自制心、セルフコントロール
自制心がある人は、信用できる。
自制心がない人は、信用出来ない。
例えば、自制心のある人は、口が堅い。秘密が守れる。
自制心のある人は、ちょっとやそっとのストレスで、仕事を投げ出さない。
自制心のある人は、自分に何があっても、約束をきちんと守る。
自制心の無い人は、口が軽い。感情に任せて、ペラペラと話す。
自制心の無い人は、ちょっと面倒になると、仕事を投げ出してしまう。
自制心の無い人は、何かにつけ理由をつけて、約束を守らない。
反面
自制心の強い人は、常に自分に制約を課して生きているので、ストレスがたまる。だから、疲れる。
堅物(カタブツ)とも言える。安請負をしない。責任のとれる行動、発言しかしない。
が、何しろ、❝信用❞できる。
信用出来ない人が、いくら素晴らしい事を言っても、信用出来ない。
自制心がない人の発言は、無責任だから。
「ぼくに任せてください! ぜったいにキッチリやります!」
この言葉、自制心のある人の発言なら、信用できるが、自制心の無い人の発言なら
(ああ、こいつまた、三日坊主で忘れるんだろうな)
(ああ、今はこいつこんなこと言っているけど、別に面白い事が見つかればそっちに気が移っちゃうんだろうな)
と、見透かされ、冷笑されるのがオチ。
自制心を、持ちましょう
自制心を、発揮しましょう
ここまでは、良いですね?
でも自制心を持つことは、大変です。
(ちなみに私は、人間は初期値において、自制心を持たない。と、考えています。ですから大抵の子供は、自制心を持ちません。これは皆さん合意、ですかね?)
さて、自制心を持ちましょう と、言いましたが、
では具体的にはどうやって、「自制心を持つ」のでしょうか?
模範解答っぽい答え:
「意識や目標が人を変えますから、まず自制心を持とうと言う意識や目標を立てることでしょうね。」
はい、0点です。サヨウナラ
「意識や目標」で自制心が身に付くわけが、ありません。
だってその人には、「意識や目標に向かって努力する」根源的なエネルギーである「自制心」が無いんですからwww
自制心がない人が、意識や目標を持ったところで、三日坊主で終わるだけ、です。
はっきり言います
自制心は、強迫観念だと、私は思います
自分の心に、強迫観念を持っている人が、ビジネスでは「信頼」されます。
・約束を破ると、怒られる
・締切に間に合わないと、干される
・遅刻をしたら、仲間外れにされる
・寝坊をしたら、仕事を首になる
・サボったら、殴られる
こういった「強迫観念」が身についている人が、信用されます。
(そしてその強迫観念を、プラスな方向に❝解釈❞する必要がありますが、❝解釈❞の話は深くなるのでここでは置いておきます)
「意識や目標」で、皆さんの心に、強迫観念が植えつけられるでしょうか?
私は、無理だと思います。
強迫観念は、環境の産物です。外から植えつけられるもの、です。
例えば、親と家で同居して学校に行っていたころには、無遅刻無欠席であった自分が、大学生になって一人暮らしを始めたら、瞬間から、遅刻などをするようになった
と言うような事が、あると、自分の事のように想像してください。
さて、この人には、「大学に遅刻をしたらまずい」という“意識”が無いのでしょうか?
それとも「今月の遅刻回数を0回にする」という“目標”が無いのでしょうか?
どちらも、違いますね
この人は、今まで生きてきた人生の中で、強迫観念なく、親や友人たちに甘やかされ
生きてきた。というだけの事です
強迫観念が、心の奥にまでシミわたっていないんです。だから、「睡魔」程度の物に、負けてしまう
「睡魔」程度のものに負けてしまう人に、仕事は、任せられませんね
遅刻常習犯の人に、どんなに素晴らしい事を言われようと、「なんだあいつ、睡魔程度のものに勝てないくせに」と言うように反駁されて、信用されません。
それがビジネス上の人間関係における、信頼の基礎。です。
ところで、
人間はどうして 自制心のある人を、信用するのでしょうね?
簡単ですね
「自制心を持ったり、発揮することが、とても、大変な事だから」ですね
皆、無責任でいたいのです。
適当な事を言って、面白そうなことだけやって、やりたい時にやって、やりたくないときにはやらない。眠ければ寝て、雨が降れば家から出たくない。
だから、人に頼む
自分が出来ない事を、お金を払って人に頼むこと、そしてそれを引き受けること、
が「仕事」の本質です。
ですから、
「(自分にはない)自制心を持った人を、お客さんは信用する」わけです
かつ、仕事とはチームでやります
同じチームの中に、一人でも「自制心のない人」がいたら、チーム全体の「約束を守る能力」が落ちますよね
・常習的な遅刻やフレックス出社
・約束破り
・寝坊、居眠り
・無断欠勤
・飲み会の翌日に起きられない
だからこういう「自制心のない人」がチームに居ることを、人は潜在的に嫌います。
よく
「時間の制約を受けずに、例えば夜中に働きたい!作る物さえキチンと作れれば、文句はないはずだ!」
などと言って、都合よく、フレックスタイム制度などを利用する人が居ますが
まあ、信用出来ない人であるケースがほとんどです
「睡魔」程度に勝てない人間が、口先だけカッコいい事を言っているに、すぎませんね。生きてきたなかで、自制心と言う強迫観念に向き合う事をせず、まだ子供でしかない、わけです。
「信頼」とはそういうものですね
私は株式会社ソノリテという会社を経営しているなかで、ソノリテを究極的に自由度の高い会社に成長させようという考えを持つと共に、「信頼」出来る会社でありたいとも思っています。
そしてそんな私は今年、「傲岸不遜」というテーマで経営をしています。
私は今年、傲慢に、社員の皆さんにストレスを与えていこうと思っています。
今日本の社会は、人が人に傲慢に接することに対して、難易度が高い状態にあります。民度の成長過程においては、このような「無責任な自由度」という状況は、やむを得ないでしょう。
ですが私は、私の責任において経営しているソノリテと言うコミュニティの中で、コミュニティの形成者である社員達に対する、ストレッサ―となり、社員達がその強迫観念に向き合ってくれることを期待しています。
社員の皆さんには仕事と言うステージのなかで、自らに強迫観念を植えつけ、立派な「信頼できる人」になってもらいたいなと思っています。
そして
出来れば皆さんが、おなじ会社の仲間たちに対し、「説教!」をしあえる人に成長してほしいなと思っています
「説教!」をして、周囲に良質な強迫観念を植えつけ
仲間を、「信頼できる人」に、しあえる
そういう活性化されたコミュニティであることが、理想だと思っています。
人に説教するのって、疲れます。嫌です。
でも、
「~え~説教か~~言うのやだな~~~」
と、思う理由があるとしたら、その理由は、ただ一つ(自分が言われたくないから)じゃないかな?と思うんです。
この一つ前のblogで「私はだらしがない」という事を書いた私が言うのも、なんですがw
私は、ソノリテと言う会社の社員の皆さんが「こういうソノリテにしてほしい」という意見を極限まで受け入れる覚悟が、あります。
が、それは「信頼できる人」からの意見、のみなんです