どうせ出来ないとわかっていても、やらせる

まあタイトルの通りで

 

どうせ出来ないだろうと思っていますが、そういう態度は見せないで、やらせる。

 

やらせる。というと誤解があるかもしれませんが、「やる」と言ってくれたことなら、私は腹の中で「どうせ出来ない」と思っていたとしても、やってもらう。

 

そして私のほうが圧倒的に先に行く。少なくとも先に行く努力をする。

 

そして、やってもらいながら、圧倒的に先に行った立ち位置から、指摘をする。

 

そうすると、たいていの人(この場合社員)は

  • 早々にやる気をなくす
  • 指摘に対応することが仕事だと勘違いし、指示待ち体質になる
  • そもそも指摘の意味が理解できず、混乱する
  • 指摘を「わけのわからないことを言われ、邪魔されている」と受け取り、「自由にやらせてくれ」というような感じで拗ねる

等々の反応をする

 

なのでなかなか、上手くいかない

 

上手くいかないなら最初からやらせなければいい。どうせそうなる。

 

が、やらせる

 

なぜやらせるか

 

そもそも私は私を信じていないのである

 

  • どうせ上手くいかない(と、私が思っただけ)
  • 私のほうが圧倒的に先に行く(ということが、私はできると思っただけ)
  • どうせ私のいうことを理解できない(と、私が思っただけ)
  • どうせこの社員はやる気を無くす(と、私が思っただけ)

 

などなど

 

みんなみんな、私が思っただけだし、私の考え方や私の方法論や私の予見などを、いい意味で裏切る、素晴らしい結果が出るかも知れないのである

 

出ないけどね

 

まあ、ぜんぜん出ないけど、出るかも知れないのです

 

だからまあ、「どうせダメだろう」と思っても、やらせる。

 

やらせるし、容赦なく、先やら上からやらで指摘する。

 

だいたいそれで、「モチベーションが」とかなんとか言って離脱するのが多いけど

 

それでも、やらせるし、やってほしいし、続けてほしい。

 

続けてほしいけど、容赦はしないけどね。

 

 

このへんがな…

 

 

「どうせ出来ないだろうけどやらせるし、続けてほしいけど容赦はしない」

 

ってのがね

 

 

わかんないかな

 

 

わかんないのはナゼなんだろうね…

 

 

いや

 

 

わかっている社員はいるし、答えを出しているプロジェクトもあるんですよね

 

 

おそらく、この

 

「どうせ出来ないだろうけどやらせるし、続けてほしいけど容赦はしない」

 

ってのを理解する力量がある人っていうのは

 

やっぱり困難を乗り越える力があるというのか

 

と、いうより

 

「困難を乗り越えることが好き」なんでしょうね?

 

 

だから私は

 

「困難を乗り越えることが好き」な人が好きで

 

で、「困難を乗り越えることが好き」な人になら、「どうせ出来ないだろうけどやらせるし、続けてほしいけど容赦はしない」というスタンスで接するけど

 

でも誰が「困難を乗り越えることが好き」な人なのか、それを私が人選するということに対して

 

私は私を信じていないから

 

まあだいだい、だれに対しても「どうせ出来ないだろうけどやらせるし、続けてほしいけど容赦はしない」というスタンスで接することになり

 

そして多くの、途中脱落者と相対して、失望するというわけ。

 

でもね

 

「失望しないこと」が、年々、増えているような気がするから

 

いいんじゃないかな、これで

 

 

おしまい