかされいていることを」自分ではなかなか気が付けない社会に生きているということも、自覚があります。

 

自覚があるので、甘えん坊ですが、なんとかなりそうです。

 

マッチョになりたいと思えば、自分の甘えたい気持ちとどう折り合いをつけながら、マッチョになればいいのか、考える事が出来ます。また、世の中の「甘やかし攻撃」に対処する事だって、考える事が出来ます。


自分の「甘えたい気持ち」に対処すると書きましたが、これは「気合い」「根性」あるいは「しごき」の話とは、根本的に違います。

 

「気合い」「根性」「しごき」は、「甘え」に対し強制をすることです。問答無用です。ハラスメントに近しいすれすれセーフ、あるいはアウト な話です。

 

「自分が甘えん坊で、折り合いを付けたり、社会の甘やかしに対処しながら、ゴールにたどり着く」というのは、主体的でプロアクティブな自分の選択です。

 

「XXしなきゃならない」ってのは気合、根性、しごき です。
「XXしたほうがいい」と考えるのは主体的選択です。

 

もしマッチョになりたいのであれば「自分にとって良いトレーニング機器があったり、トレーナーが良いジムを選んだほうがいい。そのためには場所が多少遠かったり、会費が高かったり、不便や不快を感じるような所であっても、そこは我慢したほうがいい」

 

と言う事ですね。

 

この話題も掘り下げると長くなるので、この辺で止めますが

 

今日お話をしたいのは、

 

甘えん坊な私が、なぜ「3つの自覚」を持てているか。という話をしたいのです。

 

で、それは、少なくとも私の場合「働いているから」です。

 


■働く事で、甘えの自覚を持つことになる

 

私は「働く」ことで「甘えの自覚を持つ」事が出来るようになりました。

 

「働く」だと、ちょっとニュアンスが違うかな・・・

 

「働く」と言うより、どちらかと言えば

  • 会社を立ち上げ、経営する
  • ビジネスを立案し、執行する
  • プロジェクトのマネジメントを完遂する
  • 製品を考え、作り、売る
  • 組織を作り、責任者になる

というような事をして、「甘えの自覚を持つ」事が出来ました。

 

これらの仕事は、

 

甘えがあると、なかなか難しい。

 

甘えたことを言いながら出来るというモノでもない。

 

甘えがあるとどこかにホコロビが生じ、成功しない。

 

だから、経営、執行、マネジメント、製品オーナー、組織責任者、そのどれをとっても、自分の甘えを見つめなおす、良い機会となります。

 

なぜでしょう

 

私は2つの理由があると考えています。

 


■1つ目の理由「ビジネスは結果だから」

 

1つめの理由は、ビジネスは結果を求められるから。

 

結果を求められるというのは、「マッチョになる」という事と同じなんですよね。

 

甘えの誘惑に負けず、結果を出す為にするべきことは何かを考える。そうすると自ずと自分がいかに甘えた思考方法をしているかを知ります。

 

例えば、甘えん坊である私は、怒られたくありません。また、嫌われたくありません。

 

ですのでついつい、ビジネスの局面でも「怒られない」「嫌われない」という選択肢を考えがちです。

 

ですがこれ、自分の思考方法がついつい「怒られない」「嫌われない」という選択肢に向かって自動思考するという事を理解していれば、

 

「ビジネスで成功する為に自分が選ぶべき選択肢は何か」

 

が、冷静に、わかります。

 

でも、世の中も、私を甘やかそうとします。

 

私のチームメンバーや、私の家族友人知人、あるいはメディアなどもこぞって、私を甘やかしにきます。

 

これが、問題です。

 


■甘えは伝染する

 

例えば私が「怒られない」という選択肢について、チームメンバーに相談したとします。

 

チームメンバーは、もし自分が同じ状況に追い込まれたら、自分も甘やかされたいので、「怒られない選択肢」を選ぶことを、すすめる可能性があります。

 

つまり同じチームの私が「怒られない選択肢をとるべきか?」と相談してきたら、「それでいいよ」と答えるわけです。なぜなら自分が同じ状況になった時にも、同じように甘やかしてほしいから。

 

このように甘えは、簡単に伝染します。

 

甘えが伝染し過度な許し合いが存在する組織は、利己的で排他的となる特徴があります。

 

ちなみに、間違った「働き方改革」は甘えの伝播を後押しする可能性があります。注意する必要があります。

 


■2つ目の理由「ビジネスとはサービスだから」

 

働く事で甘えを自覚できるもう一つの理由は、働く事の基本は消費者に対しサービスを提供することだからです。

 

言うなれば「甘える側」ではなく「甘やかす側」になるということです。

 

つまり「サービスとは消費者を甘やかす側」という基本を前提とすれば、仕事の達人になるということは、甘やかしの達人になると言う事でもあります。

 

人の甘えを研究し、自らが消費者をどう甘やかそうかを考えたり、消費者が甘やかされている事を気付かないように策を講じたりするうえで、自分自身の心の中の甘えにも詳しくなっていきます。

 


■人の甘えを(過剰に)嫌いになる

 

働く事が「甘やかす側になること」だと気が付くと、同僚などの甘えが嫌になります。

 

同じサービスをお客様に提供する仲間として、仲間に甘えがあればサービス提供者として失格だからです。

 

引っ越し屋さんは重い荷物を運んでくれます。あなたは優秀な引っ越し屋さんで、お客様の代わりに重い荷物を持つことを厭わない。が、同僚が「重たいのは持ちたくない」と言い出せば、それはサービスの根幹を揺るがす問題になります。

 

だから同僚の甘えを、嫌いになります。「甘ったれてんじゃねぇ!仕事だぞ!!」と、言いたくなります。

 

だから現代でも多くの企業で、社員の「甘え」に対して過敏になっている事が多いように思います。

  • 遅刻
  • 言葉遣い
  • 衣服の乱れ

などなど、日本の企業は「甘え」に対して過剰に統率を行おうとする傾向があり、これはハラスメントに繋がる場合もありますし、自由な働き方を推進する為の「働き方改革」に対し阻害要因になる場合があります。


注意する必要があります。

 


■私が会社にもたらせたいプロフェッショナリズムと働き方

 

さて、そろそろ自分の会社の話を書きますが

 

私は、自分自身も甘えのある人間だと書きました。

 

そして私の会社は「働き方改革」のコンサルティングなんかをしたりする会社ですのでこの「甘え」というテーマについて、こんな意見を持ちます。

  1. 「甘え」のない人間なんていないと思っている。私も甘えん坊。
  2. 仕事で結果を出すとき、自分の「甘え」が弊害になる場合がある。これをコントロールできる人財が、当社では評価される。
  3. 当社では「甘えを許さない文化」みたいなものを作る気はない。ただある程度のインテリジェンスがあれば「甘えていると成果が出せないな」と自覚できているはずだと思っている。自覚がないなら当社は合わない。
  4. 人は「甘えを伝播する」性質があり、この甘えの伝播をしてしまう人を評価出来ない。逆に人に甘えを気付かせてあげられる人をリーダーやヒーローと認める
  5. 他人の甘えをよく理解し、それをビジネスに出来る能力がある人をサービスマンとして評価できる。

という感じです。

 

社員の「甘え」に気付いても、それを統治しようとするとハラスメントになったり、根本的な依存をぬぐえないので、どうやって、どのような方法をつかって気付かせるか、ですね。

 


■なんでボディビルジムで例えたの?

 

さて最後に、何で私がボディビルジム選びで例えたかと言う話なんですけれども

 

私は、「(ビジネス)マッチョになりたい」と、思ってくれている社員に対して、社長である私の存在が

  • よきトレーナー なのか?
  • 適切なトレーニング機材(つまりストレス)なのか?

ってのを、なんとなく、話題として書きたかったんですね。

 

で、私の理想は、

 

 「私は重たいバーベルでありたい」

 

って事ですね

 

骨太な人。ぜひ一緒にビジネスをやりましょう。


わー

 

毎回ひどいけど、今回ほど支離滅裂なblogもないな~

 

先日あるリーダーと、「社員の甘え」について会話した内容を、なんとなく残しておきたかったので、今日のblogを書きました。

 

リーダーは、社員の成長を信じて、重いバーベルにならなきゃね

 

リーダーが社員を甘やかしてしまったら、その甘やかしはすぐ伝播するしね

 

まあ、そんな話

 


No pain No gain