昨今、よりLGBTQフレンドリーな会社になるべく、制度作りや社風改善なんかに意識が向いておりまして
様々なLGBTQ当事者の方々とお話ししたりしているわけなんですが
なんというか
やはりというか、結局と言うか
「職場」とか「会社組織」とか「就業規則」とか、あるいは「職場の人間関係」とか、あるいは「社風」みたいなモノがですね、そういうフォーマルな存在が、各個人のパーソナルな部分に、入り込みすぎなんだよな~
そしてその「入り込み過ぎている」というのが、古い習慣に根差しているんだよな~
かつ、
ちょっとそこに「法律」が入りこんできちゃっているから、面倒なんだよな~
というような、思いが強くあります。
うちの会社では、もう本当に、本格的に、「女性だから、男性だから」というような事柄は、完全に、
完全に、
完全に、無くしたい。
「無くしたい」が、「無くせた」にならないのは、「法律」があるから
例えばですね
「生理休暇」
労働基準法第六十八条に
使用者は、生理日の就業が著しく困難な女性が休暇を請求したときは、その者を生理日に就業させてはならない
というのがあって
「女性」って、法律に、書いてある
だから当社も「女性」について、「生理休暇」を制定している。
というか、制定しなければ法律違反になる。
とても、アフォらしいが、生理休暇が無い会社は、あるいは生理休暇が取得しにくい会社は、今の日本では、「ブラック企業、女性の就労に理解が無い企業、法律に違反している企業」という解釈になる。
ダメダメ
こんなん、入り込みすぎですよ
ようするにですね、これは
「使用者は、就業が著しく困難な人が休暇を請求したときは、その者を就業させてはならない」
で、良いんですよ
というより、
「使用者は、人が休暇を請求したときは、その者を就業させてはならない」
で、良いんですよ
ようするに「女性だけ」「生理だけ」を、特別扱いすることが、不平等なんです。
いや、まあ、例えばそういう会社があってもいいんですよ
でもですね、それを「法律」が定めちゃ、ダメなんです。
そんなんね、法律がね 女性は~ とか そんなん、アフォかと
例えばトランス男性の人だって、いろいろな苦しみがあったり、通院が有ったり
そういうことはですね、人それぞれ なんであって
法律がですね、そういうことを「女性だけ~しなければならない」とか定義しちゃ、いかんのです。
そりゃぁ、昔は
・会社を休むということに今より罪悪感があった
・女性の就業率が低かった
・生理に対する社会的理解が低かった
とかまぁ、いろんな事があったのでしょう。そういう事情に対して、法律が後押しして、その当時の社会的弱者がもっと社会進出出来るようにしたっていうことで、まあ、そんな法律が出来たのでしょう けれど
もう古いよそんなの
女性以外の人間に対する逆差別になりかねないよ
こういうのはですね、アファマーティブなアクションとして制定した特定の定義であるならば、「もういらないな」とか「もう時代が変わったかな」という事をよく見ておかないと、逆差別につながるわけです。
会社の話とは違いますが、私がよく例として挙げるのは、電車の「女性専用車両」。
が、しかし、女性や障碍者の社会進出をより進めるために、女性専用車両は、アファマーティブな手段としては、必要なわけです。
社会の民度が上がり、電車のような公共の場において、痴漢のような犯罪とか、障碍者に対する無理解感とかが無くなって行けば、自然と女性専用車両は無意味なものとなり、むしろ男性差別のようなものとして浮き上がってくる。
そういうことなんで
当社は有給休暇も取りやすい会社になっているし、時間単位年休なんかも早々に取り入れているし、
そういう当社になった上で、この、「生理休暇」ってやつは、無くしたい
無くし、例えば必要なら相応の日数を、全社員分の有給休暇(もしくは何らかの特別休暇)として増やすとか、もうちょっと「公平性」などの議論を社員と行って、何か新しく、会社が社員のジェンダーに入り込まないような制度を考えたい。
が
何しろ「法律」が入り込んでいるからね
それにまあ、「常識」みたいな浅いものもあって
だから
この辺り間違えると、さっきも言ったけど
今の日本では、「ブラック企業、女性の就労に理解が無い企業、法律に違反している企業」という解釈になる。
なんでや
なんで「平等、公平」を考えようとすると、会社がブラック企業になっちゃうんだ?
ということで、いまだに当社は「生理休暇」を無くせていません
という悩みでした
おしまい