巻き込もう。巻き込めないなら、せめて巻き込まれよう

■人間の願望

 

人間の願望の大元(おおもと)みたいなモノが、いくつかあると思いますが、その中には、「楽しむ」と「長生き」ってのがありますよね?

 

  • いつまでも楽しんで生きたいし
  • 出来るだけ長く生きたい

 

まあだいたいの人は、楽しみ、長生き、の両方とも、願望として持っていますよね?

 

「いやぁオレは楽しく暮らしたいけど長生きじゃなくてもいいや。太く短くが良い!」って人もいるとは思います。まあその話は、後半書きますけど…

 

 

■バーベキューに行くかどうかの決断

 

で、多くの人間の願望に「楽しみ」と「長生き」が、あるとして…

 

今度は行動の方を書きますけど

 

例えば、「外出する」っていう行動がありますよね。

 

この「外出する」という行動。「外出」には、どんなメリット・デメリットがあるかを書いてみると

 

メリット

  • 外出すると気が晴れて、ストレス解消になる
  • 外出すると運動になる
  • 外出すると新たな出逢いがあったり、チャンスがあったりする

デメリット

  • 外出すると日光を浴び、皮膚がんのリスクが上がる
  • 外出すると交通事故にあう可能性がある
  • 外出すると人とのコミュニケーションがストレスになる場合がある

 

他にも色々なメリデメがあるでしょうが、まあ今はこんな感じだとしておきます

 

さて、会社の同僚たちから、週末にバーベキューに誘われたとしましょうか

 

誘われて、行くかどうか、考える。

 

「こんな暑い日に屋外でバーベキューなんかしたら疲れるし日焼けもしちゃうけど、今回のメンバーは好きな人が多いから楽しいかも。でも苦手な人も参加するらしいから嫌な気分になる可能性もある。あと衛生面なんかも心配だし、それに同僚の運転もちょっと心配。」

 

そんなふうに、色々な考えが頭に浮かびますから、いろいろ考えて

 

 じゃあ、行こう / やっぱり、やめておこう

 

というような「決断」をするわけですよね。


この「外出(今回は週末のバーベキュー)」を、「楽しみ」と「長生き」という欲求に対して、整理してみます。

 

ここではめっちゃザックリと、あえて白黒つくように整理しますと

 

  • 外出は
  • 運動や日光浴や友達とのコミュニケーションという部分は楽しみだが
  • 日焼けや衛生面や対人ストレスや交通事故リスクなどは、長生きには良いとは言えない(悪い)

 

って事なんだと思います。どうでしょうか?

 

あくまでもザックリ白黒つけるとすれば、まあそれで良いですよね。

 

で、じゃあこれをさらに単純化すると

  • 外出はしたほうが「楽しい」
  • 外出はしないほうが「長生き」に良い(というか死ぬリスクが少ない)

 

って、事なんですよね。こんな感じになる。


ようするに、人間のプリミティブな欲求である「楽しみ」と「長生き」について、
「外出」という行動を整理したら

 

どうしても相反(楽しみを優先すれば長生きが劣るし、長生きを優先すれば楽しみが
劣る)する要素が出てくる…


と、いう事で、ここで私が言いたいのは


例えば「バーベキューに行く(外出する)」なんて、とても簡単な事でも、

  • 正解か(行くか)
  • 不正解か(行かないか)

 

を、決めるには、いろんな事を考えますよね って 話です。

 

 

■オフィスは静かな方が良いか、ワイガヤな方が良いか?

 

話かえます。

 

私は会社の社長なので、社員が会社に不満を持っていれば、解消してあげるべき立場にあるんですが、

 

社員から

 「オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止にしてください」

 

という要望と

 「オフィスが静かすぎてコミュニケーションが取りづらいんで、オフィスをもっと楽しい雰囲気にして、会話しやすい雰囲気を作ってください。例えば音楽を流すとか」

 

という要望を、良く、受けます。

 

いれかわりたちかわり、毎年、誰かに言われます。


この二つの要望、「私語禁止オフィス」と「わいがやオフィス」は、相反しているということは、わかると思います。

 

(ちなみにこのテーマ(オフィスは静かな方が良いのか、ワイガヤな方が良いのか)は、私の会社と同じように、ホワイトカラー系の仕事が多い会社だと、結構あるあるなテーマなんじゃないでしょうか?)


ちなみに私の会社では、上記の対策として、現時点では、

  • 雑談推奨のオフィスルームと私語禁止推奨のオフィスルームをわける
  • 雑談用のソファを用意する
  • 集中できる個室型ブースを用意する

 

なんてことを、【会社としては、一応】やっています

 

「静かな方が良い」人はこっちの空間を使ってね。
「ワイガヤでやりたい」人はこっちの空間を使ってね。という感じです。

 

まあ、いちおうですね。会社としては…

 

 

■行きたくないバーベキューに行く

 

で、また話戻しますけれども

 

皆さんが、仮に、「めっちゃ長生きしたい人」だとしますね。

 

なので、皮膚ガンのリスクだったり、対人関係のストレスとか、屋外で飲食する衛生面だとか、ケガするリスクとか、交通事故のリスクだとか…

 

なにをおいても「めっちゃ長生きしたい人」だとしたら、バーベキューには行かないですよね?

 

でも

 

もしかしたらそのバーベキューに、熱心に誘ってくれる人がいて、バーベキューに行かないとなんかその人に悪いし、翌日から職場に行きづらい空気になるかもしれないなぁ~ とか、そういう事もあるじゃないですか?

 

そうしたら、皆さんは、どうするんですかね?

  1. 我慢して、行く
  2. それでも、行かない
  3. 「バーベキューに行くことの強要」をハラスメントとして糾弾し、会社に「バーベキューに誘う事を禁止」にさせる

どれでしょうか?


「めっちゃ長生きしたい人」という人の主観で考えれば、とうぜん、

 

 2. それでも、行かない

 

という事にはなりますが…


ですが、

 

そもそもあなたは、なぜ、バーベキューに誘われたんでしょうか?

 

誰かがあなたを「あなたにとって良いことだと思って」バーベキューに誘ったのではないでしょうか?

 

もしそうだとしたら、あなたは、その人の気持ちを、無視しますか?

 

「自分はめっちゃ長生きしたいんで」っていう理由で、誘ってくれた人の気持ちを、無視できます?

 

無視できない場合も、ありますね、きっと。

 

そういう「断れない」みたいな話を始めると、圧迫とか同調圧力の話とかが出てきましてですね。

 

「会社組織ってのはチームワークが大事なんだから、いくらイヤだと思っても長いものには巻かれなさい」

 

みたいな話になっちゃう… と、それは違うんです。

 

そういう話を、したいわけじゃない、私は「我慢して行け」という話をしたいわけじゃ、ないんです

 


■3つのテーマ

 

私が言いたいのは、3つありまして

 

一つ目は、これはわかると思いますが

 

 テーマ1:たかだかバーベキューに行く、行かない、なんて話だって、決断っていうのは、とっても難しい話ですよね

 

という話

 

それと二つ目は、先ほどは3)に書きましたが

 3.「バーベキューに行くことの強要」をハラスメントとして糾弾し、
   会社に「バーベキューに誘う事を禁止」にさせる

 

みたいな事、これが

 

 テーマ2:ルールにしちゃう。これがすごーく難しい話なんだよね

 

という話、

 

そして最後に、三つめは、まあこれが一番言いたいわけで、これが纏めなんですが

 

 テーマ3:難しいテーマこそ、個人の考えで行われるべきなんだよ


という話


この3つなんです。
 

そしてこの3つは、少なくともわが社では、ある考え方に基づいて、方向性が決まっている… ということを、最後に追記します。

 

まあ、理念の話です

 


テーマ1:とっても難しい話ですよね

 

まずこの話から書きます。

 

 バーベキューに行くこと/行かないこと を決める

 

 

 オフィスを私語禁止にする/オフィスをわいがやにする を決める

 

は、

 

とても難しいことです。

 

なぜならば、人間のプリミティブな要望自体に相反する欲求があるから、です。


例えばバーベキューの話なら、「楽しみたい」と「長生きしたい」は欲求として相反しています。

 

例えばオフィスの話なら「集中したい」と「人とつながりたい。仲良くなりたい」は欲求として相反しています。


だから決めるのは難しいですね。一つに決めるのは。

 

ここまでは、良いでしょうか?まあここまでは、普通の話です


さらに、もっと難しい話があります。


皆さんにとって、


 自分の望み通りの人生を送ること/人に巻き込まれて生きること


は、どちらが良いのでしょうか?という話です。


どうですか?わかりますか?


例えば、バーベキューにも行きたくないし、オフィスは静かな方が良いとのぞんで生きている人がいるとしましょう。

 

この人が、「自分の望み通りの人生をおくること」を、するとすれば、

 

それは要するに一生バーベキューにも行かないし、静かで集中できるオフィスで働くことが、出来る人生をおくる、ということになりますが、

 

その人生って、めっちゃザックリ説明すると、

 

 望み通り長生きするし人現関係のストレスに惑わされないが
 喜びの少ない人生だし人としての成長が望めない人生

 

と、考える事も出来ますよね


そんなことないよーー!!そりゃ極論すぎるよーー!!

 

って言いたくなる人もいるかも知れませんが…


じゃあ反対の事も書いてみましょう

 

バーベキューとかガンガン行きたいし、オフィスはワイガヤで笑顔の絶えない職場が良いとのぞんで生きている人がいるとしましょう。

 

この人の「自分の望み通りの人生をおくること」を、するとすれば、

 

 望み通り楽しみが多く、人とのかかわりが多い人生だが、
 仕事に集中しないから手に職が付かず、浮き草人生になりがちだし、
 対人ストレスやら事故リスクも多いので短命な人生

 

と、なりますよね

 

これだってそんなことないよーー!!そりゃ極論だよーー!!っていう人もいるでしょう。

 

ちなみにこういう人って、自分の事を「いやぁオレは楽しく暮らしたいけど長生きじゃなくてもいいや。太く短くが良い!」なんて、言っていたりしますよね


この話の難しポイントは、

 

 「自分の望み通りの人生を送ること」の是非です。

 

改めて話を単純化します。

 

先と同じ例を書きますが、バーベキューにも行きたくないし、オフィスは静かな方が良いとのぞんで生きている人がいるとしましょう。

 

この人が、「自分の望み通りの人生を送ること」を、するとすれば、

 

 一生バーベキューにも行かないし静かなオフィスで働く人生

 

そしてそれは

 

 望み通り長生きするし人現関係のストレスに惑わされないが
 喜びの少ない人生だし人としての成長が望めない人生

 

です。

 

ポイントは、本当にこの人にとって、この人生は、「正解」なんでしょうか?という点です。

 

なるほど「望んだ人生」ではある。

 

しかし人生や社会には「間違い」や「理不尽」や「非合理」はつきものです。

 

そして人生や社会にとって「間違い」や「理不尽」や「非合理」は重要な要素です。

 

皆さんには「人生の望み」があると思います。

 

でもその「望み」が「自分の人生を幸せに導く」ものだと、自信をもって言えるでしょうか?

 

例えば子供が「野菜が嫌い」だとして

 

この子供の望む人生は「一生野菜を食べなくていい人生」だとして、

 

果たしてそれは、この子供のQOLを成熟させることが出来る生き方なのでしょうか?

 

そういう言い方をすれば、誰でも疑問を持つのではないでしょうか?

 

そういう方向性から考え直せば

 

  • 野菜嫌いの子供に何とかして野菜を食べさせようとする親のように
  • 外出嫌いの人を何とかバーベキューに誘おうとする同僚のように

 

いわゆる「おせっかい」が、


実は、その人の人生のQOLを満たす方向に導くことだって、あると、考えた方が、自然だとは思えないでしょうか?


逆の話もします。

 

「野菜が嫌い」な子供がいます。

 

親が過度に厳格だとします。

 

子供が「野菜が嫌いだ」なんてことを言おうものなら、烈火のごとく叱られます。

 

全体にこの子供は、厳格な親から「素直に指示を聞く」人生を強いられます。

 

この子供の刷り込みは強く「好き嫌いをせず食べることは自分の望みだ」と思いこまされています。

 

この子供は確かに食べず嫌いをせず、きちんとバランスの良い食生活を過ごします。

 

結果としてこの子供は、健全な肉体を手に入れるかも知れません。

 

しかし

 

「自らの欲望を抑圧し、素直に指示を聞く」ことだけを、生き方として刷り込まれたこの子供の、

 

その後の人生のQOLは、果たして高くなると、いえるでしょうか?

 

そういう方向性から考え直せば

  • 厳格な親のしつけに抑圧されている友達を、夜遊びに連れ出す友人のように
  • 「無理してバーベキューに付き合わなくても良いんだよ」と心配してくれる同僚のように

 

いわゆる「おせっかい」が

 

実は、その人の人生のQOLを満たす方向に導くことだって、あると、考えた方が、自然だと思えないでしょうか?

 

ようするにですね、

 

自分の欲求が、自分のその後の人生のQOLを「絶対に満たす」なんて、自信をもって言えますか?

 

時に自分の欲求以外の行動に、誘ってくれる、巻き込んでくれる、叱ってくれる、存在があって、そういう「おせっかい」という「間違い」や「理不尽」や「非合理」が
周りにあって、

 

人は社会性をもったり、成長出来たり、器が広くなったり、するんじゃないでしょうか?


っていう話なんですね

 

そこまで込みで、

 

つまり、

 

「自分の欲求としてはxxだけど」

 

「もしかしたらこの機会は私の人生にとって必要な非合理かも」という可能性まで折り込んで


 バーベキューに行くこと/行かないこと を決断したり、

 私語禁止オフィスを望んだり、/わいがやオフィスを望んだり、

 

するべきなんだと思うんですよね~

 

難しいでしょう?


この「難しさ」って言うのは、要素の多さではなくて

 

時に自分は、自分の感情に相反する選択をしなければ、人生を成功できないかも
知れない

 

という、難しさなんです。

 


テーマ2:会社を私語禁止にする。会社をワイガヤにする。いや、どちらもダメでしょ

 

人間のプリミティブな欲求は相反する

 

  例えば「楽しみたい」と「長生きしたい」は相反する。

  例えば「集中したい」と「人とつながりたい。仲良くなりたい」は相反する。


だから私は毎年、かわるがわる、色々な社員から

 

 「オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止にしてください」

 

という要望と

 

 「オフィスが静かすぎてコミュニケーションが取りづらいんで、オフィスをもっと楽しい雰囲気にして、会話しやすい雰囲気を作ってください。例えば音楽を流すとか」

 

という要望を、受けます。

 

で、まあ前述したように、私語禁止と推奨ルームをわけたり、まあいろいろとしているんですけれども

 

根本的には、

 

 「会社を私語禁止にする。会社をワイガヤにする。いや、どちらもダメでしょ」

 

って、思っています。

 

相反するからですよね。相反するから決められないんですよね。

 

いや、まあ、そうなんだけど


少なくとも、そういう事をですね

 

 「法律・規則・ルール」

 

でやったら、ダメなんだと思っています。


バーベキューの話で言うと、前述した

 

 3.「バーベキューに行くことの強要」をハラスメントとして糾弾し、

   会社に「バーベキューに誘う事を禁止」にさせる


これが、一番ダメな、考え方です。

 

ハッキリ言います、「ダメ」 です。


「オフィスの私語」の話で言うとワイガヤ(私語)というのは、単純に考えると、オフィスにとって「悪」でしかありません

 

  • 基本的に私語だし
  • 仕事をしている人が集中がそがれるし
  • お客さんに聞かれたら「仕事サボってる会社」と思われるし

 

でも、私語は

 

  • 人間関係が円滑になる
  • 組織エンゲージメントが高まる。承認欲求が満たされる
  • 意外な雑談から、アイデアやチャンスが生み出されることがある

 

などの、効果もあります。

 

つまりこの「メリット・デメリット」について、

 

単純に「禁止」あるいは「推奨」とするなら、相反するメリットを会社から削除する、という覚悟が必要です。

 

相反するメリットを削除してしまえば、必ず

 

 「オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止に
  してください」

 

あるいは

 

 「オフィスが静かすぎてコミュニケーションが取りづらいんで、
  オフィスをもっと楽しい雰囲気にして、会話しやすい雰囲気を作って
  ください。例えば音楽を流すとか」

 

の、どちらかの社員不満が必ず高まり…

 

…いや、そこが問題なのではない。


先に書きましたが、人の人生の法則には

 

「時に自分は、自分の感情に相反する選択をしなければ、人生を成功でき
 ないかも知れない」

 

という、難しさがあるよ。って、事なんで

 

それを、合理化して「本当に良いの?」っていう話になるんですが…


これはですね?

 

「尺度」の問題が絡みます

 

会社ですからね、会社ってみなさん、「金儲け」をするところだと思うじゃないですか?

 

目的が「金儲け」なら、たいていの「尺度」は、例えば「生産性」とか「効率」とか「コスパ」とか、そういう事になりますね?

 

うちの会社の「金儲け」にとって、「オフィスの私語」は、禁止/推奨

 

どっちにしたほうが、「金儲け」にとって「効率」がいいの?


って話になりますよね?


この辺の尺度の話は、後半にもうちょっと書きます。

 

 

■テーマ3:「バーベキュー」を開催しよう!という話

 

ここまでで

  • 人間のプリミティブな欲求は相反するので、何かを決断するにも、いろいろな事を、考える必要がある。
  • 人間は自分の欲求が、自分のその後の人生のQOLを「絶対に満たす」とは言えず、時に自分の欲求以外の行動に誘われ、巻き込こまれ、成長するとも言える。
  • 組織が所属員の欲求に対し「法律・規則・ルール」を作る時、それは相反するメリットを削除する覚悟が必要で、そこには尺度の話も出てくる。

 

というような事を言ってきました。

 

で、ですね、言うなればここまでの纏めなんですけれども、

 

QOL(クオリティ・オブ・ライフ 人生の質)の話になっちゃうんですけれども

 

なんか最近、多くの人に、以下のような人生観をよく感じるんですよね。

  • いろんな決断は複雑で、疲れる。生きづらい。だれかに決めて欲しい
  • 自分の欲求は、不労所得が入って、家で好きなゲームやって過ごして、ご飯もコンビニかケータリングで届けてくれれば満足。
  • まあでも時には誰かに巻き込まれて何か行動しないといけないのはわかってるが、出来るだけ気の合う人、傷つけられない人との付き合いに限定したい
  • とはいえワガママだけで生きられるとは思っていないので、社会に対しては不満があっても従順になります。組織やコミュニティのルールであるなら従います。従うだけなら頭使わなくて出来るから楽だと思ってます。


みたいなね

 

こういう人生観を、よく感じるんですけど…

 

いや、まあ、そう。そういう人生観を否定したいわけじゃ、ないんですけれど…


これは一つの依存なんだろうなぁ…とは、思うんですよね。

 

そしてこの依存は拡大傾向にある…気がする…

 

自分で考えるべきではない。ルールに従うべきだ。みたいな。

 

う~ん

 

 「齋藤さん、私、バーベキュー行ったほうがいいですか?」

 「〇〇さんは、バーベキューに行きたいの?」

 「どちらでも良いんです…決めて欲しい」

 

う~ん

 

で、私が思うに、ほんとに、「ルールに依存する」のを否定したいわけじゃ、なくて…

 

今日は別の話がしたい、という意味で

 

少なくともリーダーや、イノベーター、クリエイターやアーチストは「ルールに依存する」スタンスは取るべきでは無いと、思うんですね。

 

じゃあ、なんなんだ、というと

 

「巻き込む」という話でして


私が現代的な会社において「価値」を感じる一つの「性質」には「巻き込める人」っていうのがあります。

 

少なくともリーダーや、イノベーター、クリエイターやアーチストは「ルールに依存する」人ではない。

 

「巻き込める人」


つまり、


最初の「会社の同僚との週末のバーベキュー」という話の中で

 

私が最も価値を感じる人は、「バーベキューに誘っている人」なんです。


あるいは「オフィスを私語禁止にする/オフィスをわいがやにする」というテーマであれば


例えば「オフィスで雑談ティータイムを企画推進してくれる人」とか
例えば「声を出さず雑談出来るチャットコミュニティを企画推進してくれる人」

 

なんですね。


だから私は、会社としては、上記の対策として、現時点では、

  • 雑談推奨のオフィスルームと私語禁止推奨のオフィスルームをわける
  • 雑談用のソファを用意する
  • 集中できる個室型ブースを用意する

 

なんてことを、【会社としては】やっています … が、

 

それらを利用して、何か自分が「これは問題だ」と思う事に対して、

 

 自らが責任者としてアクションしてくれる人

 

が現れるのを待っていて

 

待っているあいだ、色々な人が

 

 「オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止に
  してください」

 

とか

 

 「オフィスが静かすぎてコミュニケーションが取りづらいんで、
  オフィスをもっと楽しい雰囲気にして、会話しやすい雰囲気を作って
  ください。例えば音楽を流すとか」

 

という要望を、出来るだけはぐらかして、

 

ただ、「首謀者」「巻き込む人」が現れるのを、待っています。

 


■どんなことが、「開催」され出したか

 

上記のような「開催」の「首謀者」「巻き込む人」が現れ、人の相反する欲求に対しチャレンジし、人を巻き込み、成長する

 

解決なんてしなくてもいい。どうせ解決しない。

 

が、時流に合わせ、変化していくことを、首謀者として行っていく。

 

それがイノベーションであると、私は思っています。

 

イノベーションはソリューションではない。

 

ソリューションは具体的解決を約束するものであり、逆に言えば、解決できることを行うべきである。

 

人間の相反する欲求に対し「今、求められているモノ」を新規性をもって立ち上げていくのがイノベーション

 

例えば今、会社の「雑談の是非」に対するイノベーションとして、私が注目している、社員発のアイデアは、「社内ラジオ」というもので

 

社員がラジオパーソナリティーとなり、他の社員にインタビューして、仕事の内容を語ってもらったり、リスナー(社員)にお題(仕事以外)を出してメールで回答してもらうような、本当にタレントがやっているラジオのようなことをして

 

新しい形の「社員の雑談」みたいなことを産み出してくれています。

 

この社内ラジオも社員が提案してきて、会社はそれをバックアップしています。

 

そしてこの社員が中心となり、「他の社員を巻き込んで」盛り上げている。

 

他の社員も「ラジオで声だけなら」「メールでお題に答えるだけなら」などと言って、巻き込まれようとしてくれている。

 

きっとみんな、社内ラジオという新しい形のカスケードを経由して、新しい形のエンゲージメントとか部署間の風通しなどを産み出そうとしてくれているのだと思います。

 

もちろん会社には

  • 社内ラジオに各部署から1通づつメールを出しなさい
  • 社内ラジオに協力した部署には評価加点されます

 

みたいな「ルール」は、とうぜん、ありませんw


これが「ルールに依存する」人が増えている現代において、あるいは「いかがなものか」風潮の前にセーフティーに生きるべく自分を出せない生き辛さを感じつつも身動きが取れない社会において

 

あるいは旧態依然としたパターナリズム的マネジメントが否定され、手足をもがれたかの如く後進を導かない先達がぬるま湯化させた無責任社会において

 

必要とされる イノベーターの気質 であるのではないか、と考えます

 

だから私は、

 

 「オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止に
  してください」

 

とか

 

 「オフィスが静かすぎてコミュニケーションが取りづらいんで、
  オフィスをもっと楽しい雰囲気にして、会話しやすい雰囲気を作って
  ください。例えば音楽を流すとか」

 

という要望が来ると、出来るだけはぐらかして、

 

そして、言います

 

 「そうだね。君の言うとおりだ。でもルールにしたくない。何か方法を考えてみて」

 


■最後に尺度と多様性の話

 

さて、またまた長くなってきましたが…

 

最後にしますが、「尺度」の話を書いておきます。


中盤でちょっと「尺度」の話に触れました。

 

こんなこと

 

*****

 

会社ですからね、会社ってみなさん、「金儲け」をするところだと思うじゃないですか?

 

目的が「金儲け」なら、たいていの「尺度」は、例えば「生産性」とか「効率」とか「コスパ」とか、そういう事になりますね?

 

うちの会社の「金儲け」にとって、「オフィスの私語」は、禁止/推奨どっちにしたほうが、「金儲け」にとって「効率」がいいの?

 

って話になりますよね?


*****

 

私はその後、イノベーションの話に話題を挿げ替え、

 

「オフィスの私語」の話も、何か「首謀者」になって「巻き込む人」

 

が現れてくれることが最も価値があるんだ


みたいな感じに纏めようとしました。

 

で、これ、本当でしょうか?


だってですね、これも途中で書きましたが

 


*****

 

「オフィスの私語」の話で言うと ワイガヤ(私語)というのは、単純に考えると、オフィスにとって「悪」でしかありません

 

  • 基本的に私語だし
  • 仕事をしている人が集中がそがれるし
  • お客さんに聞かれたら「仕事サボってる会社」と思われるし

 

でも、私語は

 

  • 人間関係が円滑になる
  • 組織エンゲージメントが高まる。承認欲求が満たされる
  • 意外な雑談から、アイデアやチャンスが生み出されることがある

 

などの、効果もあります。

 

*****

 

って、事です。


だから、例えば、業務によって


 「私語」を禁止にするべき業務
 「私語」を推奨するべき業務


っていうのは、実はその業務の「金儲け」にとってどちらが「効率的」なのかっていう視点で、決定づけられるはずであって、

 

これが「尺度」だと、考えられませんか?

 

たとえば「ガードマン」みたいな仕事がありますよね?

 

「ガードマン」って、あんまり、同僚とか道行く人と雑談してほしくないですよね?

 

でもですね、例えば…何かのクリニックとか、保護施設のようなものがあったとして、

 

そういう空間で働く人たちや、そこでお世話になっている人たちの間では、個人的な会話も行きかって、やわらない雰囲気や、話しやすい雰囲気があるのが望ましいんじゃないかと思うと、そこは業務的なコミュニケーションと私的な会話の境はあまり設けないほうが適切なんじゃないかと思うし

 

例えば特定の社員が心理的ストレスをすごく抱えてしまったような業務の状況によっては、その特定の社員のストレスをケアしあうようなチームワークが発動すべきであって、その「ケア」の為の私語と言うようなものは、あって良いし、あったほうが「効率的」なんじゃないかと思います。

 

と、いうことは


仕事という「尺度」においては、実はたいていの場合「答え」は決まっており、決断なんかいらない。

 

例えばターゲット(顧客)視点を尺度に据えれば、ターゲットからの対価が増加するか減少するか、でマネジメントすれば明らかで、

 

例えば飲食店で、ホールの店員の私語が多い店があったとして、来店客から「店員の私語」が敬遠されるなら「ホールでの私語禁止」にするべきで、話は簡単なんですよね。

 

そう

 

今まで私が「難しい」と言ってきたことは、実はすごく「簡単」な話なんですよね。

 

「尺度」によっては、です。


大体は、「尺度」が、曖昧なんです

 

よく日本人は「主語がない」って言いますよね


例えば、最初からお話ししている


 「オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止に
  してください」

 

っていう、要望


これは、是か非か


主語を明確にしないとですよ


 「(私は人がしゃべっていると、気が散って仕事が出来ないので)
  オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止に
  してください」

 

とか

 

 「(先月、オフィスの来客者に、無記名でアンケートをとったら、
   オフィスの私語が気になるという回答が多かったので)
  オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止に
  してください」

 

とかですね

 

場合によっては

 

 「(先日、オフィス内の会話で、顧客の重要情報をしゃべっている
   人がおり、セキュリティ上問題だと思うので)
  オフィスで無駄口をしゃべる人が多いんでオフィスを私語禁止に
  してください」

 

とかですね

 

どういう「尺度」に対する話をしているのか?を、まず、明確にすればよくて

 

かつ

 

★★★じゃあどの「尺度」が、自分の組織は、大事なのか?★★★

 

そりゃ、会社なんだから、「金儲け」でしょ?

 

では、なく

 

少なくとも株式会社ソノリテでは、「金儲け」ではない。

 

株式会社ソノリテで、一番大切にしている「尺度」それは、経営理念である

 

  ★★★「社員の成長」★★★

 

です。

 

つまり、「社員の成長」にとって、

 

例えばオフィスは「私語禁止/私語推奨」どっちなん? という「尺度」になる。

 

つまりオフィスは「私語禁止/私語推奨」どっちが「社員の成長」につながるの?という話。

 

私はバーベキューの話では、QOLと書きました。

 

QOLは、私が定義するべきものではない。皆さんが自分で定義するものですよね。

 

例えば「楽しみ」と「長生き」それは皆さんが、自分自身はどれくらいのバランスで生きていくべきなのかを考え、自分のQOLを考えていくべきです。

 

私は、QOLを「尺度」とすべき事柄は、人や組織に決められるべきではないと、考えています。

 

  • 例えば結婚をするべきか
  • 例えば子供を設けるべきか
  • 例えば性別をどう自任するか
  • 例えばどのような仕事をするか
  • 例えばどのような名前を名乗るか

 

というような事柄は、けして、例えば法律などで決められるべきものではない。と考えます。

 

が、

 

QOLではなく「(社員の)成長」という「尺度」について、どうか?

 

  • 例えば(バーベキューなどの)おつきあいイベントにいくべきか?
  • 例えば社内での私語の是非は?
  • 例えば会社は「金儲け」の尺度でモノを考えるべきか?

 

などの事柄について、どうか?

 

それを考えるには、「尺度」に対しもう少し分解が必要で、つまり何を「社員の成長」と定義しているか?が必要で


例えば、会社なので(これは例えです。うちの会社の尺度ではないです)

 

 >当社が専門としている技術分野のスキルが向上する

 

という成長という定義ならば、それが「尺度」に対する「具体性」であるなら

 

  • バーベキューの話は、例えば技術をもつ先輩後輩の交流につながるなら良しであろうが、バーベキューではない技術的視野のイベントのほうがより良い
  • 私語の是非も、後輩が先輩に対し話しかけやすい雰囲気を作ればより技術伝承が進みそうであれば良しだが、ただの雑談が場の生産性を下げるなら悪
  • 金儲けの話は、金儲け主導になりすぎて新技術に挑戦する余地が無いようであれば悪

 

などと、要するに「尺度」に対する「具体性」を持たせれば、決まってくる。


では私の会社、株式会社ソノリテにおける「成長」の「具体性」は、というと

 

  • 多様性を受け入れる成長
  • 協創が出来るようになる成長
  • 働き方改革等の)「人の幸せ」を提供できるようになる成長

 

など、なんです。

 

私たちの会社は、多様性組織を推進し多様性が協創することによって「働き方改革」や「遊び方改革」などを産み出す会社です。

 

したがってその中で、社員は

 

  • 多様性を需要する力
  • 協創する力
  • 人が喜ぶことを産み出す力

 

が成長していくはずで、これらを会社の「成長」の「具体的尺度」としています。

 

なので、例えば

  • バーベキュー行こうかな/やめようかな

 

とか

 

  • オフィスを私語禁止/私語推奨にしようよ

 

などについては

 

  • 多様性を需要する力の成長
  • 協創する力の成長
  • 人が喜ぶことを産み出す力の成長
      

に、どちらのほうがより関与するか? という話になり、

 

  • 多様性を需要する力の成長
  • 協創する力の成長
  • 人が喜ぶことを産み出す力の成長

 

に関与するアプローチとしては

 

  • 様々な人と話し合う
  • 様々な人の意見を受け入れあう
  • 主体的に行動する

 

というような事を期待するし、

 

  • ルールを作る。罰則を作る
  • ルールに従う
  • 命令する

 

というような事を、期待していないんです。


さらに

 

もっとも厄介なのが、「多様性」というやつで…

 

私の会社は「成長」の為に「多様性」をつくり、維持する必要があって、これはいろんな回で書いていますけれど、中小企業にとって多様性経営って、基本的には定石ではないわけですね。

 

なぜならば組織や事業の規模が小さいから。

 

中小企業は同質性経営をすべきなんです。

 

似たような人間が集まって、コア・コンピテンシーに対して一点集中すべきなんです。

 

だから多様性経営は不向き。

 

例えば「オフィスは私語禁止/私語優先」なんて話題も、同質性経営をしているなら簡単に答えが出るんです。皆、同じような考えを持つし、方向性は同一だし、思想は一枚板になっているべきだから。

 

今、当社は50人程度の小さな組織ですが、本当に多様性を大事にしているし、皆、色々な意見を持っている。

 

だから「オフィスは私語禁止/私語優先」なんて簡単な課題もルールに落とさない。落ちない。

 

私もそれ(ルールや決めごとを増やさない事)を望んでいる。


では何を望んでいるか。


私は、

 課題に対しルールを決めることを望んでいない


私は、

 課題に対し皆の「対話による多様性の需要」を求めている

 

そしてもっと、私が望んでいることは

 課題に対し主体性をもって取り組み、ひとを巻き込むこと

 

であり

 

他の人も、せめて多様性に巻き込まれて現状維持バイアスから抜け出る勇気を持つこと


なのですね。


それが当社が理念として掲げている「社員の成長」の具体的な方法論であり、希望するアクションなんです。

 

 

■最後の最後に

 

もう長くなったからこれでやめますけど

 

今日書きたかったことは

  • 問題があったら
  • ルールを求めないで
  • 対話して
  • 出来れば主導的にアクションして
  • 出来なければせめて巻き込まれてね

 

という、話なんですけど


それが、成長に結びつくよね って話だったんですけど


それがね


「在宅勤務」「リモートワーク」だと、なかなか、難しいねホントに。


「在宅勤務」「リモートワーク」は、人類の進化ですね

 

人類の進化は、人の退化を起こさせるよね

 

薬は人の免疫力を下げたし

 

自動車は人の脚力を下げたよね

 

だからきっと在宅勤務やリモートワークは、人のコミュ力を下げるんだよ

 

そんな中で、むしろそれを積極的に取り込んで、ニューノーマルな「成長」を遂げるとしますよ。当社は

 

それが、代表取締役である齋藤の「成長のテーマ」であって、

 

当社の社員は私の具体的アクションに「巻き込まれている人たち」という事です。


はい


纏めでした。

 

お疲れさまでした。終わります。

 

最後までお読みいただき、巻き込まれてくれて、ありがとうございました。