ハチミツ二郎さんと副業とか自由とか

題記の件ですけれど

 

2020年の4月。当社(株式会社ソノリテ)に、お笑い芸人として著名なハチミツ二郎さんが入社しました。

 

ハチミツ二郎さんは吉本興業所属の芸人さんであるわけですが、パラレルキャリアとして当社に入社しました。

 

まあいわゆる、副業ってやつですね。

 

ハチミツ二郎!サラリーマンになる!」ということで、テレビ番組などでけっこう取り上げられました。

 

ハチミツさんが入社したタイミングが、まさにコロナと被っちゃったんで、「コロナのせいなの?」と聞かれることが多かったんですが

 

まあたしかに2020年4月、テレビタレントの仕事はコロナのせいで激減したのだと思います。

 

でも入社してもらったのは、それが理由じゃないんです。

 

コロナの騒ぎが始まるもっと前から、私とハチミツさんの間で、進めていた話でした。

 

入社の経緯みたいなものは、こちらに書いてある記事のがわかりやすいかな

gendai.ismedia.jp

 

あるいはハチミツさんの心情なんかは、こっちのブログがわかりやすいかも

www.foyer3-sonorite.com


で、

 

まあハチミツさんの心情なんかは、ハチミツさんのブログで確認してください、なんですが


ハチミツさんが入社してくれたこと、あるいはハチミツさんの入社とコロナが被ったことで、

 

私達の会社の「働き方改革」に対する論点が、すごくハッキリしたぞ~という事があるんで

 

今日はその話を、いくつか書こうと思うんです。

 


■例えば「ビジネスネーム」

 

まず、私達「株式会社ソノリテ」っていう会社は、主にITをツールとして、大企業の「働き方改革」を支援する仕事をしています。

 

んで、そういう私たちだから、私達自身も当然「働き方改革」している会社じゃなきゃならんわけで

 

だから私たちの会社は、真剣に働き方改革に取り組んでいるし、私達の会社には私たちなりの「働き方(改革)に対する方針や哲学」があります。

 

そして、色々な制度を導入しています。

 

現時点で在宅勤務率は90%を超えていますし、

 

例えばですね

  • ビジネスネーム制度

なんてのが、あります。

 

ビジネスネーム、まあようするに「あだ名で仕事出来るよ~」って感じですね。

 

ビジネスネームって、すごく便利だし、働き方改革に寄与するんです。というか本当は、ビジネスネームは「多様性経営」に寄与するんです。

 

「多様性経営」は「一億総活躍」の重大なテーマでもあり、「働き方改革」の重要な基盤と言っても良い。

 

だから、ビジネスネームは多様性に寄与し、多様性は働き方改革の促進に不可欠、みたいな繋がりなんです。

 

多様性経営って、例えば性の自認が多用であることを、会社がどうインクルージョンするかって話なんですけれど、ビジネスネームを採用しているというのも、許容の一種なんです。

 

だってそうでしょ?自分の名前が、自認とかけ離れている人って、いるでしょ?だから めっちゃ便利なんですよ。ビジネスネームって。

 

「自分らしく働く」っていう時に、「働く時の名前を自分で決められる」ってのは、とても良いんです。


だから「多様な状況にある人が、自分らしく働く機会や場所を持つ事」は、働き方改革の一つのゴールであるわけですが、ビジネスネームは即効性のある制度の一つなんです。

 

だけどですね、


「ビジネスネーム」「偽名で働ける」って簡単に言うけれど、今の日本で会社の制度にして、実際に運用するのは、けっこう大変な事もあるんです。

 

やってみればわかります。私たちは、やってみてますから。わかっています。

 

「通常の仕事はビジネスネームでいいけれど、本名じゃなきゃダメな書類は本名でってことにすりゃいいだけなんじゃないの?」って、思うかもしれないけれど、そんな簡単な事じゃない。みなさんの会社の総務や人事の方に聞いてみて下さい。簡単じゃない事がすぐわかります。

 

会社を経営していると、さまざまな公的機関や、保険医療機関に対する届け出や連携を行わなければならない。そういう時に求められる「従業員氏名」が、どこまで「ビジネスネーム」で通用するのか?「戸籍上の名前と違う事が許されるか」なんてことを、色々と検証しながら進めなければならない。

 

自分たちが使っているITツールやシステムが、ビジネスネームに対応していなければ、カスタマイズしなければならない。

 

ね、ちょっと考えただけでも、いろいろありそうでしょ?


そして、さらに私たちは「ビジネスネーム」だけでなく「本名非公開制度」も選択できるようにしています。

 

これが出来ていなければ、いくらビジネスネームを使っていても意味が無い場合があります。

 

だから私たちの会社は、本人が希望すれば、本名を他の社員に知られる事なく、ビジネスネームだけで仕事が出来るようにしています。

 

これ、すごく大変です。

 

でも、これ(本名非公開)をやるとやらないでは、「多様性」に対する効果がぜんぜんかわります!違います!!

 

だから当社の中には、同僚も「あの人のビジネスネームは知っているけど、本名は知らない」と言う人がいます。

 

働き方改革、がんばってます!うちの会社。

 

はい。そこまでが、うちの会社の解説。

 


そこで、じゃあ「ハチミツ二郎」ですよ。

 

ハチミツ二郎」って名前は本名じゃあないんです。そりゃそうですよね。芸名です。

 

そしてハチミツさんは、当社におけるサラリーマン活動においても、比較的「ハチミツ二郎」として働く事を希望した(本名非公開までは希望しなかったけど)

 

だってハチミツさんは「ハチミツ二郎」ですよ

 

そして私も、ハチミツさんが「ハチミツ二郎」として活躍してきた芸能活動の上に、副業として当社をジョインさせるとするなら、当社でも「ハチミツ二郎」でいてほしかった。

 

その時に、当社がすでに「ビジネスネーム:使えます」って会社になっていたから、これがすんなりと、いけた。

 

もし当社が「ビジネスネーム」を利用出来ない、古い体質の会社だったら、そこは、どうなっていたか?

 

「そんなこと、どうでもいいじゃん?(名前なんて)小さいことじゃん?」

 

でしょうか?

 

まあそう思う人も、いるかも知れないけれど・・・

 

名前って、そんなに小さなことでしょうか?

 

「すべての働き手が、自分らしく働く」という働き方改革のゴールに対して、名前って、「小さなこと」では、ないと思う。私は。

 

夫婦別姓だって、そうだし

 

差別のある世の中で、自分の名前と自認とのギャップに、苦しんている人って、けっこうたくさんいるし、

 

そういう人にとって「自分らしさ」と「名前」って、けっこう大きなテーマですよね。そう、思いませんか?

 

そういう事が、図らずも、検証されることになりました。

 

そんな感じで、

 

ハチミツ二郎さんの副業入社は、当社の「働き方改革」が、どの程度、「多様性をインクルージョン出来るレベルであるか」を、さまざまに検証する出来事となったんです。

 

 

■そしてそもそも「副業の許可」

 

で、ハチミツ二郎さん入社における働き方改革度の検証において、もっとも大きなテーマの話をしますと、

 

ずばり「副業」です。

 

「副業」は、多くの企業の「働き方改革」にとって、今も大きなテーマになっているでしょうし、これからもどんどん社会的課題になっていくのではないかと思います。

 

それをハチミツ二郎さんの入社に重ねてみると「サラリーマンとお笑い芸人の兼業(副業)」というテーマになります。

 

このテーマについて、当社ソノリテはどのように考え、どのようにインクルージョンしたのか?っていうお話をしようと思います。


これが今日のメインの話です。


あ、で、詳細に入る前に


とても重要な事をお話しますが


当社株式会社ソノリテは、基本的に、副業は「禁止」です。


 お?


 なんですと?


 え、だってハチミツ二郎さんは副業なんでしょ?


ええ、そうです。


当社は基本的に副業は禁止なんですが、ハチミツ二郎さんには許可しています。

 

「許可制:基本は禁止」なんです。

 

 え~そうなんだ~もっとヤワラカイ会社なのかと思ってたよ~

 

 あ!、そうか!、ようするにハチミツ二郎さんは有名人だから、入社させればそれなりに広告になるだろうから、特例として例外的に入れたんだな!

 


いやいや、違います!


  違うんです!


    そこは 違 う ん で す !!!


ハチミツ二郎さんに対し、副業を許可した理由は、


彼が

 

「(お笑い芸人として)スーパープロフェッショナルだから」

 

なんです。


わかりますかね?

 

 ×ハチミツ二郎さんが有名人だから、入社させて話題を作ろう

 

ではなく

 

 ○ハチミツ二郎さんがスーパーお笑い芸人だから、入社してくれたら当社の多様性は爆上げするし、多様性を爆上げするにはハチミツ二郎さんが「スーパーお笑い芸人であり、当社の社員でもある」ことが重要だ

 

ということだから、副業を許可しているんです。


はい


わかってもらえますでしょうか?


 ×有名人だから

 

ではなく

 

 ○プロだから


です!


わかるかな?


似てるけど・・・わかって欲しいな・・・

 


ところで私が考えるに、まだまだ日本の会社が「副業」を導入するには、リスクがあります。

 

その会社側のリスクを産んでいる根本原因は、私は日本の労働基準法の考え方の古さにあると、断言します。


まあそれくらいは、特に解説しなくても、良いですよね


そしてその、リスクですが、リスクと言っても、あくまでも存在するのは会社側のリスクです。

 

社員のリスクではない。

 

社員にとって、「副業」をすることは、色々なメリットがあると思います。

 

ただ、

 

会社側にリスクがある以上、会社はそのリスクを社員に転嫁する為に、社員にデメリットとなる制度整備をします。

 

だから社員にも、あまり良い事にはならない。

 

これが私の見解です。


私は、基本的に社員が「どんな働き方(副業なども)でも選べる」というのが「自由な社会」だと思います。


でもそれは、私が考えるに「自由と依存」に関する問題に当たります。

 

  • 副業は「働く自由、働き方の自由」です。
  • でも「自由」を勝ち得たい人(社員)は、「責任」を背負う事になります。
  • どうように、どの会社で、月に何時間働こうが、それはその人の「自由」です。
  • 例えば複数の会社で、猛烈に寝る間も惜しんで働いて、沢山金を稼いだが、そのかわり身体を壊したとする。でもそれはその人の「自由」です。自分で身体を壊したっていう、自己責任です。
  • 逆に例えば、何らかの理由で自らの意思で、何年も仕事をしなかったとして、とても貧乏になる。それもその人の「自由」です。
    憲法の「勤労の義務」の話を除けば、ですが)
  • でも日本の労働法は、どちらかというと「自由」ではなく「依存」を基礎としています。
  • 社員は会社に依存しなければ生きていけないから、会社が社員を粗暴に扱わないように、国が(法律が)守ってあげよう。という考え方です。
  • だから会社は社員に「残業させてはいけない」し、「休暇をとらさせなければいけない」という法律になっています。
  • したがってある人が「(複数の会社で)猛烈に寝る間も惜しんで働く」という自由を行使しようとしても、法的解釈としては「寝る間もなく働かされた」という解釈となり、社員が身体を壊したら、それは「会社の責任」となる。
  • つまり日本では、常に会社に「リスク」があり、社員には「自由」がない。
  • で、その前提で「副業」を考えると「副業」は「働く自由」が前提になるから、自由がない日本で「副業」を行ったとして、もし社員が身体を壊したら、それは「会社の責任」となる(という、法律の矛盾がある)
  • だから会社は副業をリスクと捉え、副業を許可する場合、なんらかの「リスク調整分」を社員に押し付ける(押し付けざるをえない)


これが私が「基本的に副業禁止」にしている理由です。

 

私が言いたいのは、「副業」ができる日本になるためには、自己責任という「自由」を勝ち得るカードを、全日本人がキチンと持ちえる国になり、そういう法律に反映させなければ、ダメだということ。

 

例えば皆さんが自分の会社で副業を認めてもらおうとしたら、こんな会話になりませんかね?

 

  • 社員「副業させろ」
  • 会社「NG」
  • 社員「なんでだよ。時間外に俺がどこで何をしようが自由だろ」
  • 会社「何かあったら会社が管理義務を問われる。だからNG」
  • 社員「なんだよそれ」


どうでしょう?


皆さんの会社では、違うでしょうか?


違う場合も、あるかも知れませんね。

 

例えば、こういう会社もあるかもしれない

 

  • 社員「給料上げてくれ」
  • 会社「むり」
  • 社員「なら残業する。残業させてくれ。」
  • 会社「むり。仕事ない。」
  • 社員「なら副業させてくれ。」
  • 会社「いいよ」


つまりこういうシナリオ。

 

このシナリオの延長線上には、結果として社員が、目先のインカムや「副業、新しい、面白そう」というシナリオにのって、例えばギグワーク系などの副業を始めてしまい、結果として「二兎を追う者は一兎をも得ず」的な「世の中にとって都合の良い労働力」にシステム的に陥らされ、貧する。

 

そんな風に思うんです。

 

わかりますかねこの話・・・


でも


でもですね、本人がそれを選ぶなら、それならそれでもいい。

 

それも自由。そういう人生を選択するのも自由。

 

そうも、思っています。


ただ


私は


私は、私の会社にそういう人は、いらない。当社はそういう社員を求めていない。

 

なぜなら


当社が社員に求める基本的なスタンスの中に「Professionalism:プロ意識」が、あるからです。

 

ソノリテの理念・哲学

sonorite.co.jp

 

 ■プロフェッショナルになろうとする人に副業など不要

 

「Professionalism:プロ意識」を社員に求めるソノリテにとって、「面白そう」なだけの「副業」は、一意専心の反対にあるものであって、単純に考えれば「Professionalism:プロ意識」に向かうモノではない。

 

すごく単純に言えば、「自他ともに認めるプロフェッショナル」と成り得ていない人が、副業をしたとしても、「プロフェッショナルに成る」という事に対して言えば、根本的には意味が無い。

 

そういう解釈。

 

だってそうじゃないですか?

 

例えばアナタが、仕事A、仕事Bが出来る存在だとして

 

 仕事A:時給2000円
 仕事B:時給1500円

 

だったとしたら、

 

アナタはどっちかといえば、仕事Aをやるべきですよね?

 

アナタに毎月160時間働ける時間があるとしたら、その160時間を全部仕事Aに向けた方が、効率が良いですよね?

 

さらに、アナタが仕事Aに専念していれば、仕事をさらに習熟していくわけだから、仕事Aの時給が2500円にアップするかも知れないじゃないですか?

 

仕事Bする暇があったら仕事Aやってたほうが良いですよね?

 

そしてそれはアナタが「仕事Aのプロ」になっていくという話ですよね?

 

そこなんですよ

 

もしアナタが、「プロフェッショナル」を目指している人ならば、仕事Bをやるメリットなんて、基本的には、無いんです。


そんな単純な話です

 

プロフェッショナルを目指している、ならば、ですが・・・

 

 

■休ませろ!って言われているのに

 

ここでさらに、別の問題として

 

会社がいかに、法律から、理不尽な事を言われているか!っていう点を、軽く解説しておきますけれど


今まで日本の会社って、

 

 「残業させてはいけない」
 「休暇をとらさせなければいけない」

 

って、法律に、言われてきているんです。

 

それは知っていますよね?


働き方改革」でも「残業」「休暇」ってのが、大きなテーマであることは、みなさんご承知の事かと思います。

 

でも、今まで「残業させてはいけない」「休暇をとらさせなければいけない」って言われてきた会社が、

 

 「(定時後や休みの時に)他の会社で働く事もみとめろ」と

 

言われたら

 

 なんじゃそりゃ?

 

って、なりますよね?

 

だって「働かすな」「休ませろ」って言われていて、さらに「他の会社で働かすことをみとめろ」って、なんじゃそりゃ?

 

  なんじゃそりゃ? なんですよ いやマジで


それが会社側の「なんじゃそりゃ?」っていう問題です。


いや、


それだけじゃない


もっとも根源的な問題として、労基法第38条第1項の、いわゆる「通算ルール」というものがある。

 

この「通算ルール」、簡単に言えば、副業・兼業の総労働時間全部、会社がちゃんと責任もてよ! というもので

 

  なんじゃそりゃ?

 

    ほんとうにもう なんじゃこりゃ!

 

「管理モデル」などいろいろな折衷案があるのですが、基本的に会社が管理する。という依存であることに変わりはなく


私も経営者として考えるに、この「通算ルール」は、完全におかしい。

 

  無理がある!

 

  バグってる!!

 

      完 全 に バ グ っ て る !!!

 

やっぱりですね~

 

基本的に「自由」ではなく「依存」が支配する日本の社会で、「自由と責任」という概念に慣れていない日本人が、「副業」をしたいんだぜい!なんて言っていたとしても、私には戯言にしか聞こえないのです。

 

 

■プロなら許す。


依存が支配する社会で、「社員は会社に働かされている」という法的概念の上では、自分の「責任」を会社に委ね、その行動が法律的にも適法だということであるならば、社員がそこで得る事が出来る自由は、会社からリスクを転嫁されたものに過ぎなんですね。

 

会社が、社員に充分な仕事量を与えられない場合の、あるいは大胆なリストラクチャが出来ないことの懐柔策として、「副業許可」が生まれてくるにすぎないように思います。

 

だから私は、自分の会社「株式会社ソノリテ」を、まだ「副業自由」に、出来ない。

 

それは私が社員にリスクを転嫁する制度にしかならないから。

 

それは、ダサイ。

 

それが私の基本的な考えなんです。まだ(副業許可)出来ない。

 

「まだ」ね。

 

でもまあ、出来る場合もあるよ。

 

出来る場合、というか、出来る社員。というのかな。

 

当社の社員の中でも「この人は、副業許可しても、いいな。」「むしろこの人は、副業してもらったほうが、いいね!」っていう人が、いる。


それは、「すでにプロフェッショナルな人」


そうです、私は【ここ超重要】

  • すでにプロフェッショナルな社員なら、副業OK
  • まだプロフェッショナルとは言えない社員なら、副業NG

というような裁定を、しています。


すでにプロフェッショナルな人は、法律がどうであれ、リスクオウンで生きているし、自らの責任を理解して生きている。

 

なのですでにプロフェッショナルな人は、副業をしようが何をしようが、それを自らの責任として、全う出来る。

 

すでにプロフェッショナルな人にとっては、

 

 仕事A:時給10000円
 仕事B:時給1500円

 

仕事Aがプロな仕事であって、仕事Bはまあ、自分の幅を広げるための何か、であったり、そういうポジティブな意味付けを、自ら付け、時間を使う。

 

わかるかな?


例えばプロスポーツの世界で例えてみます。

 

 Aさんはプロ野球選手です。一軍の四番打者です。
 Bさんはプロ野球選手ですが、まだ入ったばかりで、三軍です。

 

Aさんは、自分のバッティングを次なる高みに成長させるために、オフシーズンに高名な柔道の道場に通い、新たな視点から自分の肉体を攻め、肉体改造をすることを選択し、道場にこもりました!!

 

すばらしい!常識に捕らわれない発想!すごい選択だ!がんばれAさん!

 

Bさんは、今がガンバリどころ!まだまだ成長出来るポテンシャルがある!今こそ基礎トレーニングや試合経験をどんどん重ねて、自分を追い込む必要がある!

 

・・・のに、ちょっと知り合いに誘われて、バスケットボールの試合に出てみたり、ウィンタースポーツを齧ってみたり・・・

 

ん?Bさん、そんなんでいいの?今がガンバリどきですよ!

 

いま頑張らないと一軍には上がれないよ!野球に打ち込んだ方がいいんじゃないの?野球に打ち込んだ方がいいよゼッタイ!!!

 

そんな感じ。その違い。


つまりすでにプロフェショナルなのかどうか、その観点において副業が「その人のProfessionalismにポジティブに作用するか」を、争点とするべきなのかな。と思っています。

 

わかりますよね?

 

 

「いや、だからさ、それって個人の自由でしょ?」

 

 

はい、もちろんそうですよ。

 

 

「だからさ、俺が一軍なのか三軍なのかなんてアンタには関係ないじゃん? 俺が副業したいって言ってるんだから副業させなよ。それって俺の自由でしょ?」

 

 

はい、その通り。

 

でもね、その自由のせいで、会社にはリスクが生まれるの。

 

会社にリスクが有るような事は、私は禁止にします。

 

それにね【重要】

プロフェッショナルになろうとしない人を、リスクを背負ってまで、雇う気、俺にはないから。

 

だから、あなたが一軍なのか三軍なのかは、会社にとっては、とても重要な話なんです。

 

あなたが一軍選手で、副業をしたいというのなら、会社もリスクを背負ってでも、あなたの副業を支援しますよ

 

 

■だからハチミツさんは副業OK

 

さて、ハチミツ二郎さんの話に戻ります。


もうわかると思いますが、

 

先に私は

 

 ×ハチミツ二郎さんが有名人だから、入社させて話題を作ろう

 

ではなく

 

 ○ハチミツ二郎さんがスーパーお笑い芸人だから、入社してくれたら当社の多様性は爆上げするし、多様性を爆上げするにはハチミツ二郎さんが「スーパーお笑い芸人であり、当社の社員でもある」ことが重要だ

 

ということだから、副業を許可しているんです。と、言いましたが

 

ちょっと言い直します。

 

 ○ハチミツ二郎さんがスーパーお笑い芸人だから・・・


の所を言い直しすると

 

 ○ハチミツ二郎さんが(お笑いの)スーパープロフェッショナルだから


という、事ですね。


先の野球のAさんの例でいえば、Aさんはプロ野球チームの一軍の四番打者でした。

 

ハチミツ二郎さんは、言わずもがなお笑いの一軍の四番打者です。


そのハチミツ二郎さんが、異分野の異文化を吸収してみたいと思って、「サラリーマン」「ITコンサルタント」をやってみたい。と言っているのは、


私には、一流に登りつめた強打者が柔道に真剣に取り組んで新しい可能性の扉を開こうとしているのに似ている、と思えるんです。

 

喰えないお笑い芸人さんがアルバイトをやろうとか、サラリーマンと兼業しようと考えているのとは、わけが違うんです。

 

本業で食えないサラリーマンが副業を始めようとするのとも、わけが違うんです。

 


■基本は「敬意」

 

一度、整理します

 

私が、自分の会社で「副業」を「許可制:基本は禁止」としている理由です。

 

まず、

  1. なぜ「基本は禁止」なのか
    理由)日本の法律では、会社に、リスクが有るから

  2. なぜ、許可をしてくれないのか
    理由)副業はあなたがプロになることを阻害するから

  3. でも、許可をされる人もいるんでしょ?
    理由)その人はすでにプロだから


です。これが整理。


そして以下に、もうちょっと突っ込んだことを書きますね。

 

  1. プロもいる会社なのに、なぜ「基本は禁止」なの?
    理由)まだプロの方が少ないから。


これ、まあわかってもらえると思いますが、実際に会社を経営してみると、なかなか現実って厳しいんですよね。

 

特に若い人は、自己認識が甘い傾向にあり、自分がプロだと思い込んでいたり、まだまだ自分の正業に対して深い所に到達できていないのに「飽きた」などと考えがちだったりと、そういう話も込みで。

 

ようするに「プロフェッショナリズムとはなんだ!?」とか、「どのレベルをプロフェッショナルとするんだ!」みたいな、定義の話が出て来るんですが

 

私は、私が・・・というか会社が・・・

 

 その人(社員)のプロフェッショナリズムに「敬意」を感じているか


という、やや俗人的な感性の話に、帰着します。

 

うん。そう。俗人的。

 

齋藤(ならびに当社の意思決定機関である「共鳴装置」)が、「この人はプロフェッショナルとして、尊敬する」


というレベルであれば

 

これはもう、副業だろうがなんだろうが、自由に働いて欲しいわけだし、その人の「働き方」に対して敬意こそあれ、何かを禁止するなんてことが、そもそも違うよね。するべきじゃないよね!ということ。


わかりますよね?


逆に言えば、当社が「副業は基本OK」の会社になるとすれば

 

 A)プロフェッショナルだらけの会社になったとき

 

あるいは

 

 B)経営がうまくいかず、社員に充分な仕事量を与えられないとき

 

 

 C)副業を許可しないと、社員がみんな辞めてしまい、それが困るとき

 

と、なる。

 

もちろん会社としてB)やC)を目指すわけがないので、A)になって行くよう、経営をしているわけで。

 

だから少しずつですが、私が敬意をもってお付き合いをしている「プロ」が、会社の中に増えて行っている。

 

そういう事を確認しながら、「許可制」をとっているわけです。

 


で、さらに突っ込んだ話を加えます。

 

  1. なんのプロでもいいの?例えばケン玉のプロが入社してきたとして、その人には副業を許すの?
    答え1)当社の事業にダイレクトに関与するプロフェッショナルならば、副業を認めて行く
    (基本的には当社が本業と考えるパターン)
    答え2)当社の事業とは関与が考えにくいプロの方だとするなら、多様性の醸成や長期的視野をもって「何かありそう」と感じられるなら、ジョインしてもらう
    (基本的には当社を副業と考えるパターン)

 

はい。そういうことです。


で、ハチミツ二郎さんの場合は、答え2)の枠組みとしての「何かありそう」「何かが起こせるかもしれない」という形をもって受け入れられた。っていう事ですね。


何かありそうじゃん


わかるよね?


 ハチミツ二郎が入社するってよ!何かありそうじゃん!!


ただ、それだけの話。


まあ、時間はかかるかも知れないけれどね・・・

 

 

ハチミツ二郎という人の挑戦は、ちゃんとふざけている。

 

最後に

 

ハチミツさんがサラリーマンになったよ~という数々のメディア露出の中で、やっぱり私が注目したのは

 

フジテレビ、ワイドナショーでした

 

【参考:ザ・テレビジョン】

thetv.jp

 


この番組で、「なぜサラリーマンになったのか?」と聞かれたハチミツさんが

 

 「まず芸人としてふざけている部分がある」と言ったんですよね
(上記の引用ページにも書かれています)


そう


そこ!


そうなんですよ!そこなんです!!


今回の件で、ハチミツさんに「サラリーマンなめんなよ!」みたいなアンチコメントをした人も、何人かいるみたいなんだけども


ハチミツさん

 

 「ちゃんと ふざけている」

 

んですよ~

 


・・・おいおい


齋藤、おまえはアフォか?

 

おまえ、ナメられてんじゃんか!


おまえの会社、ふざけて入社されてんじゃん?

 


・・・あ、はい


そうですよね


そうです


いや、だってさ


そりゃそうでしょ?


だってさ、一流のお笑い芸人さんが、IT企業に普通に入社したんだよ。

 

 そりゃ、おふざけでしょ!?


それで言ったら、俺も、ふざけているよ!


はい、ハッキリ言いましょう。


私も、

 

 「ハチミツ二郎さんがソノリテの社員になったら笑えるわ~」

 「うちの社員たちビックリするだろーなー」


そんな感じですよ。


はい、私も、ふざけてます!


ふざけている。


私、前半で


当社が社員に求める基本的なスタンスの中に「Professionalism:プロ意識」が、あるからって話をしました。

 

ソノリテの理念・哲学

sonorite.co.jp


で、同じ「共鳴ファウンデーション(5つのスタンス)」ってのの中に

 

 Playful:アソビゴコロ

 

ってのも、あるんです。

 


アソビゴコロ

 


まあ、「ふざけている」も、Playful:アソビゴコロ です


いや、仕事って、マジメにやるもんですよね。はい。

 

だからさ、当社の社員達は、みんなマジメですよ。


俺だって、マジメ。


でもね


人間が、人間の為に、何かをする(何かを作ったり、何かをしてあげたり)行為の中に


 アソビゴコロ


って、大事だと思いませんか?


ハチミツさんはお笑い芸人だから、笑いのプロです!

 

言うならば「ふざけ」のプロですわ


でさ


皆さんは、どう?

 

皆さんは、皆さんにとって「働く」ってことは、なんなの?

 

働く事に


 アソビゴコロ


なくて、いいの?

 


日本の会社は、もしかしたらどこか、「マジメ」に気負いすぎて、結果として過重労働や、あるいはもっと悪質な搾取などの結果に結び付いた事を、反省すべきなんじゃないの?

 

それって、日本の「働き方改革」の、とても大きなテーマなんじゃないかしらね


私が、私の会社「株式会社ソノリテ」に、どの程度「アソビゴコロ」をインジェクション出来ているか?

 

ハチミツ二郎さんがソノリテに、どんな形でアソビゴコロをインジェクションしてくれるか?

 

そしてそれが、当社の「働き方改革」に、どのような結果をもたらすか

 

私の「責任」で「自由」にやります

 

ご期待ください。

 

 

■コロナ感染

 

そんな中

 

ハチミツ二郎さん、報道でもご承知の方も多いかと思いますが、新型コロナに感染され、緊急入院や、意識不明などを経て、復帰しましたが、


そういう経験も、なんもかんも、なんというか、派手だよ・・・


もうねぇ


心配したんだよ・・・


ご家族から連絡来て、意識不明で救急搬送されたとか、芸能人だから自社社員にもあまり情報公開出来ないし、


自分でいうのもなんですが、当社はコロナ対策は猛烈にやっている会社なんで、当社で感染する、感染させるということは99.9%あり得ないんで、まあそれは良いんだけど・・・


まあそんな、ハチミツさんと、ソノリテは、やっていきますわ!


今後の、ITとお笑いの共鳴に


ご期待ください!!!!!!!!!!!!!!!

人権侵害してくれる友人はいる?それと新しいオフィスの話

■当社は公式に在宅勤務優先の会社になります

 

当社は10月から、公式に在宅勤務優先の会社になります。

 

「公式に在宅勤務優先」っていうのはどういうことかというと、緊急事態対応とか新型コロナ対応とかいうことではなく、言うなれば永遠に、在宅勤務が主だよ。ということです。

 

「新しい生活様式」とか「ニューノーマル」とか聞きますけど、「新しい生活様式に沿った働き方へのシフト」を、公式に、本格的に始めます。

 

うちの会社は家で仕事をするのが基本で、時々オフィスを利用したら良いんじゃない?みたいな感じです。

 

それを公式に運用開始します。

 

遅いような、早いような。

 

まあ、「公式に」「本格的に」となると、いろいろと検討することがあったんでね・・・この時期になりました。

 


■オフィスを変えます

 

それで、「公式に在宅勤務優先の会社にする」の一環として、オフィスを作りなおします。

 

来週から工事ですwww

 

工事中は全員在宅勤務です。まあ工事が終わっても基本在宅勤務なんですけどね。

 

なんでオフィスを作り直すのか?ってのは、前のブログ 環境の変化と経営理念・経営方針の変更点 - saitoukazumasaa’s diary でも少し触れてますけれど

 

 「働き方改革」×「新しい生活様式

 

を真剣に考えると、どうしても今までのオフィスを捨て、新しいオフィスを作る必要があるからで。

 

今までのオフィスは「コロナ前の働き方改革」に特化した考え方だったんで、そこには根底に「密」があったんですよね・・・

 


■以前の「働き方改革」には密があった。

 

働き方改革を、「社員が自由に働く事」だと、ザックリ定義すると(ザックリだなw)、

 

前のオフィス = 自由に出社し、自由に交流し、多様に刺激し合う

 

みたいな感じだったけど

 

今度のオフィス = 出社しないで、ネットで交流し、刺激し合うけれど、それ以外の事では、たまにオフィスを使う = だが、オフィスも「密」は強要しない。

 

みたいな感じにする。

 

オフィスの存在理由の本質が変わったんで、作り直すことにしたんです。

 

例えばどんな変化か、というと

 

今までのオフィスは

  • みんなが談笑出来るソファや畳スペースなどがありました。
  • みんながシェアできるウォーターサーバーやカフェサービス等がありました。
  • みんなが買ってきたお菓子をシェアしたり、釣ったマグロを捌いてシェアしたり(本当)、そんな和気あいあいとした文化が有り、そんなオフィスでした。
  • 各執務室は基本的にセキュリティ担保の為に機密性が高めでした。

 

今度のオフィスは

  • 談笑空間を撤廃しました。
  • 飲み物などのサーバー型シェアも撤廃。
  • ドリンクサービスは個別ペットボトルに変更。
  • ソファなども基本撤廃、かわりにwebミーティングなどに使用するテレフォンブースを設置。
  • また、各部屋を仕切るパーティションも、遮音性と換気を両立できるように再設計。

 

そんな風に、作りなおします。

 


■ところで会社に仲の良い人がいますか?

 

ところで、急に話変わりますけれど、

 

みなさん、同僚でも、上司でも、部下でも、取引先でも、なんならお客さんでも良いけれど、

 

会社に、あるいは仕事のフィールドに「仲の良い人」っていますか?

 

「仲が良い」っていうのは、仕事の事だけじゃなくて、趣味とか、雑談とか、メシ喰ったり、仕事以外の事で一緒に出掛けたり、遊んだり、時に喧嘩したり、そういう「仲の良さ」です。

 

「友達」みたいな感じ。

 

そういう人、居ますか?

 

居ると、良いですね。

 

まあべつに、居なくても良いと、私は思うんデスけれど。

 


■私は友達が少ない

 

ちなみに私は、昔から、あんまり友達と呼べる人は、いないです。

 

小学校の時に「ともだち100人できるかな」っていう歌がありましたよね。今でもあるのかな?

 

あれ、なんなんでしょうね?

 

友達って、居なきゃいけないんでしょうか?

 

ほんと、嫌だわそういうの。そういう考え方。

 

例えば大学生の頃なんかは、昼飯を一人で喰っていると、「友達のいないヤツ」みたいな扱いになったりして、それってなんか「さみしいヤツ」みたいな扱いで

 

あれ、嫌だったな・・・

 

まあでも実際、私は友達と呼べる人が少ないんです。

 

他人に心を開かないというかね。今でも。

 

だから、そんな私の数少ない友達が登校しない日は、学食で一人でメシくってました。

 

いいじゃんね~別に。

 

いいんじゃね~友達なんていなくて~

 

俺はそう思うタイプ。

 

むしろなんか、「群れてる人達」が嫌いと言うか、群れる事に対して嫌悪感があるというか・・・

 

あ、いや、俺の話じゃないですね。会社に仲の良い人がいますか~って話でした。

 


■良い事だけど、ヤバイ事。

 

改めて、みなさん会社に仲の良い人がいますか?

 

「会社に友達がいますか?」って感じで捉えてもらってもいいデス。

 

あるいは「家族付き合い」みたいな感じの・・・同僚や、先輩や、後輩や、または
人生のパートナー候補とか・・・そういう関係の人、いますか?

 

もし居たら、それはとても良い事だと思います。

 

でも、とても良い事だとは思うけれど、ここで勘違いしてはいけないのは、

 

「会社の付き合いってのは、友達、家族同様」

 

だと、決めつけないことですね。

 

決めつけないこと です。

  • 会社に仲の良い人がいる

は、いいけど

  • 会社の社員は仲良しであるベキだ
  • 入社したからには他の社員と仲良くしろ
  • みんなが仲が良いのが良い会社だ

は、これは、ヤバイです。

 

もしアナタが組織のリーダーだったとしたなら、

 

「家族・友人みたいな社員との関係」こそ、社内の円滑なコミュニケーションの姿なんだ!

 

と、思っていたら、

 

そう、決めつけていたら、

 

それは、ヤバイですね~

 


■会社の付き合いは家族・友人同様、ではない

 

もし会社の付き合いってのを、「家族・友人みたいな社員との関係」と考えているのだとするなら、

 

それはすごく「仲良くなること」に、重点が置かれていますね。

 

仲が良ければ

  • 楽しい、気が楽(らく)
  • 助け合える。気を使い合える
  • 愚痴を言い合ったり、本音で語れる

まあ、いろいろな良い事があるのでしょうけれど

 

でもですね・・・「家族主義」「友情主義」みたいな、「密」な関係性を、その延長線上に伸ばしていくと、

 

例えばコミュニケーションが、以下のような感じになりませんか?

 

「おい、一杯行こうぜ」
「おれの酒が飲めねえのか」
「おまえもそろそろ恋人の一人や二人つくれよ」
「髪切った?カワイイね」
「バカやろうそれでもわが社の社員か!」

 

って、なっちゃいません?

 

わかりますか?

 

これ、みんな、家族・友達だったら、言っても良い事ですよね

 

でも家族や友達じゃないんだから、ダメですね

 

会社の付き合いってのは、家族でも、友達でもないんだから、これダメです。

 

ハラスメントです。

 

それが、「働き方改革」の、基礎です。

 


■そうはいっても家族主義、友達主義

 

でもですね・・・

 

やっぱり日本の組織ってのは、まだまだ「家族・友達みたいな人間関係」をベースに、考えられているところがあるように思います。

 

なんというか

  • まず、仲良くなる
  • 仲良くなれば、良い仕事が出来る

みたいなね。

 

「親睦を深める」みたいなね。

 

本来、仲がいいかどうかなんて、仕事には関係がないはずじゃないですか?

 

でも、なんか違う。

 

仲がいいと話がスムーズで、そうじゃないと、なんかギクシャクする。

 

んな、アフォな

 

でも、実際にそういうことは、沢山起きている

  • 経理と仲が良いAさんが、話をつけてくれた
  • 仲良しのBさんになら、この仕事を頼みやすい
  • CさんとDさんは犬猿の仲だから、同じ会議に呼んじゃダメ

とかね。

 

んな、アフォな・・・って話が、実は会社の中では沢山起きている。

 

じゃあ、会社の中の社員がみ~んな仲が良い会社なら、良いんじゃない?

 

まあ、確かに。そりゃそうかも、だけど。

 

だけど私は

 

みんなが仲の良い組織ってのは、幻想だと思います。

 

現実は、仲良しでもないのに、会社の同僚っていう理由だけで、「友達みたいなコミュニケーション」を求められる。

 

そしてその延長には、対人関係のストレスや、ハラスメントが起きている。

 

そんな息苦しさが、多いように思います。

 

会社の人間関係は、友達みたいな人間関係では、ないにも拘わらず、です。

 

日本人のDNAに、深く刻まれている、「仲良し」みたいな関係性を「正」とする所が有って、それが未だに、組織に存在している。

 

でもそんな「仲良し組織」なんてのは、ない。

 

みんなが「仲良しのふり」をしているに過ぎない

 

 

■会社に仲の良い人がいますか?

 

さてここで、最初の質問に戻ります。

 

みなさん、会社に、同僚でも、上司でも、部下でも、取引先でも、なんならお客さんでも良いけれど、

 

仕事場に「仲の良い人」って居ますか?

 

居たら、良いですね。

 

でも、それは全員じゃないですよね?

 

そして、例えば会社の上司には、「仲の良いフリ」を、していますか?従順な人を、演じていませんか?

 


■でも同僚が友達なら、良いんじゃない?

 

もしアナタに、仕事場に「仲の良い人」がいるのなら、それは良い事ですね。

 

会社の上司、部下、同僚などが、「仲の良い友達」ならば・・・何をやっても良いですもんね。

 

確かにですね、「会社の人間関係は、友人みたいな人間関係ではない」のですが、

 

でも、「会社の同僚と友人みたいな人間関係を構築している」ならば、ハラスメントしても、イインデス。

 

「おい、一杯行こうぜ」
「おれの酒が飲めねえのか」
「おまえもそろそろ恋人の一人や二人つくれよ」
「髪切った?カワイイね」
「バカやろうそれでもわが社の社員か!」

 

ってのは、「ナカノイイ友達みたいな同僚」に対して言うなら、イインデス。

 

あるいは「家族同然で付き合っている部下」に対しても、(それが上司側の勝手な思い込みじゃなければ)イインデス。

 

でもですね、

 

まずそれって、幻想ですよ。

 

本当に仲の良いグループなんて、せいぜい2~5名くらいまでが限界ですし、

 

みんな無理をして、「仲の良いフリ」をし合っているに過ぎないはずです。

 

「いや、俺はそうじゃないな。俺はすごく、密着した人間関係が好きだし、縦社会とか、俺は全然良いと思うよ。」

 

そんな人、未だに、いる。

 

「体育会系」みたいな事言ったりしてね

 

その「息苦しさ」を壊し、新しい関係性を作りこむことも、働き方改革の命題なわけなんです・・・

 

 

■仲の良い組織は良い組織

 

ここまでの整理

 

この「幻想」の話をしますけれど・・・

 

幻想とは言え、みんなが仲の良い組織がもしあったとしたなら、これはもう「良い組織」ですよね。

  • 社員がみな、仲が良くて、笑顔が絶えない
  • 時に度を越して厳しく叱ったり、言いすぎる事もあるけれど、それらはみな「相手を想って」の事で、言われた方も「なかのいい家族みたいな」相手になら、素直に聞ける
  • 大きなピンチがあったとしても、みなが組織を守ろうと一生懸命になってくれる

 

そんな感じかな

 

大きな家族みたいな組織ね・・・

 

だからまあ、「幻想」とはいえ、会社が「社風」として、社員に「仲の良さ」を求めていたとして、社員はそれを感じ取って「仲の良い組織(それを演じている組織)」が、上手に出来上がっていたとしたら、

 

実は良いパフォーマンスを発揮していたのだと思います。私は。

 

でもそんなこと、もう、考えちゃダメなんですよね。少なくとも、組織のリーダーは・・・

 

みんな、独立した個人なんです。

 

「家族になること」を期待する事は、出来ないんです・・・

 

 

■もう演じない。

 

最近の人は、この「演じる」をやらなくなりました。

 

忖度しなくなったというか

 

空気を読まなくなったというか

 

「嫌な事はやらなくていい」という自由を前提に、生きている人が、多くなりました。

 

だから、ハラスメントが問題になる社会になりました。

 

でも、日本の社会はまだまだ、仲が良い組織は良い組織だと思っているので、

 

最近の人は、演じろと言われたらあっさりと逃げ、

 

どこかに「私が仲良く出来る組織が有る」という幻想を追いかけている人が多い・・・

 

私はこの問題を「働き方改革」の一つと捉え、ずっと考えてきました。

 


■人はなぜ「組織」に属そうとするのか

 

さて、私は先に「会社の人間関係は、友人みたいな人間関係ではない」と書きました。

 

でも、人は「仲良く出来る組織が有るという幻想を追いかけている」とも書きました。

 

“会社”というコミュニティは、共同で利益追求をし、生活の基盤を作るモノです。

 

そこに必要な人の関係は、ドライな物でよく、プロフェッショナル同士が仕事のパフォーマンスと利害関係で繋がってさえいればよく、それが効率的に機能してさえいれば良いはずです。

 

「あの人とは趣味が一緒だから話しやすい」とか

 

「あの人は学友でオレおまえの間柄なんだ」とか

 

そういう「仲(なか)」は関係がない。

 

が、しかし、見方を変え

 

“会社”、または会社を含む多くのコミュニティに対し、人がなぜ「組織に属そうとするのか?」を考えてみると、

 

その重要な部分に、

 

 「人は、人と繋がりたい」

 

ってのが、ありますよね?

 

例えばカラオケが趣味だとして

 

そんなアナタはなんで「カラオケクラブ」に入りたいかというと

 

それは「(カラオケ)友達が作りたいから」

 

だという点が、大きい。

 

人は、人との出逢いや繋がりを求めて、組織を求めるのであり、

 

それは、組織の一つである「会社」にも、同じことが言えると私は思います。

 

友達(候補)と、出逢いたいんです。

 

そして会社は、以前は「そういう場所」でも、ありました(過去形)

 

 

■ここでさらに「密」の話

 

「人が組織を求めるのは、人との出逢いや繋がりを求めている部分が有る」

 

いったんそれを前提にして、

 

ここでさらに、「密」の話に戻しましょう。

 

「密はダメ」というニューノーマルを、今後どのように組織にもたらせていくか、組織はどのように変化する必要があるか、と言う話です。

 


社内結婚の例

 

ちょっと大げさな例を書きますね。

 

例えば、社員Aさんと社員Bさんが、最終的に家族になるとする

 

まあ、社内結婚とか、そういう事です。

(いやべつに、職場結婚の話じゃなくてもいいんですけれど、わかりやすいかな~と思って、これで書きます。)

 

「人が組織に求める人との出逢いや繋がり」を、「社内結婚」という形を例に、説明します。

 

で、AさんとBさんは、入社してから、だんだん距離が近付いていくわけです。

 

だって最後には結婚するんだから。

 

で、その、結婚をする前の段階といえば、

 

それは「友達」ですよね?

 

社内の同僚のうち、よく遊びに行く「友達グループ」の仲間だったのかも、知れませんね。

 

そしてこの「友達」の前は、AさんとBさんの関係は

 

「単なる同僚」ですよね?

 

で、言いたいのはですね。

 

このAさんとBさんの間柄は、職場内で、

 

 段階1「単なる同僚」
   ↓
 段階2「同僚の中で仲良しグループ、友達」
   ↓
 段階3「それ以上に親しい仲(恋人とかそういう感じ)」
   ↓
 段階4「結婚」

 

って感じで、進化していくワケですよね。

 


■ソーシャルディスタンス

 

はい。それでですね

 

「ソーシャルディスタンス」って言いますよね?

 

2mくらいですかね。ソーシャルディスタンス。

 

この「ソーシャルディスタンス」って、

 

 誰と誰の距離なの?

 

っていう話をしたいんです。


さっきの社内結婚の段階の話をします。

 

AさんとBさんが、

 

 段階1「単なる同僚」という間柄なら、

 

ソーシャルディスタンスをとるベキですよね?

 

仕事でいえば、例えばお客様や取引先、あるいは上司や部下や、それらの人とは、ソーシャルディスタンスを、とるベキです。

 

じゃあ次。AさんとBさんが、

 

 段階2「同僚の中で仲良しグループ、友達」の場合、どうか?

 

これは、時々は、ソーシャルディスタンスを超えて近付いてもいい・・・ですよね?

 

だって、その次がありますからね

 

もしアナタがAさんだったとして、あなたはBさんと「友達みたいな同僚」だったとするじゃないですか?

 

で、アナタはBさんと、「恋人になりたいなぁ」と思っていたとしたら

そしたら、例えばBさんと手を繋ぎたくなりますよね?

 

手をつなぐ機会を探りますよね?

 

はい、ソーシャルディスタンス、破れました。

 

「手をつなぐ」だと、直接的過ぎますかね?

 

でも「スキンシップ」だとわかりやすいからそう書きました。

 

ようするに、言いたい事は

 

【ここ重要!】

  • 「友達」って、「ソーシャルな関係」の内側に入っても良い関係だと、思いませんか?
  • そして「人」は、出逢いの延長線上に、「密」を求めるものだと、思いませんか?

 


■同僚と友達の違い

 

例えば友達と、同じ車でドライブに行ったり、同じ時間を共有し、親密度を上げて行ったりする行為の中には、ソーシャルなヨソヨソしい関係を超えたものがあるはずだし、あるべきである。

 

そう、思いませんか?

 

それが「同僚」と「友達」の違いだと思うんですよね。

 

例えば「友達」と呑みに行ったとして、「友達」がメチャメチャに酔って、トイレで潰れちゃった。

 

そんな「友達」を介抱したことがある人は、けっこういるんじゃないでしょうか?

 

その時、それが現代のWithコロナ時代だとしても、友達ならソーシャルディスタンスを超えて介抱しますよね?

 

それが友達ですよね?

 


■発展

 

そして、

 

そういう様々な、友達同士の

 

「体験/事件/ハプニング」

 

みたいな経験を、密に繰り返していくうちに

 

ある人達は

 

段階3「それ以上に親しい仲(恋人とかそういう感じ)」に、発展していく。

 

そういうものですよね?

 

それが、その可能性が、組織にはあるんですよね?

 

そういう可能性が、人を組織に向かわせるのですよね?

 

いやもちろん、人にもよるけれど・・・

 

 

■組織に所属する事の価値が「密」?

 

つまりですね

 

人がなぜ組織に所属したがるか?という問題に対し、

 

例えば会社であれば、

  • それは生活の為
  • それは社会の為、
  • 労働は国民の義務

みたいな公式な理由も、もちろんあるわけですが、

 

それ以外の要素として、「出逢いや繋がりを求め、会社に入社する」ってものも、あると思うんです。

 

それはもちろん人によります。

 

例えば仕事以外で、沢山のコミュニティに所属していたり、家族やパートナーなどのつながりも持っている人は、仕事場に「出逢いや繋がり」は、特に求めていないかも知れない。

 

そういう人にとって、会社はシンプルに仕事だけ出来ればいいわけで。

 

会社から「仲良くしろ」とか「呑み行くぞ」とか言われると、ウザイだけなわけです。

 

でも、そうじゃない人もいる。

 

人と仲良くなりたい。

 

色々な人と出逢いたい。

 

そういう「居場所」を求めている人は、沢山いる。

 

そう、考えるとですね

 

はたして、会社は

  • 完全にソーシャルディスタンスを保って働ける環境
  • 完全に在宅勤務で、リモートで働ける環境
  • 密になる可能性が完全除去された環境
  • ハラスメントが行われる可能性を完全に除去した環境

として、本当にいいのか?

 

本当に、人間の根源にある活動衝動、所属欲求に対し、向き合わなくて良いのか?

 

そうじゃないとするなら、「密」と「疎」は、どのような塩梅が適切なのか?

 

という、疑問がずっと、あったわけです。

 

が、しかし、この度答えを出しました。

 

それが新オフィスのデザインです。

 


■会社に仲の良い人がいますか?

 

さて話を戻して、もう一度、聞きます。

 

みなさん、会社に、同僚でも、上司でも、部下でも、取引先でも、なんならお客さんでも良いけれど、

 

仕事のフィールドに「仲の良い人」っていますか?

 

「仲が良い」っていうのは、仕事の事だけじゃなくて、趣味とか、雑談とか、メシ喰ったり、仕事以外の事で一緒に出掛けたり、遊んだり、時に喧嘩したり、そういう「仲の良さ」です。

 

「友達」みたいな感じ。

 

そういう人、居ますか?

 

居ると、良いですね。


そして


その「友達」は、あなたにとって、どんな「友達」ですか?

 

  • A)あなたを徹底的に守ってくれる、あなたを徹底的に甘やかしてくれる、そんなやさしい人ですか?
  • B)あなたに正論を言い、あなたの甘い所をただし、時にあなたに厳しい言葉を言ってくれる、そんな厳しい人ですか?


どちらでしょう?

 

いま話題にしたいのはB)です。

 

あなたにはB)のような友達が、いますか?

 

「ちゃんと起きて!仕事に遅れるよ!」
「ちゃんと歯を磨きなさい!洗濯をしなさい!」
「ちゃんと挨拶をしなさい!」
「卑怯な事をするな!」
「我慢しなさい!」
「逃げたら終わりだぞ!逃げちゃダメだ!」

 

そういう事を言ってくれる、友達、家族、パートナーが、いますか?

 

いないとして

 

いなかったら、もしかしたらアナタは、「リモート優位の世界」で、堕落しませんかね?

 

私だったら、間違いなく、堕落します。

 

在宅勤務と偽って、働いているフリだけして、そのうち社会に取り残されて、堕落します。

 

今までの日本の会社は、ハラスメント的集団を形成する事で、組織がこのB)の機能を
果していました。

 

その文化の基礎として、

  • 社員がみな、仲が良くて、笑顔が絶えない
  • 時に度を越して厳しく叱ったり、言いすぎる事もあるけれど、それらはみな「相手を想って」の事で、言われた方も「なかのいい家族みたいな」相手になら、素直に聞ける
  • 大きなピンチがあったとしても、みなが組織を守ろうと一生懸命になってくれる

という理想が、あり

 

「おい、一杯行こうぜ」
「おれの酒が飲めねえのか」
「おまえもそろそろ恋人の一人や二人つくれよ」
「髪切った?カワイイね」
「バカやろうそれでもわが社の社員か!」

 

という、越権行為がありました。

 

しかし

 

働き方改革」×「新しい生活様式

 

は、この「家族主義的越権」を、否定し、

  • 個の権利
  • 「密」の否定、「疎」の肯定

を優先する必要があるんです。

 

だから皆さんは、堕落します。

 

あなたにB)のような友達、家族、パートナーが、いなければ、です。

 

じゃあ、いないとして

 

どこで、出逢いますか?

 

そんなB)と、どこで出逢いますか?

 

もう、会社では、出逢えませんよ・・・「疎」ですからね・・・

 


■会社に仲の良い人がいますか?

 

最後にもう一度、聞きます。

 

みなさん、同僚でも、上司でも、部下でも、取引先でも、なんならお客さんでも良いけれど、

 

会社以外でも良いデス。友達、家族、パートナー、誰でもいいです

 

「あなたに正論を言い、あなたの甘い所をただし、時にあなたに厳しい言葉を言ってくれる、そんな厳しい、仲の良い人」って、いますか?

 

いなかったら、アナタは

 

 「働き方改革」×「新しい生活様式

 

という前提における

  • 個の権利
  • 「密」の否定、「疎」の肯定

によって、堕落します。

 

あなたの権利を飛び越えて、あなたのソーシャルディスタンスの中に入って来て、あなたに苦言を言ってくれる人。

 

あなたの人権を侵害し、あなたを成長させようとしてくれる人。

 

あなたの「堕落する権利」「逃げ癖」「幼稚さ」に対し、侵害してくれる人。

 

そういう人、いますか?

 

いなかったら・・・もちろんいないままでいることも、あなたの自由です。

 

でももし、「堕落」が怖いと、少しでも思うなら・・・

 

さて、どうします?

 

私は新しいオフィスの重要な役割は、そこだと思います。

 

 

■オフィスという空間

 

最後に、オフィスの話をします。

 

新しいオフィスを作っています。工事をしています。

 

どういうオフィスか?

 

旧オフィスは、「出逢えるオフィス」「密になれるオフィス」でした。

 

新オフィスは

 「ディスタンスを確保し、疎に集えるオフィス」

です。

 

過去、オフィスの存在価値には、様々な物がありました。

 

ラポール形成、「阿吽の呼吸」作り、偶発的なチャンスメイク・・・

 

ですが新しいオフィスは、「新しい生活様式」の要請に従い、その基礎となる「出逢い」を「疎」な物にします。

 

社員同士は、アクリルパーティションで区切られたデスクで仕事をします。

 

コミュニケーションの主体はチャットなので、リモートと変わらない状況に
なるでしょう。

 

つまり「疎」です。

 

「疎」なので「出逢い能力」は、低い。

 

では新オフィスは、新しい生活様式に対応する為に、「出逢い能力」を劣化させたオフィスということになるのでしょうか?

 

それはそうでもあり、しかしそうではない。

 

私はそこに「オフィスの空気」というものを重要視したい。

 

 

■オフィスは「空気」

 

新しいオフィスは「密」ではない。

 

なのでリモート勤務と変わりはない・・・のではない。

 

そこには「オフィス」という空気がある。

 

これが在宅空間とは、まったく異なる。

 

人は堕落をする。

 

苦言を言ってくれる人がいなければ、堕落をする。

 

が、空気が有ればどうだろう?

 

よく、カフェで仕事をすると捗る(あるいは勉強をすると捗る)という人がいます。

 

カフェには、自宅にはない(疎な)衆人環視空間があります。そういう空気が有ります。

 

だからカフェだと集中できるのだ!たぶんそうです。

 

きっとそういう人は、カフェの衆人環視をうまく利用し、昇華し、自分を「仕事モード」「勉強モード」に出来るのだと思います。

 

つまり「その空気」は、人を堕落から救うわけです。


でも、カフェは仕事に最適化された空間ではないですよね?

 

たしかに飛沫対策がなされたカフェが増えたし、電源のあるカフェも多い。

 

でも、業務セキュリティ対策が施されているわけでもないし、ホワイトボードもない。

 

カフェでリモート会議をしたら、他の客に迷惑でしょう。

 

 

だから、つまりそれが「新しいオフィス」です。

 

つまり新しいオフィスは

  • 「疎」である
  • 「衆人環視」がある。仕事モード的空気が有る。
  • そして仕事に特化した場所である

というもので、あるべきだと、私は考えたのです。

 

そのように、オフィスを作りなおします。

 

これからの

 

 「働き方改革」×「新しい生活様式

 

という前提における

  • 個の権利
  • 「密」の否定、「疎」の肯定

によって、

 

堕落しそうになったら、

 

オフィスに行きましょう。

 

オフィスの空気の中で、仕事をし、「仕事モード」を、取り戻しましょう。

 

 

当社、「株式会社ソノリテ」の新しいオフィスが完成したら、ご興味が有ったら、ぜひ遊びに来てください。

 

猫専務も、居ますよ

環境の変化と経営理念・経営方針の変更点

■環境の変化(新型コロナ禍影響)と新方針を考える

 

5月25日に緊急事態宣言は一旦解除されましたが、別に新型コロナが解決したってわけじゃない。

 

とりあえず国内は医療崩壊ってところまでいかないで済んだから、経済が心配だし、いちど戻そうか。ってくらいの話かと思います。

 

じゃあ「新型コロナ禍騒ぎはいつ終わるんだ」って事ですが、

 

この病の大問題は、感染対策をすれば経済が危うくなるし、経済を優先すれば感染が広がるって事で。となると私のような中小企業の経営者にとっては、本当に深刻です。

 

みんな死にたくないけれど、「生きてさえいればお金なんてあとからなんとでもなるよ」なんて、経営者はそんな無責任な事を言ってられないんです。

 

中小企業の社長は、会社が潰れれば破産するわけです。中小企業経営は、大企業のような有限責任ではありませんのでね。

 

事業をしくじったら「お父さんが事業に失敗し多額の借金を抱えて~」ってヤツになりますよ。ザ・ノンフィクションの世界ですよね。

 

だから私も含めた中小企業の社長さん達は、きっと今回の新型コロナ禍に対して、真剣度が段違い。

 

ですんで、

 

じゃあ予測しよう。予測したうえで、未来を考えよう。

 

私の頭の中は、4月~5月、ずっとこれでした。

 

もうね、ほんとに他の仕事に手が付かなかった。私が他の事に手が付かなかった事で、迷惑をかけた人達、本当にゴメンナサイ。

 

で、まあ、とりあえず考えがまとまったので、ここに書いておこうと思います。

 

これからのソノリテ(私の会社)を、こうするよ。こう変えるよって話。

 

ちなみに「コロナ前」に書いた、2020年の年頭挨拶はこちら。

 

【年頭挨拶】

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

さて近未来を予測したうえで、会社の経営方針を、変える部分と、変えない部分があります。

 

結論から書いちゃうけど、まず予測として

 

  • 短期的に景気は全世界で不況に向かうけれど
  • IT業界は期待され続けるよ。特にネット越しのコミュニケーションや家で遊べるゲームなんかは、重宝されるよ
  • 働き方の常識も変わるよ。在宅勤務とか普通になるよ

 

って感じになるだろうから

 

  • だからソノリテ(私の会社ね)って会社は、新しい時代にも期待される分野の仕事をしてきたし、これからもするよ。
  • ソノリテ自体も「密」から「疎」な新しい組織に変えるよ。それが時代にあっているから
  • でもさあ最終的に人類にとって「組織」って必要なんじゃないの?新しい社会で人類が組織に期待するモノってなんなの?それを考えて、ソノリテでやろうね。

 

って感じです。

 

会社としては

 

  • 会社の骨格(コア・コンピタンス)は「新しい時代に期待されるもの」なんだから、
  • 時代の変化に対して、即していない部分があるなら、頑張って「やりかた」「働き方」を変えるぞ。
  • それも大至急変えるぞ!

 

で、何を変えるのかと言えば

 

  • 完全リモートワーク型の会社に変えます
  • 会社としての
    「オリジナリティ・エッジ・バイタリティ」
    をもっと強化し、ネット型のバリューチェインに変えます
  • 人財や育成、組織に対する哲学を進化(もしくは退化対応)させます
     

っていう結論。こんな感じです。

 

これらを、一つ一つ、なんとなく思いつくままに解説していきます。

 

あ、いつも長文だけど、今回は、「これブログっていう長さじゃねえな」っていう長文です。

 

長文っていうかもうこれ小説じゃね?ってくらいの長さ。

 

まあ、それでも読みたいと思ったなら、興味のない所は飛ばしながらでも、飽きるまで読んでみてください。

 


■新型コロナ禍影響、いつまで続く。予測

 

さて、とりあえず前提として、以下の2つを予測しなきゃいけないですね。

 

  1. コロナ禍、いつまで続くか
  2. その後、どうなるか

 

まず第1に、コロナ禍の直接影響(例えば緊急事態宣言の断続的な発生)はいつまで続くか。

 

こればっかりは今現在、全然わかんない。

 

ある日突然、何らかの特効薬みたいな解決策が生まれて、見事に収束するのかも知れませんし、集団免疫が全世界に整うまで、めっちゃくちゃ時間がかかるのかも知れない。

 

気温に依存するとかなんとかで夏になれば収まるのかも知れないけれど、でも気温が下がってきたら第二派とか、そういう事に怯えながら、なんというか、人類はずーっとwithコロナを生き抜いていくのかも知れない。

 

そもそも全世界中規模で考えれば「収まる」なんて発想自体がナンセンスなのかも知れない。

 

ようするにゼンゼンわからない。

 

ただまあ、色々な報道やら風聞やらをかき集めた上で、自分で判断するところとしては

 

  • 超楽観値で半年~1年
  • 悲観値で2年~4年

 

で、なんというか「緊急事態ではなく、世の中の常識が変わる」と、予測しておこうかなと思います。

 


■もっと悲観論だってあるよね

 

でもまあこれ、もっと悲観的な見方も、いくらでも出来ると思うんですよね~

 

もうほんとこれ、SFの世界じゃね?ってくらいのクライシスを考えようと思えば、いくらでも可能性は、ある。

 

とはいえ、今回私が予測するのは、会社経営の話なので、これがもし、世界が滅亡の一途をたどってしまって

 

「ぼうや。昔は人類は地上に住んでいたのよ。人々はマスクをせずに空気を吸い、濃厚接触をして子を産んでいたの」

 

って感じの未来になるぞ!

 

 なるぞ!!


って~ところまでは、さすがにまあ、予測はしないです。

 

だって本当にそうなったら「会社経営の持続可能性」っていうレベルの話じゃないからね~

 

ということで、まあ、

 

  • 超楽観値で半年~1年
  • 悲観値で2年~4年

 

これが「いつまで続く?」と言う事に対する予測としましょう。

 

まあ、普通の感覚ですよね

 

 

■もとには戻らない

 

ところで、今、誰も

 

「(コロナが終われば)元通りの世界(経済や文化)に戻る。」

 

とは、あんまり思っていないですよね。

 

まあ普通人間は、例えば半年とか、3年とか、おんなじことをずーっと続けさせられれば、人は「慣れる」とか「もとには戻れない」とか、そういう感じになります。

 

でも本当は、「慣れる」という話では無い。

 

そもそも人間社会と言うのは、基本、便利という名の堕落に向かうものです。

 

だって、例えば今から

 

週休二日制をやめて、お休みは日曜日だけに戻しますね」

 

なんて誰かが言い出したとしても、それってもう、無理じゃないですか。

 

「健康がどうたら」
「文化的な生活がどうたら」
「搾取がどうたら」

 

とかなんとか言って、なんとかして皆で反対しますよね?

 

そう。人間とは堕落に向かう生き物。

 

批判しているんじゃなくて、それが文明ってものだと思います。文明の進歩の方向性とでもいえばいいかな。


だから今回も、コロナ禍影響下で、個々人が

 

「あ、これって良いな。楽だな」

 

と思えることがあったら、どうたらこうたら理由をつけて、もとには戻りたくないわけです。文明社会ダイスキな私たちは。

 

というか、「もとに戻らなくていいよ」って言ってくれる社会や会社が、

 

「良い社会」
「進歩的な組織」
「ホワイトな会社」

 

って事になる。

 

「最先端だなぁ~」みたいな言われ方をする。

 

で、私はソノリテを「ホワイトな会社」にしたいから

 

だから、コロナ禍影響下の緊急事態等で、みんなが「あ、これはいいな。もとに戻りたくないな」って思う事は何なのか?

 

その辺りから考えて、ソノリテを変化させて行こうと思います。

 

 

■新型コロナ禍影響、その後どうなる?予測

 

ということで、みんなが

 

「もとに戻りたくないな」と思ってるんじゃね?

 

みたいな観点を基準として、

 

コロナ禍直接影響が終焉した後の世界は、どうなるか?どうなったら良いと思っているのか?を考えたいんですが、

 

ちなみに「会社経営に関係ある」部分しか考えません。それは良いよね。これは会社経営のblogだから。

 

「会社経営に関係ある」っていうのは、「社会人の意識」の領域、って事です。

 

そして「社会人」と言っても広いから、絞ろう。

 

私達ソノリテは、ITやメディアに分類される事業領域で仕事をしているので、

 

「ITやメディアで働いている人の意識」
「ITやメディアのお客様の意識」

 

あたりの人の変化に絞って考えて、今後の戦略に落とします。

 

で、もう「巣ごもり経済」「シャットイン経済」なんて言葉も、出てきていますけれど、世の中の、特にITやメディアに関わる社会人にとって、文化の意識や経済のストーリーは、巣ごもり的な方向に、もう完全に変わったと言ってもいいですね。

 

だから、割と「巣ごもり感強め」で考えます。

 

そして、私達株式会社ソノリテは、事業の根幹が、「IT事業」「メディア事業」であり「働き方改革事業」なので、少なくとも日本国内の

 

「働く人の意識」
「文化(メディア)」
「コミュニケーション(IT)」

 

なんてのが、こんな風に変わるよな~、って考えなきゃいけないので、まずはそれを、列挙します。

 


■こんな風に変わるよな~

 

【働き方】

  • 在宅勤務のような働き方がもっと普及する
  • 通勤満員電車のような滅私奉公が受け入れられなくなる
  • (ITを使った)働き方の自由度を高める動きがもっと普及する
  • ☆リモートワーク出来る職種の人気が上がる

 

【コミュニケーション】

  • 人と人の距離がとりやすくなる
  • 人に密着したり介入したりすることが難しくなる
  • ☆とはいえ人間が「人との絡み」から産まれる感情を捨てる事はない。形が変わり、代案が求められる
  • フィルターバブルが強化される。

 

【人と社会の関わり合い】

  • 総じて自分優先感が強くなる(自国ファースト、家族を守る みたいな発想)
  • ☆人の了見が狭くなる。偏見が強くなる
  • とはいえ原始的な「人や社会と絡みたい」という欲望が風化するかと言うとそんな事はない。形が変わる。代案が求められる

 

【就職など】

  • いわゆる「新就職氷河期」になる
  • ☆人材流動性が上がり「管理、育成、終身雇用」文化がさらに衰退する
  • 直接対人コミュニケーションを必要とする職種(エッセンシャルワーク等)の各種コストが上がる
  • ギグワーク的な雇用数が上がる

 

【日本の会社、制度、社風】

  • 終身雇用や解雇規制など労働者保護が市場先行で緩む
  • ☆時給型からコミット型の給与体系へのシフトが容認される
  • ドメスティックな文化から開放型の文化へシフトする(飲みニケーションみたいな風土は少なくなる)

 

【(日本の)IT企業】

  • 常駐系の仕事が減る。「人月商売(にんげつしょうばい)」の多重請負構造が一度崩れる
  • ☆企業間コミュニケーションもネットにシフトする
  • よりオープンにシフトする

 

【余暇、趣味など】

  • ネット上で行える余暇、趣味などのニーズが高まる
  • 対人コミュニケーションを必要とする余暇、趣味などの実施難易度が上がる
    (無くなりはしない。必要ではある。資本の強い所が勝つ)
  • ☆新しい「余暇ビジネス、趣味ビジネス」が発明されていく


はい。まあそんな感じ。

 

こんな世界に変わる、というか変わって欲しい、って思える部分もありますね。どうですかね?そんなに異論はないんじゃないでしょうか?

 

ちなみにうちの会社にとって、特に重要だと考える項目には☆を打ちました。

 

それでまあ、予想を見直してみると、こういう時の変化に対する期待値って言うのは、「それって、(コロナの前から)もともと望まれていた姿じゃない?」って言う感じもしますよね。

 

例えばほら、「日本の満員電車はイヤじゃ~!」なんてのは、何十年も前から語られてきた不平不満なんだけれど、これ、なかなか変えられなかった。

 

あと例えば、職場の呑み会、飲みニケ―ションなんかもそう。「付き合いって必要なの?」みたいな議論はずっとあったけれど、文化はなかなか変わらなかった。

 

で、こういう機会に、変わる。

 

よく使う言い方で言うと

 

 「良い機会だから、変わる」

 

そう。変わる。

 

そして、変わるとしたら、変えるための道具がいる。

 

その道具として、僕らのような「(ITによる)イノベーションを提供する会社」は、社会から、「社会を変える為の、道具(製品やサービス)」として、求められるハズです。

 

そう。そのハズなので、結局この変化は

 

「よっしゃ!俺らの出番が来たぜ!」と、

 

と、考えていいわけですよね。というかそう捉えましょう!と。

 

だってそうじゃないですか?

 

先日まで利用していた、ガチガチの社内システム(ガチガチの会社が作った、ガチガチのシステム)なんかより、新しく、オープンで、これからの若い人に受け入れられるような仕組み(オープンでシンプルな会社が作った、オープンでシンプルな仕組み)が、せっかくなら欲しいじゃないですか。

 

もう満員電車や、ハラスメントや、「付き合い」みたいなモノに煩わされないで、自分らしく働ける働き方が、せっかくだから欲しいじゃないですか。

 

だから私は、ソノリテを、上記のような社会の期待に対し、より世界の変化に対応した製品・サービスを、もっとどんどん提供する会社に、一気に成長・進化させようと思います。

 

今までも、「IT」「メディア」「働き方改革」をやってきた会社だから、我々にはしっかりとした素地があります。

 

だから提供するイノベーションも、今まで以上に時代を先取りした進化をさせ、どんどん世の中に発表します!

 

そして、自分たち自身の働き方も、どんどん変えます。進化させます!


いや、そもそも私たちは、私達の考える理想の働き方を、もともと進化させ、実践しています。

 

もともとそういう、先進的変化を取り入れる組織戦略をとっていました。

 

例えば私の年頭挨拶や過去blogを深読みしていただければ、理解できると思います。

 

【年頭挨拶】

年頭挨拶 - saitoukazumasaa’s diary

 

ただ、正直言うと、もうちょっとゆっくり進化させようと思ってました。

 

世の中の進化のスピードにあわせ、もうちょっとゆっくりと変化成長させて行くつもりでした。

 

それが今回!

 

 社会の方が急速に変化してしまうから!

 

  ソノリテも頑張って!

 

   血を流してでも!

 

こりゃあ!会社も急速に変化させるぜい!!って感じです。

 

感覚的には、あと3年から8年くらいかけてやろっかな~と思っていた事を、この2ヶ月~6ヶ月の間に、ドカンとやっちゃおうと思います。

 

 

■変化するときこそ、理念を大切に

 

さて、変化が起きた時こそ、そして変化を起こしたい時こそ、大切なものを見失いがちです。

 

会社にとって大切なもの、それは

 

 「お金」 じゃ、ない
 「お客様」 じゃ、ない
 「売り物」 じゃ、ない
 「社長」 じゃ、ない
 「社員」 じゃ、ない

 

 それは「理念」です


「私達の会社は、何を大切にする会社なのか?」それが「理念」ですね。

 

変化する時こそ、「会社の理念」を忘れてはいけません。

 

「これからは何をすれば儲かるのか」とか、「齋藤はあーゆーのが好きで、こーゆーのは嫌いで」とか、そーゆーことで、変化の方向性を決めるのではなくて、

 

「社会が変化したなら“会社の理念を追求する為に”会社も変えよう」と、考える必要があります。

 

だから、理念に立ち返りましょう。

 

(ちなみに最近の経営学の中には、理念追及を軽視する方法論もあるみたいですけれど、私は理念を大事にするほう、です。)

 

で、私の会社、株式会社ソノリテの「理念」ですが、

 

これです

 

株式ソノリテの経営理念
「私たちソノリテは、すべての行動を通して、社員が成長することを第一に考え、意思決定をしていく会社です。」

 

ですです。

 

「ソノリテの理念・哲学」

sonorite.co.jp

 

 

ざっくりいうと、ソノリテの経営理念は「社員の成長」です。


だからソノリテって言う会社は、

 

  • 儲かれば良いとか
  • 社会貢献出来れば良いとか
  • イノベーションを起こせば良いとか

 

そういうことじゃなくて(というか、それは目的じゃなくて手段なんで)、

 

ソノリテは

 「社員が成長することをする会社」だってこと。

 

  それが一番大事!

 

    それが~♪一番ダイジ~♪

 


これは、何が起ころうが、絶対に変わらない。社会が変わろうと理念は変えない。

 

 環境が変化したから -> こうやったら儲かるよね

 

ではなく

 

 環境が変化したから -> こうしたら効率が良いよね

 

でもなく

 

 環境が変化したから -> こうしたほうが社員が成長するよね

 

これを、考えなきゃいかん。やらなきゃいかん。

 

だってそれがソノリテの理念だから。ソノリテって会社は、その理念のために在るのだから。

 

 

■でも、社会は変わらないかも知れないよ?

 

で、これからのソノリテの変化の方向性の話をする前に、クドイけどもう一度だけ、予測の話に戻るんだけれども、

 

さっき、「コロナ禍で、世界は変わる」と、予測しましたが、

 

でもでも、もしかしたら、何にも変わらないで、すっかり元通りに戻るかも知れません。よね?

 

元通りになる可能性があるなら、あんまり大袈裟に考えて「会社を急速に変えるんじゃ!」なんて言わなくて、良いんじゃない?

 

もしかしたら、すっかり元通りになったときに「あんときはテンションが上がっちゃって、すごい未来を予測しちゃって、会社を急激に変えるんじゃ!とか、言っちゃったなぁ・・・実際は何も変わらなかったなぁ・・・俺もなんか青かったなぁ・・・」

 

もしかしてそんな感じで、あとで恥かしい事に、なるかもよ・・・

 

あとで恥かしい・・・

 

そんな事も、考えられるわけですが・・・

 

・・・いや、考えません!キッパリ


それは、なぜかと言うと・・・


つまりここでも、理念が出て来るわけです

 

経営理念
「私たちソノリテは、すべての行動を通して、社員が成長することを第一に考え、意思決定をしていく会社です。」

 

これです

 

よーするにですね

 

どう考えたら、社員の成長になるのか?という事なんですけれども

 

それは「成長」

 

そして成長とは、要するに「変化」

 

やっぱりですね、成長とは変化の事なんです。

 

私たちの会社は、変化という成長をポジティブに楽しんでいくことが、重要なんです。

 

だからですね、予測値に応じることは、実は目的ではなく、手段なわけです。

 

この社会変化の可能性に対し、いかに成長的に舵を切るのか!

 

それは、

 

 「いい機会だから、いろいろ変えちゃおうぜ~」

 

って考えるのが、「社員の成長が理念」と前提とした意思決定として、正解なんです。

 

だから私たちは、「社員の成長」という理念を追求する為に「いい機会だから、いろいろ変えちゃおうぜ~」って言う風に、考えます。


はいもう、この辺で

 

  • 齋藤は経営責任とか社員の安定やご家族の生活を、軽んじているんじゃないのか!
  • コロナ禍で様々な不幸が起きている時に、「良い機会」とは何事だ!

 

って声が、聞こえてきそうですが

 

そういう「安定志向」「事なかれ主義」は、ソノリテの「(変化による)成長」に。結び付かない考え方ですので、当社にはそぐわない。

 

そういう批判や心配をされる方は、これ以後このブログを読むのをやめ、どうぞ会社の理念に「社会責任」や「安心・安全」などを謳っている会社へ、転職してください。

 


■ところで「社員の成長」とは いったいなんだ?

 

で、話を元に戻しますが、

 

「社員の成長が理念です」と言うけれど、

 

そもそも「成長」って、なんだ?


だってほら「成長」にも、いろいろとあると思うんですよね。

 

例えば「背が伸びる」ってのだって成長です。小学生みたいだけどね。

 

だからほら「成長」って言うけれど、何の成長の話をしてるの?みたいなこと。

 

何の成長の話かを共有しておかないと、「社員の成長」の為に、ソノリテという会社は、どんなことやるんだ?って話が、わからなくなります。

 

例えばソノリテが、「社員の成長」を「背が伸びる事」とだと考えているんだとしたら、ソノリテは、「栄養のあるご飯が食べられる会社」になるとか、「背が伸びるような運動が出来る会社」になったら良いわけでしょ?

 

だから、ソノリテはどんなことを「社員の成長」だと思っているのか。そしてその「成長の実現」のために、今まではどんなことをやってきたのか?って話を、すこし原点回帰して、まず説明します。

 

その上で、今までやってきたことを踏まえて、じゃあコロナ禍の環境変化において、何をどう変えるの?そんな順序で考えを説明します。

 


■「社員の成長」の為に、今までは何をしていたか。

 

ではまず、これまでのソノリテのおさらいをします。

 

今まで、創業から11年・・・

 

ただし経営理念を据えたのは、齋藤が社長になった年です。そこからは9年なんですけども・・・(実は私は創業社長ではない)

 

その11年だか9年だか、ソノリテは何をしてきたか?

 

それは、まあ

「ITや、ゲームや、企業の働き方改革をやってきたんでしょ?」

って言えば、まあ、そうなんだけど・・・実は、そうじゃない。

 

「社員の成長」という理念に従い、私は9年間「社員が成長する会社にする」ってのを、やっていたんです。

 

そして「社員の成長」について、どんな定義をしていたかというと

 

それは、例えばソノリテの入社時会社説明資料では、以下のように記載し、社員の皆さんに説明してきました。

 

  • 多様性交流における精神的成長
  • 協調における立ち位置と強みの発見
  • 挑戦を強いられる社風による修練

 

図「ソノリテ入社時説明資料からの抜粋(ソノリテの経営理念と方針のツリー)」

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つまり、ソノリテと言う会社は、

 

  • 仕事や組織(という土壌)を通じて、「多様性交流」「協調」「挑戦」をするんだぜ
  • そしてそれが、精神の成長とか、自分の強みの発見とかの修練になるんだぜ

 

というような感じ。

 

そうした考え方で、それが社員の成長に繋がるんだぜ!と思って、それをやっていた会社、なんです。

 

仕事自体は、「多様性交流」「協調」「挑戦」するための、言うなれば土壌や手段なんだぜ~と、言う事。

 

そして仕事が手段って話を、もう少し説明すると、例えばソノリテは、社員の成長の為に、事業に「多様性」を持たせるよう努力しています。

 

大企業向けのITをやっているけれど、それとは別に、一般消費者向けのカードゲームを作ったり、あるいは映像作品を作ったりしています。そのように、事業領域に多様性を持たせるよう、努力しています。

 

ちなみに何で「努力している」って言葉を使っているかというと。

 

大企業なら、多角的経営をやっていることが多いので、多様性経営 (事業領域毎に多様性を持たせること)は、やりやすいし、功を奏しやすいんです。でも中小企業が多様性経営をやるのは、めっちゃキツイんですよ。

 

普通、組織や資産が小さい中小企業は、事業が多角的に成り辛いので、「多様性経営」をやらず「選択と集中型の経営」をやる。そのほうが定石。

 

中小企業は自社の強みにリソースを集中し、やることを絞り込んで、全員が一枚岩になる経営方針をとるほうが、成功する。

 

でもソノリテは、社員の成長のために、あえて多様性経営に振り切っているんです。理由は「多様性交流における(社員の)精神的成長」の為です。つまり理念だから。理念の為に、無理をして多様性経営をしています。

 

また別の側面では、例えばなぜ「働き方改革」を仕事にしているかと言うと、それも社員の成長の為なんです。

 

働き方改革」には、その前提として「社会や企業や組織の進化」がありますが、その「(現代の)社会や企業や組織の進化」の考え方の源泉には、大きな要素として「多様性の統合」があります。

 

「(現代の)社会や企業や組織の進化」には、多様な人財が多様な働き方が出来る世界を実現する。という大きな背骨があります。

 

だから私たちは、「働き方改革」という仕事に挑戦することで、自分たちが「多様性交流」や「協調」のプロになるという宿命を背負う事になります。

 

それが「社員の成長」に繋がる。

 

言い方を変えれば「社員を成長させたい会社として、働き方改革を仕事にするのは、相応しい」という考え方です。

 

また、なぜ「IT」の仕事をしているかというのも、これも社員の成長の為なんです。

 

「IT」って「コンピューティング」や「システムインテグレーション」という事業領域の中の、「インフォメーション・テクノロジー」あるいは「ICT:インフォメーション&コミュニケーション・テクノロジー」という分野なわけですが、

 

そこには大きな要素として「コミュニケーション」があります。

 

ようするにITという仕事は、現代社会や組織において、どのようなコミュニケーションを創り上げて協調や交流を産み出し、理想の組織や世界へ進化させていくのか、という大きな課題を前提とし、それを解決する仕事なわけです。

 

これもまたこの前提や課題が、「社員の成長」に繋がると捉えています。

 

またさらに言えば、ゲームやメディアも、「人を喜ばせる」「知的興奮を提供する」という分野に対する学習や挑戦が、ようするに、「人の喜び」や「興味」とは何か!?という哲学にたどり着く。

 

それが「社員の成長」に繋がる。という理屈です。

 

つまりソノリテがなぜ

「ITや、ゲームや、企業の働き方改革をやってきたか?」

といえば、

 

それは、それらの事業価値が「多様性の統合」や「コミュニケーションによる協調や交流」という命題を持つから、それを仕事にすることが、「多様性交流」「協調」「挑戦」という理念追及の方法論に、ビジネステーマとしてふさわしいからなのですよ~

 

 

■事業は、変えないです。

 

なので、もう一回書きますが、

 

ソノリテは、「社員の成長」の為に、「多様性交流」「協調」「挑戦」というテーマを立てて、それを行いやすい「多様性の統合」や「コミュニケーションによる協調や交流」という命題をもった、「IT」「メディア」「働き方改革」ってのを、仕事にしてきたわけ。です。

 

そういう理念と仕事の関係性が、あるわけです。

 

ですので、ここは、「コロナ禍」があってもなくても、基本的に変える気は、ないです。

 

というか変えなくて良い。

 

だって需要有るし。

 

例えば、いくら「社員の成長」に繋がる事業だったとしても、これらが需要されない世の中になるんだったら、ビジネスチャンスが生まれなくなるんだから、その事業自体は捨てなければならない。ですよね?

 

だってビジネスが無くなっちゃうなら、(「儲からなくなるから」ではなく)「社員が成長するチャンス」が、無くなっちゃうから。

 

でも、先の予測通り

 

  • 「働き方」は変化するよ
  • ITはもっと使われていくよ
  • 余暇の楽しみ方も変化していくよ

 

っていう世の中に、なりそうなんだから

 

私たちソノリテは、これからも、もっともっと「IT」「メディア」「働き方改革」のプロだった者として、その考えを進化させ、自らも成長し、

 

世の中に「ソノリテらしい、誰も見たことのない新しい何か」を考えて、考えて、考える中で成長しながら、

 

新しい時代のマーケットに、ソリューションやイノベーションを提供していくべきだと思うんですね。


だから事業の方向性(「IT」「メディア」「働き方改革」)自体は、変えません。何も変えない。

 

そして、新しいアフターコロナな世の中に、どんな「IT」「メディア」「働き方改革」が求められるか、それを考えて提供して行きます。

 

これから求められてくるもののヒント、それは、

 

  • ☆リモートワーク出来る職種の人気が上がる
  • ☆とはいえ人間が「人との絡み」から産まれる感情を捨てる事はない。形が変わり、代案が求められる
  • ☆人の了見が狭くなる。偏見が強くなる
  • ☆人材流動性が上がり「管理、育成、終身雇用」文化がさらに衰退する
  • ☆時給型からコミット型の給与体系へのシフトが容認される
  • ☆企業間コミュニケーションもネットにシフトする
  • ☆新しい「余暇ビジネス、趣味ビジネス」が発明されていく

 

あたりだと、思いますよね・・・

 

まあでもこれ以上は、ここには書きません。今後のソノリテが産み出していくものに、ご期待ください。

 


■ソノリテがヤメルこと。未熟からの成長、未熟な人を育成させる事による成長。

 

事業は変えない。

 

で、次は、変える事の話。

 

これからひとつ重要な考えを示しますが、それを説明する為に、もうちょっと「社員の成長」って話をします。

 

さっきまで話していた「多様性交流」「協調」「挑戦」とは、ちょっと別角度から「社員の成長」を深堀します。

 

今までソノリテは「社員の成長」という理念に対し、「(未熟な)人が成長できる」組織として「多様性交流」「協調」「挑戦」が出来るコワーキング(コロケーション)を考え、提供してきました。

 

なんの話かと言うと、まあこれ、人間的成長を、どういう空間で実現するか。みたいな話です。

 

ところで、

 

こう言っちゃあ悪いけども、若い人って未熟ですよね?

 

いや、まあでも、若くない人も未熟ですけどね。

 

未熟な人って、なんだかんだ人のせいにして生きていますよね?


テレビで、自粛期間中なのに、未熟な人が

 

「パチンコ屋が開いてるから~パチンコ来ちゃうよね~俺達のような人間はさぁ~しょうがないよね~」

 

とか言ってるのを、見ました。

 

あ~

 

子供だな~

 

未熟だな~

 

と思います。

 

精神が自立していないよな~。他責的に生きているよな~

 

パチンコを悪く言う気はないんです(人間が生きる為には、ある種の野放図や堕落、不毛、あるいは「悪」も必要だと思います)

 

パチンコに行くことを、他責的に言っている点が未熟なんだと思うんです。


・・・でも


私が思うに、人はみな、未熟です。

 

未熟ですよね。

 

私だって、未熟。


そう、人はみな、未熟。


そして、未熟な人は、自分の未熟を認めたくない。


だからこそ、私、思うんですけれど、

 

世の中には、未熟な人が「成長」出来る環境ってのが、必要なんじゃないかって思うんです。

 

そういう環境があると良いんじゃないかって思うんです。

 

というかむしろ、未熟な人が未熟のままではいられない環境ってのが「社会」や「会社」や「仕事」ってヤツなんじゃないかなと・・・


人はみんな未熟。

 

そして未熟な人は、自分の未熟を認めたくない。

 

だから人は、組織に育ててもらわないと、成長出来ない。

 

自分を未熟だと思っていない人が、自分から成長することは難しいから、周りに牽引してもらう必要があります。

 

だから、


【重要】未熟な人が成長する為には、何らかの理由で、「成長のるつぼ」に、自分を投じるしかない。

 

って思っています。

 

人間ってまあ、そんなもんじゃないですか。

 

例えば私が身体を鍛え、筋肉をつけたいとしますね。

 

バーベル買ったりして、最初はいろいろやるんだけど、でも私は未熟だから、ついつい怠けちゃう。

 

いわゆる三日坊主。

 

だから私は、怠けないようにするために、友達とスポーツジムに通って、お互いにサボらないように意識づけしあったり、パーソナルトレーナーを契約して、鼓舞してもらうような事をします。

 

そうするとまあ、トレーニングが続き、結果としてキチンと筋肉がつく。

 

これってようするに、ジムという「成長のるつぼ」な空間に自分を投じ、さらに人間関係などで「怠けない外圧」を作ることで、目的を達成するための継続環境を作ったって事です。

 

「成長のるつぼ」に身を投じさえしたら、流れに身を任せたり、トレーナーに身を任せて、なんとか続けていれば、身体が出来て来る。

 

そしてある程度筋肉がついたら、皆にこう言われる。

 

「すごいね~鍛えるのって根性いったでしょ~すごい根性あるね~」

 

実際は、自分の意思は最初だけ、あとは、「成長のるつぼ」が、自分を強引に成果に連れて行ってくれたってだけなんだけど・・・

 

まあそれが人間デスわ。

 

人間の成長のだいたいの所は、そんな感じ。

 

ほとんどの人は、環境がつくりあげてくれた成果を、自分の努力みたいに説明しているだけです。


で、私はソノリテを、その「成長のるつぼ」にするつもりでいました。

 

この「成長のるつぼ」を作る事が、「社員の成長」を理念とした会社として、ソノリテが行ってきたことの一つで、ありました。

 

だからソノリテは「(未熟な)人が成長できる」組織として「多様性交流」「協調」「挑戦」が出来るコワーキング(コロケーション)を、やっていました。

 

簡単にいえば、未熟な人と成熟した人に、同じ場所で働いてもらって、良質な共鳴が起る事を期待していました。

 

  • 未熟な人が、「なんとなく、俺も一生懸命働かないと、怒られるな。恥かしいな。カッコワルイな」
  • 成熟した人が、「あ、あいつ未熟だな。俺が引っ張ってやろう。引っ張ってやる俺カッコイイな。俺の成長にもなるしな」
  • 多様な存在が、多様な「長所」を感じ合い、それを引き出し合うことで、「成長する、させる」を楽しむ

 

そんな、性善説に基いた、感情の交流の場所。

 

そういう「社員の成長(の場)」

 

そう。今までのソノリテは、そういう「場所」を目指していました。


図「今までのソノリテは「場所」でした」

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しかし、

 

これは、言い方を変えると、ソノリテは

 

 「未熟な人をあえて採用する」

 

という戦略“も”とっていた、と言えます。

 

なぜならば、「未熟からの成長」あるいは「未熟な人を成長させようとすることでの自分の成長」が、理念に基づいた目的と言えたからです。

 

で、さらに、もうちょっと解説しておくと

 

ここで言う「未熟からの成長」あるいは「成長させようとする自分の成長」は、どんな「成長」の定義なの?という話なんですが、

 

これが、どんな成長像かと言えば(これはあんまり言語化したくないんだけど)

 

  • 自分の殻を打ち破れず頑なだった人が、多様な人達と一緒に働くなかで、多様な考え方を認め、取り込み、成長する
  • 組織で働く事が出来なかった人が、人を動かすために成長したり、人から求められるモノを持っている人になるよう成長する
  • 組織で仕事をする中で、コミュニケーションや共鳴に関する哲学を学び成長する。
  • 凡庸に生きていた人が、挑戦し成長する

 

そんな感じ。

 

こんな風な人間像への成長の場を、形作るべきだと考えていたわけですね。

 

ですから私はソノリテを(未熟と成熟の)多様性交流の場として形成し、それを挑戦的社風に導いていこうと、私は頑張ってきた。わけです。


そう。頑張ってきた。


それも含めた事を、入社時の会社説明会

 

  • 多様性交流における精神的成長
  • 協調における立ち位置と強みの発見
  • 挑戦を強いられる社風による修練

 

と、説明してきたんです。


これを

 

「優秀じゃない人をワザと入社させて、育成しようとしていたの?」

 

って捉える人もいるかも、知れないけれど

 

いや、だから

 

こう言っちゃあ悪いけれども、

 

若い人は未熟だし、若くない人も未熟。

 

みんな未熟。俺も未熟。

 

みんなですね、どこかしら未熟じゃないですか。未熟者ですよ。

 

だからね、対象は全員です。全員でした。

 

それが、今までの話。


で、これはもう、やめます。

 

「(未熟と成熟のコロケーションに寄る)育成の場」は、やめる。

 

 

■「多様性のるつぼによる育成」をやめます

 

育成はやめる

 

だって在宅勤務じゃぁ、「るつぼ」なんて、作れないよ。

 

解説、いる? いらないよね?

 

未熟と成熟が、オンライン会議なんかしたところで、成長なんてしないよ。通信教育で空手を習ったって、強くならないでしょ?それと同じ。

 

これからの社会は、人間と人間のディスタンスが保ちやすくなるんだから、強制力のある「るつぼ」なんて、作れない。

 

それに・・・ というか、だから・・・

 

これからは世の中に、さらに独りよがりで未熟な人が、どんどん増えますよ。

 

これはまあ、仕方がない事です。文明とのトレードオフだから。

 

まあいいか、その話は。・・・


なにしろ「多様性のるつぼによる育成」は、やめます

 

自分が未熟だと思っていなくて、ほっておいたら成長しそうに無い人も、今までは育成しようと思っていたけれど、正確には「そういう場」を作ろうと思っていたけれど・・・もうやめます。

 

言葉の定義だけ、拾うと

 

  •  「成長」(を理念にした事業や経営)は、続ける
  •  「育成」は、やめる

 

って感じです(これはあくまでも言葉の定義だけの話ですが)

 

その事について、引き続き説明します。

 


■在宅勤務試行期間にて、わかったこと

 

「育成をやめる」という判断は、今回のコロナ禍で、当社で3月から始めた「緊急事態宣言下における在宅勤務許可試行」の結果に基きます。

 

なぜ試行かというと、世の中が「シャットイン経済」型に強くシフトしていく事を念頭に置き、私達ソノリテは自社を、シャットイン型の働き方改革ロールモデルを作りたいと考え、コロナ禍を機会に、在宅勤務型への変化を実現する前に「試行」しておき、ポイントをあらっておこうと考えたわけです。

 

だってこれからは(少なくともITエンジニアやデザイナーみたいな、パソコンとクラウド環境さえあればどこでも仕事が出来る人なら)、毎日満員電車に乗って職場に行くなんて、もう、やりたくないでしょ?

 

そんなこと(満員電車での通勤)を課す会社のほうが、旧世代って感じでしょ?

 

しかも毎日だよ!そんなの、ただのロスだよ。古臭い根性主義だよ。

 

で、ソノリテでは3月に入って、事情事態宣言が出る2週間くらい前から、希望者と議論し在宅勤務を試行的段階的に許可して行きました。

 

許可には社長である私、齋藤との面談が必要で、希望者は様々な項目(例えば「在宅勤務時間中、どうやって公私の区別をつけるのか」など)を自分自身で設計し、齋藤に説明する必要がありました。

 

そしてこの「在宅勤務の設計」ですが、社員の皆さんはキチンと設計し、と~~~ってもメンドウクサイ私とのレビュをちゃんとやり、4月中盤を待たずして、ほぼ社員全員が在宅勤務を行う形が形成されました。

 

で、その後ですが

 

在宅勤務を行っている社員が、いろいろな感想を持ち、私に報告してくれました。

 

例えばこんな感想です

 

  • a)在宅勤務のほうが、集中して仕事が出来る!
  • b)在宅勤務だと、ストレスが少ない!
  • c)在宅勤務だと、仕事をやりすぎちゃう!
  • d)在宅勤務だと、力が抜けない!
  • e)在宅勤務だと、どうしても家族に仕事を邪魔されちゃう。
  • f)在宅勤務が続くとコミュニケーション少なくなるからチームでオン呑みやってますよいぇーい

 

これらが、私が良く聞いた「感想」の例です。

 

それぞれに、とてもポジティブな感じです。

 

時に日本人特有の「褒められたい事を、シニカルに説明する」みたいな遠慮も含みながら、色々な表現で、私に「感想」を伝えてくれました。

 

基本。ポジティブ。でした。

 

でも、世の中は、光あるところに影が有る。

 

ポジティブな感想が報告される裏面は、以下のような深層心理も存在すると、私には感じられました。

 

  • A)会社では、会社に8時間いる事が仕事だったけれど、自宅で8時間も、やることがないよ。逆に言えば会社にいた8時間って、無駄な事ばかりだったんじゃないか?つまり自分が会社で8時間やっていたことは、自宅ではせいぜい数時間やれば終わってしまうんだから、と言う事は、8時間のうちの余剰時間は、自分が自宅でまったりしていたりゲームをしていても、問題のない、正当な時間なんだよ
  • B)今やっているタスクが終了したら、何をやればいいんだ?自分で仕事を考えろって言われても、限界があるぞ。会社に居た時には、なんとなくプロジェクトの空気を察して、自分で役割を作ることが出来たが・・・会社の指示を待つ形で、なんとか正当に、この快適な在宅時間を業務ということにしたい
  • C)こんだけ自宅で仕事出来るんだったら、俺って本当に会社に所属している意味あるのか?というか会社って何なんだ?


そんな感じ。

 

そんな深層心理が感じとれました。


で、このような試行結果の印象に基づき、いろいろと考えたわけです。

 

そして私は

 

a)b)c)d)e)A)B)C)の「感想」をもたらす源泉と、その答えは

 

  • 「そもそも会社って、組織ってなんだ?」
  • 「そもそも社会人ってなんだ?」

 

という所に立ち返って哲学するべきなのではないかと、考えるに至りました。

 


■(ところで)なぜ会社に就職するか?

 

それで、まあ

 

  • 「そもそも会社って、組織ってなんだ?」
  • 「そもそも社会人ってなんだ?」

 

ってのを考えなおすのに(ちょっとコロナ禍から離れます)、「なぜ、会社に就職するか」って話を考えてみたらいいのかな?と思ったんで

 

いったん3つ定義してみます。

 

定義:「人はなぜ会社に就職するのか?」の3種類

 

  • 1)自分はまだ「一人立ち」出来ない「未熟者」なので、いったん「弟子入り」をする。それが就職だ!という考え方
    (例えばマンガ家のアシスタントになるような考え方)
  • 2)一人では「大きな仕事」が出来ないので、「組織に所属」することで、「大きな仕事」の恩恵を得る。 それが就職だ!という考え方。
  • 3)社会に出て働かされているうちに役割が出来て社会人と呼ばれるような人になるんじゃないか。それが就職だ!という考え方

 

こんな感じ、こんな考えが「会社」「就職」なんじゃないか?そんな風に考えました。


それと、「多様性組織」における「成長」というソノリテ経営理念に対し、自分が社員をどう考えているかも、いったん4分割で考えてみました。

 

つまり「成長のるつぼ」には、様々なGIVERやTAKERが存在し、それがどんな「るつぼ」になっているのか?を4種に分けてみる。

 

  • ①(自分にとってソノリテは)GIVEが少なくTAKEが多いと思っている社員
    「この会社っていろんな人がいて色んな事が出来そうで面白いな~自分のような人間を組織に入れてくれたのはありがたいな~これから頑張って色んな人と話をしてみていろいろ成長しよ~」みたいな社員

  • ②(自分にとってソノリテは)GIVEも多くTAKEも多いと思っている社員
    「自分はソノリテにおける仕事のプロだし、他の社員を助けられる。逆に他の社員にも助けられることもある。この組織にはいろいろな人がいて刺激的で、自分の器を広げるのに役に立っているし、自分の考え方もこの組織には必要だと思う」みたいな社員

  • ③(自分にとってソノリテは)GIVEが多いがTAKEが少ないと思っている社員
    「自分はけっこう他の社員を助けているし、組織内で話しかけられる事も多い。逆にこの組織が私に何かをしてくれているかと言えば特にない。プロとして割り切って仕事をしてあげている。」みたいな社員

  • ④(自分にとってソノリテは)GIVEも少なくTAKEも少ないと思っている社員
    「この組織でまだ自分が本気になれる仕事がみつかっていない」と考える社員

 

この四種。

 

で、ですね。

 

この「社員の4種類」と「就職理由の3種類」

 

  • 1)自分はまだ「一人立ち」出来ない「未熟者」~
  • 2)一人では「大きな仕事」が出来ないので~
  • 3)社会に出て働かされているうちに~

 

これらを、さらに掛けあわせてみる。

 

そうすると見えてくるものがあるんです。

 

そしてここで、「るつぼによる育成」というテーマに戻ります。

 

「組織が育成」するのだから、組織からすると、育成の目的は

 

「(組織への)GIVEが少ない人を、GIVEが多い人に育成する」

 

って事です。

 

つまり上の分類でいうと、①か④の人をどう育成するか?って話。

 

そして組織とはGIVE&TAKEの集合ですから、①か④の人をどう育成するかといえば、①の人は「まだGIVE出来ていないけどTAKEが多い」と感じてくれているのだから、この人はきっと②や③の人からうまく色々な事を吸収していくのだと思うんです。

 

だから会社としては①の人を育成するためには、多様性集団のコワーキング環境を提供し、②や③の人と同居させていれば良かった。

 

で、問題は④の人です。④の人が「TAKEが少ない」と感じている理由は以下のようなモノではないかと思います。

 

  • 積極的に人とコミュニケーションが出来るタイプではない
  • 受け身体質あるいは他責的である(自分を育成するのは組織の責任だと思っている)
  • (本人の自覚があるなしに関わらず)嫌われている


で、この④の問題ですが、齋藤としては「3)や④」の人間像、

 

つまり

 

  • 社会人やってりゃいつか役割できるでしょ
  • とはいえ自分からはガッツキませんけどね。

 

みたいな感じの人間像。

 

このような考え方は、比較的、現代の日本人にとって、わりとスタンダードな考え方なんじゃないかと思うんですよね。

 

誰だって他責的に生きたいし、受動的でいたい。自分からリスクを背負って何かを始めるなんてことを考える能力が、自分にあるとは思えないし、

 

日本の法律は労働者に過保護だから、わざわざ一生懸命に何かをやらなくても、大きな失敗さえしなければ、生きていける。

 

私からすると、すごく残念で平凡な考え方だけど、でも残念ながら、それって日本の凡人のスタンダードだと思うんですよ。


だから【ここ最重要】ソノリテという会社が「社員の成長」の前提としていた(過去形)考え方として

 

  • 他責的で受動的で大多数な日本人つまり「3)や④」が
  • 多様性組織というコワークの中で、②や③の人に影響を受け
  • いつしか①に変わったり、目的を見出して1)を目指す

 

みたいなモノがあり、

 

さらに

 

  • 「3)や④」のような存在が身近におり、それを「何とかしよう」と考えてくれる「1)2)を率いる②③」 が、
  • その経験を通して成長する(ことを期待する)

 

と言うような事も、ソノリテという組織には設計されており、それがして「多様性のるつぼが社員を成長させる」というモデルとしていたわけです。

 

そしてその「るつぼによる育成」に、多くの優秀な社員の皆さん、特に②③の人が
寄与してくれていました・・・


ですが、

 

この「(②③による3)や④の育成(を主眼とした組織への参加)」は、当然ながら、顕在化した「タスク」をこなせばよい在宅勤務では、実現できない。

 

そしてそれが(②③の人にとって、「育成しなくて良い」から)在宅勤務は「生産性が高い」と感じる結果に落ちた。

 

逆に言えば「出社」は、「間接的育成」に参加しなけばならなかったから、生産性が低かった。それが

 

  • a)在宅勤務のほうが、集中して仕事が出来る!
  • b)在宅勤務だと、ストレスが少ない!
  • c)在宅勤務だと、仕事をやりすぎちゃう!
  • A)会社にいって8時間座っていれば仕事だったけれど、自宅で8時間もやることがないよ。
  • B)今やっているタスクが終了したら、何をやればいいんだ?自分で仕事を考えろって言われても、限界があるぞ
  • C)これって本当に会社に所属している意味あるのか?

 

こんな風な、社員の感触に、腹落ちした・・・

 

 

■(余談)「るつぼによる育成」とビジネスモデルとの関係

 

ここでちょっと余談。

 

そもそも「多様性組織(のコワーク)による成長」には、ソノリテの経営戦略上の打算がありました。

 

ソノリテは大企業を相手に直接取引(下請けをしない)というビジネスモデルを強みとしています。というかこの強みを創り上げました。

 

そしてこの強みを実現する為には、大企業の資材部サーベイを通過し基本契約を結ぶための、いくつかの課題があるのですが、

 

その代表的な物としては、特定分野の強み(特命発注の理由)と、ある程度の企業規模が必要です。

 

いくら優秀な企業であったとしても、例えば社員数10名以下で、本社が社長のマンション というような登記の会社では、大企業との直接取引は出来ません。ある程度の企業規模を必要とします(今後この傾向は強まるでしょう )

 

ですので私は、ソノリテを早期に、ある程度の企業規模まで拡大するために、一案として「3)や④」の人財を組織に取り込み、それらが成長していく組織モデルを作りこむことを考えました。

 

かつその活動は「働き方改革」などのビジネス分野と相性が良いものとして形成することが出来た(社員のモチベーションやエンパワーメントをどうやって活性化させるかというテーマにすり替えて事業力化出来た)。

 

というのが、今までのソノリテのモデルでした(過去形)。

 


■しかし、捨てる

 

で、この「3)や④」を育成する「(未熟と成熟の共存による)育成」を、捨てます。

 

だって先ほど書いたように、優秀な社員の皆さん「1)2)②③の人」が、気付いてしまったんです。

 

  • a)在宅勤務のほうが、集中して仕事が出来る!
  • b)在宅勤務だと、ストレスが少ない!
  • c)在宅勤務だと、仕事をやりすぎちゃう!

 

って、気付いてしまった。

 

今さら「メンドクサイ」ですよ。育成なんて。

 

わざわざ満員電車に乗って、やる気のない「3)や④社員」を、育成させられるのなんて、まっぴらゴメンでしょ?

 

今まで自分がどれだけ、他の社員とのコミュニケーション(いわゆる人間関係)によって仕事の邪魔をされ、他の社員と「コワーク(人の集団)の中で、人間関係をうまくやること」に時間を割かれ、育ててあげようとしている社員の失敗にヤキモキしたり、顔色をうかがったり、時にモチベーションを上げる努力をしてあげるような、そういった配下や組織の育成に、自分がどれだけコストを費やしていたか、気付いてしまった。

 

だって俺だって同じこと思ってるもん。

 

ああもうこのまま、やる気のない社員は会社来なくていいよ~ って。

 

もうダメですね。

 

社員における「るつぼ参加」のストレスは、私が「共存による育成」として「3)や④」を育てるために、無理やりに創り上げた、いわばカオスであったわけですが、

 

これからはもう、優秀な人は、優秀じゃない人と、「同じ釜の飯」は喰わない。喰ってもらえない。

 

だって、世の中はソーシャルディスタンスをとるのが正義、「密着」は悪。となりました。

 

離れるのが正しい世の中。

 

ですので、もう当社は、「(つるぼによる)育成」は捨てます。

 

完全に捨てます。

 


あ~あ。

 


苦労して作ってきたんですよ。このコワーク環境を。

 

いろんな多様性がありました。ケンカとか、トラブルとか、いろいろあったんです。苦労しました。(そのおかげで我々経営者も社員以上に成長しましたけどね・・・)

 

でも、アッサリと捨てます。

 

「育成することによる(育成者側の)成長」も、残念ですが、捨てます。

 

だって出来ないもん。在宅勤務じゃ。

 

 

■私は「在宅勤務」を前提に、皆さんを雇ったわけじゃない。

 

さて「どうやって、捨てるの?」ですが、

 

先に書きましたが「未熟な人が成長できる」組織として「多様性交流」「協調」「挑戦」出来るビジネスシーン(実際はコロケーション)を作ってきたのを、捨てる。


新しいソノリテは「成熟した人が」「さらなる成長を求めるなら」、「多様性交流」「協調」「挑戦」というビジネスシーンが、ある


あるいは会社が社員に「多様性交流」「協調」「挑戦」を提案してくる。

 

そういう会社に、変えます。


「るつぼ」じゃ、無いんでね。もう

 

ボーっとしてたら、「ボーっと生きてんじゃねぇよ!」と、誰かが言ってくれるような、密結合な組織は、もう、作れないんで。「密」、まずいんでね。

 

だから、基本的にGIVERか、GIVERになろうとしている人(つまり①②③)しか、もう、当社では成長出来ないです。

 

現状で「3)や④」に留まっている人を、「成長させようとする事で自分が成長する」という役目も、リモートじゃ難しいと思います。相手に逃げ場が出来ちゃうんでね。

 

だからもう、基本的には、「3)や④」に留まっている人と、GIVERとの給与格差等がどんどん大きくなる、「3)や④」に留まっている事が息苦しくなる。そんなスタイルの会社になります。

 

そこはもう、ドライに、そうします。

 

「3)や④」の人に、今までもチャンスは与えてきましたが、もう、終わりです。

 

TAKEが無く、GIVEばかりの姿勢の人が、社会の変化時期に、必要な人財であるハズがないのです。

 


■また余談。コロナ禍は多様性統合力の将来性に疑問を持たせる

 

それと・・・ちょっとオマケ的な話ですが・・・

 

「(未熟な人を)成長させようとする事で自分が成長する」という役目・・・というか能力育成の話なんですけれども

 

今後のビジネスシーンで「多様性組織の統合能力や対応能力の価値」が、短期的に、社会的価値が上がるのか?価値が下がるのか?と言う点において、私は今、可能性が見えなくなっています。

 

世の中は、短期的にはドメスティックに切り替わる可能性があると思います。「鎖国文化」のような感じです。それが優位になる可能性があります。

 

そして日本人は「鎖国性」に強く、「鎖国性の民族」だとも思います。ガラパゴス大好きです。

 

そしてその「鎖国性」における「同質性重視」「世間体重視」よってコロナ禍に勝つ可能性があります。

 

「ニッポン人って命令や罰則が無くても自粛しちゃうすっごいオモイヤリのある国民性だよね~」みたいなのが、強化される。

 

もしそんな感じの未来になったら、そうなると「多様性対応力」の社会的価値感が・・・

 

だってほら、今だって例えば「他県ナンバーの車を排斥する自粛警察」みたいなのが・・・

 

・・・なんで急にこんな話をし始めたかと言うと、まあ、理解できる人にだけ理解してもらえれば良いので、この話はこれ以上は書きません。

 

ちょっと、なんと言うか、環境に対して後ろ向きな話になるし。

 

 

■勤務時間管理を捨て、リモートワークを完全解放します(ただし旧来型もあり)

 

さて、変化対応の話に戻ります。

 

多様性のコワーキングを前提とした「育成」を捨てると同時に、世の中の変化をポジティブに捉え、より「働きやすい」ソノリテに進化するために。在宅勤務を含めたリモートワークを正式に大きく取り入れます。

 

今までのソノリテは、労働基準法に則る形で、従業員の勤務時間を管理し、「出勤、退勤、遅刻、残業、休日労働」などを適法に運用してきました。

 

が、これからは誰がどこでどんな時間にどのように働こうが、完全に許容します。
(健康管理的な意味では適法性を遵守しますが)

 

もう、基本的に出社だ!とか、満員電車に乗れとか、遅刻すんなとか、残業すんなとか、そういう事から皆さんを解放します。

 

今までは、なんとか「3)や④」を育てるコワーキングを実行する組織とするために、共鳴の場としてオフィスを位置付け、定時のような概念で、人のるつぼを作ることに、むしろ積極的になっていました。

 

ですが、当社のようなクリエイティブ重視、イノベーション重視の会社にとって、もともと「管理」自体が相応しくありません(管理しないと働かない「3)や④」の存在を除けば、です)

 

よって概念的な勤務時間管理を捨てます。概念的な意味で裁量労働制をとるように変えます。

 

いつ休もうが、いつ働こうが、どこで働こうが、自由にします。

 

その人の真価は「成果」のみで計ります。

 

ですが、

 

例えば以下のような働き方で「(成果よりも)勤勉であることを評価して欲しい」と考える人もいるでしょう。

 

  • 仕事があろうとなかろうと、決まった時間キチンと勤務し、それ以外の時間について干渉されたくない(ワークライフバランスのけじめをハッキリつけたい)
  • 働く場所を固定したい。その場所を一歩出たらオフタイムだと認識してもらいたい。
  • 自分には「チャンスを産み出す」仕事よりも「タスクをこなす」仕事のほうがあっている

 

上記のような働き方を望む人の存在も、組織としては非常にありがたいのです。

 

ですがこのような人にとっては「完全に自由でいいが成果で評価する」と言われるとあまり嬉しくないはずです。

 

IT分野で例えてみると、システム運用、保守、コールセンターなどで、「イベントドリブン型の業務」で、顧客満足を上げてくれるような人。

 

これらはすべてとても大事な仕事であり、定時間内、一定の品質をもって業務してくれることが大切です。

 

そういう人は、派手な成果を出すような事は出来ないかも知れませんが、会社の基本的な信頼度や高品質を産み出す事などが出来ます。そしてそういう業務は派手さよりも「勤勉、まじめ、正確、几帳面、ストイック」な人が適しています。

 

組織が事業の継続性を高めるためには「勤勉な人」がとても重要です。みんながみんな「発想型自由人」じゃ、組織やサービスは成り立たないんです

 

逆の言い方をすれば、例えばシステム保守系の仕事をしている人が、「いつ、どこで、どんなふうに仕事をしていてもOK」みたいなことが、本質的に適しているとは私には思えません。

 

したがってそのような仕事が自分には合っていると考える人にとっては、「定時間:決まった業務場所」における「行動のコミット」こそが価値であるから、「出勤、退勤、遅刻、残業、休日労働」の管理に応じていることに対する対価こそが、その人の真価を表すものとなるでしょう。

 

よって今後ソノリテは

 

  • 成果主義的に働く人(働く場所、時間、自由)
  • 労働時間評価で働く人(在宅等は固定時間を約束)

 

の2通りの働き方が選べるようにします。

 

そしてこの2通りを一つの会社の中で実現する為に、基本的な雇用契約のスタイルとして、以下の3通りが選べるように変えます。

 

  1. 会社に人生を賭けたい人
    ガッツリソノリテ!事業にフルコミット!
    仕事こそ人生!会社の中枢。高プロ執行役員、子会社社長タイプ

  2. 自由に働きたい人
    働く時間や副業なども自由にしたい!
    自由こそ俺、俺を縛るな!フリーダムタイプ

  3. 真面目に働きたい人
    与えられた仕事は決まった時間でキッチリ捌く!
    頼れるスーパーサブワークライフバランス重視タイプ

 

詳しくは、7月の定期職制改正に間に合うよう準備する・・・予定でしたが・・・法令適合などを厳密に行ってから施行する関係上、今年は定期職制改正を10月にシフトする可能性があります。7月に間に合わなかったらゴメンなさい。というか遅れます。超遅れても年内には絶対やります。

 

すべての選択肢をきちんと準備したうえで、説明会等を開き、社員一人一人の希望と業務内容等を調整しながら、個々人が「新しい働き方」にシフトできるようにしていきます。

 

 

■大きいオフィスは捨てます。

 

さて「コワークによる育成をやめる」と「成果主義的に働くか、労働時間評価で働くかを選べる」ようにし「リモートワークを完全解放」したら、オフィスを小さくします。

 

これはもう、理由はわかりますね。リモートワークなんだし、未熟と成熟のコワーキングも、もうやめるから。

 

つまりオフィスの位置付けが変わります。

 

  • 独立したプロフェッショナル達が、時々コワークしたくなった時用にオフィスを使うとか。
  • 新型コロナのような感染症に強いオフィスにするとか
  • 労働時間評価で働きたい人用にオフィスをチューニングするとか
  • 秘匿性の高い物理資料を保管しておく場所を中心にセキュアに働ける場所にチューニングするとか
  • お客さんを呼ぶのに相応しい場所にするとか

 

オフィスの存在価値が、そのような質に変化します。

 

という事で、本社は引っ越しします。

 

年内に本社移転します。これは確定。

 

オフィスのサイズは今よりも小さくします。でも、「オフィス要らないから、安いオフィスでいいよね」と言う事には、しません。

 

ソノリテの新しい「進化」を感じられる、哲学とプライドに満ちた、新しい概念の「オフィス」を社員の皆さんに提供します。

 

お楽しみに。

 

まだ本社移転して2年しかたたないのに、もう引っ越しします。我ながら、激動だなと。

 

が、引っ越しが楽しみなオフィスになりますよ。

 


■関西をどうするか?

 

また、オフィス戦略については関西支部をどうするか?という点もあります。

 

関西支部については今、以下のようなステージにあります。

 

  • すでに西日本にロイヤルカスタマーを作っているし、その数を増そうとしている
  • 関西拠点で働きたい仲間を増やそうとしている
  • 若手による独自戦略独自採算の先行モデルになろうとしている

 

上記のような成長初期局面にある為、今年は今のカタチを無理に変えず、例えばオフィスを解約し完全在宅を進めるという事をまだ行わず、もう少ししっかりと根が生えてから、ドラスティックなステージに移行してもらおうと思います。

 

西日本に本社をもつお客様にとって、私達が「関西に拠点をもっている会社なのか?」は、今までは、重要なファクターでした。

 

それが今後、「リモートワーク重視社会」になって、変わるのか?変わるとしたらどのように変化するのか?そのあたりを見極めながら、今後戦略に落としていこうと思います。

 


■「場所」ではない、新しいソノリテとは?

 

はいここまでで、新しいソノリテは

 

  • 事業「IT」「メディア」「働き方改革」は変えない
    (ただしシャットイン経済に向かっていく)
  • 「多様性交流」「協調」「挑戦」による成長は変えない
  • リモートワークは本格導入する
  • コワークによる育成はやめる
  • 大きいオフィスは捨てる

 

と、いうような事をお話してきました。

 

で、トータルで「(成長のるつぼという)場所」だったソノリテが、今度はどんなものになるの?っていう話をします。

 

図「ソノリテは場所だった」

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場所


ここまでで、なんかモヤッとする部分として、

 

  • 「多様性交流」「協調」「挑戦」で成長と言いながら
  • (未熟と成熟の)コワークによる育成はしない

 

ってのが、ようするにどういうこと?ってお話です。


そこでもう一度、会社や就職ってなんだ?っていう話にもどします。

 

これです

 

  • 1)自分はまだ「一人立ち」出来ない「未熟者」なので、いったん「弟子入り」をする。それが就職だ!という考え方
    (例えばマンガ家のアシスタントになるような考え方)
  • 2)一人では「大きな仕事」が出来ないので、「組織に所属」することで、「大きな仕事」の恩恵を得る。 それが就職だ!という考え方。
  • 3)社会に出て働かされているうちに役割が出来て社会人と呼ばれるような人になるんじゃないか。それが就職だ!という考え方

 

上記に対し、今までのソノリテ(場であったソノリテ)は、

 

  •  1へのアンサー)弟子入り出来る“場所”
  •  2へのアンサー)組織に所属出来る“場所”
  •  3へのアンサー)働かされる場所“場所”

 

として、「就職したいニーズ」に対して「場所」という概念で答えてきました。

 

雰囲気を言語化すると

 

「うちの会社って、なんとなく面白そうな人が沢山いるし、下請けじゃない仕事をしているみたいだし、現地常駐じゃないし、私服OKだし、ゲームなんかも作っている面白そうな会社(場)だなぁ。この会社(場)に入れば、自分のやりたいことも見つかるかもなぁ」

 

って感じです。

 

そんな雰囲気の会社を目指して、そんな組織を創り上げようとして来ました。


それを、これからは


 これからは!


  これからは!!キラーン!


   これからはぁぁぁぁぁ!!!!!!

 

     「共鳴装置」

 


という発想に切り替えます

 

図「これからのソノリテは「共鳴装置」」

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共鳴装置

 

   共鳴装置キタ――(゚∀゚)――!! <懐かしい

 

 

共鳴装置が目指す物は、

 

「場所の共有」による自然発生的なチーミングや助け合いに期待せず、会社(経営者や執行役員、子会社社長)が、積極的にメンバーアサインやプロジェクト創成の役割になり、会社内の共鳴を生み出していくという形です。

 

今まで「育成の場所」であったソノリテは、同じ空間で課題を分かち合い、自主的な助け合いやチーミングが発生することを期待していました。

 

が、社員は反面、同じ空間、同じ時間の共有が必要で、かつ「人間関係をうまくやる必要がある」という煩わしさもありました。

(私はその煩わしさを成長の原動力の一つとしていたというのは今まで解説してきた通りです)

 

新しい会社の概念である「共鳴装置」は、社員に以下のような「多様性交流」「協調」「挑戦」をもたらします。

 

  • 1へのアンサー)
    “共鳴装置”が、弟子入り出来る“仕事”や“同僚”をサジェスト(人によっては指示)してくれる
  • 2へのアンサー)
    “共鳴装置”が、社員が所属するに好ましい業務内容の“業務”をサジェスト(人によっては指示)してくれる。
    社員は“(コロケーション等による)人間関係”に煩わされる事なく、“業務”との相性のみで組織に所属できる。
    リーダーシップなどで組織に大きく貢献することを目指したい場合には、“共鳴装置”に加わっていくというキャリアプランとなる。
    組織運営に興味がないが“業務のプロフェッショナル”として技術を磨いていきたい人に対して、会社は“自分に適する仕事を振ってくれる共鳴装置”として機能する。事業をスケールさせる役割は“共鳴装置”が受け持つ
  • 3へのアンサー)
    なし
    強みや主体的行動をとらない社員に対し“共鳴装置”はポジティブに機能しない
    (ただただ評価が下がっていく)


こんな感じです。これが共鳴装置。

 

図.「場」から「共鳴装置」へのシフト

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シフト


“共鳴装置側”の体制としては、先ほど、「働き方を3つにわけます」としたなかで

 

  1. 会社に人生を賭けたい人
    ガッツリソノリテ!事業にフルコミット!
    仕事こそ人生!会社の中枢。高プロ執行役員、子会社社長タイプ

 

と表現したメンバーが該当します。

 

このメンバーと経営が、共鳴装置の中の人になり、経営会議等のカタチを取り、事業内のヨコの連携(共鳴)を高度に担保しながら、多様な雇用形態や性質の社員と連携(共鳴)し、会社を推進していきます。

 


■“役職、組織廃止”じゃ、なかったの?

 

この辺で、感の良い人が、こんな疑問を感じられるのではないかと・・・

 

あれ?ソノリテって“役職や組織を廃止する”って言ってたよね?

 

これって単なる執行役員制の会社運営じゃないの?

 

仕組み的には上意下達型組織なんじゃないの?

 

ぜんぜんフラットじゃなくね?

 

という疑問。

 

そう。そんな感じ。半分アタリで、半分ハズレかな・・・

 

でも感覚的には「フラット、やめます」って、言いきっても良いデス。

(だからといって年功序列とか、年長者には敬語使え!とか、そういう事をやりたいわけじゃない)

 

あ、あとですね。

 

今年の年頭挨拶で、

 

【年頭挨拶】

年頭挨拶 - saitoukazumasaa’s diary


で、わたしは

 

 「私は事業の牽引役からは降ります」

 

と、言っていました

 

言っていましたが、今回「共鳴装置」とかなんとかいって、また「事業の推進」に、舞い戻ろうとしていますね・・・

 


■全員がフラットに在宅勤務をすると、難しい事がある

 

在宅勤務を始めた社員が

 

  • a)在宅勤務のほうが、集中して仕事が出来る!
  • b)在宅勤務だと、ストレスが少ない!
  • c)在宅勤務だと、仕事をやりすぎちゃう!

 

という感想をもったと、先に書きました。

 

なるほど在宅勤務は「集中してタスクをこなす」という事には、とても向いている可能性があります。

 

が、では「在宅勤務が向いていない事」は、いったい何なのか?

 

「わかっているよ齋藤、お前がさっき言った、“未熟な人を育成する”ってのが、出来ないんだろ?」

 

はいはい。確かにそうですが

 

まあでもそれは、要するに未熟な人が問題なんですけどね

 

未熟じゃない人でも「在宅勤務だと難しい事」が、あります。

 

答えはめっちゃ簡単です

 

超、簡単です。


答えは「出逢い」です

 


■在宅勤務では、出逢えない。

 

これってめっちゃ簡単ですよね?超あたりまえですよね?

 

だって家にいるんだもん。

 

家にいるんだから「出逢い」は難しい。


まあでも「出逢い」っていっても、もちろん「出逢い系サイト」みたいな話じゃなくて

 

  • 新規顧客に出逢う
  • チャンスに出逢う
  • 偶然解決策に出逢う
  • 偶然出逢った人にインスパイアされる
  • 友達にはいないタイプの人と出逢う

 

みたいな話。

 

「いやいや家にいたって出逢いはあるよ。ネットがあるんだからね」

 

みたいに思った人は、私が常々話題にする「フィルターバブル」という言葉を調べて
見てください

 

■フィルターバブル(Wikipedia

ja.wikipedia.org


ようするに、在宅勤務は

 

  • 既知のタスクをこなす業務に適する
  • 未知のサムシングに出逢うのに適さない

 

だから、

 

  • 基本的に今までと同じことをやっていけばいいなら、在宅で良いけど
  • どんどん色々な事に「挑戦する」ための偶発性を作るのは、難しい

 

って事に、なります。


例えば、新しい仕事を見つけたり、新しいアイデアを形にしようとしたり、あてもない目的もない雑談のようなものから、何かのヒントやチャンスを見出したり。

 

ようするに、

 

  • ネットを探しても答えが無いような、
  • メンターやロールモデルが期待できないような、

 

そういうことは、巣ごもり業務では出来ない。やりづらい。
(しかし、そういう世の中になっていく。)

 

そこで、そのような「出逢い」を、会社と言うコミュニティの中で能動的に与えて行く、それを中央から行う機構を“共鳴装置”としようと考えているわけです

 

私を含む共鳴装置の中の人が、事業や組織(というより独立した個)のヨコの連携(共鳴)を設計し、高い視座から、多様性経営を推進する事で、

 

社員は人間関係の煩わしさではない部分で、未知なる領域への挑戦や多様性に対する出逢いを受け取り、成長することが可能になります。

 

“共鳴装置”では、全社員の給与レベルなども共有、社員全員の成長を高い視座で見通しつつ戦略を推進します。
(そしてその後、共鳴装置はホールディングスという経営スタイルにシフトしていきます。)
  
また、軽い話でいうと、共鳴装置は“全社会議、全社パーティー”など、社内外の交流も企画していきます。
(もちろん飲食等の自粛を気にしなくて良い世界になってからですが)

 

今までソノリテは、「場」は提供していましたが、「行動」には自主性を期待していました。

 

自主性尊重の観点から「会社が社員に指示をする」とか「会社が企画し、社員が参加する」というような主従関係を極限までフラットにするために、全体呑み会みたいな会合はある時期から行っていませんでした。

 

が、これからのソノリテの“共鳴装置”は、疎 な結合状態(コワークしない)にある社員の皆さんに良質な出逢いを提供する為に、共鳴装置主導で様々な企画(時に指示)を行っていきます。

 

これが新しい組織変更「場」から「共鳴装置」へのシフトです。


また

 

 「私は事業の牽引役からは降ります」

 

を、「やっぱり牽引しま~す!」に変える理由もここにあります。

 

私は今年、コロナが無ければ、社員「育成」の観点から、「場」だけを提供し、「コワークの中で産まれる共生における自主的成長」を見守ろうと思っていました。

 

が、これからは能動的出逢い生成機である「共鳴装置」を立ち上げ、急速に育てなければなりません。

 

よってガッツリ介入します。共鳴装置の長であり、一員として。

 

みんな在宅だからって容赦しませんよ。

 

もしかしたら、この“共鳴装置”という枠組みの完成が、私のソノリテの共鳴経営に対する最後の大仕事になるのかも知れないのです。

 

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最後の大仕事

 


■営業のスタイルは変わります。ネットワーク型の露出や受注を強化します。

 

さてここから、「育成」「働き方」「オフィス」「組織」みたいな話題から、事業モデルの話に変えます。

 

私達がシャットイン経済型にチューニングした会社にシフトした場合、いくつか問題が生じます。

 

その一つとても大きなものに「営業どうすんの?」っていう話題が有ります。

 

先に示したように巣ごもり社会は出逢いを減らし、ビジネスでいう最たる出逢いは「営業」だからです。

 

同じことをもう一度言いますが、私達ソノリテの社員数50名程度の小企業ですが、私達の強みの一つとして

 

  • 下請け仕事をやらない。
  • 大企業からの直請け仕事(のみ)をやる

 

というスタイルがあります。

 

私は日本のIT業界における多重請負構造に疑問を感じ、中小企業でも、独自の強みを持ってさえいれば、下請けではなく大企業と直接取引を行えるはずだという信念をもってビジネスを推進してきました。

 

そしてソノリテは

 

  • 全取引直請け
  • ほぼ全てのお客様が上場企業、あるいは相当の企業規模のお客様。あるいは上場企業のグループ企業
  • 下請け仕事なし
  • 現地常駐仕事なし

 

という形で実現出来ています。

 

で、このビジネスモデルに必要な会社の営業スタイルとして「ロイヤルカスタマ―密着型の営業モデル」を行ってきました。簡単に言えば、大企業のお客様に対人営業するモデルです。

 

私達が行ってきた顧客アプローチは

 

  • 大手SIerが密着している大手企業に対し
  • 大手SIerの下請けに甘んじず
  • 大手SIerを突破し、大手企業と直接契約する

 

というモノです。

(微妙な内容なので、これ以上説明しません その1)

 

この「突破」のやり方を、これからは変えなければいけない。

 

なぜならばお客様キーマンの働き方もシャットイン型になっていくからです。

 

これから私達が相対したいお客様のキーマンには、従来のアプローチでは「なかなか会えない」社会になると考えられます。

 

これはキーマン自身が在宅勤務なさっているし、お客様の会社が全体的に営業来訪を禁じる状態になるからですが、

 

この現在の状態は今後文化になり、定着します。(微妙な内容なので、これ以上説明しません その2)

 

これら、微妙な内容その1と微妙な内容その2を掛けあわせると、私達ソノリテが「小企業にも関わらず、大企業と直接取引する」という強みを継続するに必要な新たな戦略が見えてきます。

 

この新たな戦略こそ

 

 「微妙な内容なので、これ以上説明しません その3」

 

となるわけですが、ここはとてもドラスティックな行動変容を必要とします。

 

もちろん営業行為が人中心から、ネットワーク中心に変化していくと言う事なのですが、じゃあ単純に、「システム開発受注もインバウンド営業型にシフトするんじゃね?」とかそういう事ではなく

 

もっともっと新しいスタイルということになります。

 

実は、我々は今まで「会えないお客様に会う」という実績があります。

 

それは、大手SIerが「おかかえSIer」として君臨し、既得権益を振りかざし、小企業の参入を阻んできた「大企業と中小企業の直接取引」ということを、私たちは既に実現してきたということです。

 

普通の中小企業は、「おかかえSIer」の下請けをやらない限り、大企業の仕事は出来ません。が、私たちはやってきました。言うならば、「会えない人に会ってきた」

 

このノウハウをシャットイン経済型にリデザインすれば、実は私たちの事業モデルは、今までよりもさらに優位なものになります。これをやります。

 

しばらくはこの「営業スタイルの改革」が共鳴装置の大きなテーマになろうと思います。

 

 

■社会の変化は当社のチャンス

 

従来、大手企業は大手SIerの縄張り的意識が強かったが、リモートワーク等で顧客キーマン(のうちイノベータータイプの人)がネット上に現れるようになりビジネスチャンスはフラットになるでしょう 。

 

不況時はコスト削減等のマーケットが活況となるが既に下請け構造から脱却している当社は「切られる」心配が他の中小企業に比べ極小です。


もともと「働き方改革」に対し提案力を持つ当社にはシャットイン経済が求めるソリューション力が豊富にあります。

 

この社会の変化に対し当社が軌道修正したいこととは、ビジネスチャンスがフラットであるネット上における営業力向上方法を確立するということです。

 

巣ごもりしているイノベーターにダイレクトに響く提案方法や、イノベーターが欲しがるソリューションを提供する。

 

もともとネットとの相性が良いB2C商品の販売を振り切って実行する。

 

(今までは自主性尊重の観点から会社主導のイベントは意図的に極小化していたが)在宅化等で全体的なコミュニケーション力は間違いなく劣化するので、B2CとB2Bの強制的な交流を図る等の目的から社内イベント等を強化する

 

そんなような事をやっていこうと思います。

 

詳細な解説は省きますが、図だけ、少し貼っておきます。

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今までのビジネス創成(B2B)

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これからのビジネス創出(B2B)

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これからのビジネス創出(B2C)

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B2B、B2C共存企業の意味

 


■そして今後、ソノリテは「こんな人にとって嬉しいソノリテ」に成ります

 

コロナ禍対応みたいな所から話を始めました。

 

そして、だいたいこんな話をしてきました。

 

  1.  これからも期待されていく「IT」「メディア」「働き方改革」を事業分野として、それをシャットイン経済に対して適合する新しい提案が出来るソノリテに進化する
  2.  成果主義的、裁量労働型、自由な働き方と、時間課金的労働が選べる会社になり、かつ在宅勤務など働く場所の自由度が高い会社になる。
  3.  ソノリテは「未熟な人の成長の場」というスタンスを捨て、成熟した人に疎 結合して出逢いを提供する「共鳴装置」になる
  4.  今まで強みとしてきた「大企業直受注」をさらに進化させ、B2Cビジネスとの融合などでそれを強化する

 

そして上記に対応した結果、ソノリテは、「こんな人にとって嬉しいソノリテ」になります。(ぜひ前段の「■こんな風に変わるよな~」と重ねて、ご確認ください。

 

  • 在宅勤務、リモートワークで働ける。
  • 満員電車通勤強要のような滅私奉公文化が存在しない。
  • ITで共鳴装置と接続する事で、自分が望む成長に即した仕事がアサインされる
  • 社員間の繋がりが疎 で、人間関係が煩わしくない
  • とはいえ「人との絡み」を大切にした業務アサインやイベントを会社が準備してくれる
  • 自己都合を優先した働き方が選べる
  • 「管理」されない。「育成、終身雇用」のような古い文化に縛られない
  • 時給型からコミット型など働き方が選べる
  • より開放型の文化へシフトすることを日本企業に提案する立場の仕事をする
  • 常駐などの仕事はない
  • 顧客接点などの企業間コミュニケーションもネットを活用する
  • ネット上で行える新しい「余暇ビジネス、趣味ビジネス」などの製品企画、開発をする

 

上記のような「仕事、就職、起業」をしたい人にとって最適化された、ソノリテになります!!!

 


■まとめ:これからの「組織」「働き方改革」「共鳴」

 

さて、最後の最後に、組織のありかた、というか考え方・・・齋藤が「組織」について何を考えているかを、軽く示しておきます。

 

その為に、まず人類学者、霊長類学者であり都大学総長であられる山極寿一先生のご高名と、先生の講演資料を引用させていただこうと思います。

 

「サル化する人間社会」

https://www.mof.go.jp/public_relations/finance/201709/201709o.pdf


ご講演内容では、その研究から紐解かれる「共鳴集団」の概念や、教育の基礎的モチベーションである「憧れ」の概念、自己のアイデンティティー確立と自己決定などについて、極めて明解で本質的に触れられています。私たちが目指すべきグローバル人財の姿と、そのための社会や組織の問題点を明瞭に示してくれています。

 

コロナ禍は、かなり強力に文明から「共鳴力」を失わせる方向に進化させようとしています。

 

そして私達ソノリテもまたその方向に、舵を切り、帆先を向けます。

 

私達ソノリテもまた、「サル化する人間社会」へ貢献するような組織へと変化しようとしている事を自覚せねばなりません。

 

そして私は、ここに来てやはり、当社がなぜ「ソノリテ(フランス語で“共鳴”)」という会社名を背負っているのか、そしてなぜ背負った組織を運営しているのかを、冷笑的かつインクリメンタルに哲学し続ける必要があると思っています。

 

共鳴装置の成長こそがその心臓とならんことを、この変化の肝にすえ、株式会社ソノリテを治めて行きたいと考えます。

 

 

やー

 

長かったね


長いわりに、結局何が言いたいの? よくわかんなかったかも知れないけど。


私的には、今、言いたい事は言いました。


あとは皆さんがそれぞれに、自分の事、組織の事、日本の事、世界の事。何が出来るか?何をすべきか?考えましょう。

 

考えたら、教えてください。良い考えだったら、共鳴装置に取り込みます。

 


読んでくれてありがとうございました。

 

 

「共鳴装置」ガンバリマス。

在宅勤務について色々考えている事

私は、自分の家が好きです。

 

私は、自分の家を、めっちゃリラックス出来る空間にしています。めっちゃストレスのない空間にしています。あとめっちゃ趣味の空間にもしています。

 

だって自分の家だしね。そりゃそうでしょ?

 

疲れて帰ったら、リラックスしたい。仕事以外の事に包まれたい。仕事の事を忘れたい。

 

そうやって生きてきました。だから自分の家には、そういう空間としての機能を期待していました。

 

そんな「家」で、みなさんは「仕事」、出来ます?

 

自分にとってめっちゃリラックス出来る空間、めっちゃストレスのない空間、めっちゃ趣味の空間である「家」で、「仕事」、出来ます?

 

さっきまで寝ていたベッドがそこにあり、スイッチを入れたら続きが始まるゲーム機がそこにあり、HDDに録画が溜まったビデオやネット映画を再生できるリモコンが手の届くところにある

 

状況の大小はあれ、大抵の人にとってそれが「家」でしょ?

 

そんな環境で、「仕事」、出来る?

 

俺は、出来ないわ~ はっきりいって。


「(どんな環境でも)集中すれば仕事は出来る」って言う人もいるけど、それって「出来る」という答えありきの発想なんじゃない?でしょ?

 

たまには家でも仕事モードになったりするけどね、それはね、たまに ですよ た・ま・に

 

まあ、私は、家で仕事は、出来ません。

 

Twitterだったかな?面白いアイデアを読みました。

 

「在宅勤務を上手くやるコツは、服をちゃんと着替える事」だ、そうです。面白い発想ですね。

 

そして真理ですね。

 

ようするに「仕事モードになること」ですね。通勤や出社にはそういう機能があります。

 

家にダンベルを買っておいても、なかなかやりませんよね。やっぱジムに行って「鍛えるモード」にならないと、体、鍛えられない。それと同じ。

 

会社に行って「仕事モード」になったほうが、やっぱ仕事って、する。

 

私は「家」で仕事しなきゃいけない時は・・・まあ最低限、やらなければ行けない事を、なんとか気持ちを作って、せいぜい1時間くらい、なら、まあ出来るけども・・・私はそんな感じ。

 

私は「気持ちの切り替えが下手」ってのも、確かにあるかも知れない。けれど、何しろ私にとって「家」は、とてもリラックスするスイッチ「リラックスモード」になれる場所なんですよ~

 

だから、私は、出来ればそこ(家)に、仕事を持ち込みたくはない。

 

仕事を持ち込みたくないというか・・・仕事のストレスをって感じかも知れないけども・・・

 

せっかく「リラックスモード」になれる家を、仕事のストレスを受ける場所にすることは、感覚的に拒否りたいわけです。

 

皆さんは違うんですかね?

 

本当に違うの?

 

いや、「在宅勤務がちゃんと出来る人」って居るんですよ。気持ちの切り替えがちゃんと出来る人なのかな。家で仕事をすることに慣れていて、私ほどは「むずかしい」と思わない人。

 

うちの会社でも、在宅勤務でキチンと成果を出している人が、います。

 

尊敬するわマジで。

 

でも、こういっちゃ悪いけど、普通の人は、「家だとダラケる人」の方が、多いと思うんですよ。

 

だって「家」だよ?

 

繰り返しますが、めっちゃリラックスしたいとか、趣味に没頭したいという要件を満たすためにチューニングしたのが「家」ですよね?

 

俺のような人間にとっては、「家」ほど仕事に適さない場所ってないですよ。

 

誘惑だらけです家は。

 

少なくとも俺みたいな人間にとって、もっとも仕事に集中できない場所。

 

それが「家」なんじゃないですかね?

 

・・・例えば受験勉強は家でちゃんとやってました。そういう人も・・・まあ居るでしょうけどね。

 

ほんとですかね?

 

ほんとうに、例えば受験勉強はチャンとしていたとして、でも同じ理由で、家でちゃんと仕事が出来ますかね?一日8時間もですよ・・・

 

私の身の回りの、多くの人に、本音ベースの話を聞くと

「家だと、やっぱ基本的にはダラける。だけど通勤のストレスや流感対策、あるいは個人的な都合を考えると、在宅勤務をうまく活用したい。」

くらいの意見や感覚を持っているようです。

 

まあ、普通の多くの人は、それが率直な感覚だと思うんだよね。


だから、「在宅勤務」って簡単に言いますけど・・・

 

そして私が、自社に在宅勤務制度を完全自由化することなんて簡単なんだけど・・・


世の中も、在宅勤務を推奨するムードですけれども・・・


皆さん、本当にどうするの?

 

本当に家で「仕事モード」になろうっていう気合い、あるの?

 

そしてそれ、どうやって実現するの?


ダラケちゃわない?

 

人間、一度ダラケたら、なかなか戻れないよ?知ってますよね?

 

本当に、大丈夫?

 

 本 当 に、 大 丈 夫 ?

 

 

まあ、まず、それが基本的な問いです。

 

ですから当社は、在宅勤務を希望する本人とよく話をして、個別に例外対応の形で在宅勤務を許可しています。そんな感じ。

 

 

ではここから、得意の4分割。


社員の性質を4分割してみましょう

 

  • 縦軸:家で仕事が
    a)出来る人
    b)出来ない人(俺みたいな人)

  • 横軸:在宅勤務を
    1)やりたい人
    2)(業務都合などで)やりたくない人


と分割して考えて、傾向をみましょう。

 

  1. a)の1):家で仕事が出来る人で、在宅勤務をやりたい人

    この人に在宅勤務をやってもらえれば、きっとパフォーマンスが上がるでしょうね。
    気質的にも業務的にも家で働けるという人から、通勤などのストレスを排除出来るんだから。この人のQOLも上がるでしょうし、会社としてもハイパフォーマンスが期待できる。
    この人が「身体を壊す」みたいなリスクも減るでしょう。

    当社にもこのタイプの人が何人かいますから、先の方針のように、特例的に在宅勤務を認めています。尊敬しますよホント、家でも仕事出来る人。


  2. a)の2):家で仕事が出来る人だが、(業務都合などで)やりたくない人

    こういう人の存在は、今、あまり顕在化していませんが、もしかしたら顕在化していないことに問題があるかも知れません。

    しかし「明らかに在宅勤務には向かない仕事をしている人」ばかりではなく、例えば「まだ入社したばかりで、職場の人間関係を構築したい人」とか、「今からしばらく、チームで膝詰めで議論して結果を出したいタイミング」とか、「在宅勤務をやりたくない」という状況は、さまざまなシチュエーションで起りえるはずです。

    こういう人や状況の存在があまり顕在化していない中で、一様に「在宅勤務推奨」みたいな「在宅勤務をするのが正解」みたいな会社指示を出す事は、社員のエンパワーメントを損なう可能性が、私はあると思っています。


  3. b)の1):家で仕事が出来ない人だが、在宅勤務をやりたい人

    このタイプが、大問題ですね。

    とりあえずこのタイプには2パターンの人がいると思います

    i)この機を利用しサボりたい人

    なんだかんだ言って、ただサボりたい。まあ上手い事言って給料だけもらえればいい。とりあえず何とかして、大好きな家にいて、仕事は「しているフリ」をしておこう。脳が働いていなくても、パソコンの前にたち手指だけ動かしていれば、なんとか仕事をしているような業務ログは残るだろう。

    残念ですがこのタイプが、あなたの会社に居る事が不幸ですね。サボりの確信犯なのでね。

    そういう性質の人が必要な仕事は、あなたの会社の他にもあるでしょうから、転職でもしてもらったらいかがでしょうか?転職していただくなら今がチャンスです。人材不足ですので。もうちょっとしたら不況になるから、チャンスは無くなります。

    ただ、「在宅勤務とは言わず、ずっと家に居たら?もう会社に来なくていいよ」みたいな言い方は、今時はパワハラです。ダメです


    ii)自分は在宅でも働けると勘違いしている

    このパターンもいますよね。このパターンの人の業の深さ、根の深さ。自分の良い様に理論を重ね、自分の良い様に自分の記憶を改ざん出来る。自分にウソがつけるタイプ。

    まあこのパターンの人が在宅を希望するのはやむを得ないでしょうね。このタイプは例えパジャマでベッドに横になっていても「仕事の事を考えていた」と、平然と業務時間であると主張しますし、自分で自分にウソがつけますから、「なぜこんなに真面目な自分を信じてくれないのかわからない」みたいな理屈をこねるでしょう。

    このパターンの人は自分の中では自分をa)の1)タイプだと思っているんですよね。自責的な観点が成熟していない若い人は、総じてこの傾向があります。

    まあこのパターンの人を「時給型労働」につかせていたとしたらそれは残念ですね。本人にとっても苦痛でしょうし、会社としても管理コストが増長します。

    このタイプの人にあう適職が有る、つまり「勤務に対する姿勢」が問われないようなスタイルのパフォーマンスが、その人間から産み出されているかを測るべきでしょうね。

    が、私は、こういう人間の「勤務に対する姿勢を問わないパフォーマンス」(例えば閃きとか、プレゼン力とか、対人能力とか、タレント性、カリスマ性)みたいなものは、人間の集合の中でこそ発揮しやすいものが多いと考えています。

    だから私の考えでは、このタイプの人間は、結局出社してこそ価値を発揮します。つまり在宅(で出来るような業務)は向かない。

    ということは、結局は出社させた方が良いです。

    だから時差出勤などを拡大し、なんとか出社させましょう。

    きっとこのタイプは、最も遅い時差出勤時間に、さらに遅刻をして出社してきますよ。そのくせ自分の中では正当性を主張出来ると思っています。

    まあ、仕方のないことです。うちの会社にも、何人かいます。


  4. b)の2)家で仕事が出来ない人で、やりたくもない人

    このタイプは自分にウソをつかず、実直であり、会社にとってとても有益な人だと思います。そしてストレス性の高い仕事も請けてやりこなしてくれる人だと思います。

    ですがこのタイプの人には、先に私が言った理由のように「家はリラックスする場」であることに強い意味を持っている人がいる可能性があります。

    このタイプの人の中には公私混合が上手くなく、会社のストレスが「家」に侵入してくると、ストレスが継続してしまい問題状況になる人がいると考えておく必要があると思うんです。

    リラックスできる逃げ場である「家」を、保ってあげるべき。

    最悪の場合このタイプの人に、交通事情等だけで無理に在宅勤務を命じたとしたら、仕事のストレスから逃げ出す空間を、家以外に探し出す必要が出て来て、それは例えば通信手段を経ち音信不通になるというような形で現れる事だって、あるのではないでしょうか?

 

はい、こんな4分割。

私は「在宅勤務と社員の質」について、上記の4分割のような考えをもっています。

 

みなさんは、いかがでしょうか?

 

この4分割の人の割合や業務内容との適合性を考えつつ、当社は、オリンピックや新型コロナウィルス対応の時系列に対処療法として考えるのではなく、あくまでも会社の「働き方改革のレベル上げ」として、社内のタイプレベルの変化にしたがいながら、在宅勤務を今後拡大、公式化していくつもりです。

 

(時差出勤は、すでに高いフレキシビリティで実現しています)

 

まとめます。


私たちは「働き方改革」で、働く事に対し高い裁量権を得て行くハズです。

 

ITは働く時間と場所の選択肢を高め、これからも高度化していくハズです。

 

そんな中で「働く人」はさらに自立、自律し、自己分析を高め、働き方を自分で選択しなければ、ただただ、成長の無い堕落した存在に落ちぶれる可能性があります。

 

在宅勤務を哲学し、自らを成長させる働き方を見つけて行きましょう。

 

おしまい~

「裏垢」やめませんか?

以下は中川翔子さんのツイートからの引用です。

 

 

 

裏垢をやめませんか?

 

理由は、過去との決別です。

 

過去と決別しましょう。

 

人間は、(普通は)成長します。成長しているハズです。

 

昨日より今日のほうが、「良い人間」「優れた人間」に(普通は)なりマス。

 

実感がないかも知れませんが、少なくとも、日々少しずつでも「優れた人間」になったほうが、良いデス。

 

そこは良いですよね?「昨日より今日の方が劣った人間になるはずだ」という実感を持った人は、少ないですよね。

 

ということは、つまり逆に言うと、今よりも過去の自分の方が、劣っています。劣っているハズです。

 

当たり前の話ですよね。誰もが過去の自分のほうが幼稚なハズです。

 

それなのに、人は過去の自分に囚われています。

 

過去の自分に囚われ、過去の自分を正当化する為に、時間を割こうとしてしまいます。

 

そして、過去の自分は現在の自分より愚かなのに、過去の愚かな発言を正当化するためにポジショントークをし続けていれば、「過去の愚かな自分」の方が「本当の自分」であるかのような、錯覚を起こしてしまいます。

 

なぜならば、人間は変化に弱いからです。

 

人間は変化に弱く、変化にストレスを感じがちです。そして成長もまた変化です。

 

「過去の自分」を「本当の自分」と錯覚していると、何か成長出来る事象に相対した時に、その事象が「(幼稚な)本当の自分」を変化させるものと、敵対視してしまい、「自分を変えようとする恐ろしい事象」と捉えてしまいます。

 

そしてその捉え方は、アナタの成長を阻害します。

 

だから「過去の愚かな自分」を「思い出させるもの」は、出来るだけ無い方が良いのです。

 

「裏垢」はその典型的な物です。

 

「裏垢」にある匿名の呟きは、大抵、以下のようなものではないかと思います。

  • 脊髄反射的なからかい、いやがらせ、差別
  • 傷の舐めあいを求める何か
  • クソリプ
  • メンヘラ的発話
  • 低次の笑いやくすぐり(おっ○い!ちん○ん!など)

 

まあ、アナタの美しい未来には不必要な、本音と言う名の「便所の落書き」でしょう。

 

それを過去のアナタが書いてしまったのは、仕方がないんです。

 

だって過去のアナタは、今のアナタより、幼稚だったんだから。

 

問題は、それを後生大事にとっておいている、アナタの体たらくです。

 

ましてやその裏垢に書いた便所の落書きこそが、自分の真実の姿だ!などと、下らない思い込みに頓着していたとしたら、それこそ体たらく。

 

アナタがもし、世の中に対して、

  • なんで私は幸せになれないんだろう
  • なんで私を助けてくれないんだろう
  • なんで私は勇気がないんだろう
  • なんで私はモテないんだろう
  • なんで私はカッコワルイんだろう

と、少しでも思う所があるなら、

 

そんな事を少しでも思う、美しい情緒があるならば、

 

世の中を嘆く前に、クソみたいな幼稚な裏垢をいつまでもとっておいていた自分を恥じ、今すぐ裏垢を捨てましょう。

 

今より劣っている自分にいつまでもシガミついていると、アナタは被害者になるんじゃないかと思います。

 

あらゆる角度から幼児退行を仕掛けて来るメディアのマーケティングに、太刀打ち出来なくなるんじゃないかと思います。いや、もう成っているのかも知れない。

 

だから、漠然とした留まり感の不安感情からくる緊張を弛緩させる系の癒しを求めるとでも言うか・・・バブみだオギャりだ転生だ・・・も良いけれど、でも結局、アナタの未来を構築するのはアナタなので、下や後ろを向く時間よりも、前や上を見る時間を増やせるように・・・

 

その第一歩として、まずは裏垢をやめませんか?それが私の提案です。

 

 

あ、あと、ちなみに

 

私の黒歴史であるyoutube【カイザー齋藤のオールナイヨニッポン】は、消しませんね。

 

これはね、黒歴史を作ろうとして作ってるからね。だから消しませんよ

 


Vol41:ラッサイ・モサイ・マーサインという刃物【カイザー齋藤のオールナイヨニッポン】

https://youtu.be/QiAiAgc2YZ0

 

年頭挨拶

■今年は社外BLOGで年頭挨拶をします

 

唐突ですが、今年、2020年の「(社長の)年頭の挨拶」っていうやつを、BLOGに書く事にしました。

 

まあそもそも年頭の挨拶なんてやつをまともにやったこともないですけど。

 

来年はどうするかも、決めてませんけど。

 

「なんで社外BLOGか」って話ですが、そもそもオープンイノベーションを実行していくのに、大体の事は社外も社内も無いはずなんですよね(もちろん社外に持ちだせない機密情報ってのはありますが)。


私が「これから株式会社ソノリテをどうしたいか」っていう表明について、「その情報を誰が欲しいか?」という事を、私の方から社内に閉じる事は無いと思ったわけです。


社外にだって、株式会社ソノリテとか、その代表の齋藤とかが、どんな考え方で会社をどうしたいか?って事に、興味のある人はいるはずです。

 

逆に、社内にだって「そんなの(齋藤の考え)には興味が無い」っていう人が居ても良い。その人にとって株式会社ソノリテが、何らかの理由で価値があるなら所属していればいい。別に「齋藤の年頭挨拶を聞く事」を、義務にするつもりは無い。興味があったり、利用価値を感じたりするなら、あなたの時間を利用してこのBLOGを読めばいいよ。強制はしない。


逆に私も、これはいつも言っている事だけど「おまえたちはこう動け」という気は無い。

 

ただ、私は会社の代表だし株主だから、私が株式会社ソノリテをこうしたいという事はココに書いておくので、それに共鳴すれば動けばいい。社員ならそうすればいいし、社外の人も何か共鳴するモノがあればなんらかのアクションを起せばいいと思うよ。


逆に共鳴も共感も無さそうならば静かにぺージを閉じ何か別の事に時間を割きましょう。

 

社外公開といっても、内容は基本的に社員向けです。それはまあ、許してください。

 

これは株式会社ソノリテのSR的なメッセージではありません。お客様に対する美辞麗句や社会に対する貢献的メッセージではありません。

 

あくまでも、社員に対する「年頭の挨拶・会社の方針説明」です。

 

 

■給料を1.8倍にする為に

 

さて当社(会社名:株式会社ソノリテ)は、2017年頃から「ソノリテ働き方改革」を行っています。

 

社員の皆さんはそのことをなんとなくウッスラ知っていると思いますが、これも「知れ」という気はなく、私から全社説明会などの押し付けはしないので、「教えて欲しい」という事があれば申し出てください。気が済むまで徹底的に説明します。

 

その「ソノリテ働き方改革」で打ち出している幾つかの方針の中には「給料を1.8倍にする」というモノがあります。現在これを着々と進行させています。

 

そして「給料1.8倍」すなはち一人一人の社員の高付加価値化を進行する方向性として、「自主性尊重」があります。

 

働く事に対し自主性の有る無しが個人のパフォーマンス向上、エンパワーメントに大きな影響を持つことは解説せずともわかると思います。

 

この自主性尊重を行うために、ソノリテでは「会社が指示、命令する」という構造をもつ組織・行事等を基本的に破壊しています。2017年には組織を無くし、上司部下の関係をすべてフラット化しました。

 

私達の会社は、誰かが会社や上司の命令で動く組織ではなく、必ず自主性が尊重され、自主性の集合によって前進するようにして行きます。これが基本です。

 

だから私はもう、「社長の挨拶を聞け」というメッセージを社内に投げかけません。独裁者やカリスマが大演説を行い皆がそれに従い進むような組織を否定したいからです。

 

よってこのBLOGの存在も「良かったら読んでみてください」程度のアナウンスにします。

 

かつ、我々が唯一無二のオンリーワン企業でありオンリーワン製品を産み出したり高付加価値なサービスを行える頭脳集団であるためには、多様性を統合する能力を前提としたオープンイノベーション型コミュニティである必要があると、これも常日頃謳っているわけですが、

 

「それならもう、会社の中も外もないじゃん」

 

っていう事で、年頭挨拶を、社内外の人が誰でも読めるBLOGに書くわけです。

 

ここまで、纏めると

 

  • 自主性のある人が尊重される会社なんだよ。誰も命令しないよ。
  • 社長の社内向け挨拶も公開するよ。読みたい人だけ読んでね。
  • うちの会社は給料を1.8倍にするよ。その為にオープンなんだよ。

 

って感じです。では、書きます。

 


■ここまで株式会社ソノリテがやってきたこと

 

株式会社ソノリテは2009年12月に創業した会社です。

 

そして齋藤は2011年7月にソノリテの社長になりました(私は創業社長ではありません)。

 

私がソノリテに来た時、社員は8名しかいませんでした。その時ソノリテは、創業からずっと赤字の会社でした。


その会社が、今は社員50名になりました。

 

最初のソノリテは、取り柄のないSES企業で、社員は皆、常駐先に居ました。

 

その当時のソノリテは、リーマンショックの不景気を主因に、親会社から赤字を背負って切り離される為に作られた捨て子会社でした。創業社長は二年を待たず職責を辞しました。(ちなみに、今まではそういう赤裸々な言い方は控えて来ましたが、今はもう、その当時の親会社も存在していませんし、過去の話です。傷つく人も少なくなったと思いますので、歯に衣を着せず、言います)

 

そして2011年当時、ソノリテへの発注者として縁があった私は、この会社の社長となり、以下の方針をたて、2019年までに実行しました。

 

  1. 特徴の無いSES経営を止め、強みをハッキリともった会社にする
  2. 仕事は持ち帰る。常駐を止める。
  3. 無理な請負開発をしない会社にする(仕事の完遂責任を請け負うのではなく、技術力を買ってもらう会社にする)
  4. 面白い華やかな事業もやっている会社にする。ゲームなど
  5. 下請けをせず、大企業と直接取引をする会社にする
  6. 強いストックをもつ会社にする
  7. 自社商品やサービスを企画・開発・販売出来る会社にする

そしてこれらの改革を実現する為に、変化を起こしました。


まず、1)~6)の構造へ改革する為に、取引き企業からのサーベイに耐えうる事業構造(売上など)の拡大を急速に行うため、社員を急速に増やしました。


先にも書いた通り改革前のソノリテ社員数は8名でしたが、社員数を一気に60名強まで増やしました。人財不足と言われているIT業界において人の拡大は難問ですが、ある種の「ソノリテらしさ」を私が私らしく率先牽引する事で、なんとか成し得ました。

 

短期間において紆余曲折もあり、決して楽な道のりではなく、失敗も多くありましたが、結果として1)~6)を完遂しました。

 

そしてこれまでに当社は、以下の企業となりました。

  • Microsoft Office 365のITプロフェッショナル企業
  • 働き方改革提案企業、自らも独特な働き方を実践している特徴企業
  • アナログカードゲーム制作なども好調なオモシロ企業 
  • 大企業と直接取引をし、下請けをしない企業

これが、これまでソノリテがやってきたことの総括かなと思います。


そしてここまでやってきたことは、先にも書きましたがある意味で私が牽引してきたと言っていいと思っています。

 

ですがこれからは、私は事業の牽引役からは降ります。

 


■これからソノリテがやりたいこと

 

昨年2018年7月に新本社に移転したのをきっかけに、ソノリテはタグラインとして「Think COLORFUL」を制定しました。そして経営方針として、先の

 

 7.自社商品やサービスを企画・開発・販売出来る会社にする

 

へのシフトを急速に行うために、今までの方針から大きく異なる、いわばリストラクチャとも言える構造改革を実行しています。2020年はそれが本格的にソノリテの主流になっていく年になろうと思います。


この構造改革とは、「売上イコール人数」的経営から、「売り上げを作れる頭脳集団」への変革です。


「頭脳集団」であるソノリテが目指してほしい基底的な考え方は、共鳴(ソノリテ)ファウンデーションに「5つのP」としてすでに示しています。

  • Professionalism:プロ意識
    ソノリテという会社は、プロ意識が持て、プロ意識を評価され、プロとして自分を研鑽することが出来る
  • Pride:プライド
    ソノリテという会社は、自分の仕事や存在にプライドがもてる
  • Proactive:主体性
    ソノリテという会社は、仕事などを主体的に取り組むことが行いやすく、主体性が尊ばれる
  • Philosophical:哲学性
    ソノリテという会社は、会社や仕事から好ましい哲学を感じられ、社員にも哲学を要求される
  • Playful:アソビゴコロ
    ソノリテという会社は、会社や仕事にアソビゴコロが感じられる

上記の共鳴(ソノリテ)ファウンデーション「5つのP」を意識しながら、ここまで培ってきた大企業のお客様とのリレーションやポートフォリオ、カードゲームやVR系ラボ開発等を経て来て積み上げたカルチャーなどを総結集し、新しい分野に新しい製品を作り産み出し販売していく組織へ変革することを期待しています。

 

ある意味、労働集約型メインで成長してきたソノリテは今、「より筋肉質な会社になるためのぜい肉落とし」が必要であり、2018年の本社移転を機にそれをやっているとも言えます。

 

ですので我々の会社は現在60名強の体制から50名を切る形へと改変していて、それは有用なストック、有用なコンサルティング能力、有用なカルチャーという「筋肉」を残してダイエットした形であり、これからもソノリテの「筋肉質化」は進んでいくと思います。


この筋肉質化は、簡単に言えば「給与1.8倍」を実現する為の手段です。

 

より社員一人ずつの付加価値が高い状態が生まれ、結果として給料が1.8倍に出来る状態になります。


とはいえダイエットには苦しみがつきものですし、何もかも「理想通り(筋肉を少しも落とさずに)脂肪が落とせる」わけでもなく、「チャンスが理想通りのタイミングで都合よくやってくる」というわけではないので、事実実態には子細な課題も起きています。それは皆さんも理解出来るかと思います。このダイエットの進行は複雑です。


なぜ複雑なのかの本質は後半に「シマウマ・パンダ理論」で説明します。

 

本日までの、この複雑性を持った改革は、時に社員の皆さんの心理的安全性を乱すような雰囲気を作っている可能性もある、過激な構造改革でもあったのかと思います。


しかし私はこれを成長痛だと捉えています。変化やストレスに弱い人は基本的に当社のような「変化し、最短距離で成長する」ことを狙う特徴企業の方針には、ストレスに思え、拒絶すべき対象と捉えて来たのではないかと感じもします。


その件について齋藤は昨年まで「変化を恐れる人はソノリテに居るべきではない」と説明していましたし、そのような態度をとっていました。


が、2020年からは多様性経営の枠を拡大し、2019年まで行ってきた構造改革の結果をベースとしながら、

  • チャレンジしたい人に、刺激的な道場でありつつ
  • そうではない人に、そうではない働き方を提供する

そんな両極端が混在するソノリテを作って行こうと思っています。ソノリテはやっと
その時期に突入出来たと思います。ただし本件は後半(自尊心の項)に、問題点なども含めて説明をします。

 


■頭脳集団の中で、齋藤は事業の牽引役ではなく、全体の推進を行います

 

さて先に私は、これからのソノリテで私は事業の牽引役からは降りると言いました。

 

ソノリテがより頭脳集団になっていく中で、皆さんが自主性を発揮し様々な「自社商品やサービスを企画・開発・販売」して行く事を、バックアップする立場に変わっていくつもりです。

 

もう一部の組織コミュニティにおいては私の存在なくして事業が好循環していますし、その方向性を私と調整するのみであり、私はそのコミュニティを尊重するだけで良い立場になりつつあります。


ですが我々の目指す高付加価値型組織はそのような「小さな成功」「順当な勝敗」に甘んじるべきではなく、時に成功している組織こそそのような変化偏重型未来像に対し眼を伏せがちです。

 

あるいは小さい成功に対し権利を主張する縮こまったクラスタを形成し、成長から目を背け、楽をしようとするのが人間というモノですから、私は「ソノリテ」という空間を常にチャレンジングでありオンリーワンなモノにするため、組織を常に挑戦型に仕向ける全体進行を司るのみとします。


別に「かき混ぜる」という事だけを役割とするわけではなく、そこに生まれる頭脳の動きこそがイノベーションに向かう頭脳の活動になるはずだと思うからです。


私はソノリテが「頭脳の動きがイノベーション型になるような多様性組織」であり続けられるよう会社を運営していきますので、皆さんはプロアクティブにそれを利用し、会社の理念である「社員の成長」を実現してください。

 

それはきっと皆さんや皆さんの組織コニュニティが新しいプロジェクトに常に挑戦するというスタイルで事業に落ちるでしょう。その事業が事業然としてくれば、その事業体は会社として独立することになると思います。

 

ですがその独立が「こじんまりした小さな成功」というイノベーションのジレンマに陥らないように、私がソノリテという方法論で上空から統治し皆さんに良質な共鳴が生まれるように努力します。

 


■2020年に期待しているモノ

 

「自社商品やサービスを企画・開発・販売出来る会社にする」動きの中で、すでに皆さんから、2020年に期待出来るモノが沢山提案されています。


当社が「働き方改革企業」として活動してきたノウハウをさらに加速させるパッケージ群として、「C.O.D.Y..(会議改善AI)」「ほたる(働く場所と時間の自由度向上)」「PacciPacci(褒め合いで社内Know Who)」などで、これらが日本企業に提供出来る付加価値は高く、導入も簡易ですから2020年にはB2B市場から一定水準以上の反響を得る可能性があると思っています。

 

これらの本格的リリースに向けて、齋藤は最終責任者として強度な(最悪の)関所レビュアーとなっていく覚悟です。私も必死で各分野について勉強しますので、チームの皆さん、特にプロダクトオーナーの皆さんの突破力に本当に期待しています。共に頑張りましょう。


その他「女性活躍」を主題にしたメディア展開や、「人財不足に対応する企業PR用SNS向けビデオを代金後払いで制作」するサービス「ポピカルビデオ」も2020年にお目見えするのだと思います。期待大です。


また、既存ソリューション群、Microsoft Teams(Office 365)に関する総合的コンサルティングや保守サービス(SSS:スリーエス)あるいは教育サービス(テラスク365)も好調であり、今年はさらにサポート範囲の拡大やホスピタリティの向上を行ってくれると思っています。


コンシューマサービス部門では昨年度ゲームマーケットやYouTuberの間で大好評となった「コンガラッチョ」系のビジネス拡大や、デジタルゲーム分野の新作もマーケットに投入する予定であり、また別企画ブランドからは音楽系の異質商品展開も予定されており、本当に楽しみな一年になりそうです。


これらはすべて「頭脳集団」たる皆さんが頭脳を振り絞って考え、回りの有志が支えて出してくれた結果であり過程です。

 

私は皆さんの頭脳に対し課題提起するストレッサ―となりながらソノリテの頭脳活動を支援します。その後それらが「Sonorite Strategic Steering」のカタチとなって社内共鳴しだす事を未来像として導いていくつもりです。

 

 

■多様性組織の「居心地の悪さ」を脱却する「心理的安全性」の方向性

 

さて今からは少し働き方に関する話をします。

 

先に少し「心理的安全性」という言葉を引用しましたが、齋藤はヒネクレ者ですので、心理的安全性はGoogle社のポジショントークだと思っています。

 

ですがこの言葉には人を引き付ける魅力があることは認めざるを得ず、時代性的に人々が組織に「安全性」を求めているのは事実であろうと感じます。

 

つい先日行ったソノリテ年末納会である社員が私に「私は仲良しクラブの雰囲気が苦手なんですよね~」と言いました。また別の機会にある社員が私に「ソノリテはプロフェッショナルの集合になっていない。中庸な社員が仲良しクラブを作って馴れ合いをしているだけだ」と言いました。


「オープンゾーンでの雑談のレベルが低すぎ、仕事の邪魔だ」という人も居ましたし、「今のソノリテに自分のビジネスパートナーを連れて来るのは恥ずかしい」とまで言う人もいました。また「お客様の目に触れる場所であのようなだらしない業務姿勢を許して良いんですか?」と言う人もいます。

 

正直言うと私自身は、彼らの意見に近いものを持ちます。

 

残念ながらまだ現在のソノリテは、多様性を高度にインクルード出来ている風土ではありません。

 

私が思う事を説明する為に、例として組織と社員の成長を下のようにモデル化してみます。

 

 レベル0)イヤイヤ働かされているし、組織も助けてくれない
 レベル1)イヤイヤ働いているが、組織には助け合いがある(人間関係が良い)
 レベル2)働く事は好きで、気の合うヤツと働きたい。嫌いな人は助けたくない
 レベル3)働く事は好きで、プロ同士高度に高め合いたい

 

上記のモデル化では、ソノリテは今、レベル1.5くらいなのではないかと思います。

 

よって

 

 a)レベルの下の方の人を、うまいこと仕事出来る環境に連れて来る人
 b)レベルの上の方の人だが、レベルの下の人に巻き込まれたくない人

 

が混在し、b)の人が「うちの会社は私が居るべきレベルに達していない」という不平を感じるというわけです。しかしそこにはa)の人の努力があることを軽んじてはいけない。

 

そしてb)の人が思う事は、きっと
「齋藤はなんで、会社をプロ集団化すると言っておきながら、a)を排除しないんだ」と思って、私に苦言を呈してくれているのだと思います。

 

私はb)の人に近い価値観を持っていますから、正直言えば私も本件についてはぐっと堪えていました。

 

堪えるのには意味があって、今、まだソノリテのレベルが1.5だとするならば、1.5の同質性の高まりによって「心理的安全性」を築き、「組織に助け合いが有る」事を選ぶべきステージを選択した方が、会社全体のパフォーマンスが維持できたからです。私の個人的な価値観で経営判断して良いわけではないから、です。


つまりa)の人の努力貢献によって現状のソノリテは動いている。

 

ですが、今後ソノリテはさらに、個の付加価値を「給料1.8倍」まで急速に上げ、「頭脳集団」が多様性の中でオープンイノベーションを起せるカルチャーにまで成長させねばならないので、2020年はこのカルチャーを破壊します。


やや、「b)の人」が今まで持ってきた職場へのフラストレーションに応える形をとります(ちょっと早いような気がしますが、やります)。a)の人はこれを危険な変化(職場の心理的安全性の崩壊)と見られると思いますが、出来るだけ視座を高くしていただき、徹底的に哲学していただくことを期待します。

 

ちなみに、「齋藤が強権的にやる」ということは、出来るだけ行いません。皆さんの
中からカルチャーが生まれて来るように行っていこうと思います。

 

そして重要な事はここまで(いわば堪えて)培ってきた「組織に助け合いが有る(aの人の努力)」を残した形で、その上にさらに一段階上がるようにするために、カルチャーが生まれる仕掛けづくりを、齋藤の方で行っていきます。

 

要するにa)の人にもb)の人にも「職場心理的安全性」を感じてもらうための組織
作りをします。

 

この話について、まず私が2020年以後、ソノリテ組織運営において「今後、当社が向かうべき社員に対する心理的安全性の確保」という話題における重要だと考えるキーワードを以下に示します

 

  1. 職場のポリコレ
    会社は働く場所です。働く時に重要なステイクホルダーは「お客様」です。

    私は今まで「一部組織の(いわば低次な)心理的安全性」を担保することを優先し、「楽しい雰囲気」を壊そうとはしませんでした。

    が、ソノリテがより高次の組織になろうとするためには、以下のカルチャーが生まれるべきだと考えます。

    ・働こうとする人に雑音を与えない(親密さを持ちたいなら他所で)
    ・お客様に不快感を与えない(気楽な雰囲気は顧客対応に相応しくない)

    オープンゾーンはソノリテが経営するレストランだと思えばわかりやすいと思います

    だらしなく私用物が散乱していたりすれば、そんなレストランには誰もいかないと思いますよね。もし今、例えばある種のa)の皆さんにとって、ソノリテに必要なのは同質性的「居心地の良さ(心理的安全性)」だと思っているとしたらそれは間違いで、その安全性は向上心に向かわない。その安全性は

    レベル1:いやいや働いているが、組織に助け合いが有る。

    を産むだけのものなので、早く卒業しなければならない、という「空気」を皆さんに作っていただきたい、のです。

    「その脱ぎ捨てた靴、お客様がここを通ったら不快に思わないですか?」
    「その場所に私用傘を干している行為は、社内にだらしなさを産み出しませか?」
    「その音楽を掛ける事によって、この組織が幼稚に見られはしませんか?」
    「その雑談は、そのカルチャーが嫌いな人にとって、害悪ではありませんか?」

    そういった自問自答や声の掛けあいが、これからのソノリテのポリコレをより高次なものにしていく、それを私は期待しています。

    この期待に応えてくれない人は恐らくいないと思うのですが、ただ人間は習慣の動物であり人は既得権益を手放すことを得意としません。高次のポリコレを指摘されたらなんとか自分の正当性を示すために反駁的ポジショントークをしてしまうでしょう。

    それらすべての「皆さんでは手に負えない事実」があったら私に報告をして下さい。

  2. 細密なハラスメント分析とゾーニング
    私は昨年末から、会社のコンテンツ制作の基盤をAdobe STOCKにしていただくよう皆さんにお願いしています。

    この小さな動きは、ソノリテが産み出す制作物が、国際的な基準からみて細密なハラスメント(ジェンダー的、宗教的、人種的、カルチャー的)に配慮が行き届かせているモノであることを、コンテンツ選びの面から支援する為です。

    日本人はやはり島国的でありドメスティックな文化圏の育ちですから、私も含めて国際的な文化への配慮が不得手です。よってグローバルにコンテンツ提供しているAdobe STOCKを利用すればAdobeの評価基準の手を借りる事が出来るでしょう。というお話です。

    例題を出せば例えばこういうお話です。

    大坂なおみ選手「次は私に相談して」
    https://www.bbc.com/japanese/46985554
    「笑ってはいけない」浜田の黒塗りメイクが物議https://www.huffingtonpost.jp/entry/history-ofblackface_jp_5c5d586ae4b0974f75b1a880

    上記例は差別の事例ですから話が明快ですが、私も含めソノリテはこれからもっと上級の仕事を行っていく企業となるために、あらゆるコミュニケーションにおいて上質であることを知らなければならないと思っています。

    が、私は「不寛容社会」には反対の立場です。よってソノリテが産み出すコンテンツやコミュニケーションを、「誰が見ても反対しない物」にしろと言っているわけではありません。また社会は「誰が見ても反対しない物」だけでは成り立たないとも考えています。

    ですのでソノリテの「頭脳集団」である皆さんには、世の中の常識に疑問をもちアンチテーゼを提示していったり、時に世の中のタブーに「上質に」切り込んでいくような戦闘的なスタイルを検討もしていただきたいと思っています。

    私はデジタルゲームがあまり詳しくないのですが、今年ソノリテの新たなチャレンジとしてゲームをローンチすることになるでしょう。そしてそのコンテンツの重要な部分として「二次元の美少女」がデザインされています。

    これで私達の会社は
      ・大企業向けITコンサルタント
      ・グラフィックデザイナー
      ・アナログゲームクリエイター
      ・デジタルゲームクリエイター

    達が同居し、異なる文化圏を共鳴させ合いながら新しいモノを産み出していく「だれも見たことのない会社」にさらに成長します。

    が、(これは例えば一例ですが)「二次元の美少女ゲームキャラクターが戦う」が万人に好意的に受け止められるかといえば、そういう捉え方はしないほうが良く、それは社内においても同様です。ですから例えば「美少女ゲーム」の開発は今年からゾーニングすることを検討します。チームの皆さんと相談をします。

    これから社内の多様性を完全尊重するソノリテであるべきで、たとえそれが業務内容であったとしても、「見たくないものを見ない権利」を社内で完全に尊重し合える我々であるべきだし、それは先にも別項で言いました「自分が楽しい事を公然でやっていいわけではない」という次元にソノリテは高まってきたという事です。

    ですので私たちはより「ゾーニングされた職場空間」を必要とするでしょうから、私はそれを実現していきます。また、社内交流を目的とした私語や、職場空間に流れるべき音声、音楽、そういったものもすべて、「あらゆる人に配慮する」という感覚の高さが必要になります。

    よっておそらく業務の空間で業務以外の会話をすることは極めてリスキーだと思えるようになるはずです。あるいは社内SNSなども「個人発信か、公共的空間か、同好の人の集いか」をよりゾーニングしたスレッドの必要を感じ、その運営能力、私語能力の高さを必要とするはずです。

    皆さんはただ「他人を尊重する」をしながら、「自分もまた尊重される」空間作りをすることに協力していただければ問題ありません。むしろ私は尊重しあえてこそ、それぞれのプロフェッショナルが「タブーに挑戦する」ような行動が起こせると思っています。

    ですから私は会社にもう少しゾーニングされた空間を増やします。ただし、当社は多様性をもったプロフェッショナルが共鳴してこそ「当社らしさ」を産み出せる会社ですから、このゾーニングの「塩梅」については齋藤に設計させてください。

    時間はかかるかも知れませんが、必ず実現します。
     
  3. 自尊心が傷つかない組織
    最後に自尊心の話をしようと思います。

    先のタイプb)の人の中には、組織より受ける「自尊心への攻撃」に苦しみ悩んでいる人がいます。例えば以下のような例です。

     ・年長者より年功序列的扱いを受ける
     ・マンスプレイニング的扱いを受ける
     ・年少者より無礼な扱いを受ける
     ・職場同僚に人格否定される
     ・セクハラ・パワハラなどの被害にあう
     ・ただただ傷つくのが嫌だ

    年功序列」「マンスプレイニング」等については日本組織の悪しきカルチャーであり、齋藤もその「日本組織の悪しきカルチャー」で生きてきた世代であるので、私も皆さんからの指摘を受けながら、成長するつもりです。

    その成長の意思表明としてシンボリックに実行しているのは、フラット組織化です。

    当社は2018年に組織を撤廃しました。厳密に言えば組織階層を撤廃しました。

    ですので皆さんの中に「序列」があるとすればそれは恐らく「仕事が出来る、出来ない」という主観的な物と、あとは「(プロジェクトの)リーダーかメンバーか」というモノだけのはずです。

    封建的文化ヒエラルキーは組織の序列を必要とし、日本文化には年功による序列という見えざるルールが存在しますが、当社にはありません。

    ましてや男尊女卑の類は絶対に存在してはいけません。これらの存在を全員で否定しながら、命令が無くとも自主的に動け、繋がりあえる組織であり続けましょう。

    逆に年少者からの無礼な扱いは、慣れの問題かも知れません。本当の「無礼」であればそれはコミュニケーション能力の問題で、その人は誰とも仕事が出来ず、当社ではパフォーマンスが上げられない人間になっていくでしょう。

    セクハラ・パワハラの被害については会社として過去も顧問弁護士などと協調の上、個人情報の取り扱いに万全の注意を払いながら塩田取締役が対処を行ってくれています。

    この問題について当事者ではない社員の皆さんは往々にして「一方向の論しか聞き得ない第三者」であり皆さんが何らかの人道的対処をする立場になることは不可能です。むしろ第三者の正義感が別の被害を産み出す場合もあります。問題を感じたら経営に相談をお願いします。本当にお願いします。

    最後に、「ただただ傷つくのが嫌だ」なんですが、当社の理念は「社員の成長」ですので、No pain No gainという考え方から、恐らく「傷つく事」を恐れている人にとって、不寛容な組織であるべきだと思っています。

    私は当社のコミュニケーションの理想は馴れ合いではないコミュニケーションで社員同士の共鳴が生まれる事だと思っていますが、「傷つけあうこと」だけを恐れて何も生み出さない、何も成長出来ない組織であるなら意味を感じません。

    例えば先の「年功序列」というテーマであるなら、何の意味も持たずただ歳が上だというだけで偉そうにする人がいたとしたら、皆さんはその人に(良質に)傷ついて欲しいと思いませんでしょうか?「自分が間違っていた」という気付きを、傷つきと共に心に深く刻んで欲しくはないでしょうか?

    そのような「正しい傷つけ合い」のようなものは有るはずで、それを望む人にとってソノリテは道場であるべきで、それを望まない人にとってソノリテは何らかのハラスメント的「望まないストレスの場」であろうと思います。

    したがってソノリテは2020年以後、

      ・悪しきカルチャーから脱する
      ・慣れ、免疫の問題、成長機会を得るために自ら自尊心を戦わせることができる場

    に、したいと思います・・・が、問題点もあると考えています。

    言葉を選ばずに言いますが、私の世代(齋藤は今年53歳です)から見て、これからの若い世代の人達は、等しく「自尊心を傷付けられることに弱い」ように思います。

    この感覚は
      ・齋藤の単なる老害(年寄りは若い人を必ずそう見る)
      ・時代の変化や世代的感性の問題
     など、色々な理由が考えられます。

    それにそもそも「自尊心を傷付けられること」は社内では無くとも起きうる事柄だし、「自尊心を傷付けられることに弱い感受性」が産み出す何か素晴らしい可能性を十把一絡げに「成長出来そうにないからNG」と決めつける事に齋藤の横暴を感じています。

    ですのでソノリテで働く選択肢の中に「そうではない人に、そうではない働き方を提供する」を設け、具体的には

     ・いかなる理由があれ自尊心を傷付けられたくない人には、自尊心の強化を強要しない場、区分け

    という事を考えてみようと思います。

    本件については今後、いろいろな意見(特に自分は自尊心を傷つけられることに弱いが成長したいとは思っている という人からの意見)を聞き、具体的なアクションに結び付けて行こうと考えています
    (ぶっちゃけ今齋藤は頭の中にアイデアがありません:これが問題点です)

ここまで1)2)3)と着目してきた内容について「これからのソノリテが定義する職場の心理的安全性」について纏めます

 

まとめ1:「職場のポリコレ」についてはフォーマルな文化が定着するまで指導役、
     あるいは裁き役を齋藤が引き受けます。が、本質的には社員の皆さんの
     互助によるカルチャー作りを期待します。
まとめ2:職場内のゾーニングを進めます。社員の皆さんには自制と自重を
     期待します。齋藤は「塩梅」を検討します
まとめ3:自尊心について「成長の道場」あるいは「望まない居場所」であるのかを
     ここに区分けできる何かを作っていきます

 

上記のまとめ1.2.3がソノリテが定義する「職場心理的安全性」です。この環境に不具合を感じるようならばソノリテに居るべきではないでしょう。

 


■リーダーシップ

 

ソノリテは自主性を尊重し、自主性によって運営される組織です。これからもその形式はしばらく変わらないでしょう。

 

よってソノリテには会社が設置した部署はなく、会社が任命した組織長という役職も存在しない。


会社が誰かに組織やミッションを任命(命令)するということはなく、社員の提案によって事業が立ち上がり、社員が組織するコミュニティやグループによって仕事が推進される。

 

しかし社員が組織するコミュニティやグループ、あるいはプロジェクトにおいて、リーダーは常に必要であり、私はこれからもリーダーのリーダーシップを高く評価していきます。


「私達のグループにリーダーはいません。みんなが平等です」なんていうクラスタに私は仕事を任せられません。

 

そしてリーダーシップ論はいくつもありますが、私は「リーダーシップは学んで得られるものではない」とする考え方が好きです。育ちや天性みたいなものが多分にあると思います。


私が見る限りソノリテ内に「リーダーシップ」を持っていて戦力たるリーダー経験を持っている人は5人もいません。でもリーダーシップの取り方にも色々とあると思いますし、皆さんの可能性を否定する気もありません。時代の変化もありますから。


ですから「自主的にリーダーをやること」を高く評価していきます。リーダーをやることの意義は山ほどあり、リーダーをやることによって成長出来る機会も劇的に増えるからです。

 

ここまでを纏めると

  • ソノリテは今後も「おまえがリーダーだ」と任命するような事は出来るだけしないよ
  • 自主的に「リーダーやります」という人を高く評価するよ

です

 

今年は初の試みとして、外部講師をお招きしてリーダー向け研修を行います。リーダー研修の取り纏めは社内から私が抜擢します。

 

ソノリテでリーダーをやる事はとても大変だと思います。会社としては何らかの支援を、リーダーに対しては別格で行っていきたいと思います。外部講師などの刺激を受けながら、レベルの高いリーダーシップを目指して行きましょう。

 

まあリーダーシップを評価するというお話は、これくらいにします。わかりやすいから。

 

ここからは「リーダーシップには興味が無い」という人について話します。

 

「リーダーシップを高く評価する」というと「リーダーシップに興味が無い人は高く評価されない」と考える人がいます。はっきりいって被害者意識高めのリスクヘッジ型思考だと思います。だれもそんな事は言っていない。


世の中はリーダーだけで回っているわけではありませんね。リーダーだけの会社なんて稼働する訳が無いし、そんな話は誰もしていない。

 

ところで私自身もとても難しいお話だと思っているのですが、皆さんは今まで生きて来て、自分でリーダーを選んできたでしょうか?

 

選挙に行く、投票する、部活のリーダーを推薦する。など、まあ、無くもないのかも知れませんが・・・日本人の標準的な状況としてはだいたい、誰かに「この人がリーダーだよ」と言われて、その人の下につく・・・というコミュニティへの参加が基本だと思うんですよね。


皆さんはそんな状況の中で、リーダーに対し何をしてきたでしょうか?

 

よく「サラリーマンが飲み屋で上司の悪口で盛り上がる」っていうのを目にします。

 

その人達はきっと、会社の人事から、部署異動を命じられ、その部署の上司がXXさんだった・・・みたいなお話なんだと思います。

 

自分で選んだ上司じゃないのなら、そりゃその人の言う事を聞きたくないでしょうし、文句を言うのも仕方がない・・・

 

だからソノリテでは組織を無くしました。コミュニティは自分たちで作ってください。自分たちで作ったコミュニティなら、その組織やリーダーに対して不平、不満はありませんよね・・・

 

というような説明を、私は去年までして来ました。

 

ですが、それは本当でしょうか?

 

自分で選んだリーダーなら、本当に「不平、不満はない」のでしょうか?

 

そんなワケはないですよね。リーダーだって皆不完全な存在ですし、間違える事だって沢山ある。

 

私は社長という役割、つまり会社のリーダーですが、私の采配だって間違いだらけだと自覚しています。


ではそんな私にとって、どんな人がチームに居てくれたら嬉しいか?

  1. 私の機嫌を取る事を最優先に忖度してくれる人
  2. 私の問題課題や弱点を解決してくれる人
  3. 私の問題課題を飲み屋やSNSで拡散し発散している人
  4. 私の問題課題を私に提起し具体的解決策を一緒に模索してくれる人

さてどれでしょう・・・と考えれば答えは簡単で2)4)の人です。

 

ですから私は皆さんが1)や3)の人であれば悲しみ、場合によっては評価を下げたりもします。

 

したがって「リーダーシップに興味の無い人」にとって、私が貴方に求めるモノは2)や4)の姿勢です。むろんプロフェッショナルな立場に立っている事は大前提ですが。

 

もし皆さんが「リーダーシップに興味が無い人」だったとして「(うちの会社は)リーダーシップに興味が無い人は高く評価されない」というような思考回路に落ち込んでいたとしたらもしかしたら3)の姿勢の入り口に入っているのではないでしょうか?

 

そうでなく、皆さんが2)や4)の姿勢であるとするなら、私や各プロジェクトのリーダーからアナタの存在が高い付加価値のある存在として評価されるわけですから、その点において愚直にプロフェッショナリズムを発揮していただければ良いはずです。

 

良きGiverになる事から全てが始まるハズです。

 


■(自己流チェンジマネジメント)シマウマ・パンダ理論

 

先に約束しました「シマウマ・パンダ理論」の話をします。これは私流のチェンジ・マネジメント理論です。

 

ソノリテがこれから「頭脳集団」になっていくにあたり、先に言った通り社員の皆さんはある種の「心理的安全性の損ない」を感じているハズです。

 

理由はいくつもありますが、その一つを言語化すると「状況が良く分からない/会社の考え方が良く分からない」という感じがあるのだと思います。

 

ではなぜ、よくわからないのか?

 

例えば先の例で「ソノリテはプロフェッショナルの集合になっていない。中庸な社員が仲良しクラブを作って馴れ合いをしているだけだ」と言ってくれた社員のフラストレーションは、


(齋藤はソノリテをプロ集団にすると言っているのに、なぜ仲良しクラブを放置するのか?)というモノであり、それは結局「会社の考え方が良く分からない(言っている事とやっている事が違う)」というモノかと思います。


わからない、あるいはわかり辛い理由を説明します。

 

思考実験をします。

○思考実験の課題

  • ここに、白と黒の大量のレゴブロックで作られた、シマウマがいます。
  • このシマウマを、レゴブロックを組み直してパンダにしてください
  • 多少ブロックを追加したり、減らしたりしても良いですが、基本的にはシマウマを構成していた白と黒のブロックをすべて使って、パンダにしてください。
  • 【重要】シマウマは生きています。生きたままパンダに変えてください。

こういう思考実験です。

 

この問題の肝は、もちろん「シマウマは生きています」という所です。シマウマは生きているので、ブロックをすべてバラして部品状態にすることは出来ません。死んでしまいます。


ということは、皆さんは少しずつブロックの位置を変えながら、生きているシマウマをだんだんとパンダにしなければならない、と言う事です。

 

たとえば問題の無さそうな、パンダの耳の部分などから作り変えて行くのも良いかも知れません。例えばシマウマの足の部分から部品をとってしまうと、シマウマの大切な足腰にダメージが有りますから、その時期にライオンに襲われたら、逃げられなくなるかも。

 

さてどこからどうやって、少しづつ、シマウマをパンダにして行きましょうか?

 

重要なのは、「中間のシマウマ・パンダ状態」をどう形成するか、ですね。

 

一気にパンダにすることは出来ませんから、何かを犠牲にしつつ、でも重要な何かは残しながら。ステージによっては「ほぼシマウマ」ステージによっては「だいぶパンダ」みたいなステージングを検討しながら、変更していく。時には急に現れたライオンの為に、いったんシマウマに戻すような事もやりながら・・・

 

この思考実験を真剣に考えていただけたなら、チェンジ・マネジメントの「難しさ」もご理解いただけるでしょうし、その過程における「難解さ、理解の難しさ、不整合さ」なども察していただけるのではないでしょうか。

 

まあ、何しろ、簡単ではない。


私だって、例えばブロックのように会社をバラシてしまって、それから理想の形に再構成すれば早いという事はわかっている。でもそれは成長ではないし、現実世界にはゲームのようなリセットボタンは押せない。ましてや現実はリセットマラソンをやればいつか強いカードが手に入るといったような簡単なルールではない。


ですので私が短期間で本気で「成長・変化を遂げる」として行っているオペレーションは、皆さんから見て「難解、不整合」なシマウマパンダであろうことは察します。

 

ここで言いたい事を纏めると

 

・皆さんが成長変化の途上において会社に心理的安全性を感じられない事があったとしたら、その根源はシマウマパンダ理論みたいな感じだからかも

 

という事でした。

 

そしてさらに言うと、

 

・なるほど、それで理念と実際の不整合などが起きているのか。納得だ

 

と、感じられるか?

 

・そんな会社嫌だな~

 

と感じられるか

 

これらは皆さんの変化に対する免疫や指向性などによると思います。

 

「嫌だ」と思うなら皆さんはこれから先も続くソノリテの変化や社員成長に向かうストレスに「適していない」と思います。「嫌だ」と思ってそれを乗り越える事にポジティブになれないとしたらそれは不幸で、皆さんの似合う職場はソノリテ以外にあるでしょう。

 


■どうやって自分の脳を「働いている状態」にするのか?

 

さて続けて働く場所の話をします。在宅勤務などの話だと思ってください。

 

言わずもがなソノリテは今後も「時間、場所の制約の無い働き方を提供する」会社にしていきます。

  • 満員電車のストレスを感じなくとも働ける働き方
  • 「定時」のような時間軸に縛られない働き方
  • 自分のライフスタイル(例えば育児、例えば通院)を主に、それ以外の可処分時間を「働く」に充てられるような働き方

これらの実現を目指していきます。

 

しかしこれらを目指すにあたり、いつも以下二つの問題に直面します。

  1. 労働法との適合性(法律がダサイ)
  2. 社員が自主性の高いプロフェッショナルになっているか

ソノリテが先進的働き方改革企業である為に、私はこれからも上記2点と闘って行きます。

 

そしてここからは働く場所の話というよりも、頭脳をどうやって働く状態にするのか?というような話をします。

 

私が思う、私達の会社が理想とするような「自社商品やサービスを企画・開発・販売出来る頭脳集団」における「働き方の理想(とくに企画段階)」って、はっきりいって

  • 基本、(PC、スマホ、あるいは取材と称して)遊んでいる
  • ひらめいたり、ゾーン状態になったり、集中できる状態になったらワーッとやる


こんな感じなんだと思います。(これってたぶん「売れっ子作家」みたいなイメージ)

 

ですがまあ、だいたいの大人は「結局そんな風に自分は働けない(働いたところで成果は出せない)」ということも知っているし、仕事にはかならずコミットメントが必要なので、成果物(とくに締め切り)をコミットしなくていい仕事を選べるほど凄いプロフェッショナルは、頂点の一握りてあることはわかっています(自分の納得のいく作品が出来たらアルバムを発表するミュージシャンのような生き方が出来ますか?という話。普通は誰かに頼まれたことを頼まれた期日までにヤラナければならない)

 

ですから普通、いかに自主性の高いプロフェッショナルになっていたとしても、なんとかして自分を鼓舞し、「働く状態に身を置く」と言う事をしなければならない。

 

ましてや自己抑制レベルの低い「若さ」や「幼稚さ」があるならばモッテノホカで、「働く状態に身を置く」事を自分に課さなければ、ヒマでもないのに暇つぶしスマホゲームに脳が逃げるし、私生活との区別がつかず食欲性欲睡眠欲等の低次の要求に逆らう事が出来ない。

 

その為に会社は最適であるわけです。なんといっても衆人監視がありますから。

 

私は「ソノリテは皆さんにとってなんであるか?」と考えた時に、ソノリテは皆さんにとって「都合の良い職場」でも「都合の悪い職場」でもなく、企業理念に謳われています通り「社員が成長できる場」でなければならないと思っています。

 

当社の企業理念は社員の成長ですから、社員が成長出来る場所を提供しなければそれはソノリテではない。

 

よってソノリテは皆さんが「働く事を通じて成長」するために「働く状態に身を置く」事が如何に出来得るかという価値判断で「働き方」を提供提案していきます。

 

つまり纏めると

  • 自分を「働き脳状態」に置きたい人にとって、良い場所
  • 可処分時間で「働きたい」人にとって、リモートなどで仕事、社会参加できる場所
  • 場所的制約に捕らわれないで「(ちゃんと)働きたい」人にとって、リモートなどで仕事、社会参加できる場所

さらにここに

  • (ミッション達成のために)多様性の統合という場が提供されている

ということを、もっともっと細分化し突き詰めて考えて、働き方を提供していきます。

 

また現在ソノリテにおいて、あるいは全ての企業活動等において、働く時間の中にどのくらい「クリエイティブな意味で脳を使う時間」というのが存在するのかというお話もあります。


そもそもクリエイティブ以外にも仕事は沢山あります。クリエイティブな局面などわずかしかないと言っても良いでしょう。プロダクト化やマーケットの流通における業務などはすべて時間と相手とのコミットが必要な仕事であり進行の管理や受け身な業務の為の待機などもすべて重要な業務です。


ということは「自分を働き脳にする」という観点以外においても「時間と場所を選ばない働き方」における論点があって、例えば

  • どんな場所にいても一定量の(例えば顧客や業務相手への)コミットに対応する為、自動的に自分が「働き脳」になれる仕事

をしている人にとって、例えば通勤電車などは単なる時間と体力の無駄使いであると
言えます。

 

何れにしても其々の業務内容や成長度合い、さらにそこに、今後の成長の糧となるはずの「多様性組織内でのコミュニケーション」という観点も加え、段階的かつ個別に多様な働き方の提供を行っていきます。

 


■SCS(Sonorite Creative Satellite)について

 

今年(2020年)の5月末日をもって、SCSを終了させます。

 

SCSは2017年5月に、以下の目的をもってスタートさせました。

【SCS目的】

  • MMD活動や非日常活動の為の空間
  • 社員が職場から逃げ出したい時のコクーン
  • 実況放送等が通常執務や残業に影響している現状を打破
  • 各拠点の設備の移動先
  • 広報的利用
  • MMD利用促進

これらの目的に対し、実績を出してくれました。ここまで運用してくれていたセンター長に感謝感謝です。

 

そしてこれからソノリテがさらに高度な頭脳集団となり、先から述べているような「プロフェッショナルの多様性が統合された組織」になるにあたり、SCSの当初の設立目的であったいくつかの要素が、今度は逆ザヤになってくるステージとなりました。

 

具体的に言うとこれからは皆さんをよりプロフェッショナルとして扱いますのでコクーンの必要性も無くなりますし、職場内のゾーニングや社員皆さんの意識の高さにより「誰かの業務が誰かのモチベを落とす」ような事は無くなるという事を期待しますので、上記のような「場所の提供」をむしろ無くし、本社なら本社にて混沌を作りだす方が有益で、皆さんの成長に繋がるからです。

 

クリエイティビティは今後も伸ばしていきたいので、ゲームや様々な刺激的な機材の
ある空間は本社内にもたらしていきます(もうわかると思いますが、誰かが何かを創造する為にSCSを占有していたら多様性統合に繋がらないですし、複数人でSCSを使う局面もメンバーが硬直化している)

 

すなはち創造的破壊の一環として、SCSを終了します。

 

皆さんナルハヤでSCSにある私物を持ち帰りましょう(私の私物が一番多いというのは承知です)

 


■みなさんの会社にする

 

そろそろ纏めます

 

私がここまで書いてきた事で、みなさん何となく

  • ああ、少しゾーニングとかを始めるんだな
  • 「マッタリと仲良しクラブ的ぬるい空気」がそろそろ許されなくなるんだな
  • それでいて今までより「他の仕事をしている人ともっと接点を持て」みたいな事が言いたいんだな

って感じが、少しわかってもらえたかと思います。

 

当社のような社風を持つ企業において、「働き方改革」機運はとても好機であり、先駆的に取り組んできたことが実を結んでいるし、これからもソノリテは働き方の改革に実践的に取り組んでいきたいと思っています。

 

もちろん誰かの真似ではなく、自分で考えた自分たちの為の「働き方改革(社員の成長の為の改革)」です。

 

働き方改革」は皆さんの意識の通りで

  • 優秀な人にとって、働き方改革は有りがたく、産み出す付加価値を上げられる
  • 堕落したい人にとって、Taker意識が強まり、堕落が進む

といったモノかと思います(もちろんブラック企業ではないという前提がつきますが)

 

ソノリテが「働き方改革時代の特徴企業」としてこれからもオンリーワン企業であり、オンリーワン製品、オンリーワンサービスを産み出すためには、皆さんの主体性がどんどんと加速し、皆さんが高速に成長していくことが必要です。

 

私はソノリテがシマウマからパンダに高速で変容し、給与1.8倍などといった低次の目標が簡単にクリアできてしまう状況を作り出すべく、出来る限り支援しますので、どうか皆さんソノリテでの成長を楽しんでください。

 


■ソノリテ Think COLORFUL

 

最後に、

 

結局私の言っている事は、

 

  • 自立した個が、共鳴し合う事
  • 多様な個が、個性を発揮する事

 

です。

 

 社名ソノリテ(Sonorite):仏語で「共鳴」
 タグラインThink COLORFUL:カラフル(多様性)に、考えよう

 

って事です。

 

最初っから、このことしか言ってないです。

 

その事に気が付いてくれたら、嬉しいです。

 

ではだいぶ長くなりましたので、なんかもっと言いたい事もあったような気がしますが、そろそろやめます。

 

2020年も楽しみましょう。

 

From: 齋藤 和政 <k-saitou@sonorite.co.jp>

「ごきげんよう」

職場で「お疲れさまです~」「お疲れさまでした~」みたいな挨拶をしますよね。

 

で、これが、あるときとても気になりだしました。嫌になりました。

 

「オツカレサマデス~」って、なんだか

  • 仕事とは、疲れるモノ
  • 仕事を頼んだ人が、仕事をやってくれた人を、労う挨拶

上記のような、前提がある、気がしてきた。

 

もちろん、そういうシゴトもあると思う。

 

私が誰かに「荷物を運んでもらう」というシゴトを頼んだとする。そうしたら私は、荷物を運んでくれた人に「お疲れさまでした」と、言うべきであろうと思う。

 

でも、当社の仕事の前提は、基本的には違う。

  • 当社の仕事はクリエイティビティの高い物でありたい
  • 当社の経営理念は「社員の成長」であるから、社員が当社で仕事をする目的は、自身の成長であってほしい
  • 当社は社員に、仕事を楽しんでもらいたい

そんな風に、思っている。

 

だから、「お疲れさま」では、ないはず。

 

社員のみんなは「頼まれたことをやっている」のではなく、「自分の成長の為に行動している」のであり、「クリエイティビティを高める活動を楽しんでいる」のである。の、はずである。

 

そりゃ、仕事ですから、ストレスはあります。あるでしょう。

 

だけど「ストレスに耐えるのが仕事だ」「疲れるのが仕事だ」と、最初っからそのように決めつけたくはない。少なくとも私は、ない。

 

私は、好きで社長をやっている。誰に頼まれてやっているわけではない。

 

社長だってストレスはある。中小企業の社長なんてストレスだらけです。ホント。

 

だからといって私は「社員の生活を守るために社長をやってあげている」なんて微塵も思っていない。私が社長業をやっている理由は、自分の成長の為である部分が大きい。

 

だから私は「お疲れさまでした~」と言われても、違和感がある。

 

あ、いや

 

それはちょっとウソ

 

「お疲れさまでした~」と言われたら、ちょっと嬉しい。

  • 社長って大変なんだよな
  • 社員より遅くまで残って、大変そうだよな
  • 大変なのによくやってるよな。ご苦労様だな
  • 疲れた男の背中って、哀愁があるよな

そう、言われている気がして、ちょっと嬉しい。

 

そして、この「嬉しい」ってのが、ダメなんだと、自分で思っている。

  • やってあげている
  • 犠牲を払ってあげている
  • 文句も言わずやっている
  • やりたくもないことを、やってくれている

こういうのを「褒められ、慰労されて、嬉しい」では、ダメだ。

 

少なくともクリエイター・イノベイター・改革者・アーティスト・etc・・・などの仕事をしているプロフェッショナルであるという自負があるならば、そんな犠牲的精神で「労働」しているようじゃ、ダメ。

 

もちろん「犠牲的精神で労働する」仕事だって、尊い

 

「誰かの為に犠牲になり、人の嫌がる事をしてあげる仕事」ってのは、尊い

 

そんな仕事をしてくれている人には「ご苦労様、お疲れ様」と、言ってあげたい。

 

だが、俺のような仕事は、それではダメだ。

 

  • 今この世界に無いものを産み出し、世界をあっと言わせるようなクリエイティビティをもった「ソノリテ」という会社をもっと成長させる。
  • 成長意欲をもったプロフェッショナルが集合し、互いに共鳴し、知的生産性が無限に増殖していくようなコミュニティとして「ソノリテ」を高めていく。

きっとそれが俺の仕事

 

産み出さないと。世界に無かった何かを。

 

そんな俺が「お疲れさまです~」とか「お疲れさまでした~」なんて挨拶してたら、ダメだ。

 

仕事を「そんなもんだ」と定義していたらダメだ。それを社員に振りまくなんて、ホントダメだ。

 

「何かを産み出す」事に執着し、ポジティブにアクションし、既成の常識にとらわれない生き方を楽しまなければ、絶対にダメ!

 

だからもっともっと、会社を極限までポジティブ、隅々までポジティブにし、あらゆるスキマからネガティブなものを掃き出すようにしていきたい。

 

そう、思うんですよね・・・

 

そうそう、私はとってもメンドウクサイ人間なんです。

 

「忘年会をしない」なんてのもメンドクサイあれでして・・・

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

そしてそのメンドクサさの延長線上に、ソノリテの共鳴哲学が存在して欲しいと思っているわけで・・・


・・・

 


まあ、そんな事なんですが、それは良いとして


じゃあどうすんだ?

 

その、齋藤の言う、ネガティブな挨拶として日本人に染みついている「お疲れさまです~」っていう慰労の挨拶を止めて、どういう挨拶をしようってわけ?

 

 

・・・これがすごく難問なんですね~

 

やっぱね~日本人、すごくシニカルです。「おつかれさまです」みたいな挨拶、染みついている。それに代わる挨拶って、あんま、無い。


で、今、私は、社員の皆さんに


ごきげんよう


って、挨拶しています。

 

 

って感じです。

 

 

うちの社員の皆さんって、私の奇行に付き合ってくれる、本当にとても良い人達ですw