「上司」は諸悪の根源 「上司」はいない方が良い

株式会社ソノリテを、一年前に「フラット組織」にしました。

 

何をしたかというと、

 

 ・(基本的に、旧来型の)組織を無くす
 ・上司、部下の設定を無くす
 ・役職(本部長、部長、課長、主任、など)を無くす

 

ということをしました。

 

で、一年間運用してみました。

 

うまくいった事もあるし、いろいろな失敗、不都合、も生まれました。

 

今日はその話と言うよりも・・・自分の会社をフラット化して、私は本当に

 

 「上司」ってのが諸悪の根源だな

 

と確信しましたので、そっちの話をしようと思います

 


太宰治さんは、「家庭の幸福は諸悪の根源」と言いました。

 

たしかタモリさんは「友達はいらない。諸悪の根源だ」と言ったらしいです。

 

そして私、齋藤和政は

 

 「(会社組織において)上司は諸悪の根源だ」

 

と、言いますわ。声を大にして言いますわ。うんうん。

 

 ・日本だけかも知れません
 ・齋藤の身の回りだけかも知れません

 

まあ、そうかも知れないけれど、もうねー本当に、私はね、言うよ。もう一回言います。

 

 「上司は諸悪の根源」


何の事かと言うと、ですね。沢山あります。

 

とりあえずわかりやすい話から書きます。


まず最初は『クイズ』です。

 

みなさん、「仕事」って、何をすることでしょうか?

 

 ・お金をもらうこと
 ・誰かの役にたつこと
 ・社会、経済の基盤となる国民の義務

 

まあ、いろいろ答えがあるかも知れないですけれど、

 

 ・仕事とは、上司の言う事を聞くこと

 

だと、思ったり、感じたりした事は、ありませんか?

 

はい、さっそく出ました「上司」

 

アナタが新入社員だとして、最初に言われること、

 

それはたぶん「この人が上司です。この人のいう事を聞いてください」

 

そしてアナタはこう思う(ああ、私はこの人のいう事を聞けばいいんだな)

 

つまり日本の会社の多くは、まず、上司-部下の結合から開始する。

 

そして皆さんはまず「部下」となり、「部下となることに安心する」わけです。

 

これがまず気持ちが悪い。

 

なんでこう、日本の会社って社員に甘いんでしょうね?そう、思いませんか?

 

新入社員って、頑張んなきゃいけないじゃないですか?

 

それをまず「安心させる」存在なんですよね「上司」って・・・

 


はい、では次は、『フィールドワーク』です。

 

みなさん、居酒屋に入って、隣の席のサラリーマンの愚痴を聞いてみましょう。

 

「上司」の愚痴大会をしていませんか?

 

 ・上司のあの指示はおかしい
 ・うちの上司、また寝てた
 ・上司が報告ばかり求めてくるくせに、いざという時、何もしてくれない
 ・あの上司の下で働いてたら、気が狂う
 ・あの上司、また下を潰した

 

とか、とか

 

なんなんですかね?上司

 

上司ってなんでそんなに権力を持っていたり、権限を持っていたりするんでしょうか?

 

上司の指示なんて聞かなくて良いから、皆さんが良いと思う事を、すれば良いのに、なんで皆「上司」に振り回され、上司の愚痴を居酒屋で話しているんでしょうか・・・

 


では次は、『思考実験』をしましょう。

 

アナタは会社で頑張って働いている社会人です。

 

学生時代の友人からハガキが届きました。同窓会に行きましょう。

 

なつかしい面々が揃っています。

 

 あなた「やあ、久しぶり」

 友人「おお、お前今、何やってんの?」

 あなた「株式会社XXで働いてるよ。お前は?」

 友人「おれはYY株式会社で、部長やってる」

 

あなたは自分に「役職」がない事に、少し不満を感じます。

 

そして、家に帰ります。

 

家では家族がこう聞きます。

 

家族「お父さんは、会社で偉い人なの?」

 

あなた「色々な仕事を任されているから、信頼されていると思うよ」

 

家族「・・・お父さんは、偉いの?」

 

どうやら家族には、なかなか伝わらないようです

 

あなたは自分に「役職」がない事に、少し不満を感じます・・・

 

 

なんなんでしょうね?「役職」

 


よく銀行や営業など信用を売りにしている業種では、

 

「(外向けに)一つ上の役職をつける」と言います。

 

よく「代理」なんて付けて、一つ上の役職を名乗ったりするのを見かけます。

 

例えば

 ・平社員だったら係長代理
 ・係長だったら課長代理
 ・課長だったら部長代理

などですね

 

一つ上の役職のほうが、皆さん、信用するようです。

 

そういうものですね・・・

 

・・・

 

・・・

 

・・・・・はっきりいって、アフォですね。

 

なんですかね?役職って?

 

何か「信用」を表すものなのでしょうか?

 

よく「責任者」って言いますよね?「責任者出てこい」みたいなヤツ。

 

そう、「責任者」

 

仕事でトラブルがあったら、責任をとる人。「責任者」

 

なんなんでしょう?この「責任者」ってのは?

 

これを、先の「新入社員」の話に置き換えてみますね

 

さっきのはこれです↓

>それはたぶん「この人が上司です。この人のいう事を聞いてください」

>そしてアナタはこう思う(ああ、この人のいう事を聞けばいいんだな)

>つまり日本の会社の多くは、まず、上司-部下の結合から開始する。
>そして皆さんはまず「部下」となり、「部下となることに安心する」わけです。

 

そして置き換えると、こうなります

 

■「この人が上司です。あなたの行動はすべてこの人が責任をとります。だから
■ あなたはこの人のいう事を聞いてください。」

■そしてアナタはこう思う(ああ、この人のいう事を聞いていれば、わたしは責任を
■とる必要がないんだな)

■つまり日本の会社の多くは、まず、上司-部下の結合から開始する。そして皆さんはまず「部下」となり、「責任をとらなくて良いことに安心する」わけです。

 

と、まあ、こういった具合。

 

つまり皆さんは「責任をとらなくて良いけれど、上司の言う事を聞け」と、そういう事を、「仕事ですよ」と教わるわけです。

 

それが、「上司」

 

なんなんでしょう、「上司」

 

他えば私が性悪説に基づいて、つまり「人間はほっておくとサボる。盗む。ズルをする」みたいなモノだと前提をおいて、会社みたいな組織を作るとしますよね。

 

そうすると、社員全員が、信じられないわけです。そりゃそうです。みんな泥棒みたいに見えてますからね。

 

となると、全員に眼を光らせて、「ちゃんと働かせる」必要が出てきます。

 

でもまあ、組織も大きくなったら、全員を見ていられなくなる。見ていられなくなったら、全員悪い事を始める。サボりだすし、会社の金を盗むヤツも出てくるかも。

 

だから、「上司」を設定しよう!

 

「上司」には、私と話が合い、私を慕ってくれている、「信じられるヤツ」に、なってもらおう。

 

そしてその「上司」の下の「部下」には、「上司の言う事を聞け!じゃなきゃクビだ!」と言おう。

 

そして「上司」には、「(裏切らないように)高い給料を支払う。そのかわりお前の部下が悪い事をしたら、お前が責任をとれ!いいな!」と、言おう

 

と、まあ、なるわけですね。性悪説ですからね。

 

まあ、いいじゃないですか。最初はこんな感じでも、きっと上手くいきますよ。

 

ところがこの「組織体系」が、形骸化、マンネリ化、してくると・・・

 

例えば以下のような組織になったりするんですよね。

 

1)上司の部下に対する取り締まり、圧がけ、パワハラ の常態化
2)部下の無責任体質や無気力化
3)経営者に気に入られることで高給を得ようとし、かつ責任逃れが上手い上司が生き残る
4)伏魔殿化(特定の上司が裏切らない部下集団をつくり、権力構造を構築する)

 

ヒエラルキー型組織って恐いですよ。こうなるんです。

 

本来、「信頼し、預ける」事をする、権限移譲をするために中間管理職という役職を作ったハズなのに、それが形骸化し、むしろ諸悪の根源となる。

 

なぜ?

 

なぜ?それでも上司が必要なのか?

 


ここで唐突に、シン・ゴジラの話をします。

 

シン・ゴジラ松尾諭さん演じる、泉修一という登場人物がいます。

 

彼はいいます。「出世は男の本懐だ」

 

シン・ゴジラは、硬直化した日本の政府や社会を、若い世代がどう生きるか、それを問うた映画でもあると私は思います。「私は好きにした、君らも好きにしろ」というメッセージと共に。

 

その作品中にあるセリフ「出世は男の本懐だ」ですが・・・

 

なんともまぁ・・・ダンシ ノ ホンカイですよ・・・

 

出世とは、そういうもので、アリマシタ。

 

出世とは、アナタが、世の中に認められている証拠。世の中の役にたっている証。

 

もうちょっと言えば、お殿様に認められ、位を頂戴し、何万石を統治する部下になる・・・


・・・好きですが、好きな世界観ですが


まあ、ノスタルジーと言わざるを得ない。

 

ヒエラルキーを駆け上がり、より大きな仕事をする権限と責任を与えられ、民を幸せに導いていくような理想のリーダーシップ・・・

 

・・・やっぱりまぁ、ノスタルジーと言わざるを得ない。


いや!、私は、リーダーシップを否定しているわけではないです。

 

リーダーシップは本当に重要な要素で、人類の幸せにとって必要不可欠だと私は思っています。


 ・リーダーシップの話と

 ・「既得権益を得る」「用意された椅子に座る」という話と

 ・社会的な承認(ソーシャルプルーフ


の話が、ごっちゃになってるから、それが「古い」んですね。「ノスタルジー」なんです!


例えば、みなさんの会社の「上司」に、リーダーシップはありますか?

 

みなさんの会社の、部長という「用意された椅子に座っている」人に、リーダーシップはありますか?

 

無いんですよね。あるわけがない。

 

だって、「上の人に気に入られて、部下の責任を負わされる代わりに、用意された椅子に座り、社会的な承認(例えば同窓会で恥をかかないようなポスト)」を、得ているに過ぎませんから

 

部下に居酒屋で文句を言われても、仕方がない。

 

いや、良いんですよ

 

たぶん他にも色々な経験や、スキルや実績に基づいて、その人には高給が支払われるべきです。きっと。


なんでそんな事しているんでしょうか?

 

私は、「上司」なんかやめてしまえと思うんですよ

 

いや、リーダーシップは発揮すればいいんです。ぞんぶんに。

 

もしあなたにリーダーシップがあるのなら、何らかの仕事を任せてもらい、その仕事のリーダーをやればいい。

 

ただ、「上司」は別です

 

なんでわざわざ「上司」なんて役をつくって、仕事に一番大切な「責任感」みたいなものを、部下から奪っていくのか?

 

それって「それが普通の(性悪説的な)会社だから」とか「役職の社会的承認が欲しいから」とか、そういった低次の「常識」に縛られて、大切な物を失っている状況となり、結果それが大企業病的無責任体質や指示待ち体質の温床になっているのではないか?

 

細分化された顧客ニーズとプロダクトライフサイクルが極小化された世の中は、新しいものを次から次へと求めているこの時代に、

 

なんとのんびりとした旧態依然のノスタルジーに浸り、社会的承認を欲しがったり、居酒屋で愚痴を言ってみたり、

 

アフォくさくないですか?ねえ?


と、思いましたので

 

うちの会社からは「上司」ってのを無くしました。

 

みなさんの会社も「上司」を無くした方が良いですよ。

 

今まで「上司」だった人は、その責任感から解放されますし、

 

「部下」だった人は、リーダーシップのない上司からの命令を聞く必要が無くなります。


もちろん

 

「上司」だった人は役職を失いますから、自分が本来評価されるべきもの(スキル・能力・成果)を、0から見つめ直し、足りないと思ったら必死になって勉強なり実績を上げるなり表現したりしないといけなくなりますし、

 

「部下」だった人は、「上司のせい」に出来なくなりますので、仕事に責任感を持たなければなりませんし、皆とうまくコミュニケーションをとらないと、だれもあなたを助けてくれなくなりますが、


それって、ビジネスマンとして当たり前の事じゃないですか。

 

上司がいなくなるだけで、その当たり前のことに気が付けるんです。


それに

 

「上司」ってのは、「自分より優秀な人材を下に置けない」という構造的問題を持ちます。

 

だから、経営者の皆さん、

 

「上司」に「部下を育てろ」と言っても、その部下は絶対に、その上司より優秀になりませんよ。


ほら、「上司は諸悪の根源」でしょ?