みじめ ミジメ

■しらけ鳥音頭

 

しらけ鳥~ 飛んでゆく~ 南の空へ

みじめ みじめ

しらけないで~ しらけないで~ しらけたけれど

みじめ みじめ~

引用:「しらけ鳥音頭(1976)」

 

 唐突に「しらけ鳥音頭(1976)」を引用させていただきましたが、先日ふと

 

「さいきん“みじめ”って言葉を聞かないな~」と思ったので、今日はそんな事から、ブログを書きたいなぁと思ったんですが

 

みなさん、最近、聞きますか?「みじめ」

 

「おまえミジメだよな~」

 

とか

 

「わたしミジメだな~」

 

とか、

 

最近言いますか? 聞きますか?


なんとなく、最近、聞かないな~と思って・・・

 

で、「ところで ミジメ って何だっけ?」と思いましたので、調べますと、例えばweblioには、このように書かれています。

 

www.weblio.jp

 

「見ていられないほど、あわれ」ってのがポイントのようですね。

 

語源も、どうやら「みじ」は「見じ」で、「見たくない」という事から来ているようです


と、いうことは


「みじめ」って言うのを、聞かなくなったな~と、私が感じたのは、「見ていられないほど憐れな人が、いなくなったな~」と言う事かも知れない。


うん。そうか、確かに。


たぶん世の中って、私が子供の頃(私は1967年生まれ)よりは、ずっと豊かになっている。

 

豊かになったから、ミジメな人を、見なくなったのか・・・

 

そこで、私より古い世代、例えば私の親の世代の事を考えてみます。

 

私の親は、戦争や戦後を経験している世代です。

 

だから私が感じるに、私の親の世代は、私の世代より、それはそれは貧乏だったり、世の中が荒れ狂っていたり、していたはず。

 

それはきっと、リアル「火垂るの墓

 

例えば私の母親は、東京大空襲の時に赤ちゃんで、お姉ちゃんの背中にオンブされながら逃げ回り、空襲の火の粉が背中について、ギャン泣きしたらしいんだよ~みたいな戦争話を持ちネタとしてもっています。

 

私の親たちの世代は、そんなリアル火垂るの墓の世界で、とてもみじめな思いもしただろうし、みじめな人達も見てきたでしょう。

 

私はそれよりは豊かな世代です。なんたって青年期にはバブルも経験していますし。

 

だから「ミジメな人」を見るってのは、年代によって、だんだん少なくなっているのかも知れませんね・・・

 

まあでも、私が小学生くらいのころは、まだまだ日本には戦後や貧困の残骸がありましたし、

 

そんなころ(私が小学生のころ)、テレビのお笑い番組からメチャクチャ面白いテレビ番組があり、そしてその中で、小松政夫さんが歌っていたんです。

 

しらけ鳥~ 飛んでゆく~ 南の空へ

みじめ みじめ

しらけないで~ しらけないで~ しらけたけれど

みじめ みじめ~

引用:「しらけ鳥音頭(1976)」


この歌、当時の小学生に大流行しました。

 

誰かが何かを失敗すると、はやし立てるように言いましたね!

 

 ミージメ! ミージメ!!

 

 

■ミジメになりたくない

 

なにかで失敗したり、ボロボロになっていたり、見るのが辛いくらい極貧状態であったり・・・


そういうのが「みじめ」


「みじめ」な人は、見たくない

 

でも、そんな「みじめなひと」を見たら、どう思うか

 

「ああは成りたくは ないなぁ・・・」

 

私はだいたい、そう思っていた気がします

 

「あんなにミジメな姿には、なりたくないなぁ・・・」

 

 

■自分自身への疑問

 

話は変わりますが、私は、自分が本当に「成功したい」と思っているのだろうか?と思う事が有ります。

 

私は会社を経営しています。そして会社の経営には主導的な活動を行うための衝動が必要だと思っています。

 

多くの「働いている人」は、何らかの命令や、何かのミッションを与えられて、それを「受け、こなしている」のだと思います。

 

ですが会社の経営は、先導し、牽引し、決断し、場合により引責する事です。「言われたことをやる」というのとは本質的に違います。


ですので受動的な行動力よりも主導的な活動力が必要で、そのためには何らかのパッションが必要だと、私は考えています。

 

そしてそのパッションが、私の場合、「成功したい」とか「金持ちになりたい」とか「社会を良くしたい」とかそういう使命を起点にしたものかというと・・・ちょっと自分自身に疑問があるんですよね。

 

私は、自分は比較的、反骨心の強い人間なんじゃないかな~と思っているんです。

 

ですから私の企業経営者パッションの源泉は、反骨。

 

「なにくそ」とか「ふざけんなこら」みたいなモノから来ている気がしてます。

 

なにかこう、何かに対して「なにくそ」みたいな怒りがあり、それがエネルギー。

 

そしてこの「パッションの源泉」とか「エネルギー」って、もしかしたら「みじめ」と関係しているんじゃないか?そんな気が、ちょっとばかり、します。

 

「ミジメな思いはしたくない。ああは成りたくない。」

 

  • バカにされたり
  • ケンカに負けたり、カツアゲのような事をされたり
  • 人前で恥かしいおもいをしたり
  • プライドなく人の施しを求めたり
  • こそドロのような真似をしたり

 

そういうのが「ミジメだなぁ」「ああは成りたくないなぁ・・・」


ところがですね・・・

 

私はこの「ああは成りたくない」っていうのは、明確に人権を侵害されたりする事を除けば、


自分のプライドや、人格を貶められるような事ではないかと思っていたのですけれども・・・

 

ですから「人格を貶められる」事に対して、「なにくそ!」「ふざけんなこら」みたいなことを反動力として、エネルギーだったりパッションに、している・・・

 

そんな感じが、ちょっとあって

 

と言う事は、私は「ミジメな思い」をしたくないから「経営者やってます」みたいな感じで繋がるんですよね。

 

ミジメな人生を送りたくないから、経営者やっていますキリッ

 

ここでいう「ミジメな人生」っていうのは、ミジメの意味をひっくり返すと良いと思うので、言いたい事は

 

誰に見られても恥ずかしくない人生を送りたいから、経営者やっていますキリッ

 

って感じになります。

 

ある意味「ハングリー」みたいな事なんだけど・・・

 

 

まあ、でも

 

こういう「ハングリー」みたいなものは、きっと古い。

 

きっと古い・・・気がするんだが、

 

なぜなら・・・そう、ここがわからなかった。なぜ?

 

 

だってみんな、誰に見られても恥ずかしくない人生を送りたくない?

 

いや、どうもそうは思えないんですよね。

 

卑怯だったり、だらしなかったり、ウソつきだったり、甘えん坊だったり、すぐ逃げたり・・・

 

 

■フィルターバブルの話


見たくない物、見ます?


私は今、ビジネス上のコミュニケーションの大半をネットで行っています。

 

私は、私の同世代の中ではネットの利用が高い方だと思います。

 

そして私はIT企業の社長なので、ある程度はネット界隈に起きている事象について興味を持っておく必要があり、それを実践しています。

時によりネットの利用による企業の働き方改革ついて講演もしています。

 

そんな私が、本当に心配に思う事の一つに、「フィルターバブル」というキーワードがあります。

 

フィルターバブル

ja.wikipedia.org


ネット社会は急速に「情報の検索」が容易となったことと同時に、「見なくても良いモノを見なくて良い社会」を創り上げた気がします。

 

そしてこの「見なくても良いモノを見ない」という状況が、人々を、本当に幼稚にしているような気がしてなりません。

 

「情報皮膜で知的孤立」する人々が、幼稚な情緒や正義から成長する為の挫折に出逢う事なく、自分で作った被膜から出る事を「しなくてよい自由」が確立されて来ている。

 

これは情報化に対する老害的見方かも知れません。

 

ですが本当に心配なのは、どのような原因であれ、「人は長い孤独によって反社会的人格を形成する」事はさまざまに研究されており、そのような肌感もある。

 

私たちは、見たくないものを見ないでよいという情報被膜と同時に、情報化孤独という問題を持ち始めているのではないかと言う気がしているんです。

 

 

■ミジメな人は、本当にいなくなったのか?

 

ここまでで、私は

 

「みじめ」な物は、

  • 世の中が豊かになったから、目の前から消えたのか?
  • 見なくても良いモノを見なくて良くなったから、見ていないのか?

 

が、わからなくなり、そして私のハングリーが

 

  • もし「ミジメな思いをしたくない」ことに源泉があるなら、それと同じものをこれからの人達に期待する事はナンセンスなのではないか?

 

と、考えるに至るわけですよね。

 

うーん


「みじめ」

 

本当に、無くなったんですかね?

 

「ミジメな人」

 

本当は沢山いるんじゃないでしょうかね?

 

フィルターバブルで、見えなくなっただけなんじゃ???

 

いや、もっと言えば

 

フィルターバブルで、自分が「みじめ」だと、認めなくても良くなったから、自分が「ミジメだという自覚のない人」が、増えたのかも

 

卑怯だったり、だらしなかったり、ウソつきだったり、甘えん坊だったり、すぐ逃げたり・・・

 

それって、そんな人生って、ミジメだよね?そうでしょ?そうじゃないの??

 


なんかねぇ


見たくないんですよ・・・私・・・


Twitterなどに、どんどん増してくる、匿名垢、裏垢などで、ネットに不毛でクソな社会に対する愚痴や、不労所得を得ようとすることにだけ興味があったり、有名垢に対して嫌がらせDMすることだけを生きがいにしているような、下賤なる魂・・・

 

ほんと、見たくない・・・

 

匿名だから、恥かしくもないのだろうか???

 

人間の魂に貴賤は無い・・・とは思えない。それはきっと、情報被膜の中で幼稚なまま生きる事を許されているから。そしてそれは孤独と言う最悪の状況を加速させ、反社会的人格が芽生えている事を誰にも悟られない。

 

それは、「ミジメな人」なのでは ないか?

 

卑怯だったり、だらしなかったり、ウソつきだったり、甘えん坊だったり、すぐ逃げたり・・・ 

 

見たくない、残念な人・・・

 

 

まあ、でも


見なきゃダメなんじゃないか。お互いに。現実を。

 

会社の社長として、この「現実を見る」っていうことを、自責的に考えると

 

あらゆる人が「現実との向き合い」という事を、「しなければならない」理由として、「仕事」とか「働かなきゃいけない」ってのは、まだ機能していると思うんですよね。

 

  • 世の中、豊かにはなった
  • でもまだ、やっぱり基本的には、働かなければ生きてはいけない。普通は。
  • そして働くからには、自分で情報被膜からでなければならない

 

そんな所に、会社の役割っていうのが、一つあるような気もする。

 


私は、ハングリーで会社を経営している人間デス。

 

そんな私が、これからのトレンドとなっていくであろう「情報被膜内に居る事を許された、私より豊かな社会に生きている人達」を、「社会との接点を作る“仕事”」を提供する側となり、孤独を脱出させ、させながら会社としての機能を成長させる・・・

 

そんな未来像を予測し、これからの会社の在り方を考え・・・

 

・・・

 

う~ん


そんな現実、見たくないなぁ・・・


出来るのかしらん?


・・・まあ、やるけどな。俺は

 

こんな時代に会社の社長になったんだもの、やってみるよ

 

「見ていられないほど、あわれな現実」を、目ん玉ひんむいて、見て行きます

 

現実世界の無常に、しらけていないで、見て行こう!!

ルールがないとメンドクサイ?

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

前、ルールについて↑のようなブログを書いたんですが、また、ルールについて書きます。

 


私が小学生の頃に、学校に「廊下を走るな」というルールがありました。

 

皆さんの学校にも「廊下を走るな」というルール、ありましたか?

 

小学生なので、友人とふざけ合っていたりしてテンションが上がり、走り回っていると、先生から怒られたものです「こらっ!廊 下を走るなっ!!」

 

でも例えば皆さんは、先生が何か緊急の用事で、廊下を走っている姿を、見たことはありませんでしょうか?

 

その時、どう思ったでしょうか?

 

私はこう思いました。(まあ、先生は大人だからな…)

 


「廊下を走るな」というルールは、おそらく、走っている小学生同士がぶつかって怪我をしたり、すべって転んだりするような「怪我の防止」を目的にしたルールなのではないかな~と思います。

 

小学生ですから、周りの状況に注意して、理性的にふるまう事が必ずしも出来るとは限りません。

 

身長が低いせいで視野も狭い。 筋肉もまだ未成熟。

 

したがって大人よりも怪我をする確立が高い。

 

そして怪我をした場合、まだ未成年なので、回りの「保護者」が責任をとるということが一般的な通念である。


つまり「子供」なんですね。


あたりまえですよね。小学生 なんだから、 子供 である。

 


「子供」とは

  • 未熟である
  • 未熟ゆえに、失敗をするリスクがある
  • 未熟ゆえに、保護者が必要である


まあ、そんな感じ。

 

だから子供は、ルールにしたがいましょう。未熟者である子供は、色々な事を自分の力で制御したり、自分の判断で行動したりす ると、怪我をしたり、失敗をしたりするから、ルールにしたがいましょう。

 

まあ、そんな感じになるわけです。だからルールがある。


でも小学生だって、走り回っていたら危ない事ぐらいわかります。

小学校1年生と6年生じゃあ、体格もだいぶ違うから、1年生に6 年生がぶつかったら、とてもヤバい事になるくらい、知っています。

 

でもですね~ 走っちゃうんですよね。子供だから。

 

だからルールを作るわけです。「廊下を走るな」と。


なんなんでしょうね?


なんなんでしょうね?ルールって?


小学生だって、知っているんですよ。走ったら危ないってことぐらい。

 

じゃあ、「ルール」を作ると、どうなるのか?

 

「もともと(やったら危ないと)知っている事  が  ルール  に なった」ら、何が変わるのでしょうか?

 

子供(小学生)は

  • 自分(子供)は、「走ったら危ない」と、知っている
  • でも、テンションが上がっていたり、何か急いでいたりすると、つい、走ってしまう
  • でもその「今なら走っても良い」という判断は、間違っている可能性がある

 

そこで、大人(保護者)はルールを作ります

  • 自分(子供)は、「走ったら危ない」と、知っている
  • 廊下は「走るな」というルールがある
  • ルールを破ってはいけないから、走らない

 

これが、ルールを作った側の、期待値です

 

ここで、「ルールを破るモノ」が、出てきます

  • 自分(子供)は、「走ったら危ない」と、知っている
  • 廊下は「走るな」というルールがある
  • でも、テンションが上がっていたり、何か急いでいたりすると、走りたい
  • 今廊下には誰もいない
  • 走る

 

ここからはいくつかに分岐します。

  • 廊下を走っている子供がいる
  • 先生がそれを見つけ「廊下は走るな!」と叱る
  • 生徒「なんでですか?」
  • 先生「ルールだから」
  • 生徒「今廊下には誰もいないじゃないですか?」
  • 先生「子供は判断を誤る可能性が高い。だからルールに従いなさい」
  • 生徒「はい」
  • 先生「聞きわけの良い、良い子だね」

 

分岐2

  • 廊下を走っている子供がいる
  • 他の子供がそれを見つけ「廊下は走ったらだめ!」と言う
  • 走る生徒「なんで?」
  • 叱る生徒「ルールだから」
  • 走る生徒「今廊下には誰もいないじゃん?」
  • 叱る生徒「子供はルールに従わないといけない。大人のいう事を聞かなければいけない」
  • 走る生徒(もやもや)
  • 叱る生徒(私は先生のいう事を良く聞く、良い子)

 

分岐3

  • 廊下を走っている子供がいる
  • 他の子供とブツかる!怪我をする
  • 先生や、他の生徒が叱る「廊下を走ってはいけないルールでしょ!なんで走ったの!!」
  • 走った生徒「・・・・・」
  • 叱る側「お前みたいのがいるからルールはあるんだ!みんなもルールを守って、他の人に迷惑をかけるなよ!!」


こうやって、どんどん、「ルールを守る子」というのが出てきます・・・ね。


ルールはですね。


なかなか、難しいものです。


ルールによって、ルールを破って(廊下を走って)事故を起こした子供は、どうなるか?

 

ルールの大切さを知り、ルールを守ることで、みんなが平和に成れることを、知る

ので、しょうか・・・

 


私は、以下の可能性が恐い、です

  • ルールを破ると怒られるので、「何しろルールに盲目的に従う」人になってしまう
  • ルールがないと「判断が出来ない」人になってしまう
  • ルールを守らない人を「悪人だ」と評価する人になってしまう

 

上記が、恐い、です。とても、恐い。

 


私は、自社の社員に、以下のような人になってもらいたいと、思っています

  • 常識を疑える人
  • 自分の哲学をもっている人
  • 非常識な発想ができる人
  • 新しい事にチャレンジすることが出来る人
  • 古いものを壊すことが出来る人


だから、何かに、盲目的に従ったり、常識というルールに囚われたり、縛られたりしている人を、残念だなと思うのですね。


だから、私は私の会社に、出来るだけルールを作りたくないんです。

ルールは人を盲目的にし、自立志向や改革的発想を阻害する可能性があるから、なんです・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・・・・おいおい 大丈夫かよ 齋藤よ

 

・・・バカな事言ってちゃ、いかんぜよ 齋藤

 

ルールの無い所で、仕事の効率や、品質、安全などが、上げられるわけが、ないだろ? 齋藤

 

・・・うん・・・はい

 

・・・そうですね・・・そうですよね・・・


例えばですね


車を作っている工場があるとしますね?


ネジをシメるための、ドライバーがあります。この工場の中に、200本の、ドライバーがあるとします。


今日、ドライバーが一本、無くなってしまいました。

 

さて、どうしますか?


最悪の回答「ドライバー一本ぐらい、新しいの買えばいいよ」


まあ流石に、それはマズい事ぐらいは、わかりますね

 

そのドライバーが、まずお客様にお納めする車の中に入ってしまっていたら、入っている場所によっては、大きな事故に繋がります。最初にそれを心配しなければなりません。

 

もしお客様の車に入っていなければ、次に工場の機械を疑いましょう。明日工場を始動したときに不具合が発生し、大きなトラブルに発展してしまう可能性があります。

 

・・・ですので

 

必死に、必ず見つかるまで、工場の中を隅から隅まで探しましょう。

 

ドライバーが見つかるまで、絶対に何もしてはいけません。工場を動かしてはダメだし、作った車を売ってもダメです。これは「 ルール」です!


まあ、それくらいは、誰でも思いつきますね?

 

はいじゃあ、みんなで必死に探して、ドライバーが見つかりました。探すのに30分、みんなで残業をしました。


一件落着


・・・では、ないですよね


なんで、ドライバーは無くなったのでしょうか?


ここを調べないといけませんね

 

そうしないと、明日もまた、ドライバーが無くなるかも知れませんからね


明日もまた、全員が30分残業するとなると・・・会社としては無駄な残業代を払う事になりますし、工員のみなさんだって、迷惑です

 

はい。調べます。調べました。


原因は、ある工員の「ポケットから落ちた」のだとわかりました(もちろん今どきこんなミスをするようなオペレーションの工場なんてないでしょうけれど)

 

ですので、「工具をポケットに入れない」という「ルール」を作りました。


一件落着


・・・では、ないですよね


まだまだやる事は沢山あります。

  1. 他の工場で、類似事案が発生する可能性があれば、通知をする
  2. 自分の工場で、ドライバー以外で類似の事象が発生しそうな可能性があれば、通知をする
  3. 当該の工員が、「なぜドライバーをポケットに入れたのか?」を研究し、業務に不必要な理由であれば、その理由の根源を無くす
    (例えば工程1,2,3のうち、工程1と3にドライバーが必要で、工程2にドライバーが不必要なら、工程を見直す)
  4. そもそも作業服にポケットが必要なのかを検討する。また、ポケットに蓋をつけるなどを検討する

等々

 

何かトラブルが起ったら、上記のようなことをする「ルール」を作っておいて、品質を高めて行く

 

私は工場オペレーションの素人なので上記は想像ですが、まあ、モノヅクリをしている人は上記のようなことを「KAIZEN」 として行う事が、染みついている

 

みんなそうやって、品質の高い「仕事」をしているのだと思うんです。そうやって、過去の失敗経験や学びを「ルール」などにして、引き継いでいく。

 

つまりですね、言いたい事は・・・

 

KAIZENとは本当に、様々な思考や努力を徹底的に積み上げることであり、そのKAIZENの一つの産物として、「ルール」はあるんだよ。と言う事が、言いたいわけです。

 

  1. あるトラブルがあった
  2. そのトラブルを二度と起こさない様、徹底的に色々な策を考える。それがKAIZEN
  3. KAIZENの産物の一つとして「ルール」がある


ひっくり返して言うと、


「ルールとは過去の失敗を繰り返さないために制定されたノウハウ」

 

で、あるとも、言えるわけです

 

そう考えると、先の「廊下を走るな」というルールは、過去のトラブルを二度と起さないようにするノウハウであって、そのルールをみんなで守る事で学校生活の品質が上がると、まあそういう事ですね。


ルール素晴らしい!


ルール最高!


ルールがしっかりしている学校であれば、怪我をするリスクの多い子供たちだって、安心して任せることが出来る!!

 

ある種の親の感性からすると、そのように思います。


もうちょっと大げさな話にしましょう

 

ルールの延長で、法律の話をしましょう


「法律のない国」があったら、恐いですね


例えば車、全ての道において、どちらの車線を走っても良いし、信号を守ろうと守るまいと罰せられないし、どれだけ速度を出し て走っても良い。という国があったら

 

私だったら怖くて、車の運転をしないどころか、家から出れない・・・


だからですね!法律すばらしい!


法律最高! ルール最高!!

 

・・・・・


・・


あれれ・・・と


最初齋藤は、ルールが邪魔・・・みたいなことを言っていた。でも、なんだ結局、ルールは必要なのか・・・


どうやら背反な意見になっている


ルールによって安全が確保されたり、品質が高まっている社会では、「常識を疑える人」や「非常識な発想が出来る人」って、育たない・・・

 

逆に

 

「既存の常識に問わられず、自分の哲学を持つ人」にとって、「束縛の弱い自由な空間」を作ると、それはもしかして、❝とても品質が悪かったり、安全が保たれていない空間になっているのではないか・・・❞

 


さて、

 

うちの会社(株式会社ソノリテ)は、比較的、「ルールを作らない」会社です

 

だから、特に他の会社から転職をしてきてくれた人などは、戸惑う場合があります

 

「XXXのルールはどうなっていますか?」

「ありません。自分で考えてください」

「はぁ・・・しかしそれでは・・・困ったな ・・・」


先の「工場のドライバー」などの話で、例えば「ドライバーはどこに片付けたらいいですか?」と言われて「自分で考えてくださ い」と言われたら、困るでしょうね。

 

そう、うちの会社は、結構「社員が困る会社」なんですね。

 

困らせたいんです


出来るだけ、困らせたい


この「出来るだけ」というのが、とてもとても、難しいのですけれども・・・


社員「え?だって、ルールがないと、何をどうしたらいいかわからないですよ!とても怖いです。」

 

と、問われたら、私はだいたい、以下のように答えます

 

齋藤「社員から、成長の機会を奪いたくないから、出来るだけルールを決めない」


社員「えー」


で、


だいたいそのあと、社員の口から出る言葉って、決まっているんです


社員「えーーー メンドクサい会社だなぁーーー」

 


これ

 

そうなんですよね。うちの会社は「社員が困る会社」で、それは「社員がメンドクサがる会社」


この「メンドクサい」が、重要

 

そして、社員はこの「メンドクサい」の代わりに、何を得るのでしょうか?

 

そこが、さらに重要

 

私は以下3つだと思っています

 

  • 本質的な自由
  • (ルールに従えば楽、という依存型の効率ではない、本質的な)効率
  • ルール(ローカルルール)を自分で考えるという成長のチャンス


この3つ


長くなりましたが、この3つ「自由、効率、チャンス」を、自らの働き方に取り入れたいと考える人は、出来るだけルールのない職場で働く事をお薦めします。

 

アナタが

  • 常識を疑える人
  • 自分の哲学をもっている人
  • 非常識な発想ができる人
  • 新しい事にチャレンジすることが出来る人
  • 古いものを壊すことが出来る人

だったら、きっと成功しますよ・・・


廊下を走らない良い子だったアナタには、もしかしたらかぎりなく「メンドクサい」職場なのかも知れないですけどね・・・

 

でも、どうするかは、アナタが決める事です。



最後に一つ、一番大事な事を言うのを忘れていました。


最初の方に書きましたが

 

子供である小学生は、廊下を走るなっていうルールを守った方が良いですよね?

 

でも、大人である先生は、廊下を走っても良いですよね?


・・・大人だからね


そう


ルールのない会社で「自由、効率、チャンス」を得て、様々な活躍が出来るのは、大人だけです。

 

ルールのない会社が❝とても品質が悪かったり、安全が保たれていない空間になっている❞としたら、

 

それはそこに「子供」がいるからです。

 

子供がいるから「廊下を走るな」というルールが必要です。

 

大人だらけの空間に「廊下を走るな」なんてルールは不要。

 


だからアナタがもし「自分はまだ子供だ」と思うなら、それならルールのある会社で、修行した方が良いかも知れないですね

ボディビルジム選びと甘えの話

■マッチョになりたいとき

 

アナタは、マッチョになりたいと思って、ボディビルジムを選ぶ時、どういうジムを選びますか?

 

まず、【第一段階】ネットなどで

  • アクセスが良い、費用が手ごろ みたいな基礎的なもの
  • 評判が良い、悪いうわさが無い など社会認知的なもの

 

次に、【第二段階】体験入会などをして

  • ロッカールーム、トイレが綺麗 みたいな基礎的なもの
  • 事務員の対応が良い悪い などこれも基礎的なもの

を、確認

 

そして、さらに、いわば本丸【第三段階】

  • 良いトレーニング機器があるか?
  • 良いトレーナーがいるか?

などを確認

 

さらに言えば、この後、付加価値的な物を確認していくわけですが・・・


もしアナタが、本当に「マッチョになりたい」と思うなら、ボディビルジムの本体価値である【第三段階】に強く着目するべきだと思うんですよね。普通。

 

ところが現代人は、付加価値である【第一段階】や【第二段階】の課題を先んじてしまう傾向があります。

 

本当は、本当にマッチョになりたいなら、【第一段階】や【第二段階】の問題など、【第三段階】に比べれば微々たる課題なのにも関わらず、

 

場合によっては、というか多くの場面で、【第一段階】や【第二段階】という付加価値的な物だけで問題を判断し、時として【第三段階】を見過ごしてしまう。


なぜか?


結論を言うと現代人、というか消費者は、かなり甘やかされているからだと、私は思います。

 


■消費者は甘やかされている

 

今さらですが、物が溢れている時代です。マーケットは消費者に、自社の商品を買ってもらうために様々な工夫を凝らしています。

 

消費者はそれらの、工夫を凝らして擦り寄ってくる商品のなかから、自分に都合の良い商品を選ぶことで、消費をします。

 

つまりメーカーは、自分の会社の商品を選んでもらうために消費者を甘やかします。

 

そしてこの甘やかしに現代人は慣れています。

 

従って、例えで出したような「マッチョになりたいから、ボディビルジムを選ぶ」というような状況でも、

 

アクセスが良く、費用も手ごろ、ネット上の評判も良く、ロッカー、トイレが綺麗、事務員の対応も良い所を、選びます。

 

そして一番大事だと思われる、「トレーニング機器やトレーナーの問題については」トレーニング機器は少し物足りないし、この人が私がマッチョになるうえで良いトレーナーなのかどうかはわからないんだけど、親切で優しいし、まあいいか~

 

と、なります。


先、言っときますが、別に私は消費者が甘える事を否定したいんじゃないです。

 

イインデスそれで。自分の人生なんだから。

 

自分の人生なんだから、甘やかされたいのは当然なんです。

 

なんといってもあなたは消費者なんだから。

 

「お客様は神様です」なんて言う気、私はありませんが、あなたには甘やかされる理由があり、現に甘やかされている。

 

だから、イインデス。

 


■3つの自覚

ところでそんなアナタについて、私は、アナタに以下の3つの自覚があるかが気になります。

 

  1. アナタは、甘やかされている、甘えん坊である
  2. アナタは、甘やかされいている事によって、マッチョにはなれない
  3. アナタは、自分が甘やかされていると、気付かないようにされている

 

私も、自分は甘えん坊だと思っています。

 

私はとても根性が無くて、逃げ場があれば逃げる人間です。

 

すぐウソもつくし、自分を正当化して誤魔化して、プライドは維持しつつサボりたい。

 

私はそういう甘えん坊です。だから私は自分を甘やかしてくれる人が大好きです。

 

ですが、私には一応、上記の3つの自覚があります。

 

ですので私は、私は私のそのままではマッチョにはなれない。という自覚があります。また、私は「私が甘やかされいていることを」自分ではなかなか気が付けない社会に生きているということも、自覚があります。

 

自覚があるので、甘えん坊ですが、なんとかなりそうです。

 

マッチョになりたいと思えば、自分の甘えたい気持ちとどう折り合いをつけながら、マッチョになればいいのか、考える事が出来ます。また、世の中の「甘やかし攻撃」に対処する事だって、考える事が出来ます。


自分の「甘えたい気持ち」に対処すると書きましたが、これは「気合い」「根性」あるいは「しごき」の話とは、根本的に違います。

 

「気合い」「根性」「しごき」は、「甘え」に対し強制をすることです。問答無用です。ハラスメントに近しいすれすれセーフ、あるいはアウト な話です。

 

「自分が甘えん坊で、折り合いを付けたり、社会の甘やかしに対処しながら、ゴールにたどり着く」というのは、主体的でプロアクティブな自分の選択です。

 

「XXしなきゃならない」ってのは気合、根性、しごき です。
「XXしたほうがいい」と考えるのは主体的選択です。

 

もしマッチョになりたいのであれば「自分にとって良いトレーニング機器があったり、トレーナーが良いジムを選んだほうがいい。そのためには場所が多少遠かったり、会費が高かったり、不便や不快を感じるような所であっても、そこは我慢したほうがいい」

 

と言う事ですね。

 

この話題も掘り下げると長くなるので、この辺で止めますが

 

今日お話をしたいのは、

 

甘えん坊な私が、なぜ「3つの自覚」を持てているか。という話をしたいのです。

 

で、それは、少なくとも私の場合「働いているから」です。

 


■働く事で、甘えの自覚を持つことになる

 

私は「働く」ことで「甘えの自覚を持つ」事が出来るようになりました。

 

「働く」だと、ちょっとニュアンスが違うかな・・・

 

「働く」と言うより、どちらかと言えば

  • 会社を立ち上げ、経営する
  • ビジネスを立案し、執行する
  • プロジェクトのマネジメントを完遂する
  • 製品を考え、作り、売る
  • 組織を作り、責任者になる

というような事をして、「甘えの自覚を持つ」事が出来ました。

 

これらの仕事は、

 

甘えがあると、なかなか難しい。

 

甘えたことを言いながら出来るというモノでもない。

 

甘えがあるとどこかにホコロビが生じ、成功しない。

 

だから、経営、執行、マネジメント、製品オーナー、組織責任者、そのどれをとっても、自分の甘えを見つめなおす、良い機会となります。

 

なぜでしょう

 

私は2つの理由があると考えています。

 


■1つ目の理由「ビジネスは結果だから」

 

1つめの理由は、ビジネスは結果を求められるから。

 

結果を求められるというのは、「マッチョになる」という事と同じなんですよね。

 

甘えの誘惑に負けず、結果を出す為にするべきことは何かを考える。そうすると自ずと自分がいかに甘えた思考方法をしているかを知ります。

 

例えば、甘えん坊である私は、怒られたくありません。また、嫌われたくありません。

 

ですのでついつい、ビジネスの局面でも「怒られない」「嫌われない」という選択肢を考えがちです。

 

ですがこれ、自分の思考方法がついつい「怒られない」「嫌われない」という選択肢に向かって自動思考するという事を理解していれば、

 

「ビジネスで成功する為に自分が選ぶべき選択肢は何か」

 

が、冷静に、わかります。

 

でも、世の中も、私を甘やかそうとします。

 

私のチームメンバーや、私の家族友人知人、あるいはメディアなどもこぞって、私を甘やかしにきます。

 

これが、問題です。

 


■甘えは伝染する

 

例えば私が「怒られない」という選択肢について、チームメンバーに相談したとします。

 

チームメンバーは、もし自分が同じ状況に追い込まれたら、自分も甘やかされたいので、「怒られない選択肢」を選ぶことを、すすめる可能性があります。

 

つまり同じチームの私が「怒られない選択肢をとるべきか?」と相談してきたら、「それでいいよ」と答えるわけです。なぜなら自分が同じ状況になった時にも、同じように甘やかしてほしいから。

 

このように甘えは、簡単に伝染します。

 

甘えが伝染し過度な許し合いが存在する組織は、利己的で排他的となる特徴があります。

 

ちなみに、間違った「働き方改革」は甘えの伝播を後押しする可能性があります。注意する必要があります。

 


■2つ目の理由「ビジネスとはサービスだから」

 

働く事で甘えを自覚できるもう一つの理由は、働く事の基本は消費者に対しサービスを提供することだからです。

 

言うなれば「甘える側」ではなく「甘やかす側」になるということです。

 

つまり「サービスとは消費者を甘やかす側」という基本を前提とすれば、仕事の達人になるということは、甘やかしの達人になると言う事でもあります。

 

人の甘えを研究し、自らが消費者をどう甘やかそうかを考えたり、消費者が甘やかされている事を気付かないように策を講じたりするうえで、自分自身の心の中の甘えにも詳しくなっていきます。

 


■人の甘えを(過剰に)嫌いになる

 

働く事が「甘やかす側になること」だと気が付くと、同僚などの甘えが嫌になります。

 

同じサービスをお客様に提供する仲間として、仲間に甘えがあればサービス提供者として失格だからです。

 

引っ越し屋さんは重い荷物を運んでくれます。あなたは優秀な引っ越し屋さんで、お客様の代わりに重い荷物を持つことを厭わない。が、同僚が「重たいのは持ちたくない」と言い出せば、それはサービスの根幹を揺るがす問題になります。

 

だから同僚の甘えを、嫌いになります。「甘ったれてんじゃねぇ!仕事だぞ!!」と、言いたくなります。

 

だから現代でも多くの企業で、社員の「甘え」に対して過敏になっている事が多いように思います。

  • 遅刻
  • 言葉遣い
  • 衣服の乱れ

などなど、日本の企業は「甘え」に対して過剰に統率を行おうとする傾向があり、これはハラスメントに繋がる場合もありますし、自由な働き方を推進する為の「働き方改革」に対し阻害要因になる場合があります。


注意する必要があります。

 


■私が会社にもたらせたいプロフェッショナリズムと働き方

 

さて、そろそろ自分の会社の話を書きますが

 

私は、自分自身も甘えのある人間だと書きました。

 

そして私の会社は「働き方改革」のコンサルティングなんかをしたりする会社ですのでこの「甘え」というテーマについて、こんな意見を持ちます。

  1. 「甘え」のない人間なんていないと思っている。私も甘えん坊。
  2. 仕事で結果を出すとき、自分の「甘え」が弊害になる場合がある。これをコントロールできる人財が、当社では評価される。
  3. 当社では「甘えを許さない文化」みたいなものを作る気はない。ただある程度のインテリジェンスがあれば「甘えていると成果が出せないな」と自覚できているはずだと思っている。自覚がないなら当社は合わない。
  4. 人は「甘えを伝播する」性質があり、この甘えの伝播をしてしまう人を評価出来ない。逆に人に甘えを気付かせてあげられる人をリーダーやヒーローと認める
  5. 他人の甘えをよく理解し、それをビジネスに出来る能力がある人をサービスマンとして評価できる。

という感じです。

 

社員の「甘え」に気付いても、それを統治しようとするとハラスメントになったり、根本的な依存をぬぐえないので、どうやって、どのような方法をつかって気付かせるか、ですね。

 


■なんでボディビルジムで例えたの?

 

さて最後に、何で私がボディビルジム選びで例えたかと言う話なんですけれども

 

私は、「(ビジネス)マッチョになりたい」と、思ってくれている社員に対して、社長である私の存在が

  • よきトレーナー なのか?
  • 適切なトレーニング機材(つまりストレス)なのか?

ってのを、なんとなく、話題として書きたかったんですね。

 

で、私の理想は、

 

 「私は重たいバーベルでありたい」

 

って事ですね

 

骨太な人。ぜひ一緒にビジネスをやりましょう。


わー

 

毎回ひどいけど、今回ほど支離滅裂なblogもないな~

 

先日あるリーダーと、「社員の甘え」について会話した内容を、なんとなく残しておきたかったので、今日のblogを書きました。

 

リーダーは、社員の成長を信じて、重いバーベルにならなきゃね

 

リーダーが社員を甘やかしてしまったら、その甘やかしはすぐ伝播するしね

 

まあ、そんな話

 


No pain No gain

「BYOD」と「お買い物上手」と「ヒーロー」と「依存」の話

■BYOD推奨

 

当社のBYODについて書いておこうと思います。

 

BYODとは↓

ja.wikipedia.org

 

まあ、自分のパソコンを会社に持ち込んで仕事をしよう!って事ですね

 

自分のパソコンですと!?

 

え?なに?ソノリテってそんなヤバイ会社なの?

 

会社が管理した、会社ががっちりガードした、セキュアなパソコンで仕事してるんじゃないの?

 

自分のパソコン?

 

ゲームしたり、遊んだり、私用にたっぷり利用しているジブンノパソコンを、仕事で利用しているの??

 

 ええ、そうです(キッパリ)

 

当社はBYODを、「推奨」しています

 

理由は、色々あります

 

 

■お買い物上手

 

皆さんはお買い物が好きですか?

 

「お買い物」嫌いな人って、まあ、そんなにいないかな。と思います。

 

もちろんお買い物にはお金がかかるから、倹約家の人とか、ミニマリストの人とかは、あまりお買い物をしてモノを増やすような事はしないだろうし、ノームコア的な発想もあるでしょうけれど

 

でもまあ、社会で暮らしている限り、お買い物ってすると思うんです。

 

それで、「お買い物上手」な人っていますよね

  • 広告に惑わされず、本当に良いものを見極めたり
  • 流行に流されず、長く使えるものを選んだり
  • セールやポイントカードなどを上手く利用したり
  • 値段の変化などにもアンテナが高い

みたいな

 

「お買い物上手」な人、ズボラな私は尊敬します。

 


■依存体質をぶち壊したい

 

私は経営者です。

 

経営者である私の最近の興味は、「会社と依存」というテーマです。

 

今は働き方改革の時代です。

 

働き方改革時代に必要なのは、社員の自立性です。断言します。はい。

 

自立性の高い社員が沢山いれば、働き方改革は成功します。

 

自立性の低い、会社や組織に依存した社員ばかりならば、働き方改革は失敗する可能性が高いです。断言します。

 

そして日本の会社は、きっと、依存性優位の会社が多いと思います。

 

自立性の高い社員は、自らの目標や目的に向かって働いています。

 

自立性の高い社員にとって、働く時間や場所を自分の裁量下における「働き方改革」はとても有意義で、会社にも意味のある改革になります。

 

逆に自立性の低い社員は、命令によって働いています。

 

自立性の低い社員が多い会社では、働き方改革によって「命令」の数が減るため、会社のパフォーマンスは落ちます。

 

働き方改革については過去ブログでも語っていますのでそちらもどうぞ

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

私は、すくなくとも当社はクリエイティブを尊重する集団ですので、自立性の高い社員が優位なコミュニティになるべきだと考えています。

 

私は自社(株式会社ソノリテ)を、自立性の高いプロフェッショナル集団として、そのプロが集合し刺激しあったり助け合ったりするコミュニティにしたい。

 

私は自社を、自立性が低く凡庸で依存性の高い社員が、会社が産み出す利益にぶら下がることだけ考えているような衆愚集団にしたくない。

 

つまり会社に依存してほしくない

 

そう考えています。

 

私は、会社と社員の関係を「支配と依存の関係」にしたくない

 

自立した個の交流や触発が何かを産み出すことを会社が応援する関係としたい

 

今、ソノリテを本当に「働き方改革」しようとしていて、その到達点は、完全に依存体質が抜けきった形、なのですが・・・


・・・まあこれくらいにしますが

 

なんであれ依存体質をぶち壊したい。

 


■兵隊なのか、ヒーローなのか

 

社員にはビジネスと戦っていただきたい。

 

どんな戦い方でもいい。ディフェンスでも、オフェンスでも、クリエイティブでも、マネージメントでも、調整役でも、癒し役でもいい。怒り役でもいいし、褒め役でも、人たらしでも、何でも良い。

 

どんな戦い方でもいいから、なにしろ戦って欲しい。自分らしいやりかたで、プロフェッショナルとして。


で、その戦い方ですが

 

某SF超大作映画に出てくる、悪の組織のクローン兵士のように、

 

隊列を組んで、指令に従い、与えられた武器を、学んだ戦術の通り、命を惜しまず、戦う

 

なんてのは、嫌で

 

マーベルの某ヒーロー映画に出てくるヒーロー達のように

 

様々な強みをもった人たちが集結し、時に手を組み、時に衝突しながら、それぞれの価値観をぶつけあい、刺激し合い、成長しながら、戦う

 

という戦い方を、してほしい

 

だってそのほうが、カッコいいでしょ?

 

そのほうが・・・たぶん・・・いい

 

少なくとも私は「多様性組織経営」を、そのように捉えています

 


■ヒーローと武器

 

ヒーロー映画のヒーローは、武器を持っている。

 

大抵のヒーローは、個性的な武器を使う。

 

軍や組織から支給された、他の兵と同じ凡庸な武器・・・ではなくて、そのヒーローしか扱えないような、特殊な、個性的な武器

 

色んな武器があって、魅力的

 

ヒーローは武器を愛していて、ヒーローがその武器を使えば、鬼に金棒

 

まあ、そんな話。

 

「メガネは顔の一部です」

「武器はヒーローの一部です」

 

みたいな感じ。

 

じゃあ、パソコンはどうなんだ?

 

皆さんが業務で利用しているパソコンは、会社から支給された、凡庸で縛りがきつく、さして性能も良くないものを、利用しているのではないでしょうか?

 

そんな凡庸なものを渡され、ワイヤーロックやらなにやらで机に縛り付けられ、インターネット接続やらダウンロードやらインストールを管理され

 

それで皆さんは、ヒーローになれるのか?

 

いや

 

従順な兵士にはなれるであろう。企業戦士という、兵士には。

 

問題は、それでヒーローになれるのか? という問い。


いや、わかる

 

会社で統一したパソコンとセキュリティ対策を講じた環境を作らなければ、情報トラブルが起きてしまう。

 

情報トラブルだけではない。会社にはITリテラシの低い人間もいる。

 

ITリテラシの低い人間のサポートコストを抑えるためには、全社のPC環境を統一し、インストールするソフトなども制御しなければならない。

 

また、業務中に不適切なインターネット閲覧や、ゲームプレイなど、ようするに業務外行為を規制するためにも、パソコンに制限を・・・


・・・みたいなね


・・・


まあ、そういう会社が「普通」なんだと、思います。

 

いや でも

 

私は違うと思っている。

 

私は社員を、ヒーローだと思っているから

 

ヒーローに凡庸な武器を持たせたりは、しない。

 

裏切られるかも知れない

 

いや、信じていたって、人間は、ミスをする。

 

だからと言ってですね、「事なかれ主義」に成りたくないんですね。私は。

 


■BYODにする前は

 

私が会社をBYOD推奨にする前の話。

 

社給PCは私が選定していました。

 

なんとかして、限られた予算の中で、出来るだけ皆さんによい開発環境を提供するよう、いろいろ考える。あのパソコンがいいか、このパソコンがいいかな。

 

んで考えて購入し、与える。

 

文句が出る。遅い、重い、色がカッコワルイ。形が悪い。コワレヤスイ。

 

う~ん。そうかぁ・・・

 

で、考えた

 

「俺が考えるからダメだんだな。オレはそんなにパソコンに詳しくないから、パソコンが詳しそうな人に頼もう」

 

で、社内で何人か、パソコンに詳しそうな人に頼んでみる。

 

そしたら頼んだ皆が同じことを言った。

 

 「要件は、どれくらいのスペック?」
 「予算はどれくらい?」

 

ん?それがわかれば苦労はしないよ。それを定義し判断するのが皆さんの・・・

 

あれ?

 

そのあたりで、モヤモヤしていたことがハッキリわかった気がしました。

 

みんなどうしたんだろ?自分のPCにはすごく「お買い物上手」なこのギークたちは、どうして会社のパソコンの話になると、本気になってくれないのだろう?

 

そこには色々な動機的な原因があって・・・

 

でもまあ、本質的な部分としては、どうしても「働く」と言う前提として「命令やルールに依存する」って事をしたいんだな・・・

 

そういう事が、わかりました。

 

と言う事は、あれだ

 

俺の行動や指示

  • 俺が選んだパソコンを配る
  • 誰かに全員のパソコンを決めてもらう

この両方共、社員に「依存」を促す行為だった、わけです・・・

 

つまりは私が思考停止して、旧来私が育ってきた会社の形骸化した運用ルールを自社に適用しようとして、形骸化を持ち込んでしまった。

 

だからもう、やめました。

 

自分のパソコン環境なんて、自分で考えるのが一番いいじゃん

 

会社がみんなをセキュリティ事故から「守ってくれる」なんて過保護な事、出来ないでしょ?する必要ないでしょ?


みんながプロになれば良いんだよ。

 

と、いうか

 

当社の現在の主力事業のうちの一つは、国内大企業に対するITコンサルティングやITサポートなんですが

 

顧客大企業の多くは基本、「イノベーションのジレンマ」に陥りがちで、多くは既存事業の強固さを依存型に固執することで、安定を保っているわけであるから

 

我々の会社はその、顧客がもっている文化圏に

  • 寄り添い、依存型になるか
  • 異分子として、イノベーションを起す不調細胞となるか

なのであって

 

私は比較的、ソノリテと言う会社を「特異なる物」にし、「ソノリテらしさ」をもって顧客に共鳴を起したいのであるから

 

寄り添って依存しちゃ、ダメだよね


ということで、BYODやってます

 

みんなヒーローだから、自分の武器を自分で考えて、なんかうまいことやってる。

 

ステッカーチューンなんかも、かっこいいよ

 

あ、パソコン運用補助代金として社員に毎月1万円補填してます。

「年休5日消化義務化」は当社社員にとって改悪

題記の話(働き方改革関連法「年休5日消化義務化」)で社内で盛り上がったので、ちょっと書いてみようと思います(ちょっと言っても私のブログはいつも長い)

 

私の会社【株式会社ソノリテ】はブラック企業で、社員に年休を5日も取られたら破滅しちゃうんです。

 

だから「年休5日間取得義務化」は当社にとって改悪なんです

 


・・・というお話ではありませんよ。もちろんw

 

タイトルは


「年休5日間取得義務化」は当社にとって改悪

 

ではなく

 

「年休5日間取得義務化」は当社【社員】にとって改悪

 

って話ですので

 

社員の利益の話、です。

 


さて、ところで皆さんは、ホワイト企業にお勤めでしょうか?

 

私は当社ソノリテはホワイト企業だと思っておりましてね・・・

(自分で自分の会社をホワイトって言うのアフォっぽいけど、まあここでは一応、そういうことにしてください)

 

ホワイト企業には色々な定義があると思うんだけれども、今日は有給休暇の話だから、

 

例えば

 

 ・有給休暇をちゃんと取得できる

 

てのが、ホワイト企業(の1要素)だとしましょうか

 

逆に、ブラック企業っての(の1要素)が

 

 ・有給休暇をとれない、とか、とろうとすると嫌がられる

 

とか、そういうモノだとして・・・

 

で、

 

実は私も、今回の法案が出た時には

 

「ソノリテはホワイト企業なので、有給休暇を自由に取れますから、有休5日間取得義務化なんてことになっても、もともとホワイトだからだいじょうぶだわいワハハハハ」と、思っていたんですが

 

よく考えてみると、どうもそうではない

 

むしろ当社ソノリテ社員にとっては、この「年休5日間取得義務化」ってのは、法律の改悪でしかない のです。

 

 

どういうことかと言うとですね

 

「取得義務」ってのが、どうも、ダメです。

 


ソノリテのようなホワイト企業(テレ)の社員にとって、本来、「理想の働き方」ってのは、有給休暇を例にとると

 

  • 働きたきゃ働けばいいし、休みたきゃ休める。だれも文句は言わない。
  • 有給休暇を使うか使わないかは、自己判断
  • 今年は忙しいから有給休暇を使わないで、来年に残しておき、来年どかっと旅行にいこう!とか自分の裁量で決められる

 

って感じのもの、だと思います。

 

要するに「自分の裁量で決められる」ってのが重要なポイント。

 

「自分の裁量」ですよ!みなさん!!!

 

ところが今回、「取得義務」ってのが生まれた・・・

 

「取得義務」ですからね。しかも企業に対する罰則付きの。

 

「自分の裁量」では決められないわけです。

 

  • 働きたいとか、
  • 年休を来年にとっておきたいというのが

 

許されなくなってしまう。

 

ね!?この辺りで皆さん、気が付いて欲しいわけなんですが

 

この、ブラック企業対策とも言える法整備は

 

  • 「働かない義務」をもたらす事の為に
  • 「働きたい」権利や、「年休をフルフル来年にとっておく」なんて権利を奪う

 

モノなんですよね


「でもまあ、別に良いじゃないですか。ソノリテってのはホワイト企業なんでしょ?社員の休みが5日分義務になったって、もとから問題ないんじゃないの?」


そうですかね?

 

私は経営者ですのでアレですが、私が自立した社員だったら、怒りますね

 

 「俺の有給休暇だ!俺が好きに使う。休むも休まないも俺が決める!勝手に決めるな!」

 

ってね

 

怒るよね!自立した社員(というか自立した人)だったら。

 

ブラック企業って、こうなんでしょ?

 

  • 社員「来週休みます」
  • ブラック上司「ダメ!休むな!」
  • 社員「俺の有給休暇だ!俺が好きに使う。休むも休まないも俺が決める!勝手に決めるな!」
  • ブラック上司「ダメ!会社のためだ!休むな!」

 

まあ、これはブラックだよね

 

それが、今度は

 

  • 社員「来週休むつもりだったけど、仕事立て込んでるので旅行は来年にします。このプロジェクトが終わったらゆっくり旅行に行きます」
  • ホワイト上司「ダメ!休め!そうしないと年5日の年休消化が出来ないから、会社が罰則を喰らってしまう!」
  • 社員「俺の有給休暇だ!俺が好きに使う。休むも休まないも俺が決める!勝手に決めるな!」
  • ホワイト上司「ダメ!会社のためだ!休め!」

 

って、なるわけですよね?


こんなアフォな話って、ある?


いや、わかりますよ。経済活性化でしょ?

 

休む->お金使う->経済活性化 でしょ?

 

有給休暇義務化->大企業の資金プールをマーケットに流す->経済活性化 でしょ?

 

でもさあこれブラック企業対策を隠れ蓑にした経済活性化施策だとしても、その為に、犠牲(義務化と言う犠牲)になるのはホワイト企業に勤める社員ですからね!

 

どうしてこうなんでしょうか?

 

どうしてこう、アフォな話になるんでしょうか?

 

この問題の根本は、第一にはブラック企業の存在。それはまあ、そうですよね。ブラック企業なんてものがあるから、こういう強制的な対策をする必要性を、国民が許容する。

 

まあそれは簡単な話。

 

今日私が言いたいのは、問題の根本の第二点

 

それは、日本人が甘えた依存型であって、自立していないからだ。という事です。

 

どういうお話かと言うと、例えばアナタが有給休暇をとれないブラック企業に働いているとしますね・・・もちろんご苦労をされているのだと思いますし、アナタは被害者なのだと思います・・・

 

でも、

 

ブラック企業なんて辞めちゃえばいいんです。あるいは有給休暇は誰がなんと言おうと取得すればイインデス。

 

だってアナタが正しいんだから

 

それを、まあ、大袈裟に言うと、法律に助けてもらおうとする

 

これって、依存です

 

ブラック企業という企業に依存して生活し、そのブラック企業について気に入らない点があれば、その上位集合である国、国に依存する

 

国の法律というやつに、助けてもらおうとする

 

そんな風に国に依存している人がいるから、この国は依存から抜けられない

 

依存から抜けられない人が多い国では、自ら勝ち取ったホワイト企業における恩恵というものは、無視され、搾取されてしまう

 

私に言わせれば(ブラック企業にお勤めの方の苦労を承知で言いますが)皆さんがちゃんと、自ら自分の会社や上司と闘って、有給休暇を勝ち取っているならば、ホワイト企業であるソノリテの社員に、迷惑はかからない

 

あるいは社畜

 

会社に依存し会社に飼いならされて生きてしまっていて、全然休まない。

 

この「休まない」人のせいで、ホワイト企業で「休みたい」人の自由度が下がっている。

 

ほんともう、この辺りの「依存」の存在に、はやく手を打たないと・・・

 (「ブラック企業に働く人」の批判を書きたいわけではないのですが・・・)

 

 

あと、ちょっと私たちの会社の特徴的な制度の事を書きます。

(ここは本質ではないので、読み飛ばしてもいいデス。印、つけときますね)

 

★★★読み飛ばしても良いゾーン ここから★★★

当社株式会社ソノリテ には、MMD制度(Make My Day制度)と言うのが有ります

 

これも、今回の働き方改革関連法の影響で、改悪になります

(興味があれば、取材に来てください。)

 

ちなみに制度の内容は・・・

 

社員の創造性やコミュニケーションなど様々な効果を期待して、月に1日、「仕事以外の事をしよう」という制度です。給料がでます。

 

色々な事をする社員がいます。何かを鑑賞しに行ったり、何かを作ったり、勉強したり、社員同士で遊びに行ったり

 

基本的に「寝ている」のだけがNGで、報告義務として社内BLOGを書けばOKという、そういう制度、です。

 

いいでしょ?

 

これ、良い制度だと思っています。私は。

 

  • 忙しいとMMDが実施出来ない。忙しい人に報いが無い制度だ
  • MMDと良いながら実質有給休暇のような私用に利用している
  • 会社を弱体化する。会社全体の生産性を下げる

 

など、さまざま問題があります。

 

ですが、私はこれ、良い制度だと思っています。現状は。

(「現状は」と書いたのは・・・まあこれは、機会があれば書きますが・・・)

 

この制度、よく利用してくれている社員と、そうではない社員がいるのですが

 

この、MMDって、「有給休暇とどう違うのか」というと

 

■違いA

  • 有給休暇<何をしてもいい
  • MMDMMDの理念に準じていれば何をしてもいい。寝ていてはダメ

 

(ちなみに私、過去に「MMDでお墓参りに行っていいですか」とか「MMDでちょっと役所に行ってきていいですか」とかいう申し出は却下したことがあります。だってそれってMMDの理念に遠い、「私用」ですから・・・そういうのはどうぞ「有休」をお使いくださいとお話している)

 

その他の違いとして

 

■違いB

  • 有給休暇<法律に基づく
  • MMD<当社の独自制度

 

また

 

■違いC

  • 有給休暇<翌年への繰り越しが可能
  • MMD<繰り越し不可

 

 

こんな感じ、です。

 

そして、ここで問題なのが(つまり当社社員にとって不利益変更になってしまうのが)、主に■違いAに基くものでして・・・

 

MMDの理念は、「業務外の活動が業務に活かされる」という事をより能動的に会社が支援しようという取り組みです。

 

「年休」これはもう、好きにしてくれ。どんだけ自堕落に時間を消費したって構わんよ。うんうん

 

ところが「MMD」は、会社が給料を払って業務外活動を奨励するんです。

 

つまり社員の皆さんはその理念にしたがって、「仕事ではない自己実現」をするわけですよ。

 

でも、この「自己実現」ってやつは、「年休」でも、出来る。ここが問題。

 

さてそうなると・・・

 

こんな社員を想定すると、わかる

  • 仕事が好き。仕事にやりがいを感じている。
  • MMDという理念にも賛同している。自分の業務をうまく調整し、MMDを取得。他の社員と懇親する為一緒に映画を観に行ったり、趣味の創作活動なんかに時間を利用したりする。
  • 有意義に過ごせるし、この有意義な活動はきっと長期的には仕事にも活かせるであろうと言う感触を持っている
  • 有給休暇は体調不良などで3日ほど利用した。医者に行ったりした。
  • 今のプロジェクトが終わったら旅行に行こうと思っているので、有給休暇は来年にとっておきたい。

 

で、この社員が、前々から予約しておいた舞台の鑑賞にいこうと、3月にMMD取得を申し出たら・・・私(会社の経営者である齋藤)は、この社員にこう言わねばならない。

 

「悪いねぇXXさん。今度のMMDは有給休暇を利用してくれないか?あなたは年間の有休5日間取得義務に足りていない。だからMMDを許可することは出来ない。有給をとって舞台鑑賞に行ってくれ。そうしないと会社が罰せられてしまうんだよ・・・」

 

ね?

 

なんか、変ですよね?

 

この社員にとって、「有休5日間取得義務化」ってのは改悪ですよね?

 

あくまでも「MMD」という、当社固有の制度を前提にした話ではありますが・・・

 

これ、なぜ起きるのか?

 

やっぱりこれ、私は、基本的に大衆が依存的支配に頼っているからだと、思わざるをえないです。

 

★★★読み飛ばしても良いゾーン ここまで★★★

 

「自分の裁量で決められる」のが自立した個人の幸せなのです

 

「法律で5日間休めって義務になったよわ~い」なんてのは、単に会社と言う支配者より上位に存在する、国と言う支配者に、優しくされた依存者っていうだけなんです

 


・・・いや、わかるよ

 

みんな弱者なんでしょ?

 

あるいは弱者を守るのが法律なんだと、言いたいんでしょ?

 

「齋藤はいつもうるせえな。会社の社長なんてどうせ社員をこき使うことしか考えてねぇくせに偉そうに自立だなんだとか言いやがって!そんなに世の中簡単に自立なんて出来ねぇんだよ!みんな助け合って気を使い合いながら生きているんだ!そんな中自分だけ自分勝手にいろいろ言うって事は難しいんだよ!齋藤みたいなワガママ人間ばかりじゃないんだ!だから法律で休みをとらせる必要があるんだよ!!」

 

って、言いたいんでしょ?


・・・ほんとにもう

 

良いんですよ。そういう人は、そういう人と、結束の固い、一蓮托生一枚板、そういう会社でガッツリ働いてくれれば良いんです。きっと

 

ただ、私は嫌だ。私の会社がそうなるのは、嫌

 

私の会社は、自立した個性が多様に共存し、多様に共鳴し合う、そういう中から新しいものを生み出せる、会社であってほしい。


・・・だからね

 

もしそういう私たちの概念に共鳴してくれる人がいるならば、いや、いるでしょ? いるよね! ねぇ!?

 

そういう人ならば、年休のとりかたは自分で決めたいはず。

 

だからそういう人は、「有休5日間取得義務化」の「拒否権」みたいの作ってくんないかなぁ~

 

だってほんと、いくら適法経営だからといって・・・おれ、ホント言いたくないもん。MMDをとろうとする人に、「MMDやめて年休でやれ」だなんて

 

 

プレミアムフライデー」の時も、思ったけど

 

ほんとさ、文化変えようよ。文化

シゴトとウソとシメシメ感

■宝島社の新聞広告 

 

宝島社の新聞広告が話題のようです

 

この広告自体には賛否両論あるでしょうし、私はこの広告について話したいわけではないのですが 

 

「嘘」ですよ。ウソ 

 

 私も、「嘘」の話がしたいと思っていたんです!

 

だからタイムリーで、びっくりしました。

 

私も「嘘に慣れるな」みたいなことを、すごく思うところがあります

  

  

■営業電話 

 

私は会社の社長をしているので、私宛に営業をしてくる人がけっこういます

 

「齋藤様、実は来週御社の近くに寄る用事がありまして、x月x日の午後は会社にいらっしゃいますでしょうか?」 

  

 

  

営業電話が、まあ本当に、はっきりいってアフォみたいに、みんな同じウソをつきますね。 

  

なんなんでしょうねこれ?

 

ウソと言っているのは「来週御社の近くに用事がある」ってやつね。 

 

用事なんてあるわけないじゃん。ウソじゃん。 

 

ウソ。

 

ウソつき。

 

いや 

 

これは「営業トーク」と言うヤツで、ウソではない。 

 

営業トークってのは、心理的な警戒感をといたり安心感を与えるためのテクニックだよ。

 

テクニックに目くじら立てるなんて心が狭いよ齋藤は・・・ 

  

 まあ、そんな風にみなさん感じられるのかも知れませんが・・・ 

 

いや、でも、ウソですよね!? 

 

だって「御社の近くに寄る用事」なんて、無いもん。無いんでしょ?

 

じゃあ、ウソじゃん。 

  

心理的なハードルをさげる、アウトバウンド電話のテクニックなんて言うけど、 

  

ウソやん 

  

 

ウソ 

 

 

もうねー 

  

 

ほんと、ウソが嫌い 

  

 

ほんとうにウソが嫌です! 

 

 

「みえすいたウソ」って、なんというのか、アフォっぽいですよね。 

 

アフォにアフォみたいなウソつかれて「しめしめこれで心理的ハードルを下げたったぜ」なんて、アフォが思っているのかと考えるだけで、虫唾が走ります。

 

  

最近だとまあ一日10~20本くらいかな。営業電話が来るんですけれど。

 

人材採用系とか、営業支援系とか、ですが 

  

その辺りがホント、判を押したように 

  

「斎藤様、実は来週御社の近くに寄る用事がありまして、x月x日の午後は会社にいらっしゃいますでしょうか?」 

  

って言うのですよ。 

  

なんやねん 

  

あれか、俺の会社の近所で毎週祭りでもやってんのか? 

 

 

志茂田景樹さんのツイート 

  

志茂田景樹さんの「嘘」に関するツイートをリツイートしたことがあります。 

  

   

 

志茂田景樹さんは主に若者に対し、温かみのあるメッセージをツイートされていることが多く 

  

このツイートも「嘘の横行の愚かさ」を書かれているわけでして 

  

私もこの「嘘の横行」というのが本当に嫌で 

  

「嘘つきが得をする」というのが「横行」しているのが、本当にイヤで 

  

悲しい 

  

 

■嘘は弱者のツール 

  

嘘は、弱者のツールなのだと思います 

  

  

先日、テレビの朝のワイドショーで、ある国で横行している「アタリ屋」の映像が流れていました。 

  

高級車を狙い、貧民層(なのであろう)の人が、ワザとらしく車にあたっていき、ドライバーに難癖をつけ、示談金をむしり取ろうとする 

  

貧民層、なのでしょうね 

  

今日明日、仕事に就けず、自分や家族が食事をすることが出来ず、そういう卑怯な事をするのでしょうね 

  

私だって、もし職を失っていて、家族がいて、家族がヒモジイおもいをしていたら、アタリ屋だって、もっとさもしい行為だって、するかもしれない 

  

「貧すれば鈍する」 

  

  

だから 

  

 

ウソは醜い 

  

  

ウソは醜いんですよ皆さん。 

  

  

ウソが横行するような世の中は、醜いんです。 

  

ウソが横行するような世界は、貧しく、悲しい。

  

そう、思いませんか?

 

 

■子供のウソ  

  

例えば「子供」は、ウソをつきますね 

  

「弱い」からだと、思います 

 

子供は弱いから、ウソをつきます。 

  

それとまだ、子供は「人格」や「情緒」が形成されていないからだと、思います 

  

「自立」していないからだとも、言えます 

  

子供は精神的に自立していないから、ウソをつきます。

  

子供のウソなど、カワイイもんです。 

 

もしあなたが子供の親なら、子供がウソをついたら、諭し、導いてあげましょう。 

  

子供のウソを諭すことは、子供の自立に繋がりますよ。

 

そんな親のアナタが、ウソつきでは、何も出来ないかもしれませんが・・・ 

  

  

■「しめしめ感」

 

私が「ウソの横行」というキーワードで頭に浮かぶ事件は 

  

ある自治体の職員が業務上横領を行った事件です。 

  

 

その事件のキーワードは「しめしめ感」 

  

 

事件自体を広めたり批判したいわけではないので、ここで詳しい事を書くつもりはないのですが 

  

被害総額として3,000万円を着服したとされる容疑者が、逮捕前に、あるテレビ番組の取材に応じて、自らの考え方を発言しているのですが 

  

 

ああ、こんな人がいるんだな 

 

 

(世も末だわ・・・) 

 

  

自分でも言っていますが「盗っ人猛々しい」 

 

  

どうもこう、業務上横領の容疑に対しても、やや自慢げともとれるような、環境のせいにするような雰囲気の・・・ 

  

ウソ(この場合は犯罪)をつくことに対して、悪びれる様子がまったくみられない。 

  

「(犯行に対し)しめしめ感があった」などと、悪びれずインタビューに答えられる心理。 

 

まるでゲームでもやっているかのような感覚なのでしょうか 

  

こう言ったものが、「ウソの横行」に感じられ、悲しい。 

 

 

いや、むしろ・・・恐い。 

 

依存の化け物のような気がしますよ。ほんと、恐い。

 

 

■小さなウソなら良いのか? 

 

「小さなウソなら良い」のでしょうか? 

  

3,000万円の横領なら、それは大事件だけれども、 

  

「ちょっとしたウソ」なら、良いのでしょうか? 

  

  

「それくらい、誰だってやっているよ。小さなウソくらい見逃してやれよ齋藤」 

  

会社の経営者をやっていると、こういう言葉に出くわす事が、結構あります。 

  

 経営って、清濁併せ呑む必要があります。 

 

だから、わかります

 

働く理由も人それぞれ、

 

プロジェクトだって、うまくいかないことが、沢山ある

 

そんななかで、小さなウソや、方便が、最終的にはポジティブな状況をつくることなんて、いくらでもある。

 

それに 私だって、品行方正な人間ではありません。私だって過去、悪い事をしています。 

  

自分で本当に、恥ずかしいと思うような、悪い事をしていたり、ウソをついたり、しています。 

 

清濁併せのんで、一人前

 

・・・

 

ウソが嫌だなんて、自分のことは棚に上げて、きれいごと言っているようじゃあ、おこちゃま経営者ですな齋藤は

 

・・・ 

 

そんな批評が聞こえてきそうです・・・

 

・・・が、 

 

  

一人の自立した大人として、感じるのは、やはり

 

「ウソが横行する」世の中なんて、好きじゃない 

 

 

だから私は、 一人の、会社の社長という、組織の長として 

 

自分が代表を務める組織に、もしウソが横行するのなら、大人が子供のウソを諭すように、振る舞うべきだと考えます。毅然と。 

  

会社の品格を、そのように、上げたい

 

なぜならば・・・

 

真面目な人が、損をしないように   

  

真面目な人が、損をしないように(大事なことは2回) 

  

  

  

恐らく 

  

  

「ウソが横行する」社会とは、 

  

「正直者(真面目な人)って、損をするよね」と、思っている人が多数派の、社会なんだと思うんですよね 

  

私は、私の会社が、 

 

「真面目な人が、損をしない会社」にするために、 

 

そのような、品格を持ち続けるだめに

 

これからも、ウソを嫌い続けます 

  

(真面目な人を大切にする・・・という点については前回のブログを) 

 

saitoukazumasa.hatenablog.com

  

だから、そんな私に 

  

「齋藤様、実は来週御社の近くに寄る用事がありまして、x月x日の午後は会社にいらっしゃいますでしょうか?」 

  

みたいな、ウソテンプレートの電話をしてこないで下さい 

  

  

先日いらした、あるアウトバウンド営業コンサルの提案は 

  

「私達がお客様に、 

 “ソノリテの社長秘書です。ご担当者様とお繋ぎいただけますか”と電話をします。社長秘書を名乗ると、相手の取次率が上がりますよ」 

  

という、提案でした。 

 

(なかなか良い提案でしょ?)

 

そんな営業マンの心の声が、聞こえてきそうだったのですが・・・

  

ごめん、その提案、イヤです。 

 

だってそれ、お客様にウソつくってことじゃんか!

【働き方改革】今日は2時間ほど遅く出社しました

■今日は2時間ほど遅く出社しました

 

理由は、なんとなく寝不足感が続いていて、かつ最近ちょっと精神的にも疲れを感じていたので。

 

朝、定時に出勤する時刻に起きて、朝ご飯を食べたりも、したのですが、

 

なんとなく、だるくて

 

二度寝したかった。

 

 「ああ、良く寝た。起きよう。もう起きたいな」

 

と思えるくらい、寝たかった。

 

だから、寝ました。二度寝です。

 

それで結果として、2時間遅く出勤しました。

 


「クソだらしねえっ!たるんでるっ!仕事をなんだと思っているんだっ!!」

 

 

私が若いころだったら、そう、怒られたでしょうね。そんな気がします。


でもですね、スッキリしましたよ

 

スッキリしたから、出社してからの仕事の効率も、良かったですよ。たぶん

 


■「社長だから、それくらいしても、良いですよ」か?

 

うちの社員は、けっこう、優しい人が多いんです

 

だから、私が2時間くらい遅く出社したところで

 

「社長なんだから、それくらいいいですよ。健康に気を付けてください」

 

とかね、言ってくれる人が多いです

 

でも・・・嬉しいですけど

 

これ、社長だから良いんでしょうかね?

 

社員だと、ダメなのかな?

 


■「体調管理のため、午前半休とります」

 

最近、当社の中で自然発生し、流行り始めている言葉に

 

 「体調管理のため」

 

ってのがあり、私はとても気に入っています。

 

よく

 

 「体調不良のため、午前半休をとります」

 

みたいなのがあるけれど

 

 「体調不良」

 

ほんとか?

 

今日、私は、なんとなくスッキリしないんで、二度寝してから出社しました。

(別にクリティカルな会議やアポが無かったからですけど)

 

これ

 

 「体調不良の為、2時間遅く出社します」

 

って、言うのは、嫌だ。

 

だって、それほどの事じゃない。

 

それほどの事(体調不良)だったら、ちゃんと病院いかないかんし(体調不良って書いてあったら、心配するでしょ。普通は)

 

でもですね、この、それほどの事じゃないうちに、自分のペースを取り戻すってのは、結構大事ですよね。

 

仕事だからと、無理をして、無理をして、無理をして・・・

 

これの積み重ねで、取り返しのつかない体調不良になったりする・・・

 

そんな事よりも、「体調管理」

 

これ、いいです! 良い言葉!!

 

さすがに、

 

 「もうちょっと寝たいんで、二度寝してから会社でます」

 

って言うよりも

 

 「体調管理のために、2時間出社遅らせます」

 

のほうが、”今の当社の文化レベルだと”、いい感じ

 

だから、気に入っています。「体調管理」

 

そう。文化の問題ですね。文化の問題は、言葉の問題だったりします。

 

 

■「呑み会の翌日は、死んでも定時に出社しろ」

 

私が最初に入った会社には、

 

「呑み会の翌日は、死んでも定時に出社しろ」

 

っていう「文化」がありました。

 

呑み会で、けっこう盛り上がりますと、まあ、翌日は二日酔いになる。

 

起きられない。気持ち悪い。会社いけない。

 

これで、出社しないとか、フレックスギリギリで出社するとか、

 

そういうのは「根性が足りない」

 

 会社ってのは、そういうもんじゃない

 

 呑み会ってのは、そういうもんじゃない

 

そういう「文化」

 

私はよく言われました

「いいか齋藤、呑み会の翌日は、死んでも定時に出社しろ!んで会社でボーっとしてたって、なんでもいい!退勤時間まで耐えるんだ!それが社会人だ!!」

 

文化って、恐い・・・

 


■意味のない文化を理想の文化に変えて行こう

 

働き方改革」の本質は「会社の文化を変える事」

 

  • 有給休暇を無理やり取らせることじゃない
  • 残業を無理やり減らすことじゃない

 

じゃあ「意味のない文化」って、なんだ?

 

いくつか、考えられますけれど

 

  • 人権を無視した根性論/精神論
  • 偏見を前提にした制度
  • 時代遅れのルール

 

など、かな

 

無理やり有給休暇をとらせたって、無理やり残業禁止にしたって、

 

人権無視、偏見、時代遅れの文化が変わらなければ

 

その会社の「働き方」は、本質的に変わらない

 

 ・上っ面だけ「働き方改革」をした、仮面ブラック企業

 

になるか

 

 ・従業員過保護制度に蹂躙された、軟弱企業

 

の、どちらかに、なるだけです。

 

詳しくは、こちらをどうぞ

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

文化を成熟させるべき、です。

 


■私達の会社が、今、変わるべきだと思っている事

 

私は、私達の会社が現在属している分野を

 

 「主にB2B系のIT企業、メディア制作企業」

 

だと思っていて、

 

この分野には、総じて「封建的」という悪しき文化が根付いています。

 

私達の属している分野だけではないと思います。多くの日本企業は「封建的」です。

 

「封建的」をひらたくいえば、

 

  お殿様がいて、それに仕える みたいな

 

そんな感じかな

 

お殿様が、絶対。お殿様に嫌われたら、ダメ

 

 「お殿様の命令に従わなければ、腹を掻っ捌いて、シネ」

 

みたいなサムライ思考

 

この「サムライ思考」が、恐らく、今までは

 

  • 高品質
  • 低価格

 

みたいなものを、社員の何らかの犠牲(主に人権)みたいなものから、産み出していて

 

その「人権はく奪」みたいなものを創り上げるには、「ミクロな社会(例えば男社会)」が都合がよく、

 

そこには都合の良い阿吽の呼吸が生まれる代わりに、偏見や時代遅れがある。

 

 その「人権はく奪、偏見、時代遅れ」について来れるヤツはこい!

 

みたいな封建文化をむしろ強化し、価格競争で勝つというような企業もあるわけなんでしょうが、

 

私たちの会社は、自社の働き方改革としては

 

  • (優秀な人にとって)自分らしく働ける、制度や文化

 

みたいな方針で

 

  • (優秀な人にとって)自分らしく働ける、制度や文化を作れば
  • 優秀な人が集まるだろうから
  • なんとかなるっしょ

 

みたいにしたいなぁ って事なんですよね


だから

 

ミンナが優秀な人なら、ですね

 

「今日なんか、二度寝したほうがスッキリするから、昼ぐらいに会社行くわ~」

「OK~」

 

みたいなですね

 

優秀で、責任感のある、きちんと人格が形成された大人な人達の集団であるなら、うちの会社がそうなるといいわけ。絶対に。

 

それで、文化の形成としては

 

 「体調管理の為、午前半休します」

 

くらいが、今の所うちの会社っぽい。レベル感

 

そういう感じを、伸ばしたいから

 

社長であるわたしも、ちょっとユックリ出社したり、だんだんやっていきます

 

言うなれば

「社長だから、いいですよ」というより

「社長だから、やらねば」ですね


だって

 

「今日なんか、二度寝したほうがスッキリするから、昼ぐらいに会社行くわ~」

「OK~」

 

が、許される会社なら

 

「今、学校から子供の件で呼ばれちゃったんで、すぐ行かなきゃならなくて、みんなゴメン~」

「OK~」

 

だろうし

 

「私、呑み会でお酌させるのって、人格否定だと思いますよ~」
「ですよね~ そんな文化、やめようぜ~」

 

だよ。きっと

 

そして、

 

そんな低レベルな日本社会の「人権はく奪、偏見、時代遅れ」に困っている、優秀な人達が、うちの会社に来てくれれば、

 

なんとかなるっしょ


って、思っています

 

そんな事を、二度寝の夢うつつで、ブログに書こうかなと思いましたw

 


■文化を変えるのに、社員に必要なことは、3つ

 

さて

 

私達の会社が「働き方改革」の本質として「文化を変える」為には、

 

社員のみなさんにも、変化してもらいたい事が、ある

 

私はソノリテ社員が、以下の3つの事をクリアしてくれる存在になり、以下の3つの力をもっている社員が大多数になったときに、

 

ソノリテの働き方改革は完成すると、考えています

 

1)マジメじゃ無ければ、ダメ

 

なんか最近私は、この「働き方改革」の前提に「マジメ」ってのを置きたくて仕方がないんですよね

 

マジメってのは・・・何といえばいいのか

 

例えば、

 

 「自分にウソがつけない」とか
 「頼まれたらイヤといえない」とか
 「清く正しく生きたい」とか、そういう

 

そういう、マジメさってのが、あるじゃないですか?

 

そのマジメさが、私が考える「働き方改革」には、どうも必要なようです。

 

だからですね、どうも、当社の社員になる人で、当社の働き方改革の恩恵を受ける人は、たぶん「マジメ」だと、相性がいい

 

あれ、ソノリテは、多様性経営ではないのか?

 

例えば「マジメ」と「フマジメ」は、多様性の要素なんだとしたら、ソノリテにはマジメな人もフマジメな人も、必要なんじゃないの?

 

みたいな事については、前回のブログ「多様性のタテとヨコ」で、書いた気がしますので、興味があればそちらをどうぞ

 

saitoukazumasa.hatenablog.com

 

この「マジメ」ってキーワードが、どうやら必要なようですけれど、

 

「何にマジメなの?」って話もありますけどね

 

例えば私なんかは、仕事はワリに真面目です。でも私生活は・・・ごにょごにょごにょ

 


2)優秀じゃ無ければ、ダメ

 

はいそれで、次は「優秀」

 

これもう絶対条件です。

 

  • 現在優秀である
  • 優秀になる可能性がある1(センスがある)
  • 優秀になる可能性がある2(成長意欲が有る)

 

なんでもいいデス

 

優秀じゃないとダメです。優秀じゃない人間に、どれだけ自由度の高い職場環境を与えても、何もしません。ズルくサボり続けるだけです

 

優秀じゃない人は、ブラック企業でも何でもいいので、強制的に働かされる環境に身を置いてみたらどうでしょう?

 

何かのプロになれるかも知れません。ウチの会社は無理です

 


3)心が自立していないと、ダメ

 

はい。最後

 

どれだけマジメでも、どれだけ優秀でも

 

心の自立がないと、例の「承認欲求」を求めて、「仲良しクラブ村」みたいなものを、作りだしてしまう。

 

これが・・・

 

これがもうほんと、これが、本当にクセモノ

 

なんなんだろう、この「仲良しクラブ村」みたいなやつ

 

  • なんかこう、みんなで凡人ぶろうとするやつ
  • なんかこう、みんなで遠慮し合うやつ
  • なんかこう、みんなで批評家ぶるやつ

 

なんかそういう小さなクラスターが生まれて、そのクラスターが他のクラスターとの接触を最小限にしようとして、村を形成して

 

またその村に従属しようとするためには、なんか知らんけど、ほんとなんか知らんけども、出しゃばっちゃダメで、


意識高い系だとダメで、やる気出しちゃダメで・・・

 

みたいな、緩い系

 

ゆるいことが、正義 みたいな

 

「ここに属すれば、誰にも傷つけられることはないよ~」みたいな小さなクラスターを欲しがる、文化みたいなやつ

 

これ、けっこう 根深い

 

マジメな人(さっき必要条件って言ったけど)って、けっこう繊細だったりするから、

 

この「傷付けられない」に、弱い

 

「まじめな私は、傷付けられない空間を求めている」
「傷付けられない空間は、わたしにあった空間だ」

 

みたいな風に、思いがち

 

これ、ダメです

 

これ、皆さんのこころに「傷付けられない空間欲しさ」があるなら、理想の働き方改革空間があったとしても、皆さんはすぐに、堕落します

 

そして小さなクラスターが、その理想の働き方改革空間を、堕落のほうに導いて行ってしまいます

 

この話は・・・長くなるし、私も考察がまだ浅いので、もう止めますけど。

 


■まとめ

 

私は

  • マジメです。
    少なくとも自分の会社の経営に対してはすごく真面目です。だってそうでしょ?私は自分の会社が破たんしたら、破産するんだから
  • 優秀です
    すみませんごめんなさい私は優秀です
  • 自立しています
    私は社長ですからね、経営者って孤立するんです。いやでも自立思考になります

 

だから

 

今日ちょっと、2時間くらい寝坊してきましたよ。

 

すっきりしました

 

でも、やることはやるし、社員の皆さんは、私の責任感自体は理解してくれていると思うんですよね。

 

だから誰も、文句は言わない

(社長だからかも知れないけど・・・)

 

これがきっと

 

普段からフマジメで、仕事も対して出来ないくせに、

 

「やー朝二度寝しちゃいましたよ」みたいな事だったら、まあ、ダメじゃないですか。普通は

 

だから早く、ソノリテの社員の大多数が、マジメ、優秀、自立の集合にしたいんですよね

 

はやくそういう会社になって、本当の意味で、

 

  • (優秀な人にとって)自分らしく働ける、制度や文化

 

にする、超本気の働き方改革ってのを、完成させちゃいたい。です

 

現段階ですと、現段階の当社のレベルとしては・・・

 

「体調管理の為に、出社遅れます」って言う言葉が自動発生して、それが定着するくらいの文化です。

 

 でも、いい感じです