いつも通り無計画に、何を書こうか、オチをどうしようか考えもせず、したがきもせず、後から誤字脱字チェックもしないという決まり事で、気楽に書き始めますが
前回に引き続き「人間って本能的に失敗しようとするよね」っていう話ですが、
じゃあなんで「本能が失敗をしようとさせるの?」ってことで
私的にはタナトス要素で考えるのが一番しっくりくるんですけれどね。
つまり、人っていうものは、「生きたい!成功したい!楽をしたい!」っていう欲求と、
もしかしたら等価くらいじゃない?っていう程度に、「死にたい!失敗したい!苦労したい!」っていう根源的な欲求があるんじゃないかな~と思っています。
まあ、「本当か?」といわれると、私それを証明する術をもちませんが、
でもですね、なんとなくそういう気がするんですよね。
で、仮に、そうだとするとですね
例えばですね、「ホラー映画」なんかをみて、スッキリする人っていますよね。
ちなみに私はあんまりホラー映画が得意ではないのですが
あの、なんかこう、怖かったり、グロかったり、そういう作品を観て、スッキリするっていう感情は
もしかしたらタナトス的なモノが源流にあるんじゃないのかな?とか
あと「同情」とかそういう感情がエスカレートすると、「心中」とかそういうお話がありますよね?
で、「心中モノ」というような分野があるくらい、いろいろな作品(映像作品とか、芝居とか、歌とか)で「心中」っていうのは、美しさとして描かれる場合もあったりして
つまりですね、人は
自分はどうやって生きるか
という事に、すごく興味があるけれど
自分はどうやって死ぬか
っていう事にも、すごく興味があって
これがその、厄介な事には、例えば「理想的に生きる」よりも「理想的に死ぬ」ということの方が…
実は、実現可能性が高かったりして
まあ、生死の話は少し、行き過ぎかも知れません
でも、もしかして、例えば
成功する/失敗する
の、話で言えばですね
例えば、どうでしょうね?
ビジネスで成功する
のと
ビジネスで失敗する
の、
どちらが成功確率が高いかと言えば、それは「失敗」の方なんですよね。間違いなく。
で、例えば、それで、「成功」にも「失敗」にも、それぞれに本能的な喜びがあったとするじゃないですか?仮にですけど。
で、まあ普通は、普通の人は、モチベーションというのは過去の成功体験(というか快感情体験と言い換えますね)の積み重ねによって強化されるとすると
そして「失敗」の方が発生確率が高いとすると
やっぱり人は「失敗」したがるんじゃないかなぁと思うんですよね
それに
もっと怖いのが、集団浅慮というやつで
「失敗」するモチベーションの方が、大多数を占めるとするならば、
大抵の「常識」というやつは、「失敗」するように出来ている。
「失敗」するように生きていないヤツは、愚かである。というような
社会的「強化」が「常識」というやつで、失敗の方向に成長してしまうわけですよ。
そんな気がしています。
だからですねぇ、やっぱり「stay foolish」が大切なんだと思うんですけれども
ただ
やっぱり
「なぜ、人は失敗したがるのか?」
という点ですね。
この点をすこしポジティブに捉えようとして見ると
見え方がガラリと変わるわけです
つまり「人と違う事をやる」という本能だと捉えてみれば、
例えば「突然変異」のような、進化に必要な重要な要素として捉えるべきであるわけですね。
ということは、「失敗したがる」というのは、例えば「冒険心」のようなポジティブな要素として捉えてみれば、わかりやすくなる。
「生きる」ことを「成功」だと捉えるなら、「無謀」な「冒険心」は、「失敗したがる人間の本能」であり、それは「死を恐れない」というポジティブ
ですが
「みんなで力を合わせて船を漕げ!そうすれば助かる!」と言うときに、例えば一人「これは運命だ。死を受け入れるべきだ」などという妄想に浸りだし、漕ぐことを手伝わない、みたいな「本能」もあったり
そんなことが
両方とも、同じような心の仕組みで出来ているように思うんですね
どちらにしても、人が「快感情体験」で意思決定しようとするときに、その目的が「生きたい!成功したい!楽をしたい!」だけではなく、言うなれば無意識的に「死にたい!失敗したい!苦労をしたい!」というほうに向かっている場合が、
これはもう確実にあると
そしてその仕組みは、生きるも/死ぬも おなじ仕組みなんじゃないかなと
最近よく、思います。
だから、ですね
生きるも/死ぬも 同じ仕組みなら
正義や/悪 を
簡単に、決められない
どっちが正義で、どっちが悪 かなんて、絶対的なモノはない。
なんてね、思うよね
おしまい