勉強していないんじゃないか?

まあ勉強嫌いな私が言うのもアレですけど。

 

それと勉強が好きな人は勉強ばっかりが好きで、実践しろよ。みたいな話もある。

 

本が好きな人はそれはそれで良いんじゃないかと思うんだけど、書を捨てよ町へ出ようじゃないけれど、本ばっかり読んでてもダメで行動していろいろと体験しないとですよね。

 

でもまあ行動とか実践とか体験とかですね、そればっかりでですね。特に行動力のある人は、体験が主導的になりすぎていて、知恵が浅いというか、勉強していないというのか。

 

船で出航しようとしますね。

 

とりあえず船乗っちゃって、んでなんとなくエンジンかけたり、帆を張ったりして

 

まあ動き出すんだろうけれど、いろいろと事件が起こりますよね。座礁したり、航路がわからなくなったり、乗員に疫病がはやったりとか、まあきっと、色々な事がある。

 

そしたらですねー行動力のある人はとりあえずなんか行動するんですよね

 

情報を得ようとするかもしれないけど、ちょっとググったり、ちょっとまあ知り合いに意見を求めたり、まあその程度の事しかしなくて

 

それで場当たり的に対処して、なんとなくすぐ出来ることをガチャガチャとやって、バタバタする。

 

いやまて、ちょっと一回座ってみましょうよ。

 

座ってですね。「船で旅をすること」について、一通り学びましょう。

 

一通り学んで、そして自分に合った計画を練ったり、方法論を組み立てたり、ルールを作ったり、トラブルがあったときのコンチプランなんかを用意しておいして、そして出航し、バタバタせずに、PDCAを回しながら、ゴールを目指しましょうよ

 

いいんですよ失敗したって

 

コスリ倒された言葉だけど、失敗から学べば良いんですよ

 

あ、

 

「失敗から学ぶ」っていう言葉が、ちょっと危険ですね

 

行動力のある人は、「失敗から学ぶ」って言われると、「失敗が何か教えてくれる」と思ってしまうのかも知れませんね。

 

いやいや失敗は学びのキッカケではありますが、何も教えてはくれないし

 

ググったって当たり障りのない情報しか手に入らないし

 

先輩と飲みに行って助言を求めたりしたとしても、浅い話しか手に入らないし

 

やっぱりですねえ、学問を探すべきだと

 

使える学問を探し、学び、それを応用する。

 

そしてその学問を基軸に、PDCAを回し、磨く。

 

まあそういうことなんではないですかね?

 

行動力のある人は、そこが、心配です。

 

それでも「行動しないで本ばっかり読んでいる人」より、100倍、可能性を感じますけどね

 

それに「勉強する」を加えれば、可能性は1000倍になるかな

学習性無気力とかの話

私がまだ若いころ、20代後半のサラリーマンだったころ

 

ある医療系の大規模システム開発に従事していて、すごく悔しい思いをしました。

 

そのシステムは大きな「失敗」をしました。

 

どういう失敗かというと、ザックリ言うと

 

  • まともに動かない
  • データーが狂っている

 

というモノでした。

 

今で言うと、例えば「マイナンバーカード」のシステムトラブルに、似ています。

 

  • 他人の情報が登録されていた

 

とか、そういう感じです。

 

マイナンバーカード」のトラブルでは「データーが狂っている(他人の情報が登録されていた)」というのは、ニュースになっていますが

 

おそらく「まともに動かない」というのも、起きていると思います。

 

「まともに動かない」の話で言うと、メガバンクのATMトラブルなどに似ています。

 

マイナンバーカード」の場合、システムを利用するのは公共機関の人だろうから、一般人が直接利用するものではないから「まともに動かない」のほうが世間にさらされないダケで、きっと「まともに動いていない」。

 

マイナンバーカード」を「保険証」とする時期を見極めるため、政府が総点検をしているようですが

 

おそらくご都合主義的な答えが出てくるだけで、「まともに動いていない」という事が、世の中に知れ渡りは、しないでしょう。

 

世の中に知れ渡るのは、一般人が直接迷惑をこうむったり、気持ち悪いと思う事が出来る「データーが狂っている」という事象だけだと思います。

 

私がすごく悔しい思いをしたという医療システムも、そんな感じで

 

 ・まるでマイナンバーカードシステムのように、日本全国の患者さんのデーターが狂っていたし

 ・まるで「ATMシステムトラブル」のように、まともに動かない

 

そんなモノでした。

 

20代の私にとって、自分がかかわっているシステムがそのようなトラブル状態になるという経験は、初めてのもので

 

本当に、悔しかった。

 

一応弁明しておくと、私が担当した仕事はすべて、キチンと納めています。ちなみに私が担当した仕事は、ネットワークインフラの設計、設備。あとクライアントシステムのコーディング。だったんですけどね。それらはちゃんと動いた。

 

でも、システム全体としてはグチャグチャ。

 

新聞沙汰にもなったし

 

管掌する政府機関や、関係する大学、もちろん自社や関係企業

 

めちゃくちゃえらい人たちが、めちゃくちゃ怒り、怒鳴り散らし、そういう場面が幾度も繰り返され

 

現場は超デスマーチ状態となり、何週間も睡眠をとれず

 

まともな指揮系統の無い中で、パッチワークが繰り返され、業況は悪化し

 

現場にただようのは無常観、無気力…

 

私の人生の何か月かは、このシステムのリカバリーに費やされた…

 

…んですが

 

そんなことが「悔しかった」わけではなくて

 

何が悔しかったかというのは

 

つまりですね

 

人が死ぬんですよ

 

医療系システムが

 

  • まともに動かなかったり
  • データーが狂っていたりしたら

 

そうだったら、人が死ぬんです

 

そりゃそうですよね

 

  • 自分の「マイナンバーカード」に、他人の情報が入っていたり
  • ATMがトラブって、お金が下せなかったり

 

そういう事があっても、ダイレクトに「人が死ぬ」っていう事は、ない

 

でも、医療系システムが狂っていたら、人が死ぬ。

 

というか、そういうタイプの医療系システムだったんです。かつ大規模なもので、日本全国の患者を対象にしたものでした。

 

だからですね

 

悔しい…

 

 

いや

 

というか

 

 

システム開発にトラブって、「人が死ぬような」システムが出来上がってしまって、そのシステム開発に自分も携わっていた から 悔しい…

 

…のでは無くて

 

問題はその、原因なんです。

 

その原因が、悔しい。

 

その原因とは

 

なんというか

 

みんなですね

 

開発者は、大勢の開発者が携わっていたそのシステム開発

 

みんなわかっていたんです

 

  • 責任者がいない、責任者がシステムを知らない
  • 理想論ばかりが語られる
  • 自治体の意見がまとまらない
  • 医療機関の意見がまとまらない
  • 組織の力関係などで、身動きが取れない

 

みたいなことが源流にあり、開発者はみんなわかっていた「このシステムはまともに動かない」

 

 

みんな沈黙していたんです。

 

「このシステム開発、このまま進めていったって、まともに動きはしませんよ。日本全国の医療現場に、そうとうに不幸な事件が起こる可能性があります」って、みんな、大なり小なり、感じていたんです。数年にわたる開発期間の間、ずっと。

 

みんな感じていたけれど、みんな沈黙していた。

 

「そんなこと言ったって、何も変わるわけじゃない。俺の責任じゃないし」

 

そういって、そう感じて、みな沈黙し、なんなら冷笑していた。

 

それが、悔しかった。

 

 

多くの 社会人は

 

巨大で複雑で理不尽な意思決定システムの前で、無力感を学習し、どう生きるかの選択を求められる。

 

そこで考えられる選択肢はおそらく一つしかなくて、それは「被害を被る前に逃げること」だと思う。

 

「被害」を「察知」し「逃げる」。これが正しい生き方で

 

正しい生き方が出来なかった人たちは、「学習性無気力」を発揮し、ただ隷従する。

 

ただ隷従した人達が「人の命」を、危うくする。

 

にやにや笑いながら、「私のせいじゃないから知らない」と言いながら、動かないシステムを作るし、狂ったデーターを作る。

 

私の幸福は

 

私はうっかり「学習性無気力」を、持ち辛い性格であったということで

 

それは私のサイコパス性でもあるわけですが

 

私はただただ、「学習性無気力」を持つことなく、ずっと「悔しい」気持ちで入れたわけで

 

その結果として

 

常に巨大で複雑で理不尽な意思決定システムが、私に無力感を学習させようとしてくることに抗うために

 

結果として見いだせた方法論が

 

「自分の会社を持つこと」で、あり

 

悔しい思いをした20代後半から準備を始め、44歳で今の会社の社長になり、今年私は56歳であるので、

 

「悔しい」から今日までを、ざっくり30年と捉えると

 

その30年のうち、後半10年は

 

所属する組織の最終意思決定者でいられて

 

まあ

 

幸せだっていう、話です。

 

 

そしてそんな私ですから

 

 

そんな私は

 

 

自分の会社の中に、つねに発生しようとする、

 

 「巨大で複雑で理不尽な意思決定システムに向き合う事で、無力感を学習し、冷笑しながら無責任な行動を始める」

 

事を

 

圧倒的な嫌悪感をもって、その芽をつぶす

 

私の会社の会社名「ソノリテ」とは「共鳴」という意味ですが

 

そんな私の波動が、会社の中や、世の中に、大きな共鳴を産み出し

 

「人が死ぬ」

 

のではなく

 

「人が人らしく生きる」

 

ということを起こすように…

 

 

 

~う~んだいぶ熱くなっちゃったな

 

 

もう止めます

 

 

学習性無気力かっこわるいです。

 

怒りをもって、生きよう

 

 

おしまい。

忖度こわい

昨今メディアを賑わせているビッグモーターの不祥事ですけれども

 

私も会社の経営者ですので、ああいったニュースに触れるたびに

 

「もし私の会社がああいった不祥事を起こしたらどうしよう」というような感情になるんです。

 

私は会社の代表ですから、会社が起こした不祥事はすべて私の責任ですし

 

少なくとも「私は知らない。一部の社員が勝手にやったことだ」というような言い方は、したくない。

 

とはいえ、まあ、本当に知らなかったんだとしたら

 

「知らなかったけど、知らなかったことも含めて、私の責任だ」

 

くらいの言い方はしたいし、実際そうだと思うんですけどね。

 

でもねえ、やっぱり悲しいよね。

 

もし、私の知らないところで、不祥事のようなことが、起きてしまったんだとしたら、それはとても悲しいし、たぶん、悔しい。

 

むかし聞いたことがある金言で

 

 「社長っていうのは、会社の中でおきた問題を、一番最後に知る存在だ」

 

っていうのがあってですね。

 

なるほどなぁ~ きっとそうだよなぁ~ 会社のピラミッドってそういうもんだよな~ と、思うんだけれども

 

でも、それってスゴイ恐いことだし

 

なんとかしてそーゆー事じゃ無くしたいんですよね~

 

ガードナーなんかに言わせれば、それはITが解決できる。

 

ITは現場とトップをダイレクトにつなぐことが出来るツールである。

 

多くのコミュニケーションがITで行われれば、それを共有することは、たやすい。

 

あとは情報量の問題だけ。

 

そう、情報量

 

うちの会社なんかだと、社員同士の雑談(お勧めの映画やら、今日食べたランチやら)なんかが、ある程度、社内SNS上で行われていて

 

それは在宅勤務だからでもあるんですが

 

雑談レベルからフラットになっていて、だから、おそらく

 

ネガティブな情報なんかについても、それがフラットに筒抜けです… なんてそんな 甘い認識ではないですけれども

 

少なくとも一般的な日本のヒエラルキー型組織よりは、情報をトップが察知しやすい環境とか社風とか、そういうモノには成ってきている

 

成ってきているが

 

まあ、やっぱダメで

 

何がダメだって言うのは色々な理由があるけれども

 

やっぱり中間管理職が隠すんですよね

 

まあ、そういうもんですよ

 

隠さないまでも、柔らかくする

 

まあ、そういうもんです

 

まあ、柔らかくするまでは、なんとか出来るとして

 

やっぱり「忖度」これが怖いですね。

 

「忖度」がおこり、「だま」でやられる

 

本当にこわい

 

「忖度」を無くし、「だま」を察知する

 

そういった仕組みは

 

おそらく全社のITを横断的に大量に裁くものが必要であり、

 

それが出来るのはAIだけなんだろうなと思いますよね。

 

実際それはもう始まっていて

 

アナタの会社でサービス残業が行われているかとか、上司が部下にどう思われているかなどは

 

基礎情報だけITに提供できれば、会社の浄化は始められるんです

 

ここで欲しいのは

 

数値情報だけじゃなくて、感情の情報でしょうね

 

感情の情報っていうのは、言語化、文字化されたものだけじゃなくていいし、むしろ言語化、文字化されていない、感情の情報って言うのを、全社のITを横断的に監視しているAIに、どうやって渡すかという時代になるはずで

 

私たちはそれを、研究しているんですけどね

 

まあ、でも

 

それを研究しているつもりでいるのは、私だけかな

 

ビッグモーターで行われていたというLINEグループによるコミュニケーションでどのような言葉が使われていて

 

経費精算で業務に必要のない除草剤が大量に購入されていて

 

退職者やお客様が世の中のSNSにどのような苦言を書いているか

 

それらを常にAIが監視していれば

 

 

 

いや

 

ビッグモーターの件では、もう、遅い

 

遅いというか

 

あんなもん、別にAIじゃなくったって、わかるよ。普通に経営者やっていれば。

 

 

私が言いたいのは「予見」

 

あんなふうに最悪の社風になってからじゃなくて

 

最悪の社風に「なりそうな雰囲気」「火種」「忖度の始まり」「不審な行動」「モラル低下が始まっているような感触」ってのがね

 

そういうものをセンスする機能が、

 

これからの会社には必要でですね

 

必要だと思いませんかね?

 

だって中間管理職は、なんでもすぐ隠すよ

 

私は大手企業の中間管理職を経て、今の会社の代表になったから

 

普通の人よりは少し、その辺りの感情はわかります

 

これは精神論ではどうしようもない。

 

仕組みが必要。

 

 

おしまい

人の気持ちがわかる能力に己惚れる

最近の方針にしたがって下書きも筋書きも考えずに書きます。誤字脱字やてにおはの間違いなんかもそのまま行きます。

 

さて、少し自慢げな書き方になるんですが

 

ちょっと前まで、その当時勤めていた会社や、今、私が代表を務めている会社でもそうなんだけど、

 

商品の企画や、サービスの設計や、プロジェクトマネジメントや、イベントの内容とか…

 

まあ、いろいろな事で、

 

  • なんでそんな風に考えちゃうんだろ?
  • そんな風になるわけないじゃん?
  • それ、誰もそんなもんに興味ないよね?そんなことがわからないの?

 

みたいに感じることが、わりとあって

 

なんや?みんな?人の気持ちがわからないの? みたいな感触を持つことが多くて

 

べつに私が特別に「人の気持ちがわかる」わけじゃないので、余計にわけがわからなくて。

 

だってさ

 

 Aをやったら、Bさんは、Cって思うよね? なんでAをやるのよ?やるならDでしょ?

 

みたいな感触をもつことがよくある。

 

まあ仕事なんて、みんながみんな真面目にやっている人ばかりじゃないから、例えば

 

  • 自分の企画に己惚れてしまい、客観的に考えられない人や
  • ディティールにばかり眼が行き、俯瞰して考えられない人や
  • 事なかれ主義で、周りのYesを取ることだけしか頭になくて軸がない人や

 

まあそんな人たちがいっぱいいたから、そんな人たちが、自分のプロジェクトをミスるっていうのは、有り勝ちな話かなぁとは思うけど

 

どうも理由はそれだけじゃない

 

それだけじゃない理由で

 

  • なんでそんな風に考えちゃうんだろ?
  • そんな風になるわけないじゃん?
  • それ、誰もそんなもんに興味ないよね?そんなことがわからないの?

 

みたいに、なる。

 

んでもう、最近感じていることは

 

 「べつに私が特別に「人の気持ちがわかる」わけじゃないので」

 

っていうのが、間違いで

 

  •  私が特別で、私が他の人より「人の気持ちがわかる」

 

って、考えるしかないかな。

 

実際そのほうがしっくり来るな。

 

と、思うようになりました。

 

昔、ある会社の組織コンサルタント

 

「ソフトウェア業界の人は、人間に興味がない人が多い」

 

と、発言していたのを印象深く感じていて。

 

もしかしたらそういう事なのかも知れない。

 

例えば、これは例えばの話だけれど、出版業とか、文筆業とか、そんな風な各種メディアとか、そういうですね、「人の心に深く入り込んだ作品を作る」みたいなことを、仕事にしている業界の人だったら、また違うのかも知れないんだけど、

 

でもですね

 

まあ、やっぱ違うんですよね

 

それなりに、いろいろな業界の人、出来るだけ多様な業界の人とつながりを大切にしているつもりなんですけど

 

それぞれに多様で、仕事の仕方も違うし、ベースとなる価値観みたいなものもそれぞれに存在するわけですが

 

  •  私が特別で、私が他の人より「人の気持ちがわかる」

 

みたいな感触を、ぬぐえない

 

だから、なんというか

 

もう、みんなは、何をやらせても

 

  • なんでそんな風に考えちゃうんだろ?
  • そんな風になるわけないじゃん?
  • それ、誰もそんなもんに興味ないよね?そんなことがわからないの?

 

って、なるな と

 

最初から思う事にしています。

 

最初から思っているから、「ああ、そうなるよね」みたいな感じなんですが

 

こちらが疲れていたり、余裕がなかったりすると

 

「なんだよ、どうしてそうとしか考えらえないんだよ。しっかりしてくれよ」

 

みたいな感情になるし

 

でも余裕があれば、何度でもサジェストするし、なんなら誘導する。

 

何度でも

 

まあこの、「何度でも」っていうのは、最近出来るようになった。というかこれをやらなければいけない。

 

それが私の仕事であり使命なんだと思う。

 

他の人より「人の気持ちがわかる」特別な私は、他の人が「人の気持ちがわからず」間違ってしまうことを、何度でも何度でも修正し、サポートし、正しい道に誘導する。

 

まあでも

 

それ、本当かな?

 

疑い深い私は、やはりこの「私が特別」というニュアンスが好きではなくて

 

みんな、そういう感性は、ある。

 

そう思いたい

 

そう、思うが…

 

それは重大なミスにつながりそうなので、今は

 

「私が特別」と、己惚れていようと思います。

 

己惚れ、嫌いなんですけどね

 

 

おしまい

彼、彼女、考えることしか出来ない

ジェンダーフルイドと説明される分野かと思うのですが、性自認が変化するということだと思うのですが

 

そういう当事者の方と話をしていると、本当に素晴らしいというのか、自分のダメさに気が付くと言えばいいのか

 

ジェンダーフルイドの方とお話をしたよ、という事について、他の人に話すときに

 

「その時、彼女はこういう話をしたんですよ」

 

あるいは

 

「その時、彼はこういう話をしたんですよ」

 

みたいなですね、私はそういう言葉遣いをしそうになっていて

 

ダメだなぁ と

 

「彼女」なのか「彼」なのか、それはどっちだっていいわけですよね。どっちだって話の内容に全く関係がない。

 

関係が無いのに、見た目的なもので、「彼女」とか「彼」とか、言っている私がいて。

 

それは当事者のカミングアウトがあったから、私は気が付けたことなんですけれど

 

本来カミングアウトが必要なこと自体がフレンドリーではないわけで、

 

まったくもって、ダメ。

 

私は、ぜんぜん ダメ。

 

齋藤はバカだなぁ、そういうときは「あの人」とか、そういう風に言えば良いんだよ、って、みなさん思うかも知れませんが

 

いや、ほんとかよ

 

ほんとに、みんな、出来てんの?

 

いや、出来てない社会だと思いますよ。少なくとも当事者のお話を聞く限り、いろいろと嫌な思いをされてきたと聞きます。

 

その人のカミングアウトによって、私は少しだけフレンドリーになれたのかも知れません。

 

いや、どうかな

 

少なくとも、今この瞬間だけでも、問題意識は持てた

 

が、しかし56年間刷り込まれてきた常識のレベルは日本社会のスタンダードなものにすぎませんので、愚かなものだし、儚いかも知れません。

 

それでもですね

 

考えることが大切なんですよね

 

考えることは、嫌いじゃないから、そして常識に抗う事も、嫌いじゃないから

 

もっといろいろな事を考えて、その考えの方向性だけは、ベクトルだけは、マイノリティフレンドリーな自分で居続けようと思います。現時点のレベルは、低いかも知れませんが

 

そしてそれは

 

私の内心の自由の話ではなく

 

あくまでも経営戦略としての私のビジネススタイルとしてのフレンドリーであり、そこはビジネスライク。

 

私は私がビジネスとして成功することを目的として、フレンドリーを追求したい

 

そこは、嘘が無い

 

 

さて

 

「彼女」「彼」という言葉を、脳から削除しなければならないな

 

使わないようにしなきゃ

 

それって、どうやるんだろうか? 意識するだけで出来るかな…

 

 

おしまい

相反する2つの考え

経営するうえで常に大事にしていることは、相反する2つの考えを持っておくということで

 

Aという事業を始めるなら、これが成功したときの利点と、失敗した時の利点、この両方を常に考えておいて、日々の意思決定をする…ということで

 

まあ成功したときの利点なんていうのは当たり前に考えられる…というか考えるまでもないわけですが

 

失敗したときの利点ってのも必ずあるんですよねこれが

 

まあ失敗したときの利点についてあんまり詳しく書くと良くないんでここには書きませんけど

 

あえて言えば、極端な例だけど、なんなら失敗させたくて始めるプロジェクトだってあるんだよ…ってのがヒントかな

 

まあそんなことで

 

相反する2つの考えは、リスクヘッジでもあるけれど、どちらかといえば「常に相反する2つの事柄を同時進行する」というような事でもあって

 

例えばガチンコなビジネスと、遊び半分なビジネスを両方同時進行するとか

 

例えば平和的でソーシャルな活動をしながら、別途ものすごい狭い世界に対しレーティングの高い活動をするとか

 

まあ相反するものを、抱えておく

 

上腕二頭筋を鍛える時は上腕三頭筋が弛緩していることが重要で、でも上腕二頭筋だけ鍛えてもトータルな腕力はつかないから、上腕三頭筋も鍛えるわけだけど、その時に必要な事はいかに上腕二頭筋を弛緩させるかということで

 

相反するものは常に意識下に合ったほうが良いし、相反するものが混在するのが社会だったり、リアルだったりするわけだから

 

そうやって思考しておくのが、私は好きなんです。

 

 

今、何を考えているかというと、

 

私は私が60歳になる年に、会社の経営にかかわる姿勢を変えたいと思っていて、

 

簡単に言うと今の「ワンマン社長」みたいな形を変えようと思っている。

 

で、私はいま56歳なんで、あと4~5年、その日に対する準備をしているんですが

 

その準備というのが

 

 ・私流の経営をあるレベルまで到達させたい

 

というのと

 

 ・経営を委譲する環境を整えたい

 

というものでして

 

これって

 

 「あと数年、齋藤流にさらにエンジンをかけるぞ!!」

 

というのと

 

 「あと数年で段階的に後継者に引き継いでいくぞ!!」

 

っていう、相反することを、同時にやろうとしているんですよね

 

まあ

 

そういうもんですよね

 

だから、面白いっていうか

 

 

おしまい

社内と社外をシームレスにしたい

先日ある社員が会社を辞めて転職したんですが

 

その社員はとてもソノリテを愛してくれているし今も情報交換を続けているんですが、

 

まあ色々あって、会社は辞めました

 

で、

 

ただ当社の中でやっていた「あること」は、続けて参加したいんですよね~

 

みたいな話があって

 

あれ?

 

なんでダメなんだっけ?

 

もちろん機密情報とか、費用負担の問題とか、まあ色々とあるにせよ

 

なくてもイイじゃん。社内と社外の境なんて

 

そんなんあったらいつまでもオープンイノベーションなんて起きないよね

 

まあいろいろと制約があるのはもちろんだけど

 

制約を確認する前に、なんか自動思考で「社内」「社外」みたいなものを分けていて

 

それって思考方法がオープンじゃないし、ましてや多様性の統合に向かっていないなぁ

 

ということでですね

 

なんかもっとジャンジャンと、オープンな会社にしたい

 

と、

 

やっぱりそこを考えていくと、結局は「自社商品を作って儲けている会社」にならないと、ダメなんですよね

 

別の話で言うと、例えば当社独自の制度として、BYOD制度や、イツクル制度(自分で定時を決められる、毎日定時を変えられる制度)なんてのがあるんですが

 

こういうのも

 

企業相手のビジネスをしていたり、ましてやSESや、常駐なんかをしている社員が多いと、「そんなんお客さんのルールや都合に合わせなきゃいけないから、無理っしょ」ってなるし、

 

実際そうなっていたんで、

 

当社はSESは止めたし、下請けも止めたし

 

だから「自分の都合で働ける会社」に、どんどんなっていっているんですけど

 

「オープンか?」っていうと、まだまだで

 

「オープン」にするためには、「機密」に対する判断が、自分たちに主導権がないとダメで

 

B2B顧客の受託開発では、まだ足りない

 

作っているものが、自分たちのものでなければ、自分たちの保有する機密が、自分たちのリスクではない。したがって、「オープン」にするという決断に対して、主導的に責任が持てない

 

というね

 

働き方改革」っていうのは

 

ビジネスモデルに依存し

 

伝統的大企業でも難しくて

 

下請け依存型中小企業でも難しい

 

自分のビジネスに対し「プライム」であることが重要なんだと思います。

 

だからやっぱり、働き方改革は経営者の責任だし、ビジネスモデルの問題なんですよね

 

まあこうやって経営者の愚痴をシームレスに吐露すること

 

これもまあ、オープンへの道です

 

 

以上、おきもちBLOGでした

 

おしまい