最近の方針にしたがって下書きも筋書きも考えずに書きます。誤字脱字やてにおはの間違いなんかもそのまま行きます。
さて、少し自慢げな書き方になるんですが
ちょっと前まで、その当時勤めていた会社や、今、私が代表を務めている会社でもそうなんだけど、
商品の企画や、サービスの設計や、プロジェクトマネジメントや、イベントの内容とか…
まあ、いろいろな事で、
- なんでそんな風に考えちゃうんだろ?
- そんな風になるわけないじゃん?
- それ、誰もそんなもんに興味ないよね?そんなことがわからないの?
みたいに感じることが、わりとあって
なんや?みんな?人の気持ちがわからないの? みたいな感触を持つことが多くて
べつに私が特別に「人の気持ちがわかる」わけじゃないので、余計にわけがわからなくて。
だってさ
Aをやったら、Bさんは、Cって思うよね? なんでAをやるのよ?やるならDでしょ?
みたいな感触をもつことがよくある。
まあ仕事なんて、みんながみんな真面目にやっている人ばかりじゃないから、例えば
- 自分の企画に己惚れてしまい、客観的に考えられない人や
- ディティールにばかり眼が行き、俯瞰して考えられない人や
- 事なかれ主義で、周りのYesを取ることだけしか頭になくて軸がない人や
まあそんな人たちがいっぱいいたから、そんな人たちが、自分のプロジェクトをミスるっていうのは、有り勝ちな話かなぁとは思うけど
どうも理由はそれだけじゃない
それだけじゃない理由で
- なんでそんな風に考えちゃうんだろ?
- そんな風になるわけないじゃん?
- それ、誰もそんなもんに興味ないよね?そんなことがわからないの?
みたいに、なる。
んでもう、最近感じていることは
「べつに私が特別に「人の気持ちがわかる」わけじゃないので」
っていうのが、間違いで
- 私が特別で、私が他の人より「人の気持ちがわかる」
って、考えるしかないかな。
実際そのほうがしっくり来るな。
と、思うようになりました。
昔、ある会社の組織コンサルタントが
「ソフトウェア業界の人は、人間に興味がない人が多い」
と、発言していたのを印象深く感じていて。
もしかしたらそういう事なのかも知れない。
例えば、これは例えばの話だけれど、出版業とか、文筆業とか、そんな風な各種メディアとか、そういうですね、「人の心に深く入り込んだ作品を作る」みたいなことを、仕事にしている業界の人だったら、また違うのかも知れないんだけど、
でもですね
まあ、やっぱ違うんですよね
それなりに、いろいろな業界の人、出来るだけ多様な業界の人とつながりを大切にしているつもりなんですけど
それぞれに多様で、仕事の仕方も違うし、ベースとなる価値観みたいなものもそれぞれに存在するわけですが
- 私が特別で、私が他の人より「人の気持ちがわかる」
みたいな感触を、ぬぐえない
だから、なんというか
もう、みんなは、何をやらせても
- なんでそんな風に考えちゃうんだろ?
- そんな風になるわけないじゃん?
- それ、誰もそんなもんに興味ないよね?そんなことがわからないの?
って、なるな と
最初から思う事にしています。
最初から思っているから、「ああ、そうなるよね」みたいな感じなんですが
こちらが疲れていたり、余裕がなかったりすると
「なんだよ、どうしてそうとしか考えらえないんだよ。しっかりしてくれよ」
みたいな感情になるし
でも余裕があれば、何度でもサジェストするし、なんなら誘導する。
何度でも
まあこの、「何度でも」っていうのは、最近出来るようになった。というかこれをやらなければいけない。
それが私の仕事であり使命なんだと思う。
他の人より「人の気持ちがわかる」特別な私は、他の人が「人の気持ちがわからず」間違ってしまうことを、何度でも何度でも修正し、サポートし、正しい道に誘導する。
まあでも
それ、本当かな?
疑い深い私は、やはりこの「私が特別」というニュアンスが好きではなくて
みんな、そういう感性は、ある。
そう思いたい
そう、思うが…
それは重大なミスにつながりそうなので、今は
「私が特別」と、己惚れていようと思います。
己惚れ、嫌いなんですけどね
おしまい